ゴールポーチャー(ペナルティーエリアの密猟者) 作:シットライヌ
ピッチレベルから見上げるスターオーシャン・スタジアムは、肌を刺すような冷たい海風が吹き抜けていた。だが、寒さは微塵も感じない。
スタジアムを揺らす和太鼓の重低音。スタンドを波打つ浅葱色。
俺、響木蒼生はベンチコートの襟を立て、静かにピッチを凝視していた。
「……一方的だな」
隣に座る背番号10、沖瀬司が静かに息を吐く。
前半30分。JFL上位の強豪である相手チームにボールを支配され、ステラマーレは自陣に釘付けにされていた。だが、俺たちに焦りはない。
「問題ない。全部、監督の思惑通りだ」
ピッチでは、キャプテンの門倉さんが相手の屈強な外国人エースをフィジカルで完全に封殺している。その後方では、GKの近江さんが的確なコーチングで陣形の綻びを未然に防いでいた。
そして中盤。ボランチの斎間さんが、感情を完全に消した猟犬のように、相手のパスコースを執拗に潰し続けている。
ステラマーレの守備は「耐え」ではない。「罠」だ。
俺はベンチに座りながらも、ゴールへの匂いを嗅ぎ取っていた。相手のセンターバックの視線、呼吸、疲労。どこに死角が生まれるか。俺に守備のタスクはない。俺の仕事はただ一つ、一撃で相手の息の根を止めることだ。
スコアレスのまま迎えたハーフタイム。
ロッカールームの空気は冷徹に澄み切っていた。
漆黒のスーツを着た鬼方監督が、戦術ボードを一瞥し、俺と沖瀬に視線を向ける。
「罠は十分に機能した。相手の足は止まり始めている」
監督の目が、鋭く光る。
「響木、沖瀬。出番だ。陣形を崩した愚か者たちの首を獲ってこい」
ベンチコートを脱ぐ。背番号9。
ピッチへ向かう通路で、門倉さんが俺の背中を力強く叩いた。
「守りは俺たちに任せろ。お前はただ、前だけを向いていればいい」
「わかってます。ワンタッチで終わらせます」
後半キックオフ。
俺と沖瀬がピッチに立った瞬間、スタジアムの歓声が一段と跳ね上がった。
試合は、開始早々に動いた。
攻めあぐねた相手が、不用意な縦パスを入れる。その0.5秒の隙を、斎間さんが見逃すはずがなかった。猛烈なプレス。無慈悲なボール奪取。奪った直後、ボールは最短距離で沖瀬の足元へ。
俺はもう、トップスピードで走り出していた。沖瀬を見る必要すらない。
相手DFの視線がボールに集まる。その絶対的な死角、背後へと抜け出す。
沖瀬の右足から放たれたボールが、日本刀の斬撃のように夜空を切り裂き、俺が跳躍する空間へ寸分違わず飛んでくる。
空中で体を捻る。一切の無駄を省いたフォーム。
――ストライカーに必要なのは才能ではない。ゴールへの本能だ。
ジャンピングダイレクトボレー。
右足の甲が完璧にボールの芯を捉え、凄まじい破裂音と共にゴールネットが突き破られるように揺れた。
1対0。先制。
地鳴りのような歓声の中、俺は無造作に天へ拳を突き上げた。だが、まだ足りない。
先制された相手はパニックに陥り、前がかりになった。
後半25分。相手の中距離シュートを、近江さんが微動だにせず両手で収める。
「走れ!!」
近江さんの強肩から、ハーフウェイラインを越える低弾道のスローイングが放たれた。
ボールを受けた沖瀬が、ワンタッチで相手の最終ラインの裏へグラウンダーのスルーパスを通す。
抜け出した俺と相手GKの1対1。
足元の高度なテクニックなどいらない。スピードを落とさず、流れてきたボールをダイレクトでゴール隅へ流し込むだけだ。
2対0。追加点。
そして、後半40分。
相手DFは完全に俺を警戒し、ペナルティエリア内で2人がかりでマークについていた。
沖瀬のスタミナは限界に近く、肩で息をしている。それでも、その目は死んでいない。
右サイドのスペースでボールを持った沖瀬が、フワリとした浮き球のクロスを上げた。
精度を欠いたように見えたそのボールは、相手DFと飛び出してきたGKの間の、どっちつかずのスペースに落ちる。
「クリアだ!」
相手DFが叫ぶ。だが、その交錯する僅かな空間に、俺は躊躇なく頭から飛び込んでいた。
泥臭くてもいい。這いつくばってでも、1ミリでも早くボールに触れれば俺の勝ちだ。
相手のスパイクが顔をかすめる中、俺の額が泥まみれになりながらボールを捉える。
無人のゴールへ、ボールがゆっくりと転がっていく。
3対0。ハットトリック。
3つのゴール、そのすべてが沖瀬からの完璧なアシストだった。
長い笛が鳴る。試合終了。
ピッチの芝に倒れ込んだ沖瀬に手を貸して引き起こす。
「ステラマーレ」のチャントが、緑の島を震わせている。
ピッチサイドでは、マスコットのハクゾーが仕込み杖から巨大な「誠」の旗を飛び出させ、狂喜するサポーターを煽っていた。
俺は一人では何もできない。単独で突破する力もない。
だが、この冷徹で完璧な陣形と、あのパスがある限り、俺はどこまでもゴールを奪い続けられる。
熱狂の渦の中で、俺は静かに、次なるゴールへの渇望を滾らせていた。