翌朝、公開討論会の開催日。
まだ一般生徒がほとんど登校していない早い時間から、生徒会と風紀委員は会場となる講堂へ集まり、最終確認を進めていた。
生徒会側は壇上設備と進行手順、風紀委員側は出入口や通路、控室周辺の警備配置を詰めている。
部活連も、必要な人員の確保に向けた調整を行ってくれている。
昨日までなら、ここで最も警戒するべきなのは、生徒同士の感情的な衝突だっただろう。
今日は事情が違う。
風間少佐から、ブランシュ日本支部とその下部組織エガリテの動きが活発になっていること、そして今日この第一高校が標的になる可能性があることを聞いている。
ただ、その情報を俺の口からそのまま出すわけにはいかなかった。
大黒竜也として得た情報を、司波達也としての学校生活へ直接持ち込むつもりはない。
その二つの立場を曖昧にすれば、いつか説明できない部分が出る。
だから昨夜のうちに、ミーシャとは話を合わせてある。
俺が視線を送ると、ミーシャはほんのわずかに頷き、そのまま全員から見える位置へ一歩出た。
「一つ、共有しておきたい情報があるっス」
ミーシャが全員を見渡すと、渡辺先輩が振り返り、七草会長も顔を上げた。
十文字先輩や市原先輩も会話を止める。風紀委員として参加している森崎は、どこか複雑そうな表情でミーシャを見ていた。
全員の視線が集まったところで、ミーシャは普段よりもゆっくりと話し始めた。
「これ、かなり機密寄りなんで、ここから外には出さないでほしいっス。
反魔法政治結社《ブランシュ》の動きが活発になってるっス。本日、第一高校が標的になる可能性があるっス」
講堂の中から、端末を操作する音まで一度消えた。
深雪だけは特に表情を変えなかった。昨夜のうちに、俺から事情を伝えてある。
誰も情報源を聞かなかった。
ミーシャの父親が軍人であることは、この場にいる主要な人間にはすでに知られている。
詳細を説明しなくても、軍関係から流れてきた情報かもしれないと考えるくらいはできるだろうし、逆にそこから先を尋ねない方がいいという判断もつく。
渡辺先輩が先に口を開いた。
「最悪のタイミングだな」
「警察へ連絡するとしても、説明が難しいわね」
七草会長が首を傾げ顎に指を乗せる。
「具体的な犯行予告はないのでしょう?」
「今のところ、そこまでっス」
「公開討論会を中止するか?」
十文字先輩の問いに、七草会長はすぐには頷かなかった。
「相手の目的次第でしょうね。討論会そのものを潰すことが目的なら、中止で回避できるかもしれない。
でも、学校全体に混乱を起こしたいなら、こちらが中止したところで、あまり意味はないわ」
俺はそこで口を挟んだ。
「校内の見回りを増やした方がいいでしょう。
ただ、人員を闇雲に散らすより、通常とは違う方法で異常を拾える者を動かした方が効率がいいと思います」
渡辺先輩がこちらを見る。
「誰を出すつもりだ?」
「ミーシャです。不測の事態に対して、普通では予想しにくい手段を取れる。相手がこちらの警戒方法まで想定しているなら、その想定から外れた手段で探す方がいい」
渡辺先輩の口元にわずかな苦笑が浮かんだ。否定しにくいのだろう。
十文字先輩はそのままミーシャへ向き直った。
「この広い校内から、ブランシュ関係者を見つける方法があるということか?」
「一応あるっス」
「どうやって?」
ミーシャは少し考え、それからいつもの調子で答えた。
「上位存在にズルして聞いてみるっス」
数秒、誰も言葉を返さなかった。十文字先輩がゆっくり聞き返す。
「……上位存在?」
「そうっス。外方次元界にいる、人間じゃない超常体っスね。こっちの言葉で説明しようとすると、そのくらいしか言いようないっス」
普通なら、そこで話そのものを疑われてもおかしくない。
だが、この場にいる人間は、すでにミーシャの幻想術を何度も見せつけられている。
泥でできた小鬼、喋る翼付きの猫、人間の巨大化、存在そのものを一時的に消す術。
閉ざされた扉を、破壊も認証もせずに開ける《ノック》。
そこまで積み重なってしまうと、「人間ではない何かに聞く」という話だけを理由に否定する方が難しい。
渡辺先輩は、真偽を確かめる段階から一歩踏み込み、慎重に問いを投げかける。
「その上位存在とやらに接触して、危険はないのか?」
「上位存在ってのは、人間じゃないっス。身体だけじゃなくて、考え方も価値観も違うっス。こっちから接触するだけでも多少危険はあるっスね」
「無理はするなよ」
「ウィっス。セーフティーも考えてるっス」
返事は軽いが、意味は理解しているだろう。
七草会長が渡辺先輩を見る。
「私は、使える手段なら使っていいと思うけど」
「……私も反対する理由はない」
渡辺先輩がそう答えたところで、ミーシャが続けて手を挙げた。
「ただ、それとは別に一人護衛が欲しいっス」
そこには少し引っ掛かった。
入学式の日、ミーシャは前の席を頼むことについて、必要な配慮を求めているのか、単に自分を優先してほしいだけなのか分からなくなると話していた。
そんな彼女が、自分から護衛を求めるとは思っていなかったからだ。
「独断専行するつもりはないっスけど、実際にブランシュと接触する可能性はあるっス。
そうなったらシャシュティ出して、現代魔法まで含めて本気で使える状態に切り替えるっス」
眼鏡型の視覚補助CADへ指を添える。
「その状態だと、自分の身体を自分の視点で直接見てるわけじゃないっス。
魔法は使いやすくなるけど、近距離で殴られたり、急に死角から来られたりした時の対応はどうしても落ちるっス。
そこを埋めてくれる人が一人ほしいっスね」
理に適っている。
「誰がいい?」
渡辺先輩が聞いた。
ミーシャはほとんど迷わなかった。
「駿が一番適任っス」
その名前が出た途端、周囲の視線が一斉ではないにせよ、自然と森崎へ集まった。俺も思わず森崎を見た。
本人も、自分が指名されたと理解するまで少し間があった。
「駿? ……僕?」
森崎とミーシャの間に何があったかは、風紀委員内でも知られている。昼食時の失言から校門前での衝突まで、それなりに派手だった。
その後は周囲も余計な摩擦を避けるため、必要以上に二人を同じ組へ入れないよう多少気を使っていた。
だからこそ、ミーシャが何のためらいもなく森崎を選んだことには、俺も少し意外だった。
しかも――駿。
すでに名前で呼んでいる。森崎の方は、指名された理由より先にそこを気にしたらしい。
渡辺先輩が怪訝な顔をして確認する。
「風間、本当にいいのか?」
「何がっスか?」
「森崎と組むことだ」
ミーシャは意外そうな顔をして首を傾げた。
その反応を見る限り、本人にとってはそこが問題になるという発想自体が薄いらしい。
「相手、テロリストっスよ」
重い内容の割に、口調はいつも通りだった。
「下手したら学生の命に関わるっス。だったら万全で行った方がいいっス」
森崎も何か言いかけたが、そこで口を閉じた。その目には真剣な色が宿っていた。
「駿のクイック・ドロウはマジ速いっス。
自分がシャシュティの視界に切り替えたり、祝詞を唱えたりする間はどうしても隙ができるっスけど、駿ならすぐにカバーできるっス。
それに、現代魔法同士の対応も自分より安定してるっス。だから護衛には駿が一番適任っス」
自分が一度傷つけられた相手だから評価を下げるでもなく、逆に関係を修復したいから持ち上げるでもない。
必要な役割に対して、誰の能力が一番合うかを選んだだけだ。
俺は、以前ミーシャが森崎の言葉に傷ついた時に、彼女が口にした言葉を思い出した。
――傷ついたことと、その相手をどう評価するかは別。
どうやら、あれは強がりではなかったらしい。
そこでミーシャは、何でもないことのように付け足した。
「命預け合うんで、名前呼びにしたっス」
森崎がようやく顔を上げる。
「でも嫌だったらやめるっスけど?」
数秒の沈黙のあと、森崎は息を吐いた。
「……好きにしろ」
「了解っス、駿」
森崎がそのまま俺に目線を向ける。敵意の中に別なものが混じっていた。
「司波」
「なんだ?」
「これといつも一緒なんだろ? ご苦労だな」
「なんでそっちに共感向くっス?」
渡辺先輩が額へ手を当てる。
「お前たちは任務中くらい静かにできないのか」
「委員長。もう、やらかさないから安心するっス」
「風間、その言葉は最近かなり信用を失ってるぞ」
周囲から小さな笑いが漏れ、それまで張っていた空気が少しだけ緩んだ。
十文字先輩が全員を見渡す。
「なら配置を組み直そう。風間と森崎は校内巡回。異常を発見しても、二人だけで深入りするな。まず連絡を入れろ」
「了解っス」
「了解しました」
返事が重なる。
さらに十文字会頭は生徒会長に向く。
「それから、もし襲撃があった場合に備えて、こちらも迎撃態勢を整えておきたい」
「分かった、十文字君。襲撃の可能性については、情報源を伏せて先生方にも伝えておくわ。
いざというときに備えて、生徒たちがCADを使用するための許可書類も用意しておくから」
実務の話になると、深雪も口を開いた。
「会長、細かい手続きは私にお任せください」
「ええ、深雪。お願いね」
続いて、渡辺先輩が警備の話を切り出した。
「有志同盟も監視対象に加えておこう。風紀委員だけでなく、部活連からも何人か人を回してくれないか?」
「分かった。人選は任せてくれ」
森崎とミーシャは、すでに巡回の準備を始めている。
上位存在に聞く……ならば、もう一押しできるかもな。
俺はミーシャに近づき依頼した。
「ミーシャ。できればでいい、もし追加で質問ができるのなら。一つ聞いてもらいたいものがある」
俺は考えていたことを簡単に説明し、ミーシャもその意図を理解したようだった。
◆
討論会は予定通り始まった。
講堂には一科、二科を問わず大勢の生徒が集まり、壇上には有志同盟側の代表者たちと、生徒会を代表して七草真由美会長が並んでいる。
俺たち風紀委員は会場の内外へ分散し、出入口や通路、壇上周辺の警備に就いていた。
俺の持ち場は、壇上から少し離れた側方。渡辺先輩の指揮補佐だ。
深雪は生徒会側の補助役として前方に控えている。
ミーシャと森崎は講堂にいない。
今朝決めた通り、二人には会場警備ではなく校内巡回を任せていた。
ブランシュが本当に今日動くつもりなら、大勢の生徒と風紀委員が集まっている講堂へ正面から突っ込んでくるとは限らない。
討論会そのものを囮にして別の場所から侵入する方が、むしろ相手にとっては動きやすい。
そんな警戒とは無関係に、壇上では予定された討論が進んでいた。
「部活動の予算にも、一科と二科の間で明確な差があります」
有志同盟側の代表として立った二科生が端末を操作し、事前にまとめた資料をスクリーンへ映す。
「一科生が多く所属する部ほど、多額の予算を受け取っている。一方で、二科生が多い部活動の予算は少ない。この差も、学校内に存在する差別構造の一つではないでしょうか」
会場の一部から同意する声が上がった。
昨日まで壬生先輩たちから聞いていた話よりは、かなり整理されている。
単に「不公平だ」と訴えるのではなく、実際の予算額を並べて根拠を示しているだけでも、主張としては一段まともになっていた。
七草会長は途中で口を挟まず、相手が説明を終えるまで黙って聞いていた。
「ご指摘の通り、部活動ごとに予算額の差はあります。ただし、その配分基準は、一科生と二科生の所属比率ではありません」
いきなり否定しなかったことで、かえって会場が静まる。
七草会長が端末を操作すると、今度は別の資料がスクリーンへ表示された。
大会成績、部員数、対外活動の実績、設備維持費、それに過去数年分の予算推移まで並んでいる。
「現在の部活動予算は、各部の活動実績と必要経費を基準に配分されています。
一科生の比率が高い部へ多くの予算が配分されている例があることは事実です。ただ、それは一科生が多いからではありません」
表示された数字を見る限り、その説明に無理はなかった。
高額な予算を受けている部の多くは全国大会や対外競技で実績を残し、設備の維持にも金が掛かっている。
逆に、一科生の所属率が高くても成績を落として予算を削られた部もあれば、二科生が多くても活動実績によって比較的多くの予算を得ている部もある。
七草会長は、その両方を同じ画面へ並べた。
「この配分方式自体を変えるべきだ、という提案であれば議論できます。
ただ、『一科生が多い部だから優遇されている』という主張については、現在確認できる資料からは支持できません」
有志同盟の代表はすぐには答えず、手元の資料とスクリーンを見比べた。
隣の生徒と短く言葉を交わし、過去の予算推移をもう一度確認してから顔を上げる。
「……分かりました。少なくとも、今の資料だけではその主張を裏付けられません。ただ、過去の予算配分や活動条件の差が、現在の実績に影響していないかまでは分かりません。そこも調査して、問題がなければ、この主張は取り下げます」
「そうですね。その点については追加調査を行うことにしましょう。部活動予算の問題については、それを今回の結論とします」
会場から野次は飛ばなかった。
七草会長は一度頷き、そのまま次の話へ移った。
「ただ、私はこの学校に、一科生と二科生の間の差別意識が存在しないと言うつもりはありません」
今度は、有志同盟側だけでなく会場全体がざわついた。
「『ブルーム』と『ウィード』」
ざわめきがさらに大きくなる。第一高校にいる人間なら、意味を知らない方が珍しい。
一科生を花冠のある花に、二科生を花冠のない雑草に見立てる呼び方。
生徒同士ではひそかに使われているものの、風紀委員の取り締まり対象となっているため、公の場で口にする者はいない。
それを、生徒会長本人が壇上で言った。
「この言葉が生徒間で使われていることを、知らないふりをするつもりはありません。
二科生に対する侮蔑的な意識が存在することも、それによって不快な思いをしている生徒がいることも、否定しません」
有志同盟側の何人かが顔を上げた。
そこまでは、自分たちの主張を認められたように聞こえただろう。
実際、七草会長も否定していない。
「ですが、一つの差別をなくそうとして、別の差別を生んでしまっては意味がありません。
一科生だから優れていると決めつけるのは間違いです。
同じように、二科生だから必ず不当な扱いを受けていると決めつけ、すべての不利益を一科生個人の責任へ帰することはできないと私は思います」
会場のざわめきが少しずつ収まっていく。
七草会長の話し方には、相手を責める響きがなかった。
有志同盟の主張をまとめて叩き潰すのではなく、認めるところと認めないところを切り分け、その境界を一つずつ示している。
「一科生も二科生も、一人一人がこの学校の生徒です。この学校で過ごせる三年間は、その人にとって一度しかありません」
俺の周囲でも、さっきまで隣同士で話していた生徒が、黙って壇上を見るようになっていた。
七草会長は会場を一度見渡してから、少しだけ口調を和らげる。
「それに、今年はこの問題について、少し面白い手応えもありました」
そこで会場の空気が、興味の色で塗りつぶされた。
「今年から風紀委員会では、委員を一名増員するモデルケースを始めています。
その追加枠については、可能なら二科生を採用する方針になっています。それとは別に、生徒会からも一名、二科生を風紀委員へ推薦しました」
何人かの視線がこちらへ動いた――当然、俺のことだ。
特に反応する理由もないので、そのまま立っている。
「司波達也君は、入学してまだそれほど時間が経っていません。
それでも風紀委員として、すでに何度も校内の問題へ堅実に対応しています。
入学試験の実技成績だけで、その生徒が学校内で何をできるかまで決まるわけではない。
それを分かりやすく示してくれた一例だと思います」
周囲でまた小さな声が上がる。
目立ちたいわけではないが、ここで俺が否定するのも違う。
前方に控えていた深雪も、こちらへ目を向けていた。生徒会役員らしく表情は抑えているものの、口元がわずかに緩んでいた。
……俺より嬉しそうなのは、気のせいではないだろう。
七草会長の視線が、今度は俺の隣の空いた場所へ一度流れた。
「それから、風間ミーシャさんは――」
わずかに間が空く。
「面白かったです」
会場の空気が妙な形で止まった。俺もそうなると思った。
七草会長は少し考えたあと、言い直す。
「そうですね。一科とか二科とか、そういう区分を考えている暇がなくなるくらい面白かったです」
今度は会場のあちこちから笑いが起きた。何のことか分かっている生徒も多いのだろう。
深雪も、先ほどとは違う意味で口元を緩めていた。
「風紀委員長は、少し苦労しているようですけれど。それでも風間さんは、あの面白さを失わずに、風紀委員としてきちんと職務を果たしています」
何人もの視線が、俺の隣の渡辺先輩へ向いた。
本人は憮然とした表情で目を伏せる。それが余計に笑いを広げる。
七草会長は、その笑いが自然に収まるまで待ってから続けた。
「でも、この二人を見ていて思いました。一科生か二科生かという分類だけで、一人の生徒を評価するのは粗すぎます。
差別意識をなくすということは、一科と二科を二つの陣営に分けて争わせることではありません。目の前にいる一人一人を見ることだと、私は思います」
そこから先は、反論というより提案に近かった。
学校制度に問題があるなら調べ、改善できる部分は改善し、実際に不当な扱いがあるなら、それを無視しない。
その一方で、一科生と二科生という二つの集団へ何もかも押し込み、片方を加害者、片方を被害者として固定する考え方には賛同しない。
七草会長の主張は、その一点では最初から変わっていなかった。
しばらくして、会場のどこかから拍手が起きた。
最初は数人だったものが、徐々に広がっていく。一科生だけではない。二科生の側からも音が増え、有志同盟側の席にいる生徒の中にも手を叩いている者がいた。
七草会長は拍手が静まるのを待った。
「ただし、現在の制度の中にも、私自身が明確に不合理だと考えている規定があります」
七草会長は、そこで一旦目を伏せた。
「一科と二科の区別によって、実技の個別指導を受けられないという不公平が生じているのは事実です。
しかし、その背景には、国内の指導教員の絶対数が不足しているという、早急には解決しがたい問題があります。
残念ながら、私たちの一存でこの状況を変えることはできません。これは本校の入学に際して定められた学校指導要綱に基づく規定なのですから」
会場に広がるざわめきが、わずかに不満の色を強める。だが、それを打ち消すかのように、会長は言葉を続けた。
「でも、現在、生徒側で改善することができる差別が一つあります。生徒会役員についてです。
現行規則では、生徒会長以外の生徒会役員は、一科生からしか指名できません。
私は、この規定に合理的な理由があるとは考えていません。
ですから私の任期中、最後の仕事の一つとして、生徒会長を選出する生徒総会の場で、この規定の撤廃を提案するつもりです」
今度の拍手は、さっきよりも大きかった。
七草会長は差別が存在しないとは言わなかった。
有志同盟の訴えを一括して否定することもしなかった。
数字で否定できるものは否定し、認めるべき部分は認め、その上で自分の手が届く制度については変えると明言した。
公開討論という形式を選んだ理由も分かる。
相手を黙らせるためではなく、表へ出した主張を一つずつ整理するためだ。
七草会長は、こういう場で何をどう話せば人が聞くかをよく知っている。
その時、隣に立つ渡辺先輩の通信端末が振動した。
壇上の進行を邪魔しないよう、渡辺先輩は音声を絞って応答する。
――ミーシャからだった。
『委員長、こちらミーシャっス』
俺の位置からでも、声は断片的に拾える。
「どうした」
『第二駐車場に、ブランシュが使っていると思われるトレーラーが数台入ってるっス。
業者っぽく偽装してるっスけど、駿の見立てだと警戒の仕方が普通の業者と違うらしいっス』
そこで意識を壇上から切り離した。
確か、森崎家は護衛業でも知られていたはずだ。森崎自身も、その仕事に携わった経験があるのだろう。
なるほど、そういう違いには目が利くわけか。
「人数は?」
『今確認できてる範囲で、一台から十人くらい降りたっス。段ボール箱持って会場方向へ移動中っスね。
中身まではまだ見えてないっスけど、状況から考えると武器の可能性高いっス』
十人という人数だけなら、第一高校全体をどうこうするには少なすぎる。ただ、講堂へ入り込んで討論会を混乱させるだけなら十分な人数でもある。
引っ掛かるのは、トレーラーが一台ではないことだった。
『他の車両はまだ動いてないっス』
ミーシャも同じところを気にしているらしい。
『多分、これ一手だけじゃないっスね。自分たちは残ってる車両を見るっス。会場へ向かってる十人は、委員長側に任せたいっス』
渡辺先輩が軽く指を鳴らす。
「動いてない車両が、まだ複数あるんだな?」
『ウィっス。駿とこっちで監視続けるっス』
「分かった。二人だけで仕掛けるな。動きがあったらすぐ連絡しろ」
『了解っス』
通信が切れたところで、俺は渡辺先輩へ声を落として話しかけた。
「十人だけというのは中途半端ですね」
「ああ。討論会へ送り込む先発か、こっちへ注意を向けさせる囮か。どちらにせよ、それだけで終わると思わない方がいい」
その判断には同意だった。
講堂にはまだ拍手の余韻が残っている。
壇上では七草会長が何事もなかったように討論を進め、観客席にいる大多数の生徒は、第二駐車場へブランシュの車両が入り込んでいることなど知らない。
「達也」
「はい」
「お前はまだここにいろ。十人程度なら、講堂周辺に置いてる人員で対処できる。
それより、残ってるトレーラーの方が気になる。ここでお前まで外へ回して、本命が別だったら面倒だ」
「分かりました」
現状で戦力を一か所へ寄せる理由はない。
俺は壇上へ視線を戻した。
七草会長はこちらの短いやり取りに気づいているはずだが、話を止める様子はない。
客席では一科生と二科生が同じ壇上を見ている。
その端で、渡辺先輩が一人の風紀委員へ短く指示を送った。
部活連の十文字先輩にも連絡をしている。
そして、講堂の壁際にいた腕章が一つ減った。