電話が鳴ったのは、日付が変わる少し前だった。
カーテンを閉め切った、借りたばかりの部屋。
床に広げた布の上に、分解された銃の部品が、ひとつずつ並べられている。
衛宮切嗣は、二度目の呼び出し音で受話器を取る。
舞弥が、手を止めずに視線だけを寄越した。
「切嗣」
アイリスフィールの声だった。
ほんのわずか、固い。
それだけで、何かが起きたと分かった。
「話してくれ」
彼女は、順を追って話した。
窓辺で目を閉じたこと。
雲のない空で鳴った雷。
気づいた時には、隣に立っていた青年のこと。
アリアハンのアルスと名乗ったこと。
この地では、剣の座に在ると言ったこと。
そして。
「契約したわ。私の判断で」
切嗣は、何も言わなかった。
受話器の向こうで、妻が息を詰めているのが分かる。
咎められると知っていて、それでも告げている声だった。
七つの席は、もう埋まっているはずだった。
ならば、八騎目はどこから来た。
聖杯の仕組みの綻びか。誰かの仕掛けた罠か。
罠だとすれば、あまりに無防備だった。
真名を自ら明かすサーヴァント。
剣に手もかけず、差し出した手が取られるのを、ただ待つサーヴァント。
切嗣は、そういうものを信用しない。
何も求めずに差し出される手ほど、高くつくものはない。
「……望みは」
「え?」
「そいつが、聖杯に何を望むか。聞いたか」
「まだ、聞いていないわ」
短い沈黙が落ちた。
「表に出すな」
平坦な声で、切嗣は言った。
「外では姿を消させろ。他の陣営に、決して悟らせるな。それから――」
一拍、間が空く。
「明日、僕が会う」
受話器を置く。
舞弥が、静かに口を開く。
「……使えますか」
「分からない」
切嗣は、組み上げかけた銃身に手を戻す。
分からないものは、確かめるまで駒にはしない。
確かめて使えるなら、使う。
使えないなら…
その先を、彼は考えなかった。
窓の外の空は、黒く澄んでいる。
雷の音は、もう聞こえなかった。
◇
森の奥の城は、昼でも薄暗かった。
高い窓から差し込む光は、石の床に届く前に、どこか色を失っていく。
広間の長卓を挟んで、二人の男が向き合っていた。
一人は、黒いコートの男。
一人は、旅装の青年。
舞弥は扉の外に。
アイリスフィールとセイバーは、城の別の棟に。
この広間には、二人のほかに誰もいない。
それが、切嗣の出した条件だった。
衛宮切嗣は、青年を見る。
昨夜、妻の口から聞いた通りの姿だった。
自分と、さして変わらない年頃。
背の一振りを除けば、武具らしい武具も身に着けていない。
街道ですれ違う旅人と、何も変わらない。
だが、切嗣が見ていたのは、そこではなかった。
手。
座り方。
扉を背にせず、窓を視界の端に置いて腰を下ろした、その位置。
戦場を知る者の、それだった。
「アルス、だったか」
「ああ。あなたが衛宮切嗣か。昨夜、奥方から話は聞いている」
「単刀直入に聞く。聖杯に、何を望む」
アルスは、わずかに間を置く。
「何も。……と言っても、あなたのような人は、信じないか」
「サーヴァントは、望みがあるから呼びかけに応じる」
「僕は、呼びかけに応じたわけじゃない。聖杯の声は、僕には聞こえなかった」
「なら、なぜここにいる」
アルスは、窓の外の森に目をやる。
「この街で、良くないことが起きる。その気配を感じたから来た。それ以上は、僕自身にも上手く説明できない」
嘘ではない。
切嗣の勘が、そう告げていた。
そして、それが一番厄介だった。
嘘なら、崩せる。
「何ができる」
「剣なら、ひと通りは」
「魔術は」
「今は使えない。この座に収まった時に、そう決まったらしい」
自分の枷を、隠しもしない。
切嗣は、表情を変えないまま、その答えを胸の内に留めた。
「君には、僕と舞弥の側で動いてもらう」
切嗣は言った。
「表に立つのはセイバーだ。君の存在は、他の陣営に知られてはならない」
「分かった。あなたの策なら、それが一番いいんだろう」
「先に言っておく。僕のやり方は、騎士の流儀とは違う。必要なら、敵のマスターを背後から撃つ」
アルスは、すぐには答えなかった。
「ああ。そうだな……よく知ったやり方だ」
静かな声だった。
どこで知ったのかは、言わなかった。
「ただ、これだけは先に言っておく。僕は、害のない相手に剣は向けない」
「害があるかどうかは、僕が決める」
「なら、その時は、また話そう」
そう言って、アルスは切嗣を見る。
責める目ではなかった。
値踏みする目でも、恐れる目でもない。
切嗣には、その目の名前が分からなかった。
「今夜から、動いてもらう」
切嗣は席を立つ。
扉を開けると、舞弥が壁際から身を起こした。
「どうでしたか」
「……真っ直ぐすぎる」
それが、駒としての評価なのか、それとも別の何かなのか。
舞弥は、聞かなかった。
広間には、青年が一人残された。
高い窓の光の中で、彼は長いこと、森の方を見ていた。