派遣社員、うっかり極道の跡目に選ばれる ~歴代親分の異能を継いだ俺、最強のヤクザになるらしい~ 作:パラレル・ゲーマー
「……あの、黒瀬さん。とりあえず、明日は休ませてもらえませんかね!?」
東京湾の冷たい潮風が吹き抜ける、夜の倉庫街。無惨に転がった二十人近くの武装ヤクザたちを背景に、俺は必死の形相で黒瀬に懇願した。
今日、俺は初めて、生身の人間から明確な殺意を向けられた。しかも、相手は拳銃まで持ち出してきたのだ。日本で普通に働いている元営業マンが、そんなものを向けられる理由があるだろうか。いくらTier3の超能力者になって銃弾がゆっくり見えようが、刀をビスケットみたいに噛み砕けようが、精神的なダメージは計り知れない。明日は絶対に、絶対に一日中布団の中で丸まっていたい。
黒瀬は俺の必死の形相を見て、一瞬だけきょとんとした顔を見せた。インテリヤクザである彼が、想定外の言葉に呆気にとられたような、珍しい表情だ。しかし、すぐに小さく息を吐いて深く頷いた。
「もちろんです。むしろ、明日はゆっくりとご自宅で休養を取ってください」
「……え? 本当ですか?」
「当然でしょう。三上さんは本日、非常に危険な状況に置かれたんです。いくら能力があるとはいえ、心身への負担は決して小さくないはずですから」
(……黒瀬さん!)
俺は心の底から感動した。やっぱりこの人、ヤクザの若頭だけど、ちゃんとした社会人としての常識がある! 労働者の権利を尊重してくれる最高のホワイト上司だ!
「ありがとうございます! じゃあ、お言葉に甘えて明日はお休みさせていただきます!」
俺がホッと胸を撫で下ろしていると、ふと、もう一つの重要な現実問題が頭をよぎった。
「……あの、黒瀬さん。ちなみに、明日休んだ場合、俺の時給ってどうなるんでしょう?」
「……はい?」
「いや、俺は派遣社員なので、普通の欠勤扱いだと、その日一日分の給料が出なくなっちゃうんですよね。でも、今回は小野寺君を助けるための業務延長というか……」
さっきまで殺人未遂の現場にいて、自分の手で二十人の人間をなぎ倒しておきながら、真っ先に日給の心配をする俺。我ながら小市民にも程があると思うが、時給二千五百円×八時間の二万円は、俺の生活にとって決して無視できる金額ではない。
黒瀬は呆れたように口元を綻ばせ、少しだけ声を出して笑った。
「ふっ……三上さんは、本当にブレませんね」
「いや、死活問題ですから!」
「分かっています。今回は我々の事情で危険な目に遭っていただいたわけですからね。派遣元とも調整して、三上さんのお給料に影響が出ないよう、こちらで手配いたします」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。ご安心ください」
神か? 黒瀬さん、インテリヤクザじゃなくて神様なのか? 俺は思わず、黒瀬のスーツの袖を拝みそうになった。
「ただ、三上さん」
黒瀬はスッと表情を引き締め、ビジネスマンの顔に戻った。
「今回の件は、銃器が使用され、負傷者も多数出ています。さすがに何もなかったことにはできません」
「……ですよねえ」
「警察や八咫烏から、事後処理のための追加の確認を求められる可能性があります。当面の現場対応と各所への根回しは我々で行いますが、どうしても三上さんご本人の状況説明が必要になった場合は、ご連絡します。その点だけはご協力いただけますか」
俺は現実に引き戻され、重い溜息をついた。
「分かりました。まあ、俺は被害者ですし、正当防衛を主張しますから」
「ええ。そのあたりもうまく立ち回りますので、今日はお帰りください」
こうして、俺はようやく帰宅の途につくことができた。本来なら、敵対組織の武装集団をたった一人で壊滅させた英雄の凱旋である。ヤクザ映画なら、組員たちが一列に並んで深々と頭を下げて見送るシーンだろう。しかし、俺の頭の中にあるのは、 (帰ったらシャワー浴びて、温かいお茶飲んで寝よう。もう今日は何も考えたくない)ということだけだった。
「もう二度と、あんな危ない仕事はごめんだ……」
誰もいない夜道を歩きながら、俺は一人ごちた。
もちろん、俺はまだ気づいていなかった。今回のあまりにも規格外の武勇伝によって、俺の存在が、極道社会の深い深い泥沼へと、さらに引きずり込まれてしまったということに。
*
翌日、木曜日の朝。長年の社会人生活で染み付いた悲しい習性により、俺はいつもの出勤時間に近い午前七時半に、パチリと目を覚ましてしまった。
「……やばっ! もうこんな時間か!」
俺は反射的に布団を跳ね除け、慌ててスマホの画面を確認した。そして、数秒後に思い出す。
「……あ。今日は休みだった」
全身からスゥーッと力が抜け、俺は再びベッドに倒れ込んだ。心の底から安堵する。今日は会社に行かなくていい。エクセルを開かなくていいし、電話対応もしなくていい。何より、ヤクザに囲まれる心配がない。
「……二度寝するか」
俺は毛布を頭まですっぽりと被り直した。最高の休日の始まりだ。
――しかし。十分経っても、二十分経っても、一向に眠気が訪れなかった。理由は明白だ。身体が、元気すぎるのだ。昨日の夜、あれだけ走り回り、武装したヤクザ二十人近くを相手に無双したというのに、筋肉痛はおろか、微かな疲労感すら残っていない。肩も腰も絶好調だ。これがTier3の身体能力強化。肉体の回復力まで常軌を逸しているらしい。
「……本当に、どこも痛くないんだよなあ」
俺は布団の中で、自分の両手を見つめた。肉体は完全な健康体。しかし、精神的には昨日のストレスで疲労困憊だった。目を閉じると、暗闇の中で鮮烈なオレンジ色のマズルフラッシュがフラッシュバックする。パンッ!!
「……ひいいっ!?」
俺は思わず布団の中でビクッと身を縮めた。
(いや、もう終わっただろ! 誰も俺を撃ってこないって!) 自分にツッコミを入れつつ、俺はため息をついてベッドから起き上がった。
コーヒーを淹れ、ソファに深く腰掛けて、昨日の出来事を冷静に思い返してみる。俺は昨日、拳銃を撃たれながらも無傷で生き延びた。しかも、あれだけ暴れ回ったというのに、身体には疲れすら残っていない。どうやら自分で思っていたよりも、ずっと途方もない力を手に入れてしまったらしい。
(……改めて考えると、俺、とんでもないな)
これが、初代の盃が俺にもたらした力。俺は自分の右の拳を軽く握り込んでみた。子供の頃にテレビで見て憧れた、悪を討つスーパーヒーロー。それと同じような超人的な力が、今の俺にはあるのだ。普通の人間では絶対にできないことができる。そう考えると、少しだけ胸の奥が熱くなるのを感じた。
しかし。
(……でも、いくら避けられるって分かっても、銃を撃たれるのはもう絶対に嫌だ)
俺は強く首を横に振った。確かに強さは実感した。だが、だからといって急にバトルジャンキーになったわけではない。俺の根幹は、安全第一をモットーとするしがない派遣社員なのだ。次にまた同じような事件があっても、絶対に前線には立たない。そう心に誓った。
適当なレトルトカレーで昼食を済ませた後、ふと、昨日の小野寺とのやり取りを思い出した。
『あ、そうだ。もし帰りにコンビニ寄るなら、ブラックの缶コーヒーを一本お願いしてもいいかな』
『もちろんっす! 任せてください!』
小野寺は、俺のためにコーヒーを買って帰ろうとしていた道中で、人違いで拉致されたのだ。
「……本当に、無事でよかったよ」
俺は小さく呟いた。自分の超常的な強さに浮かれる気持ちよりも、あのお調子者で気のいい後輩を、手遅れになる前に助け出せたことへの安堵の方が、ずっと大きかった。
*
同じ頃。株式会社汐見総合管理の奥にある、重厚な和室の応接室。榊原一家の組長である榊原源治は、若頭の黒瀬から、昨夜の事件の詳細な報告を受けていた。室内には二人のみ。三上の『能力』という最重要機密に関わるため、他の組員は一切同席させていない。
「それで、黒瀬。昨夜の顛末はどうだった?」
源治は、葉巻を燻らせながら上機嫌で尋ねた。三上が単身で武装ヤクザを壊滅させ、小野寺を無事に救出したという結果自体は、すでに昨夜のうちに報告を受けている。だが、その具体的な戦闘内容までは聞いていなかった。
黒瀬は、いつも通りの隙のないスーツ姿で、真面目な表情のまま手元の資料を開いた。
「三上さんが相手にしたのは、近隣の敵対組織の武装した構成員、計十八名です」
「おう」
「相手は鉄パイプやバットだけでなく、拳銃数丁と、日本刀も使用していました」
「ほう。ずいぶんと本気だったじゃねえか」
「はい。ですが三上さんは、その全員を単独で、数分のうちに戦闘不能にしました」
源治は満足そうに深く頷いた。
「はっはっは! 大したもんじゃねえか! さすがはTier3だ!」
「はい。しかも、三上さんご自身は、服の汚れすらない完全な無傷でした」
「……ほう」
源治は少しだけ目を細めた。無傷での完全制圧。想像以上だ。
黒瀬はさらに、信じ難い報告を続けた。
「現場で三上さんご本人から伺ったのですが……発砲された銃弾を、素手で受け止めたそうです」
「……は?」
「両手で、複数発の銃弾を、空中で掴み取ったとのことです」
源治は、咥えていた葉巻を落としそうになった。
「……待て、黒瀬。今、なんつった?」
「銃弾を素手で受け止めたそうです」
「…………」
源治はしばらくの間、完全に沈黙した。
黒瀬は、一切表情を崩さずに言葉を重ねた。
「さらに、弾を掴んで両手が塞がっていたため、斬りかかってきた相手の日本刀を、歯で受け止め、そのまま噛み砕いたとのことです。現場にも、無惨に砕け散った日本刀の残骸が落ちていました」
「…………」
源治は、あんぐりと口を開けたまま、黒瀬の顔を見つめた。
「……おい」
「はい」
「本当に、人間の話をしてるんだよな?」
「……Tier3の能力者ですから」
「いや、そういう問題か!?」
極道の世界で長く生き、数多の修羅場を潜り抜けてきた源治でさえ、その内容はあまりにも常軌を逸していた。Tier3が強力なのは知っている。だが、同じTier3でも、得意分野は千差万別だ。それにしても、銃弾を掴み、日本刀を噛み砕く身体能力強化など、聞いたことがない。
しばし沈黙が続いた。
「はっはっはっはっは!!!」
突然、源治が腹を抱えて大爆笑し始めた。
「はーっはっはっ!! こいつは傑作だ!! すげえ!!」
黒瀬は少しだけ眉をひそめた。
「親父、あまり笑い事ではありません」
「いや、笑うだろうが!! 昨日まで電卓叩いてエクセル触ってた三十四歳の派遣社員が、チャカの弾を掴んでポン刀を噛み砕いたってんだぞ!? 漫画の読みすぎだろ!!」
「私も最初は耳を疑いましたが、事実です」
源治は笑い涙を拭いながら、膝をバシバシと叩いた。
「いやあ、とんでもねえ跡目が現れたもんだ! 初代の親分も、とびきりの男を選んでくれたぜ!」
その顔には、隠しきれない歓喜が満ちていた。落ち目になり、組員も十数名にまで減った榊原一家に、思いもよらぬ再興の兆しが現れた。しかも、その男は今なお普通の派遣社員として事務仕事を続けているのだから、源治が笑うのも無理はなかった。
ひとしきり笑った後、黒瀬は現実的な話題へと切り替えた。
「なお、現時点で死亡者は確認されていません。三上さんも力を抑えようとしていたそうですが、頭部を負傷した者や骨折が疑われる者もおり、詳しい容体は確認中です」
「ほう。死者が出てねえのは不幸中の幸いだな。だが、怪我人のことまで放ってはおけねえぞ」
「はい。現場にいた者たちは、警察や救急へ順次引き継がれています」
事件は小野寺の誘拐だけでは終わらなかった。発砲騒ぎがあり、多数の負傷者が出ている。黒瀬は、警察や八咫烏に対して、榊原一家としてどのような情報を提供し、どう調整を図るかについて報告した。
「三上さんはどうなる?」
「三上さんが小野寺を救出しようとして現場へ向かい、先に発砲されたという経緯は確認されています。ただ、反撃が法的にどう評価されるかは、これからの調査次第です」
「そうか」
「三上さんご本人にも必要な対応はしていただきますが、我々も最大限のバックアップを行います」
「頼むぞ。あいつが理不尽な目に遭わねえよう、できる限り支えてやれ」
源治が釘を刺すと、黒瀬はもう一つ、重要な懸念事項を口にした。
「親父。今回の件で、三上さんの存在は、近隣の裏社会に隠しきれなくなります」
源治は静かに頷いた。
「だろうな。あれだけの真似を一人でやらかしたんだ。噂に尾ひれがついて広まるだろうぜ」
「ですが、三上さんが『初代の盃に選ばれた正統継承者』であるという事実は、まだ絶対に外部へ明かすべきではありません」
「……ああ」
「今の三上さんは、正式な組員ですらありません。継承権と組織上の立場は、慎重に扱う必要があります。外向けにはあくまで『うちに雇われた強力な能力者』という程度に留めておくべきです」
「分かってる。そこはお前に任せる。余計なハエが寄り付かねえように、上手く情報操作してくれ」
「承知いたしました」
こうして、三上本人がのんきにレトルトカレーを食べている間に、極道社会における彼への評価は、勝手に、そして急激に肥大化していくことになった。
*
その日の昼。昨夜の事件を起こした、榊原一家と敵対する組織の別の事務所。現場にいなかった幹部たちが、深刻な顔で円卓を囲んでいた。
「……おい。どういうことだ?」
一番奥に座る幹部が、低くドスの利いた声で問いただした。報告役として立たされている男は、脂汗を流しながら言葉を絞り出した。
「そ、それが……。昨夜、小野寺を囮にして倉庫で待ち受けていた二十人近くの若い衆ですが……」
「新入りの能力者一人に、全員やられたと聞いたが?」
「……はい。その通りです」
「……全員?」
「はい」
「一人も残らずか?」
「……はい」
一瞬、重苦しい沈黙が落ちた。
「ふざけんな!!!」
別の幹部が、灰皿を床に叩きつけて激昂した。
「二十人近くいたんだぞ!? しかもチャカまで持たせてただろうが! なんでたった一人相手に全滅するんだよ!!」
「も、申し訳ありません! ですが、事実でして……!」
昨夜の現場にいた構成員たちは、警察や救急隊に引き継がれて治療を受けている。報告役の男は、病院にいる者から組の関係者を通じて届いた断片的な話をかき集めていたが、どれも現実離れしており、口にするのをためらっていた。
「……おい」
奥の幹部が、冷たい目を向けた。
「それで、その新入りは何をした? 何の能力を使ったんだ?」
「それが……連中に聞いても、まともな説明にならないんです。誰も彼も『あれは人間じゃねえ』の一点張りで……」
「何だと?」
「拳銃も日本刀も通用しなかったと。相手はずっとスーツ姿で、最後まで息一つ乱さなかったそうです」
幹部たちは顔を見合わせた。強力な異能者なら、それくらいはあり得るのかもしれない。だが、報告役の男は、そこでさらに声を落とした。
「……それと、妙な話がありまして。あの男は日本刀を歯で噛み砕いた後、『刀は味がしねえな』って言っていたそうなんです」
水を打ったような静寂。
「……おい」
「は、はい」
「お前、俺たちを馬鹿にしてんのか?」
「い、いえ!! 滅相もありません!!」
「刀を噛み砕いた!? 味がしねえ!? そんな馬鹿な三流映画みたいな話があるか!!」
「で、ですが、別々の奴らが同じ話をしているんです! 折れた刀身が地面に散らばったところまで見たと……!」
幹部たちは、無言で顔を見合わせた。笑い話にしか聞こえない。正気の沙汰ではない。しかし、実際に二十人近い構成員が、たった一人にボロボロにされて病院送りになっているのは紛れもない事実なのだ。
「……おい。その新入りの名前とツラは割れてるのか?」
「小野寺が電話越しに『三上さん』と呼んでいたそうで、名字だけは分かっています。ただ、素性は掴めていません。見た目も普通の会社員風の男だったとしか……しかも、自分はただの派遣社員だと名乗ったそうです」
幹部たちは黙り込んだ。素性の知れない能力者に部下を全員倒されたうえ、その本人は派遣社員を名乗っているという。何が真実で、どこからが恐怖に駆られた若い衆の誇張なのか、もはや見当もつかなかった。
「……榊原のところに、そんな化け物が入り込んでいたのか」
幹部の一人が、忌々しそうに呟いた。もともと榊原一家は、江戸時代からの古い看板があるだけで、今では組員十数名の落ち目の組織だと思われていた。だからこそ、今回のような強引な人質作戦に出たのだ。しかし、どうやら完全に相手の戦力を見誤っていたらしい。
「……しばらく、榊原の連中には手を出すな」
奥の幹部が、苦渋の決断を下した。
「ですが、このまま泣き寝入りするんですか!?」
「馬鹿野郎! またあんな得体の知れねえ化け物を相手にして、組織を壊滅させるつもりか!」
幹部の怒声に、誰も反論できなかった。
こうして、榊原一家と三上に関する異常な噂は、近隣の裏社会へと急速に伝播していくことになった。
*
同日午後。三上のアパート。俺はソファに寝転がり、テレビのバラエティ番組を眺めていた。肉体的な疲れはないが、やはり精神的な休息は最高だ。今はヤクザの抗争も、超能力も、一切考えたくない。
そこへ、テーブルの上のスマホが震えた。画面には『小野寺君』の表示。
「あ、小野寺君だ」
俺はすぐに通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『親分!! 昨日は本当にありがとうございました!!』
「うわっ!? 声でかっ!!」
スピーカーから爆発音がしたかと思った。電話の向こうの小野寺は、相変わらず元気そうだった。聞けば、病院で手当てを受け、軽い打撲と診断されたため、若頭の指示で自宅で休養しているらしい。
「……よかった。ちゃんと診てもらったんだね。無理して出勤しなくていいから、しっかり治すまで休みなよ」
『ありがとうございます、親分!! 俺は全然平気っすけど!』
俺は少し笑った。その元気な声が聞けただけで、昨日無理をして助けに行った甲斐があったというものだ。
『親分! 俺、昨日のこと一生忘れねえっす!!』
「いや、そんな大袈裟な……」
『俺のために、二十人近い敵の組員を一人でぶっ倒してくれたんすよね!? 若頭から聞いて、マジで震えましたよ!』
「……まあ、結果的には倒したけど。俺も必死だったからね」
『俺、親分には一生ついていきます!! 親分のためなら、この命、いつでも最前線で差し出す覚悟っす!!』
俺は即座にスマホに向かって叫んだ。
「いや、命は大事にして!? せっかく助けたんだから! 最前線とか行かなくていいから!」
『へい!! 任せてください!!』
「全然分かってないよね!?」
相変わらずの噛み合わなさに、俺は深々とため息をついた。
『……そういえば親分、すんません』
急に、小野寺の声が少ししんみりとしたトーンになった。
「ん? 何が?」
『昨日頼まれてた缶コーヒー、買って帰れなかったっす……』
「…………」
俺はしばらく言葉を失った。
「……いや、それどころじゃないだろ!!」
『でも、親分に頼まれた初めてのお使いだったのに……俺、ヘマして捕まっちまって……』
「コーヒーなんかどうでもいいよ!! 君の命の方が百万倍大事だよ!! そんなこと気にしてたの!?」
『……親分!!』
小野寺の声が、感極まったように震えた。
『やっぱり親分は最高っす!! 一生ついていきます!!』
「だから何回言うのそれ!?」
俺は呆れながらも、思わず笑ってしまった。
「……とにかく、無事でよかったよ。ちゃんと治るまでゆっくり休んでね」
『はい! ありがとうございます、親分!!』
「うん。また会社で」
電話を切り、俺はふうっと息を吐いた。
(……本当に、助けに行ってよかったな)
もう、「なんで俺がヤクザを助けに行かなきゃならないんだ」という不満はなかった。小野寺は、少し頭は悪いが、純粋に俺を慕ってくれる大事な後輩なのだ。
*
金曜日の朝。一日休んでリフレッシュした俺は、普段通りの時間に出勤した。朝の満員電車に揺られ、駅から十分ほど歩き、見慣れた古い三階建てのビルへと向かう。
(……結局、普通に仕事へ戻ってくるんだよな。一昨日あんな死線を彷徨ったのに) 我ながらシュールな日常だと思い、少し苦笑しながらビルの入り口へ向かう。
そこには、いつものように頬に傷のある強面の男が立っていた。俺は普通に挨拶した。
「おはようございます」
すると、男はビクッと肩を震わせ、まるで天皇陛下にでも謁見するように、直角に腰を折って深々と頭を下げた。
「三上さん!!! おはようございます!!! 先日は本当にお疲れ様でした!! お身体の具合は大丈夫ですか!?」
いつも以上の、過剰なまでの丁寧な対応。声のデカさも五割増しだ。
「え? あ、はい。全然大丈夫ですけど」
「それは何よりです!!! どうぞ、中へ!!」
俺は戸惑いながらガラス扉を抜けた。
(……あれ? なんか今日、やたらと丁寧じゃない?)
疑問を抱きながら事務室のドアを開ける。
「おはようございます」
すると、デスクにいた数人の組員たちが、一斉に弾かれたように立ち上がった。
「「「三上さん!! おはようございます!!!」」」
「先日はお疲れさまでした!!」
「お身体、問題ありませんか!?」
普段は若頭の黒瀬に向けられていたような、絶対的な敬意と緊張感が、俺に対して一斉に向けられている。目が合うたびに、屈強な男たちが揃いも揃ってペコペコと頭を下げてくるのだ。
(……え? 何これ? 俺、なんか急に偉くなったの?)
俺はカニ歩きで自分のデスクへと向かった。
さらに異常事態は続いた。俺がカバンを置こうとすると、隣の組員がサッと近づいてきて「お持ちします!」と奪い取る。座ろうとすれば、別の組員が椅子を引いてくれる。コピー機に向かおうとすれば、「私が行きます! 何をコピーしますか!?」と三人が群がってくる。
「いや、そんなことまでしてもらわなくて大丈夫ですよ!?」
俺が慌てて制止すると、組員たちは真剣な顔で首を振った。
「いえ! 三上さんにそんな雑用をさせるわけにはいきません!」
「いや、俺、事務員なんですけど!?」
「…………」
組員たちが、何とも言えない微妙な顔になった。俺も微妙な顔になった。
(……あれ? もしかして、俺の本来の仕事って何なんだ?)
そこへ、奥から森田さんがコーヒーのマグカップを持って現れた。
「三上さん、おはようございます」
「あ、森田さん! おはようございます!」
「昨日お休みだったので、少し処理する書類が溜まってしまって。こちらの確認とデータ入力、お願いできますか?」
普通の声。普通の表情。普通の事務仕事の依頼。
(……森田さん!! あなたこそ、この狂った職場の最後の良心だ!!)
俺は泣きそうになりながら、書類の束を受け取った。
「はい! 任せてください! すぐやります!」
俺は喜んでパソコンの電源を入れ、エクセルを立ち上げた。
水曜日は拳銃を撃たれた。木曜日は家でゴロゴロしていた。そして金曜日の今日は、またエクセルで関数を組んでいる。裏社会の伝説的な異能者になったらしいが、俺の日常の業務内容は、驚くほど何も変わっていなかった。
*
午後二時。仕事を進めていると、黒瀬が役員室から出てきて、俺のデスクに近づいてきた。
「三上さん、少しよろしいでしょうか」
「あ、はい。何でしょう?」
「少し、大事なお話がありまして。奥へどうぞ」
俺は嫌な予感を覚えた。
(……あれ? この前も、あの応接室で盃だの跡目だのって大騒ぎになったんだよな……)
応接室に入ると、黒瀬は静かにドアを閉めた。
「三上さん。先日の事件の件で、あなたのことが裏社会で少々話題になっているようです」
「……話題?」
「ええ。武装した構成員二十人近くを、単独で無傷で制圧した件です」
「ああ……」
俺は気まずそうに頭を掻いた。
「いや、あれは本当に必死だっただけで……たまたま上手くいったというか」
「分かっています。ただ、周囲の人間はそう受け取っていないようです」
「……はあ」
「落ち目の榊原一家に、突然、得体の知れない非常に強力な異能者が現れた。そういう認識になり始めています。すでにいくつかの組織から、探りの連絡が入っています」
俺は顔をしかめた。
(……いや、だから俺、ただの時給二千五百円の派遣社員なんだけど。どうしてそんな武闘派みたいな扱いになってるんだよ)
黒瀬は、さらに重大な本題へと入った。
「実は、この件が、上の方々の耳にも入ってしまいまして」
「……上?」
「ええ。我々、榊原一家が所属している『上部組織』です」
「……はい?」
俺はしばらく考えた。榊原一家。江戸時代から続く古いヤクザの一家。組員は十数人。その上に、さらに大きな組織があるらしい。
「……あの、榊原一家って、一番上の独立した組織じゃないんですか?」
黒瀬が淡々と説明する。
「いえ。現在の榊原一家は、全国規模の巨大組織の傘下に属しています」
「……全国規模?」
「ええ」
「…………」
俺は完全に固まった。
(……え? 今の組長(源治)や若頭(黒瀬)ですら十分に怖いのに、その上にまだ偉い人がいるの!?)
そして、黒瀬は無情にも告げた。
「その上部組織の幹部の方が、三上さんに一度お会いしたいと仰っているんです」
「…………」
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
「……え?」
「面会のご希望です」
「……俺に?」
「はい」
「……全国規模の暴力団の、幹部が?」
「ええ。正確には、その巨大組織の中で、我々榊原一家と直接関係のある直参の幹部の方です」
「…………」
俺の頭の中に、最悪の想像が渦巻いた。黒瀬。源治。小野寺。皆、最初は怖かったが、今はある程度親しくなっている。だが、その上にいる全国規模の幹部。絶対にもっと怖いに決まっている。Vシネマのラスボスみたいなのが出てくるに違いない。
「……あの、黒瀬さん」
「はい」
「それって、断れたりします? 『いやー、今週はエクセルが忙しくて』とか言って」
黒瀬は少し困った表情になった。
「三上さんは正式な組員ではありませんから、強制されるものではありません。ただ、向こうもあなたの噂を聞いて非常に興味を持っておられます。無下にお断りすると、後々面倒なことになる可能性が高い。できれば、一度だけご挨拶の顔合わせをしていただければと……」
俺は天を仰いだ。
(……ああ。やっぱり、そういう流れになるのか)
黒瀬が慌てて付け加える。
「ご安心ください。面会の場には、親父も私も必ず同席します。三上さんを一人にすることはありません」
「……本当ですか?」
「もちろんです。我々が盾になります」
俺は少しだけ安心した。しかし、すぐに別の疑問が浮かんだ。
「……あの、ちなみに、その幹部の方って、どんな人なんですか?」
黒瀬は少し考え込んだ。
「……そうですね」
一拍置いて、黒瀬は言った。
「長年、血で血を洗う裏社会の最前線で生きてこられた、非常に経験豊富で……一筋縄ではいかない方です」
「…………」
それ、絶対めちゃくちゃ怖い人じゃん。
俺は両手で頭を抱えた。
(……なんでこうなるんだよ。俺は時給二千五百円の派遣社員として、残業なしで平和に働きたかっただけなのに)
掃除中にうっかり初代の盃に選ばれて、Tier3になって、ヤンキーの部下までできて。挙句の果てに拳銃を撃たれる羽目になったと思ったら……。今度は、全国規模の暴力団の幹部と面会しろだと!?
俺は、和室の天井に向かって思わず叫んでいた。
「……俺、普通にデスクでエクセル触ってるだけじゃ駄目なんですかね!?」
ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!