「気づかれたら、ここを離れて出ろ」
夜の港へ向かう前、切嗣が言ったのは、それだけだった。
「どこの者とも名乗るな。僕らの位置から、目を逸らさせろ」
「ああ。人目を引くのには、慣れている」
◇
潮の匂いが、コンテナの間を流れていく。
倉庫街の只中で、二騎の英霊が剣と槍を交えていた。
一方は、不可視の剣を振るうセイバー。
一方は、長短二本の槍を操るランサー。
剣戟の音が、夜の埠頭に幾度も弾ける。
衛宮切嗣は、離れたクレーンの上から、それを見下ろしていた。
スコープの円の中で、二騎の影がぶつかり合い、また離れる。
切嗣が探しているのは、英霊ではない。
この戦いを、どこかで見ているはずの、ランサーの主だ。
その背後、鉄骨の陰に、アルスがいた。
戦いを見ている。
セイバーの踏み込み、ランサーの槍の軌道、その一つ一つを、黙って目で追っている。
セイバーの左手から、血が散った。
浅い傷のはずだった。
だが、血は止まらない。
治らない傷を負わせる槍。
切嗣は、それを敵の手札の一つとして、頭に刻む。
アルスは、何も言わなかった。
ただ、鉄骨を握る手に、わずかに力がこもった。
雷鳴が、港の空を裂いた。
今度は、雲のない空の遠雷ではない。
神牛の曳く戦車が、稲妻をまといながら、二騎の間へ割って入ったのだ。
巨躯の男が、戦車の上から名乗りを上げる。
ライダー。征服王。
決闘を邪魔されたセイバーの眉が、怒りに吊り上がる。
だが巨漢は意にも介さず、夜の闇へ向かって声を張り上げた。
「聞けい、闇に潜む者どもよ!」
港じゅうの鉄が、その声に震えたようだった。
「これほどの剣と槍の競い合い、惹かれて集まった英霊が、まだおるであろう。だというに、物陰で息を殺して覗き見るばかりとは何事か! 英霊の名が泣くわ。我こそはと思う者は、臆さず姿を見せい!」
切嗣のスコープが、わずかに揺れた。
「……アルス」
振り返らずに、切嗣は呼ぶ。
返事は、すぐには来なかった。
切嗣は分かっていた。
あの大男の呼びかけは、闇に潜む者すべてに向けられている。
そして、気配を断つ術を持たないこの男は、とうに誰かに感じ取られているかもしれない。
ならば、ここに留まるほど、この位置は危うくなる。
「――仕方ない」
背後で、小さな声がした。
切嗣が振り返った時、鉄骨の陰には、もう誰もいなかった。
コンテナの影から、一人の男が歩み出る。
戦場の只中へ、まるで夜道を散歩でもするように。
旅装の青年。背に一振りの剣。
剣は抜かれていない。
両の手は、何も持たずに下ろされている。
ランサーが、槍の穂先をわずかに彼へ向ける。
ライダーが、面白そうに顎を撫でた。
その戦車の上で、小柄な少年が、ライダーの外套の陰から身を乗り出した。
マスターの目に、歩み出た男の輪郭が浮かび上がってくる。
「うん…?ちょ、ちょっと待てよ……?」
ライダーのマスター、ウェイバー・ベルベットは、もう一度、目を凝らした。
対魔力。騎乗。
「セ、セイバー……?」
少年の声が、裏返った。
「セイバーなら、あそこにもう――なんで、二騎もいるんだよ……!」
指差した先で、不可視の剣を構えた少女が、表情ひとつ動かさずに立っていた。
上ずった声は、誰にも答えられないまま、潮風に散っていく。
そしてセイバーは、息を呑むのを、かろうじて堪えた。
――出てきたのか。
昨夜、主の隣に現れ、その手を取った者。
昼、切嗣と二人だけで言葉を交わした者。
だが、ここで顔色を変えれば、全てが露わになる。
セイバーは剣を構えたまま、見知らぬ闖入者を見る目を、自分に強いた。
その後ろで、アイリスフィールが、白い指を胸の前で握りしめていた。
「ほう」
ライダーの声が、港に響く。
「呼ばれて出てくるとは、殊勝な奴よ。して、貴様は何者だ」
青年は、戦車の上の巨漢を見上げる。
凪いだ目だった。
その時、少し離れた街灯の上で、黄金の光が立った。