横浜動乱編までお預けだった自白剤作れるを実行させたかった。
怪我こそなかったものの、精神的に疲弊していた壬生先輩を保健室へ送り届け、第二駐車場に着いたところで、俺たちは揃って足を緩めた。
俺と深雪、エリカとレオ。それに途中で合流した七草会長、渡辺先輩、十文字先輩の前にあったのは、すでに戦闘の終わった光景だった。
大型トレーラーの側面には、人が一人出入りするためとは思えないほど大きな穴が開いている。
砕けた外板が周囲へ散り、その近くには武装した男たちが何人も倒れていた。
意識を取り戻しかけている者もいたが、森崎が順番に後ろ手へ拘束しており、回収した小銃も単に手の届かない位置へ置くだけではなく、弾倉を抜いて薬室まで確認し、一か所へまとめている。
森崎家が護衛業を生業としてきたという話は聞いていた。
魔法の腕だけでなく、戦闘が終わったあとに何をするべきかまで身体に入っているらしい。
外周を警戒しているのは、辰巳先輩と沢木先輩どちらも風紀委員だ。
足元には、司甲。剣道部の部長にしてエガリテ代表。
ミーシャはその司甲の横へしゃがみ込み、ポケット、内ポケット、腰回り、胸元と、かなり遠慮なく探っている。
渡辺委員長が声をかける。
「予定通り捕まえたか」
「と言っても、この一年生たちのおかげですけど」
辰巳先輩はそう言って、少し離れた場所へ視線を向けた。
その先にいたのは、見覚えのある三人の女子生徒だった。
「ほのか? 雫? エイミィ?」
深雪が驚いたように声を上げる。
呼びかけに振り向いたのは、光井ほのかと北山雫。そして、その隣には初めて見る赤髪の女子生徒の姿もあった。
「深雪!」
ほのかが嬉しそうに手を振る。雫もこちらへ小さく頷き、赤髪の子は人懐っこい笑顔を浮かべていた。
多少の埃は付いているものの、見たところ負傷している様子はない。
「紹介します。今回の制圧に協力してくれた、光井ほのか、北山雫、英美=アメリア=ゴールディ=明智。一年生の三人です」
辰巳先輩の紹介に、三人が揃ってこちらへ頭を下げた。
その初々しさに、渡辺先輩がわずかに口元を緩める。
「一年生が三人も? 随分と活躍してくれたみたいだな」
「い、いえ! そんな、大したことは……結局、沢木先輩の肘うち一発で決めてましたし」
ほのかが慌てたように両手を振る。
「謙遜することはないぞ。三人とも遠くから司主将の動きを見失わずに追ってくれたし、特に光系統魔法による遠隔視と、その視覚情報の共有にはずいぶん助けられた」
辰巳先輩が笑いながら言葉を継いだ。
その様子を見ていた深雪が、三人の元へ歩み寄った。
「ほのか、雫、エイミィ。三人とも、怪我はない?」
「うん、大丈夫だよ、深雪」
ほのかが笑顔で答える。
「それに、私たちだって一高の生徒だもん。こういうときに何もできないなんて、悔しいじゃない?」
「エイミィの言う通り」
「役に立ててよかった」
「では、応援も来てくれたことだですから。小さな英雄の子たちを送りに行ってきます!」
風紀委員の沢木先輩と一年A組の三人組は、その場を後にした。
去っていく一年生たちの背中を見送っていたレオは、ふと思い出したようにトレーラーへ視線を向けた。
そして、その側面にぽっかりと開いた大穴を見上げた。
「これ、全部二人でやったのかよ」
森崎は拘束の手を止めない。
「僕が倒したのは荷台にいた六人だけだ。最初の二人と運転手は風間」
「それでも十分おかしいでしょ」
エリカが呆れた声を出したが、それについては俺も同意する。
もっとも、当のミーシャは、別の意味で目を引くことをしている。
「何をしてるんだ」
「証拠探しっス」
こちらへ顔を向けることもなく答え、そのまま手を動かしていたが、やがて内ポケットから、一房の毛が入っている小瓶を見つけた。
「ビンゴかもしれないっス」
俺が瓶の中身を追っている間、深雪は男の横へ置かれていた手提げケースに気づいた。
「こちらは?」
ミーシャはようやく顔を上げ、視覚補助CADで周囲を確かめるように首を巡らせた。
ひととおり見回したところで、傍らのケースの蓋を開いた。中には厚い衝撃吸収材が敷かれ、その中央へ銀製の鏡が収められていた。
装飾そのものは控えめだが、日用品にしては明らかに作りがいい。
「自分のっス。さっきロッカーから取ってきたっス」
「わざわざ?」
「駿にここ任せて、半分小走りで行ってきたっス。視覚CADとシャシュティだけで急ぐの、もう御免っス」
少し離れたところから森崎が口を挟んだ。
「なんだかんだ言っても、速かったぞ」
「お褒めのお言葉感謝っス」
どう見ても幻想術に使う道具だろう。
この状況で、高級そうな銀鏡だけをわざわざロッカーから持ってくる理由が他にない。
「何に使う?」
「その前に達也。頼まれてた質問、答えが出たっス」
「壬生先輩の件か?」
「ウィっス。上位自我に確認したっス。やっぱり壬生先輩、精神改竄を受けてたっス」
「……やはりな」
予想していた答えだった。
壬生先輩の言動には、本人の思い込みだけでは説明しにくい部分があった。精神へ何らかの干渉を受けていたと考えれば、辻褄は合う。
「ちょっと待て。精神改竄だと?」
渡辺先輩が驚いた声を上げた。
「壬生が、誰かに記憶を弄られていたというのか?」
「そういうことっスね」
「司波君、知っていたの?」
七草会長も驚きを隠さず、俺へ顔を向ける。
「確信があったわけではありません。ただ、その可能性を疑っていたので、ミーシャに確認を頼んでいました」
「それで、実際に改竄されていたと……」
十文字先輩が険しい表情で呟く。
深雪も少し驚いた様子だったが、俺が何を疑っていたのかは理解したらしい。
「で、ここからが本題っス」
ミーシャは先ほど見つけた小瓶を持ち上げた。
「達也。これ、何だと思うっスか?」
「毛髪だろう」
「いや、そうじゃなくて。なんで司部長が持ち歩いてると思うっスか?」
壬生先輩は精神改竄を受けていた。そして司甲は、彼女を有志同盟へ引き込んだ人物だ。
「……催眠術のアンカーか?」
「ご名答っス」
強い暗示ほど、元の認識との矛盾で不安定になる。そこで特定の物を見たり触れたりすることで、暗示を補強する仕組みを作っておく。
「でも、それなら写真でもいいんじゃない?」
七草会長が首を傾げた。
「ええ。ただ、術者本人と結びつきの強い物ほど効果的だとされています。毛髪や爪は、古式魔法でも本人とのつながりを利用する媒体です」
俺は小瓶へ目を向けた。
「つまり、司甲先輩自身も暗示を受けている可能性がある。さらに、この毛髪が術者本人のものなら……」
「なら、本人に聞けばいい」
渡辺先輩がそう言って、司甲先輩の前へしゃがみ込んだ。
「辰巳、意識は戻っているな?」
「はい。受け答えもできます」
渡辺先輩は小さな容器を二つ取り出した。
その蓋が開いた直後、司甲先輩の鼻先へ向けて、ごく微弱な気流が生じる。
複数の香料を、精密な気流操作によって混合し、対象の嗅細胞へ送り込んでいる。
なるほど。薬物を直接投与するのではなく、嗅覚を経由して精神へ働きかけるわけか。
「……意識操作ですか?」
俺の問いに答えたのは、渡辺先輩ではなく七草会長だった。
「あら、達也君は初めてだったかしら?」
「ええ。ですが、そうそう使われても困ります」
「ふふっ。それもそうね」
「判っている……。だから今は、静かにしていろ」
渡辺先輩は司甲先輩へ向き直った。
「司、いくつか聞く。答えられるな?」
司甲先輩は顔を背けようとしたが、しばらくすると力を抜いた。
「……何を、聞きたい」
「その毛髪は、誰のものだ?」
「……兄さんの」
「名前は?」
「司一……」
渡辺先輩は俺へ一瞬だけ視線を向けた。
「何故、持っている?」
「兄さんに……渡された。考えが揺らいだら、これを見ろって……」
なるほど。催眠術のアンカーとしては、筋が通る。
「兄は今どこにいる?」
「知らない……」
そこで渡辺先輩は質問を止めた。
「これ以上は難しそうだな」
「ええ。それに、暗示を受けている可能性がある以上、本人の供述をそのまま事実と見なすのは危険です」
俺がそう答えると、ミーシャが小瓶を持ち上げた。
「ここからは自分の仕事っス」
「鏡を使用して、対象の毛髪を手掛かりにするなら……遠隔視の類か?」
ミーシャはへにゃりとした笑顔を浮かべて答えた。
「ご名答っス。達也、もう幻想術博士っスね。ブランシュ日本支部トップ、司一を《スクライング》するっス」
当然、なぜ司一が日本支部のトップだと知っているのか、この場で尋ねる者はいなかった。
「対象と繋がってる物があると、探しやすいんスよ。特に今回みたいな本人の一部は効果バリバリっス」
「どれくらい掛かる?」
「十分くらいほしいっス」
その場へ腰を下ろしたミーシャを見て、俺たちも余計な会話を止めた。
最初の数分は、本当に何も起きなかった。
光が出るわけでもなく、空気が変わるわけでもない。ミーシャは銀鏡へ顔を向けたまま動かず、呼吸を乱すこともなく集中を続けている。
やがて十分ほど経ったところで、静かに祝詞を唱え始めた。
「鏡面よ、静かに開け。霧の帳を越え、隔たりを映せ。名を標に、影を糸に、我が視線を彼方へ導け」
俺の位置から見る限り、鏡面に何かが映った様子はない。
だが、ミーシャには見えたらしい。
「おー、見えた見えたっス」
祝詞との差がひどい。
そのまましばらく覗き込み、
「……でも外の景色ちっちゃいっスね」
と続けた。
「何が見える?」
「八王子駅前の商業タワーが、窓の端にちょっとだけっス。これだけじゃ場所特定は無理っスね」
レオが鼻白み、渡辺先輩も続く。
「八王子? 目と鼻の先じゃねーか」
「全く、舐められたものだな」
だが、それなら十分材料になる。
「口で説明してくれ」
「何をっス?」
「タワーが窓のどちら側に見えるか。太陽との位置関係、見かけの大きさ。それと窓から見える道路や建物の高さも、分かる範囲で」
「ウィっス」
そこからは、俺が質問し、ミーシャが鏡の向こうに見えている景色を答えた。
――タワーが窓枠のどの位置にあるか。
――どの程度の大きさで見えているか。
――日差しがどちらから差し込んでいるか。
――道路をどの角度で見下ろしているか。
――ほかに特徴的な交差点等は見えるか?
現在時刻から太陽の位置を取れば、おおよその方角は分かる。
タワーの見かけの大きさから距離もある程度絞れるし、周囲の建物を見下ろす角度が分かれば、高さも推測できる。
何度か条件を取り直したところで、それ以上聞いても精度はほとんど上がらないと判断した。
「もういい」
端末で地図を開き、条件に合う範囲を削っていく。
「この辺りだ」
残ったのは、およそ直径一キロ。ミーシャが地図へ顔を近づける。
「やったっス。ここまで狭ければ次でいけるっス」
「まだ絞れるのか?」
「強度五はこれで使い切りっスけど、強度四に最後の一押しがあるっス」
「朝の上位存在への問い合わせも強度五か?」
「そっス。儀式じゃなく普通に使ったんで、消費したっス。そうそう、今日は襲撃あるって分かってたんで、準備かなり探索系に寄せてるっス」
確かに、今日ミーシャが使った幻想術を思い返すと、直接相手を倒すためのものは少ない。
本人が以前言っていた通り、殺傷を避ける条件では使えない幻想術も多いのだろう。その分、今日は最初から索敵と補助へ術を寄せてきたらしい。
単純な戦闘力より、こういう使い方の方が、現代魔法にない強みがある。
俺は地図へ視線を戻した。
警察はまだ、ブランシュ日本支部の拠点そのものへ踏み込む段階にはない。
今なら先に動ける。
「場所はかなり絞れました。司一が逃げる前に押さえます」
七草会長が、驚きに満ちた目でこちらを見る。
「達也君、もしかして一戦交えるつもり?」
「その表現は妥当じゃありませんね。叩き潰します」
「それは……警察に任せた方がいいんじゃない?」
通常なら、その判断でいい。
今回は、それだけでは足りない。――そう、奴らは俺の触れてはならぬものに触れた。
「それだと、壬生先輩も警察に拘束される可能性が高い」
七草会長の視線が止まった。
「『記憶を操作されて利用されていました』と主張するだけでは弱い。証拠としてどこまで認められるかも分かりません」
十文字先輩が先に意図を読んだ。
「警察が本格的に介入する前に、術を掛けた側を確保するつもりか」
「はい」
「だが、相手はテロリストだ」
十文字先輩の声が低くなる。
「俺も、渡辺も、七草も、生徒へ命を張れとは命令できない」
当然だ。学校側の立場にいる人間として、それ以外の判断をするべきではない。
「もちろんです。最初から、生徒会や風紀委員会、部活連として協力してもらうつもりはありません」
七草会長が眉を寄せた。
「達也君?」
「これは壬生先輩だけの問題ではない。むしろ、こちらが俺にとって大事なことです」
言葉にしてから、自分の声が普段より低いことに気づいた。
だが、別に直す気はない。
「武装した人間を第一高校へ送り込み、深雪までその中へ巻き込んだ。
俺と深雪の平穏を好き勝手に乱して置いて、そのまま報いを受けられないと思われる方が困ります。
俺は、俺と深雪の日常を損なおうとするものを全て駆除します。これは俺にとって、最優先事項です」
隣で深雪がこちらを見た。確認するまでもない、深雪はどこまでもついてくる。そして、それを拒否する意味もない。
渡辺先輩の視線も鋭くなったが、構わず続ける。
「誰も同行しないなら、俺一人でも行きます」
最初に口を開いたのは、当然深雪だった。
「私も参ります」
「深雪」
「止めても無駄です」
「止めないさ」
エリカが肩を竦めた。散歩でも行くような軽い調子だった。
「じゃ、私も行く。ここまで関わっておいて、最後だけ帰れっていうのも気持ち悪いし」
「俺も」
レオはエリカに張り合うように、間髪を入れず続けた。
「相手がまだ残ってるって分かってて『はい解散』は無理だろ」
七草会長が何か言おうとしたところで、十文字先輩が一歩前へ出た。
「俺も同行する」
「十文字君まで?」
「十師族に名を連ねる者として、この事態を看過するわけにはいかない」
そこで少し言葉を切り、言い直すように続ける。
「……いや。それ以前に、第一高校の生徒として放置できん」
七草会長も続こうとしたが、俺はその前に止める。
「会長は残ってください」
「何故?」
「生徒会長まで学校を離れれば、こちらの指揮が空きます。警察もこれから来る。対応する人間が必要です」
口を開きかけた会長を制するように、渡辺先輩が即座に同意した。
「達也の言う通りだ。真由美、お前は残れ」
「摩利は?」
「私も残る。風紀委員長まで消えたら、校内を誰がまとめるんだ」
七草会長は不満そうだったが、反論はしなかった。理屈そのものは理解しているのだろう。
その横でミーシャが両手を腰に当て、足を少し広げて胸を張った――例のポーズだ。
「じゃ、自分は水先案内人兼、風紀委員選抜として行くっス」
渡辺先輩がため息をつき、ミーシャへ目を向けた。
「そんな選抜はしていない」
「ウィっス。自主選抜っス」
「それに、風紀委員ならすでに達也がいる」
「達也は今、平穏乱された一般生徒代表っス」
ミーシャがこちらへ顔を向ける。口調に反して表情は真剣だった。
「達也らしからぬ感じなんで、そこは尊重するっス」
「お前も人のことは言えないぞ」
渡辺先輩の返しは早かった。
「何がっスか?」
「怒ってるのが丸分かりだ」
ミーシャがぴたりと動きを止めた。
「トレーラーの横っ腹に穴を開けて、運転席へ植木鉢まで叩き込んだそうじゃないか」
少し離れたところで、森崎が何故か視線を逸らした。渡辺先輩は続ける。
「普段のお前なら、もう少し妙な回り道をするだろう」
ミーシャは数秒、口を閉ざした後、普段より低い声で答えた。
「……そこらへんは、隠す気なかったっス」
それで十分だった。そこに、森崎が口を開く。
「なら、任せる。渡辺委員長の顔に泥を塗るなよ」
ミーシャがぱっと森崎へ顔を向けた。
「駿に先取りされたっス。意外に駄洒落の才能あるっスね」
「……い、いやこれはメフィットの泥と関係なく……」
流石にそれは悪手だ森崎。
◆
司一の拠点へ向かう準備が進められている間、俺は渡辺先輩、七草会長、深雪、エリカと保健室を訪ねることにした。
壬生先輩の様子を確かめ、司甲先輩についても話を聞いておきたい。
保健室では、壬生先輩がベッドの端に腰掛けていた。
俺たちの姿にわずかに身を固くしたが、司甲先輩の話を振ると、しばらく黙ったあとで口を開いた。
「司先輩は……一年くらい前から、剣道部の何人かを有志同盟に誘ってました」
「一年?」
エリカが聞き返す。
「はい。二科生だから差別されてるって……私も、その頃ずっと悔しくて……」
壬生先輩は唇を真一文字に結んだ。それ以上、言葉は続かなかった。
やがて意を決したように顔を上げ、渡辺先輩を見た。
「渡辺先輩にも、言われたんです」
「私に?」
「『お前では相手にならない。相手を選ぶんだな』って」
渡辺先輩が止まった。しばらく黙ったあと、額へ手を当てる。
「……待て」
「え?」
「私は、そんな言い方はしていない」
壬生先輩が顔を上げた。
「私が言ったのは、『私の腕では到底、お前の相手は務まらない』だ」
保健室が静かになる。壬生先輩は何も言わない。やがて渡辺先輩が説明を続けた。
「お前は剣道家だろう。だが、私は剣の専門家ではない。
魔法を交えれば後れを取る気はないが、純粋な剣技だけとなれば話は別だ。
私ではお前の練習相手は務まらない。もっとふさわしい相手を選んでくれ。そういう意味だ」
「じゃあ……」
壬生先輩の口が止まる。
「私……ずっと……」
――やはり記憶改竄されていたか。
一年近く侮辱だと思っていた言葉が、実際には逆に近い意味だった。
「一年……」
掠れた声が漏れる。
「一年も……」
そこから先は続かなかった。深雪が口を開く。
「無駄ではありません」
壬生先輩が顔を上げた。
「壬生先輩は千葉道場の門下生なのですよね」
「……はい」
「エリカから聞きました。中学生の頃とは、別人のように強くなっていると」
壬生先輩の視線がエリカへ移る。エリカは少し得意げに笑った。
「先輩、誇っていいよ。私に本気で剣を振らせたんだから」
深雪はそれを受け微笑みながら続けた。
「それは誰かに与えられたものではありません。この一年、先輩がご自分で積み上げた剣です」
壬生先輩は再び俯いた。膝の上で両手が固く組まれている。
そのまましばらく動かなかったが、やがて指がほどけ、両手で顔を覆った。
誰も声を掛けなかった。
慰めの言葉を急いで渡したところで、今は邪魔になるだけだろう。
保健室の中には、息を押さえようとして上手くいかない音だけがしばらく残った。
やがて呼吸が少し整った頃、壬生先輩が顔を覆ったまま言った。
「……風間さんにも、悪いことしたわね」
「ミーシャに?」
「怒鳴っちゃったから」
あの廊下でのことだろう。俺は少し考えた。
「謝るかどうかは、壬生先輩が決めればいいと思います」
「でも……」
「ただ、あの件については、ミーシャにも多少は薬になったでしょう」
渡辺先輩がすぐ頷く。
「それは間違いない」
七草会長が思わず吹き出し、エリカも口元を押さえた。
「うん。あの子、距離詰めるの早すぎるからね」
深雪まで否定しない。壬生先輩は顔を上げ、しばらく俺たちを見た。
「……そうなの?」
「かなり」
「……そう」
目元を拭いながら、少しだけ考える。
「じゃあ、謝るっていうより……普通に話してみる」
その方がいいだろう。
ミーシャも、あの一件を無かったことにはしていないが、それだけを理由に壬生先輩を拒絶している様子もなかった。
後は二人で話せばいい。それ以上は俺の領分ではない。
廊下の向こうから、複数の足音が近づいてきた。
渡辺先輩が先に扉へ目を向ける。足音は止まらない。
次の瞬間、保健室の扉が勢いよく開いた。
――どうやら突入準備はできたようだ。
【舞台裏情報】
この約1時間後、小野遥先生は達也に会おうとしましたが、空振りに終わりました。また、それ以前の図書館襲撃時にも情報を提供しようとしていましたが、達也が直接現場に出向いたため、こちらも空振りに終わっています。
九重八雲は、ミーシャの念視が失敗する可能性を認識していたため、小野先生による情報提供の動きを把握していたとしても、次善の策としてあえて止めなかったのだと思います。
……すみません小野先生。結果こうなってしまいました。
【第24話:D&D使用呪文説明】
スクライング(Scrying/念視)
呪文レベル:5レベル
発動時間:10分
射程/範囲:自身
構成要素:音声(V)、動作(S)、物質(M)(1,000GP以上の価値がある焦点具(水晶球、鏡、水を満たした水盤など))
持続時間:精神集中、最大10分
系統:占術
セーヴィング・スロー:【判断力】
効果:探知
君は、自分と同じ存在の次元界にいるクリーチャー1体を選び、その姿を見たり、音を聞いたりすることができる。
目標は【判断力】セーヴィング・スローを行う。このセーヴィング・スローには、君が目標についてどの程度知っているか、また目標とどのような物理的なつながりを持っているかに応じて、以下の表に示す修正値が適用される。
目標は、自分が何に対してセーヴィング・スローを行っているのかはわからず、ただ不安な感覚を覚えるだけである。
〇目標についての知識
君が目標について知っていること セーヴ修正値
間接的な知識(目標について話を聞いたことがある) +5
直接的な知識(目標に会ったことがある) +0
詳しい知識(目標をよく知っている) −5
〇目標との物理的なつながり
君が所持しているもの セーヴ修正値
目標の絵や肖像など、外見を再現したもの −2
目標の衣服やその他の所持品 −4
目標の体の一部、髪の毛の束、爪のかけら −10
〇セーヴィング・スローに成功した場合
目標はこの呪文の影響を受けない。また、君は以後24時間、その目標に対してこの呪文を再び使用することができない。
セーヴィング・スローに失敗した場合
この呪文は、目標から10フィート以内の位置に、不可視状態かつ実体を持たない魔法的な感覚器を作り出す。
君はこの感覚器を通じて、あたかも自分がその場にいるかのように周囲を見聞きすることができる。
感覚器は目標の移動に追従し、呪文の持続時間中、常に目標から10フィート以内にとどまる。
何らかの手段でこの感覚器を見ることができる場合、それは君の拳ほどの大きさの、光を放つ球体として見える。
場所を目標にする場合
クリーチャーを目標とする代わりに、君が過去に見たことのある場所を目標にすることもできる。
その場合、感覚器は指定した場所に出現し、移動することはない。