DQⅢ勇者「聖杯戦争」   作:ハナゲもみじ

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第5話 謀略の夜

冬木ハイアットホテル、最上階。

フロアをまるごと借り上げた一室は、もはや客室とは呼べないものに作り変えられていた。

壁にも床にも、幾重もの結界が編み込まれている。

廊下には魔力炉が据えられ、扉の外には、侵入者を待ち受ける使い魔が潜んでいる。

時計塔の一級講師が、その知識の粋を尽くして築いた、難攻不落の魔術工房だった。

 

その中心で、ケイネス・エルメロイ・アーチボルトは、跪く騎士を見下ろしていた。

 

「――説明してもらおうか、ランサー」

抑えた声だった。

抑えているからこそ、その底の怒りが透けて見えた。

 

「手負いのセイバーを、討ち損じた。それはまだいい。狂犬が割って入ったのだからな」

ケイネスは、椅子の肘掛けを指で叩く。

 

「だが、令呪で命じた一撃を、得体の知れぬ輩に阻まれたとは、どういうことだ」

 

ランサーは、顔を伏せたまま答えなかった。

 

「七騎で争う戦争に、八騎目。それも、自ら真名を名乗る愚か者だ」

ケイネスは立ち上がり、窓辺へ歩く。

眼下に、冬木の灯りが広がっている。

 

「アルス、と言ったか。……聞いたこともない」

苛立たしげに、指先が硝子を叩く。

 

時計塔で、古今の伝承に通じてきた。

名を聞けば、どの国のどの英雄か、たいていは見当がつく。

それが、まるで掴めない。

 

「冬木の大聖杯の術式に、八つ目の席を設ける余地などない。ならば、誰かが仕組んだのだ。アインツベルンか、遠坂か。……あるいは、あの教会か」

 

答えの出ない問いが、ケイネスの神経を逆撫でしていた。

分からないものが、己の戦場にある。

それは、この男にとって、何よりも耐え難いことだった。

 

「あの者の剣は」

ふいに、ランサーが口を開いた。

 

「令呪に動かされた我が槍を、ただの一度も、セイバーの背へ通しませんでした。それでいて、こちらを斬ろうともしなかった」

 

「何が言いたい」

 

「……侮るべき相手ではない、と」

 

ケイネスの顔が、怒りに歪んだ。

「敵を褒めそやせと、誰が命じた」

 

部屋の隅の長椅子で、ソラウ・ヌァザレ・ソフィアリが、その様子を眺めていた。

夫となる男の背ではなく、跪く騎士の横顔を。

八騎目のことを語る時、その顔に浮かんだのが、苛立ちでも屈辱でもなかったことに、彼女だけが気づいていた。

 

その時、部屋の外で、けたたましく警報が鳴り始めた。

 

 

火災報知器の音が、最上階から、高層ホテルの廊下を次々と満たしていく。

宿泊客たちが、寝間着のまま非常階段を降りていく。

 

フロントでは、従業員が名簿を手に、一人ずつ避難を確かめていた。

最後の一組の名が、読み上げられる。

「その二人なら、もう外に出た」

傍らの男が、穏やかに告げる。

従業員は、なぜかそれを疑いもせず、名簿に印を付けた。

全員、避難完了。

 

衛宮切嗣は、人の流れに紛れてホテルを出た。

 

 

そのホテルの向かいに建つ、建設途中のビル。

剥き出しの鉄骨と、まだ壁のない階層に、夜風が吹き抜けていく。

 

久宇舞弥は、双眼鏡越しにホテルの上層階を見張っていた。

その少し後ろに、アルスがいた。

 

切嗣は、ランサーの気配が届く所に、この男を置かなかった。

一騎打ちの夜に、槍と剣を交えた相手だ。

近くにいれば、気取られる。

だから、舞弥と共に、ここにいる。

舞弥は、それを任務として受け取っていた。

援護と、もう一つ。

素性の知れないこの男を、自分の目で見張ること。

 

無線から、切嗣の声が届く。

「――始める」

 

次の瞬間、夜が震えた。

向かいのホテルが、根元から崩れていく。

音が遅れて届き、舞い上がった粉塵が、街の灯りを覆い隠した。

 

アルスは、何も言わずにそれを見ていた。

舞弥は、その横顔を盗み見る。

驚いている様子はない。咎める様子も、ない。

ただ彼は、崩れ落ちる建物の、その一番下の方を、じっと見ていた。

逃げ遅れた者がいないか、確かめるように。

 

「……誰も、残っていません」

舞弥は、言うつもりのなかった言葉を口にしていた。

「客は全員、外に出しています」

 

「ああ。そうだな」

アルスは、静かに頷いた。

 

 

切嗣から、撤収の指示が来る。

舞弥が双眼鏡を下ろした、その時だった。

 

足元に、何かが転がってきた。

小さな、黒い塊。

切嗣が街に放った使い魔の、骸だった。

仕込まれていた小型のカメラが、砕けている。

 

「探し物は、これか」

 

階段の暗がりから、一人の男が姿を現した。

黒い僧衣。

長身の、表情の読めない男。

言峰綺礼。

 

舞弥の手が、銃把に走る。

だが、綺礼の目は、彼女を見ていなかった。

 

言峰綺礼は、その男を見ていた。

つい先刻、港で、潜ませたアサシンの目を通して見た顔だった。

 

ライダーに名を問われ、アルスと名乗った男。

聖杯に預ける願いはないと、言い放った男。

七騎で争うはずの戦争に現れた、八騎目。

どこの陣営とも知れなかったそのサーヴァントが、今、衛宮切嗣の手の者の傍らに立っている。

それだけで、多くのことが分かった。

 

そして、分からないことも、同じだけあった。

なぜ、聖杯を求めない者が、あの男に手を貸すのか。

 

綺礼は、袖の内で、指の間に刃を挟む。

女を仕留めるだけなら、三歩で足りる。

だが、その三歩の間に、あのサーヴァントが何をするか。

二騎目のセイバーだと、港で少年が叫んでいた。

それ以上は、何も分からない。

 

それは、向こうも同じはずだった。

綺礼の背後に、まだ何が控えているのか。

サーヴァントを失ったはずの男が、なぜここにいるのか。

互いに、相手の札が読めない。

 

アルスは、剣を抜かなかった。

ただ、舞弥の前へ、半歩だけ出る。

 

「ここで退くなら、追わない」

静かな声だった。

 

綺礼は、その男の目を見る。

敵意が、ない。

こちらの刃に気づいていないはずはない。

それでいて、なお。

 

奇妙だ、と綺礼は思った。

奇妙だと感じる自分を、さらに奇妙に思った。

 

「……そうさせてもらおう」

綺礼は、刃を袖に戻す。

 

「衛宮切嗣に、伝えておくがいい。いずれ、直に会いに行く、と」

踵を返し、男は暗がりへ消えていく。

 

 

足音が、完全に聞こえなくなるまで、舞弥は銃を下ろさなかった。

 

それから、ようやく息を吐く。

指先が、わずかに震えている。

舞弥は、それを拳の中に握り込んだ。

 

「……あなたは、なぜ斬らなかったのですか」

「あそこで斬り合えば、君を巻き込んでいたからな」

 

綺礼の消えた暗がりに目を向けたまま、アルスは「それに……」と付け加えた。

 

「まだ、何もしていない相手だ」

 

舞弥は、何も言わなかった。

 

無線が鳴る。

切嗣の声が、彼女の名を呼ぶ。

「無事です」

短く答えてから、舞弥は、隣に立つ男を、もう一度だけ見た。

 

見張るべき相手だった。

今も、そうだ。

けれど、その背中に、今夜自分が守られたことも、また事実だった。

 

◇

 

夜も更けた頃、綺礼が自室に戻ると、そこに先客がいた。

黄金の鎧の男が、勝手に開けた葡萄酒の瓶を傾けている。

 

「数こそ少ないが、時臣の蔵より良いものが揃っているではないか」

 

「……何の用だ、アーチャー」

「暇を持て余していたところでな。見れば、貴様も退屈そうな顔をしているときた」

 

英雄王は、杯を揺らす。

「時臣は、港の一件を何と言っていた」

 

綺礼は、少しだけ間を置く。

 

「八騎目は、いずれ璃正神父を通して調べさせる、と。……今は捨て置け、とのことだ」

「捨て置け、か」

英雄王は、喉の奥で笑った。

 

「あの男らしい。己の盤の上にないものは、見ないことにする」

 

綺礼は答えなかった。

今夜、自分は、その捨て置くべき男と、建設途中のビルの上で向き合ってきた。

それを、まだ師には告げていない。

 

「港の街灯の上から、我はあの雑種を見た」

英雄王の赤い瞳が、杯の縁越しに綺礼を見る。

 

「我の視線に気づいておきながら、見上げもせなんだ。背で受けて、それきりだ。……恐れていたのではない。媚びていたのでもない。あれは、ただ、それより先に見るべきものがあると知っている者の背だった」

 

綺礼は、ビルの上で見た男の目を思い出していた。

刃を向けられて、なお敵意を見せなかった目。

退くなら追わない、と告げた声。

 

「……奇妙な男だった」

思わず、口から出ていた。

英雄王が、面白そうに眉を上げる。

 

「ほう。お前が、他人に興を覚えるか」

「興など、覚えていない」

「そうか」

英雄王は、空になった杯を卓に置く。

 

「ならば、なぜそれを口にした、綺礼」

 

綺礼は、答えられなかった。

英雄王は、それを見て、満足げに笑った。

 

「お前はもう少し、己の内を覗いてみるがいい。……退屈を紛らわす種は、案外、そういう所に転がっているものだ」

黄金の光が、ほどけるように消えた。

 

残された部屋で、綺礼は、空の杯を長いこと見つめていた。

 

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