DQⅢ勇者「聖杯戦争」   作:ハナゲもみじ

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第6話 魔境の森

冬木教会の礼拝堂に、蝋燭の灯りが揺れていた。

長椅子の上にも、柱の陰にも、人の姿はない。

あるのは、梁にとまった一羽の鴉、窓辺に留まった小さな蝙蝠、床を這う蛇、燭台のそばを舞う羽虫、扉の脇にうずくまる鼠。

いずれも、各陣営のマスターが放った使い魔だった。

祭壇の前に立つ老神父は、その一つ一つを見渡してから、静かに口を開いた。

 

「監督役、言峰璃正として告げる」

 

冬木で続く、子供の連続失踪と殺人。

その犯人は、キャスターとそのマスターである。

神秘の秘匿を破り、無関係の者の血を流し続けるこの陣営を、聖杯戦争の掟に背く者と見なす。

 

「これより、各陣営の戦いを一時預かりとする。キャスターを討った者には、過去の戦いで使われずに残った令呪を、一画、褒美として与えよう」

 

使い魔たちが、一羽、また一匹と、闇の中へ去っていく。

礼拝堂に、老神父だけが残された。

 

 

璃正は、祭壇に向き直り、しばらく黙って立っていた。

遠坂の当主から、頼みを受けている。

港に現れたという、八騎目のサーヴァント。

その素性を、監督役の手で探ってほしい、と。

 

前の戦いでも、監督役を務めた。

七つの席に七騎が座り、最後の一騎が聖杯を手にする。

席は、七つしかないはずだった。

けれど前の戦いで、アインツベルンは掟の外のものを呼んでいる。

七つのどの座にも当てはまらない、異形の一騎を。

その戦いがどう終わったかを、璃正は忘れていない。

 

ならば、此度の八騎目も。

疑いは、自然と郊外の森の城へ向かった。

だが、確かめる術はない。

 

誰が呼び、何がそれを許したのか。

璃正は、胸の十字を握る。

討伐令を出したのは、子供たちの命のためだった。

その一方で、掟の外から来た者を、掟の内からどう裁けばいいのか、老いた神父には答えが見えなかった。

 

「……主よ」

祈りの言葉は、そこで途切れた。

これが神の御業なのか、それとも別の何かなのか。

蝋燭の炎だけが、答えずに揺れていた。

 

 

◇

 

 

城の広間は、冬の朝の冷たさを、まだその石の壁に溜め込んでいた。

高い窓から差し込む光が、床に長く伸びている。

暖炉には火が入れられていたが、この広さを温めきるには、まるで足りなかった。

 

長卓を囲む顔ぶれは、五つ。

上座に切嗣。その傍らに、舞弥。

向かいに、アイリスフィール。その傍らに、立ったままのセイバー。

そして、窓辺の壁に背を預けた、旅装の青年。

卓には着かず、少し離れた所から、全員の顔が見える位置に立っている。

 

「――ジャンヌ、と。そう呼ばれました」

セイバーの声が、広間に落ちた。

 

昨夜の山道のことだった。

月明かりの下、車の前に立ちはだかった異形の魔術師。

セイバーを見るなり膝をつき、聖処女と呼んで涙を流した男。

人違いだと告げても、聞く耳を持たなかった。

 

「去り際に、こう言いました。次は、相応の準備をして参ります、と」

アイリスフィールが、小さく息を詰める。

フロントガラス越しに見た、あの男の目を思い出していた。

狂気と歓喜が、一つに溶け合ったような目だった。

 

切嗣は、卓に広げた森の地図から、顔を上げなかった。

 

「キャスターは、セイバーを狙ってここへ来る」

誰の顔も見ずに、そう言い切る。

 

「なら、待てばいい。他の陣営が血眼で探している獲物が、向こうからやって来る」

指先が、地図の上の森の縁を、なぞるように動く。

その声には、敵を待ち構える者の熱も、迎え撃つ者の昂ぶりもなかった。

ただ、盤の上の駒の動きを読み上げるような、平らな響きだけがあった。

 

「マスター」

セイバーが、一歩前へ出る。

 

「それでは足りません。あの男の所業は、これ以上看過できない。被害が広がる前に、こちらから打って出るべきです」

 

切嗣は、答えなかった。

まるでその声が聞こえなかったかのように、舞弥へ視線を移す。

舞弥は、何も言わずに、その目を受け止めた。

 

「アイリの側には、セイバーを置く」

セイバーの拳が、固く握られる。

戦わせてはもらえない。

傷ついた左手のことを、言われずとも分かっていた。

 

傍らのアイリスフィールだけが、それに気づいていた。

声をかけようとして、やめる。

夫の横顔と、騎士の握り締めた拳との間で、彼女はただ、膝の上で自分の手を重ねた。

 

切嗣の目が、初めて、卓の外へ向いた。

窓辺の壁へ。

 

「君は、自由に動いていい」

アルスは、壁から背を離す。

「ああ。なら、森を見ておく」

 

 

その日の午後、アイリスフィールは、結界の中を歩く気配を感じていた。

一つだけ。

急ぐでもなく、迷うでもなく、それは森の外れの獣道を辿り、崩れた石垣の陰を覗き、沢を渡る浅瀬を越えていく。

人が身を潜められる窪地。見通しの利く小高い丘。

気配はそのひとつひとつに、確かめるように立ち止まっては、また歩き出した。

 

攻め込む者が、どこから来るか。

どこで足を止め、どこに罠を張るか。

まるで、この森を落とそうとしている者のような歩き方だった。

日が傾く頃には、結界の中に、その気配が踏まなかった道は、ほとんど残っていなかった。

 

 

夜が、森に降りた。

 

城の一室で、アイリスフィールは水晶球の前に座っていた。

傍らにはセイバーが控え、舞弥は銃を手に、扉の脇に立っている。

切嗣の姿は、ない。

 

不意に、アイリスフィールの指先が、ぴくりと跳ねた。

「……来たわ」

結界の北西の縁に、一つの大きな気配と、それを取り巻く、いくつもの小さな気配。

小さな気配の数を数えて、アイリスフィールは息を止めた。

 

「子供……?」

 

 

その時アルスは、北西の丘で、夜の森に気配を溶かしていた。

昼のうちに、何度も足を運んだ場所だった。

サーヴァントの気配が、森の縁を越えてくる。

それより先に、もう一つ、別のものが鼻をついていた。

 

魔物の気配だった。

 

小さい。ひどく小さい。

けれど、間違えようがない。旅の十年、あらゆる洞窟の闇で嗅いできた、それだった。

その気配が、幼い命の気配と、重なっている。

アルスの目が、細められた。

 

懐から一枚の翼を取り出し、宙へ放った。

月光を浴び紫水晶の様に煌めく翼から、光が落ちる。

それが収まった時、丘の上にはもう、誰もいなかった。

 

 

森の、小さな開けた場所。

子供たちが、そこに立っていた。

 

十人。

 

誰も泣いていない。誰も、声を上げない。

夢を見ているような目で、ただ、そこに立たされている。

その中心に、長身の男がいた。

大きな目玉が、月明かりにぎょろりと光る。

胸には、人の皮のような装丁の、分厚い書物を抱いていた。

キャスターは、虚空に向かって両腕を広げる。

どこかで見ているはずの、城の水晶球に向かって。

 

「約束を果たしに参りましたぞ、ジャンヌ!」

恍惚とした声が、木々の間に響く。

 

「さあ、お出ましを。私は気長に待ちましょう。待つ間、子供らと鬼ごっこでもして――」

骨ばった手が、一番近くの少年の頭へ、伸びた。

 

届かなかった。

 

少年とキャスターの間に、旅装の背中が立っていた。

 

「――鬼は、お前一人だ」

 

 

キャスターの目玉が、見開かれる。

ジャンヌのほかに、この森にサーヴァントの気配など無かった。

 

「……何者です。あなたは、ジャンヌではない」

アルスは答えなかった。

胸元で、金色のメダルが、淡く光を帯びていた。

 

両の掌に収まるほどの、翼を広げた鳥の紋章。

その胸の真紅の玉石から、光が静かに満ちる。

夢を見ているようだった子供たちの目が閉じていく。

 

子供たちの体の奥で、何かが身じろぎした。

光に炙られた小さな影が、耐えきれずに、幼い体から這い出してくる。

指先ほどの、ぬめる触手。

キャスターが命じるまで、誰にも気づかれずに潜んでいたはずのもの。

 

「なっ――」

キャスターが叫ぶより早く、剣が鞘を走った。

 

十閃。

 

月光が、一度だけ瞬いた様に見えた。

剣が鞘に戻る音がした時、子供たちは、糸が切れたように膝を折っていた。

足元の土の上で、十の小さな影が、塵となって崩れていく。

 

倒れかけた少年の体を、アルスの片腕が受け止める。

眠っている。

息は、穏やかだった。

 

 

城の一室で、水晶球を見つめていたアイリスフィールの唇から、息が漏れた。

安堵とも、驚きともつかない息だった。

その傍らで、セイバーは、剣の柄を握り締めていた。

本当なら、自分が行くはずの戦いだった。

自分を呼ぶために、あの子たちは連れて来られたのだから。

 

「セイバー」

アイリスフィールが、そっと、その手に触れる。

 

「ここにいて」

セイバーは、答えなかった。

ただ、柄を握る手から、少しだけ力を抜いた。

 

 

◇

 

 

「おのれ……おのれ、おのれぇッ!」

森に、絶叫が響いた。

キャスターが、抱えた書物を開く。

頁がひとりでに激しく捲れていき、開けた場所を取り囲む闇の中から、ぬらりとしたものが、次々と湧き出した。

触手の束。濡れた肉の塊。

数えることもできない、異形の群れ。

 

「誰とも知れぬ下郎が、私とジャンヌの間に割って入るなど……! 許しません、許しませんぞ!」

 

アルスは、眠る子供たちを背にしたまま、群れを見渡す。

逃げ道は、ない。

子供を抱えて走れば、背中から呑まれる。

ここで、受けるしかない。

アルスは、ゆっくりと剣を抜いた。

 

「ああ。そうだろうな」

凪いだ声だった。

 

「だから、ここに来た」

 

異形の群れが、一斉に押し寄せた。

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