生徒会室の扉が開いた。
俺は廊下の壁際で深雪を待っていたが、出てきたのは一人ではなかった。
七草会長を先頭に、中条先輩や他の生徒会役員まで続いている。
放送室占拠について学校側から対応を任された以上、占拠者を外へ出しただけで終わるはずもなく、その後の聞き取りや要求の整理まで生徒会で引き受けていたらしい。
こちらを見つけた深雪の歩調が少しだけ速くなる。
「お待たせしました、お兄様」
「いや。それほど待っていない」
そのやり取りを聞いていた七草会長が、抱えていた端末を少し下げた。
「結局ね、あのあと彼らから『具体的に何を改善してほしいのか』って聞いたのだけれど、どうにも話がまとまらなくて」
「要求が決まっていなかったんですか?」
「一科と二科の扱いに不満がある、というところまでは皆同じなの。でも、そこから先が何もないのよ。
何をどう改善したいのか、具体例も挙げられず、しまいには生徒会が考えてくれと言う始末」
この前、壬生先輩と向かい合った時の会話を思い出した。
彼女も、一科と二科の扱いに納得していないという部分では迷わなかった。
自分が剣道で積み重ねてきたものまで二科生というだけで低く見られる、と言った時の言葉にも嘘はなかったと思う。
ただ、その不満をどう解消したいのか、何を変えれば納得できるのかと聞いた途端、答えは急に曖昧になった。
「有志同盟として、統一された要求があるわけではなかったと」
「そういうこと。あの人数を一人ずつ相手にしていたら、同じ話を何度も繰り返すだけでしょう?」
七草会長は肩を軽く回しながら続けた。
「だから明後日、公開討論会を開くことにしたの。言いたいことがあるなら、全校生徒の前で一度整理して出してもらいましょうって」
「急ですね」
「急よ」
そこはあっさり認めた。
「生徒会側は誰が出るんです?」
「私」
返事は早かった。
「一人でですか?」
「その方が楽だもの。準備時間もほとんどないのに人数だけ増やしたら、今度はこちらの発言まで揃えなくちゃいけなくなるでしょう?
前に説明したことと少し違うとか、誰かの発言と別の役員の発言が食い違うとか、そういう余計なところで言質を取られる隙が増えるだけよ」
一人なら、少なくとも主張の軸は一本で済む。
七草会長は特に気負った様子もなく、むしろ面倒な事務作業の段取りを確認するような調子で続けた。
「結局、あとは筋道を立てて話せばいいだけでしょう?」
「それなら負けない、と」
「そうね。それに、本当に私を納得させられるくらい筋の通った要求が出てくるなら、その部分は取り入れればいいだけだもの」
討論で相手を言い負かすこと自体を目的にはしていないらしい。
相手の主張に妥当性があれば認め、そうでなければその場で整理して返す。
七草会長なら、確かに何人も横へ並べるより一人で出た方がやりやすいだろう。
そのまま生徒会の面々と廊下を進んでいると、少し先に美月の姿が見えた。
一人ではない――眼鏡を掛けた男子生徒と向かい合って何か話している。
美月はいつもの柔らかい態度を崩してはいなかったが、何度か短く頷くだけで、自分から話を広げる様子はない。
断るにしても強く言えず、会話を終わらせるきっかけを探しているようにも見えた。
男子生徒の方が先にこちらへ気づいた。
生徒会役員がまとまって近づいてくるのを見ると、そこで話を切ることにしたらしい。美月へ丁寧に頭を下げる。
「では、また考えておいてください」
それだけ言い残し、こちらとはすれ違うように去っていく。顔には見覚えがある。だが、引っ掛かったのはそれだけではない。
――確かめるか。
俺は、ほんの少しすれ違いに合わせるように体を寄せる。
「おっと、失礼」
司甲先輩は、歩調を乱すことなく俺を避けた。
上体を反らすのではなく、腰を先に引いて後ろ足へ重心を移し、そのまま斜めに身を外す。退く動作が次の一歩へ途切れずにつながっていた。
すると、美月がこちらへ歩いてきた。
「司波君、深雪さん」
「今のは司甲先輩だったな。確か、壬生先輩が所属する剣道部の主将だったはずだ」
「はい、そうです。以前から、何度か誘われているんです」
「美月が剣道部に?」
「いえ。そうではなくて……霊子放射光過敏症に悩んでいる人たちのサークルがあるそうなんです。私も参加してみないかって」
美月の目は、普通の人間が見ているものとは違う情報まで拾う。
その感覚が日常生活の負担になることもある以上、似た悩みを持つ者同士で集まるという話だけなら不自然ではない。
「何度か誘われているのか?」
「はい。でも、私は授業についていくだけでも精一杯ですし、放課後まで別の活動を増やす余裕はなくて。そのたびにお断りしているんですが……」
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
司甲先輩は壬生先輩と同じ剣道部に所属し、特殊な知覚を持つ美月へ、何度断られても接触を続けている。
それだけなら、特に不審な点はない。
だが、先日の壬生先輩との会話と、林道で見たエガリテのリストバンドが頭に残っている。
何より、先ほど司甲先輩が俺を避けた際の動きだ。
あの林道で襲ってきた人物も、まったく同じ体重移動を見せていた。
顔こそ確認できなかったが、偶然の一致と片づけるには、材料が揃いすぎていた。
その後、生徒会の面々と別れ、俺と深雪は二人で校門を出た。
駅へ向かう途中で端末を取り出すと、深雪がこちらを見る。
「お兄様?」
「一つ、確認しておきたいことがある」
そう、呼び出す相手は九重師匠。
数回の呼び出し音のあと、いつもの飄飄とした声が返ってくる。
『どうしたんだい、達也君。今日は稽古の相談かな?』
「この前の件に関することですが、追加で調べてもらいたい人物がいます」
向こうの声から、わずかに遊びが引いた。
『ほう』
「第一高校剣道部主将、司甲。それと、可能なら彼の身内と交友関係も」
『理由を聞いても?』
「彼がエガリテ所属なのはほぼ間違いありません。ブランシュとのつながりも否定できません。
だけど、何を企んでいるか、そこから先はまだ推測です。だから裏を取りたい」
話し終えると、受話口の向こうが少し静かになった。
『そこまでわかっているのなら、風間君に聞けばよいじゃないか、僕は出家の身だよ。彼の所には、藤林のお嬢さんがいるじゃないか』
「……少佐に頼むのは――」
四葉の事情に触れるまでもなく、師匠は察したらしい。
『叔母君が良い顔をしないか。いいよ。少し当たってみよう』
「お願いします」
通話を切る。隣を歩く深雪も、俺が何を疑っているのかまでは聞いてこなかった。必要ならこちらから話すと分かっているのだろう。
◆
翌日の夜。
自宅で夕食を済ませ、深雪が自室にいる中、リビングで一人くつろいでいると、モニターに着信が表示された。
通常回線ではなく秘匿回線だったので、その時点で相手はある程度絞られる。
――接続する。
画面に映ったのは、風間玄信少佐だった。
反射的に姿勢を正して立ち上がりかけたが、向こうから先に声が来た。
『壮健かね、達也』
その呼び方なら軍務ではない。俺はソファへ座り直した。
「はい。おかげさまで。深雪ともども、学校生活を満喫しています」
『それは結構』
風間少佐の口元が少し緩む。
『ミーシャが迷惑を掛けていると思うが、よろしく頼むよ』
「退屈せずに済んでいます」
『そうか』
「ただ、人が悪いですよ。さすがに、あれほどとは思っていませんでした」
何を指しているのかは、説明しなくても伝わったらしい。
『幻想術か』
「はい」
風間少佐は短く息を吐いた。
『今は、独立魔装大隊の管理下にある研究案件、という扱いにしている』
予想していた答えに近かった。
「外部から研究対象として扱われるのを防ぐためですか?」
『ああ。軍がすでに管理している案件という形にしておけば、外から横槍が入ってもある程度は拒める。
少なくとも、あの子が高校を出て、自分で選択できるようになるまではな』
子供が、既存の魔法理論では説明できない現象を自在に起こす。
何の後ろ盾もない状態で研究者の目に留まれば、本人の意思とは無関係に調査対象へされる可能性は高い。
風間少佐も、かなり早い段階でそこまで考えたのだろう。
『もっとも、実際にミーシャと接触した部下たちとは上手くやっている。本人があの調子だからな』
「それは想像できます」
『だが、そこにいる人間は全員、あの子より年上だ。部隊の中で可愛がられることと、同年代の人間と付き合うことは別だろう』
そこから少佐の声が少しだけ変わった。
「だから、高校へ?」
『そういうことだ。残念ながら、ミーシャは中学まで個別指導で勉強してきた。
中学までは、魔法の使用が認められている教育機関がないからな。
だからこそ、普通の社会の中で自分の居場所を見つける経験が必要だと思った。それで、第一高校へ進学させた』
「国立魔法大学付属第一高校を、普通の社会として選んだんですか」
『普通の高校へ入れるよりは、まだ話が通じる』
それについては否定しにくい。少佐はそのまま続けた。
『高校という場所で、幻想術の使い手としてではなく、風間ミーシャとして馴染んでほしかった。
同年代と勉強して、友人を作って、遊んで、喧嘩して、気まずくなって、それでも次の日にはまた顔を合わせる。そういう経験は、軍の中じゃ作れん』
この前、壬生先輩に拒絶されたあと、普段の語尾まで消して立っていたミーシャを思い出す。
かなり堪えていたようだったが、ただ、それも風間少佐がここへ送り出した理由の中に含まれるのだろう。
軍の中でなら、周囲の大人は彼女の事情を知っている。
多少変わったことをしても、最初から受け入れる前提で接する。その環境では覚えにくいこともある。
『もちろん、何も説明せず放り込んだわけではない。中学までは個別指導で学んできたことや、幻想術が既存の魔法体系とは異なる性質を持つことについては、必要な範囲で学校側へ伝えてある』
なるほど。この前、七草先輩が十文字先輩に見せていた資料も、そうした教育環境や魔法の特性についてまとめたものだったのかもしれない。
「幻想術も、最初から完全に隠させるつもりはなかった?」
『隠し切れると思うか?』
――無理だろう。
『幻想術は、あの子の生活から切り離せるものじゃない。
十年近く使い続けてきたものを、高校に入ったからといって、今日から封印しろと言っても、いずれどこかで無理が生じる。
だったら最初から、幻想術を使うことを前提に、あの子を受け入れられる場所を用意した方がいい』
「それで、魔法科高校を選んだのですか」
『そうだ。まずはあの子が無理なく馴染める環境を整え、その中で幻想術という存在を少しずつ周囲に認識させていく。
そうして、いずれは魔法師社会の中にも、幻想術が受け入れられる居場所を作りたいと思っている』
俺は苦笑いを隠そうともしなかった。
「やっぱり人が悪いですね」
『何がだ?』
「第一高校そのものを、幻想術のプレゼンの場にするつもりですか」
少佐はそれに対し笑顔で答えるだけだった。そこで一度、画面の外へ視線を向けた。
『十年前だ』
「十年前?」
『ミーシャが五歳だった頃、施設で幻想術を使っているあの子を見つけた』
俺は黙って聞く。
『自分もまだ若かった。結婚すらしていなかったのに、勢いで引き取った。ミーシャを引き取るのは、少々強引だったのでな。身内にしなければ難しかった』
少し自嘲するように笑う。
『あのまま置いておけば、この子は絶対に壊れる。そう思った。それだけだったな』
その判断が正しかったかどうかは、俺が決めることではない。ただ、今のミーシャを見る限り答えは出ている。
『男手一つで育てたせいか、ずいぶん妙な娘になってしまったが』
「そこは否定しません」
『少しは否定してくれてもいいんじゃないか』
「難しいですね」
風間少佐が、また小さく笑った。今度は納得を含む笑いだった。その笑いが消えてから、少し間が空いた。
『だが、あの子は将来、この国を支えられる人間になると思っている』
そこで言葉を切る。
『自慢の娘だよ』
軍人として部下の素質を評価している声ではなかった。俺もすぐには返さなかった。
「ええ」
今のところ、それを否定する理由はない。風間少佐はそこで表情を切り替えた。
『さて。本題に入ろう』
俺もソファへ座り直す。
『師父から情報が回ってきた。調査を頼んだのは達也だとも聞いている』
「速いですね」
『師父の方でも、以前から多少引っ掛かっていたらしい。縁ある場所を調べるのは忍びのサガとも言っていたな』
「それで少佐へ?」
『あぁ、可愛い弟子の娘がいる高校の話だと回してくれた。食えないお方だ』
なるほど。師匠は、俺が少佐へ直接頼めない事情を察し、情報を回すための建前まで用意してくれたわけか。
『第一高校剣道部主将、司甲。彼には義理の兄がいる』
「名前は?」
『司一』
その名前だけでは分からなかった。だが、次の言葉で十分だった。
『ブランシュ日本支部のリーダーだ』
反魔法政治結社ブランシュとその下部組織エガリテ、そして有志同盟。
軍人の養女であるミーシャだけを、理由もはっきりしないまま外したこと。
そして今度は、司甲が特殊な感覚を持つ美月へ繰り返し接触している。
「ブランシュが学校内へ手を伸ばしていると見ていいんですね」
『ほぼ間違いない。ただし、こちらから手を出すには問題がある』
「表向きには、まだ学生運動の範囲を出ていない」
『そういうことだ』
有志同盟が校則違反を犯したとしても、それだけで背後にいる政治結社へ軍が動けるわけではない。
まして明日は公開討論会だ。そこで軍が先に表へ出れば、ブランシュ側に「学校が軍を使って生徒を抑圧した」と主張する材料まで与えかねない。
『心苦しいが、今回は一旦、君たちに受けてもらう形になる』
「襲撃はありますか?」
返答は早かった。
『昨日まで、ブランシュ関係者の移動と集結が活発だった。第一高校周辺でそれが確認されている。それが今日はほとんど動いていない』
「動きが止まったのではなく、配置が終わったと?」
『あぁ、明日、何かあるかもしれん』
「あすは、公開討論会があります。
全校生徒の注目が一か所へ集まり、学校内の不満を煽るには使いやすい。
討論そのもので目的を果たせないと判断すれば、別の手段へ切り替える可能性は十分考えられます」
そこまで話したところで、風間少佐が少しだけ意地の悪い笑みを浮かべた。
『お詫びと言っては何だが、襲撃の可能性については、情報源さえ伏せれば、ある程度学校側と情報を共有しても構わん。
その件も含め、うちのミーシャは達也の裁量で存分にこき使って構わんぞ』
思わず聞き返した。
「娘ですよね?」
『娘だからだ』
間髪入れず返ってくる。
『君の期待に応えられないほどヤワに育てた覚えはない』
冗談で言っているわけではなさそうだった。
娘の能力を信用している。それと同じくらい、俺が必要もなく危険へ放り込むことはないと思っているらしい。
「分かりました」
少し考えてから答える。
「大黒竜也としてではなく、クラスメイトの司波達也として判断します。必要なら力を借りますが、無理をさせるつもりはありません」
『そう答えてくれると思った』
風間少佐は短く頷いた。
通話が切れ、暗くなったモニターに室内の光と自分の顔だけが薄く映る。
俺は端末を取り、ミーシャの連絡先を開いた。