引きこもりゴミ屋敷令息の恩返し 〜悪役令嬢を一家ごと引き取りました〜 作:黒猫 かりん
「デイトナーズ公爵令嬢! あなたがバニラに嫌がらせをしていたことはわかっているんだ!」
貴族学園の卒業パーティーで、バニラ=キャンディ男爵令嬢と、彼女と仲睦まじい令息達が、デイジーに濡れ衣を着せてきたのだ。
曰く、私物を壊された。
曰く、私物を盗まれた。
曰く、階段から突き落とされた。
曰く、空き教室に呼び出して男達に囲まれた……。
最初は違うと否定していたデイジーは、ふと、バニラをエスコートする人物に目を向ける。
「あなたも、そう思うの?」
彼は、しばらくデイジーを見た後、そのまま目をそらして、何も答えなかった。
それを見たデイジーは、弁解をするのをやめた。
そもそも、この場でこれ以上弁解したとしても、きっとデイジーの主張は通らないだろうから。
~✿~✿~✿~
こうして、気持ちの糸が切れたまま、デイジーはクラウスの連れていた兵士達に連行された。
デイジーは連れていかれながらも、頭の片隅で、自分は大丈夫だと思っていた。
デイトナーズ公爵家は、五大公爵家の一つだ。だから、こんな不十分な証拠で、デイジーを連行したこと自体が問題になるはず。
しかし、実際には、異様な速度でデイトナーズ公爵家は取り潰しとなった。
それだけでなく、父と弟がゲーイナー鉱山に追いやられ、自分と母が評判の悪い男爵家の下女として売り飛ばされるとは、思いもよらなかった。
そして、そこからずっと、思いもよらないことばかりが起こった。
今までの人生で見たことも考えたこともないようなゴミ屋敷。
そこでの、家族との再会。
毎日掃除をしながら、お弁当を食べて生活する。
家の主人は、大金持ちなのに部屋に引きこもりの、くちゃくちゃの髪で顔がよく見えない、枯れ木のような細身の若い研究者。
家族を大切にしてくれる彼に恩返しをしようと思ったのは、自然な気持ちの発露で、夜中に迫ったデイジーに悲鳴を上げながらも、彼女を宝石のように扱うその人に、更に恩返しをしたいと思ったのは、当然のことで。
「皆さんは、こんな私に声をかけてくれました。研究品の試験運用をしているのだと伝えたところ、興味を持ってくださって、私の研究品を宝物みたいにほめてくださいました……」
彼が経緯を語ってくれたにもかかわらず、デイジーは彼との出会いについてまったく思い出すことができない。
そして、思い出した様子の両親に腹を立てたところで、デイジーは、自分が彼に強く興味を持っていることに気が付いた。
気が付いたら一直線な気質のデイジーは、それからというもの、彼と顔を合わせる度に、彼のことや彼の
「発動した際にここの線が焼き切れてしまうので、先人達は製造を諦めてしまったようです。ですが、この物質でこの辺りを囲ってあげると、上手く熱を逃がしてくれるので、彼らの作った理論を基礎に、次の段階に進むことができます」
デイジーの質問に、彼はいつでも、穏やかな声で、言葉を選びながら説明してくれる。
彼は、彼自身のことや流行物や色事については極端に言葉数が少なくなるけれども、発明品のこととなると、比較的饒舌に話をしてくれた。
その内容は、彼女でも及ばない領域に手を伸ばすもので、それなのに、己を誇ったり驕ったりする様子がかけらもない。
彼はただ、楽しくてそれを続けているのだ。
そこには、上も下もなくて、既にあるものへの尊敬と、世界のからくりへの好奇心だけが存在している。
「待った! 待ちましょう。別に髪は切らなくてもいいと思いますし、百歩譲って髪を切るとして、なぜ最年少のドビアス様が」
白い肌に、すっと通った鼻筋。
かつて見たそれより、顔だちは大人びていたけれども、その紫色の宝石は変わらずきらきらと輝いている。
弟ドビアスにより髪を短くした彼を見て、デイジーは初めて、彼があの日、エレンスキー王国で出会った天才少年であることに気が付いた。
幼い日にたった数時間だけ言葉を交わした彼は、あの日のことをずっと覚えていて、大切にしてくれていたのだ。
そう思うと、なんだか心臓の動きがおかしくなってしまって、デイジーはうまく彼を見ることができなくなってしまう。
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「そういえば、デイジー。今年はあなたのデビュタントの年だったわね」
母チェルシーは悲しそうな顔をしながらも、せめてドレスだけでも作ろうと、仕立て屋を呼んで採寸をしてくれた。
いくつかのドレスを特注で発注した後、デイジーは発注したドレスが描かれたカタログに目を落とす。
「わたくし達は平民で、デビュタントはできないけれど、これを着た姿で家族絵を描いてもらいましょうね」
「何を言ってるんだよ、母様。冬の夜会でケビン様と夜会デビューしてくればいいいじゃないか」
弟ドビアスの言葉に、母は目を丸くし、父は良い案だとばかりにうなずいている。
デイジーは、目を見開いたまま、黙っていた。
そして数日、あまりしゃべることもなく、ぼんやりと考えにふけっていた。
(誰かのパートナーとして、夜会に出席する。誰かの……ケビン様の。私が……?)
それは、デイジーがこの数年間、考えもしなかったことだった。
本来、デイジーがデビュタントを迎えるときにパートナーになるはずだったのはクラウスだ。
とはいえ、デイジーとしては、デビュタントの頃には自分は第一王子の『元婚約者』になっていると思っていたし、なかば無駄に婚約解消を先延ばしにしていたとしても、犬猿の仲のクラウスがデイジーのパートナーを務めるとはとても思えなかった。
そして、第一王子の婚約者として、男性と一定の距離を保って学園生活を過ごしてきたデイジーには、パートナーを頼めるほど仲のいい男子生徒は多くない。
元々、高位貴族の令息は婚約者持ちが多いことに加え、高位貴族の令息達の一定数がバニラ=キャンディに夢中だったという事情もある。
要するに、パートナーを見繕うことをあきらめたデイジーは、デビュタントを迎える時期には、他国に留学でもしていようかと考えていたのだ。
そこに降って沸いた夜会デビュー話である。
(でも、誘われるとは、限らないし)
怖くて彼本人には話を持ち掛けられないのに、ずっとそのことばかり考えてしまう。
頭ではわかっているのだ。
政治的にも金銭的にも身分的にも追い落とされたデイジーを夜会に連れていくなど、やっかいなことこの上ない。
しかも、彼は
けれども、その代わり、彼はデイジーとその家族を、とても大切に思ってくれている。
それに、デイジーは、彼と夜会に……。
~✿~✿~✿~
「事情はわかりました。デイジー様、よかったらドレスをお贈りしますよ」
「!! ケビン様……!」
「ですから、誰かお友達と一緒に出席してきてください」
結局、夜会の招待状が届いたとわかった瞬間、デイジーは彼の元へと走った。
そして、他の男と夜会に行けなどと恐ろしいことを言う彼に、泣いて泣いて、夜会に一緒に行くという事実を勝ち取った。
その経緯も、デイジーはなんだか恥ずかしくて仕方がなかった。
デイジー
そのことを弟ドビアスにぽろりと伝えたところ、「クラウス殿下って本当にさぁ……」と弟は眉を吊り上げていた。
よくわからない反応に、デイジーは首をかしげるばかりである。
(王宮の夜会って、どんな感じなのかしら。同級生にも、クラウスにも会ってしまう気がするけれども、大丈夫かしら。ケビン様は一体、どうするつもりなのかしら)
心配なことは沢山あるけれども、なんだか心が浮き立って仕方がない。
そわつきながら、彼の研究室の前の廊下を念入りに掃除しているデイジーに、母チェルシーが笑いをこらえられないと言った様子で声をかけてきた。
「デイジーが楽しそうで、本当によかったわ」
「……?」
「あなたがそんなふうに誰かのことを思って年相応に楽しそうにしている様子を見るのは、初めてだもの」
その場で固まったデイジーに、母はくすくす笑いながらその場を去っていった。
最近常に過重労働ぎみのデイジーの心臓が、バクバクと激しい音を立てている。
「どうかしましたか?」
その優しい声に、デイジーは心臓が口から飛び出るかと思った。
気が付くと、日が沈みかかっており、目の前には心配そうにしている彼が居るではないか。
父ダニエルと弟ドビアスによる毎日の風呂場連行で清潔感を入手した彼は、そうして立っていると、普通の貴族の男性のようだった。細身ですらりと背が高く、端正な顔立ちをした美青年だし、櫛で軽く梳いた長めの黒髪に、少し不健康ぎみな白い肌がどうにもセクシーで、普通よりもずっとずっと、素敵な部類に入るように思う。研究の際にたまにかけている黒縁眼鏡も似合っているし、長いまつげの奥で光る紫色の瞳も、夕日を反射して、きらきらと輝いている……。
「ケケケケケケケケケケ」
「……何か楽しいことが?」
「ケビン様! 何か御用ですか!!」
「もうすぐ夕食が届くので、一階の居間に向かおうかと思いまして」
執務室から出てきたばかりの様子の彼に、自分が彼の執務室の前で長時間固まっていたことに気が付いたデイジーは、ハッとした顔をした後、じわじわと頬を赤らめていく。
そんなデイジーを見て、彼は不思議そうに目を瞬いた。
「デイジー様。顔が赤いようです。熱があるのでは?」
「ケビン様!!!!」
「はいっ!?」
「あの……」
名前を呼ぶと同時に、思わず彼の服を掴んだので、彼の表情に怯えが浮かんでしまった。
デイジーは、後悔した。
なんというか、別に、何か具体的な用があったわけではないのだ。
思わず名前を呼んでしまったというか……少し、二人で話がしたいような、気がして。
「……夜会の件、ご迷惑、なのでは」
こういうとき、人は余計なことを言ってしまうものなのだろうか。
「無理に、参加なさらなくても」
心にも思っていないことを口にしながら、デイジーは内心、泣きたい気持ちになる。
違うのだ。
デイジーは彼と一緒に夜会に行くことが、本当に嬉しくて。
もっとこう――そう、お礼を言うことができればよかった。
こういうところがきっと、デイジーの可愛くないところなのだろう。
こんなデイジーを連れて、行きたくない場所に行かされるなんて、彼にも負担なのではないだろうか――。
「まあ確かに、行きたい場所ではないですが」
「……では、中止に」
「やりたいことができたので、参加はするつもりです」
パッと顔を上げるデイジーに、ケビンは困りはてたような顔をしている。
「リーンハルトが、やるなら夜会の場にしろと、そう言うんですよ」
「リーンハルト様が?」
「私はもっと内々に対応すればいいと思っていたのですが」
「……?」
「デイジー様が一緒に居たほうが、きっと上手くいくと思います。必ず守りますので、一緒に来ていただけませんか」
不安そうに差し出された彼の手に、デイジーは震えながら、自分の左手を添える。
「わかりました。ケビン様の使命達成のため、命を賭して尽くしてみせますわ」
「いえあの、命を消費されては困ります」
「ケビン様はすごいです」
「……? すごいのは皆さんのほうですよ」
彼はよくわからないといった様子で首をかしげていたけれども、心底嬉しそうにしているデイジーに、少し控えめな、穏やかな笑みを浮かべてくれた。
いつも彼がデイジー達家族に見せてくれる、信頼の詰まった微笑みだ。
そして、彼は夜会の練習なのか、受け取った彼女の左手を自分の右腕に添えて、エスコートをしながら一階の居間へ向かっていく。
デイジーは彼の横で同じようにほほ笑みながら、自分の気持ちに驚いていた。
彼と居ると、いつだって彼女の心は羽のように軽くて、楽しくて、ふわふわと心地いい。
自分と同世代の貴族の男の人を、こんなふうに心から『すごい』と思う日は、きっと来ないのだと思っていた。
こんなふうに、もっとその人の近くに居たいと思う日がくるなんて。
「私の命は、ケビン様のものです」
「そんな思いつめるような話をしていましたか!?」
「ケビン様が優しいから、自然とそう思うんです」
くすくす笑っているデイジーに、彼はやはり困り果てた顔をしている。
彼の役に立ちたいと思う気持ちと同じくらい、彼がデイジーのことで悩んでくれることが嬉しいなんて、人の心は不思議なものだと思う。
彼が『恩返しだ』と言いながら与えてくれるその優しい気持ちを、あと少しだけ、デイジー達家族で独占していたいと思いながら、(尽くしてみせますわ……まずはおみ足のマッサージから……)と、デイジーは彼の右腕に添えた手に力を入れるのだった。
◆
クラウスはその日、とても苛立っていた。
執務室で席に着き、書類仕事と向き合いながら、かつかつとインク瓶に羽ペンを当てつつ、思考にふける。
今日は王宮で五日間に渡って行われる年末パーティーの三日目だ。
使用人達は四交代で毎日の夜会の準備や後片付けを行い、てんてこ舞いで、王宮内は忙しないものの、活気に満ち溢れている。
しかし、その夜会が問題なのだ。
~✿~✿~✿~
「どうして毎日、違うドレスが用意できないの!」
冬の社交シーズンに入ってからというもの、クラウスの婚約者候補であるバニラは、さらに多くのドレスを要求してくるようになった。
クラウスは男性なので、パートナーがいなくとも、一人で夜会に参加できる。
仮に一人で参加する場合、夜会の主催者から、女性親族を伴って参加した独身未婚の令嬢を紹介を受けたり、自分で令嬢に声をかけたりしながら、パーティーを楽しみつつ、よしみを結びたい貴族との会話を楽しむこととなる。
しかし、クラウスには婚約者候補として、未成年である十七歳のバニラが居る。
そして、十六歳を超える貴族の女性は、十八歳以上の婚約者がいる場合、デビュタントを早めることができるのだ。
バニラはまだ、クラウスの正式な婚約者ではないので、十八歳になってからデビュタントを迎えるべきではあるのだが、今期の社交シーズンが到来すると、彼女は当然とばかりにクラウスのパートナーとして夜会に参加するようになった。
そして、そのための衣装を常にねだってくるのである。
デイドレスとは比べ物にならないその出費に、クラウスも流石に、バニラを止めるようになったのだ。
「バニラ。流石に、夜会用のドレスをそれほどの数、用意するのは難しいよ」
「どうして!? 王妃様だって、毎回、違うドレスを着ているじゃない」
「王妃の衣装は、国の威信を示すものだ。彼女が袖を通すことが、仕立て屋の栄誉になる」
「あたしは未来の王妃でしょう! 仕立て屋があたしをなめてるってことなの!?」
「……現王妃という存在は、それほど特別なんだよ」
実のところ、バニラの評判が悪いので、仕立て屋も進んでバニラとよしみを結びたがっていないというのが実情なのだが、クラウスはそれを口に出さないだけの分別は持ち合わせている。
「なによ。こんなの、今だけなのに……」
「バニラ?」
「もういいわ。クラウスのあたしへの愛はその程度ってことね」
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そうして拗ね続けるバニラを、クラウスは時間をかけて宥めすかし、なんとかドレスのことを諦めさせた。
それだけでも一苦労だったのに、バニラはあろうことか、夜会に出るたびに、クラウスを放って他の男とダンスを踊り惚けているのだ。
今年の社交シーズンにおける、バニラの思慮のない様子を思い出し、クラウスは書類を書くための羽ペンをバキリと握り潰してしまう。
折れたペンを見ていると、今度はモップとホウキを折ったあの日のことが脳裏に浮かび、その先にある光景に、クラウスは頭を横に振った。
(……くそっ。あの女のことは、関係ない!)
あの女のことは
いつもいつもいつもいつもクラウスの視界に居て、クラウスよりも出来のいいところを見せつけてくる、デリカシーのない女。
ちょっと……いやだいぶ美人で、声が可愛くて、腰がくびれていて胸が大きくて、元気で頑張り屋で、クラウスの好みド直球の気がしなくもなくもなくもないような気がするけれども、とにかくあんな女の近くに居たら、クラウスの精神が崩壊してしまう。
学園の卒業パーティーでデイジー=デイトナーズ公爵令嬢を追い落としたのは、バニラの提案によるものだ。
周りの令息達は、バニラがそう言うならと、クラウスの顔色をうかがいながら、その提案に賛同した。
それに合わせて、五大公のうち、デイトナーズ公爵家を除く四つの公爵家が、バニラのそそのかしにより、デイトナーズ公爵家を追い落とそうとしていることを知った。
そして、父である国王が、それに賛同していることも。
(デイトナーズ公爵家は、敵を作りすぎたんだ)
正直、デイトナーズ公爵家を取り潰しまでに追い込むのは、やりすぎだと思う。
けれども、それによって、クラウスの望みは叶うのだ。
だから、クラウスはすべてに目を瞑ることにした。
(あの一家のことだ。どうせ今頃、他国で適当に商売でもしてそこそこいい暮らしをしているだろう)
そうして、あの女は平民の男を見繕って、恋仲にでもなって、結婚するのだろう……。
バキリと新しい羽ペンを折ってしまったクラウスは、長く息を吐いて、書類仕事を辞めることにする。
(今日は仕事に集中できない。夜会が終わった後――来週にしよう)
王宮での夜会はあと三日続くのだ。
まずはその夜会でのことを考えるべきだろう。
クラウスが夜会に意識を向けた瞬間、脳裏に壮年の男性達の声が鳴り響く。
『クラウス殿下は本当に、彼女を妃として迎えるつもりなのかね』
(――何も知らないくせに、勝手なことを!)
実はこの二日、夜会の場でクラウスは、バニラの男漁りの様子を見た他国の大使数人から、苦言を呈されているのだ。
ありていに言うと、バニラを王室に迎えようとしているデジケイト王国の品位を疑うと言われたのである。
(……そんなことは、わかってる!)
そう、クラウスも、わかってはいるのだ。
バニラは本来、王室に入れるべき存在ではない。
素行が悪く、外聞が悪く、なにより彼女はクラウスのことを好きではない。
しかしそれでも、クラウスには彼女が必要なのだ。
そこまで考えたところで、心にのしかかった重石に、クラウスは目を閉じる。
(こんな茶番を、いつまで続けるべきなんだ)
『どうすればいいのか、だいたいわかったわ』
ダン!と右手で机を打ちすえたクラウスに、執務室の扉の外から侍従がそろりと顔をのぞかせる。
「どうかされましたか……!?」
「なんでもない!」
額に手を当てて息を吐くクラウスに、侍従は触らぬ神に祟りなしとばかりに、扉を閉めて配置に戻る。
油断するとすぐ、クラウスの思考の中にあの女が出てくるのだ。
いや、しかし、こればかりは仕方がない。
六歳であの女と出会って以降、クラウスの人生には常にあの女の影が付きまとっていたのだから。
その長い年月が、クラウスにこのような後遺症をもたらしてしまっただけなのだ。
クラウスがあの女に興味津々で、気になって気になって仕方がなくて、いつもいつだって脳裏に浮かべてしまうとか、そういうわけではない。決して、ないのである。
そうして、ぐだぐだと思い悩んでいるクラウスの元に、珍しい来客があった。
「クラウス」
国王である、父カーティスである。
呼び出すことはあっても、自分から来ることは珍しいその賓客に、クラウスは驚いて立ち上がる。
「陛下。どうしましたか」
「一応、お前にも知らせておこうと思ってな。今日の夜会には、ケビン=ケレンスキーが来るらしい」
「ケレンスキー? あの、発明家の?」
確か、五年ほど前にこのデジケイト王国に現れた謎多き発明家だ。
いつもリーンハルト社が代理で動いており、本人はとんと表に姿を現さない。
登記を置いている会社の本社に様子を窺いに使者をやっても、社員が居るばかりで、本人は現れない。
本人の家に挨拶に行こうにも、彼は邸宅をいくつか持っているらしく、本邸として登録されている家には使用人が居るばかりで、本人の影はない。
使用人達にそれとなく調査の手を伸ばしても、「実は主人の顔を知らない」「リーンハルト様が窓口になっている」という証言だけが出てくるのだ。
「彼は高額納税者なだけではない。昨今、どこの国でも見かけないような発明品を次々に流通させてくる稀有な存在だ」
「そうですね。この機会によしみを結びましょう」
「うむ。あとな、今日彼の連れてくる女性が、デビュタントらしくてな。とはいっても、貴族の令嬢ではないようなのだが。彼女のために、ある仕掛けをしたいのだと申し出があった」
「仕掛け、ですか?」
「まあ、余興のようなものだ。まあ、お前は特段準備することはない。強いて言うなら、アレをケレンスキー侯爵に近づかせるなよ。侯爵は連れの令嬢をかなり大事にしている様子らしいから、気分を害されることだろう」
クラウスは、連れの令嬢を大切にしているというケレンスキー侯爵の意外な情報に目を瞬いた後、父の言の後半がバニラのことを指しているのだと理解し、暗い顔で頷く。
しかし、父カーティスは、沈んだ表情のクラウスに構うことなく、別の要件を切り出してきた。
「それにしてもお前、クリストファーの居場所は知っているか?」
「え? クリスですか?」
「そうだ。あいつはここ半年、本当に奔放でな。なかなか捕まらないんだ」
三つ年下の弟クリストファーの様子を聞かれたクラウスは、ふと、この半年のことを振り返る。
そういえば春頃から、クリストファーとあまり話をしていないかもしれない。
最後にまともに話をしたとき、確か、クリストファーはクラウスに怒っていた。バニラがクリストファーにも粉をかけようとしたのが理由だったように思う。
「私もこの半年、あまりクリスとは話をしていません……」
「クリストファーは今年度から貴族学園の寮に入ったからな。しかし、貴族学園の冬休みに入っても、まともに顔を見せないのはどうなんだ」
「昨日や一昨日の夜会では近くに居たではありませんか?」
「家族の不和を公の場で見せるわけがなかろう」
「まあ、そうですが」
肩をすくめるクラウスに、父はため息を吐きながら去っていく。
父も色々と、心労が溜まっているようだ。
(大人になったらすべてが解決すると、そう思っていたこともあったんだけどな)
大きくなれば、もっと強く賢くなれると、そう思っていた。
あの女に負けるのは、クラウスの体が小さく、成長過程にあるから。
くよくよ悩むのも、くじけるのも、自分が子供だからだと、そう思っていた。
けれども実際には、大人になった後のほうが、悩みは尽きないし、くじけそうになることは多い。
(だから、まやかしが要るんだ。楽しいこと。嬉しいこと。心地よくいられる何かが)
そうして、今日も今日とて、クラウスは侍従達の手を借り、夜会用の衣装を身にまとう。
髪を整え、多少の化粧を施され、見目だけは麗しいピンクブロンドの彼女の支度が終わるのを待ち、扉から出てきた彼女をほめたたえ、エスコートしながら夜会の会場へと向かう。
「今日はケビン=ケレンスキー侯爵がいらっしゃるんでしょう?」
「……どうして知っているんだ」
「ふふ。あたしの耳の速さを侮らないことね」
どうせ使用人の男にでも聞いたのだろう。
自慢げにしているバニラに、クラウスは当たり障りのない笑みを浮かべつつ、どうやって会場から彼からバニラを引きはがしておくか、思案する。
「確か、このデジケイト王国で一代侯爵の地位を持っているのは、宰相様達と、あと数人くらいって話じゃなかったかしら」
「そうだな。……それほど、ケレンスキー侯爵は、わが国に利をもたらしているんだ。失礼のないようにな」
「なによ。あたし、無礼なことなんてしないわ」
「そうか」
「でも、ケビン様って、お若いのかしら」
キラリと目を輝かせるバニラに、クラウスはため息を吐く。
「バニラ。君は、私の婚約者候補なんだ」
「わかってるわよ。天才発明家だなんて、何を話したらいいのかわからないじゃない。同年代なら話が合うかなって思っただけで」
「確かに、年齢も見た目も出自もわからない謎の人物だからな。興味は尽きない」
素直な気持ちを口にしたところ、バニラは「王族が一目置くほどの利をもたらす、ただのお金持ちねぇ……」と、笑みを深めている。
クラウスは、また何かやらかすつもりなのかもしれないと思いつつ、なるようになるだろうと、半ばあきらめの気持ちで会場の入口を見る。
今日は年末夜会の三日目なので、有力な商人などの一代貴族が参加することになっている。
一代貴族は、当人自身の実力や成果によって地位を得た、今まさに世間で力を持つ者達だ。彼らが参加する三日目以降の夜会は、永代貴族しか参加できなかった初日と二日目に比べて賑わいを見せることが多い。
その中でも、謎多きケビン=ケレンスキーが参加するとなれば、会場は大いに盛り上がることだろう。
(彼の周りを、彼とよしみを結びたい者達が囲んでしまえばいい。そうすれば、バニラも一人でむやみに近づくことはできないだろう)
パートナーの令嬢を大切にしているということは、彼はそこそこに若い男なのではないだろうか。
その場合、バニラとの相性は最悪だけれども、彼女の隣にクラウスが張り付いてさえいれば、やり過ごすことができるに違いない。
そんなふうに思いながら、クラウスは夜会に集中することにし、悩みを振り払うように頭を横に振った。
そう、クラウスは油断していたのだ。
夜会が始まるまで、まさか自分がケビン=ケレンスキーとそのパートナーを見るだけで、悲鳴をあげることになるとは思いもよらなかった。
「ケビン=ケレンスキー侯爵のご入場です」
司会の言葉に、会場の多くの者が、入場してきた彼に注目する。
ざわめきの中に「ケビン=ケレンスキー?」「あの、長者番付の?」という声が聞こえ、さらにざわめきが大きくなっていく。
そこに居たのは、すらりと背の高い細身の美青年だった。
質の良い紺色の布地に、金色の刺繡をほどこした、上質な衣服。切りそろえた黒髪に、少し不健康そうな白い肌が印象的な男だ。
切れ長で大きな紫色の瞳に、すっと通った高い鼻、全体的に美しい顔立ちをしており、しかしそれは、どこかで見た誰かに似ているような気がする。
そして、彼が連れている令嬢は、金髪碧眼の麗しい絶世の美女だ。
吊り目がちな大きな淡い水色の瞳は会場の照明でキラキラと輝き、長い金色の髪は美しく結わえられている。
幾重にもチュールを重ねた儚い透明感のある紫色のドレスは、色味の華やかさとシルエットの美しさに加えて、胸元から多数の宝石をちりばめられており、遠目に見ても他の令嬢のドレスと比べてあまりにも美しく、価値のある逸品であることがクラウスにも分かった。
お飾りも繊細で比較的シンプルな作りながらも、彼女の魅力を最大限に引き出しており――しかし、問題はそこではないのだ。
その令嬢は、クラウスがよく知る女性だった。
「な、なぜだ!」
ようやく目にした天才発明家の横に侍るのは、ここに居るはずのない女。
デイジー=デイトナーズ。
クラウスを幼少期から悩ませてきた、彼の元婚約者だったのである。