ゴールポーチャー(ペナルティーエリアの密猟者) 作:シットライヌ
函館に、凱旋の鐘が鳴り響いていた。
夏の海風が吹き抜ける緑の島、「スターオーシャン・スタジアム」。スタンドはこれまで見たこともないような熱狂に包まれていた。いつもの浅葱色の「誠」の旗に交じり、「祝・世界一」「ワールドユース得点王」という真新しい横断幕が潮風にはためいている。 ピッチの中央には、マレーシアの熱帯夜を制し、世界の頂点から帰還した背番号9の姿があった。響木蒼生。顔つきは以前より精悍さを増し、その全身からは隠しきれないプレデター(捕食者)のオーラが漂っている。
JFL第16節。対戦相手は、響木不在の間にステラマーレが陥っていた「勝ちきれない泥沼」を嘲笑うかのように、序盤から露骨な前線からのプレスを仕掛けてきた。 「ストライカーが一人生還したところで、チーム全体の機能不全がすぐに治るわけがない」。相手の指揮官のそんな意図が透けて見えた。 しかし、彼らは理解していなかった。ステラマーレの「堅守速攻」という陣形ダンダラが、いかに響木という絶対的な刃に依存し、極限まで最適化された狂気のメカニズムであるかを。
前半20分。自陣深くで相手のパスが回る。 だが、キャプテンの門倉鉄馬は微動だにしない。響木がいない間の「絶対に失点できない」という重圧から解放された門倉の統率力は、以前にも増して強固な防壁を築いていた。 「そこだ、刈れ!」GK近江勇将の咆哮が飛ぶ。 相手ボランチが前を向いた瞬間、死角から猟犬・斎間創が襲い掛かった。骨がきしむような激しいスライディングでボールを強奪する。奪取から0.5秒。ボールは、トップ下の沖瀬司の足元へ。
沖瀬がルックアップした瞬間、スタジアムの空気が凍りついた。 相手DFラインは即座に下がりながら、背番号9の姿を探した。だが、遅かった。 響木は、世界最高峰の舞台で同世代の天才たちと共鳴し、ストライカーとしての「嗅覚」を別次元へと昇華させていたのだ。
かつての響木は、ただ相手の死角に潜み、パスを待つだけの「待ちの刃」だった。しかし今の彼は違う。ワールドユースでともに戦った『オフザボールの天才』の動きを、その身に完全に吸収していた。 わざと相手センターバックの視界に入るように斜めのスプリントを仕掛け、ディフェンスラインの意識を強引に右へ引っ張る。相手DFが「捕まえた」と安堵したその刹那、響木は急激に反転し、逆方向の完全なブラインドサイドへと姿を消した。 自ら死角を創り出す、悪魔的なデコイラン。 ペナルティエリアの中央に、ぽっかりと致命的な「空白」が生まれた。
沖瀬の右足から放たれた完璧なロブパスが、その空白へと吸い込まれていく。 「嘘だろ……」相手DFが絶望の声を漏らす。 落下点には、すでに響木が舞っていた。トラップという選択肢は最初からない。マレーシアの夜に幾度となく見せた、ゴールへの純粋な本能。 空中で体を鋭く捻り、右足の甲でボールの芯を完璧に打ち抜くジャンピング・ボレー。 凄まじい破裂音がスタジアムに響き、ボールは相手GKが一歩も動けないまま、ゴールネットの天井に突き刺さった。
スタジアムが爆発した。 地鳴りのような和太鼓が打ち鳴らされ、ピッチサイドではマスコットのハクゾーが、仕込み杖から抜身の刃(安全な模造刀)を天高く突き上げた。巨大な「誠」の旗がうねりを上げ、函館の空を浅葱色に染め上げる。
響木はコーナーフラッグに駆け寄り、スタンドに向かって両手を広げた。その顔には、世界の頂点を知る者特有の、揺るぎない自信と凄みが刻まれていた。 「おかえり、ウチの理不尽」 駆け寄ってきた沖瀬が、珍しく笑みを浮かべて響木の背中を叩く。門倉も、斎間も、満面の笑みでエースの帰還を祝福した。
歯車が、再び完璧に噛み合った。 「堅守」という鉄壁の盾と、「速攻」という一撃必殺の刃。 圧倒的なフィニッシャーの帰還により、機能不全に陥っていたステラマーレの戦術は完全に息を吹き返した。終わってみれば、響木のハットトリックを含む3-0の圧勝。 世界一の称号と得点王の自信を提げて帰還したローカルヒーローは、JFLの屈強なDFたちをまるで児戯のように手玉に取り、ゴールを量産し始めた。
再び始まった、怒涛の連勝街道。 函館の街は、最強の矛を取り戻した浅葱色の船の快進撃に沸き返っていた。このまま一気にJリーグ昇格圏内へと駆け上がる。誰もがそう信じて疑わなかった。
――日本のサッカー界全体を揺るがす、あの「緊急事態」が起きるまでは。