ゴールポーチャー(ペナルティーエリアの密猟者) 作:シットライヌ
深夜の緑の島。潮騒だけが響く真っ暗なピッチの傍らで、キャプテンの門倉鉄馬は一人、冷たい芝の感触をスパイクの裏で確かめていた。
札幌での完敗から数時間。函館へ戻るバスの中は、通夜のような静けさだった。巨大な大郷にボールを収められ、桂木に翻弄され、坂崎に致命傷を撃ち抜かれた。響木という最大の矛を失ったステラマーレは、ただの「的」に過ぎなかった。
「……こんな時間に、芝の痛みのチェックですか」
背後から声がした。振り返ると、守備の要であるボランチの斎間創と、GKの近江勇将が立っていた。二人とも、ジャージ姿のまま微かに目を腫らしている。悔しさで一睡もできなかったのは、門倉だけではなかった。
「大郷の重さが、まだ背中に残っててな」
門倉が自嘲気味に笑うと、斎間がギリッと奥歯を噛み鳴らした。
「俺もです。あの桂木とかいう奴のステップ……いくら網を張っても、すり抜けられた。ウチの陣形ダンダラが、あんなにあっさりと……」
「矛がない盾は、いつか必ず砕かれる」
近江が暗い海を見つめながら、低い声で言った。
「どんなに俺たちが弾き返しても、前線で点が取れなければ、相手はリスクを恐れずに何度でも波状攻撃を仕掛けてくる。今日のように」
沈黙が落ちた。
響木がA代表から戻るまで、まだ数試合の空白がある。このまま敗戦を重ねれば、間違いなくJリーグ昇格の枠から転げ落ちる。だが、今の前線に強豪から複数得点を奪う力はない。それが、札幌戦で突きつけられた残酷な現実だった。
「……なら、勝たなくていい」
不意に、門倉が顔を上げた。その目には、札幌での絶望を焼き尽くすような、どす黒い炎が宿っていた。
斎間と近江が息を呑む。
「ウチの法度は『堅守速攻』だ。だが、速攻の刃がないなら、堅守だけで生き残るしかない。前線が点を取れないなら、俺たちが相手の得点をゼロに抑え込み続ける。90分間、ひたすら泥水をすすって、這いつくばってでも無失点で終わらせる」
「0対0の引き分け狙い……ですか」斎間がハッとして門倉を見る。
「そうだ。勝利の勝ち点3が取れないなら、引き分けの勝ち点1を意地でも毟り取る。華麗なパスワークも、劇的なゴールもいらない。相手が絶望するまで、ひたすら守って、守って、守り抜く」
門倉は二人の前に歩み寄り、その分厚い両手を差し出した。
「響木が日の丸を背負って戦っている間、俺たちはこのクラブの命綱を繋ぐ。どんな無様な試合でもいい。ブーイングを浴びても構わない。あいつが帰ってくるその日まで、絶対に失点しない。絶対に、負けない」
近江が、フッと口角を上げた。
「面白い。ゴールキーパーにとって、毎試合『ゼロで抑えろ』という命令ほど痺れるタスクはない」
近江の大きな手が、門倉の手に重なる。
「猟犬の仕事は、相手の自由を噛み殺すことです。泥臭い仕事なら、ウチの守備陣の右に出る者はいませんよ」
斎間も迷いなく、自らの手を重ねた。
真っ暗なスタジアムで、ステラマーレの防壁を担う三人の男たちが誓いを立てた。
それは、華やかなストライカーの陰で体を張り続ける彼らが見出した、狂気にも似た覚悟だった。
「勝てなくてもいい。だが、絶対に負けない」
新選組の精神を宿す浅葱色の盾は、札幌での敗北という葛藤を乗り越え、いまだかつてないほど強固で、悲壮な意志を持った「絶対防壁」へと進化を遂げようとしていた。