部員勧誘週間も終盤に入る頃には、俺とミーシャの名前は、本人たちの意思とは関係なく校内へかなり広まっていた。
もっとも、そこに混じっている話の大半は、実際に起きたことへ誰かの脚色が加わったものだった。
俺については、勧誘で暴走した上級生を魔法すら使わせず次々に叩き伏せる『最強最凶の鬼風紀委員』。
ミーシャについては、相手の足元を滑らせて複数人をまとめて転ばせた一件が『すってんころりん大会』、眠気を誘う幻想術で騒ぎを止めた件が『全員お眠タイム』と呼ばれ、挙げ句には本人の名前より先に『謎のッスッス風紀委員』という呼び方まで聞こえてくるようになった。
普通なら訂正したくなりそうなものだが、当人は最後の呼び名だけ妙に気に入っている。
「ッスッス、語感いいっスよね」
良くはないと思う。
ただ、噂が抑止力として役に立っているのも確かだった。
勧誘週間の後半になると、俺が近づいただけでCADから手を離す者が出始め、ミーシャに至っては、シャシュティが上空へ現れただけで「風間来たぞ」と声が飛び、それまで押し合っていた部活動同士が急に距離を取り始めることさえあった。
風紀委員として考えれば、こちらが実力行使へ移る前に騒ぎが収まるのだから悪い話ではない。
その一方で、こちらを見る目に、単なる好奇心や警戒とは違うものが混じり始めたのも同じ頃だった。
特に俺へ向けられるそれは、分かりやすかった。
二科生でありながら風紀委員に選ばれ、しかも勧誘週間が始まってから何人もの一科生を取り押さえている。
事情を考えれば当然の職務なのだが、それを面白く思わない者もいるらしい。
廊下を歩いていれば、すれ違いざまに肩をぶつけようとしてくる者がいる。
もっとも、相手が進路を変えた時点で分かる。こちらは歩調を変えないまま半歩だけ位置をずらし、結果として相手の肩は何もない空間を通り過ぎた。
訓練場の近くを通れば、制御を外れたという体裁で小規模な魔法が飛んでくることもあった。
それも、起動式が展開された時点で射線は読める。
足を止める必要すらない。着弾地点から僅かに進路を外すだけで済んだ。
一度など、誰もいないはずの渡り廊下で頭上から水を落とされたこともある。
その時も、頭上に生じた魔法式へ気づいて二歩だけ歩調を速めた結果、水は俺の背後へまとめて落ちた。
どれも回避すること自体は難しくない。だから、その点は問題ではなかった。
問題があるとすれば、問い詰めたところで返ってくる答えが決まっていることだ。
「悪い、制御をミスった」
「そこにいるとは思わなかった」
こちらに実害が出ない程度に抑えながら、故意である証拠も残さない、偶然を装った嫌がらせ。
――随分と分かりやすい。
証拠を残さず、騒ぎにもならない程度に留めているあたり、やっている側にも最低限の計算はあるらしい。
勧誘週間が終わりに近づいた日の午後、俺は別の騒ぎへ向かうため、校内の林道を抜けていた。
普段から人通りの多い場所ではない。
「またか」
魔法が発動するより先に、そんな言葉が漏れた。
右斜め後方、十数メートル離れた木立の奥で、起動式が展開されている。
狙いは俺自身ではなく、俺が次に足を置くはずだった、地面の一点。
術式の構造からして、地面へ干渉して足場を崩すつもりらしい。
ここ数日、似たようなことは何度かあった。
俺は歩調を変えないまま、意識だけをそちらへ向けた。
相手の起動式から魔法の種類を読み取り、二つのCADを利用して、対応するキャスト・ジャミングもどきを発動する。
増幅されたサイオンの干渉波が広がり、相手の魔法式を乱した。
足場を崩す魔法は、発動することなく霧散した。
犯人らしき人間は深追いせず即座に身体を引き、そのまま足元へ起動式を展開した――加速魔法。
追えば捕まえられるかもしれないが、すでに風紀委員への応援要請が入っており、こちらが遅れれば別の誰かが対応することになる。
判断に時間は掛けたくない――追跡を切る。
逃げていく男の手首に、赤と青の線で縁取られた白地のリストバンドを一瞬だけ確認できた。
見間違いでなければ、反魔法組織『ブランシュ』。その下部組織とされる『エガリテ』の印だった。
そのことを頭の片隅に置き、俺は元の進路へ戻った。
◆
それから数日後、ようやく部員勧誘週間が終わった。
最後の報告を済ませ、ミーシャと一緒に風紀委員会の部屋を出たところで、廊下の向こうから深雪が歩いてきた。
「お兄様」
こちらを見つけると、深雪の足取りが少しだけ速くなる。
隣ではミーシャが、それとは反対に大きく肩を落とした。
「やっと終わったっス……これでようやく、深雪に料理教えてもらう時間作れるっス」
「まあ。まだ覚えていてくださったのですね」
「当然っス。このまま頑張れば、ハサミでネギ切る料理人ミーシャも卒業間近っス」
俺はそれで構わないと思ったのだが、深雪は少し沈黙した。
「……包丁ではなく、ハサミなのですか?」
「キッチンばさみ便利っス。けど断面がつぶれて、仕上がり微妙っスね」
「《アンシーン・サーバント》に切らせればいいんじゃないのか?」
俺が聞くと、ミーシャはすぐ首を振った。
「毎回それ頼みじゃ上達しないっス。それに、自分が料理始めたのって、この視覚補助CADができてからっスから」
眼鏡型CADのフレームを指先で軽く叩く。
「シャシュティの視界借りながら料理するの、かなり大変なんスよ。包丁動かすたび、自分の手を外から見ることになるっス。
三人称視点でアクションゲームやってるみたいな感じっスね」
刃物を扱うたびに、自分の手元を自分の目ではなく少し離れた場所から見ることになる。
確かに、それで料理を覚えるのは簡単ではないだろう。
ミーシャはそこで料理の話を長引かせる気はなかったらしく、今度はこちらへ顔を向けた。
「それにしても達也、風紀委員としてかなり頼もしかったっスよ。特に体術。普通に達人クラスっス。つまり、『達也』と『達――」
「師匠にはまだ遠い」
俺はミーシャの駄洒落が発動する前に、すぐさま打ち切った。気にせずミーシャは話を続ける。
「生臭坊主さんと比べたら駄目っス」
九重八雲本人が聞けば、怒るより先に笑いそうな呼び方だった。
「毎朝鍛錬してるって聞いてるっスけど、もう普通の門下生じゃ相手するのしんどいんじゃないスか?」
「ええ。お兄様ですから」
何時ものように、深雪が当然のように頷いた。
何時ものように、理由になっていない。
「風紀委員のお務めをきちんと果たされるのも当然です」
こちらは少し自慢げだった。
何か返そうとしたところで、廊下の向こうからこちらへ近づいてくる足音が聞こえた。
振り向くと、剣道部の演舞場で桐原先輩と衝突していた二年生――壬生紗耶香先輩だった。
「司波君」
「壬生先輩」
「少し、いいかしら」
壬生先輩は一度ミーシャにも目を向けたが、すぐ俺へ戻した。
「この前のこと、お礼を言いたいの。それと……少し話があって」
「俺は風紀委員として職務を果たしただけですが」
「それでもよ」
まだ、荷物の整理が残っているので、時間を指定する。
「今すぐは無理ですけど、一時間後でしたら」
「ありがとう」
その横で、ミーシャが何の疑いもなく手を挙げた。
「自分はいつでもオーケーっス」
壬生先輩の顔が強張り、返事が一瞬遅れる。
「あ……いえ」
「え?」
だがミーシャは、その理由を考えるより先に、自分なりの解釈へ飛んだらしい。
「もしかして自分覚えられてなかったッス? 巨大化アピール失敗しちゃったっスか? なら、もっとびっくり箱な幻想術も――」
「貴方はいいんです! 来ないでください!」
壬生先輩の声が廊下へ響いた。
近くにいた生徒が何人かこちらを見る。
俺は片手を少し上げ、ミーシャにそれ以上言わないよう合図した。
数秒して返ってきた声には、いつもの語尾がなかった。
「……わかりました」
壬生先輩も、自分で思っていたより強い声が出たことには気づいたらしい。
少しだけ視線を迷わせたあと、「じゃあ、後で」とだけ言い残して去っていった。
姿が見えなくなる頃には、ミーシャの肩がすっかり落ちていた。
「『相手にとってはそうとは限らない』……十文字先輩の言葉、身に沁みました……」
これについては、ミーシャ自身が答えを出すべき問題だろう。俺が口を挟むべきことではない。
そもそも俺自身、偉そうに助言できるほど人間関係が得意なわけでもない。
深雪はそんなミーシャへ一度視線を向けてから、今度は俺を見る。
「どうせ剣道部への勧誘だ」
心配させたくない、深雪にはあえて軽く言っておく。
それでも、壬生先輩がミーシャを拒んだ時の反応は少し引っ掛かった。
単に苦手だから断っただけなら、あそこまで声を強める必要はない。
「私は、違うような気がします」
深雪が静かに言った。
「理由はありません。ただ……少し気になります」
「深雪?」
「不安なのです、お兄様」
「何が?」
「お兄様が名声を博されること自体は、とても喜ばしいことです。でも……」
そこで言葉が一度止まった。
何か、俺の能力そのものについて言いかけたのだろう。
隣にはミーシャがいる。
深雪は少し考えてから表現を変えた。
「お兄様を、私利私欲のために利用しようとして近づく人が、これから増えるのではないかと思うのです」
「大丈夫だ。何が起ころうと俺は大丈夫だ」
「だから、それが心配なのです」
そこまで来て、俺はようやく深雪が何を案じているのか理解した気がした。
俺には、表に出してはいけないものが多すぎる。何より、深雪のためにもそれを知られるわけにはいかない。
そんな俺を心配してくれる可愛い妹を安心させようと、そっと深雪の頭に手を置いた。
「少なくとも、俺はそんなことで自棄を起こしたりしない」
「お、お兄様……約束ですよ」
頬がすぐ赤くなる。いつもの反応だった。
その横では、ミーシャがまだ少し項垂れている。初めての反応だった。
普段なら何か余計なことを言う場面だが、今日はそこまでの元気も残っていないらしい。
◆
一時間後。
俺は校内のカフェで席に座っている壬生先輩を見つけた。
放課後の時間帯なので利用者はそれなりにいるが、席同士は離れている。声を少し落とせば、隣のテーブルまで会話の中身が聞こえるような距離ではない。
ここは、カウンターで注文し、その場で商品を受け取る形式だ。
俺はすでに飲み物を受け取っている。
俺が席についたところで、壬生先輩が改めてこちらへ頭を下げた。
「この前はありがとう。大事にならないように収めてくれて」
「俺だけではありません」
「それでも、桐原君を止めたのは司波君でしょう?」
そこは否定しなかった。
壬生先輩はカップへ指を添えたまま続ける。
「私も桐原君も、ああいう場所へ立つ以上、打ち身とか多少の怪我くらいは覚悟してるの。でも……少しでも問題があれば、大ごとにしたがる人もいるでしょう?」
「あれくらい、ですか」
「風紀委員にだって、自分の点数稼ぎのために必要以上に騒ぐ人くらいいるでしょう?」
俺はその発言に対し、壬生先輩に判るようにわざと眉を動かした。
「すみません。俺も、その風紀委員の一人なんですが」
「違うの!」
壬生先輩が慌てて顔を上げる。そこで、俺はわざとらしく間を置いた。
「冗談です」
壬生先輩は一度こちらを見たあと、力を抜くように息を吐いた。
「……意外に意地悪なのね、司波君」
あえて否定はしない、彼女がそう思うのなら俺はそうなのだろう。だが、本題はその後だった。
「それで……剣道部に入る気はない?」
「ありません」
これについては、考える必要すらない。
「せめて少しくらい考えてから断らない?」
「考えても答えが変わらないので」
「そう」
残念そうではあったが、無理に押してくることはなかった。
「剣道部に誘うためだけですか?」
こちらから聞くと、壬生先輩の顔から、それまで残っていた軽さが消えた。
「それだけじゃないの」
やはりそうか。
「司波君、一科と二科の今の扱いをどう思ってる?」
「質問が広すぎます」
「じゃあ、言い直すわ」
壬生先輩の声に目に見えて力が入る。
「同じ試験を受けて、同じ学校へ入ったのに、一科と二科に分けられて、制服でまで区別されることについて」
俺はすぐには答えず、続きを待った。
「実技の成績でクラスが違う。個別指導の先生がいない。それ自体は、仕方がない部分もあると思ってる。でも、それで私自身の価値まで低く見られるのは納得できない」
カップから手を離し、指を握る――少し力が入りすぎているな。
「私は剣道で努力してきた。全国大会で結果だって出した。それでも二科生ってだけで、私の剣まで否定されるような扱いをされる」
その言葉を聞く限り、少なくとも不満そのものまで誰かに植え付けられたわけではなさそうだった。
これは壬生先輩自身が抱えてきたものだ。
「だから、私たちは待遇改善を求めて活動してる」
「私たち?」
「有志同盟よ」
そこでようやく、今日呼び出された目的が見えた。
「司波君にも参加してほしいの」
少し考える。参加するかどうかを迷ったわけではない。
どう断れば余計な話を増やさずに済むか、どう誘導すれば引き出せる情報を増やせるか、それだけだった。
「申し訳ありませんが、お断りします」
「どうして?」
「俺は、今の学校制度に対して不満を訴えるつもりがありません」
「二科なのに?」
「二科だからという理由だけで、不満を持つ必要もないでしょう」
壬生先輩の口が止まるが、俺はそのままこちらから聞き返す。
「仮に学校へ待遇改善を求めるとして、具体的には何を変えたいんです?」
「それは……」
「制服上の区別をなくすのか。授業内容を変えるのか。一科と二科の定員を見直すのか。教員を増やすのか。求める内容が違えば、必要な手順も違います」
返事はすぐには出てこなかった。
「まだ、そこまでは……」
「なら、先にそこを決めるべきでは?」
壬生先輩はカップへ視線を落とした。
反論できないというより、自分の中でもそこまで整理されていないように見える。
だからこそ、こちらから一つだけ投げて反応を見る。
「それなら、なぜ先ほど風間委員の同席を断ったんですか?」
壬生先輩の肩が、わずかに動いた。
「……それは」
「彼女も二科生です。しかも、一科生からかなり直接的な侮辱を受けています。それでも自分で対処したことは、それなりに噂になっているでしょう」
森崎の件も含め、校内で知られていない話ではない。
「二科生への扱いを問題にする集まりなら、風間委員も当事者に近い。それに演舞場の件を収めたのも、俺一人ではありません」
桐原先輩を拘束したのは俺。そのあと、こちらへ向かってきた剣術部員四人を止めたのはミーシャだ。
「風間委員がいなければ、もっと大きな騒ぎになっていたかもしれません」
もっとも、その後は別の意味で大きな苦労を背負い込む羽目になったのだが、そこは黙っておく。 壬生先輩はすぐには答えなかった。個人的にミーシャが苦手なら、そう言えば済むが、それすらも出てこない。
自分でも拒んだ理由を上手く説明できていないように見えた。
ただ、壬生先輩が一科と二科の扱いに不満を持っていることまで疑うつもりはない。
父親が軍人であること自体なら、学校へ提出された情報や周辺の経歴を調べれば辿り着ける可能性はある。
所属の詳細までは分からなくても、反魔法を掲げる側にとっては「軍人の娘」というだけで警戒する理由になるだろう。
林道で見たリストバンドが、もう一度頭に浮かぶ。
もし有志同盟の周囲にエガリテが入り込んでいるなら、壬生先輩自身には明確な理由がないまま、ミーシャだけが外されていることにも説明はつく。
もちろん、それだけで決めつけるには材料が足りない。
しばらくして、彼女がようやく顔を上げる。
「あれ?……私、何で風間さんを拒否したんだろ?」
「どういうことです?」
「理由は……」
言葉が止まった。
氷が溶けたのか、壬生先輩のカップの中で小さく音がした。