朝日が水平線から顔を出し、穏やかな海面を黄金色に染めていた。
小さな帆船の上で、狼(ラウ)は大きく伸びをした。昨夜のうちに風向きを読み、船の向きを整えておいたおかげで、航海は順調に進んでいる。
目的地は海上レストラン、バラティエ。世界中の海で獲れた食材が集まり、腕利きの料理人たちが料理を振る舞うという、食いしん坊にはたまらない場所だ。
「へへっ、待ってろよバラティエ! どんな珍味が食えるのか、今から楽しみで仕方ねえ!」
ラウは腹の底から笑うと、船の隅に置いていた水筒を手に取った。昨夜、岩礁で仕留めた巨大な甲殻類の殻は、洗って乾かしてある。食べられる部分は余すところなく味わったが、硬い殻にはまだ使い道がありそうだった。
もっとも、今のラウにとって最大の関心事は、殻の加工方法ではない。
バラティエでどんな料理に出会えるのか。そればかりが頭の中を占めていた。
「海の魚を知り尽くした料理人ってのは、どんな奴なんだろうな。見たこともねえ魚を、見たこともねえ料理に仕上げる……考えただけで腹が鳴るぜ!」
ぐううう、と実際に腹が鳴った。
「……朝飯、もう一回食うか?」
誰に尋ねるでもなく呟き、ラウは豪快に笑った。
そのときだった。
水平線の向こうに、小さな帆船が姿を現した。
最初は、ただの船影だった。しかし、風を受けて近づいてくるにつれ、船体の形がはっきりしてくる。白い羊の頭を模した船首。丸みを帯びた船体。
そして、見覚えのある麦わら帽子をかぶった少年が、船首の上で大きく手を振っていた。
「おーい! そこの船ーっ!」
ラウは目を細めた。
「……ん?」
少年の声が、海風に乗って届く。
「おーい! お前、ラウだろーっ!?」
その瞬間、ラウの口元がにやりと吊り上がった。
「おおっ!? あの麦わら帽子……!」
懐かしい顔が、記憶の中から飛び出してきた。
島で出会った少年と三刀流の剣士。飯を囲み、拳を交え、短い時間ながら互いの腕を認め合った二人。
モンキー・D・ルフィとロロノア・ゾロ。
「おいおい、こんなところで会うとはな!」
ラウは船縁に駆け寄り、腹の底から声を張り上げた。
「ルフィ! ゾロ! 久しぶりじゃねえか!」
「やっぱりラウだーっ!」
ルフィは嬉しそうに飛び跳ねた。その勢いで船が揺れ、甲板にいたウソップが慌てて手すりにつかまる。
「おい、ルフィ! そんなに暴れるな! せっかく手に入れたメリー号が転覆したらどうするんだ!」
「だってラウがいたんだぞ!」
「まず!ラウって誰だよ!」
ウソップが叫んだ直後、ルフィの隣にいたゾロが、眠そうな目をこすりながら口を開いた。
「……本当にラウか。相変わらず元気そうだな」
「おう! そっちも元気そうじゃねえか、ゾロ!」
ラウは笑いながら手を振った。
「それにしても、いい船に乗ってるな! 羊の頭がついてるじゃねえか!」
「ゴーイングメリー号だ! 俺たちの船だぞ!」
ルフィが誇らしげに答える。
その声を聞きながら、ラウは船体を眺めた。立派な船だ。少なくとも、今自分が乗っている小さな帆船よりは、長い航海にも向いているだろう。
とはいえ、船の大きさを羨んでいるわけではなかった。ラウにとって重要なのは、船がどこへ向かっているか、そして、そこにどんな食材との出会いが待っているかだ。
「お前ら、どこへ向かってんだ?」
「バラティエ!」
ルフィが即答した。
ラウは一瞬きょとんとし、次の瞬間、腹を抱えて笑い出した。
「ははははは! マジかよ! 俺もバラティエに向かってるところだ!」
「本当か!? じゃあ一緒に行こうぜ!」
「おう、そうしたいところだが……」
ラウは自分の船を見下ろした。
小さな帆船とゴーイングメリー号では、速度も航続力も違う。今のままなら並走できるかもしれないが、風向きが変われば離れてしまう可能性もある。
すると、ゴーイングメリー号の甲板から、一人の少女が顔を出した。
オレンジ色の髪。鋭い目つき。そして、初対面の相手を一瞬で値踏みするような、抜け目のない視線。
「ちょっと、ルフィ。勝手に一緒に行こうなんて決めないでよ」
少女はラウの船を見てから、本人へと視線を移した。
「あなた、誰?」
「おっと、そりゃそうだな!」
ラウは自分の胸を親指で指した。
「俺は狼(ラウ)! 食材を探して海を旅してる、ただの食いしん坊だ!」
「ただの食いしん坊が、そんな筋肉つけて海を旅するわけ?」
少女は遠慮なく言い放った。
ラウは一瞬だけ目を丸くしたが、すぐに豪快に笑った。
「はははっ! そりゃいい質問だ! 食材を探すには森にも海にも潜らなきゃならねえし、獲物を狩ることもあるからな。食うためには体が資本ってわけだ!」
「……狩る?」
少女の眉がわずかに動いた。
「そうだ。もちろん、食うつもりの獲物だけだ。食わねえ相手をむやみに殺す趣味はねえよ」
ラウの答えに、少女は少しだけ興味を示したようだった。しかし、すぐに腕を組み直す。
「私はナミ。それから……」
「勇敢なる海の戦士、キャプテン・ウソップ様だ!」
話を聞いていた長い鼻の男が、胸を張って名乗った。
「お前、今は普通に名乗ればいいだろ」
ゾロが呆れた声を出す。
「うるさい! 自己紹介は第一印象が大事なんだ!」
「へえ、ウソップか。よろしくな!」
ラウが気さくに手を振ると、ウソップは少しばかり警戒した目を向けた。
「お、おう……よろしく。ところで、お前は何か特殊な能力を持っているのか? 悪魔の実の能力者とか……」
「いや、食ってねえぞ。泳げるし、海にも潜る」
「なにっ!? じゃあ海底の財宝も取り放題じゃねえか!」
「財宝より食材だな!」
「そこは財宝だろ!」
ウソップが大げさに頭を抱える。ラウはますます楽しそうに笑った。
ナミはそんなやり取りを横目に、ラウの小舟を観察していた。船は小さいが、道具の置き方は整っている。水や食料の管理にも気を配っているらしい。船上には乾かした殻や採集用の道具が見え、ただ気ままに海を漂っているだけではないことが分かった。
しかし、彼女にとって大事なのは、相手が面白いかどうかだけではない。
「ラウ、バラティエまで行くなら、私たちと一緒に来る?」
「おっ、いいのか?」
「まだ条件があるわ」
ナミはにっこり笑った。その笑顔に、ルフィとゾロが微妙な反応を見せる。
「まず、船を並走させるのは危ないから、私たちの船に乗ること。あなたの船は、海況を見て曳航できるようにするわ。それから、食料を勝手に食べないこと。船の食費はタダじゃないんだから」
「なるほどな!」
ラウは真剣な顔で頷いた。
「つまり、食料を勝手に食わず、船を壊さず、バラティエまで一緒に行けばいいんだな!」
「そういうこと。分かってるじゃない」
「任せとけ! 俺は食い物を大事にする男だ!」
「その言い方、すごく不安なんだけど……」
ナミの目が細くなった。
「それと、タダで乗せるわけじゃないからね。あなた、船賃を払えるの?」
「船賃?」
ラウは首を傾げた。
「……あー、そういう話か」
懐を探る。硬貨はいくらか持っている。しかし、珍しい食材に出会えば惜しみなく使ってしまうため、決して裕福とは言えなかった。
ラウが正直に財布の中身を見せると、ナミは額を押さえた。
「少なっ!」
「いやいや、食材探しには金がかかるんだぜ? 道具もいるし、船の修理もいるし……」
「だからって、どうしてそんなに使い切っちゃうのよ!」
「珍しい食材があったら、逃すわけにはいかねえだろ!」
「少しは将来のことを考えなさい!」
ナミの怒声が海に響き渡る。
その横で、ルフィは腹を抱えて笑っていた。
「ははははは! ラウ、お前ナミに怒られてるぞ!」
「お前もさっき怒られてただろうが!」
ゾロの指摘に、ルフィは「あ、そうだった」と頭をかいた。
ウソップは三人を見比べながら、そっとゾロに耳打ちした。
「なあゾロ……あいつ、本当に大丈夫なのか? なんか俺たちの船に乗せたら、食料が一日でなくなりそうなんだが」
「さあな。少なくとも、腕は立つ」
ゾロはラウを見た。以前、拳を交えたときの感触を思い出していた。あのときのラウは、ただ力任せに殴る男ではなかった。相手の動きを観察し、わずかな隙を見つけて攻め込む。真正面からぶつかるだけではない、独特の戦い方をする男だった。
「それに、こいつは食うことしか考えてないように見えて、周りをよく見てる。船に乗せたからって、簡単に問題を起こすタイプじゃねえだろ」
「……それ、褒めてるのか?」
「半分はな」
「残り半分は何だよ!」
ラウが笑いながら問い返すと、ゾロは肩をすくめた。
「食い意地が張ってるところだ」
「おいおい、そこは長所だろ!」
ルフィが大きく頷いた。
「そうだぞ! 飯をうまそうに食う奴はいい奴だ!」
「お前は判断基準が食い物しかないのか!」
ナミとウソップの声が重なった。
結局、ナミはラウの船を見捨てるわけにもいかないと判断し、ゴーイングメリー号の船尾に小舟を曳航できるよう、ロープを準備することにした。
ラウもそれに異論はなかった。むしろ、同じ目的地へ向かう船と同行できるのは好都合だ。
「よし、決まりだな!」
ラウは自分の船から必要な荷物をまとめ、ゴーイングメリー号へ移る準備を始めた。
そのとき、ルフィが鼻をひくつかせた。
「……ん?」
「どうした、ルフィ?」
ウソップが尋ねると、ルフィはラウの船をじっと見つめた。
「なんか、いい匂いがする!」
ラウはにやりと笑った。
「おっ、気づいたか! 昨日、岩礁で仕留めた巨大な甲殻類の残り香だな。食える部分は全部食ったけど、殻を洗って乾かしてたんだ。まだ潮の香りが残ってるのかもしれねえ」
「カニか!?」
ルフィの目が輝いた。
「カニに似てるが、もっとでかい奴だ。脚の肉は弾力があって、爪の中には甘みの強い身が詰まってた。殻から取った出汁も濃厚でなあ……」
ラウが説明を始めた途端、ルフィの腹が盛大に鳴った。
「食いてえーっ!」
「だから、昨日の獲物だって言ってるだろ! もう食ったんだよ!」
「なんだよー!」
ルフィは分かりやすく肩を落とした。
「はははっ! また見つけたら一緒に食おうぜ!」
ラウがそう言うと、ルフィは瞬時に顔を輝かせた。
「おう! 約束だぞ!」
「ええ、ちょっと待って」
ナミが二人の間に割って入った。
「食材を探すのは勝手だけど、航海の途中で勝手に寄り道するのは禁止。目的地はバラティエ。いい?」
「分かってるって!」
「本当に?」
「おう!」
ラウは自信満々に親指を立てた。
しかし、ナミはまだ納得していない顔だった。食材の匂いを追って海に潜る男が、目の前にいるのだ。航海の最中に珍しい魚でも見つければ、間違いなく飛び出していくだろう。
「……先が思いやられるわね」
彼女は小さく呟いた。
こうして、ラウはゴーイングメリー号と航路を共にすることになった。
もっとも、それは正式に仲間になったという意味ではない。ラウにはラウの夢があり、ルフィたちにも彼らの冒険がある。今はただ、同じ目的地を目指す旅の仲間。それ以上でも、それ以下でもなかった。
だが、海の上では、そんな小さな縁が大きな運命につながることもある。
ゴーイングメリー号は風を受け、再び帆を膨らませた。
甲板ではルフィがラウに昨日の獲物の話をせがみ、ウソップが巨大な甲殻類の大きさを勝手に想像して話を盛り、ゾロは二人の騒がしさを無視して昼寝の続きを始めていた。
そしてナミは、海図を確認しながら、これから増えるであろう食費と頭痛の種を思って深いため息をついた。
「ねえ、ラウ」
「ん? どうした、ナミ?」
「一つだけ聞いておくわ。あなた、食材を見つけたらどこまで追いかけるつもり?」
ラウは少し考え、海の向こうへ視線を向けた。
そこには、まだ見ぬ海が広がっている。
未知の魚。巨大な獣。名前も知らない果実。誰も食べたことのない食材。そして、それらを最高の料理へと変える料理人たち。
想像するだけで胸が躍った。
「そうだな……食べたことのねえ食材があれば、まずは知りたい。どこに住んでて、何を食って、どうやって生きてるのか。そいつを知ったうえで、食べられるものなら、自分の手で狩って味わいてえ」
ラウは笑った。
「もちろん、食うつもりのない相手まで殺す気はねえよ。海の生き物だって、みんなこの世界で生きてるんだからな」
ナミは、思いのほか真面目な答えに少しだけ目を見開いた。
豪快で、騒がしくて、食べ物の話になると周りが見えなくなるような男。しかし、その根底には、獲物の命を軽んじない考えがあるらしい。
「……ふうん。そこは、ちゃんとしてるのね」
「おう! 食材への敬意ってやつだ!」
「でも、食費の管理は別問題だからね」
「そこは勘弁してくれよ!」
ラウの情けない声に、ルフィがまた笑った。
笑い声を乗せた船は、東の海を進んでいく。
その先に待つのは、海上レストラン・バラティエ。
そこで出会う料理人、サンジ。そして、麦わらの一味を待ち受ける新たな事件。
ラウの航海は、いよいよ原作の物語と深く交わり始めようとしていた。