DQⅢ勇者「聖杯戦争」   作:ハナゲもみじ

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第4話 名乗り

街灯の上の光に、まだ誰も目を向けてはいなかった。

港の視線は、戦車の上の巨漢と、その前に立つ旅装の青年に集まっている。

 

「アルス」

青年は、短く答えた。

 

「アルス、か」

ライダーは、その名を舌の上で転がすように繰り返す。

 

「聞かぬ名よ。しかも、二騎目のセイバーときた。どこの英雄だ」

「だろうな。遠い所から来た」

「ほう。してアルスとやら。今しがた、そこの二人にも持ちかけたのだがな」

ライダーは顎で、剣を構えたままのセイバーと、槍を下ろさぬランサーを示す。

 

「余の軍門に降る気はないか。聖杯を余に譲るならば、共に世界を征する栄誉をくれてやるぞ」

セイバーは一国の王として、ランサーは主に仕える騎士として、とうにその誘いを撥ねつけている。

アルスは、わずかに口元を緩めた。

 

「あなたの軍なら、さぞ賑やかな旅になるだろうな」

その目がほんの一瞬だけ、ここではない遠くを見た。

 

「ありがたい誘いだが、遠慮しておこう」

「ほう。理由を聞こう」

 

「僕には、聖杯に預ける願いがない」

巨漢の眉が、わずかに上がった。

 

「願いは、自分の足で掴みに行くものだと考える」

 

一瞬、港が静まった。

それから、雷鳴のような笑い声が、戦車の上から弾けた。

 

「はっはっは! 聖杯を求めぬサーヴァントだと? 面白い。実に面白い男よ!」

アルスも、つられたように、わずかに笑う。

それきり、何も付け足さなかった。

 

セイバーは、剣先を揺らさぬよう、腕に力を込め続けていた。

胸の内で、何かが小さく軋む。

聖杯を求めて剣を執った自分の前で、この男は、預ける願いなどないと、静かに言う。

 

「――戯れ言は、そこまでにしておけ」

頭上から、声が降ってきた。

街灯の上。

黄金の鎧をまとった男が、夜の港を見下ろしていた。

 

冷ややかな赤い瞳が、まずライダーを射抜く。

王を名乗る者が、この地に自分のほかにいる。

そのこと自体が不快だと、その目が告げていた。

 

そして、瞳は、ゆっくりと横へ滑った。

旅装の青年の上で、止まる。

ほんの一瞬。

誰も気に留めないほどの、短い間だった。

 

アルスは、街灯を見上げなかった。

ただ、その視線の重さだけは、背中で受け止めていた。

 

 

その時、港の空気が、ひどく澱んだ。

 

アスファルトの上に、黒い靄が湧き出していた。

靄の中から、黒い甲冑の騎士が、ゆっくりと身を起こす。

兜の奥で、赤い光が燃えている。

獣のような咆哮が、夜の港を震わせた。

 

黒い騎士が最初に牙を剥いたのは、街灯の上の黄金だった。

降り注ぐ刃の雨を、狂戦士は掴み取り、己の得物として振るい返す。

英雄王の顔が、怒りに歪む。

だが次の瞬間、その姿は、主の令呪に引かれるように、苦々しげに夜へ消えた。

 

残された獣が、兜をめぐらせる。

赤い光が、セイバーを捉えた。

 

咆哮と共に、黒い騎士が地を蹴る。

セイバーは、アイリスフィールを背に庇いながら、不可視の剣でそれを受ける。

傷ついた左手が、軋む。

 

「セイバー!」

ランサーが、二本の槍を携えて駆けだした。

剣を交えた相手を、狂った獣の餌食にはさせない。

騎士として、それだけは譲れないと。

 

だが、その足が、不意に止まった。

闇のどこかから、主の命が届いたのだ。

令呪の縛りが、騎士の体を軋ませる。

槍の穂先が、意に反して、セイバーへと向き直っていく。

 

「……主よ、それは」

ランサーの顔が、苦悶に歪んだ。

 

ライダーが、戦車の上で身を乗り出す。

口を開きかけた、その時。

巨漢の目が、旅装の青年の目と合った。

ほんの一瞬だった。

言葉はない。

それでも、ライダーは、にやりと口の端を上げる。

そして、開きかけた口を閉じ、手綱を緩めた。

アルスは、もう走り出していた。

 

二本の槍が、セイバーの背へ迫る。

紅と黄の穂先が、月光を裂いた。

 

鈍い金属音。

長槍の穂先が、宙空で止まっていた。

その前に、旅装の青年が立っている。

 

「――っ!」

 

いつ抜いたのか。どこから来たのか。

ランサーの目には、何一つ映らなかった。

 

「……すまぬ」

押し殺した声が、槍越しに漏れる。

 

「あなたの意志じゃないことくらい、槍を見れば分かるさ」

槍を受け止めたまま、アルスは言った。

 

「だから、僕が受ける」

 

令呪が、騎士の腕を引きずる。

長槍を払い、その陰から、黄の短槍を脇腹へ。

穂先は、虚空を貫いた。

紅の長槍は、剣で受ける。

黄の短槍は、決して受けない。紙一重で身を捻り、肌に触れさせもしない。

 

――知っている。

この男は、黄の槍が何を刻むのかを、知っている。

 

突く。払う。薙ぐ。

その全てが、セイバーの背の手前で、静かに逸らされていく。

打ち合いではなかった。

押し返されることもなく、退かれることもなく。

ただ、届かない。

 

狂戦士の一撃が、不可視の剣を軋ませる。

獣の咆哮。砕けるアスファルト。

その背後で、槍と剣が鳴っている。

セイバーは、振り返らなかった。

振り返る必要がないと、背中が知っていた。

 

「ランサーの魔術師よ!」

雷のような声が、港を圧した。

ライダーが、戦車の上から、闇の一点を睨み据えていた。

 

「二対一の卑しい真似は、そこまでにしておけ。それ以上、騎士に恥をかかせるならば、余もこの戦い、ただでは見過ごさぬぞ!」

 

闇は、答えなかった。

だが、ランサーの槍から、ふっと力が抜けた。

縛りが、解けたのだ。

 

騎士は、槍を引く。

アルスも、剣を下ろす。

二人の間に、短い沈黙が落ちる。

 

「……礼を言う」

「なに、次はあなた自身の槍で会おう」

 

ランサーは、何かを言いかけて、やめた。

そして、闇に溶けるように姿を消した。

 

戦車の車輪が、轟音と共に黒い騎士へ向かう。

狂戦士は咆哮を残し、靄の中へと退いていった。

港に、潮騒が戻ってくる。

 

 

◇

 

 

誰もが気づいた時には、旅装の青年の姿は、もうどこにもなかった。

誰の側に立つのか、最後まで明かさないまま。

 

セイバーは、剣を下ろした。

左手の傷は、まだ疼いている。

けれど、背中だけは、不思議と温かかった。

 

遠く離れたクレーンの上で、切嗣はスコープから目を離す。

何も言わなかった。

 

ただ、懐の煙草を探しかけて、その手を止めた。

 

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