派遣社員、うっかり極道の跡目に選ばれる ~歴代親分の異能を継いだ俺、最強のヤクザになるらしい~ 作:パラレル・ゲーマー
株式会社汐見総合管理に出勤して、三週目の水曜日。
「……えーっと、ここのセルの数式がおかしいな」
俺――三上悠介は、今日も自分のデスクでエクセルと格闘していた。
一昨日、江戸時代から伝わる盃に触れたせいでTier3という異能者になり、ついでにヤクザの正統な跡目候補にまでされてしまった。だが、そんな大事件があったところで、俺の仕事は相変わらずだ。
管理物件の修繕費用の見積もりを作り、家賃の入金をチェックし、クレームの電話には「はい、大変申し訳ございません」と営業スマイル(声のみ)で対応する。超人的な身体能力が役に立つのは、重い段ボールを運ぶ時くらいだった。
(……まあ、平和に仕事できてるんだから、文句はないんだけどさ)
マウスをカチカチとクリックしながら、俺は小さく息を吐いた。
「親分! おはようございます!」
そこへ、元気な声とともに小野寺亮太がやってきた。今日も朝からフルスロットルで張り切っている。
「おはよう、小野寺君。今日も元気だねえ」
「へい! 親分も絶好調そうっすね!」
「身体の調子はいいよ。肩こりもすっかりなくなったし」
小野寺は自分のことのように満足そうに何度も頷いた。
直属に付けられてからというもの、何かにつけて俺の世話を焼きたがる。俺がデスクを立つたびに「親分、どこ行くんですか? 便所っすか? お供します!」と本気でついてこようとするのは勘弁してほしいが。
ただ、これほど慕われるのも悪い気はしない。俺にとっては気のいい弟分のような存在だ。もちろん、自分が本物の『ヤクザの親分』になったつもりは毛頭ないが。
ふと、事務室の奥にある役員室から、黒瀬と源治の話し声が漏れ聞こえてきた。
普段なら気にも留めないが、今の俺は聴覚も常人離れして強化されているらしく、少し意識すればかなり遠くの会話も拾うことができた。
『親父。どうやら外で、少しばかり妙な噂が流れているようです』
『なんだ?』
『うちに、新しく強力な能力者が加わったらしい、と』
俺は思わずタイピングする手を止めた。
(……え? それって俺のこと?)
『どこから漏れたかは現在調査中ですが、近隣の同業……特にうちと昔から折り合いの悪い連中の間にも、その噂が広がり始めているようです』
『はっはっは! そりゃめでてえじゃねえか! うちにもまだそれだけの隠し玉があるってことだ!』
『親父。笑い事ではありません。三上さんの存在が知られれば、余計な連中が探りを入れてくる可能性があります。三上さんはまだ実戦経験のない素人なんですよ』
『分かってるよ。だが、いつまでも隠し通せる話じゃねえだろ。いずれは挨拶回りもさせなきゃならねえしな』
俺はキーボードの上で指を震わせた。
(……あの。できれば一生隠してもらえませんかね?)
挨拶回り? ヤクザの? 俺が?
冗談じゃない。俺はただの派遣社員だ。エクセルの表計算と電話番が仕事なんだ。
しばらくして、奥から出てきた黒瀬が俺のデスクに歩み寄ってきた。
「三上さん。最近、外で少し妙な噂が流れているようです」
「……噂、ですか」
「ええ。三上さんがその能力者だとは特定されていませんが、何か不審なことがあったら、些細なことでもすぐに私に知らせてください」
「はあ……分かりました。気をつけます」
俺は一応神妙な顔をして頷いた。
しかし、正直なところ、あまり深刻な危機感は持っていなかった。
(まあ、俺の顔まで知られてるわけじゃないだろうし。そもそも俺、通勤以外でほとんど外へ出てないからな。狙われようがないだろ)
そんなふうに、俺はどこまでも平和ボケした、普通の社会人の感覚のままだったのだ。
*
午前十時。
小野寺が、ジャケットを羽織りながら俺のデスクへやってきた。昨日言っていた、外回りの時間らしい。
「親分! じゃあ俺、ちょっくら行ってきます!」
「はいはい。物件の巡回と、修繕業者さんとの打ち合わせだっけ? 気をつけてね」
「へい! 昼過ぎには戻りますんで!」
小野寺は元気よく敬礼のような仕草をした。
「あ、親分、帰りに何か買ってきましょうか? タバコとか、弁当とか」
「いや、いいよ。……あ、そうだ。もし帰りにコンビニ寄るなら、ブラックの缶コーヒーを一本お願いしてもいいかな」
「もちろんっす! 任せてください!」
「お金は後で払うから、レシートもらっといてね」
「そんなのいらないっすよ! 俺の奢りっす!」
「いやいや、そこはちゃんと払うから! いいからレシートもらってきて」
「へーい!」
まるで、どこの会社にでもいる仲の良い先輩と後輩のやり取りだ。
小野寺は満面の笑みで事務所を出て行った。
俺はその背中を見送りながら、彼が昼過ぎにはコーヒーを片手に元気に帰ってくるものだと、微塵も疑っていなかった。
再びパソコンの画面に向き直り、今日中に終わらせる予定のタスクリストを確認する。
(さて、今日もサクサク仕事を片付けますか)
この時点では、誰も、その後の事件を予想すらしていなかった。
*
午後二時過ぎ。
昼休みが終わり、俺は少し眠気と戦いながらデータ入力を続けていた。
ふと、デスクの横を見て、違和感を覚えた。
「……あれ? 小野寺君、まだ帰ってこないんだ」
向かいのデスクの森田さんが、俺の言葉に顔を上げた。
「そういえば、そうですね。ちょっと遅いかしら」
「まあ、打ち合わせが長引いてるのかもしれませんね。よくあることですし」
営業経験の長い俺にとって、外回りの予定が数時間押すのは珍しいことではない。先方の担当者が不在だったり、現場でトラブルがあって話し込みが長引いたり。
俺は特に気にすることなく、仕事に戻った。
しかし、午後三時を回っても、小野寺は帰ってこなかった。
さすがに遅すぎる。打ち合わせが終わって直帰するなら、その旨の連絡くらい入れてくるはずだ。
「一応、連絡してみるか」
俺はスマホを取り出し、小野寺の番号に発信した。
プルルルル。
プルルルル。
呼び出し音は鳴るが、一向に出る気配がない。
三回ほどかけ直してみたが、結果は同じだった。メッセージアプリを開いてみても、昼前に送った「コーヒーよろしく」というメッセージに既読すらついていない。
(……あれ? 小野寺君、普段はこういうレスポンスめっちゃ早いのに)
少しだけ、胸の奥に嫌なざわつきを覚えた。
それを見た森田さんが、立ち上がった。
「三上さん、ちょっとおかしいですね。私、今日の訪問先の修繕業者さんに電話で確認してみます」
森田さんが素早く電話をかけ、二言三言言葉を交わして、すぐに受話器を置いた。
彼女の顔には、明確な不安が浮かんでいた。
「……三上さん。業者さんのお話だと、小野寺君は午前中のうちに打ち合わせを終えて、十一時半頃には帰ったそうです」
「え?」
俺は時計を見た。今は午後三時過ぎだ。
業者さんの事務所からここまでは、車で三十分もかからない。
「じゃあ、三時間以上もどこかで道草を食ってるってことですか?」
「小野寺君、たまにサボることはありますけど、無断でここまで音信不通になるような子じゃないですよ」
確かにそうだ。俺には「昼過ぎには戻ります」と約束していたし、今のあいつが俺への報告を怠るとは思えない。
(……事故とかじゃないよな? 交通事故とかで病院に運ばれてるとか……)
そんな不吉な想像をしていると、足早に黒瀬が事務室に姿を現した。
「小野寺がまだ戻っていないそうですね」
「はい。電話にも出なくて……業者さんを出た後から足取りが掴めないんです」
俺が報告すると、黒瀬の表情が一気に険しくなった。
「分かりました。こちらでも周辺を確認させます」
黒瀬は足早に役員室へ戻っていった。
俺はこの時点でもまだ、何らかの交通トラブルか、せいぜいタチの悪いチンピラと喧嘩にでもなったのだろうと考えていた。
まさか、朝の『噂』が、こんなに早く最悪の形で現実になるとは思ってもみなかったのだ。
*
午後三時半頃。
事務室のビジネスフォンが、けたたましく鳴り響いた。
「はい、株式会社汐見総合管理でございます」
森田さんが受話器を取る。しかし、数秒後には彼女の顔色が変わった。
「……はい。少々お待ちください」
森田さんは保留ボタンを押し、役員室から出てきていた黒瀬に声をかけた。
「黒瀬さん。……相手、名乗らないんですけど、黒瀬さんを出せと」
黒瀬は無言で頷き、森田さんのデスクの電話をスピーカー通話に切り替えた。
「……代わった。黒瀬だ」
『おお、黒瀬さんよ。久しぶりじゃねえか。元気にしてるか?』
電話の向こうから聞こえてきたのは、ひどく耳障りな、ねっとりとした男の声だった。
黒瀬の顔が、氷のように冷たく引き締まった。
「……何の用だ。うちとは手打ちにしたはずだが」
『そう冷てえこと言うなよ。うちも最近、羽振りが悪くてよぉ。……ところでよ、おたくの若い衆、少し元気が良すぎるんじゃねえか?』
「……何だと?」
『今、うちの若いのが預かっててよ。ちょっと頭冷やさせてるところだ』
その瞬間。
事務室の空気が、文字通り凍りついた。
俺は思わず立ち上がり、黒瀬と電話機を交互に見つめた。
(え? 預かってる? 預かってるって……)
「……小野寺か」
黒瀬が低い、地を這うような声で言った。
『ああ、その名前だ。元気のいい小僧だよ』
俺は言葉を失った。
「えええええ!? 誘拐!? 小野寺君が!?」
俺がパニックになって叫ぶと、黒瀬が手で制した。
「……何のつもりだ。小野寺はそっちのシマを荒らすような真似はしていないはずだぞ」
『シマの話じゃねえよ。最近、おたくの組に、新しくて『すげえ強力な奴』が入ったらしいじゃねえか』
黒瀬の眉間がピクリと動いた。俺も息を呑んだ。朝の噂だ。
『うちも色々と情報集めててよぉ。おたくの事務所から出てきた、一番活きのいい若い男を引っ張ってきたわけよ。こいつがその『新入りの能力者』だと思ってな』
「…………」
黒瀬は無言だった。
俺は頭が真っ白になった。
つまり、どういうことだ。敵は『新しい強力な能力者』を探していた。しかし顔を知らなかった。だから、たまたま事務所から出てきた若い小野寺を、その能力者だと思い込んで拉致した?
「……勘違い、か」
黒瀬が低く呟いた。それ以上、電話の向こうへこちらの情報を漏らすつもりはないらしい。
「…………え?」
俺は、ゆっくりと自分を指差した。
俺?
俺と?
小野寺君を?
「いや、全然違うじゃないですか!? 年齢も一回り違うし、顔も違うし!! 小野寺君はヤンチャ系で、俺は完全に草食系のおっさんですよ!?」
俺が全力でツッコミを入れると、スピーカー越しの男が不快そうに舌打ちをした。
『おい、そっちで喚いてる奴は誰だ? ……まあいい。俺たちもバカじゃねえ。この小僧をいくら痛めつけても、ただの木っ端ヤクザだってことはすぐに分かったよ』
痛めつけた。
その言葉に、俺の背筋に冷たいものが走った。
「小野寺君に何をした!!」
『おいおい、少しばかり可愛がってやっただけだ。……おい、ちょっと声を聞かせてやれ』
電話の向こうで、ゴソゴソという物音がして、やがて掠れた声が聞こえてきた。
『お、おや……三上さん……!』
「小野寺君!? 大丈夫!? 怪我してない!?」
『すんません!! なんか俺、親分と間違われて捕まっちまって……! 俺、違うって何度も言ったんすけど、こいつら頭悪くて全然信じてくれなくて!!』
泣きそうな、しかし俺を気遣うような小野寺の声。
「いや、それは小野寺君、何も悪くないから! 俺のせいだから!」
『おい、余計なこと喋ってんじゃねえぞ、ガキが!』
ドスッ、という鈍い音と、小野寺のくぐもった悲鳴が聞こえた。
「ひっ!」
俺は顔面から血の気が引くのを感じた。
明らかな暴力。小野寺は今、間違いなく生命の危機に晒されている。
『さて、黒瀬さんよ』
男の声が再び戻ってきた。
『こいつが本命じゃねえのは分かった。だが、このままタダで返すのも癪でな。本物の『新入り』を呼び出すための餌になってもらうことにした』
「……条件はなんだ」
黒瀬の声には、すでに殺意が込められていた。
『今日の夜八時。東京湾沿いの、あの廃倉庫街の一角だ。詳しい場所は後でメールする。そこに、その『本物の新入り』を一人で寄こせ。余計な人間を連れてきたり、警察の犬を嗅ぎ回らせたりしたら、この小僧は東京湾の底に沈む。いいな?』
男は一方的に用件を告げると、ガチャリと電話を切った。
ツー、ツー、という無機質な電子音だけが事務室に響く。
俺は、その場にへたり込みそうになるのを必死に堪えていた。
(……え? これ、もしかして)
一人で寄こせ。
俺が行く、という流れに、完璧に仕上がってしまっていないか?
*
午後四時過ぎ。
連絡を受けた源治が、物凄い剣幕で事務所にやってきた。
役員室に俺と黒瀬、源治が集まり、緊急の対応協議が始まった。
「……相手の要求は、三上さんを単独で引き渡すことです」
黒瀬が冷徹な声で状況を報告する。
源治は腕を組み、忌々しそうに舌打ちをした。
「あのクソ外道どもめ。昔からコソコソと小せえシノギばっかりやってた連中だが、うちの若い衆に手を出すとは、随分と舐められたもんだな」
重苦しい空気が流れる。
俺は、震える膝を両手で押さえつけながら、一つだけ、俺の中で絶対に間違っていない確信を口にした。
「……あの」
「なんだ、三上」
「け、警察ですよ!!」
源治と黒瀬が、揃って俺を見た。
「あん?」
「警察!! 警察に電話しましょう!! 誘拐ですよ!? 人質を取って脅してるんですよ!? 普通に大事件じゃないですか!! 早く110番して、SATとかSITとか、そういうプロの人たちに助けてもらいましょう!!」
俺は必死に身を乗り出して訴えた。
小野寺君が危ないのだ。ヤクザのメンツとか言っている場合じゃない。国民の血税で訓練された国家権力に頼るべきだ。
しかし、黒瀬は深々と溜息をついた。
「三上さん。お忘れですか? 我々がどういう組織か。そして、相手もまたどういう連中か」
「知ってますよ! 知ってますけど、誘拐ですよ!? 警察だよぉ!!」
「警察に連絡すれば、誘拐事件として捜査に動いてくれるでしょう。ただ、相手は警察を動かせば小野寺を殺すと脅している。しかも異能者が関わっている可能性もあります。居場所や相手の戦力を確かめずに大勢で踏み込めば、小野寺の命が危ない。関係機関との連絡は、こちらで慎重に進めます」
そう言われると、俺も黙るしかなかった。警察に助けてほしいのは本心だが、小野寺君が人質に取られている以上、勢いだけで突入してもらうわけにもいかない。
「じゃ、じゃあ、黒瀬さんたちが大人数で乗り込んで、ドカンと助け出すとか……!」
「相手は『一人で来い』と指定しています。我々が正面から大人数で押しかければ、監視に気づかれ、小野寺が危険です」
「…………」
手詰まりだ。
俺は絶望的な気分で俯いた。小野寺君が殺される。俺にコーヒーを買ってこようとしてくれたばかりに。
その時。
ずっと黙っていた源治が、ゆっくりと口を開いた。
「……三上」
「はい?」
「おめえなら、何とかできるんじゃねえか?」
「…………え?」
俺は、源治の顔をマジマジと見つめた。
何を言われたのか、一瞬理解できなかったのだ。
「今のお前なら、一人で行っても、あの連中を捻り潰して小野寺を助け出せる」
「……はい?」
俺はゆっくりと首を傾げた。
え?
誰が?
俺が?
あの武装したヤクザの集団を?
……どうやって?
「で、できないよ!? 何言ってるんですか!?」
俺は椅子から立ち上がり、全力で両手を振って拒絶した。
「俺ですよ!? 三上悠介、三十四歳! 趣味はネットサーフィンと動画鑑賞! 休日は寝て過ごす一般人ですよ!?」
源治は全く動じない。
「お前は初代の盃に選ばれた、由緒正しいTier3だろうが」
「そうですけど!! そうですけどね!? 俺、一度も人と殴り合ったことないんですよ!? 実戦経験ゼロのペーペーですよ!?」
「一昨日の検査、俺もこの目で見たぞ! あの馬鹿でけえ木箱を軽々動かしてただろうが!」
「動かしましたけど!! 木箱を押せるからって、殴り合いができるわけじゃないでしょう!?」
「鉄パイプだって飴みてえに曲げたじゃねえか!」
「曲げましたけど!! 相手は本物のヤクザですよ!? 刃物とか持ってるんですよ!?」
源治はニヤリと笑った。
「大丈夫だ。自分を信じろ!」
「いや、信じないよ!! 俺、一般人だよ!? ただの元営業マンですよ!?」
本気だ。この親父、本気で俺を一人で敵地に放り込む気だ。身体能力がTier3だろうと、中身はただの会社員。チワワの脳みそをライオンの身体に入れたからって、ライオンみたいに戦えるわけがないだろう。
「しかも一歩踏み込んだだけで、倉庫の端まで飛んでったじゃねえか。あれも俺は見てたぞ!」
「そうですけど!」
「なら、そこらのチンピラ相手なら何とかなる!」
「何とかなるって何ですか!? そんな適当な!!」
俺は涙目で黒瀬に助けを求めた。
「く、黒瀬さん! 若頭からも言ってやってくださいよ! 俺が行くなんて無謀ですよね!?」
黒瀬は腕を組み、難しそうな顔で頷いた。
「……親父。三上さんの言う通りです。三上さんはまだ実戦を経験していません。能力の出力は確かにTier3ですが、相手の戦力も、異能者が混ざっているかどうかも分からない以上、単独で突入させるのは危険すぎます」
「おおっ!! そうですよ! 黒瀬さんの言うとおりですよ!!」
俺は心の中でガッツポーズをした。よかった! この人はまともだ! この組織の最後の良心だ!!
ところが、黒瀬は俺の歓喜を裏切るように、冷徹な声で続けた。
「ですから、こちらでも人員を動かします。三上さんが指定の場所へ一人で向かわれるなら、我々も少し遅れて周囲を押さえ、必ず支援できるように手配します。警察への連絡も含め、八咫烏と調整します」
「……え?」
俺はポカンと口を開けた。
あれ?
反対してたんじゃないの?
なんで俺が行くことが大前提になって、作戦が立案されてるの!?
「待って待って待って! 俺が行くの確定ですか!?」
源治が俺の肩に、ドンッと重い手を置いた。
「大丈夫だ、三上」
「何がですか!?」
「お前ならやれる」
「だからできないって言ってるじゃないですか!!」
「自分を信じろ!」
「いや、だから信じませんよ!! 俺は俺の弱さを一番知ってるんです!!」
「良いから大丈夫だ!」
「マジかよ!! ガチィ!? 冗談はよしこさんですよ!!」
俺が半泣きで絶叫すると、源治は一瞬だけ黙り込んだ。
「……お前さん、三十四にもなって『冗談はよしこさん』か」
「今そこツッコむところですか!?」
俺はもう限界だった。今すぐこの場から逃げ出したい。
しかし、源治はふと真面目な顔になり、俺の肩を置いた手に少しだけ力を込めた。
「……小野寺はな、お前さんのことを随分と慕ってたそうじゃねえか」
「……はい」
「初代の盃に選ばれた正統な跡目、Tier3の超能力者。そのお前についていくって、あいつは自分で決めたんだ」
「…………」
俺は黙るしかなかった。
「あいつもまだ若え。馬鹿なところもある。今回の件だって、少し気をつければ防げたかもしれねえ。だが、お前さんに懐いて、一生ついていくって俺たちの前で宣言したんだ。そうだろ?」
脳裏に、月曜日の夕方、目を輝かせて頭を下げた小野寺の姿が浮かんだ。
『親分! 一生ついていきます!』
元気な笑顔。
俺のためにお茶を淹れてくれた。俺に褒められたくて、苦手な書類仕事も一生懸命覚えようとしていた。
そんな小野寺が、今、敵対組織に捕まって、暴力を振るわれている。
俺の代わりに。
胸の奥が、ギリッと痛んだ。
……助けたい。
それは間違いない。あんな気のいい後輩を見殺しになんてできるわけがない。
でも、俺が行ってどうにかなるものなのか? 無惨に返り討ちにあって、二人並んで東京湾に沈むだけじゃないのか?
俺が葛藤していると、源治が静かに言った。
「場所は分かってるんだ。お前さんが、ただ小野寺を迎えに行けばいい」
「いや、だから一人で行ってどうするんですか! 殺されますよ!」
「援軍は送る」
「……え?」
俺は顔を上げた。
「黒瀬たちにも、万全の態勢で動いてもらう。お前さん一人だけを、敵地に放り込んで見捨てるようなマネは絶対にしねえ。それは親分としての俺が約束する」
「……え? 本当にですか?」
「ああ。俺の首を賭けてもいい」
「ちゃんと、助けに来てくれるんですよね?」
「当たり前だ」
「俺だけ置いて帰ったりしませんよね!?」
「そんなことするか、馬鹿野郎」
源治の目は、真っ直ぐで力強かった。
俺は少し冷静になって考えた。
(……なるほど。援軍が確実に来るなら、俺は囮というか、時間稼ぎをするだけでもいいのか?)
一人で乗り込んで、小野寺君の居場所を確認する。もし危なそうだったら、強化された足の速さで逃げ回りながら時間を稼いで、あとは黒瀬さんたちプロのヤクザに任せる。
(……それなら、何とかなるかもしれない)
「……え? じゃあ、行こうかな」
俺がポツリと呟くと、黒瀬が「本気ですか」というような微妙な顔をした。
源治は顔を輝かせ、豪快に笑った。
「よし! 決まりだ! さすがうちの跡目だ、度胸が据わってやがる!」
(……あれ? 俺、今ものすごく簡単に丸め込まれなかった!?)
気がついた時には、俺の救出作戦への参加が決定していた。
*
午後五時半。
冬が近づき、外はすでに暗くなり始めていた。
俺は、出発の準備を整え……ようとしたが、何を準備すればいいのか全く分からず、ただ役員室の前に突っ立っていた。
「……あの、黒瀬さん。俺、何を持っていけばいいんですかね?」
俺が尋ねると、黒瀬は不思議そうな顔をした。
「逆に、何か必要な物がありますか?」
「いや、だから分からないんですよ! こういう抗争? みたいなの、人生で初めてなんですから!」
俺は自分の姿を見下ろした。
青山で買った二着目半額の普通のスーツ。少し底のすり減った革靴。普通のビジネスウォッチ。
持っているのは財布とスマホと、鼻をかむためのポケットティッシュくらいだ。
(……いや、これ完全にただの『仕事帰りの会社員』じゃん。こんなナメた格好でヤクザのアジトに行くの!?)
もっとも、防弾チョッキを着せられたり、日本刀を持たされたりしたところで、俺に扱えるわけがない。俺の武器は、この無駄に頑丈になったらしい身体と、謎の『幸運』だけだ。
「三上さん」
黒瀬が真剣な顔で俺を見た。
「小野寺を助けたいというお気持ちは痛いほど分かりますが、ご自分まで危険に晒す必要はありません。我々も必ず後から向かいますから、決して無理はしないでください」
「分かってます! そもそも戦うつもりなんてミリもありませんよ! 小野寺君を見つけたら、隙を見て速攻で逃げますから!」
「……ええ。それなら結構です。では、指定の場所でお待ちください」
「本当に援軍、来ますよね?」
「もちろんです」
黒瀬の力強い言葉に、俺は少しだけ安心した。
実戦能力は皆無の素人だが、プロがバックアップしてくれるなら、なんとかなるだろう。たぶん。
(……いや、なってくれないと本当に困るんだけど!!)
事務室を出ようとすると、森田さんが心配そうな顔で近づいてきた。
「三上さん」
「はい?」
「小野寺君のこと、よろしくお願いしますね」
俺は少し戸惑った。
「……いや、俺、そんな大したことはできないと思いますけど。逃げ回るのが関の山ですよ」
森田さんは優しく微笑んだ。
「それでも、あの子は三上さんが来てくれたら、きっと泣いて喜ぶと思います。気をつけて行ってらっしゃい」
俺は少しだけ表情を引き締め、頷いた。
「……分かりました。できることはやってみます」
小野寺君には悪いが、俺の命が第一だ。でも、あいつを見捨てるつもりもない。
(……まあ、絶対戦うつもりはないからな!?)
俺は心の中で強く自分に言い聞かせ、汐見総合管理の事務所を後にした。
*
午後七時四十分。
指定された場所は、東京湾に近い、古びた倉庫街の一角だった。
日が完全に沈み、周囲は潮の匂いと、微かな機械油の臭いが混じった夜の冷たい空気に包まれている。
街灯は少なく、巨大な倉庫群が黒いシルエットとなって不気味に浮かび上がっていた。
「……いや、怖っ。普通に怖いんだけど」
俺は一人、薄暗い道路を歩きながら独り言をこぼした。
昼間の平和な会社とはまるで違う、本物の裏社会の匂いがする場所だ。
錆びついた鉄製のフェンス。シャッターの閉まった巨大な倉庫。人気のない道路。時折、遠くから大型トラックの走行音や、正体不明の機械音が響いてくる。
俺はスマホの地図アプリを確認した。
指定された場所は、ここで間違いない。
俺は周囲を見回した。
黒瀬たちの姿は当然ない。援軍は別に動いて包囲網を敷くと言っていた。だが、少なくとも今この瞬間、俺の視界には誰もいなかった。
(……あれ? 本当に俺、一人で来ちゃったんだけど。これ大丈夫なの?)
背中を嫌な汗が伝う。
踵を返して逃げ帰りたい衝動が、何度も足を引き止めようとする。
しかし、俺の頭の中には、鼻血を出して捕まっている小野寺の顔がちらついていた。
(……ええい、ここまで来たんだ! とりあえず小野寺君の無事だけ確認して、危なくなったらすぐ引こう!)
俺は意を決して、指定された巨大な倉庫の敷地へと足を踏み入れた。
高いフェンスに囲まれた、広いコンクリートの荷捌き場。
大きな鉄の門扉が、少しだけ開いている。
俺は恐る恐る、その隙間から中へ入った。
目の前には、大型シャッターが下ろされた巨大な倉庫。
周囲はがらんとしており、夜の潮風がヒューヒューと吹き抜けている。
月明かりに照らされたその場所は、不気味なほど静まり返っていた。
「……あのー、すみませーん」
俺は少し声を張り上げた。
「小野寺君を迎えに来たんですけどー! 新入りですー!」
返事はない。
(……え? 誰もいない? もしかして場所間違えた?)
俺がスマホをもう一度確認しようとした、その時だった。
ガチャリ。
倉庫の脇にある小さな通用口の扉が開いた。
そこから、暗闇に溶け込むような暗い色の服を着た男たちが、ぞろぞろと現れ始めた。
一人。
二人。
三人。
それだけではない。反対側の建物の陰からも、停めてあったトラックの裏からも、次々と男たちが姿を現す。
俺は完全に硬直した。
(……あれ? なんか、人数多くない?)
男たちは無言で、俺を中心に半円を描くように距離を詰めてくる。
暗い作業着やジャージの上に、分厚いベスト。足元は厳ついブーツ。しかも手には鉄パイプや金属バットまで握られていた。
(……おいおいおい。なんで武器持ってるの!? 話が違うじゃん!!)
さらに、俺の視界の端で、一人の男が腰に差した鈍く光る長い刃物――実戦用の日本刀へ手をかけた。
(……刀!? いや、待って。ちょっと待って!?)
極めつけは、数人の男が懐から黒光りする鉄の塊――拳銃を取り出し、その銃口をまっすぐに俺へと向けたことだ。
その黒い銃口を見ただけで、背筋が凍りついた。こんなものを向けられるなんて、映画の中だけの話だと思っていたのに。
俺はパニックになり、慌てて背後を振り返った。
入ってきたばかりの、鉄の門扉。そこから逃げれば――。
ガラガラガラ……。
重い、嫌な音がした。
俺の背後の鉄製の門扉が、見えない誰かの手によって、ゆっくりと、しかし確実に閉まり始めた。
「……え?」
ガシャン!!!
最後に、金属が噛み合う絶望的な音が響き渡り、門扉は完全に閉ざされた。
(……あれ? 出口、閉まった?)
俺は呆然と立ち尽くした。
周囲の男たちは、じりじりと包囲網を狭めてきている。
一人、また一人と配置につき、完全な円形の包囲が完成していく。
逃げ道はない。
黒瀬たち援軍の姿も、もちろんない。
拳銃や日本刀で武装した二十人近いヤクザたちが、ただのスーツ姿の派遣社員を取り囲んでいる。
(……いや。待ってくれ。これって、もしかして)
俺は、ガクガクと震え出す膝を必死に堪えながら、自分自身の置かれた状況を正確に理解した。
――詰んだ……!!
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!