男女比1:1000の世界に生きる希少男子が、専属メイドに出会って人生を謳歌する話 作:木刀
「主治医として、
「しかし、獣人解放同盟の手から救い出したのに精子提供が行われないのでは、他国に対して説明がつかん。せめて治療にいつまでかかるのか、分からんものなのか」
PC画面越しの映像通話。コーヒーが入ったマグカップを手にする丸山には、結城が爪でデスクを叩いている音が鮮明に聞こえた。それは彼女がストレスを感じている証拠だった。
「分かりませんよ。そもそも、それをどうにか説明するのが貴女たち政治家の仕事でしょう。私も、医師としての仕事をしているだけです」
「うぅむ……忙しさにかまけている間に、面倒なことになったな」
丸山医師は男性専門医としてあらゆる医療分野に精通する人物で、福祉貢献制度を扱う結城大臣とも関わりが深かった。政界で恐れられる結城に対しても、歯に衣着せぬ言葉を投げつける。
「精子提供再開に向けて最も大切なのは、圭人くんが小見山さんを思い出すことです」
「……小見山楓を? それが必要なのか?」
「今の彼女は、本人が思っている以上にギリギリの状態です。ただでさえ専属メイドの仕事を思うようにこなせない中、精子提供も上手くいかず、その役目を他人に取られることになったなら、どうなるか……おそらく、悲嘆に暮れるだけでは済まないでしょう」
それはあり得るかもしれん、と結城も思う。
周防圭人を助けるために、あれだけのことをしてみせたのだ。無いとは思うが、万が一にも彼女が暴走するようなことがあれば、その被害は凄まじいものになるだろう。
「しかし専属メイドのために、精子提供を中止するというのか? それではあべこべだろう」
もちろん、陣営を同じくする者として同情はするが、最も重要な仕事をこなせないのでは意味がないとも考える。
「大臣。今の段階で考えられる中で、最悪の事態は何だと思います? それは、小見山さんの心が取り返しのつかないほど壊れてしまった後で、圭人くんが記憶を取り戻すことなんですよ」
丸山は強く断言してみせる。結城は、それを黙って聴いていた。
「賭けたって良いですが……そうなれば必ず圭人くんは後悔の念に押し潰されて、十中八九、精子提供どころでは無くなります。心因性の射精障害が引き起こされる可能性も十分あり得ます」
本人だけでなく、家族や親しい者たちから伝え聞く彼の印象は、なによりも優しいというものだ。しかし、それは本人も繊細で傷付きやすいことの裏返しでもある。
「そもそも私は、彼の解離性健忘の原因が、小見山さんの死を想起してしまったことだと考えているのですよ」
「どういうことだ?」
「獣人解放同盟で彼との交渉役だった女性によると……彼はマンションの爆発以降、小見山さんの安否をずっと気にしていたのです。更に、獣人の寿命や不妊について触れる彼女たちの声明文の内容と、小見山さんが獣人だということを、同じタイミングで知ってしまった」
小見山楓が、メイド服を上手く利用して獣人であることを隠していたことは、結城も知っていた。しかし、それ自体はけして珍しいことではない。
獣人に対して忌避感を持つ者たちへの配慮や、差別を避けるための手段として、衣服でその特徴を隠す者、隠さざるを得ないという者は多い。ちょうど、彼女の秘書のように。
「そして圭人くんは、そうした獣人たちの事情について、何も知らなかった」
「……何も?」
結城の知らない情報だった。内容そのものは報告するようなものでは無いが、しかし偶然に発生する状況とも思えない。
「ええ、何も。小見山さんが、獣人に関係する情報を敢えて遮断していたのです」
「何故だ、子供の頃に知ることも無かったのか?」
「彼が自分からテレビを観ない子だったのもあるようですが……地方のローカル局では、周りに存在しない獣人について話題にすることも少なかったようですね。もし好意的、同情的に扱えば、反獣人派からクレームが殺到しますから」
結城は心の中で毒づく。それは政府にとっても頭の痛い問題だった。クレームの中に活動家たちからのものが混じっていたとしても、当事者にはそれを判別する手立てがない。
そしてヤツらは、都合よく人権を盾にする狡猾さをも持ち合わせていた。だからこそ、その急先鋒である反獣人戦線は彼女に利用され、壊滅したのだろう。
「授業で習うのも高校からですしね……その辺りは、大臣の方がお詳しいのでは?」
「……そうだったな」
国際条約で決まったこととはいえ、それらの繊細すぎる情報は獣人への偏見や差別を助長しかねないものだとして、扱いには慎重さが求められた。
かつては小中学の教師が暴走して獣人への差別意識を植え込もうとする事例もあり、本人たちに分別のつく16歳頃、つまり第一成人となる高校一年生までは、学校で獣人についての詳細を教えることが禁止されていた。
「15歳の少年が、武装集団に拉致監禁された挙句、心身共に最も近くにいた者の死と寿命について、立て続けに突き付けられたのです。その衝撃とストレスは、計り知れないものだったでしょう」
「それが
「大臣、それは……もう、お解りなのでしょう?」
たしかに結城は、おそらく丸山すら知らないことで、そのことについての回答を既に得ていた。つまり、あれもこれも全てはそういうことだったのだと、今更ながらに思い至る。
かつて、自分でも秘書に対して言っていたではないか。
「結局、女なんてものは……か。仕方あるまい、私は自分の勤めを果たすこととしよう。もちろんタイムリミットはあるが、それまではせいぜい防波堤になってやる。……近いうち、この状況を上手く利用できそうな場もあるしな」
「ありがとうございます。それにここまで言いながら何ですが、大臣……私は、その日がそう遠くないと考えているんですよ。あくまで、私見ですがね」
虚を突かれたような顔を見せる結城加代子へ対して、丸山医師は画面越しに微笑んだ。彼女の答えと表情に満足して、一方的に通話を切る。
圭人のように先祖返りをする男性が現れるのは、国内でも10年に一人。
一方、丸山が男性専門医となってからは30年以上が経っている。その間に現れた彼らのようなイレギュラーの全てを、彼女は診てきた。
小見山楓から、圭人少年との思い出を全て詳細に聴いていた彼女は、この後起きることにほとんど確信を持っていた。
経験上、それは男性にとって最も心に残る現象のひとつであり、容易に忘れられるものではない。特に、その時が初めてとなれば尚更だ。
多くの話を聴いた中で彼が最も安心したのは、訳も分からないまま全てを受け止めて貰えた、その時だっただろう。日常生活におけるキッカケとして、これ以上のものは無い。
無理を言って精子提供を禁じたことの、隠された意味がそこにはあった。まさか、正直なところを大臣に伝えるわけにもいかない。
結局、小見山楓は、過去の自分の行いに救われることになる。
「……あとは、二人次第でしょうね」
丸山は、冷めたコーヒーをようやく口にして、目を細めた。