屋上へ続く扉を閉めると、風間は一度だけ周囲を見回した。ここなら邪魔する人間もいないし入り口も限られている。
討論会が始まるまでは、まだ少し時間がある。
校内は普段より人の動きが多く、生徒会も風紀委員も講堂周辺へかなりの人員を割いている。
そんな中で、広い校地を僕たち二人が端から歩き回ったところで、ブランシュの人間を偶然見つけられる可能性は高くない。
風間も、最初からそんな探し方をするつもりではなかったらしい。
「駿、頼みたいことあるっス」
その呼ばれ方には、まだ慣れない。
昨日までなら、勝手に名前で呼ぶなと反射的に返していたかもしれない。
けれど今日は、そんなことで言い合っている場合でもなかった。
「何だ」
「朝言った通り、これから使う魔法、ちょっとリスクあるっス」
声はいつも通りだったが、ふざける気はないらしい。
「自分が問いかける相手、人間じゃないっス。精神の作りも価値観も、こっちとは全然違う上位存在っス」
「それで?」
「接触した時、向こうの精神に引っ張られることあるっス。まともに侵食食らったら、その日はほぼ使い物にならなくなるっスね」
簡単に言っているが、身体のどこかを傷めるという話ではない精神そのものへ影響が出る。
幻想術を詳しく知らない僕には、それが具体的にどういう状態なのか想像もつかなかったが、危険だということだけは十分分かる。
「それで、僕に何をしろっていうんだ?」
風間は右手を差し出した。
「手、握ってほしいっス」
「……は?」
聞き間違えたかと思った。
「握るだけでいいっス」
「どういう理屈だ」
「駿とは色々あったっスから」
「それを本人が言うのか」
風間は特に気にした様子もなく続けた。
「だから、ここ一番というときに、駿の前で無様なことになりたくないって思えるっス。それが結構効くんスよ」
「何に」
「インスピレーションっス。結果的に、向こうとの接触が『有利』になるっス」
「それがさっきいたセーフティーなのか?」
「ウィっス」
説明を聞いても、分からないものは分からない。
誰かに対して抱いている感情が魔法の安定性に影響するなど、現代魔法の理論へ持ち込めば鼻で笑われる話だろう。
ただ、風間の幻想術について、いちいちこちらの常識を物差しにしても仕方がないことくらいは、僕にももう分かっていた。
差し出された手を見ると、僕の手よりずっと小さい。
視覚補助CADがなければ、目の前に立つ僕の顔すらまともに見えない。
それでも本人は、そのことを気に病むより先に、どう使えば良いのかを考えている。
「……分かった」
僕はその手を取った。
「任せる」
風間は一瞬だけ黙った。
「ありがとうっス」
鈍い金髪が風に散り、制服の裾も落ち着かない。普段なら、この程度でも何か一言くらい余計なことを言いそうなのに、風間は黙ったまま目を閉じた。
始まった祝詞は、ゆっくりと長くそして――綺麗だった。
「我が声は地にあらず、我が問いは風に散らず。聖印よ、扉となれ。祈りよ、階となれ。
沈黙の彼方に坐す御名よ、今ひととき、我が魂を御前へ導きたまえ。
偽りを退け、迷いを鎮め、人の知の届かぬものに、ただ御心の影を示したまえ」
大声ではない。
それなのに、聞いているうちに妙な感覚がまとわりついてきた。
空気が冷えたわけでも、何かが現れたわけでもない。現代魔法の起動式も魔法式も見えない。
それでも、隣にいる風間の意識だけが、僕たちの立っている屋上とは別のところへ伸びていくように感じる。
「我は命じず、ただ問う。我は求めず、ただ聴く。是ならば光を、否ならば影を、知られざるならば沈黙を。
御名において、五つの問いを捧げん。我が声に、答えを。我が祈りに、御徴を」
詠唱は1分ぐらいだろうか、最後の言葉が終わった直後、握っていた風間の手に力が入った――僕も反射的に握り返す。
風間の身体が少し揺れた。
目は閉じたままなのに、何かを見ているようにも見える。
ただ、「見る」という言葉で合っているのかすら分からない。僕の側には何も起きていない。それでも手から伝わる力だけは、明らかにさっきより強かった。
数秒して、風間が息を吐く。
「……大丈夫っス」
本当に、この手が何かの役に立っているらしい。
理屈は分からないが、必要だというなら、今は握っていればいい。
風間が最初の問いを口にした。
「ブランシュは、この校内に乗り込んでるっスか?」
僕には何も聞こえない。
けれど風間は、しばらく黙ったあと、小さく答えた。
「……是」
続いて二つ目。
「ブランシュが乗り込んでるのは、学校の北側っスか?」
少し待つ。
「否」
風間はそのまま数秒考えた。
「まだ広いっスね。じゃあ、ブランシュが乗り込んでるのは南東側っスか?」
今度は答えが早かった。
「是」
そこで僕の方でも場所が見えてきた。
「……第二駐車場か?」
風間が僕の言葉に頷く。残った最後の問いを、そのまま使った。
「ブランシュが乗り込んでるのは、第二駐車場っスか?」
今度は少し間があった。やがて、風間の口元が緩む。
「是」
だが祝詞は五つの問いだった。つまり、もう一つ質問は残っている。風間はそこで意外な質問をした。
「壬生紗耶香は、ブランシュの構成員から記憶改竄受けてますか?」
壬生? 記憶改竄? 何のつながりがあるのか分からない。風間は少し悲しそうな顔をして告げた。
「是」
誰かの記憶が弄られているという答えに背筋が冷えたが、風間があんな顔をする理由までは分からなかった。握っていた手から力が抜けた。接触は終わったらしい。
「決まりっス。行くっス」
本当に五つの質問だけで場所を絞り、さらに壬生紗耶香という人物が記憶改竄を受けていることまで引き出した。
やっていることは無茶苦茶なのに、結果だけ見れば異常なくらい実用的だ。
僕が息を吐いたところで、風間はまだ手を離さなかった。
「ついでっスけど」
「何だ」
「走りたいんで、このまま手引いてくれるとありがたいっス」
さっきまで人間ではない何かへ意識を繋いでいたはずなのに、もう普段の調子に戻っている。
「……分かった」
結局、そのまま風間の手を引いて屋上を出た。
第二駐車場までは、それなりに距離がある。視覚補助CADを使っていても、風間は走りながら広い範囲を確認するのが得意ではない。
僕が前を走り、後ろからついてくる風間の速度に合わせながら、人の少ない通路を選んで最短経路を抜けていった。
少し前までなら、こんな状況になるとは考えもしなかった。
風間ミーシャは、目が見えないし、聞いたこともない古式魔法を使う。
そして、校門前では僕の腕を泥の化け物で拘束した。
何を考えているのかも、魔法がどういう理屈で動いているのかも、僕にはほとんど分からない。
その相手の手を、今は僕が引いて走っている。
第二駐車場へ着いた頃には、そんなことを考える余裕もなくなった。
教職員用の車両が並ぶ向こう、搬入口に近い位置へ見慣れない大型トレーラーが何台か停まっている。
風間は柱の陰へ入った。
「駿、怪しい車あるっスか?」
「ある。教員の車が何台かと、大型トレーラー。あれは今来たばかりみたいだ」
「広い範囲見えないんで、説明お願いするっス」
「分かった」
その時、一台のトレーラーの後部扉が開いた。
中から人が降りてくる。
一人、二人と数えていく。降りたのは十人だった。
全員、業者の作業員らしい服装をしているが、動き方がおかしい。
荷物を運ぶ手つきよりも、周囲へ目を配る仕草の方が目につく。
それも、作業の邪魔になるものを警戒しているのではない。自分たちを見る人間がいないか、確かめているようだった。
「十人降りた。荷物を持って、講堂の方へ向かってる。普通の業者とは思えない。荷物より、周囲の人間に怪しまれていないかを気にしてる。委員長に連絡してくれ」
「了解っス」
風間はすぐ通信機へ手を伸ばした。
本当に見つけた。あの屋上で適当に当てたわけではない。
五つの質問だけでこの場所まで絞り込み、本当に怪しい人間がいるところへ辿り着いた。
通信を終えた風間は、さらにトレーラーから死角になる位置へ身を寄せた。
僕もその後へ入る。
「全部のトレーラー、すぐ人が出られるようにしてるみたいだ」
「どういう状態っス?」
「後ろの扉が少しずつ開いてる。完全には閉めてない」
「ラッキーっス」
何がラッキーなのか聞く前に、風間は腰のポシェットから黒い毛を取り出していた。
「我が眼はここにあらず。闇を抜け、壁を越え、沈黙の奥を見通せ。見えざる瞳よ、我が知覚を運べ」
今度の祝詞は短い。
詠唱が終わっても、僕の目には何も変化は見えなかった。
「何したんだ?」
「見えない目を飛ばしたっス」
「……は?」
「《アーケイン・アイ》っス。三センチくらいの隙間あれば入れるっスよ」
また理解不能な魔法だ。
けれど、もう一つ一つに驚いている時間が惜しい。
風間は目を閉じ、そのまましばらく黙った。再度開いた時には、緊張が帯びていた。
「……中にまだいるっスね」
「何人だ?」
「全部合わせると、五十くらいっス」
さっきの十人どころではない。
「武装は?」
「小銃。あと……ロケットランチャーみたいなの、何本かあるっス」
そこまで聞けば、もう校内の揉め事として考える余地はなかった。
本物の武装集団だ。
だが、第一高校全体を襲撃するつもりなら、中途半端だ。目的も見えない。
風間も同じところを見ていたらしい。
「多分、別働隊あるっスね。シャシュティ」
風間は使い魔の名前を呼んだ。ほとんど同時に、何もなかった空間へ太った三毛猫が現れる。
以前なら、翼の生えた猫が突然空中へ出現した時点で何が起きたのか考え込んでいただろうが、今はもうそこまで引っ掛からない。
トレーラーの死角になる位置へ移動し、耳を動かしている。
「マブダチからは、声も拾えるっス」
数秒後、風間が聞こえてきた内容を小声でなぞり始めた。
「……最終確認。自分たちは陽動として、本棟の教員区画を襲撃」
続いて。
「校長、百山東の誘拐を名目にする……その間に、第一高校生徒の内部協力者が手引きして、図書館の特別閲覧室へ侵入……」
その時、残っていたトレーラーの後部扉が相次いで開いた。
作業員に扮した男たちが、数人ずつ降りてくる。最初に講堂へ向かった十人とは別だ。荷台に残っていた連中が次々に姿を現し、駐車場の端を通って本棟方面へ移動し始めた。
ざっと五十人近い――つまり残っていた全員だ。
「風間、残りも動いた。本棟方面だ」
「了解っス」
風間はすぐ通信を開く。
『委員長』
渡辺先輩の声が返った。
『こちらは今、迎撃直前だ。どうした?』
『残りの襲撃者も動き始めたっス。五十人ほどで、本棟の教員区画へ向かってるっス。でも、それは陽動っス。本命は図書館の特別閲覧室。内部協力者の生徒が手引きして侵入するみたいっス』
通信の向こうが一瞬静かになる。風間は続けた。
『強襲なら達也が一番適任っス。ですよね、委員長?』
『……ああ。こちらから伝える。お前たちは駐車場を――』
その途中で、別のエンジン音が聞こえてきた。僕は駐車場の入口を見る。
「風間、もう一台来る」
「――委員長、緊急事態っス。後で連絡するっス」
通話を切った風間も僕と同じ方向を向く、新しいトレーラーが、ゆっくり第二駐車場へ入ってきた。
こちらの存在には気づいていない。
ただ、すでに十人は講堂方面へ向かい、五十人近い武装集団も本棟へ出た。警備側の人員も、それぞれを迎撃するため各所へ回され始めている。
その状況で、さらに一台。
中に何人いるかはまだ分からない。
風間が先に言った。
「もう人手、ほとんど出払ってるっスね」
「そうみたいだな」
「じゃあ、覚悟極めるっス」
新しく入ってきたトレーラーから視線を離さないまま言う。
喉がとても乾く――怖くないわけではない。
相手はテロリストで、小銃もロケットランチャーも持っている。
校内で起きる生徒同士の衝突とは違う。
けれど、だからこそ何を確認するべきかは分かる。
うちは代々、ボディーガードを副業としてきた。
僕自身も家の仕事を手伝ったことがあり、訓練だけではない現場にも立ったことがある。
――遮蔽物に使える柱はあるか?
――トレーラーまでの距離は?
――向こうが降りた瞬間に取れる射線は?
――こちらが下がる場合の逃走経路は?
そこまで確認して、最後に隣を見る。
風間ミーシャ。向かい合った時は、理解できないことばかり起こす厄介な相手だった。
泥の小鬼を出し、人間を巨大化させ、聞いたこともない存在を呼ぶ。
次に何をしてくるのか読めない。その点は、味方になった今も変わらない。
ただ、読めない何かが自分の横にいるなら、相手にとっても同じだ。
僕は新しく入ってきたトレーラーを見据えた。
「風間」
「何っスか、駿?」
「僕が前に出る」
返事はすぐだった。
「了解っス。じゃ、自分が後ろから盛大にやらかすっス」
普段なら、やめろと言う。だが今はそのやらかしが頼もしい。
自然に、別の言葉が出た。
「……頼む」
「ウィっス。シャシュティ」
「承知した」
シャシュティも返事する。ただ、今は普段と様子が違った。
シャシュティは一度だけ僕へ目を向けただけで、いつもの妙に人間臭い挨拶も、風間に対する小言も言わない。
翼をゆっくり動かしながら、駐車場へ入ってくるトレーラーだけを見ていた。
風間も同じだった。
軽い口調こそ残っているものの、余計な言葉がない。
「駿。一分っス」
「何が?」
「一分だけ、駿の速度を倍にするっス」
さすがに聞き返した。
「倍?」
「集中して維持する幻想術っス。だから、さっき飛ばしてた《アーケイン・アイ》は消すっス。
その代わり、切れてから六秒くらい身体が動かなくなるっスね」
つまり、偵察を切り上げて僕一人に術を集中するらしい。
「六秒か」
「そこまでに片付ければ問題ないっス」
簡単に言ってくれる。
だが、本当に二倍になるなら、一分どころか半分も要らない可能性がある。
「分かった」
トレーラーのブレーキランプが消えた。中から慌ただしい音がする。
後部扉が開くより先に、風間がポシェットからキラキラ光る薄い鉱物片を取り出した。
「鳴れ、破砕の音叉。鋼も石も、我が声に耐えず砕け散る」
直後、耳を打つ破砕音が駐車場へ響いた。トレーラーの側面中央部がまとめて崩れる。
切ったという壊れ方ではない。外側から押し潰されたわけでもない。
鉄板そのものが内部から巨大な衝撃を受けたように砕け、細かな破片になって外へ吹き飛んだ。
車体が大きく揺れ、中から怒鳴り声と何かが倒れる音が重なって聞こえる。
以前なら、どういう魔法を使えば鋼板がこんな壊れ方をするのか考えていたと思う。
今は穴が開いたという事実だけ見ればいい。
「容赦なさすぎだろ、風間」
率直な感想をつぶやきながら僕は走った。破砕のそばに居たテロリストが一人か二人倒れているが、同情する気も起きない。
崩れた側面まで一気に距離を詰め、そのまま車内へ身体を滑り込ませる。後ろから風間の祝詞が追ってきた。
「刻よ縮め、脚よ駆けろ。刃より速く、影より疾く」
次の一歩で、周囲の動きが変わった。
車内で体勢を立て直そうとしている男の肩がゆっくり動く。
銃へ伸びる手も、床を踏み直す脚も、目で追えるどころか次に何をしようとしているのか待てるほど遅い。
世界が遅くなったのではない――僕の方が速くなっている。
脚だけではなかった。視線を動かし、相手を認識し、何をするか決め、CADを抜いて起動式を立ち上げるところまで、普段なら別々に意識する動作が一つに繋がっている。
風間の魔法によって二人が倒れ、残る敵は前方に四人、後方に二人。――まずは数の多い前方からだ。
一人はすでに銃へ手を掛けていた。
丁寧に照準を合わせる必要はない。殺傷力も要らない。相手が武器を使える状態になる前に、こちらの魔法を当てればいい。
森崎家のクイック・ドロウは、元々そのために磨かれてきた。
CADを抜きざまに起動式を展開し、一人目を横へ弾く。
その身体が壁へ届くより先に二人目を床から浮かせて奥へ押し込み、三人目は立ち直る前に後方へ転がす。
四人目がようやく銃へ指を掛けたところで重心ごと横へずらし、そのまま荷台へ倒した。
普段なら四発を連射したと感じるはずの一連の操作が、今はほとんど一つの動作にしか感じられない。
反対側にいた二人が、そこでようやくこちらへ向き直った。
二人ともすでに銃を構えてる。だが、僕は照準を合わせることなく起動式を展開した。
――ドロウレス
森崎家が得意とする、もう一つの技術。それは、特化型CADの照準機能を使わず、狙いを定めることなく魔法を発動し、さらに発動速度を高める技術だ。
一人を荷台の奥へ押し戻し、もう一人は足場ごと重心を崩して床へ転がした。
出力は戦闘を継続できなくなる程度に抑えてある。それでも、この狭い車内で身体を打てば、すぐに立ち上がれる者はいない。
気づけば、動いている相手はもういなかった。
一分どころではない。
数秒しか経っていないはずだ。
僕自身、CADを構えたまま車内を見回してから、ようやく動きを止めた。
床には銃器とCADが散らばり、六人とも倒れている。
速度を倍にする――言葉だけなら、それだけの術だ。
だが、元々「相手より先に撃つ」ことだけを突き詰めてきた技術へ、そのまま倍の速度を与えると、話が変わる。
こちらを攻撃すると決めた時には、すでに処理が終わっている。
自分の技術なのに、少し反則じみていた。
崩れた側面から外へ戻ったところで、運転席にまだ一人残っていたことを思い出した。
車体の前へ回る。
「……何だ、これ」
運転席の横窓が割れている。
男はハンドルへ身体を預けたまま動かず、その肩元には植木鉢が一つ転がっていた。校内の花壇脇に置かれていたような、ごく普通の植木鉢だ。
少し離れたところに風間が立っている。
「こっちも終わったっス」
「何をした?」
「投植木鉢術っス」
一瞬、意味を取れなかった。
「そんな術名は無いだろ」
「今つけたっス。現代魔法の移動系やっぱ便利っスね」
そのやり取りをしている間に、一分が経った。
突然、身体が鉛でも詰め込まれたように重くなる。
膝が落ちかけ、呼吸も一気に乱れた。筋肉が疲労しているというより、さっきまで無理に前へ引き伸ばされていた時間だけが一度に戻ってきたような感覚で、腕にも脚にも思うように力が入らない。
風間が言っていた六秒というのは、おそらく正しい。
それでも、その六秒は思ったより長かった。
風間はすぐには近づいてこなかった。
少し離れたところでこちらへ身体を向けたまま、僕が立っていられるかどうかだけを見ている。
倒れるなら支えるつもりなのだろうが、自分で踏ん張れるなら余計なことはしないらしい。
僕は膝へ力を戻しながら息を吐いた。
「……結構くるな、これ」
「だから説明したっス」
「聞いてても、実際こうなるとは分からないだろ」
少しずつ指先の感覚が戻ってくる。
その間、シャシュティは黙って僕を見ていた。
やがて一言だけ言う。
「悪くなかった」
相変わらず妙に上から目線だったが、不思議と腹は立たない。
「そりゃどうも」
すると横から風間が口を挟んだ。
「シャシュティ、あんまり褒めると調子乗るっスよ」
「少なくとも主よりは、調子に乗らない。それだけは保証できる」
「……厳しいっス」
「厳しくもなる。森崎殿を少し褒めたくらいで、そういじけるな。まだ少し根に持っているだろう」
そこで風間の返事が止まった。
「何のことっスかね」
「森崎殿との件だ」
僕も黙って風間を見る。
風間はしばらく誤魔化そうとしていたようだが、諦めたのか顔を少し横へ向けた。
「……ちょっとだけっス」
思っていたより素直に認めた。
「なら最初からそう言えばよい」
「そういうこと、本人の前で言うの……恥ずかしいっス」
「初対面であれほど友人になれと迫っておいてか」
「それとこれは別っス!」
思わず笑いそうになった。
けれど、シャシュティの言葉が胸にずっしりと残った。
――少し褒められたくらいで、面白くない。
それは、僕にも覚えがあった。
司波深雪が兄の達也を褒めるたび、僕は面白くなかった。
一科で一番優秀で一番美人なあの人が、二科生の兄を誰よりも認めている。それが気に入らなかった。
兄だからだ。妹だから、身内を贔屓しているだけだ。
そう思えば、司波達也自身に何か認めるべきものがあるかもしれないなんて、考えなくて済んだ。
……何だ。僕も同じじゃないか。
いや、風間の方がまだましだ。
少し根に持っているくせに、僕のクイック・ドロウを認め、護衛に選んだ。さっきだって、危険なコンタクトの成否を僕に預けてくれた。
それに比べて僕は、気に入らないというだけで、司波の実力まで認めようとしなかった。
随分と子供じみたことをしていたらしい。
――あなたたちブルームが、今の時点で一体どれだけ優れているというんですか?
あの時、眼鏡をかけた女子生徒が口にした言葉が、頭に浮かんだ。
そうだな、今はテロリストから学校を守ることに一科も二科も関係なく動いている。
どうやら風間の馬鹿げた《幻想術》は、「一科であることがすべて」だという僕の馬鹿げた幻想まで壊したらしい。
僕は隣の風間を見た。
まだ少し引っ掛かっているというなら、そのことを僕が勝手になかったことにはできない。
だからといって、ここで改めて謝れば、それで済むとも思えなかった。
風間の方が、区切るように手を叩く。
「さて。事後処理っス。まずは先輩たちに連絡っス。その後は」
トレーラーを指した。
「武器取り上げて、全員縛っといてほしいっス」
「僕が?」
「駿が」
「風間は?」
「次の幻想術の準備っス」
その返事だけで嫌な予感がした。
「何をするつもりだ」
「ロッカーから鏡取ってくるっス」
「鏡?」
「ウィっス。高級だし嵩張るから、普段持ち歩いてないっス」
高級な鏡と幻想術が、僕の中では全く繋がらない。
ただ、ここで詳しく聞いても、おそらく説明される単語が増えるだけだ。
「……分かった。こっちはやっておく」
「頼むっス」
先輩に連絡を入れた後、「すぐ来るみたいっス」と言い残し、風間は走ることなく移動を始めた。
視覚補助CADに頼っている以上、一人で急いで移動すれば危険だ。
代わりにシャシュティが少し前を飛び、その位置を頼りに風間が早足で後を追っていく。
僕は二人の背中をしばらく見送ってから、トレーラーへ戻った。
武器を回収し、使用できない状態にして、全員を拘束する必要がある。
まず一番近くに落ちていた銃を拾い、弾倉を抜く。
次へ手を伸ばしたところで、少し離れた場所から風間の声が聞こえた。
「シャシュティ、右っス? 左っス?」
「右だ。そちらは物置だ」
「危なかったっス」
僕は一度だけ手を止めた。一人で鏡を取りに行かせて本当に良かったのだろうか。数秒考えてから、残っている銃器の方を見た。
今さら追いかけても遅い。
僕は次の弾倉を抜いた。
今回は大盤振る舞いなので多いです。
【第22話:D&D使用呪文説明】
〇コンタクト・アザープレーン(Contact Other Plane/異界との交信)
呪文レベル:5レベル
発動時間:1分(儀式)
射程:自身
構成要素:音声(V)
持続時間:1分
系統:占術
攻撃/セーヴ:なし
ダメージ/効果:意思疎通
君は、半神、はるか昔に死んだ賢者の霊、あるいは別の次元界に存在する謎めいた存在と、精神的な交信を行う。
こうした異次元界の知性体との接触は、君の精神に大きな負担をかけ、場合によっては精神を崩壊させることさえある。
この呪文を発動したとき、君は 難易度15の【知力】セーヴィング・スロー を行わなければならない。
セーヴに失敗した場合:
君は 6d6の精神ダメージ を受け、次の大休憩を終了するまで狂気状態に陥る。
狂気状態の間、君は以下の制約を受ける。
- アクションを行えない。
- 他のクリーチャーの発言を理解できない。
- 文字を読むことができない。
- 意味不明な言葉しか話せない。
君に対して《グレーター・レストレーション(Greater Restoration/上級回復術)》が発動されると、この効果は終了する。
セーヴに成功した場合:
君は交信した存在に対して、最大5つまで質問 することができる。
質問はすべて、この呪文の持続時間が終了する前に行わなければならない。
GMはそれぞれの質問に対し、原則として以下のような 一語 で回答する。
- 「はい」
- 「いいえ」
- 「おそらく」
- 「決してない」
- 「無関係」
- 「不明」(交信相手が質問の答えを知らない場合)
ただし、一語での回答が誤解を招くような場合、GMは代わりに短い語句で回答してもよい。
〇アーケイン・アイ(Arcane Eye/秘術の目)
呪文レベル:4レベル
発動時間:1アクション
射程:30フィート(約9m)
構成要素:音声(V)、動作(S)、物質(M)(コウモリの毛皮の小片)
持続時間:精神集中、最大1時間
系統:占術
攻撃/セーヴ なし
ダメージ/効果:探知
君は射程内の一点に、不可視の魔法の目 を作り出す。
この目は空中に浮遊し、呪文の持続時間が終了するまで存在し続ける。
君は、この目が見ている光景を精神的に受け取ることができる。
この目は通常の視覚に加え、30フィート(約9m)までの暗視(Darkvision) を備えている。
また、この目はあらゆる方向を見渡すことができる。
・魔法の目の移動
君は 1アクション を使用することで、この目を好きな方向へ最大30フィート(約9m)移動させることができる。
この目が君からどれだけ離れられるかについて、距離の制限はない。
ただし、この目は別の次元界へ移動することはできない。
また、壁などの 隙間のない固体の障害物 は、この目の移動を妨げる。
しかし、直径1インチ(約2.5cm)以上の開口部 があれば、そこを通り抜けることができる。
〇シャター(Shatter/破砕)
呪文レベル:2レベル
発動時間:1アクション
射程:60フィート(約18m)
効果範囲:半径10フィート(約3m)の球形
構成要素:音声(V)、動作(S)、物質(M)(雲母の小片)
持続時間:瞬間
系統:力術
攻撃/セーヴ:【耐久力】セーヴィング・スロー
ダメージ/効果:雷鳴ダメージ
君が射程内の一点を選ぶと、その場所を中心として、耳をつんざくほど激しい、甲高い破裂音 が突然響き渡る。
その地点を中心とした 半径10フィートの球形範囲内 にいるすべてのクリーチャーは、【耐久力】セーヴィング・スローを行わなければならない。
セーヴに失敗した場合:
そのクリーチャーは 3d8の雷鳴ダメージ を受ける。
セーヴに成功した場合:
受けるダメージは半分になる。
また、石、結晶、金属などの 無機物で構成されたクリーチャー は、このセーヴィング・スローに不利を受ける。
さらに、この呪文の効果範囲内にある、誰にも着用されておらず、持ち運ばれてもいない非魔法的な物体 も、同様にダメージを受ける。
高レベルでの発動(At Higher Levels)
この呪文を 3レベル以上の呪文スロット を使用して発動する場合、使用したスロットのレベルが2レベルを1上回るごとに、ダメージが 1d8ずつ増加 する。
〇ヘイスト(Haste/加速
呪文レベル:3レベル
発動時間:1アクション
射程:30フィート(約9m)
構成要素:音声(V)、動作(S)、物質(M)(甘草(リコリス)の根を削った小片)
持続時間:精神集中、最大1分
系統:変成術
攻撃/セーヴ:なし
ダメージ/効果:強化
君は射程内にいて、君から見える 同意しているクリーチャー1体 を選ぶ。
この呪文の持続時間中、対象は以下の効果を得る。
- 移動速度が2倍 になる。
- AC(アーマー・クラス)に+2のボーナス を得る。
- 【敏捷力】セーヴィング・スローに有利 を得る。
- 自分の各ターンに追加のアクションを1回 行えるようになる。
追加アクションの制限
この呪文によって得られる追加アクションは、以下の行動にのみ使用できる。
アクション:効果
攻撃(Attack):武器攻撃を1回だけ行う
早足(Dash):そのターンの移動可能距離を増やす
離脱(Disengage):そのターン、自分の移動によって機会攻撃を誘発しなくなる
隠れ身(Hide):身を隠そうとする
物体の操作(Use an Object):物体を使用・操作する
注意: 追加アクションで「攻撃」を選んだ場合、たとえ複数回攻撃できる能力を持っていても、行える武器攻撃は 1回のみ となる。
呪文終了時の反動
この呪文が終了すると、対象は激しい倦怠感に襲われる。
その結果、対象は 自分の次のターンが終了するまで、移動することもアクションを行うこともできなくなる。
この反動は、持続時間の満了だけでなく、術者の精神集中が途切れて呪文が終了した場合にも発生する。
※ 作者注 CAD操作への追加アクション適用と、主観的な高速処理の描写は、ルールを小説化した際の本作独自の裁定・演出です。