ゴールポーチャー(ペナルティーエリアの密猟者)   作:シットライヌ

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本作はサッカーフィクションです。史実と異なります。ご不快に感じられたらすみません。



プロローグ

 

1997年、春。函館。 夜の帳が下りた港町に、浅葱色の波が二つの大きなうねりとなって押し寄せていた。

 

一つは、陸のうねり。 大町電停から分岐し、新島橋へと延伸された市電の軌道が青白い火花を散らす。橋の上は一般車両の進入が完全に封鎖され、行き交うのは満員のサポーターを乗せたレトロな市電の車両と、歩道を埋め尽くす徒歩の群れ。そして時折通過する中継車やチームバスのみだ。熱気を帯びた足音と車輪の軋み声が、開戦を告げる行軍のように夜の港に響き渡る。

 

そしてもう一つは、海のうねり。 赤レンガ倉庫群の裏手に設けられた専用桟橋。ディーゼルエンジンの排気と潮の匂いが混ざる中、次々と出港していくのは地元漁協が手配した「イカ釣り漁船」だ。 船の輪郭を縁取る巨大な集魚灯が一斉に点灯し、夜の海を暴力的な光で切り裂く。「漁火いさりびシャトル」。冷たい海風に吹かれながら甲板で気炎を上げるサポーターの姿は、さながら出陣する水軍だった。

 

「足元、気をつけろよ!」 漁師の野太い声が響く。観客たちが次々と乗り込んでいくのは、観光用の客船ではない。地元漁協の全面協力によって手配された「イカ釣り漁船」である。 出港の合図とともに、船の輪郭を縁取る巨大な集魚灯が一斉に点灯した。夜の海を暴力的なまでに切り裂く猛烈な光。漁火いさりびシャトル。世界中を見渡しても、イカ釣り漁船でナイトゲームに向かうスタジアムなど存在しない。 波を蹴立てて船が進む。冷たい海風が頬を叩くが、凍える者はいない。前方に浮かぶ人工島「緑の島」が、暗闇の中から威容を現す。 一般車両の乗り入れを完全に拒絶した孤島。

 

陸と海、二つのルートから集結した浅葱色の群集が向かう先。 函館湾に浮かぶ人工島「緑の島」。カーフリーを徹底した孤島の中央に鎮座する最新鋭エコ・スタジアム「スターオーシャン・スタジアム」は、眩いカクテル光線に照らされ、さながら海上にそびえる不沈要塞だった。

 

上陸。ゲートをくぐった瞬間、空気が変わる。 ズシン、ズシン。腹の底を直接叩くような和太鼓の重低音。 スタンドを埋め尽くす浅葱色の波。巨大な「誠」の大漁旗が幾本も打ち振るわれ、風を切る音を立てる。ピッチサイドでは、浅葱色のだんだら羽織を着た白い北海道犬のマスコット「ハクゾー」が、腕を組み、腰の木刀に手を添えながら鋭い眼光でピッチを睨みつけている。 ここは函館。俺たちの砦だ。 アウェイチームにとって、海を渡り、あるいは専用橋を越えねば辿り着けないこの要塞と、異様なまでの統制と熱狂を見せるサポーターの姿は、息が詰まるような圧迫感を与えていた。

 

キックオフの笛が鳴る。 対戦相手はJFL上位の強豪。しかし、ステラマーレに怯む気配はない。 漆黒のスーツとトレンチコートを纏った鬼方陣監督が、ピッチサイドで静かに戦況を見据える。冷徹な指揮官が命ずる法度はただ一つ。「陣形を崩す者は、ピッチに立つ資格なし」。 守備時、ステラマーレの11人は新選組の隊列のごとく一切の隙を見せない。 相手の外国人エースが強引な突破を図る。だが、立ちはだかった背番号3、キャプテンの門倉鉄馬が、鋼鉄の肉体でいとも容易くボールを弾き返す。

 

「上がれ!」 最後尾から、GK近江勇将の雷鳴のような声が飛ぶ。 相手チームは苛立ちを募らせていた。攻めても攻めても、浅葱色の壁に跳ね返される。焦りから中盤でのパスが僅かにズレた。 その0.5秒の隙を、中盤の猟犬は見逃さない。 背番号6、斎間創。無表情のままスペースを埋めていた彼が、相手の死角から猛烈なプレッシングを掛け、無慈悲にボールを刈り取る。自らは持ち上がらない。奪取した直後、最短距離で正確なショートパスを送る。

 

ボールの届け先は、トップ下、背番号10の沖瀬司。 函館の誇るガラスの天才。ボールを受けた瞬間、スタジアムの空気が張り詰める。沖瀬は顔を上げない。見なくとも、そこに「刃」があることを知っている。 沖瀬の右足が振り抜かれた。 日本刀の斬撃のごとく、鋭く、浮き上がるような軌道のロブパスが夜空を切り裂く。

 

相手ディフェンダーたちは、ボールの行方を追って視線を上げた。 その背後。誰の視界にも入らない絶対的な死角へ、音もなく抜け出していた影があった。 生粋のローカルヒーロー。背番号9、響木蒼生。 フィジカルは強くない。単独で局面を打開するテクニックもない。だが、ゴールへの嗅覚だけは、常軌を逸している。 空中で弧を描くボールに対し、響木は躊躇なく跳躍した。 空中で体を捻る。一切の無駄を省いたフォーム。相手DFが気付いて振り返った時には、すでに遅い。

 

――ストライカーに必要なのは才能ではない。ゴールへの本能だ。

 

完璧なタイミング。右足の甲が、ボールの芯を激しく叩く。 ジャンピングダイレクトボレー。 強烈な破裂音。次の瞬間、アウェイチームのゴールネットが激しく揺れていた。

 

一瞬の静寂。直後、スタジアムが爆発した。 地鳴りのような歓声が函館の夜空に轟く。 狂喜するサポーターの目の前で、ハクゾーが愛用の木刀をシャキッと抜刀した。仕込み杖の中から巨大な「誠」の旗が飛び出し、スタジアムのボルテージは限界を突破する。

 

浅葱色の波がうねり、和太鼓の音が心臓の鼓動と同化する。 熱狂の渦の中心で、響木蒼生が天に向かって拳を突き上げた。 海と陸から押し寄せた函館の魂が、緑の島で一つになる。俺たちは止まらない。この北の海を越え、Jの舞台へ。 1997年。ステラマーレ函館の、血沸き肉躍る戦いが幕を開けた。

 

 

 

 

 




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