派遣社員、うっかり極道の跡目に選ばれる ~歴代親分の異能を継いだ俺、最強のヤクザになるらしい~   作:パラレル・ゲーマー

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第5話 派遣社員、ヤクザ相手に無双する

 ――詰んだ……!!

 

 背後で重厚な鉄の門扉がガシャンと完全に閉ざされた音を聞き、俺は絶望的な確信とともに固まっていた。

 午後七時四十分。東京湾からの潮風が吹き抜ける、寒々しい倉庫の荷捌き場。

 俺の周囲には、防刃ベストを着込み、鉄パイプや金属バット、果ては抜き身の日本刀や拳銃まで手にした二十人近い男たちが、じりじりと包囲の輪を縮めてきている。

 

「おう、おう! 随分と舐めた真似してくれんじゃねえか! うちのシマに一人でノコノコ乗り込んでくるとは、とんでもねえ度胸してんなあ!!」

 

 集団の先頭に立つ、柄の悪いスーツを着崩した男――おそらくこいつらのリーダー格――が、唾を飛ばさんばかりの勢いで怒鳴り声を上げた。

 びりびりと空気を震わせる本職のヤクザの怒号に、俺の膝は今にも笑い出しそうだった。

 

(いや、度胸なんかねえよ!! あるわけないだろ!!)

 心の中で全力のツッコミを入れながら、俺はなんとか震える声を絞り出した。

 

「あ、あのっ! 誤解です! 俺、別に喧嘩をしに来たんじゃなくてですね! うちの小野寺君を返してもらえれば、それで穏便に帰りますから……!」

「舐めた口きいてんじゃねえぞ、コラァ!!」

「だから舐めてませんってば!! 下からお願いしてるじゃないですか!!」

 

 俺は両手を胸の高さに上げ、敵意がないことを必死にアピールした。争う気なんて一ミリもない。そもそも戦い方を知らない。話し合いで解決できるなら、土下座でもなんでもするつもりだった。

 

 しかし、ヤクザの集団は俺の悲痛な訴えを「余裕ぶった挑発」とでも受け取ったらしい。

 リーダー格の横にいた男が、苛立たしげに黒光りする鉄の塊――拳銃を俺へと真っ直ぐに向けた。

 

「動くんじゃねえぞ、コラ!」

(ひいいっ!? 本物の拳銃!!)

 

 俺が息を呑んだ次の瞬間。

 

 パンッ!!

 

 乾いた破裂音が、夜の倉庫街に木霊した。

 男の持っていた拳銃の銃口から、オレンジ色のマズルフラッシュが閃く。

 撃たれた。

 俺は反射的に目を閉じかけ、凄まじい痛みが身体を貫くのを覚悟した。

 

 ――しかし。

 痛みは来ない。

 それどころか、閉じかけた目の前で、ひどく奇妙なことが起きていた。

 

(……え?)

 周囲の景色が、泥水に浸かったかのようにゆっくりと動いていた。

 拳銃の銃口から飛び出した鉛色の弾丸が、空気を切り裂きながら、まるでスローモーションの映像のように、ゆっくりと、ゆっくりと俺の眉間へと向かって進んでくる。

 

(あれ、銃弾?)

 俺の思考だけは、普段と同じか、あるいはそれ以上にクリアに回転していた。

(……なんか、めちゃくちゃ遅くない?)

 

 弾丸は確かに俺を殺す軌道を描いている。だが、あまりにも遅い。自転車で向かってくるおじいちゃんを避ける方がよほど難易度が高いのではないかと思える速度だ。

 俺は、無意識のうちに首を軽く右へと傾けた。

 ヒュッ、という微かな風切り音とともに、弾丸は俺の左耳のすぐ横を通り過ぎ、後方の鉄扉へと当たって火花を散らした。

 

 途端に、周囲の音と景色がいつもの速さを取り戻した。

 

「……あれ?」

 俺は自分の両手と、無傷の身体を見下ろした。

(今、俺、銃弾を避けた……?)

 

  *

 時間を数時間遡る。

 同日の午後二時頃。

 倉庫の内部に設けられた薄暗い仮眠室で、下っ端の構成員である男は、苛立ちと不安を隠せずにタバコを吹かしていた。

 

「……おい、こいつ本当に例の新入りか?」

 男は、椅子に縛り付けられ、顔を腫らしてぐったりとしている若い男――小野寺亮太を見下ろして言った。

「知らねえよ。あの事務所から出てきた一番活きのいい若えのはこいつだ。間違いない」

 横にいた別の構成員が、面倒くさそうに答える。

 

 彼ら末端の人間は、兄貴分から一つの指令を受けていた。

『榊原一家に、とんでもなく強い能力者の新入りが加わったらしい。そいつを引っ張ってこい』

 だが、その新入りの顔も名前も年齢も、一切の情報が下りてきていなかった。ただ「最近一家に出入りし始めた男」というフワッとした噂だけを頼りに、汐見総合管理のビルを見張り、出てきた小野寺を拉致したのだ。

 

 男は吸い殻を携帯灰皿にねじ込み、小野寺の胸ぐらを掴んだ。

「おい、起きろ。お前、能力者なんだろ? なんとか言ってみろよ」

「ち、違うっすよ……! 俺はただの普通の若い衆っす……!」

 小野寺は口の端から血を流しながら、必死に首を振った。

「嘘ついてんじゃねえ! 隠してると海に沈めるぞ!」

「マジで違うんすよ! 能力者なんて俺じゃない……!」

 

 いくら脅しても、殴っても、小野寺が不思議な力を使う気配は微塵もなかった。

 その様子を見ていた兄貴分が、舌打ちをして壁を蹴った。

「……チッ。間違えたか」

 

 末端の男も内心で冷や汗をかいていた。

(……完全に人違いじゃねえか。ヤバい連中に喧嘩売っちまったかもしれないぞ)

 相手は由緒ある榊原一家。その上、本物の『強力な能力者』がいるのだ。だが、兄貴分は小野寺を解放する気などさらさらなかった。

 

「だったら、この小僧を餌にして本物を呼び出せばいいだろ。黒瀬に電話をかけろ。夜、この倉庫に一人で来させろ」

 事態は、最悪の方向へと転がり始めていた。

 

 夜の準備を進めながら、末端の男は隣の仲間にこっそりとこぼした。

「……おい、本当に大丈夫なのか? 相手がガチのバケモンみたいな能力者だったらどうすんだよ」

 だが、仲間はヘラヘラと笑っていた。

「いくら能力者だろうと、一人で来たら終わりだろ。こっちは二十人近くいるんだぞ? それに兄貴はチャカも用意してる。何をビビってんだ」

「……そ、そうだよな」

 

 男は自分に言い聞かせるように頷いた。

 そうだ。こっちは二十人だ。銃も刀も鉄パイプもある。相手が手から火を出そうが念動力を使おうが、蜂の巣にして切り刻めば人間は死ぬのだ。

 いくらなんでも、これだけの戦力差を覆せるわけがない。

 

 彼らのその常識的な認識が、数時間後、跡形もなく粉砕されることになるとは、この時の男には知る由もなかった。

 

  *

 午後七時四十分。

 見張りに立っていた男からの報告を受け、構成員たちは倉庫の脇の扉から荷捌き場へとぞろぞろと歩み出た。

 末端の構成員の男も、鉄パイプを握りしめながら物陰から広場を窺った。

 

 そこに立っていたのは、一人の男だった。

(……なんだこいつ)

 男は拍子抜けした。

 現れたのは、ごく普通の安っぽいスーツを着た、三十代半ばの冴えない男だったからだ。筋肉質でもなく、凄みがあるわけでもなく、ただオロオロとスマホの画面を確認している。

 

「あのー、すみませーん! 小野寺君を迎えに来たんですけどー!」

 

 間抜けな声が響いた。

(本当に強力な能力者なのか? どう見ても、ただの仕事帰りの会社員じゃねえか)

 男が呆れていると、先頭の兄貴分が鼻で笑った。

「馬鹿な野郎だ。一人で来いと言われて、本当に丸腰で一人で来やがった」

 周囲の仲間たちも、獲物を前にした獣のように下品な笑い声を漏らす。人質を助けに来たつもりらしいが、これでは飛んで火に入る夏の虫だ。

 

 門扉が閉まり、逃げ道が塞がれる。兄貴分が一歩前に出て、単身乗り込んできた男の度胸をあざ笑うような怒号を浴びせた。

 スーツの男はビクッと肩を震わせ、青ざめた顔で両手を振る。喧嘩をするつもりはない、小野寺を返してくれれば帰る、と必死に訴えていた。

 完全に腰が引けている。恐怖を隠しきれていない。

 その見苦しい命乞いに、末端の男は「なんだ、ただのハッタリ野郎か」と確信した。

 

 仲間の一人が、ニヤニヤと笑いながら拳銃を抜いた。

「動くんじゃねえぞ、コラ!」

 相手はすくみ上がっている。脅しとしては十分すぎる。

 そして、男は躊躇いもなく引き金を引いた。

 

 パンッ!!

 

 銃声が轟く。

 距離は十メートルもない。相手は固まったまま動いていなかった。絶対に当たる。頭蓋骨が弾け飛び、血の海に沈む。

 ――そのはずだった。

 

 だが、末端の男の目に映った光景は、脳の処理速度を大きく超えていた。

 撃たれたはずのスーツの男の身体が、撃鉄が落ちたその瞬間に、まるでフィルムのコマが飛んだかのように、さっきまでいた位置から僅かにずれていたのだ。

 弾丸は空振りに終わり、背後の鉄扉に当たって虚しい音を立てた。

 

 スーツの男は無傷のまま、ポカンとした顔で立っている。

「……あ?」

 撃った構成員が、信じられないものを見るように自分の銃を見つめた。

 

 すると、スーツの男が自分の手を見下ろし、何か納得したような、間抜けな声を上げたのだ。

「……あれ? 避けられる?」

 

 …………は?

 末端の男は、耳を疑った。

 今、こいつは何と言った?

 拳銃を撃たれて、避けられる?

 どういう意味だ。まさか、見てから避けたとでも言うのか?

 

「何してやがる!! 撃て!! 撃ち殺せ!!」

 兄貴分が、恐怖を振り払うように絶叫した。

 銃を持っていた三人の男が、一斉に発砲する。

 パン! パンパン!!

 

 凄まじい銃声の連なり。

 だが、スーツの男には一発たりとも命中しない。

 正確には、男の動きが異常だった。銃口の向きと引き金を引くタイミングを見切っているかのように、発砲のコンマ数秒前に、最小限の動きで身体をずらしている。

 右へ、左へ。残像すら残さない無造作なステップ。

 撃ち込まれた弾丸は、すべて虚空を切り裂くだけだった。

 

「……なるほど。そういうことか」

 スーツの男が、さも感心したように小さく呟いた。

 

 末端の男は、自分の全身の毛穴がぶわりと総毛立つのを感じた。

(……何が『なるほど』だ?)

 何でこいつは、実弾を何発も撃たれているのに、こんなに落ち着き払っているんだ?

 

 スーツの男は、じっと自分の両手の平を見つめていた。

 そして、ふと何かを思いついたように顔を上げ、とんでもないことを口にした。

「……じゃあ、これもいけるのかな?」

 

 パンッ!!

 やけくそになった仲間の一人が、弾倉の最後の一発を放った。

 

 今度は、男は避けない。

 代わりに、飛んできた凶弾へ向かって、スッと右手を伸ばしたのだ。

 

 パシッ。

 

 キャッチボールでボールを受け取るような、ごく自然で軽い動作。

 男は拳を握り込み、首を傾げた。

「……ん?」

 

 静寂。

 誰もが呼吸を忘れていた。

 撃った男も、末端の男も、兄貴分も、何が起きたのか理解できずに固まっている。

 

 スーツの男は、ゆっくりと右の拳を開いた。

 そこには、ひしゃげた鉛の弾丸が、コロンと乗っていた。

 男はそれを見て、ひどく満足そうに頷くと、また握り込んだ。

「おお……本当にいけるんだ」

 

(……何が? 何がいけるんだよ!?)

 末端の男の脳髄が、警鐘をけたたましく鳴らした。

 

「お、おい! あいつ、弾を掴んでやがるぞ!!」

 誰かがヒステリックな悲鳴を上げた。

 人間が。ただの肉体しか持たない人間が、音速で飛来する拳銃の弾丸を、素手で受け止めた。

 あり得ない。物理法則が狂っている。

 だが、男の掌には、間違いなく弾丸が乗っていたのだ。

 

「ふざけんな! 撃て、撃てえええ!!」

 別の男が恐怖に駆られ、拳銃を乱射した。

 パンッ! パンパンッ!!

 スーツの男は今度も逃げなかった。左手を突き出し、飛んできた弾丸を一発掴み取る。続けてもう一発を左手に、さらに別の一発を右手に収めた。どれも、目の前に転がってきた小石を拾うかのような、あまりにも無造作な動きだった。

 

「……うん。両手でも大丈夫そうだな」

 

 両の拳が握り込まれる。中には今しがた受け止めた数発の銃弾が収まっている。スーツの男は実験の結果に納得したように頷いていた。

 銃を持っていた仲間たちは、一歩、また一歩と後ずさり始める。圧倒的な未知への恐怖が、集団に伝染していった。

 

「ビビってんじゃねえ!!」

 その空気を切り裂くように、一人の大柄な武闘派の男が前に出た。

「チャカが効かねえなら、ポン刀だ!! 細切れにしてやらぁ!!」

 

 シャキィン、と。

 冷たい金属音を立てて、白刃が夜闇に煌めいた。

「うおおおおおおお!!!」

 男は日本刀を上段に構え、裂帛の気合いとともにスーツの男へと斬りかかった。

 

 末端の男は、その突進を見て僅かに希望を抱いた。

(そうだ! 銃弾は掴めても、刀の間合いならどうだ! あいつは両手に弾を握ってやがる。防ぐことなんてできないはずだ!)

 

 銀閃が、スーツの男の脳天めがけて真っ直ぐに振り下ろされる。

 決まった。

 そう思った、次の瞬間だった。

 

 ガキンッ!!

 

 甲高く、硬質な音が響き渡った。

 末端の男は、自分の目を疑った。

 いや、そこにいる二十人全員が、脳の処理を放棄した。

 

 振り下ろされた日本刀の刃。

 それを、スーツの男は……口で受け止めていた。

 正確には、白刃の側面を、上下の歯でガッチリと挟み込んで噛んでいる。

 

「…………」

 理解できない。

 あり得ない。

 鋼鉄で打たれた日本刀を、人間の歯で受け止める?

 

「なっ……!?」

 斬りかかった武闘派の男が、信じられないものを見るように目を剥き、刀を引こうとした。

 だが、刀はピクリとも動かない。

 

 スーツの男は、刀を咥えたまま、少しだけ眉をひそめ……顎の筋肉に力を込めた。

 

 バキンッ!!!!

 

 凄まじい破砕音。

 人を斬るために研ぎ澄まされた実戦用の日本刀が、その歯に挟まれた部分から飴細工のように砕け散ったのだ。

 折れた刃の先端が、虚しい金属音を立ててコンクリートの地面へと落下した。

 

「…………は?」

 末端の男の頭は、完全に真っ白になった。

 

 スーツの男は、口内に残った刀の欠片をペッペッと吐き出すと、自分の両手を見つめて申し訳なさそうに言った。

「……いや、危なかった。さっき弾を掴んじゃって両手が塞がってたから、つい口で受けちゃったけど……」

 

 何を言っているのか。

 どういうことなのか。

 日本語のはずなのに、一言も意味が頭に入ってこない。

 

 男はゆっくりと両手を開いた。

 パラパラパラ……。

 握り込んでいた数発の銃弾が、コンクリートの上に零れ落ちる。

 

 そして、スーツの男は、何でもないことのように、本当に世間話でもするようなトーンで呟いたのだ。

「……しかし、刀って別に味しないんだな」

 

「…………」

「…………」

「…………」

 

 味?

 こいつ今、人間を斬り殺すための刀を噛み砕いておいて、その『味の感想』を言ったのか?

 

 常軌を逸している。狂っている。

 相手は人間ではない。人間の皮を被った、理不尽そのものの怪異だ。

 

「ば、化け物おおおおおおお!!!」

 

 ついに誰かの絶叫が夜空を引き裂いた。

 それを合図に、構成員たちの認識は完全に反転した。

 彼らはもう、圧倒的有利な状況で獲物をいたぶるヤクザの集団ではない。

 銃も刀も一切通用しない、理解不能な災害に遭遇し、逃げ場を失った哀れな被害者だった。

 

「……さて」

 怪物が、小さく呟いた。

 

 末端の男が何かを叫ぼうとした瞬間。

 スーツの男の姿が、フッと掻き消えた。

 

「……え?」

 本当に、消えたように見えた。

 次の瞬間。

 

 ドッ!!

 末端の男のすぐ横に立っていた兄貴分の身体が、見えない大砲の弾でも食らったかのように「く」の字に折れ曲がり、十メートル近く後方へ吹き飛んでいった。

「なっ!?」

 

 ドッ!!

「ぐっ!?」

 反対側にいた男が、ただの裏拳でコマのようにきりもみ回転して壁に叩きつけられる。

 

 速すぎる。見えない。

 攻撃の予備動作はおろか、移動の軌跡すら認識できない。

 次々に仲間たちが、くぐもった悲鳴とともに宙を舞い、地面に叩きつけられていく。

 反撃など不可能だ。鉄パイプを振り回しても空を切るだけ。金属バットは振る前にへし折られ、ナイフを構えた手は手首ごと捻り上げられる。

 

 恐怖に駆られた一人が、震える手で再び拳銃を構えようとした。

 だが、その男の背後に、いつの間にかスーツの男が立っていた。

「ひっ!?」

 

 スーツの男は、拳銃を持った男の後頭部を鷲掴みにした。

「すみません。ちょっと動かないでもらえます?」

「ひっ、ひいいっ!?」

 スーツの男が、掴んだ頭をぐらりと揺さぶった。

 それだけで、男の目が虚ろになり、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。

 

 末端の男から見れば、頭を揺すられただけで一瞬にして意識を刈り取られたようにしか見えない。

(首の骨を折られたのか!? 脳みそを破壊されたのか!?)

 悲鳴すら出ない。

 地獄だった。

 スーツの男は、息一つ乱していない。ネクタイすら曲がっていない。

 まるで、少し散らかったゴミを片付けているような、無感情で事務的な動作で、ヤクザたちを次々と戦闘不能にしていく。

 

 一人が、恐怖に耐えきれずに背を向けて逃げ出そうとした。

 しかし、振り向いた先には、すでにスーツの男が回り込んで立っていた。

「……え?」

「すみません。まだ小野寺君を返してもらってないんですけど」

 

 ひいいいいいいっ!?

 男の耳には、それが『お前を殺すまで帰さない』という死神の宣告にしか聞こえなかった。

 

 そして、数分も経たないうちに。

 広場に立っているのは、末端の構成員の男ただ一人になってしまった。

 

 周囲には、気絶し、呻き声を上げる仲間たちが散乱している。

 折れた日本刀。ひしゃげた鉄パイプ。曲がった金属バット。地面に散らばる銃弾。

 二十人近い武装集団が、文字通り壊滅していた。

 

 スーツの男が、ゆっくりとこちらへ向き直った。

「……お、お前……何なんだよ……」

 男の口から、無意識に震える声が漏れた。

 どんな殺し屋だ。どんな裏社会の伝説だ。榊原一家は、一体どんな悪魔を飼い慣らしているんだ。

 

 しかし、スーツの男は、少し困ったように眉を下げて答えた。

「……いや、ただの派遣社員ですけど」

 

 ……派遣社員?

 そんなわけあるか。

 そんな派遣社員が、いてたまるか。

 

 男がゆっくりと一歩踏み出してくる。

 末端の男は、恐怖の限界を超え、喉の奥が張り裂けんばかりの絶叫を上げた。

「く、来るなああああああああ!!!」

 

 視界が大きく揺れ、脳に強烈な衝撃が走り。

 男の意識は、暗闇の底へと完全に沈んでいった。

 

  *

(……はあ)

(……はああああ)

 

 俺は、コンクリートの地面に大の字になって倒れている最後の男を見下ろしながら、心の中で盛大に叫んでいた。

 

(怖かったあああああああ!!!!)

 

 俺は周囲を見回した。

 誰も立っていない。呻き声を上げている奴はいるが、反撃してきそうな気配はない。

 一応、手加減はしたつもりだ。全力で殴ったら大変なことになりそうだったので、途中からなるべく力を抑えた。だが、頭を揺さぶった相手まで倒れてしまったし、あれで本当に大丈夫だったんだろうか。少なくとも、呻き声は聞こえる。……あとで黒瀬さんたちに怪我を確認してもらおう。

 

(……いや、強いな俺)

 俺は自分の両手を開いたり閉じたりしてみた。

 銃弾は避けられた。手で掴むこともできた。日本刀を口で受け止めたのは完全にテンパっていたからだが、あんな鉄の塊をビスケットみたいに噛み砕けるなんて思わなかった。

 相手の動きも、驚くほどゆっくりに見えた。

 これがTier3という魂の格。

 

 こんなに強かったのか。ちょっと嬉しい。

 だが、すぐに俺は冷静になり、湧き上がる怒りに打ち震えた。

 

(……って、そうじゃねえだろ!! 拳銃撃たれたんだぞ!? 実弾だぞ!? 避けられなかったら俺の頭に風穴空いてたんだぞ!! 何考えてんだあいつら!! 殺す気満々じゃねえか!!)

 

 俺が一人でプンスカと怒っていると、背後の門扉の向こうから、複数の車のブレーキ音が響き、慌ただしい足音が近づいてきた。

 

「三上さん!!」

 

 黒瀬の声だ。

 ようやく、約束していた援軍が到着したらしい。

 閉ざされていた門扉が外からこじ開けられ、黒瀬を先頭に、何人もの榊原一家の組員たちが荷捌き場へと雪崩れ込んできた。

 

 しかし、広場へ入ってきた彼らは、全員がピタリと足を止めた。

「…………」

「…………」

「…………」

 

 眼前には、気絶して転がっている敵対組織の男たち。

 二十人近い重武装のヤクザが、誰一人として立っていない。

 折れた日本刀の刀身が月明かりに光り、ひしゃげた鉄パイプが散乱している。

 そして、その惨状の中央に、服に埃一つついていない普通のスーツ姿の俺がポツンと立っているのだ。

 

 俺は黒瀬の姿を見た瞬間、安堵から涙目になって駆け寄った。

「黒瀬さああああん!!」

「……三上さん?」

「遅いですよ!! 援軍遅すぎですよ!! 俺、本気で死ぬかと思いましたよ!!」

「……え?」

 

 黒瀬は、いつも完璧に整えられている表情をわずかに崩し、周囲の惨状と俺を交互に見た。

「あのですね! この人たち、挨拶もそこそこに拳銃ぶっ放してくるんですよ!? 避けてもまた撃ってくるから、仕方なく銃弾を両手で掴んだら、今度は日本刀を振り回してきて!! 両手が塞がってたから歯で受けたら、刀まで折れちゃうし!! めちゃくちゃ怖かったんですからね!!」

 

 俺が必死に恐怖体験を語っていると、黒瀬は小さく息を吐き、静かに言った。

「……なるほど」

「え?」

「……ははは。災難だったな、こいつら」

 

「…………え?」

 俺は固まった。

「いやいやいや!! 災難だったのは俺でしょう!? 撃たれたんですよ!? 被害者ですよ!?」

 

 黒瀬は、氷のような顔に微かな笑みを浮かべた。

「三上さん。あなたに拳銃を向けたのが、彼らの運の尽きだったということですよ。それにしても……これだけの人数を単独で制圧するとは。全員の状態は、すぐに確認させます」

「俺は本当に怖かったんですからね!? 生きた心地がしなかったんですよ!?」

 

 後ろに控えていた組員たちも、顔を見合わせてヒソヒソと囁き合っている。

「……若頭。本当に、あの三上さんが一人で全員倒したんですか?」

「ああ、状況を見れば明らかだ。それに、ご本人が今、銃弾を両手で掴んで刀を歯で折ったと仰っていただろう」

「……化け物じゃないっすか」

 

「おい、聞こえてるぞ!!」

 俺は必死に反論した。

「化け物じゃないですよ!! 俺はただの三十四歳の元営業マンですよ!! エクセルが得意な派遣社員です!!」

 

 しかし、俺の足元に転がっている壊滅したヤクザの群れを見る限り、俺の言葉には一ミリの説得力もなかったらしい。組員たちは畏敬の念を込めた目で俺を拝み始めている。

 

 黒瀬は改めて、俺に対して深く一礼した。

「三上さん、お怪我はありませんか?」

「ありませんけど!! でも精神的なダメージは甚大ですからね!!」

「それは何よりです。親父の目に狂いはありませんでしたね」

「だから人の話聞いてます!?」

 

 黒瀬は笑みを引っ込めると、周囲の組員たちへ負傷者の状態を確認するよう指示した。敵とはいえ、倒れている人間をそのまま放置するわけにはいかない。俺も、ようやく少し胸を撫で下ろすことができた。

 

  *

 一通り文句を言い終え、少し落ち着きを取り戻したところで、俺は背筋が凍るような重大な事実を思い出した。

 

「……あっ!!」

 俺の大声に、黒瀬が振り返る。

「どうしました?」

「小野寺君!!」

「……ああ」

「小野寺君、まだ助けてないじゃないですか!! こんなところで安心してる場合じゃなかった!!」

 

 そうだった。俺がこんなおっかない場所にやってきたのは、彼を助けるためだ。戦っている最中はずっと気にしていたのに、敵を倒して黒瀬さんの顔を見た途端、気が緩んで頭から飛んでしまっていた。

「ちょ、ちょっと! 早く助けに行かないと! 倉庫の中で監禁されてるはずです!」

 

 黒瀬がすぐに組員へ指示を飛ばした。数人に周囲の警戒と倒れた敵の拘束を任せ、俺と黒瀬を含む数人で、巨大な倉庫の内部へと踏み込む。

 倉庫の中は薄暗く、埃の匂いが立ち込めていた。

 奥の方にある、プレハブのような仮眠室のドア越しに、かすかに人の声が聞こえた。

 

「……誰か! 外に誰かいないっすか!!」

 小野寺の声だ。

 

「小野寺君!?」

「……え? その声、親分!?」

「今行くから!!」

 

 俺はドアノブに手をかけた。しかし、外から頑丈な南京錠がかけられている。

「鍵がかかってますね。バールを持ってこさせましょう」と黒瀬が言ったが、俺は一瞬考えた。

 

(……あ、今の俺なら、これくらい)

 俺は南京錠の金具を指でつまみ、少しだけ力を込めた。

 

 バキッ!!

 という無骨な音とともに、分厚い鋼鉄の南京錠が千切れ飛んだ。俺はそのままドアを開け放った。

 

「……」

 黒瀬たちが無言になったが、気にしてはいられない。

 部屋の中には、パイプ椅子にロープでぐるぐる巻きにされた小野寺がいた。

 顔には殴られた無数の痣があり、スーツも泥だらけだが、幸いにも意識ははっきりしている。

 

「……親分?」

 小野寺は、信じられないものを見るように目を見開いた。

「親分!! 本当に、俺のために来てくれたんすか!?」

 

 俺は慌てて駆け寄り、ロープを引きちぎって拘束を解いた。

「小野寺君! 大丈夫!? 怪我は!? どこか折れてない!?」

「俺は大丈夫っす! ちょっと小突かれただけなんで! それより親分こそ、外でめちゃくちゃ激しい銃声が聞こえてたっすけど……!」

 

「……ああ、うん。まあ、いろいろあってね」

「……いろいろ?」

 小野寺が首を傾げると、後ろから入ってきた黒瀬が淡々とした口調で説明した。

 

「お前を捕まえた連中は、今、外で全員倒れている。三上さんが一人で制圧した」

「…………」

 小野寺が固まった。

「……全員?」

「ああ。二十人近くいた武装した連中を、三上さんが素手で、無傷でだ」

「親分が、一人で……?」

「そうだ」

 

 小野寺の目に、再びあの大げさなキラキラとした光が宿り始めた。

「お、親分んんんんんん!!!」

「あ、ちょっと待って!?」

「俺のために、そこまでしてくれたんすね!! マジで一生ついていきます!!」

「だからそれ、もう聞いたって!!」

 

 小野寺は立ち上がり、ボロボロの顔で深々と頭を下げた。

「すんません、親分。俺がヘマしたせいで、親分にこんな危険な真似を……」

 

 その申し訳なさそうな顔を見て、俺は小さく息を吐いた。

「いや、今回は小野寺君は何も悪くないよ。俺と間違えて勝手に捕まえたあいつらが百パーセント悪いんだから」

「でも……」

「とにかく、無事でよかったよ。本当に」

 

 俺の言葉に、小野寺は唇を噛み締め、涙ぐみながらもう一度頭を下げた。

「……ありがとうございます、親分」

 

 俺は、その『親分』という呼び方に、今はツッコミを入れる気になれなかった。何より小野寺君が生きていてくれた。その事実が嬉しくて、しばらくはほかの言葉が出てこなかった。

 

  *

 倉庫から外へ出ると、黒瀬の指示で到着した榊原一家の車が数台停まっていた。組員たちは倒れた敵対組織の人間たちの怪我や呼吸を確かめ、必要な手当てをしている。黒瀬によれば、八咫烏との連絡も済んでおり、警察への引き継ぎについても調整中らしい。

 小野寺は、その惨状を改めて目の当たりにして絶句していた。

 

「……親分、これ本当に全部、一人でやったんすか?」

「……まあ、なんか、火事場の馬鹿力というか、できちゃった」

「すげえ……! 親分、マジで最強っすね!」

「いや、俺は本当に怖かったんだからね!? もう二度とこんな危ないマネしたくないからね!?」

 

 俺の悲鳴に近い抗議も虚しく、小野寺は感動したように何度も頷いた。

「やっぱり、俺の見込んだ通りっす! 親分は本物っす!!」

 

 俺は夜空を見上げてため息をついた。

(……いや、俺はただ、コーヒーのお使いを頼んだ後輩を迎えに来ただけなんだけどな)

 

 ただ、今回の出来事で一つだけ明確に分かったことがある。

 Tier3という能力。それは俺が想像していた以上に、圧倒的で理不尽な暴力だ。

 少なくとも、普通の武装した人間を相手にしたとき、これまでと同じように怯える必要はないのかもしれない。もちろん、また撃たれるのは絶対に御免だが。

 

 小野寺が、嬉しそうに俺の顔を覗き込んできた。

「親分! 明日からも、またよろしくお願いします!!」

 

 俺は少し考え、苦笑しながら頷いた。

「……うん。よろしくね、小野寺君」

 

 初めて、俺が『親分』と呼ばれることを素直に受け入れた瞬間だった。

 少しだけ、このヤクザの正統継承者という立場も悪くないかもしれないと思い始めていた。

 

 しかし。

 すぐに俺の社会人としての現実的な脳みそが働き始めた。

(……いや、待てよ。俺、明日も普通に出勤するんだよな?)

 今日、こんな命懸けの銃撃戦(一方的だが)をこなしたのに、明日は朝の九時からエクセルで家賃の集計をするのか?

 

 俺は黒瀬を振り返り、懇願するような声を出した。

「……あの、黒瀬さん。とりあえず、明日は休ませてもらえませんかね!?」




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