翌日の放課後、俺と深雪は第三演習室にいた。
服部副会長との模擬戦は、短時間で決着した。結果として風紀委員への推薦もほぼ決まり、今はその後の手続きを待っている。
室内には七草会長をはじめとする生徒会の面々と、風紀委員長の渡辺摩利先輩が揃っている。
そこへ、見慣れない三年生の男子生徒が入ってきた。
辰巳鋼太郎。入室した際に名前だけは聞いたものの、なぜこの場にいるのかについてはまだ説明がない。
書類を一枚渡して終わりということもないだろう。
そう考えているうちに扉が開いた。
「失礼するっス」
入ってきたのはミーシャだった。入るなり首を左右に振っている。
第一高校の制服に眼鏡型の視覚補助CAD、腰にはいつもの革製のポシェットに折り畳み杖。
格好だけなら普段と変わらないが、扉を閉めた途端に吐いた息がやけに長く、そのあと室内を確認するため左右へ向けた顔の動きにも、いつもの余裕が少し欠けている。
「風間さん、こちらへどうぞ」
七草会長が手を上げると、ミーシャは声のした方角へ歩き出しながら、
「会長。またっスか」
「また、とは失礼ね」
文句を言いながらも歩みは止めなかったが、こちらへ来る途中で顔がふいに中条あずさ先輩の方へ向き、そのまま動かなくなった。
「あーちゃんには達也君たちと昼食を取ったあと、風間さんにも少し付き合ってもらって、CADが改造されていないかを確認して貰っていたの」
七草会長は悪びれる様子もなく説明した。
「あの先輩、凄いっス」
ミーシャが中条先輩へ身体を向けたまま言う。
「デバイスの話になった瞬間から止まらなかったっス。最初は自分のCADの説明をしてたはずなのに、途中からこっちは『なるほど』『そうなんスね』『へえ』だけで乗り切る装置になってたっス」
「そ、そんなに一方的に話してはいませんよ……?」
中条先輩の抗議には自信がない。
「可憐な外装に騙されたら駄目っスね。偽装商品っス」
そこで会話が途切れた。
誰かが打ち合わせたわけでもないのに、七草会長も渡辺先輩も市原先輩も深雪も辰巳先輩も、一斉にミーシャへ顔を向ける。
――お前が言うな。
俺も余計な助け船は出さなかった。
やがて、何も返ってこないことを不審に思ったらしく、ミーシャはゆっくり顔を巡らせた。
「……なんか今、全員から同じ圧を感じるっス」
「気のせいじゃない」
「達也までそっち側っスか」
昼に中条先輩が途中退席した理由も、これで分かった。
「で、こっちは何があったんスか?」
七草会長は、説明を自分でする気がないらしく、そのまま渡辺先輩へ目を向ける。
渡辺先輩も意図を察したようで、少しばかり迷惑そうな顔をしながら腕を組んだ。
「昼休みに、司波兄妹を生徒会室へ呼んだ」
「ウィっス」
「そこで司波を生徒会へ勧誘した」
「ウィっス。深雪は総代だから順当っスね」
「すると司波が、兄も一緒に生徒会へ入れろと言い出した」
「ウィ? ッス?」
「渡辺先輩」
深雪の声が普段よりわずかに低くなる。
「私は、そのような乱暴な言い方はしておりません」
「趣旨は合っているだろう」
「かなり省略されています」
そこは深雪の言う通りだった。
もっとも、省略された言葉を全部戻したところで、「お兄様ほど優れた方を差し置いて自分だけ生徒会へ入るわけにはいかない」という結論に着地するので、渡辺先輩の説明も完全に間違っているとは言い難い。
ミーシャは俺と深雪のいる方角へ交互に顔を向けていたが、口は挟まなかった。
「だが、生徒会役員は一科生から選ぶ慣例がある。そこで私が、風紀委員なら二科生でも問題ないと言い出した」
「ああ」
今度はミーシャの声に明確な納得が混じった。
「早速の捕獲っスね」
「人聞きが悪いぞ」
「昨日去り際、わざわざ達也に名前聞いたり。露骨っス」
「言われてみれば、そうだな」
気に入られても、厄介ごとしかないのだが。
「放課後、服部が反対した。二科生に風紀委員が務まるとは思えない、と。それを聞いて深雪君が怒った」
「当然です」
返事は早かった。
30分前の話なのだから、まだ腹に残っていても不思議ではないが、深雪の場合は明日になっても同じ調子で返しそうではある。
「それで達也君が服部の挑戦を受けた。妹の見る目まで否定されるのは不愉快だ、と」
「で、達也が勝ったんスね」
ミーシャがごく当然の結論でも述べるように言った。
「……なぜそうなる」
「だって達也、普通にそこに立ってるじゃないスか。服部副会長はいないっスけど」
それだけなら根拠としては弱い。だがミーシャはそのまま続けた。
「あと、自分、一回九重寺で達也が住職とやり合ってるとこ見てるっスからね。
あれ見たあとだと、副会長さんには申し訳ないっスけど……相手が悪かったとしか」
妙にきっぱり言い切られた。
それを聞いた室内の人間が俺を見る――妙に納得している顔だった。
深雪だけは少し違い、なぜか自分まで評価されたような顔をしていた。
「なぜ深雪が得意そうなんだ?」
「お兄様の素晴らしさを皆様に正しく理解していただけたのですから、喜ばしいことです」
「服部先輩が倒れた結果として広める必要はないだろう」
「ですが、事実でございます」
譲るつもりはないらしい。
渡辺先輩は一度咳払いをしてから、これ以上脇道へ逸れる前に話を戻した。
「服部は試合後すぐ自分の発言を撤回して謝罪した。怪我も大したものではない。今は休ませている」
「了解っス」
ミーシャはそこでしばらく待ったが、話が終わったらしいと気づくと、首をわずかに傾けた。
「……それ、自分に何か関係あるっスか?」
ようやく本題に辿り着いた。七草会長が一歩前へ出ると、ミーシャへと顔を向けた。
「今年から、二科生を風紀委員に積極的に登用するための試験制度が始まることになっているでしょう?」
「ああ、モデルケースのやつっスね」
「あら、知っていたのね。嬉しいわ」
俺も入学前に読んだ資料だ。
従来の風紀委員九名とは別に、二科生から一名を『予備委員』として置き、生徒会長と風紀委員長が合同で推薦する。
今年度から試験的に導入される制度で、一科と二科の間にある問題へ手を入れるための方策の一つだった。
「ところが今日、司波達也を生徒会推薦の風紀委員として迎える話がまとまった」
渡辺先輩がそう告げると、ミーシャの顔が俺へと向いた。
「もう決まったんスか?」
「ああ。模擬戦の結果を受けて副会長が認めた時点で、推薦に反対する人間はいなくなった」
自分から志願した覚えはない。
しかし、断るだけの理由も今のところ見つからなかったので、話はそのまま進んでいる。
「そこで、予備委員の枠をどう扱うかという話になった。達也君が入るなら二科生を登用するという目的は一応果たせる。
だから今年は予備委員を置かないという考え方もできるが、せっかく制度を作った初年度から使わないのもおかしい」
そこまで聞いた辺りで、ミーシャがほんの少し身を乗りだす。
「……へえ」
「真由美が君の名前を挙げた」
ミーシャの動きが止まる。
それから時間を掛けて七草会長の方へ身体を向けると、そこには何の後ろ暗さもない笑顔が待っていた。
「風間さんなら、面白い――じゃなくて、適任じゃないかと思って」
「今、面白いって言ったっスよね」
「気のせいよ」
「いやいや、そこは聞き間違えないっスよ」
ミーシャはしばらく黙っていたが、やがて嫌な可能性に思い至ったように口を開いた。
「……会長。昨日言ってた『貸し』って、もしかしてこれっスか?」
「そうよ」
「回収早いっス……」
「俺の時といい、人が断りにくくなる順番で話を持ってくるのが上手いですね」
「あら。生徒会長ですもの」
褒めたつもりはなかったが、本人はそう受け取ったらしい。
「だが、まだ推薦が決まったわけじゃない」
渡辺先輩が話へ戻す。
「条件がある」
「条件?」
「私からではない。真由美の提案だ」
ミーシャが再び七草会長の方へ顔を向ける。
「……会長?」
「大丈夫よ。危ないことをさせるつもりはないから」
この流れでその台詞を信じろという方に無理がある。
渡辺先輩は構わず部屋の奥を見た。
「鋼太郎」
「はっ」
それまで壁際で黙っていた男子生徒が前へ出る。
そこでようやく、なぜ三年生の風紀委員が一人だけここに呼ばれていたのか繋がった。
「三年C組、辰巳鋼太郎。風紀委員だ」
辰巳先輩が短く頭を下げる。
ミーシャも身体ごと向き直り、相手を視覚補助CADの認識範囲へ入れるため、顔の角度をわずかに調整した。
辰巳先輩は何も言わない。ただ、一度だけ眼鏡型CADへ視線を落とし、その奥の白く濁った両眼を見てから、すぐに視線を戻した。
「風間。君には辰巳と模擬戦をしてもらいたい」
ミーシャは返事をせず、続く言葉を待った。
「先に言っておく。君の障害を軽く見るつもりも、それだけで能力を低く評価するつもりもない。
あずさから視覚補助CADの仕様についても報告を受けている。
君が使用する場合、認識範囲は正面九十度、最大十五メートル。しかも使用中は魔法演算領域の九割を継続して使う」
市原先輩が眼鏡を眺めていたが、考えてみれば当然なのかもしれない、と小さく呟いた。
「生まれつき視覚を持たない人に、障害物の位置だけじゃなく文字や画像まで日常的に認識させるのです。
それを起きている間ずっと維持するなら、軽い魔法式で済むはずもありません。
それより、継続的に起動する術式を、生活に支障が出ないところまで実用化した魔工師の方が――」
「その通りです!」
それまで大人しく端末を見ていた中条先輩の声が、いきなり大きくなった。ミーシャが珍しく引いている――嫌な予感がした。
「これはトーラス・シルバーが開発した視覚補助特化型CAD《シルバー・アイ》なんです! 内部の知覚系起動式は単純な障害物認識に留まらず、文字情報やディスプレイ表示、それに条件次第では起動式まで認識できるよう設計されていて、それだけの情報を常時処理しながら使用者への負担を――」
俺は隣を見る。深雪もこちらを見ていた。
俺の模擬戦前でシルバー・ホーンの話になった時と同じだ。中条先輩はCADの話になると、それまでの遠慮がどこかへ行く。
「それに、先ほど達也君が使用していたシルバー・ホーンも特化型CADとして本当に完成度が高くてですね、特に起動式展開速度と使用者側の処理負担の配分が――」
「そこまでだ、あずさ」
渡辺先輩に止められ、中条先輩はようやく口を閉じた。
その横でミーシャが、いつの間にか半歩ほど後ろへ下がっている。
「……怖いっス」
「何がだ?」
「自分より濃い人に初めて会った気がするっス」
「本人の前で言うことじゃない」
「聞こえてます……」
中条先輩の声が後ろから飛んできて、ミーシャはすぐにそちらへ頭を下げた。
「すんませんっス。でも、自分が第一高校まで来られたの、その人のおかげでもあるんスよ」
先ほどまでの軽さが少しだけ抜けた。
「このCADがなかったら、普通の教材を今みたいな量で読むのは無理だったっス。学校の端末も資料も、そのたびマブダチに読んでもらうわけにはいかないっスから」
俺は考えるより先に口を開いていた。
「それでも、ここまで来たのはミーシャ自身だ」
ミーシャの顔がこちらを向く。
「CADを作った人間がしたのは、使える道具を用意したところまでだ。それを使って勉強したのも、試験を受けたのも、合格したのも自分自身の努力の結果だろう」
開発側に関わった人間だからこそ、そこは混同したくなかった。CADは条件を整えることはできても、使用者の代わりに学ぶことまではできない。
ミーシャはしばらくこちらを向いていたが、やがて肩の力を抜いた。
「ウィっス。じゃ、その言葉はありがたく貰っとくっス」
「……今度こそ、話を戻してもいいか?」
渡辺先輩の声には、先ほどにはなかった疲れが混じっていた。
さっき一度話を戻したばかりなのに、また脱線している。
しかも今回は俺もその一因なので、何も言えなかった。
「昨日見せてもらった《幻想術》についても同じだ。普通の魔法式として観測できない以上、学校の実技成績や既存の基準だけでは評価できない」
幻想術は、学校の実技試験の処理速度としても演算規模としても干渉強度としても評価に収まらない項目だ――収めようとすれば、箱が壊れる。
それなら確認するのに手っ取り早い方法は一つ。
「そして、風紀委員の仕事は魔法の成績が良ければ務まるというものでもない。
校内で生徒同士が揉めれば間へ入らなければならないし、警告だけで止まらなければ実力で抑えることもある。
場合によっては、こちらが動くより先に相手が魔法を使う。
そういう場面で君がどう動くのか。それを私は見ておきたい。
辰巳との模擬戦を確認した上で、私も推薦に名を連ねるかを決める」
辰巳先輩がもう一歩前へ出たことで、二人の体格差がはっきりした。もともと小柄なミーシャと並ぶと頭一つ以上違う。
制度上、七草会長一人の推薦では予備委員にはなれない。風紀委員長である渡辺先輩まで同意して初めて合同推薦が成立するのだから、この試合が実質的な選考になる。
辰巳先輩はまだ少しやりにくそうだった。
相手が一年生の女子生徒だから、というだけではないだろう。
小柄な身体に白濁した眼、移動にはCADを使い、周囲を見るためには常時魔法を使わなければならない。
その相手に試合だから遠慮するなと言われても、最初から迷いなく全力を出せる人間の方が少ない。
「どうする?」
渡辺先輩が尋ねる。
「断っても構わない。推薦の話も、それで君に不利益が出ることはない」
「了解っス」
「……即答か?」
「ウィっス」
そこまでは普段と変わらなかった。
だが、その次の言葉が出るまでに少し間があり、ミーシャは踵を揃えて姿勢を正した。
いつも肩のどこかから力が抜けている立ち方とは違い、背筋が真っ直ぐ伸びている。
「父は、国を守る職務に就いております」
七草会長の口元に残っていた笑みも自然に薄くなる。
「お父様は軍人なの?」
「はい。血の繋がりはありませんが、私の父です」
名前は出さなかった。風間玄信少佐。
この場でその名を知っているのは、俺と深雪――いや七草の家ならあるいは――
「私は、その父を誇りに思っております。
その父が背負っている責務と比べて、自分も同じものを背負えるなどと思っているわけではありません。
ですが、学び舎の秩序を守る役目を任せていただけるというお話を頂きながら、恐れて退くようでは――父に顔向けができません」
言葉を終えると、ミーシャはゆっくりと頭を下げた。
礼そのものに迷いがない。
学校生活の中で身につけたというより、もっと前から繰り返してきた動作に見えた。
余計な所作がなく、頭を下げる角度も戻す速さも整っている。軍で目上の人間へ敬意を示す礼に近い。
七草会長も渡辺先輩も口を挟まず、中条先輩まで端末を持ったまま動きを止めている。
市原先輩の表情からは何も読み取れない。ただ、伏せられたその目には、ミーシャへの敬意が滲んでいるようにも見えた。
辰巳先輩はいつの間にか姿勢を正し、隣にいる深雪も黙ってミーシャを見ていた。
――俺は何も言わなかった。
やがてミーシャが頭を上げる。
白く濁った瞳は誰とも視線を結ばない。それでも、今この部屋で彼女を見ていない人間はいなかった。
「――というわけで、決まったっスね」
さっきまでの空気を返せ、と考えた人間が何人いたかは確認する必要もないだろう。
……俺は何も言わなかった。
「……風間」
渡辺先輩が低い声で呼ぶ。
「はいっス」
「いや。もういい」
七草会長は咳払いをし、室内中央へ歩いていった。
認証盤へ端末をかざすと壁際の表示灯が切り替わり、演習室の管理システムが試合用の設定へ移行していく。
「生徒会長・七草真由美の権限により、三年C組・辰巳鋼太郎、一年E組・風間ミーシャ、両名による模擬戦を校内規定に基づく正式試合として認めます」
先ほど、服部先輩との試合で聞いたばかりの文言だった。
第一高校に入学して、まだ三日しか経っていない。
それなのに、一日のうちに二度も正式な模擬戦へ立ち会うことになるとは思わなかった。
しかも一回目は俺自身が当事者だ。
七草会長は用意していた許可証をミーシャへ差し出す。
「この試合に限り、登録済み起動式を含めたCADの使用を許可します。ただし、安全規定に抵触すると判断した場合は審判権限で即時停止。いいわね?」
「了解っス」
ミーシャは両手で許可証を受け取り、辰巳先輩も短く頷いた。
幻想術という未知数はある。だが、これだけの制約を抱えての模擬戦は、どう考えても分が悪い。
「では、CADを取りに行って来るっス」
視覚補助CADを使い続ける限り、通常の魔法に割ける演算能力は一割程度しかない。
だが、《幻想術》までその制約を受けるのか。そこが、まだ分からない。
昨日、家で深雪と話した内容を思い返していた。
ミーシャの魔法を現代魔法と同じ仕組みだと決めて追うから分からなくなる。
何をしたかではなく、まず何が起きたのかを見る。その考え自体は今も変わっていない。
ミーシャがいったん第三演習室を出てから、数分ほど経った頃だった。
再び扉が開き、戻ってきた彼女の手には、普段腰へ下げている革製のポシェットとは別に、小型のハードケースが増えていた。
中身を確認するまでもない。先ほどの話から考えれば、模擬戦で使うCADを取りに行っていたのだろう。
ミーシャは足元へハードケースを置き、留め具を外した。
蓋を開け、中から取り出したのは腕輪型の汎用CADだった。
それを左手首に巻き、留め具を固定する。装着具合を確かめるように手首を軽く動かすと、今度は眼鏡型CADへ手を伸ばした。
フレームの側面を指で探り、迷いなくスイッチを押す。それまで微かに聞こえていた作動音が消え、室内を拾うため一定の間隔で動いていた顔も止まった。
――電源を切った?
だが、ミーシャは何事もなかったように、手元のハードケースへ意識を戻し、その蓋を閉じた。