新入部員勧誘週間が終わって一週間。放課後、予定にはない校内放送のチャイムが鳴った。
生徒が端末から顔を上げ、教室のあちこちで止まりかけた会話と一緒に、視線が前方のスピーカーへ集まる。
『我らは、学校内の待遇改善を求める有志同盟である』
聞き覚えのある主張だった。
一週間前、壬生紗耶香先輩から直接聞かされた、一科と二科の待遇差についての不満。
それとほぼ同じ方向の話がスピーカーから流れ始め、やがて二科生への差別撤廃と学校側との対話要求へ続いていく。
教室の中がざわつき始める頃には、俺は席を立っていた。
少し離れたところで、ほとんど同時にミーシャも椅子を引く。
「風紀委員の仕事っスね」
「ああ」
廊下へ出て放送室へ向かう途中、放送が唐突に途切れる。
学校側が主電源を落としたのか、外部出力だけを止めたのかまでは分からないが、少なくとも好き勝手に校内放送を続けられる状態ではなくなったらしい。
そのまま最短経路で校舎を抜け、放送室のある区画まで来ると、すでに渡辺摩利先輩、十文字克人先輩、市原鈴音先輩が閉ざされた扉の前に集まっていた。
市原先輩は端末上の配置図を開き、渡辺先輩は扉の施錠部分を確認し、十文字先輩はその二人から上がってくる情報をまとめている。
「遅くなりました」
「いや、十分早い」
渡辺先輩がすぐに答える。ミーシャも隣へ並んだ。
廊下の先には、騒ぎを聞きつけた生徒が何人か残っていた。遠巻きにこちらを見ているだけだが、何が起きるのか気になっているらしい。
「状況どうなってるっスか?」
「有志同盟を名乗る生徒が放送室を占拠した。放送設備の主電源はもう落としてもらったから、これ以上の放送はできない。
問題は中だ。どこから持ち出したのか、連中はマスターキーを使って放送室へ入り、そのまま内側から施錠してる」
そこへ少し遅れて、廊下から足音が近づいてきた。続いて、聞き慣れた声が俺を呼んだ。
「お兄様」
「深雪」
「放送を聞きましたので」
生徒会役員として呼ばれたのだろう。深雪は俺の隣まで来ると、閉ざされた扉と、その前に集まった面々を順に見た。
渡辺先輩は、もうかなり我慢しているらしい。
「マスターキーの無断持ち出し、放送室の占拠、設備の不正使用。ここまでやってるなら、強行突入してもいいと思うんだがな」
「俺は、まず要求を受けてみてもいいと思っている」
十文字先輩はすぐには同意しなかった。
「立てこもりまでしてるんだぞ?」
「だからこそだ。ここで扉を破壊して踏み込むのは、印象が悪すぎる。廊下にはこちらの様子を見ている生徒もいる。
扉を壊して連中を引きずり出せば、たとえ正当な措置でも『学校側は要求を聞かず、力で黙らせた』という話になるだろう」
十文字先輩は、閉ざされた扉に目を向けた。
「放送はもう止まっている。設備を破壊してまで急ぐ理由がない以上、まず要求を聞くべきだ。
主張の中には事実と違う部分もある。正式に議論するなら、こちらの言い分も示せる」
力ずくで終わらせる前に、相手へ話す機会を残す。
部活連会頭としての判断でもあるだろうし、十師族の次期当主という立場から身についた考え方でもあるのかもしれない。
さて、どうするか。先週のカフェで壬生先輩からプライベートナンバーを教えてもらっている。
もし放送室にいるのなら、連絡を取り「扉を開けてくれれば、自由は保障する」と持ちかける手もある。
誰の自由を保障するかは明言せず、壬生先輩が扉を開けたところで、先輩以外を一気に制圧する。
結果として、壬生先輩は仲間を売った形になる。たとえそれで俺への心証を悪くしたとしても――
「そもそも、鍵掛かってると何か不都合あるっスか?」
場の流れを無視したような一言に、十文字先輩がゆっくりミーシャを見る。
そのまま渡辺先輩へ確認するような視線を送ったが、渡辺先輩は何も言わず、市原先輩も少し考えたところで何か察したらしい。
深雪も自然に聞く。
「開けられるのですね?」
「ウィっス」
予想通りだった。
「《パスウォール》っス……あれ? 今日準備してなかったっス」
「パスウォール?」
十文字先輩が聞き返す。
「六メートルまでの木とか漆喰とか石の壁に、一時的な穴を開ける幻想術っス。大体、幅一・五メートル、高さ二・四メートルくらいっスね」
市原先輩が放送室の壁へ目を向けた。
「ここの壁はコンクリートですが」
「コンクリートは『石』判定で通ったことあるっス」
また判定か。コンプリヘンド・ランゲージと同じだな。
「昔、一回試したっス。だから準備してたら、この横から穴開けてそのまま入れたっスよ。効果切れれば元の壁に戻るんで、破壊扱いにもならないっス」
十文字先輩は腕組みをした。
渡辺先輩はもう、その程度では反応しない。
慣れというのは恐ろしい。
「だが、今日は使えないんだな?」
「ウィっス。そこは残念っス。でも、この扉って物理施錠っスよね?」
市原先輩がさらりと答える。
「認証カード式ですが、内部の施錠機構自体は物理式ですね」
「良かったっス」
ミーシャは少し息を吐いた。
「ここまで喋っといて『開ける手段ないっス』だったら、かなり恥ずかしかったっス」
「今そこを気にするのか」
思わず口に出たが、本人は気にせず話を続ける。
「登場するのは《ノック》っス」
「ノック?」
「鍵なら一個、何でも開ける幻想術っス」
十文字先輩が訝し気に確認する。
「何でも?」
「南京錠、複合鍵、寄木細工の秘密箱、城門の閂。あと建付け悪くて開かなくなった扉もいけるっス」
さすがにそこは引っ掛かった。
「待て。閂も鍵なのか?」
「幻想術的には鍵扱いっス」
「建付けの悪い扉は、鍵ですらないだろう」
「『開かない原因』として認識されるみたいっスね」
どうやら対象を決めているのは物理的な構造ではなく、『閉じているものを開ける』という意味の方らしい。
応用が利くと言えば聞こえはいいが、現代魔法の感覚で整理しようとすると相変わらず扱いに困る。
「ただし、電磁ロックとか、純粋なコンピューター制御で物理的に開閉を妨げる部品がないやつだと、多分『鍵』として認識しないっス」
「多分なのか」
「試したことないっス」
そこはいつも通りだった。
「それと、一個だけ欠点あるっス」
渡辺先輩の顔がわずかに険しくなる。
「何だ?」
「使うとノック音が鳴るっス」
「ノック音?」
「コンコンって。大体、百メートルくらい先まで聞こえるっス」
「なぜそんな仕様なんだ」
「思うに、侵入悪用防止っスね。」
そこだけ妙に倫理的だった。
十文字先輩は少し考えてから、渡辺先輩を見る。
「信用できるのか?」
「風間がそう言うなら、そうなる」
渡辺先輩は一切迷わなかった。
幻想術を理解した上での返事ではない。理解しようとする部分と、運用上そのまま受け入れる部分を分けたらしい。
十文字先輩もそこで納得したのか、改めて閉ざされた扉へ目を向けた。
「扉も設備も傷つけずに済むのなら、話は変わる。抵抗する者だけを最小限の力で取り押さえ、占拠を終わらせる。
連中の要求を退けるわけではない。交渉は放送室を明け渡させてから行えばいい」
十文字先輩は市原先輩の端末へ視線を落とした。
「ただし、外から見て力による制圧に変わりはない。怪我人を極力出さず、設備の損傷も避けたい」
そう言って十文字先輩は、市原先輩が開いていた配置図を覗き込んだ。入口から放送設備、机、室内の広さまでを確認する。
「放送設備はもう止まっている。こちらの動きを警戒して向こうが固まる前に入り、抵抗する者だけを短時間で押さえれば、設備にも生徒にも余計な損害は出さずに済む。交渉そのものは、その後でできる」
十文字先輩の方針に、渡辺先輩もすぐ頷いた。
「それなら異論はない。時間を掛けて向こうに準備させるより、短時間で終わらせた方がいい」
「同感です」
非破壊で侵入できるという一点だけで、状況はかなり変わった。
問題は扉が開いた直後だ。
出入口は狭い。こちらがそこで詰まれば、室内の相手にCADを操作する時間を与える。逆に最初の一人が数秒でも押さえれば、後続の制圧は楽になる。
十文字先輩も同じ結論に達したらしい。
「渡辺から聞いている。九重八雲に薫陶を受けているそうだな」
当然、共有されているか。
「はい」
「服部副会長との模擬戦についても聞いた。あの速度と体術を、今回は当てにさせてもらう」
十文字先輩の意図は明確だった。
「露払い、ということですね」
「ああ。抵抗する者だけでいい。必要以上に怪我をさせるな。後続は俺が入る」
「分かりました」
扉が開いた瞬間に俺が先行し、入口付近を押さえる。そのあとから十文字先輩たちが入り、設備も人間もできる限り傷つけずに終わらせる。
やることは単純だ。
ミーシャが扉の前に立ち、動作とともに祝詞を唱える。手に何も所持していない。つまり、触媒を必要としない魔法ということだ。
「錠は記憶せよ、扉は思い出せ。お前は開くために作られた。我が声を鍵とし、今ここに道を許せ」
最後の言葉が終わった直後、
――コンコン。
妙に礼儀正しいノック音が廊下へ響いた。
しかも、本人の説明通りかなり大きい。
その直後、扉の向こうで、椅子が動く気配がした。突然の音に反応したのだろう。
だが、施錠が解除されたことまでは理解していないらしい。
――カチリ。
認証カードを通していないはずの施錠が解除された。
「よし、開いたか」
渡辺先輩の声を最後まで聞かず、俺は扉へ手を掛け、一気に開けて室内へ入る。
中にいた生徒たちの視線が一斉にこちらへ向いた。想定していた侵入方法ではなかったのだろう。
――反応が一拍、いや、一小節遅い。開かないと安心しすぎだ。
入口近くにいた男子生徒が何が起きたのか理解するより早く、その懐へ潜り込み、手首を取って重心を前へ崩す。
床へ叩きつける必要はない。膝が落ちたところで腕を背中側へ回し、そのまま伏せさせる。
抵抗が止まったのを確かめて手を離したが、相手は顔を上げただけで動こうとはしなかった。
隣では椅子を蹴って立ち上がろうとする者と、こちらへ踏み出す者がほぼ同時に動いた。近い方から止める。
立ち上がりかけた相手の肘を押さえ、手首の向きを変え、その勢いを横へ逃がす。
背中を壁へぶつけないよう身体を半回転させて床へ座らせる。
相手が体勢を立て直す前に手を離すと、こちらを見上げたまま動きを止めた。
その横から拳が飛んできた。
――遅い。
腕の外へ流し、手首を取る。
踏み込んできた勢いを利用して姿勢を崩し、片膝をつかせる。
肩関節に無理な負担が掛からない位置で腕を押さえ、抵抗が止まるのを待つ。
相手の力が抜けたところで拘束を解くと、もう一度向かってくる様子はなかった。
一人を止める間にも、視線は次の相手へ向けている。
誰が動こうとしているのか、誰がまだ迷っているのか。それだけを拾い、抵抗する者から順番に制圧していく。
最初の三人があっけなく動きを封じられたことで、残りの生徒たちにも明らかな動揺が広がっていた。
立ち上がろうとして途中で止まる者もいれば、周囲の様子を窺ったまま椅子から動けない者もいる。
遅れて十文字先輩が室内へ入り、周囲を確認する頃には、抵抗した者のほとんどが床に伏せるか、その場に座り込んでいた。
――経験のない、学生ならこんなものか。
「……加勢はいらなかったか」
十文字先輩が室内を見渡し、呆れたように呟く。その声に、生徒たちの視線が一斉に入口へ向いた。先ほどまで俺に向けられていた警戒が、十文字先輩の姿を認めた途端、別のものに変わる。
無理もない。突然扉が開き、抵抗した者はあっという間に押さえ込まれた。その上、後から現れたのが十文字先輩だ。
「……十文字、会頭?」
誰かが呆然と呟いた。その名を聞いた途端、まだ抵抗する素振りを見せていた生徒たちまで動きを止めた。
何が起きているのかもわからないまま、室内から抵抗する気配が完全に消えた。
そして、最初から動かなかった、いや、動けなかった人物がいる――壬生紗耶香先輩だった。
「司波君……」
こちらへ向かってくる様子もなく、CADへ手を伸ばすこともない。
俺も動かなかった。抵抗しない相手まで倒す必要はない。
少し遅れて、ミーシャも室内へ入ってきて、壬生先輩を見つける。
「壬生先――」
そこまで言ったところで、声が止まった。
ミーシャは少しだけ立ち位置をずらし、壬生先輩の正面から外れた。
何か言いたいことはあったのかもしれないが、今度は自分から距離を詰めなかった。
俺は横目でそれを確認しただけで、何も言わない。必要性もない。
結果、放送室を占拠していた生徒たちは全員確保された。
怪我らしい怪我はほとんどない。強いて言えば、押さえ込まれた時に打ち身を作った者が何人かいる程度で、放送設備にも損傷はなく、扉もそのままだ。
強制突入には違いないが、実際に起きたことだけを並べれば、閉まっていた扉を開けて中へ入り、抵抗した者を押さえただけになる。
そこへ七草会長が現れ、室内を一度見回す。素早く状況を確認すると、迷わず言った。
「その人たち、もう離していいわ」
渡辺先輩が振り向く。
「真由美?」
「処罰もしません」
放送室の中に、小さなざわめきが広がった。
俺も少し意外だった。
七草会長はそのまま壬生先輩へ向き直る。
「生活指導主任と話し合ってきました。
マスターキーの無断持ち出し、放送設備の無断使用。それらに対する処分を含めた今回の対応は、学校側から生徒会へ一任されています」
なるほど、到着が遅れたのは学校側との調整か。
「……え?」
「ですから壬生さん。これから、あなたたちの要求について打ち合わせをしましょう」
壬生先輩はすぐには返事をしなかった。
マスターキーを持ち出し、放送室を占拠し、無断で校内放送を使った。
普通なら、まず処罰の話になると思っていたはずだ。
だが七草会長は、そこで処罰を持ち出すことはせず、「要求があるのなら、話してください」と告げた。それだけだった。
深雪は生徒会長の言葉を受けすぐ端末を開いた。
「では、会議室を用意いたします」
「お願いできる?」
「はい」
空き教室と関係者の予定を確認し、そのまま必要な場所を押さえ始める。生徒会役員として動き始めてまだ日が浅いはずだが、こういう時の切り替えは早い。
その横で、ミーシャだけは全く別のことを考えていた。
「……やっぱり変っス」
小さな声が聞こえたので、そちらを見る。
「建付け悪い扉まで対象になるの、贔屓目に見ても《ノック》ってかなりいい加減っスね……」
今さら本人が言うのか。
「幻想術より先に、自分の方を気にした方がいいんじゃないか」
「どういう意味っスか?」
「そのままの意味だ」
「自分、結構しっかりしてる方っスよ」
その言葉に、近くにいた渡辺先輩がこちらを見る。
市原先輩も顔を上げた。
端末を操作していた深雪まで、一瞬だけ手を止める。
「……誰か同意してくれてもよくないっスか?」
その問いに答える鍵は、誰も持っていないだろう。
【第19話:D&D使用呪文説明】
ノック(Knock/開錠)
呪文レベル:2レベル
発動時間:1アクション
射程:60フィート(約18m)
構成要素:V(音声)
持続時間:瞬間
系統: 変成術
攻撃/セーヴ: なし
効果: 汎用
射程内にある、君から見える物体1つを選ぶ。対象は扉、箱、宝箱、手枷、南京錠、その他、通常の手段または魔法的な手段によって開くことや中に入ることが妨げられている物体でなければならない。
対象が通常の錠前によって施錠されている場合、あるいは引っかかっていたり、かんぬきなどで閉ざされている場合、その施錠、引っかかり、かんぬきは解除される。
対象に複数の錠前がある場合、解除されるのはそのうち1つだけである。
対象が魔法的な施錠を行う呪文《アーケイン・ロック(秘術錠)》によって閉ざされている場合、その呪文の効果は10分間抑制される。この間、対象は自由に開閉できる。
この呪文を発動すると、対象から大きなノック音が響き渡る。この音は最大300フィート(約90m)先まで聞こえる。