引きこもりゴミ屋敷令息の恩返し 〜悪役令嬢を一家ごと引き取りました〜 作:黒猫 かりん
デイジーは、困惑していた。
なぜならば、ケビンの様子が普段と違うからだ。
いつも何かをするときにはデイジーやその家族を見てくれる彼が、今はデイジーに目を向けることなくすたすた歩いていく。
手を引かれながら人混みを抜けると、そこには料理の皿を持っているリーンハルトが待っていた。
彼はデイジーの手を引くケビンの顔を見て、意外なことに、いつもとは違った柔らかい笑みを浮かべている。
「ケビン様が怒っているのは珍しいですね」
「当然だろう」
「ケビン様、怒っているのですか!?」
「まあ、私もそれでいいと思いますよ」
「ふん」
「……!?」
訳がわからない。
デイジーが困惑していると、ケビンは訳知り顔のリーンハルトから受け取った料理の皿を差し出してきた。
「デイジー様、ほら。料理です」
受け取った皿には、デイジーが食べたいとお願いしたものが割と美しく盛り付けられていて、卒のないリーンハルトの手腕に感心し、そして(そんな場合じゃありませんわ!?)と物言いたげにケビンを見る。
しかし、ケビンはマイペースなので、デイジーの視線を取り合ってくれない。
そこに、リーンハルトがなぜか、「プランAです」と囁いた。
それを聞いたケビンは、ハッと顔を上げてデイジーを見ると、不思議なことを告げてくる。
「デイジー様。少し食べたら、一緒に踊りましょう」
デイジーは困惑した。
ケビンはダンスが上手ではない。なのに、そんな余裕のある表情で自ら誘ってくるなんて、一体どうしたのだ。
今日はデイジーから襲い掛かるようにしてダンススペースに引きずり込まねばならないと思っていたのに!
デイジーの考えを察知したのか、狩人の気配を感じた鹿のように、ケビンはビクッと体を震わせる。いつもの彼であったら、そのまま気配を消して去っていくところだ。
しかし、今日の彼は違うらしい。恐怖を振り払うように頭を横に振ると、ケビンは彼女を丁寧にエスコートしながら食事をするための席についた。
(ケビン様の様子が、おかしい……)
いぶかるようにケビンを見ていると、リーンハルトが「ケビン様、プランBです」と囁く。するとケビンが、ハッとした顔でデイジーを見た。
「デイジー様、食べないのですか?」
「えっ、いえ、食べますっ」
「私がお手伝いします」
「!?」
「ほら、口を開いてください。その、アーン、と……」
若干照れながら、スプーンでプリンをすくって差し出してくるケビンに、デイジーは唖然とする。唖然として開いたその口に、ケビンはそっとプリンを差し入れた。思わずごくんと飲み込むと、遠くから、令嬢達の「きゃぁああ」という歓声のような悲鳴のような声が聞こえる。
「デイジー様、美味しいですか?」
「味ガワカリマセン」
「そうですか……おかしいな……」
おかしいのはケビン様です!!!
デイジーが顔を真っ赤にして震えていると、ハッとした様子のケビンが顔を近づけてきた。紫色の宝石が、デイジーの顔を間近に覗き込んでくる。
「えっ、なっ、ケ、ケビン様……っ!?」
「デイジー様、顔が赤いです。熱がおありなのではないですか? 大丈夫ですか?」
「大丈夫
「ど、どういうことですか!? 死に至る病ということですか!?」
「助けてリーンハルト様!!!!」
デイジーは助けを求めてリーンハルトを見る。
しかし、リーンハルトは腹を抱えて笑っているばかりで、一向に役に立ってくれない。息をするのも苦しそうだ。そのまま窒息してしまえばいい。
仕方がないので、自分を奮起させたデイジーは、心配するケビンを大丈夫だと説き伏せ、なんとか食事を再開した。
そこで今度は、外部から邪魔が入った。
「ケレンスキー侯爵! 先ほどは王子が失礼をして、申し訳なかった!!!!」
この国の官僚と思しき壮年の男性達である。
周りを囲んで「なにとぞ国内に留まっていただきたい」「今後もよしなに」と延々と話しかけてくる。
どうしたものかと考えていると、リーンハルトが「プランCです」と囁く。
ハッとしたケビンが、長いまつげを揺らしながら、言葉を選ぶように少し思案した後、口を開いた。
「私はデイジー様との食事を邪魔されると国外に逃げる、空前絶後の食いしん坊です」
……潮が引くように周りから人が居なくなった。
選んだ言葉は!! それで正解ですか!!???
「デイジー様、食事がしやすくなりましたね」
やり遂げた笑顔を見せるケビンに、カシャーン!とフォークをテーブルに取り落としながら、デイジーは思う。
確かに……食事は……しやすくなった……。
言葉もないデイジーの横で、息も絶え絶えに笑っていたリーンハルトが、ようやく落ち着いたのか、キリッとした真面目な顔で宣った。
「ケビン様のシモベたるこのリーンハルト、様々な風評を積み上げていくケビン様を心より尊敬いたします」
「本当にこれでいいんだろうな?」
「完ぺきでございます」
「か、完ぺきですか!? どういう目線でいたら、そういう評価になるのですか!?」
「おや。デイジー様、フォークを落としましたよ」
そう指摘したケビンは、テーブルの上のフォークを見ている。
そう、いつものケビンなら、指摘して見ているだけ。
「ケビン様、プランBです」
ケビンはハッとした顔でデイジーを見た後、彼女の右手を取り、その大きな手で包み込むようにしながら、テーブルに取り落としたフォークを優しく握らせてきた。大切なものを扱うようなその仕草に、デイジーの心臓が跳ね、遠くから令嬢達の「きゃぁああ」という悲鳴が聞こえる。
ケケケケケビン様が!!!!
おかしい!!!!!!!!!!
◆
「リーンハルト様、ケビン様に何をさせているのですか!?」
「なんとデイジー様、お気づきになってしまわれましたか……」
「気付かないほうが難しいと思いますわ!!!」
「ああでも、ほら。早く食べないと、ダンスの時間が始まりますよ。ケビン様、プランB、プランB」
「ハッ。デイジー様、他のものも食べるお手伝いをします。ほら、アーン……」
「これ以上は私が死んでしまいますからおやめください!!!!」
「毒入りではないのですが!?」
こんなことが続いていたら、本当に命を落としてしまう!
慌てたデイジーは、ドドドドドと巨大牛の行軍のような音を立てる心臓を無視して、自分で必死に食事を口に運んだ。
命が散ってしまうと言われたケビンは、さすがにそれを邪魔することはできないようだ。
そうこうしているうちに、音楽が切り替わり、司会がダンスの時間の始まりを告げたので、食事の手を止め、ナプキンで口を拭う。
すると今度は、デイジー達の周りに、大量の令嬢達が現れた。
彼女達は律義にも、空前絶後の食いしん坊ケビンの食事が終わるまで待っていたらしい。
きらびやかな衣装に身を包む若い令嬢達の勢いに、デイジーは思わず動きを止める。
「ケレンスキー侯爵! ダンスを踊りませんか?」
「わ、わたくしも、ぜひ……!」
「私、侯爵様とお話してみたかったんです」
「侯爵閣下、二曲目で構いませんから、わたくしと」
「ケビン様、プランCです、プランC」
「皆様申し訳ありません。私は今日、彼女以外と踊るつもりはないのです」
ケビンはそれだけ言って立ち上がると、座るデイジーに手を差し出してきた。
デイジーがその手を取るのをためらっていると、近くに居た令嬢達が口を挟んでくる。
「ケレンスキー侯爵、いけません! その方は、第一王子殿下の元婚約者でっ」
「男爵令嬢にひどいことをしたというもっぱらの噂が――」
「ケビン様、プラン――」
「私の神を侮辱しないでください」
一瞬、時が止まったかのように周囲が静まり返る。
「えっ」
「か、神?」
「神です。彼女は私の崇める神で、崇高なる存在なのです」
「ああ、め、女神のようだと……」
「いえ、神です。神で恩人で至高なる存在です」
宇宙に放り込まれた猫のような顔をしている令嬢達。
デイジーも多分、同じ顔をしていると思う。
「彼女のような至高の存在が、男爵令嬢に何かする必要はありません。何かしたとしたら、合理的理由による神の鉄槌なので、問題ありません」
それでは、とケビンは、目を白黒させているデイジーの手を取り、その集団を抜けていく。
あれほどの熱気を漂わせていた周囲の令嬢達は、空気を一変させ、意味ありげに「神……」「崇高なる、ソンザイ……?」「神ってなんですの?」「どうやったらケレンスキー侯爵の神になれるんですの?」と呟きながら、デイジーを見送っていた。
あれよあれよと音楽が始まったので、二人でダンスを開始しながら、デイジーはハッと我に返る。
「ケビン様、神ってなんですか!?」
小声で叫ぶも、返事はない。
怪訝に思いながらケビンを見上げると、そこに居るのは、必死に踏むべきステップだけを追いかける、全集中の呼吸をたしなむ貴族の男であった。
不健康な白い肌に、長いまつげ、「くっ……」とたまにやらかすステップミスを悔やむその様子が、なんともセクシーである。
(そうでした! ケビン様はダンスの最中、おしゃべりができないんでしたわ!!!)
仕方なく、ダンスに集中することにする。
もともと、デイジーがやるべきは、襲い来るケビンの足から、自分の足を守りつつ、優雅に見えるように踊り続けるという職人芸的神業ダンスである。結構大変な作業なので、集中するに越したことはない。
そうして踊っていると、周囲の令嬢達の「なんだか、ケレンスキー侯爵、セクシーですわ……」「あんなふうに情熱的に踊るなんて……」「熱々カップルですわね……」という声が耳に入った。
もしかして、もしかしなくとも、ケビンとデイジーのことである。
熱々カップル。
はたから見ると、そんふうに見えるのか。
そう思うと、心臓がシマウマの行軍のようにドドドドドドドと音を立ててしまい、デイジーはその音がケビンに聞こえてしまうのではないかと気が気ではなくなってしまった。
そうこうしているうちに、ダンスの一曲目が終わった。
デイジーも疲労困憊だが、ケビンもそうだったらしい。
脇で休憩しようとダンススペースを退いたところで、休むのを妨害するがごとく、令嬢達が一気に駆け寄ってきた。
「ケビン様! ぜひ、次はわたくしと!」
「ケレンスキー侯爵!」
「――デイジー。私と踊ってほしい」
ギョッとしたのはデイジーだけではない。
周囲の令嬢達も、その声の主に驚いた。
声の主が、なんと第一王子クラウスだったからだ。
「えっ、何……」
手を差し出してくるクラウス。
追い落とされた元婚約者と、なんだかんだ誰もが知っている追い落とした張本人の第一王子自身が、踊る。
その意味を、彼はわかっているのだろうか。
いや、どういう意味になるのだ?
デイジーにもよくわからない。
いいことにならないことだけはわかるけれども!
デイジーが固まっていると、驚いたことに、ケビンが彼女を抱き寄せてきた。
初めて!!
ケビン様が、初めて、自分から抱き寄せて!!!!!
「お断りします」
「――! ケ、ケレンスキー侯爵、貴殿には言っていない。私は、デイジーに」
「彼女を呼び捨てにしないでください」
「いや、彼女は平民だし――」
「とにかく、お断りします」
「いやだから貴殿にではなく」
「彼女は私と踊るからお断りします」
「今、二人はダンスをやめようとして」
「デイジー様、戻りますよ」
「え!?」
足をガクガクさせながら、デイジーの肩を抱いて、ダンススペースに戻るケビン。
まさかの流れに、周囲の者は全員驚愕している。
その『周囲の者』には、もちろんデイジーも含まれている。
「ケビン様、あの――」
「デイジー様、口を閉じてください」
すぐさま口を閉ざすデイジー。
美しい顔で、疲労した様子でふうと息を吐くケビンに、彼女の心臓は人生最高速度で早鐘を打っている。
(……)
そして、口を閉じた二人で始めるのは、二曲目のダンス。
気が付いた。
デイジーに口を閉じるように言ったのはダンスの最中におしゃべりをする余裕がないから、ただそれだけだこの人!!!
なんだかやましいことをしたような気分にさせられたデイジーが、顔を真っ赤にしてぷりぷり怒りながらケビンを見ると、珍しく一瞬だけ目が合ったケビンが、デイジーを見てふわりとほほ笑んだ。
多分、これはほほ笑みというより、疲れて顔の筋肉を緩めただけである。
しかし、タイミングが良すぎて腰が砕けそうになったデイジーは、自らのやましい気持ちを打ち倒すべく、頭の中で必死にケビンの家で処理したゴミ袋の数をコンマ十個の勢いで数えはじめる。
こうして、二曲目を踊りきったデイジーとケビン。
二人の足はそれぞれ違う意味でガクガクと震えており、その様は生まれたての小鹿のようである。
そしてダンススペースから去ろうとした二人を迎えたのは、ケビンとデイジーが戻ってくるのを今か今かと待っていた令嬢達とクラウスで――。
「デイジー! 私と一曲――」
「デイジー様、戻りますよ」
「「「「「えええええ!?」」」」」」
令嬢達の度肝を抜きながら、ケビンはデイジーを半ば抱きかかえるようにしてダンススペースへと戻っていった。
その強引な様に、「はわわわ」と乙女モード一直線のデイジーは抵抗することができない。
結局、三曲目の後も同じことが起こり、禁断の四曲目――四曲以上を同じペアで連続で踊るのは、マナー違反とされる――に突入しようとしたところで、笑いをかみ殺しながら現れたリーンハルトに、ケビンとデイジーは回収された。
回収した二人を壁際の椅子に座らせたリーンハルトは、置いてけぼりにされた悲哀の第一王子クラウスをちらちらと視線の端にとらえながら、壁の柱に寄りかかり、声を抑えつつも笑い転げている。本当に、息をするのも苦しそうだ。そのまま窒息してしまえば(略
「ケビン様、あの、神ってなんなんですの?」
そろそろ聞いてもいいかと思い、ケビンに尋ねてみたけれども、答えはない。
隣を見ると、デイジーのパートナーは、真っ白に燃え尽きていた。
デイジーはケビンに質問することを諦めて、自分も真っ白に燃え尽きることにした。
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灰のように過ごして五分ほど経った頃だろうか。
ようやく笑いを収めたリーンハルトが、ケビンに声をかけてきた。
「ケビン様、もうすぐ準備の時間では?」