ゴールポーチャー(ペナルティーエリアの密猟者) 作:シットライヌ
緑の島のクラブハウス。GM室のデスクには、地元紙のスポーツ面が無造作に広げられていた。見出しには『ステラマーレ沈黙。大砲不在の代償』と太字で打たれている。
GMの榎武臣は、受話器を置き、深く息を吐いた。地元スポンサーや市議会からの、遠回しな戦術批判と補強の要求。開幕ダッシュの熱狂が冷めやり、勝てないチームへの風当たりは日を追うごとに強くなっていた。
隣接するミーティングルームでは、冷ややかな空気が張り詰めていた。
「響木不在の過去3試合、ペナルティエリア内への侵入回数およびシュート数は劇的に低下しています」
ヘッドコーチの鳳圭介が、ホワイトボードに投影されたスタッツを指し示し、銀縁眼鏡を中指で押し上げた。
「沖瀬のラストパスに対し、現在の前線の選手が反応できる確率はわずか12%。響木の88%と比較すれば、戦術の機能不全はデータとして明白です。現状のシステムを維持したままでは、点は取れません」
腕を組み、壁際で戦況図を睨んでいた鬼方陣監督が、重い口を開いた。
「結論を言え、鳳」
「フォーメーションの変更を提案します」
鳳は一切の感情を交えず、合理的な解を提示した。
「中盤の底にいる斎間のポジションを一つ上げ、トップ下の沖瀬と並べて攻撃の枚数を増やす。あるいは、最終ラインの門倉をスクランブルで前線に上げるオプションを組み込むべきです。守備の枚数を減らしてでもリスクを冒さなければ、得点は生まれません」
「却下だ」
鬼方の声は、凍てつくように冷たかった。
「陣形ダンダラを崩す。それは俺の法度に反する」
「精神論です、監督。科学とデータは、明確に変化を求めている。現状維持は緩やかな自殺です」
「響木がいないからといって戦い方を変えれば、奴が戻ってきた時、元のメカニズムが機能しなくなる」
鬼方が鋭い眼光で鳳を射抜く。
「俺たちが構築しているのは、その場しのぎの勝利ではない。Jリーグで、そして世界で戦うための確固たる『型』だ。一人欠けた程度で崩す陣形なら、最初から造る意味がない」
「しかし、このまま勝ち点を取りこぼし続ければ、昇格の可能性そのものが絶たれます」
鳳が食い下がろうとしたその時、部屋の扉が開いた。
「鬼方の言う通りだ」
入ってきた榎は、仕立ての良いスーツのポケットに両手を突っ込み、悠然と笑みを浮かべていた。
「嵐が来たからといって、羅針盤を捨てる航海士はいない。我々の目的地は、来季のJリーグ参入だ。目先の勝ち点のためにクラブの哲学を捻じ曲げれば、いずれ必ず座礁する」
「榎GM。しかし、外部からのプレッシャーは限界に達しつつあります」
鳳の懸念に対し、榎は鋭い眼光を光らせた。
「外部の雑音は俺の管轄だ。俺はステラマーレを、函館を世界に繋ぐための船として造った。スポンサーの不満も、メディアの批判も、サポーターの焦燥も、フロントのトップである俺がすべて防波堤になって引き受ける」
榎は鬼方の肩に手を置いた。
「鬼方、お前は一切の妥協なく、己の哲学をピッチに刻み込め。鳳、お前はその鬼方の鉄壁を、データと科学で極限まで補強し続けろ。俺がクラブの帆を張る。お前たちは、現場(舵取り)にだけ集中しろ」
国際舞台で修羅場を潜り抜けてきた男の覚悟。その言葉に、鳳は小さく息を吐き、ホワイトボードのフォーメーション図を元の「堅守速攻」の形に戻した。
「……理解しました。現行のシステムを維持したまま、守備陣のカバーリング精度をさらに1.5%向上させるタスクを構築します。失点確率を限りなくゼロに近づける以外に、勝ち点を拾う術はありませんから」
「頼む」鬼方が短く応じる。
指揮官たちはブレない。どれほど点が取れなくとも、どれほど批判を浴びようとも、新選組の魂を宿した浅葱色の陣形だけは決して崩さない。
首脳陣の覚悟は定まった。