斬っても、斬っても、尽きない。
触手を断てば、断面から新たな肉が盛り上がる。
一体を塵に還せば、闇の奥から二体が這い出してくる。
アルスは、一歩も退かない。
退けば、背後の子供たちに届く。
だから、剣の届く円の内側には、何ひとつ入れない。
「無駄ですよ、無駄!」
キャスターの哄笑が、群れの奥深くから響く。
「この書がある限り、我が軍勢は尽きはしない! いずれ貴方の剣は鈍り、その背の小さな者どもは──」
声が、途切れた。
群れの一角が、内側から弾け飛ぶ。
紅と黄。
二筋の閃きが肉の壁を裂き、異形を次々と地に縫い止めていく。
「──待たせたな」
槍を携えた騎士が、アルスの隣に降り立った。
「ランサー」
アルスは、群れから目を離さない。
「キャスター討伐の令は、俺にも下っている」
迫る触手を、長槍が見もせずに払い落とす。
「主の命でもある。だが──」
黄の短槍が、アルスの死角から伸びた一本を貫いた。
「子を盾にする外道を前に、槍を振るうのに、誰の命も要らん」
アルスの口元が、わずかに緩む。
「次は、あなた自身の槍で会おう。……そう言ったな」
「ああ。だから来た」
二人は、背中合わせに立った。
群れは、尽きない。
二人で斬り伏せても、魔導書が捲れるたびに、闇は新たな肉を吐き出す。
「元を断たねば、きりがないな」
アルスの目は、群れの遥か向こうの、ぎょろりと光る二つの目玉と、その腕の中の書物を捉えていた。
「あの本だ」
「分かっている。だが、この肉の壁を抜けるのは骨だ」
「道なら、僕が作る」
ランサーが、横目でアルスを見た。
「……できるのか」
「ああ」
アルスは、鋼の剣を背の鞘へ収める。
「合図をしたら、真っ直ぐ走ってくれ。振り返らなくていい」
空いた右手を、前へ。
その掌に光の粒が集まり、柄を、鍔を、剣身を、形作っていく。
現れたのは、一振りの剣だった。
淡く光る白銀の刃、翼を広げた不死鳥の鍔、その胸には真紅の玉石が灯る。
一度砕かれ、人の手で鍛え直された剣。
その来歴を知る者は、この世界のどこにもいない。
それでも、ランサーは息を呑む。
剣がただそこにあるだけで、周りの空気が張り詰めていく。
アルスは、その切っ先を、群れの只中へ向けた。
背後には、眠る子供たち。
だから、放つ先は、切っ先の一点だけに絞る。
刀身の周りで、風が鳴る。
森の木々が一斉に枝を揺らし、落ち葉が舞い上がって、渦を巻く。
そして───空気が裂けた。
真空の刃を孕んだ竜巻が、轟音と共に、切っ先の向いた先へ走る。
触手も、肉の塊も、触れたそばから切り刻まれ、宙へ巻き上げられていく。
それでも、風は止まらなかった。
群れを貫き、その先の木々を根元から引き抜き、幹ごと宙へ巻き上げ、なお奥へ。
森の闇の向こうまで、一直線に。
風が止んだ時。
月明かりの下に、森を一筋えぐり取った道が、見通せないほど遠くまで続いていた。
その道の途中に、魔導書を抱えたキャスターが、立ち尽くしている。
「今だ」
言葉より早く、ランサーは地を蹴っていた。
竜巻の残した道を、一陣の風となって駆け抜ける。
左右に、根ごと引き抜かれた倒木が、幾重にも積み重なっている。
背筋を、冷たいものが走った。
これで、絞った一撃なのか。
キャスターの目玉が、恐怖に見開かれる。
自分へ向かって伸びる、その道の長さに。
───刹那、紅い長槍が、魔導書を貫いていた。
断末魔の叫びを上げたのは、キャスターではない。
森を埋め尽くしていた異形の群れが、一斉に崩れていく。
肉は溶け、触手は萎び、塵となって夜気に散った。
森に、静寂が戻る。
道の先に残されたのは、二人だけだった。
槍を構えたランサー。
その穂先の向こうで、魔導書を胸に掻き抱くキャスター。
「覚悟はいいな」
穂先が、ぴたりとキャスターの喉元を指す。
「おのれ……おのれぇ……!」
キャスターの叫びと共に、足元から濃い煙が噴き上がった。
ランサーが踏み込んだ時、そこにはもう、誰もいなかった。
煙が晴れていく。
ランサーは槍を下ろし、えぐられた道を引き返した。
開けた場所では、アルスが、眠る子供たちの傍らに立っている。
その前まで戻った時、ランサーは、不意に足を止めた。
その顔から、血の気が引いていく。
「……主が」
城の方角を、睨み据える。
「主の身に、危機が迫っている」
アルスは、何も問わない。
ただ、城の方角へ一度だけ目をやり、それから騎士の顔を見た。
「行け」
ランサーの目が、わずかに揺れた。
主のもとへ駆けようとする今の自分は、隙だらけだ。
背を向けた騎士を討ち、サーヴァントを一騎減らす機会を、この男は、何の迷いもなく手放そうとしている。
「……借りができたな」
「なら、またあなた自身の槍で返してくれ」
ランサーは、短く笑う。
そして、風のように森の闇へ消えた。
◇
城の外れ、森の入り口に近い木立の中。
アイリスフィールは、新たな気配を感じ取る。
切嗣に言われ、城を出たばかりだった。
傍らには、セイバーと舞弥がいる。
「……誰か、来る」
気配に、迷いはない。
木々の間から、黒い僧衣の男が姿を現した。
言峰綺礼。
舞弥の銃口が、即座に男を捉える。
セイバーが、アイリスフィールの前へ出る。
不可視の剣を、右手一本で構えて。
綺礼は、足を止めた。
サーヴァントがいる。
手負いとはいえ、騎士王が、器の前に立ちはだかっている。
この距離で踏み込めば、何が起きるか。
「……一つ、問おう」
その目は、セイバーではなく、アイリスフィールに向いていた。
「お前たちは、衛宮切嗣を守るためにここにいる。それは、誰の意思だ」
アイリスフィールは、目を逸らさなかった。
「私たち自身の意思よ」
綺礼は、答えなかった。
その時、男の肩口の闇が、かすかに揺らぐ。
誰にも聞こえない声が、男の耳に何かを告げる。
キャスターは逃走。
ランサーとその主は、城から退いた、と。
綺礼は、ゆっくりと踵を返す。
「……今夜は、ここまでだ」
黒い僧衣が、木立の闇に溶けていく。
セイバーは、その背が完全に見えなくなるまで、剣を下ろさなかった。
森の小道を、一つの影が歩いてくる。
腕に一人。背に一人。
その後ろを、残る八人が手を繋ぎ、眠たげな足取りでついてくる。
月明かりの中で、アイリスフィールが、息を呑む。
「……みんな、無事なの?」
「ああ。眠っているだけだ」
腕の中で、少年が小さな寝息を立てていた。
「目が覚めたら、少し怖い夢を見た、くらいに思ってくれるといいんだが」
セイバーは、子供たちの顔を、一人ずつ数えていく。
十人。
誰一人、欠けていない。
自分を呼ぶために、ここへ連れて来られた子たちだった。
セイバーは、剣を収める。
そして、アルスに向かって、深く頭を下げた。
言葉はなかった。
アルスもまた、何も言わない。
ただ、小さく頷いて、腕の中の重みを、そっと抱え直した。