男女比1:1000の世界に生きる希少男子が、専属メイドに出会って人生を謳歌する話 作:木刀
部屋の前で、小さく深呼吸をする。
「失礼いたします」
ノックして、ドアを開く。
足音を立てぬように進みカーテンを開け、ベッドへ近付く。
「おはようございます、
「……おはよう、ございます……
いまだ眠そうな目を薄く開けて、圭人様は私を見上げた。
会ったばかりの他人への視線。
乱れる鼓動を必死に抑えつつ、言葉を続ける。
「朝食の準備が間もなく整いますので、先にシャワーをどうぞ」
「はい……ありがとうございます」
圭人様はお礼を言って、ゆっくりとベッドから這い出した。
眠気からか、ふらふらとした足取りで歩く。
一瞬、その身体を支えようとして……慌てて手を引っ込める。
「………ッ…」
私は唇を噛み締め、圭人様が寝室から出ていくのを見守るしか無かった。
◇
「ようこそ、小見山隊長。かつての部下として歓迎いたします」
「久しぶりですね。しかし、私はもう隊長ではありませんよ」
聞けば小見山さんは現在、軍での階級は持たないらしいが、彼女たちは訓練時代の部下たちらしい。慣れた様子でそれらに応じる彼女の姿は、それがあそこで泣き崩れていた子と同一人物なのかと思うほどだった。
それだけ、彼女にとって圭人少年が大事だということなのだろう。
「こちらの部屋になります」
案内されたのは、周囲の壁に真っ白に塗られた広めの部屋だった。中央に頑丈そうな椅子があり、手前側にはどこにでもあるような椅子と机のセットが置かれていた。それを見て、就職の面接会場を思い浮かべる。
「ここは電波を遮断するよう作られています。通信等はできませんので、ご了承ください」
「ああ、ボイスレコーダーは使っても構わないですかね」
私がそう尋ねると、その隊員はにこやかに応じる。
「はい。斉藤大臣からも伺っておりますので、大丈夫です。これから24時間、ここで何があっても外に漏れることもありませんから。全てご自由にどうぞ」
「え、いや、そこまでは言ってないんですが……」
私にはもちろん、そんな物騒な真似をする気は無かった。
その隊員が出て行ってドアが閉められると、やがて反対のドアから腰に縄を付けられた赤毛の獣人が連れられてきた。囚人服というより病院着のような服をきせられ、実際、怪我をしているらしい右腕を三角巾で吊っていた。
左眼には医療用の眼帯がされており、残された右眼が小見山さんの姿を捉えると、一瞬怯えたような様子を見せた。……ああ、もしかしてあの怪我、彼女がやったのかな。
広い部屋の中央にある椅子に座らされ、腰紐を椅子に結え付けられる。よく見ると、その椅子は床に溶接されており、けして動かないようにされていた。彼女を連れて来た隊員も、そのまま何も言わずに出て行ってしまう。
「こんにちは、アンナ様」
「小見山楓…ッ…な、何しに来たのよ…ッ…!?」
「5年前と先日と、二度も命を救った相手に対して、少し失礼なのではありませんか?」
口調は穏やかだが、これは怒っているな、と気付く。たしかに彼女は圭人少年に対して隠し事をしていたが、それだけで記憶を失うほどのストレスを感じるとは思えない。
圭人少年への聞き取りの中で、獣人への偏見や差別意識は見られなかったからだ。むしろ、獣耳や尻尾を持つことに対する憧れすら感じさせた。
おそらくヒントは、この者たちとのやり取りの中にあるだろう。しかし、警戒された状態ではそれも聞き出せなくなる。
「小見山さん、ここは私がやりますから……一旦部屋から出て貰って良いですかね」
「…ッ…すみません、出過ぎた真似をいたしました。それでは、部屋の外で待っております」
小見山さんは、どうにか己を律して部屋を出て行った。うん、あの若さであれだけ感情をコントロールできるのは素晴らしいな、と考える。
小見山さんの代わりだろうか、先ほどの隊員が部屋の中へ入ってくると、入り口の前で直立不動の体勢に入った。
私に対して下手に出る小見山さんを見て何かを感じ取ったのか、かつて獣人解放同盟でゼロツーと呼ばれる幹部だった女性は、警戒するような表情を見せた。
「アンタ、何者なの?」
「はじめまして。私は医師の
「……好きにしたら良いわ」
私は口調を砕けたものへ変え、アンナの対面にある椅子に座って、目の前の机にボイスレコーダーを置いた。
「なに、ちょっとだけ話が聞きたくてね。ああ、今から会話を録音するけれど、これを彼の治療以外に用いるつもりは無いから、安心して欲しい」
「治療? あの坊やが怪我でも……いえ、ここでの会話を録音するってことは、もしかしてPTSDの類かしら」
「うん、話が早いね。詳細は言えないんだが、今、圭人くんはなかなか大変でね。ちょっと力を貸して欲しいんだ」
私が心底困っているように懇願すると、アンナは目に見えて警戒を緩めた。それを見て、彼女には自分が圭人少年へ何かしでかしたという加害意識は低いな、と察する。
「だから小見山楓はピリピリしていたのね……。良いわ、たしかにあの女には、隊員たちの命を救われた。腹立たしいけど、それは事実。坊やにだって、悪いことをしたしね。私が話せることなら、なんでも聴いてちょうだい」
「ありがとう、助かるよ」
◇
数日後。
「楓……お前、大丈夫なのかよ」
後輩の憔悴ぶりを見かねた
「……なにが、ですか?」
「いや、何がってそりゃ……分かるだろう、自分でも」
言い淀む遼子に対して、横から
「遼子ちゃん、楓さん本人が決めたんだから、余計なこと言わないの。はい楓さん、紅茶をどうぞ。少し落ち着くよ」
「……すみません、ありがとうございます」
都内に用意された臨時の物件は、以前住んでいたマンションに近い間取りになっていた。そのリビングに、楓と遼子、そして美涼がいた。
看護師である彼女は、警護チームの一員として働き出していた。
ちょうど、圭人の様子を近くで見守る医療従事者が欲しかったこともあったが、これは同時に、情報漏洩のリスクや、遼子のパートナーという立場から彼女が狙われる可能性を排除するための措置でもあった。
そんな彼女は今や、楓のメンタルケアにも一役買っている状態だ。正直、自分一人じゃどうしたら良いか分からなかったな、と遼子は思う。
「しかし一向に記憶が戻る気配がねぇな。普通、こんなにかかるもんなのか?」
圭人が記憶を失ってから、およそ一週間が経とうとしていた。
かつて遼子が夫婦のようだとからかおうとした二人が、同じ屋根の下でこうして他人行儀に暮らしている。そして楓は、圭人によそよそしい態度を取られるたびに精神を削られていた。
「丸山医師の話だと、おおよその原因は分かったらしいんだけどね……やっぱり急性的な回復のキッカケを掴むのは難しいんだって。だから、生活の中で自然に思い出していくのが一番らしいんだけど……」
丸山とは、圭人に解離性健忘の診断を下した主治医の名前だった。数日前に、陸自の収容施設で犯人たちから聞き取りを行っている。
やはり覚えていないのはあの二日間のことと、小見山楓のことだけ。特に彼女のことを思い出すのであれば、やはりまずはそれまで通りの生活を送るべきだというのが、丸山医師の見解だった。
「それにしても長いよなぁ……前回の精子提供もドクターストップだろ?」
「し、仕方ないよ。これ以上トラウマになったら大変だもの」
「そりゃそうだが……いっそ忘れたのがオレのことだったら良かったんだがなァ……」
圭人は、遼子に対しては今まで通りに接してくる。そのせいで、楓との差が浮き彫りになってしまう。今は遼子も怪我人のため顔を合わせる機会も少ないが、復帰すれば圭人とは毎日のように顔を合わせることになる。
今の楓がそれを見て精神状態を保てるのか、遼子には不安でしかなかった。
「案外、坊主の頭を一発ぶん殴ったら、思い出すんじゃねぇか?」
「こら遼子ちゃん、短絡すぎ。言って良いことと悪いことがあるでしょ」
「冗談、冗談だって」
圭人は現在、周防一家の三人と共に街へ買い物に出掛けている。
このまま夏休みが明ければ、圭人の名前が福祉貢献ランキングで世界に知られることになる。警護付きであっても、自由に出掛けられるのは今だけという配慮だった。
本来なら専属メイドである楓も同行すべきなのだが、特に妹の
更に言うなら、周防家には自称農家の猛者も一人存在していた。そういう意味では心配はいらないはずなのだが……。
「ああ……圭人様……」
リビングで椅子に座ったまま俯く楓の姿に、遼子と美涼は心配そうに顔を見合わせた。