引きこもりゴミ屋敷令息の恩返し 〜悪役令嬢を一家ごと引き取りました〜   作:黒猫 かりん

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12 初めての夜会に突撃する初心者勢

 

 日は沈み、本来であれば、暗闇に包まれているはずの王都。

 しかし、今日この瞬間、そこは昼間のように明るい空間に変貌していた。

 

 街灯の灯りがこれでもかと石畳の街路を照らし、豪奢な装飾を施された馬車が行きかうその様子を、街路沿いに建つアパルトメントの窓から子ども達が楽しそうに眺めている。

 そして、きらきらと輝く子ども達の顔を馬車の小窓から覗き見ながら、ケビンの隣に座るデイジーも、同じように顔を輝かせていた。

 

 王都の街道という街道は、夜会の参加者が乗る馬車で混みあっており、その進みは遅く、徒歩の衛士達のほうが馬車より先を行く場面も多々見られるような状態だ。

 しかしどうやら、純真なケビンの神の一柱は、そんな夜会階催時あるあるの困った大混雑も、興味深々興味津々で楽しんでくれているらしい。

 

 ふとケビンは、五年前、デジケイト王国に来たばかりの頃の街道の様子を思い出す。

 デジケイト王国の王都があのときの様子のままであったならば、彼女はこんなふうに興味津々で周りを見てくれることもなかっただろう。そう思うと、神々と同じ空気を吸うことだけを目的にデジケイト王国で過ごしていたケビンの五年間は、無駄ではなかったのかもしれない。

 

「デイジー様はもしかして、こんなふうに王都の街中を通過するのは初めてですか?」

「はい。貴族の邸宅がある地域から、貴族学園への往復でしたから。街に降りることは許されていませんでしたし、それに……」

「それに?」

「通りは汚いから、お前は近寄ったらダメだって言われてきたんです。でも、とっても綺麗ですね……?」

 

 不思議そうにしながらも、街灯に照らされた街並みをうっとり眺めているデイジーに、胸がほっこりと暖かくなるのを感じながら、ケビンはこれからのことを考える。

 

 今日の夜会に参加するのは、ケビンとデイジー、それにリーンハルトだ。

 ケビンは一代侯爵として招待された身で、デイジーはそのパートナー。

 そして、リーンハルトは、リーンハルト社の代表取締役として出席することとなっている。

 

 

   ~✿~✿~✿~

 

 ちなみに、ケビンの邸宅の一階の居間で団らんをしながら、夜会に誰が出席するのかを話していたとき、元公爵令嬢デイジーと元公爵令息ドビアスはそろって不思議そうに首をかしげていた。

 

「リーンハルト様が、会社の代表取締役として行くのですか? ケビン様の付き添いではなく?」

「ケビン様、それって参加できるものなの?」

「リーンハルトはデジケイト王国の一代伯爵なので、参加できてしまいますね」

「「ふあぇっ!?」」

 

 驚く二人を横に、リーンハルトだけでなくダニエルもチェルシーも、穏やかな様子で紅茶を飲んでいる。

 どうやら、元公爵ダニエルと元公爵夫人チェルシーは、リーンハルトの地位について既に知っていたらしい。まあ、リーンハルトの書類仕事を手伝ってもらっているので、当然と言えば当然か。

 

 リーンハルト社は小規模な会社だけれども、会社としてはおそらくデジケイト王国で一、二を争うほど儲けているので、その社長であるリーンハルトにも、王国に来てから一年が過ぎたあたりで、爵位が与えられたのだ。

 

 そこまで説明したところで、ケビンはソファに座ったまま、デイジーに向き直る。

 

「今回の夜会で、私は基本的に、デイジー様から離れるつもりはありません」

「!」

「ただ、私も人間なのでずっと張り付いているのは難しいでしょうし、やりたいことの準備もありますので、その間、リーンハルトと二人で居ていただきたいと思っているんですよ」

 

 ケビンは社交は不得手中の不得手だけれども、物理的に自分の身を守るだけなら、一応問題ないと思っている。

 リーンハルトはケビンよりも社交性が高いので、さらに問題ないだろう。

 

 しかし、デイジーはこの国の貴族――おそらく王族に――追い落とされた身だ。

 しかも見目麗しく、人目を惹きやすい。

 不特定多数の居る夜会会場で一人で居るなど、カモがネギをしょって歩いているようなもので、攫われるかもしれないし、酒に酔った男に襲われる危険もあるし、デイジーを追い落とそうとした勢力に何かよくないことをされる可能性もある。

 

 だから、夜会の場では傍から離れないようにとデイジーに告げたところで、ケビンの横に座っているリーンハルトが、フッと鼻で笑った。

 

「私はケビン様とデイジー様、二人のお守りで出席する予定です」

 

 お前は守られる側だと言われたケビンは、がーん!とショックを受けた顔で固まる。

 隣でデイジーが「わ、私はっ、ケビン様に守られたいです!」と興奮気味に叫ぶ中、ダニエルがふむ、とあごに手を当てた。

 

「それにしても、本当に三人で大丈夫ですかな? 私達一家は、王家を始めとする高位貴族達に警戒されていると思うのですが」

「ダニエル様やチェルシー様がご一緒するほうが危険ですね。守る対象は少ないに越したことはありません」

「リーンハルト様、僕も一緒に行こうか?」

「ああ、まあ、ドビアス様は貴族の大人達に顔が割れていませんからね。しかし、年齢的に入場を許されないので、馬車で御者達と共に主人の出待ちをする使いっぱしり少年という立ち位置になりますよ」

「あーそっか。寒いのはいやだし、今回はやめておこうかな」

 

 そんなこんなで、夜会に出席するのは、前述の三人となった。

 もちろん、いつものケビンの邸宅にいる面子では人員が足りないので、リーンハルトの手配により普段はケビンの本邸で働いている使用人や御者達を引き連れ、夜会へと出陣することとなったのである。

 

 

   ~✿~✿~✿~

 

 ケビン達が王宮の中に入り、受付を済ませると、その周りで待機していた王宮侍従に青い薔薇を差し出された。

 

「参加者の皆様に、身に着けていただいております。よければお手伝いいたしますよ」

 

 そういうものなのかと目を瞬きながら、ケビンが小さく頷くと、侍従は笑顔で、ケビンの胸ポケットに薔薇を差し入れてくれる。

 デイジーは赤い薔薇を受け取っており、リーンハルト薔薇を受け取っているようだった。

 不思議そうな顔をしているケビンに、リーンハルトが耳打ちする。

 

「女性は赤、男性は薔薇の色で爵位がわかるようになっています」

「ああ、だから造花なのか」

「――永代貴族の場合、花弁が一つだけ白いのですよ、ケビン様!」

 

 声の主はもちろん、今日のケビンのパートナーだ。

 赤い薔薇を胸元にうまく挿すことができたらしい彼女は、嬉しそうにケビンの傍に寄ってくる。

 艶やかなルージュに美しい金色の髪。彼女が少し動くだけで、ふわりと花のような香りがして、きらきらと宝石の光が輝き、揺れる紫色のドレスが白い肌に映え、どうにも目を離すことができない。

 

「我が神は、今日は一段と輝いておられる……」

「えっ?」

「デイジー様は、この薔薇についてお詳しいのですね」

「はい! 貴族学園の第三学年で習うんです」

 

 美しく隙のない顔立ちの彼女が、照れくさそうにふわりと微笑んだので、ケビンの視界に居る男達が色めき立った。

 挿した薔薇よりも強い魅力でその場を華やいだ雰囲気にしている美女に、さしものケビンも考える。

 

 夜会の場。

 目の前には美しく着飾った若い女性。

 そのパートナーは自分。

 これは多分……何か言うべき場面なのだろう。

 

 心根がコミュ障なので、普段のケビンであれば何も言わずに済ますのであるが、どうにも場の空気的が後押ししてくる。

 

「デイジー様は綺麗ですね」

「!?」

 

 とりあえず、少ない語彙力で、思ったことを直球で伝えてみた。

 

 すると、ケビンの神は、口をパカッと開け、真っ赤な顔をしてその場で固まってしまった。

 

 もしかすると、TPOに合っていない伝え方だったのかもしれない。

 途方に暮れたケビンが眉尻を下げてリーンハルトを見ると、リーンハルトは『私に振らないでください!』と叫び出しそうな、露骨に嫌そうな顔を返してきた。

 

「さっさと行きますよ!」

「リーンハルト……」

「そういう介護はしません。ほら、ケビン様。ちゃんとデイジー様をエスコートしてください」

 

 世話をしないと言いつつ、面倒見のいいリーンハルトの言葉に、ハッと我に返ったケビンは右腕を用意する。リーンハルトの言葉に、ケビンと同じくハッと我に返った様子のデイジーは、ケビンの右腕に左手を添える。

 準備ができたと、自慢げな顔を向けてくるケビンとデイジーに、リーンハルトはげんなりした顔をしながら、案内の者についていくよう促してきた。

 

「では行きましょうか、デイジー様」

「はい」

 

 デイジーをエスコートしながら、ケビンは導かれるがままに、大きく開いた会場の扉へと向かう。

 

 そして、扉を抜けた先の光景に、ケビンは目を瞬いた。

 

 きらきらと輝く装飾の数々。

 重厚感と美しさを兼ね備えた豪奢な柱に、美しい壁紙で飾られた壁。

 高い天井に描かれた空と天使の絵が、まるで空中庭園に居るかのような錯覚をもたらしてくる。

 

 広い会場の半分は、食事と会話のためのスペースなのだろう。

 白いクロスがかけられた丸テーブルの上には、様々な食べ物が美しく盛り付けられている。

 着座で食事を楽しむことのできる場所だけでなく、立食用のスペースもあり、壁際には椅子も多数並べられていて、参加者同士で会話をする場所や休憩する場所に困らないよう、配慮されているようだ。

 

 そして会場の美しさに負けないくらい、華やかな衣装を身にまとう貴人達。

 

 実(・)家(・)で(・)行(・)わ(・)れ(・)た(・)夜(・)会(・)に勝るとも劣らないきらびやかな光景に、ケビンは懐かしいような、困ったような気持ちになりながら、隣に居るパートナーを見た。

 

 夢の世界を思わせる空間に、デイジーは、興奮した様子で頬を赤らめている。

 よかった、ケビンの神は大変ご機嫌のようだ。

 ならまあいいかと、前を向いたところで、司会がケビンの入場について大きくアナウンスを行った。

 

「ケビン=ケレンスキー侯爵の入場です」

 

 なるほど、入場する側はこんな風にアナウンスされるのかと感心していると、元々賑わいを見せていた会場が、どよっと大きくざわめいた。

 

「ケビン=ケレンスキー?」

「あの、長者番付の?」

「魔石製かまど(コンロ)の……」

「簡単消火放水杖(個人持ち水タンク)の……?」

「簡易温風機(ドライヤー)の……!?」

 

「ト、トイレタンクの!!! ケビン=ケレンスキーさんですか!!?」

 

 最後に余計なことを叫んだのは、一体誰だったのか。

 

 ギュン!と会場の全員がこちらを向いたので、ケビンは「ひぁえっ」と変な声を上げてしまう。

 血走った幾多もの目が見つめているのは、どこをどう見てもケビンである。

 

「トイレタンクの……」

「ト、トイレ!? あの!?」

「彼が、かのタンクを……!!」

 

 じりじりと彼に近づこうとする貴人達に、恐怖を感じたケビンは本能的に逃げようと、一歩後ずさる。

 しかしそこで、右腕を掴む手に力が入ったので、ケビンは自分が一人ではないことに気が付いた。

 

「ケビン様、あの……」

 

 デイジーに、悪気はなかったのだ。

 初めての夜会でこれほどまでに注目され、驚いて、パートナーであるケビンに声をかけただけ。

 

 しかし、その声を皮切りに、会場中の者達がケビンの周りに詰め寄ってきてしまったのだ。

 

「ケレンスキー侯爵! わ、私はっ、南方で伯爵領を治める者でっ!」

「ファッショナブルと申します、伯爵位を賜っています!」

「侯爵様っ、わたくしはロンリイ伯爵家の長女です! 是非ともお話をっ!」

「侯爵、私はジンギス侯爵だ! 貴殿と誼を結びたい!」

「わ、私は男爵ですが、なにとぞよしなに、よしなに……!」

「マークシティ子爵と申します! わ、私も研究者の端くれで、ケレンスキー侯爵に憧れていて」

「握手してくださいませ!」

「是非ともお話を!」

「侯爵」

「我が領にお越しください、侯爵!」

「我が娘との見合いなど」

「わたくし、第二夫人でも構いません」

「侯爵!!!!」

 

 美しく飾られた会場の中、突如として始まった狂宴に、ケビンとデイジーは目を潤ませながらひたすら立ちすくんでいる。

 逃げ出すことすらままならない、夜会初心者の二人。

 

 そこに救世主として現れたのはもちろん、リーンハルトである。

 

「――静粛に!」

 

 大音量で鳴り響いたその声に、会場はシンと静まり返る。

 司会からリーンハルト社製の魔石製拡声器(マイク)を奪って使用したらしいリーンハルトは、それを司会に返却すると、人だかりの中心にいるケビンとデイジーの元へとやってきた。

 

「申し訳ありませんが、我が社の発明家兼取締役は、とても恥ずかしがり屋なのですよ」

 

 その言葉に、周囲に居る者達が、「おぉ」「あなたはもしや……!」と目の色を変える。

 今にも興奮で暴走しかねない様子の彼らに、リーンハルトはいつもの様子で、フッと笑った。

 

「我がリーンハルト社との取引を永久停止されたくなければ、ここから五分間、我々にお構いなきよう」

 

 大海が割れるかのような勢いで、ザーッと人が引いていく。

 残されたのは、石のように固まっていたケビンとデイジー、そして騎士のごとくその傍らに立つ、お守り役のリーンハルトである。

 

◆

 

 

「リーンハルトリーンハルトリーンハルト」

「小声とはいえ公の場でおやめください」

「リーンハルト様リーンハルト様リーンハルト様」

「おやめください」

 

 そこから五分、ケビンとデイジーはリーンハルトの腰ぎんちゃくとして粛々と彼の後ろをついて回った。

 五分を過ぎた後も、『リーンハルト社の永久取引停止』というパワーワードにおののいたのか、会場の人間はあまりケビン達に近づいてこない。

 

 それをいいことに、壁際の椅子に座って三人で固まって夜会の開始を待っていると、デイジーがここぞとばかりに尋ねてきた。

 

「ケビン様。トイレの人って何ですか?」

「私を排泄物の代表みたいに言うのはやめてください」

「ケビン様は排泄物みたいな家に住んでいましたから、あながち間違いではありませんね」

「リーンハルトやめないか。こういうことは最初に否定しておかないと、そのまま長くあだ名として使われてしまうんだ」

「先ほど、否定する暇がありませんでしたね」

「なぜ拡声器で違うと叫んでくれなかったんだ!」

「それよりケビン様、トイレの人って……」

「私はトイレの人ではありません……!」

 

 苦悶の表情を浮かべるトイレの人に、デイジーは困惑した顔をし、リーンハルトはくつくつと笑っている。

 

 実は、ケビンの発明品の中で最も売れているのが、トイレ用タンクなのだ。

 

 そう説明するリーンハルトに、デイジーは(なるほど?)と頷く。

 

「実は五年前まで、この国の人達は、その辺で糞尿を垂れ流していたんですよ」

「えぇ? リーンハルト様、そんな、まさか」

「常に共同トイレで用を足すことができるのは、よほど箱入り育ちの高位貴族の令嬢くらいのものだったのです」

「え? ……え?」

「共同トイレの数が、あまりにも少なかったんですよ」

 

 五年前のデジケイト王国にも、共同トイレは存在していた。しかし、人口に対して明らかに供給不足であった。王宮ですら、使用人を含めて四千人ほどの居住者が居るにもかかわらず、三百箇所しか共同トイレが存在していなかったのだ。

 また、設置された共同トイレも、管理が甘いものが多く、臭気が漂うので、増設が難しい。

 

 王宮の子ども部屋付近は、子どもの健全な育成のため、重点的に共同トイレが設置されていたが、それ以外の場所にはほとんど設置されていないので、共同トイレまで走っていては、用が間に合わない。

 

 そのせいで、なんと人々は簡易トイレを持ち歩き、その辺で用を足し、それを美しい庭園に投げ捨てたり、街道に捨てたりしていたのである。

 

 ……というリーンハルトの説明に、ケビンの目の前に居る『よほど箱入り育ちの高位貴族の令嬢』は、ガクガク震えている。

 

「き、汚いから、お前は街に降りては、いけないって……」

「本当に汚かったんですよ」

 

 容赦のない言葉と、衝撃を受けた様子のデイジーに、ケビンは苦笑する。

 

「まあ、そんな状況でしたので、まずはトイレを開発しようかと思いまして」

 

 ケビンは神々たるデイトナーズ公爵家と同じ空気を吸うためにデジケイト王国にやってきたというのに、その空気がとんでもないことになっていたので、とりあえずそれを改善することにした。

 というか、それをしないとデジケイト王国からケビンを攫ってエレンスキー王国に戻ると、リーンハルトに脅されたのだ。

 エレンスキー王国は水辺が近く、下水道整備が進んでいたこともあり、リーンハルトにはデジケイト王国の下処理事情が耐え難いものだったらしい。

 

 最初はデジケイト王国内に下水道を引くことを考えたけれども、大工事になるので、完成する前にリーンハルトの堪忍袋の緒が切れること必至。

 悩んだ結果、ケビンは管理が容易で防臭完備、たい肥醸造まで可能なトイレタンクを開発し、それを薄利多売でリーンハルトが売りさばき、見事普及させたのである。

 

「我々の機嫌を損ねると、トイレ用タンクが入手できなくなります」

 

 リーンハルトの意味深な笑顔に、デイジーが背筋を凍らせる。

 

「ト、トイレの人……!!」

「やめてください」

 

 とうとうしくしく泣きだしたケビンに、デイジーが慌てたところで、国王の開会の挨拶が始まった。

 どうやら、およその参加者が会場に集まったらしい。

 

 つまり、毎年恒例、年末王宮パーティー三日目の開始である。

 

◆

 

 

 宮廷音楽家達が奏でる音楽を背景に、ゆったりと会場内での社交が始まる。

 笑顔で近寄って来る人だかりを、ケビンは覚悟を決めて迎えうった。

 とはいえ、なんの社交スキルもないケビンとデイジーができるのは、ひたすら愛想笑いを浮かべることだけである。

 会話を主導するのはリーンハルト。

 話しても話しても一向に減る様子のない人だかりであったけれども、リーンハルトは彼らをうまくあしらいながら、「夜会が初めての二人が疲れたようなので」と切り出し、人払いをしてくれる。

 

 食事のために立食コーナーへといざなわれ、ようやく三人きりになったところで、ケビンとデイジーは息を吐いた。

 

「疲れた……」

「ケビン様は立っていただけでしょう」

「私はなぜ疲れたんだ……」

「冗談ですよ。こういうのはそこに居るだけでも消耗しますからね。しばらくゆっくり食事をしましょう」

「好きなものを食べてもいいのですか?」

「もちろんです、デイジー様。主催者がもてなしのために用意してくれたのです。手を付けないほうがマナー違反ですよ」

「リーンハルト、できればデイジー様を座らせてあげたい」

「軽く食べた後で、着座できる席に異動しましょう。今、私達が着座席に行くと、囲まれて長いこと動けなくなりますよ」

 

 先ほどまでの自分達の様子を思い出し、青ざめたケビンとデイジーは、「立食でいいです」と白旗を上げる。

 

「ダンスが始まれば、それを理由に離席しやすくなりますので、足を休めましょう」

 

 そういうと、リーンハルトは給仕を呼び、三人分の飲み物を手配する。

 そして、自身は料理を取りに、その場を離れていった。

 

「誰かに話しかけられると思いますが、まあ、私が戻るまでの間ですから、頑張ってください」

 

 その恐ろしい予言に心細く思いながら、ケビンがリーンハルトの背中を見つめていると、デイジーが小声で呟いた。

 

「……私の同級生達が、私達の様子を窺っています」

「デイジー様の?」

「はい。おそらく私をだしに、ケビン様に声をかけたいのだと思います」

 

 デイジーがちらりと横目で見た方向にこっそり目を向けると、確かに、若い令息や令嬢達がチラチラとこちらを窺っているような気配がする。

 

「なるほど?」

「ですが、まあ、しばらくは近寄ってこないでしょう」

「事情がわからないのに、声をかけてくるほど野暮ではないようですね」

「はい。そんな野暮なことをする人がいるとしたら――」

 

「ごきげんよう、ケレンスキー侯爵」

 

 瞬時に息を止めたデイジーに、不思議に思いながらも、ケビンは声のしたほうを見る。

 

 そこに居たのは、金髪に緑色の瞳が優しげな印象を与える、若い男だった。誰にはばかることもなく着飾ったその様子は、彼の身分の高さを窺わせる。

 そして、隣に連れているのは、ピンク色のふわふわ髪に、淡い水色の目がくりくりとした、こぢんまりとした令嬢。

 

 これはおそらく――。

 

「お初にお目にかかります。一代侯爵を賜りました、ケビン=ケレンスキーでございます」

「うん。私はクラウス=ゲイル=デジケイト。この国の第一王子だ」

「あたしはバニラ=キャンディって言います! よろしくお願いしますね、ケレンスキー侯爵様!」

「……バニラ、紹介するまで待ってくれ」

「あら。こんなことでケレンスキー侯爵様は怒ったりしないわ。そうですよね、侯爵様!」

 

 にっこりとほほ笑んでくるその令嬢に、ケビンは(なるほど)と思いながら、二人の様子をまじまじと見る。

 そして、ケビンの横に居る人物をチラチラと見ているクラウスに、ケビンは(なるほどなるほど?)と頷く。

 

「私の連れも紹介させてください。さあデイジー、挨拶を」

「……」

「(デイジー様、挨拶です、挨拶)」

「はっ!!! デデデデデ、デイジー=デイトナーズです。こんなところでお会いするとは、奇遇ですわね!?」

 

 王族主催の夜会に来ておいて、第一王子に出会うことの何がどう奇遇なのか。

 彼女の言は意味がわからないが、その場の誰もそれを正すことはない。

 空気が重い。

 元婚約者同士の二人の間に流れる氷のような空気に、ケビンはどうしたものかと言葉を選んでいると、空気を読まずに切り込んできた者が居た。

 もちろん、バニラ=キャンディ男爵令嬢である。

 

「ケレンスキー侯爵! あたし、侯爵様とダンスを踊れたら夢みたいだなって思うんです」

「――バニラ! 侯爵、申し訳ない」

「なによ~。ね、侯爵様。いいでしょう? ほら、デイジー様は、クラウス殿下とお知り合いだから、二人で踊るのもいいんじゃないかしら」

 

 バニラの発言に、クラウスとデイジーがギョッと目を剥く。

 その瞬間、本当に一瞬だけ、バニラの目に浮かんだ冷めた色に、ケビンは(なるほどなるほどなるほど?)と目を瞬いた。

 

「バニラ様。とても嬉しいお誘いなのですが、申し訳ありません」

「え~、侯爵様……」

「私はダンスが苦手ですし、元々今日は、彼女以外と踊るつもりはないのです」

「でも、デイジー様は他の男性と踊りたいと思いますよ! クラウスとか!」

「バニラ!」

「私は今日、できるだけ彼女の傍に居る予定なのです。だから、彼女が他の男と踊るなら、三人で踊らなければなりませんね」

 

 それだけ言うと、ケビンは同意を求めるように隣に視線を送る。

 視線を受け止めたデイジーは、一瞬ぽかんとした後、ふふふとこらえきれないように笑い出した。

 その花がほころぶような笑顔に、周囲の男達が色めき立ち、なぜかバニラではなくクラウスが叫ぶ。

 

「こっ! ここここっ、侯爵! 貴殿とその女性は、どういう関係なのだ!」

「どういうと言いますと?」

「そ、そ、その! 貴殿と、その女性は、婚約……っ、いや、いつから! そう、いつ知り合って!!」

 

「――あなた方に追い落とされた後のことですわ」

 

 冷ややかな声音に、空気が凍る。

 憤っていた第一王子クラウスですら、火が消えたように青ざめている。

 

「クラウス」

 

 彼女は、その隙のない美貌の力を知っているのだろう。

 元公爵令嬢は先ほどまでの笑顔が嘘であったかのように、感情を見せることなくゆっくりと長いまつげを上げる。

 ごくりと周囲が息を呑む中、ケビンの隣に佇む美女は、真っすぐにこの国の第一王子を見つめた。

 

「貴族学園卒業記念に冤罪のプレゼントをいただきましたこと、お礼を言わないといけないと思っていたのですよ」

「え、冤罪、だと!」

「その上、慰謝料という名の不当請求への支払いのお手伝いをしてくださるなんてね」

「て、手伝い……?」

「私をシモニーク男爵家の下女として売り飛ばすなんて、箱入り王子様が下種なやり方を覚えたものですわ」

 

 ザワッと周囲で聞き耳を立てていた貴族達がざわめいた。

 わざわざ『箱入り』と付けているところを見ると、先ほどトイレ事情を知らない『箱入り育ち』と言われたのが意外とショックだったのだろうか。

 

「シモニーク男爵!?」

「使用人をダメにするので有名な……」

「あの男爵の家に、若い女性を使用人として送り込むなんて、そんな」

 

 小声で囁かれる噂話を聞きながら、ケビンは、そういえばデイジーが売られた下賎な男爵その一(五十三歳)はそんな名前だったなと思い出す。彼はあまりよくない評判の持ち主であったらしい。

 そして不思議なことに、デイジーの話に、彼女を追い落とした張本人であるクラウス自身も動揺した様子を見せている。

 

「わ、私は、そこまではしていない……」

「あなたがしていなくても、実際にはそうなったのだから、あ(・)な(・)た(・)達(・)がしたことなのでしょうね」

「あら、やだぁ。デイジー様、そんなことになっていたの? あたし達、全然知らなかったわ。大(・)変(・)な(・)目(・)に合わされちゃったのかしら!」

 

 その言に目を剥いたのは、クラウスだけではない。周りの貴族達も仰天し、次いで、そ(・)う(・)い(・)う(・)こ(・)と(・)な(・)の(・)か(・)と、デイジーを見る。

 これに対し、デイジーは背筋を伸ばしたまま、艶やかな笑みを浮かべた。

 

「あなたには残念なことだと思うけれど、私、男爵家に立ち入ることなく、ケビン様のところに行きましたのよ」

「あら、そうなんですね。ご無事でよかった。でもデイジー様ったら、ケビン様にご迷惑をおかけしてしまったのですね。あたしだったら、ケビン様に、そんなふうにお手を煩わせるようなことはしないのに……」

「私も、あなたという存在さえいなければケビン様にご迷惑をおかけすることもありませんでしたわね」

「やだぁ。デイジー様ったら、反省していないんですね。こわぁい」

「あなたも、変わらぬご様子でいらっしゃること。いつまでそうしていられることかしら」

「そうねぇ。あたしはもうすぐ、王太子妃だもの。平民に堕ちたデイジー様とは、きっとお話もできなくなっちゃうわね!」

「あなたが王太子妃だなんて、この国の議会も形骸化したもの――」

 

「――失礼」

 

 話している途中のデイジーの手を取ったのは、ケビンだ。

 

 彼の行動が意外だったのか、元公爵令嬢は目をぱちくりと瞬く。

 第一王子の元婚約者と現婚約者候補の応酬に、戦々恐々としていた周囲の者達も、意表を突かれたのか目を丸くしていた。

 

 しかしケビンとしては、そんなふうに不思議に思われることのほうが不思議なくらいだ。

 

「ダンスが始まる時間が迫ってきていますよ、デイジー様」

「ケ、ケビン様……!?」

「クラウス殿下、皆様。申し訳ありませんが、私と彼女はここで失礼します」

「ま、待て、侯爵! いや、待ってほしい!」

「人を待たせていますので」

 

 それだけ告げると、この国の第一王子の言を無視して、ケビンはデイジーを連れてその場から去った。

 

 

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