ゴールポーチャー(ペナルティーエリアの密猟者) 作:シットライヌ
札幌、厚別公園競技場。スタンドを埋め尽くす赤と黒の旗が、うねる波のように揺れていた。
ピッチ上では、ステラマーレ函館の誇る浅葱色の陣形ダンダラが、かつてないほどの蹂躙を受けていた。
「クリアしろ! ラインを上げろ!」
キャプテンの門倉鉄馬が喉を枯らして叫ぶ。中盤の底では、斎間創が泥だらけになりながらスライディングでボールを刈り取っていた。
奪ったボールは、即座にトップ下の沖瀬司へと預けられる。ステラマーレの絶対的な基本戦術「堅守速攻」。沖瀬はルックアップし、前線へと絶妙なスルーパスを放つ。
だが、そこに背番号9はいない。
響木蒼生という絶対的な「刃」を持たない函館のカウンターは、相手守備陣にとって脅威でも何でもなかった。代わりのFWが走るものの、あっさりとボールを回収される。
そして再び、赤と黒の波状攻撃が函館陣内へと押し寄せてくる。攻め手を持たないステラマーレは、永遠に終わらない防衛戦サンドバッグを強いられていた。
「来るぞ! 絞れ!」
門倉の警告と同時に、札幌の波が牙を剥いた。
プログレッソ札幌の攻撃は、函館のような決まった形を持たない。ポジションという概念すら無視した自由な旋回。その中心にいるのは、背番号10の坂崎竜と、左サイドから神出鬼没に顔を出す桂木巧だった。
気分屋でムラが激しいはずの二人の天才は、今日、恐ろしいほどの輝きを放っていた。彼らが自由に躍動できる理由。それは、前線にそびえ立つ巨大な「的」の存在だった。
後方から、前線のFW大郷隆将へ向けてラフなロングボールが蹴り込まれる。
「やらせるか!」
函館の防壁の要、門倉が全身のバネを使って空中で大郷に体をぶつける。しかし、身長190センチに迫る巨躯は空中で微動だにしなかった。
ズンッ、と重い音を立てて着地した大郷は、門倉を背負ったままボールを足元に収める。門倉が渾身の力で押し込んでも、大郷はまるで樹齢百年の大木のようにビクともしない。
(なんてフィジカルだ……それに、こいつは……!)
門倉は背中越しに戦慄していた。大郷からは、自らゴールへ向かおうとするストライカー特有の「エゴ」や「殺気」が全く感じられないのだ。
大郷隆将は、自分で点を取る気など毛頭ない。彼はただ、二人の天才が最も輝くための「起点」となることだけにその規格外の肉体を使っていた。
「巧!」
大郷が、足元に収めたボールを優しく、極めて正確に背後へ落とす(フリック)。
そこに、函館の守備陣の視界の死角から、桂木が滑り込んできた。
「逃がすか!」斎間が猛然とタックルにいく。
しかし、通称『逃げの桂木』の足裏を使った変幻自在のタッチに、斎間の体はあっさりと空を切らされた。複数人に囲まれても、桂木は煙のように包囲網をすり抜けていく。
完全に陣形ダンダラが崩された。
ペナルティエリア手前。桂木からの横パスを受けた坂崎竜が、不敵な笑みを浮かべてボールを止める。
函館の守備陣が必死にブロックに入るが、坂崎は一切の力みなく、最も意表を突くタイミングで右足を振り抜いた。
ふわりと浮き上がったボールは、懸命に腕を伸ばすGK近江の頭上を越え、美しい放物線を描いてゴールネットに吸い込まれた。
「……ッ!」
スタジアムが、赤と黒の歓喜に爆発した。
膝から崩れ落ちる門倉。天を仰ぐ沖瀬。
どんなに強固な盾を築こうと、相手を仕留める「矛」がなければ、いずれ必ず崩壊する。自由で革新的な札幌のポゼッションの前に、極限まで統率された函館の規律は完全に窒息させられていた。
やがて、冷酷なタイムアップのホイッスルが鳴り響く。
スコアボードに刻まれた「2-0」の文字。
Jリーグ昇格の行方を左右する大一番での、完膚なきまでの敗北。
ピッチに倒れ込むステラマーレの選手たちは、響木蒼生という存在の大きさと、絶対的なエースがいない自分たちの「限界」という残酷な現実を、骨の髄まで思い知らされていた。