翌日授業が終わった後、俺とミーシャは風紀委員会の会議室にいた。
昨日のうちに登録手続きは済ませてあり、俺は従来通りの風紀委員、ミーシャは今年から試験的に設けられた二科生の予備委員という扱いになっている。
名前だけを見れば多少の差がありそうだが、渡辺先輩の説明では、実際の仕事まで分けるつもりはほとんどないらしい。
少なくとも、予備委員だから揉め事の前では後ろに立っていろ、という制度ではなかった。
会議室へ入った時、先に中へ足を踏み入れたのは俺だった。
長机を囲む者のうち、七名は二、三年生だった。
全員が分かりやすく身体を鍛えているわけではないものの、椅子へ座ったままでも出入口や周囲へ自然に目を配っている者が多く、何かあればすぐ立てる姿勢を崩していない。
学校の委員会という言葉から連想する雰囲気より、揉め事の近くへ自分から入っていくことに慣れた人間の集まりに見えた。
そして、その中に一年生が一人だけ先に座っていた。
教員推薦枠で選ばれた森崎駿だ。
俺が入ってきたことに気づいた瞬間、森崎の表情が明らかに強張った。
椅子から半ば腰を浮かせ、何か言いかけるように口を開く。
「おま――」
その時、俺に続いてミーシャが会議室へ入ってくる。森崎の声が止まった。
こちらへ向けられていた警戒心の強い視線も、ミーシャへ移った途端にわずかに勢いを失う。
口を開いたまま一瞬固まり、それから何事もなかったように座り直したが、さっきまでの剣呑さを完全に隠せているとは言い難かった。
その反応については、特に意外でもない。
ミーシャの方は森崎の様子を気にした様子もなく、いつもの眼鏡型CADを装着したまま、委員長と向かい合う形で設けられた席へ着いた。
風紀委員会は本来九人が定員で、長机の奥側の短辺に委員長、その左右の長辺に四人ずつが座るのが通常の配置だ。
ミーシャはそこへ急遽加わった十人目なので、席は委員長の正面――部屋の入口側の短辺に一つだけ追加されている。
そこへ腰を下ろすと、会議室の構造を頭へ入れるため、何度か顔を左右へ動かしていた。
これで一年生は三人。
俺とミーシャ、それから森崎だ。
全員が揃ったところで、渡辺先輩が前へ出る。
「今日から、あの馬鹿騒ぎの一週間が始まる」
挨拶らしい挨拶もなく、いきなりそれだった。ミーシャから「うほっ」という反応がした。
俺にしか聞こえなかったかと思ったが、向かいの森崎まで顔をしかめた。
新入生を対象にした部員勧誘週間。
第一高校には運動系、文化系を問わずかなりの数の部活動があり、競技の大会成績がそのまま学校側の評価へ影響する部が少なくない。
各部が少しでも優秀な新入生を欲しがるのは当然だが、毎年その取り合いが勧誘の言葉だけで済むわけでもないらしい。
しかも、この期間だけCADの校内での携帯が許される。起きるトラブルは想像に難くない。
「優秀な部員の獲得が各部にとって重要なのは分かる。だが、勧誘をめぐる部同士の小競り合い、進路妨害、場所の取り合い程度ならまだしも、毎年のように殴り合いや無許可の魔法行使まで出る。残念ながら、今年だけ急に全員が品行方正になるとは思っていない」
渡辺先輩が室内を見回しても、上級生たちには特に動きがなかった。
話の内容に慣れているのだろう。警戒するというより、またこの時期が来たか、とでも言いたそうな顔がいくつか並んでいる。
「その点では、今年は運がいい。卒業で空いた分の補充も例年より早く済んだし、この前通達しておいた予備委員の人選も、すでに終わっている」
その言葉と一緒に、渡辺先輩の視線がこちらへ向いた。
「一年、立て」
俺、ミーシャ、森崎の三人が席を立つ。
「一年A組、森崎駿。一年E組、司波達也。そして同じく一年E組、風間ミーシャ。今日からこの三人にも実務へ入ってもらう」
長机を囲んだ上級生たちの目が、一斉にこちらへ集まった。
一科生である森崎はともかく、二科生が同じ年に二人も風紀委員側へ入るのは、これまでならまずなかったはずだ。
それも一人は正式委員で、もう一人は新設された予備委員。渡辺先輩が何も補足せず、そのまま話を終わらせられるとは思えなかった。
案の定、俺の隣の二年生が手を挙げた。
「委員長」
「何だ?」
「その……使えるんですか?」
かなり直接的だったが、聞きたいこと自体は分かる。
渡辺先輩も気を悪くする様子はなく、間を置かず答えた。
「保証する。司波の実力はこの眼で確認済みだ。何せあの副会長を模擬戦で破ったのだからな」
「なんと! 入学以来負け知らずの服部が、新入生に敗れたと!? それは逸材ですね!」
その言葉を聞いて別の二年生が、一瞬で目の色を変えた。
こちらを見る視線から疑念が消え、代わりに妙な熱がこもる。
「沢木、落ち着け。まだ話の途中だ」
「はっ、失礼しました!」
渡辺先輩は小さく息を吐いてから、今度はミーシャへ視線を移した。
「風間も同じだ。単純な戦闘能力だけではなく、突発的な状況でどう動くかまで見た上で、私が推薦に加わっている」
「それについては俺も保証する」
「黙っていろ鋼太郎」
渡辺先輩が手元の資料を丸め始めると、辰巳先輩が反射的に頭をかばった。
その動きには妙な手慣れた感じがある。どうやら日常茶飯事らしい。
渡辺先輩は何事もなかったように、最後に森崎へ視線を向けた。
「森崎のCAD操作技術も一年としては高水準だ。森崎一門のクイック・ドロウは伊達ではない、実戦で使えるだけの速度もある」
それを聞いて、森崎の顔から少しだけ余計な力が抜けた。
一昨日俺たちと何があったかと、風紀委員として使えるかどうかは別に考える。渡辺先輩は最初からそのつもりらしい。
「他に言いたいことのあるヤツは居ないか?」
少々喧嘩腰の委員長の物言いに、今度は誰も手を挙げなかった。
上級生たちの疑問が完全に消えたとは思わないが、少なくとも委員長がそこまで言うなら、あとは実際の仕事ぶりを見てから判断するというところで落ち着いたのだろう。
委員長が次の話へ移ろうとしたところで、隣のミーシャが手を挙げた。
「委員長」
「何だ、風間」
「自分の装備というか……相方、今のうちに紹介しといていいっスか? 現場でいきなり出したら、多分そっちの方が面倒っス」
委員長の口元が引きつった。何を出すつもりなのか、説明されなくても分かったらしい。
「……あれか」
「ウィっス」
少しだけ考えたあと、渡辺先輩は許可した。
「いいだろう。ただし手短にな」
「了解っス」
ミーシャは椅子を引いて少し広いところまで出ると、周囲に誰もいないことを確かめるように顔を巡らせてから口を開いた。
「シャシュティ」
何もなかった空間へ、昨日見た三毛猫が現れた。
腹回りの丸い身体に、蝙蝠のような翼。見た目だけなら一度見れば忘れにくい。
当然、初見の上級生たちの反応は速かった。何人かは椅子から腰を浮かせ、反射的にCADへ手を伸ばしかける。
だが渡辺先輩が止めるより先に、当のシャシュティが空中で姿勢を整えた。
「なるほど。風紀委員としての初仕事、その顔合わせというわけだな」
落ち着いた男の声が会議室へ響く。伸びかけていた手が止まった。
翼をゆっくり動かしながら、シャシュティは長机を囲んだ面々へ順に顔を向けていく。
「皆、なかなか良い面構えをしている。ミーシャの使い魔、シャシュティだ。今後、必要に応じて貴君らとともに任務へ当たることになるだろう。よろしく頼む」
そのまま、空中で丁寧に頭を下げた。
すぐに返事をする者はいなかった。
突然現れた翼のある太った三毛猫が、風紀委員相手に自分から名乗り、それも主人であるミーシャよりよほど格式張った口調で挨拶している。
初見で何事もなかったように受け流せという方が難しい。
ミーシャだけは周囲の反応を気にする様子もなく続けた。
「シャシュティは自分のマブダチ兼使い魔っス。現場で見かけても、間違えて攻撃しないでほしいっス」
一人の上級生が、半分CADへ手を伸ばした姿勢のまま確認する。
「つまり、その猫が出てる時は……何か起きてると思えばいいのか?」
「大体そう思ってもらえばいいっス」
ミーシャは自分の眼鏡型CADを指先で叩いた。
「普段はこの眼鏡で視覚を補ってるんスけど、魔法演算領域の九割くらい使っちまうんス。現代魔法を本格的に使うときは眼鏡を止めて、シャシュティの視界を借りるっス」
「九割だと?」
「ウィっス。ただ、借りられる視界には制限があるんで、シャシュティが出てる時は周りの警戒を手伝ってもらえると助かるっス」
「なるほど。風間が実力行使の準備に入ったら、こっちは周囲を警戒しておけばいいわけだな」
「助かるっス。あ、基本的には学校で出しちゃ駄目って委員長に言われてるんで、実際に呼ぶのは仕事で必要な時だけっス」
話が早かった。
一年以上、風紀委員として現場に出ている人間なら、実務を共にする仲間の未知の技術を、その場ですべて理解することには拘らないのだろう。
何ができるのか、どういう状態なら何をしようとしているのか、自分たちはどこを補えばいいのか。それさえ分かれば、とりあえず一緒に動ける。
俺自身も、ミーシャの《幻想術》についてようやく似たところへ辿り着いた。
結果に至る途中が見えないなら、そこへいつまでも拘っても仕方がない。まず何が起きたのかを見る。
今のところは、それで十分だ。
「では、私は一度退こう。必要になれば呼んでくれ。主よ、戻してくれ」
「あ、追加説明っス。自分の意思で一時的に帰しておけば、すぐ呼び直せるっス。
でも攻撃とかで倒されて消えちゃった場合は、もう一度呼び出すのに一時間ちょっと儀式が必要になるっス」
シャシュティは改めて、室内の全員へ丁寧に頭を下げた。その姿は、ミーシャよりもよほど風紀委員らしい。
やがて、翼を動かしていた三毛猫が、森崎へ顔を向けた。森崎の肩がわずかに強張る。
校門前の騒動について、シャシュティがどこまで聞いているのかは分からない。ただ、その視線を受けた森崎は、しばらく何も言わなかった。
シャシュティも口を開かない。
数秒の沈黙の後、猫は小さく首を振った。
「……私が口を挟むことではないな」
次の瞬間、その姿が消えた。
先ほどまで猫が浮いていた場所には、翼の羽根一本残っていない。森崎はしばらく、何もない空間を見つめていた。
上級生の一人がそこを見上げたまま呟いた。
「……すごい新人が入ったな」
「司波もいるぞ」
別の先輩が言う。
「今年の一年、濃くないか?」
否定する理由はなかった。
渡辺先輩が二度手を叩くと、雑談へ流れかけていた空気がすぐに切り替わった。
「紹介は終わりだ。今日から一週間、校内は普段より確実に荒れる。違反者や騒ぎを起こすものを見つけたら即時対応しろ」
長机を囲む上級生たちの姿勢が変わる。
「ただし、勘違いするな。部活動側の勧誘そのものは正当な活動だ。
風紀委員だからといって、自分が気に入らないやり方を片っ端から止めていいわけじゃない。
規則に触れている部分だけ止めろ。必要以上に威圧するな。挑発にも乗るな」
最後の一言で、渡辺先輩の視線がこちらへ流れた。
俺、森崎。それから、わずかに長くミーシャ。
本人も気づいたらしい。
「自分、今名指しされてないっスよね?」
「自覚があるなら結構だ」
「まだ何もやらかしてないっス」
「その台詞はすでに二度目だぞ?」
ミーシャが黙った。
確かに、七草会長の前で「まだ何もやらかしてない」と言った次の日には、校門前へマッド・メフィットを八体出している。
「まあいい。各員の担当区域は端末へ送ってある。異常を見つけたら必要に応じて連絡を入れろ。
一人で手に負えないと判断したら、無理に解決しようとするな。応援を呼べ。そのために委員会がある」
渡辺先輩は最後に室内を一度見渡した。
「では――出動!」
上級生たちが一斉に右手を胸へ当てる。
軍の正式な敬礼とは違う。風紀委員で使っている簡略な挨拶らしい。
俺も周囲に合わせて右手を上げ、隣ではミーシャが一拍遅れて同じ動きをする。森崎も続き、すぐに椅子を引く音と足音が重なった。
それぞれが担当区域へ散っていく。
「一年どもはこっちへ来い。必要な端末の設定と連絡方法、それから使用するCADの貸与について説明する」
森崎が即座にその後へ続く。俺も会議室を出ると、廊下を歩きながら隣のミーシャへ目を向けた。
腰には、いつもの革製ポシェット。
昨日はあの中から昆虫の樹脂標本が出てきた。その前には磁鉄鉱もあった。
もっとも、厄介なのはポシェットの中身ではない。必要とあれば泥の小鬼を八体呼び出し、今見たばかりの喋る三毛猫まで召喚できる、その持ち主の方だ。
風紀委員が今日から注意すべき相手は、勧誘に熱を上げた部員たちだけでいいのだろうか。
「達也」
「何だ」
「この勧誘週間って、屋台とか出ないんスか?」
「何を期待していた」
「祭りじゃないんスね」
「最初からそう説明されていただろう」
「馬鹿騒ぎって聞いたんで、ちょっと期待してたっス」
俺は歩幅を広げた。