「――以上が剣道部の新歓演舞に剣術部が乱入した顛末です」
閉門時刻が近づいた部活連本部は、昼間の騒ぎが嘘のように静かだった。
窓の外では西日が校舎の縁へ沈みかけ、グラウンドに落ちた影が斜めに長く伸びている。
部員勧誘週間の初日だけあって、ついさっきまでは廊下の向こうから呼び込みや怒鳴り声が途切れなかったが、それも今ではほとんど聞こえない。
俺とミーシャは、演舞場の一件について報告するため、この部活連本部を訪れていた。
向かいに座っているのは、七草真由美生徒会長、渡辺摩利風紀委員長、そして部活連会頭の十文字克人先輩。
第一高校の生徒で、この三人の名前を知らない者はそう多くない。
遠隔精密射撃魔法では十年に一人の逸材と言われる七草会長。個人戦、集団戦の双方で実績を持つ渡辺先輩。そして多重防御障壁魔法による鉄壁の防御力で知られる十文字会頭。
校内で三巨頭などと呼ばれているのも、単に役職が上だからというだけではない。
特に十文字会頭については、それだけでは済まない。
十文字という姓が示す通り、十師族・十文字家の人間で、次期当主と見られている。
そういう立場なら、一般の高校生には回ってこない情報へ触れる機会もあるだろう。
さっきから十文字会頭の視線が、ときどきミーシャへ向いている。
露骨ではないが、初対面の一年生へ向ける目としては、少し長い。
渡辺先輩から、ミーシャが軍人の養女であることくらいは聞いているのかもしれない。
あるいは、父親の所属や立場まで含めて知っていたとしても、十文字家なら不思議ではない。
その場合、多少引っ掛かるものがあってもおかしくはない。
その養女がさっきからへにゃっとした雰囲気で「っス」を連発しているからだ。
もっとも、今日は報告をしに来たのだから、今考えるべきことではない。
七草会長が端末に表示された内容を追いながら、確認するように口を開いた。
「剣道部と剣術部の衝突自体は、稽古用の竹刀による試合の延長。打撲程度で済む範囲なら、風紀委員としても即座に止めなければならないほどではなかった」
「はい」
「でも、そのあと桐原君が高周波振動魔法を使った。そこで達也君が介入して拘束した、と」
「その通りです」
「それで。取り押さえられた桐原君はどうなったの?」
「保健委員に引き渡しました。床へ押さえ込んだ際に肩を強く打たせてしまい、鎖骨にごく小さなひびが入っていたとの報告です。
魔法ですぐに治療可能な程度の怪我でしたが、本人は非を認めており、再び危険行為に及ぶ様子もありませんでした。
風紀委員としてはそれ以上の措置は必要ないと思いました」
必要なことだけ答える。
桐原先輩が俺に押さえ込まれたあと、大人しくなったのは事実だった。
「なるほど速度と確実性を優先したというわけだな。
うむ……いいだろう。訴追は基本摘発者の判断にゆだねられているからな。私は達也の判断に異論はない」
俺の説明に、渡辺先輩は特に驚いた様子もなく頷いた。
「聞いての通りだ、十文字。この件について、風紀委員会から懲罰委員会へ回すつもりはない」
高周波振動魔法による竹刀の高周波ブレード化。
無許可で魔法を使っただけでも問題だが、対象が人間なら話はさらに重くなるはずだ。
俺は何も言わずに、話の流れに任せていた。
七草会長が十文字会頭へ視線を移した。
「ということだけど、十文字君はどう?」
桐原先輩は剣術部員だ。風紀委員会だけでなく、部活連としての判断も必要になる。
十文字会頭はすぐには答えなかった。
大柄な体格のせいもあるだろうが、ただ椅子に座って考えているだけで、こちらへ妙な圧が掛かる。
やがて、低い声が返ってきた。
「彼の行為は、殺傷性ランクBに分類される魔法を用いた暴力行為に該当する。校則に照らせば、本来なら停学処分を免れない」
誰も口を挟まなかった。
桐原先輩本人も、それくらいは分かっているはずだ。
俺が止めなければ、あの竹刀は壬生紗耶香先輩へ向かって振るわれていた。竹刀だから安全だという話は、高周波振動魔法を乗せた時点で終わっている。
しばらくして、十文字会頭は渡辺先輩へ軽く頭を下げた。
「風紀委員会の判断に感謝する」
「本人が反省しているなら、それでいい。初日から懲罰委員会へ人を送り込むこと自体が目的じゃないからな」
「今回の件については、こちらからもよく言い聞かせておく。次はないと本人へ伝えておく」
「頼んだぞ」
「私もそれでいいわ」
風紀委員が裁定を下し、部活連が受け入れた。生徒会長も異を唱えない。なら、俺からは何も言うことはない。
これで桐原先輩の件は、ひとまず終わった。
剣道部と剣術部の間に何も残らないとは思わないが、少なくとも大きな懲戒手続きへ進むことはなさそうだった。
だが、俺はこのまま報告が終わるものとは思っていなかった。大きな問題がある。
当然、十文字会頭は端末を閉じなかった。
「一つ確認したい」
低い声が続く――やっぱりな。
当のミーシャは、もう自分の出番は終わったと思っているのか、いつものように肩の力を抜いて立っていた。
十文字会頭が報告書を読み上げる。
「『剣術部員四名が風紀委員へ接近したため、風間風紀委員が身長約三メートルへ巨大化し、進路を封鎖。対象四名の戦意を喪失させた』」
そこでようやく、ミーシャの肩が少し縮んだ。
七草会長は少し身を乗り出し、渡辺先輩は何もない壁の方を見ている。
――この一文は抜けない。
剣道部員、剣術部員、見学中の新入生、二階テラスにいたエリカ、それ以外にも演舞場にはかなりの人数の目撃者がいた。
三メートル近い女子生徒が突然降ってきた出来事を報告書から消した方が、あとで説明に困る。
十文字会頭がミーシャを見る。
「これは事実か?」
「ウィっス」
返事は早かった。
「《エンラージ》って魔法っス」
「エンラージ……人間が、着衣を含めて倍近い大きさになるのか?」
「正確には重量が八倍になるっス。見た目のサイズはだいたい二倍っスね」
その情報は余計だ。そこまで詳しく言う必要はない。
十文字会頭は黙った。
人体だけなら、まだ強引に理屈を組み立てられるかもしれない。
だが実際には、その上に着ている制服、身につけている装備までまとめて大きくなっていた。それでいて動作に支障もなく、普通に歩き、しゃがみ、話している。
現代魔法の魔法式として考えるなら、構築する側が先に嫌になるような処理量になる。
十文字会頭も似たことを考えたのか、しばらく黙ったままだった。
やがて考えを整理するように、ミーシャに質問する。
「……そのような魔法式は、想像がつかないが、古式魔法の類か?」
「分類上はそうなってるっス。《幻想術》って呼んでるっス」
「幻想術……」
十文字会頭の視線がミーシャから俺へ、そこから七草会長、渡辺先輩へ移る。
質問を続けるかどうかを考えているようだった。
「なるほど」
十文字会頭はそれ以上聞かなかった。
「古式魔法なら、流派の秘中に属する部分もあるだろう。ならば、俺から術そのものを追及する必要はない」
「ウィっス」
必要なことだけ確認して、必要のない部分には踏み込まない。
少なくとも、ミーシャの背景を探るために質問していたわけではないらしい。
ところが、本人はもう一度報告書へ目を落とした。
「しかし、三メートルか」
「ウィっス」
「四人を腕で囲んだ、とある」
「完全には囲んでないっス。半分くらいっス」
そこは訂正しなくてもいい。
「さらに、顔を近づけて微笑み、『びっくり玉手箱効果で落ち着くっス』と発言した、と」
それまで耐えていた七草会長の顔が真下に向いた。
そこまで書いたのは俺ではない……こいつか。確かに、俺は事実をそのまま書けと言った。
当のこいつは、なぜか少し胸を張っていた。
「平和的制圧っス」
「……そうか」
十文字会頭の返事が初めて鈍った。
渡辺先輩から乾いた笑いが漏れる。
「まあ……確かに四人とも止まった」
「あの四人に怪我はなかったのよね」
七草会長まで加わった。
「はいっス。巨大化して近くで笑ったら、全員すぐ大人しくなったっス」
だが、十文字会頭は笑わなかった。
端末から視線を上げ、しばらくミーシャを見ている。
「風間」
低い声で名前を呼ばれ、ミーシャもさすがに七草会長の方へ向けていた顔を戻した。
「はいっス」
「結果だけを見れば、風間の対応に問題はない。多少威圧的な手段ではあったが、剣術部員四名の介入を防ぎ、誰一人負傷させることなく事態を収めた。
直接的な暴力に訴えず制圧した点も評価できる」
そこで一度言葉を切った。
十文字会頭は説教をしているというより、何かを確認させるような口調だった。
「だが、剣術部は男子部員が多い」
「……ウィっス」
「相手は高校生だ。君は異性で、あの時は通常の倍近い体格になった状態で、四人を腕の内側へ入る距離まで近づいたのだろう」
ミーシャが黙る。
「本人に意図がなかったとしても、相手からすれば話は別だ。異性に顔を近づけられれば、どう振る舞えばいいのか分からなくなる者もいる。
まして周囲には大勢の目もあった」
あれを戦意喪失とだけ処理するのは、当然違う。強いて言えば思春期特有の反応だ。
だが、十文字会頭はミーシャを責める調子にはならなかった。
「風紀委員の仕事を優先したこと自体は、間違っていない。現場では、多少強引な手段を取らなければならないこともあるだろう。
その判断について、部活連として何かを言う立場でもない。そこは風紀委員の領分だ。
だから、これは風紀委員としての話ではない。自分では何とも思わない距離でも、相手にとってはそうとは限らない。その点だけは、今後頭に置いておいた方がいい」
部屋の空気が少し変わった。ミーシャもすぐには返事をしなかった。
いつもの「っス」で流すには、十文字会頭の言い方が真面目すぎたらしい。
ただ、その表情に浮かんでいるのは反省というより、純粋な疑問に近かった。
「……自分、そんなに顔が近いと、男の人って困るんスか?」
十文字会頭が目を瞬かせ、口が少し開いたままになる。
渡辺先輩も、何を言うべきか迷ったように口を閉じる。
ミーシャはふざけている様子ではない。むしろ、本当に分からないのだ。
いつの間にミーシャの冗談の呼吸がつかめて来ている自分が恨めしい。
「その、あんまり実感なかったっス」
「実感が?」
七草会長が聞き返す。
「はいっス。自分、今まで同年代の異性とほとんど接点なかったっスから」
そう言って、ミーシャは指先で頬を掻いた。
「周りにいたの、大体年上の人ばっかだったっス。男の人もいたっスけど、みんな自分よりずっと上だったんで」
それはそうだ、十代のっスっス少女が多少距離を詰めたところで、年長者なら適当に受け流せる。
まして、羽毛のように軽い調子で冗談を飛ばすミーシャの性格など、話して5秒で理解できる。
「自分が『今日も可愛いっスよね』とか『お嫁さん候補にしていいっスよ』とか言っても、『はいはい』で終わってたっス」
「そんなことまで言っていたのか」
渡辺先輩が低く呟いた。ミーシャはすぐに拾う。
「冗談っスよ?」
「それは分かっている」
分かってはいるらしい。
「だから、同い年くらいの男の人だと、そんなに反応変わるって知らなかったっス」
どうやら、本当にそう認識していたらしい。
三メートル近い少女に腕の内側へ囲われ、至近距離から笑顔を向けられた高校生男子の心理について、考えたこと自体がなかったということだ。
七草会長が何か思い出したように端末へ視線を落とした。
数回操作したあと、その画面を十文字会頭の方へ向ける。
「十文字君」
「何だ」
七草会長は何も説明せず、表示された箇所を指で示した。
十文字会頭は数秒、それを読みミーシャに視線を戻す。
「……なるほど」
七草会長は端末を自分の方へ戻した。
十文字会頭も、それ以上資料について触れなかった。
「風間」
「はいっス」
「事情は分かった、今まで分からなかったこと自体を問題にする必要はない」
十文字会頭はそこで一度言葉を切った。
「今は学校にいる」
「……はいっス」
「魔法や戦闘技術だけを学ぶ場所ではない。同年代の人間と接して、自分と相手を知る。それも学校で学ぶことの一つだ」
ミーシャはしばらく黙っていたが、やがて姿勢を正す。
「了解したっス」
そして、普段の彼女からは少し意外なくらい丁寧に腰を折った。
「教えてくれて、ありがとうございますっス」
十文字会頭は口の端をあげるが、すぐにいつもの表情へ戻った。
「それと、風間」
「はいっス」
素直だった。十文字会頭は、珍獣の扱いになれているのだろうか。
「巨大化する必要のない場面では、できる限り普通の手段を選んでくれ」
渡辺先輩が間を置かず頷いた。
「私からも頼む」
「私も、その方がいいと思うわ」
七草会長まで同意した。
三人の意見が、そこだけ綺麗に揃った。
「ウィっス」
ミーシャは一応考えるような間を置いてから頷く。
「必ず実行しろ」
渡辺先輩の念押しがすぐに飛んだ。
どうやら報告はこれで終わりらしい。そこで、俺とミーシャは部活連本部を後にした。
風紀委員になって一日目。
その最初の報告書に、『身長約三メートルへ巨大化』
という記述が残った。
できれば明日からは、もう少し普通の文章で済ませたい。
「達也」
「何だ」
「今度、どうしても男子生徒を巨大化で制圧しなきゃいけない時は、オルターセルフで、自分の性別を男性に変えるっス」
この際、本人のズレは置いておくとして、一つ疑問が浮かんだ。
「オルターセルフは、エンラージと集中が被らないか?」
「正解っス……初めて聞く魔法っスよね? 何で判ったっスか?」
「今までの傾向からの推測だ」
「達也、自分の幻想術見てまだ三日目っスよ? ちょっと怖いっス」
「散々見せつけられたからな、嫌でもわかる」
ミーシャは納得いかない顔だった。