図書館へ向かう途中、本棟側で続いている戦闘の様子が視界に入った。
少なくともこちらに限って言えば、ブランシュの奇襲はすでに勢いを失っている。
考えてみれば当然で、第一高校の生徒は学生である前に全員が魔法師だ。
普段なら校則によってCADの使用も魔法の発動も厳しく制限されているが、外部から武装した人間が侵入し、生徒や教職員へ危害を加えようとしている状況まで同じ規則で縛られるはずはない。
学校側から防衛行動を認められれば、普段は授業や実習でしか魔法を使わない生徒でも、その場では一人分の戦力になる。
ましてや今回は、襲撃を事前に想定し、CADの使用許可が即座に下りるよう、あらかじめ手配まで済ませていた。
侵入経路や襲撃部隊の規模も、ミーシャからの報告である程度把握できていた。
講堂前に爆発物を仕掛けようとした最初の十人には、ミーシャの連絡を受けた渡辺先輩が、あらかじめ風紀委員を配置していた。
現場に近づいた時点で取り押さえられ、爆発物を設置する間もなく退場となった。
一方、講堂内から襲撃に呼応する手はずだった有志同盟の面々は、予定時刻になっても爆発が起こらないことにしびれを切らし、突発的に行動を起こしてしまう。
しかし、彼らもすでに部活連の監視下にあったため、動きを察知され、あえなく御用となった。
結局、各自に配られていたジャマー用のアンティナイトも、使う機会すらないまま宝の持ち腐れに終わったというわけだ。
そして、本棟へ向かった五十人規模の襲撃部隊も、すでに教師陣を中心に生徒たちも加わった臨時の防衛隊が編成されていたため、校舎内へ広がるどころか、まともに隊形を整える時間すら与えられていなかった。
俺たちが通り掛かった頃には、何人も床へ伏せさせられ、CADや銃器を取り上げられている。
その中で、嫌でも目に入るのがレオだった。
ガントレット型CADを装着した腕で侵入者の小銃ごと手元を弾き、そのまま懐へ踏み込む。
拳を直接腹へ叩き込んだわけではないが、加速の乗った身体ごとの一撃を受けた男は数メートル後ろまで転がった。
「随分派手だな」
「ですが、らしい戦い方ではありますね」
深雪も止めるべきだとは考えていないらしい。俺も同感だ。
少し離れたところには美月もいた。こちらは戦闘へ参加せず、保健委員や手の空いた生徒たちと一緒に負傷者を見て回っている。
倒れているのが第一高校の生徒か侵入者かで対応を変えることもなく、必要な処置を確認しては次へ移っていた。
その横には幹比古が札を手に持ち、美月を流れ弾から守る位置にいる。
ここはもう任せていい。
俺と深雪は足を止めず、そのまま図書館へ向かった。
ミーシャが拾った情報が正しければ、本棟の教員区画へ向かった部隊は陽動に過ぎない。
本命は図書館の特別閲覧室で、そこにあるのは一般の生徒が自由に使える端末ではなく、魔法大学が管理する機密文献へ接続するための設備だ。
学校そのものを占拠する気がないなら、狙いはそちらだろう。
非公開の研究情報を盗み出し、外部へ持ち出す。
それをブランシュが何に利用するつもりなのかまでは分からないが、少なくとも有志同盟が掲げていた一科と二科の待遇改善とは何の関係もない。
壬生先輩たちは、そこまで聞かされていなかったはずだ。
一科と二科の扱いに不満がある。差別をなくしたい。その思いまで疑うつもりはない。
だが、魔法大学の機密情報を盗み、外部の政治結社へ渡すところまで進めば、学校制度への抗議では済まない。
そこまで理解した上で協力している生徒が何人もいるとは考えにくく、そうなると有志同盟そのものが、ブランシュにとって最初から使い捨ての手段だった可能性が高い。
残っているのが図書館だ。
ホールへ続く廊下の手前で足を止め、後ろの深雪を壁際へ下がらせた。
廊下の先に人影はない。照明の落ちたホールには柱が規則正しく並び、見える範囲に動くものもなかった。
だが、《
柱の陰に六人。全員が銃を携えていた。
入口を正面から狙う者が二人。残りの四人は左右に分かれ、互いの射線を塞がない位置を取っている。誰かが踏み込めば、複数の方向から銃口が向けられる配置だ。
さらに奥の特別閲覧室にも二つの人影があった。
一人は女子生徒。制服からして壬生先輩だろう。もう一人は作業着姿の男で、室内の端末を操作している。
六人をホールに配置し、奥での作業が終わるまで足止めするつもりか。
「お兄様、敵がいるのですか?」
「ああ。ホールに六人。全員、銃を持って待ち構えている。奥の閲覧室にも二人いるが、そちらはまだ動いていない」
「銃でしたら、わたしが封じます」
深雪は迷いなくそう言った。
「お兄様の《精霊の眼》を、お貸しいただけますか」
「分かった」
差し出された手を握ると、深雪の指が俺の手を包んだ。
戦闘を目前にしているというのに、触れ合った彼女の手には余計な力が入っていない。俺が何を伝えようとしているのか、すでに察しているのだろう。
その一方で、白い頬にはうっすらと赤みが差していた。
……今は気にしないことにする。
意識を情報次元へ向け直し、六人が持つ銃の構造を深雪へ伝える。
弾倉に収まった実包。薬室へ送り込まれた弾薬。それぞれの内部に封じられている発射薬の位置まで、一つずつ照準を合わせていく。
深雪の魔法の照準は、銃そのものではない。弾丸を撃ち出すための火薬だ。
「確認できました」
深雪の魔法が起動する――《
六人の銃に装填された弾薬、その発射薬から熱が奪われ、燃焼に必要な温度へ達することができなくなる。
外見には何の変化もない。銃身も機関部も無傷のままだ。
ただ、引き金を引いたところで弾丸は飛ばない。
「終わりました、お兄様」
「ありがとう。深雪はここで待っていてくれ」
「はい。お気をつけて」
手を離し、ホールへ踏み込んだ。
柱の陰から銃口が向けられる。引き金が引かれたが、響いたのは乾いた金属音だけだった。
「……あ?」
男が戸惑った隙に間合いを詰め、銃身を払い、腕を取って床へ伏せさせる。
反対側から現れた二人目も発砲を試みたが、結果は同じ。肩口へ掌底を入れ、足を払って倒した。
残る四人が一斉に姿を現す。
「くそっ、なんで撃てねえ!」
「故障か!?」
原因を探している間に二人の懐へ入り、片方をもう一人へぶつけてまとめて転がす。
残る二人のうち、一人は銃を諦めてナイフを抜こうとしたが、振りかぶりと同時に腕を封じて倒す。
最後の一人は背後へ回り込んできた。位置は把握している。伸ばされた腕をかわし、手首を取って足を払えば、それで終わりだった。
ホールに静けさが戻る。
六人とも意識はあるが、すぐには立ち上がれない。銃も手の届かない位置へ払い除けてある。
柱の間を抜けてきた深雪は、床に倒れた男たちを見渡した。
「お見事です」
「深雪が銃を封じてくれたおかげだ。まともに撃たれていたら、もう少し面倒だった」
「お兄様なら、銃が使えたとしても問題はなかったと思いますが」
「そうでもない。余計な手間は省くに限る」
深雪は、わずかに口の端を上げるだけだった。
そして、俺が通信を開く間も倒れた男たちから目を離さずにいる。意識を取り戻したというより、隙を見て動き出そうとしている者がいるのだろう。
深雪が倒れた男たちを警戒する間に、レオへ通信を入れた。
「図書館のホールで六人を制圧した。拘束を頼めるか」
『六人? ……分かった、すぐ行く』
銃を回収し、男たちの手の届かない場所へまとめる。
ほどなく現れたレオは、床の六人を見て眉を上げた。
「本棟側は片づいた。美月も幹比古もミーシャも無事だ。それにしても、派手にやったな」
「銃は深雪が封じた。全員生きている」
「……そういう問題か?」
呆れながらも、レオは一人目の拘束に取り掛かった。
「奥にまだ二人いる。ここは任せた」
「おう。そっちも気をつけろ」
レオにこの場を任せ、俺と深雪はホールの奥へ進んだ。
特別閲覧室へ続く通路は、先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返っていた。
扉まであと数歩というところで、室内から声が漏れてきた。
「そんなことをするなんて、聞いてません!」
「ちっ! 勝手にしろ!」
そのとき、扉の向こうから慌ただしい足音が近づいてきた。内側で錠の外れる音がする。
次の瞬間、扉が勢いよく開き、壬生先輩が廊下へ飛び出してきた。
「司波君……?」
俺に気づいた壬生先輩が足を止める。開いた扉の向こうでは、複数の端末が起動していた。
壁際の大型ディスプレイには細かな文字列が絶え間なく流れ、中央の閲覧端末には、見慣れない機器が接続されている。
作業着姿の男が持ち込んだハッキング用端末だ。魔法大学のデータベースへ不正な接続要求を繰り返している。幸い、まだ認証を突破できてはいないらしい。
男は壬生先輩を追う素振りも見せず、端末の操作に没頭していた。こちらにはまだ気づいていないようだ。
――ならば、まず止める。
「壬生先輩、こちらへ」
深雪がすぐに前へ出た。壬生先輩と開いた扉の間に立ち、視線を遮りながら彼女を廊下の壁際へ促す。壬生先輩は呆然としていて抵抗しない。
俺は深雪と一度だけ視線を交わし、室内へ踏み込んだ。
ホルスターからシルバー・ホーンを引き抜き、ハッキング用端末へ銃口を向けた――《分解》。
端末は一瞬で消失し、接続を失ったディスプレイがエラーを吐き出す。
「……は?」
作業着の男が間の抜けた声を漏らした。何が起きたのか理解できていないようだった。
説明するつもりはない。
男が我に返って腰の銃へ手を伸ばすより早く、間合いを詰める。腕を取り、重心を崩して床へ伏せさせた。
「動かないでください」
壬生先輩を連れて戻ってきた深雪の静かな声に、男の抵抗が止まる。
俺は男を押さえたまま、壬生先輩へ目を向けた。
彼女は床に伏せた男と、ハッキング用端末が消えた場所を交互に見つめていた。
自分が何を手伝っていたのか。その意味が、ようやく目の前の光景と繋がったのだろう。
「司波君……」
声が掠れていた。深雪が壬生先輩へ向き直る。
「これが現実です。壬生先輩は、利用されたのです」
責め立てる言い方ではなかった。
ただ、耳触りの良い言葉へ置き換えるつもりもないらしい。
「違う……」
壬生先輩が首を振る。
「私は、ただ……差別をなくしたかっただけで……」
「そのお気持ちを否定しているのではありません」
「じゃあ、差別をなくそうとしたことが間違いだったって言うの?」
声が少し強くなる。理屈の上では、もう分かっているはずだ。
ブランシュに利用された。結果として犯罪に手を貸した。
それを認めることと、自分がこれまで抱えてきた怒りや不満まで間違いだったと認めることが、壬生先輩の中ではまだ同じものになっている。
やがて、こちらを見る。
「司波君だって……!」
そこで、言葉が一度詰まる。
「司波君だって二科生でしょ? 不当に侮辱されたことくらい、何度もあるはずじゃない!」
俺が答えるより早く、深雪の声が入った。
「あります」
壬生先輩がそちらを見る。
「お兄様を、二科生というだけで蔑んだ無知な方は確かにいます。ですが、私はお兄様を蔑んだりはしません。
たとえ全人類がお兄様を蔑んだとしても、私は変わることのない敬愛を捧げます」
壬生先輩が黙った。俺も一度だけ深雪を見る――少し表現が重い。
だが俺は訂正はしない。してはいけない。今の言葉こそ、深雪の大切な本心だと解っているからだ。
深雪はそのまま続けた。
「お兄様を侮辱する無知な者どもは確かに存在します。でも、そのような有象無象な輩と同じくらい、いえそれ以上に、お兄様の素晴らしさを正しく見てくださる方もいます」
入学初日に初めて出会った同級生の言葉を思い出す。
『自分みたいないい加減な発言でも、初対面から軽く流してくれるっス。なかなかできないっスよ』
当時は「それは褒めているのか?」と思ったが、あれはミーシャなりの最大限の賞賛だったと今なら判る。
それから、深雪は壬生先輩へ向き直る。
「壬生先輩には、そういう方はいなかったのですか?」
「そんな……」
「お兄様は認めていました」
今度は俺へ視線が来た。
「壬生先輩の剣を――」
演舞場で見た動きを思い返す。
桐原先輩との勝負――間合いの取り方も踏み込みも、全国大会で結果を残したという話に疑問を持つものではなかった。
「はい、壬生先輩の剣の腕は素晴らしいと思います」
二科生だから高く評価したわけでも、逆に二科生だから低く見たわけでもない。
見たものを、そのまま判断しただけだ。
深雪は壬生先輩から目を逸らさなかった。
「壬生先輩自身も『ウィード』という言葉に足を縛られていたのではありませんか?」
壬生先輩の呼吸が一度止まった。
「あなたの剣は、あなたのものです。一科でも二科でもありません」
すぐには返事がなかった。
当然だろう。長い間抱えてきたものが、誰かに正しいことを言われただけで消えるなら、最初からここまで拗れてはいない。
俺から言うべき言葉は何もない。
ここで別の正論をもう一つ積み上げたところで、大した意味はない。
ここから先は言葉でなく――
そう考えながら、床に伏せさせていた男の腕を取り、立たせた。
「深雪、壬生先輩を頼む」
「はい、お兄様」
男の身柄を確保したまま特別閲覧室を出る。
深雪は壬生先輩に付き添い、少し後ろを歩いていた。
ホールを抜け、階段を下りてエントランスへ向かう。
そこには、先ほど六人の拘束を頼んだレオと――エリカがいた。
「お、達也。そっちも終わったか」
「ああ」
「こっちもだ。下の六人はもう引き渡したからな」
その横で、エリカがこちらへ視線を向けた。肩には竹刀が二本。
「いたいた」
エリカは俺たちを見回し、壬生先輩のところで視線を止めた。
「先輩、やっぱり。剣だよね」
壬生先輩が顔を上げる。
「……え?」
エリカは一本を放った。壬生先輩が反射的に受け取る。
「理屈で納得できないなら、剣で納得した方が早いでしょ」
「あなたは?」
「1年E組の千葉エリカです」
朗らかな表情で壬生先輩に挨拶するエリカ。だが次の瞬間には、その朗らかさは完全に消えていた
「あなたを縛ってるその女の幻影、私が壊してあげる」
壬生先輩の視線が止まった。
一瞬、目の前にいるエリカではなく、別の人間を重ねて見たようにも見える。
「……あなたに、何が分かるの」
押し殺したような声だった。
壬生先輩は手にした竹刀へ目を落とす。握った指に力が入り、柄が小さく軋んだ。
「初めて会ったあなたに、そんなことを言われる筋合いはないわ」
「そうね。だから剣で確かめようって言ってるの」
エリカは動じない。
壬生先輩は何か言い返そうとして口を開き、結局、言葉を飲み込んだ。
しばらくして、竹刀を握り直す。
「……いいわ。受けて立つ」
その声には、まだ怒りが混じっていた。だが、竹刀を構える動作に迷いはない。
理屈には納得できなくても、剣を向けられれば剣で応じる。
少なくとも、そこだけは壬生先輩にとって揺るがないものなのだろう。
本来なら、ここで私闘を認めるべきではない。
ただ、ブランシュの脅威はすでにほぼ排除している状態だ。
使うのも竹刀だ。
それに、今ここで決着をつけたほうが、こちらの捕縛――いや、保護もすんなり受け入れてくれるだろう。
「レオ、そいつの引き渡しを頼む」
「おう。……エリカが負けるところを見られないのは残念だな」
「あとで覚えてなさい」
エリカは去っていくレオを一瞥すると、壬生先輩へ向き直った。広いエントランスの中央で、二人が距離を取る。
先に動いたのは壬生先輩だった。
踏み込みは鋭い。演舞場で見た時より速いかもしれない。
竹刀がエリカの肩口へ走るが、エリカは半歩だけ位置をずらした。
それだけで切っ先が外れる。
返しの一撃を壬生先輩が受け、乾いた音が室内へ響いた。
そこから何度か竹刀が交差する。
「私にはわかる。あなたの技は渡辺先輩と同門の物だわ」
「ちなみに、あの女は目録で、私は印可。一味違うから」
――渡辺摩利先輩。それが壬生先輩のコンプレックスの核か。
本人がどこまで自覚していたかは分からないが、自分が二科生であることと、越えられない相手が一科生であることを、どこかで同じ問題として扱っていた可能性はある。
だが、壬生先輩は強い。
全国大会準優勝という実績は伊達ではなく、踏み込みにも迷いがない。
打ち込んでから次へ移るのも速く、エリカが半端な相手なら最初の数合で押し切っていただろう。
それでも、エリカの方が上だった。竹刀だけを見ているわけではない。
わずか数度の剣戟を交わしただけで、打ち込む直前に現れる身体の微細な癖を見抜き、次の一撃がどこから来るのかを先読みしていた。
壬生先輩が入るたびに半歩ずれ、手元を打ち、間合いを外してからまた入る。
押しているように見えて、壬生先輩の方だけが少しずつ余裕を失っていった。
「くっ!」
――こらえきれずに、強引に距離を詰める。
だが、エリカは下がらなかった。ぎりぎりまで待つ。
壬生先輩の踏み込みが伸び切る直前、その内側へ一歩だけ入った。
間合いが潰れる。竹刀が下から跳ね上がった。
壬生先輩の手から竹刀が離れ、床へ落ちる。
次の瞬間には、エリカの竹刀が喉元の少し手前で止まっていた。
「私があなたより強い。それだけ」
声は静かだった。壬生先輩はすぐには動かなかった。
喉元の竹刀を見る。次にエリカを見る。
しばらくして、肩の力が抜けた。
「……そう」
エリカは竹刀を下ろす。
「一科とか二科とか、剣には関係ないよ」
壬生先輩は黙っている。
「負けたなら、次は勝てばいいだけ」
慰める言い方ではなかった。
壬生先輩はしばらく立ったままだった。
やがて足元へ落ちた竹刀に目を向け、ゆっくり屈んで柄を拾う。
「……ありがとう」
声は小さかった。エリカは何も返さない。
壬生先輩も、もう何も言わなかった。
拾った竹刀を両手で持ち直し、指の位置を少しだけ直す。
竹刀の柄が、手の中で小さく軋んだ。