男女比1:1000の世界に生きる希少男子が、専属メイドに出会って人生を謳歌する話 作:木刀
前回の精子提供から二週間が経とうとしていた。
彼の専属メイドを務める者としてあってはならないことなのだが……私は正直、これに少しホッとしていた。
以前は一年以上の関係構築があってから精子提供の補助をするようになっていたが、今の関係でそこまで踏み込むと、圭人様に嫌われてしまうのではないかという大きな恐怖があったのだ。
つい先月までは、圭人様に毎日の添い寝まで許されて浮かれていたというのに……それはもう、遥か遠い昔のことのように思える。
夏休みに入っていることもあり、圭人様は早起きをする必要も無いのだが、丸山医師からは、いつも通りの生活を再現し続けるようにという指示があった。
今住んでる仮のマンションには寝室のカメラが無いため、映像でのチェックはできない。私は起床後に、新しく運び入れた高機能ベッドから送られてくる圭人様のバイタルデータだけを確認し、自室で軽い運動をしてシャワーを浴び、メイド服を着て、朝食の準備をする。
◇
私は、産まれてからおよそ17年間、周防圭人様に出会うまでの間、生きていることに幸せを見出せていなかった。
私たち獣人は、その生涯を戦いのため、危険な職務のために使われることが決まっており、自身の命を永らえさせるためには、貢献ポイントを稼ぎ、政府などの雇い主へ媚び続けなければならない。
獣人は、本人たちが望んだわけでもなく、ただ強く美しく産まれたというだけで普通の人間たちには疎まれ続ける。
そのせいで素性を隠す者がほとんどな上、寿命の延長を続けるため、普通の人間たちのように、地方へ転職して穏やかに生活する、なんてこともできない。圭人様が、地元で獣人を見たことが無いと言うのも、当然のことだった。
腹の中にあるお飾りの子宮はそのままでは使い物にならず、自分だけの意思で子を成すことも許されない。働いて、働いて、国家への忠誠を示し続け、大量の貢献ポイントと引き換えに、初めて妊娠機能を取り戻すための処置を行うか検討される。
それは、世界全体で言えば3%ほどの獣人にしか許されていない特権だ。大抵は、寿命の延長だけで貢献ポイントを使い切ってしまう。最初の獣人たちに許されていたことが、その存在を妬み、嫉み、恐怖した者たちの決めた条約発効と共に許されなくなっていた。
それからおよそ35年。寿命を迎えて死亡した獣人の人数も、既に数万人という規模になっている。戦場で死亡した者を含めずに、その数になるのだ。公表はされていないが、昨年は戦死した者の数を、ついに逆転している。
今生きている獣人たちは、死の恐怖に怯えながら延々と走り続ける長距離ランナーのようなものだった。次の給水所まで辿り着けない者、一定のタイムから遅れてしまった者は、呆気なく脱落させられる。それを、いつか死ぬまで続けるのだ。
こんな状況で、私は神を信じたことも無かったが、ただ圭人様と出会えたことだけは、運命に感謝してもし足りないと思っていた。
しかし、今となってはその想いの強さが、自身を苛む呪いと化している。
最初の精子提供から一年と13日。
既にこの世界には圭人様の子供たちが数多く産まれている。
一方、私は圭人様と子を成す機能すら持たぬまま。それどころか、更には存在そのものまで忘れ去られてしまった。ああ、なんという残酷な仕打ちか。
折角、あと少しで願いが叶ったかもしれないというのに……。
圭人様はもちろん、私なんかのことを忘れてしまっても、相変わらずお優しかった。しかし今の優しさは、やはり以前とは違って「他人への優しさ」なのだ。
現在、都内に逗留しているご一家と過ごす圭人様の様子を遠くから見ているだけで、そのことがまざまざと突き付けられる。その楽しそうな顔は、今の私の前では見せていただけない。
そして、ご家族と別れた圭人様は、記憶を取り戻すためだけに仮の住居へ戻られて、私と過ごす。その他人行儀な姿と、彼を家族から引き離しているという罪悪感に、私はますます心を蝕まれていく。
心を通わせることなく、ただ職務としてだけ彼に仕えることが、こんなに苦しくなるだなんて……この二年と四ヶ月で、私はなんて弱くなってしまったのか。
もちろん、最初から関係を構築し直すことは可能だろう。
しかしそれは、かつての夢のような生活と、あの時の圭人様の笑顔を諦めるようで、私には上手く切り替えることができなかった。
それに、圭人様が少なからず好まれていたという以前の私の姿も、もう思い出せなくなっている。まさかこんなに不器用だとは、自分でも思っていなかった。
いや、そもそも……。
「……私なんて最初から、圭人様には相応しくなかったのよ」
自分の中にいる、もう一人の自分が、私の口を使って言う。
そうだ。むしろ今まで、何を勘違いをしていたのか。厚かましくも圭人様と添い遂げるなど、まるで乙女の夢のようなことを考えて、恥を知るべきだ。
「……生きている価値など無い。そのまま朽ちて死んでしまえ、
また別の一人が、そう言って私を責めた。
手にした包丁の表面に、醜く歪んだ自分の顔が映っている……。
◇
朝食の準備を終え、圭人様がお休みになっている寝室の前に足を運ぶ。
以前は、浮かれてしまう心を鎮めるために深呼吸をしていたが、今のそれは、圭人様から他人として扱われる覚悟をするための儀式だ。
長い深呼吸の後、ノックしてドアを開ける。
「失礼いたし……ッ…」
私は、猫科獣人の持つ鋭い臭覚でそれに気付いた。
意識を切り替えた私は、すぐに寝室を出て廊下を引き返す。このマンションには、眼鏡型デバイスで遠隔操作できる浴槽が無かったからだ。
たとえ環境が変わろうとも、専属メイドとして、圭人様が少しでも安心できるよう完璧な対応をしなくてはならない。
今回は圭人様の体質も理解しているため、時間がある。
浴槽にお湯を溜めながら、ベッド上ですぐに身体を拭うための温かい濡れタオルも準備しなくては。それに、あとは……。
その時の私の心は、圭人様の専属メイドとしての使命感で満たされていて、個人的な不安を感じる余裕など無かった。
◇
私が浴室のドアの外で諸々の処理をしていると、それまで湯船の中でボーッとされていた圭人様が、泣きそうな顔でこちらへ向いた。
「ご、ごめんなさい、楓さん」
「謝らないでください。
いつかのように私は微笑んで、圭人様の謝罪に応える。
その機能は他の女たちを孕ませるためのものだが、そんなことは関係ない。それも含めて圭人様の一部であり、私がただ、彼の子を孕めないというだけの話だ。
圭人様に、いつか思い出していただけたら。また以前のように微笑んでいただけたら、もはやそれだけで、私は良かった。……いや、今の私には、それすらも過ぎた願いなのだろうか。
「……怒ってないの?」
圭人様は、不安そうな顔でこちらを窺う。
その顔は儚げな少女のようですらあり、相変わらず可愛らしい。
「ええ、もちろんです。圭人様が夢精されたからといって、専属メイドの私が怒ることなんてあり得ません。先ほども言いましたが、むしろ誇ってくださいませ」
やはり以前のような関係にまで至ってないため、私がそのようなことで怒ると思われているのだろう。彼の不安を和らげようと努めて笑みを作り、それが何でもないことなのだと示してみせる。
考えてみれば、あれだけの精力を持つ圭人様が二週間も精を吐き出していなかったのだから、こうなったのは当然の帰結と言えるだろう。むしろ、今までよく保ったものだとすら言えるかもしれない。
「それより、あまり長風呂をされると、のぼせてしまいますよ」
ただ、少しでも安心していただくため。
そんな私の言葉を聞いた圭人様は、それでも不安そうな様子のままだった。
「ううん、そうじゃなくて……僕が今まで、楓さんを忘れていたこと」
「…………え?」
ごんっ。
「えっ、ちょ…ッ、楓さんッ!?」
それから先のことは、覚えていない。
何故なら私は不安そうな圭人様をそのままにして、
気を失って倒れてしまったからだ。
ああ、なんという失態……。
男性を介助し、守るべき者がこのようなことになるとは。
……それは専属メイドとして、あまりに不甲斐ない姿だった。
「男女比1:1000の世界に生きる希少男子が、専属メイドに出会って人生を謳歌する話」のハーメルン様での連載について、一時停止いたします。皆様に満足いただける作品になるよう、他投稿サイト様にてまずは完結させていただき、その後、こちらでは別版として大幅に編集し直したものを投稿する予定です。
引き続きカクヨム様では連載を続ける予定ですので、
作品を気に入っていただけた場合はそちらをご利用下さい。
https://kakuyomu.jp/works/11054822664722891739
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