「あとは警察へ連絡だな」
拘束された司一と、その周囲で転がされている構成員を見回しながら十文字先輩が言った。
それが普通の手順だろう。ブランシュ日本支部の責任者は確保し、残っていた人員もすでに制圧している。
銃器とCADは回収済みで、すぐ使えない状態にして一か所へまとめてある。後は警察へ引き渡し、事情聴取なり現場検証なり、専門の人間へ任せればいい。
その流れに待ったを掛けたのはミーシャだった。
ミーシャはすでに眼鏡型の視覚補助CADの電源を切り、白杖を手にしていた。
校外では必要以上に魔法を使わないという、いつもの彼女の姿だった。
「その件なんっスけど、自分に任せてもらえないっスか?」
「任せる?」
「ウィっス。ちょっと伝手があるっス。壬生先輩のことも、なるべく事情を汲んでもらえるように先に話してあるっス。
こういう時だけ親の伝手に頼るのも、あんまり格好良くないんスけど」
最後だけ少し言いづらそうだった。
誰が来るのか、俺には分かっている。
昨夜、秘匿回線で風間少佐本人から聞いていた。今回の件がブランシュへ繋がった場合、状況次第では軍側で引き取る用意がある、と。
警察へそのまま渡すより、すでに背景を把握している人間を一度挟んだ方が、壬生先輩に残っている精神干渉の痕跡についても処理はしやすいはずだ。
十文字先輩は何か考えるようにミーシャを見ていたが、やがて頷いた。
「分かった。任せよう」
「ありがとうございますっス」
そこまでは、いつもの調子だった。
だが返事を終えたところで、ミーシャは姿勢を正した。
「では、これ以降について、皆様に秘匿をお願いいたします」
エリカとレオが揃ってそちらを見る。
ミーシャは気にせず続けた。
「これからこの場で知り得た情報については、口外無用とさせていただきます。
同意いただけない場合は、申し訳ありませんが、この場から退去をお願いいたします。
もちろん、私自身に皆様を強制退去させる権限はありませんので、不要な軋轢を避けるための仮宣言だとお考えください。
この措置については、責任者とも合意済みです」
誰がその責任者なのかまでは言わない。
それでも十文字先輩には察するものがあったらしく、俺たち全員へ一度だけ視線を巡らせた。
帰る者はいなかった。
エリカは何が出てくるのか多少興味があるらしく、レオも動く気配はない。
桐原先輩も黙ったままその場に残り、深雪については確認する必要すらなかった。
誰も立ち去らないことを確認すると、ミーシャは続けた。
「それでは、連絡させていただきます」
ミーシャは短く細い銅線を取り出すと、身振りと共に祝詞を唱える。
「声に形なく、想いに距離なし。千里を隔てし虚空に道を開き、我が言葉を、汝が心へ」
何も起こらない。少なくとも、俺には何も観測できなかった。
ミーシャは数秒ほど黙った後、微笑みながら告げた。
「先方から返答がありました。十数分で到着するとのことです」
なるほど。幻想術による直接の伝達か。
通常の通信回線を使わない以上、一般的な通信傍受は通用しない。
現代魔法の魔法式も観測できないとなれば、追跡することも容易ではないだろう。
確かに秘匿性の高い連絡方法だ。
十数分ほどして、遠くから複数のエンジン音が近づいてきた。
警察車両ではない。
倉庫前へ止まった車から降りてきたのは迷彩服姿の人間たちだった。
部隊章は外され、顔も覆面で隠している。装備も一般の部隊とは違っており、最初から所属を外へ出す気のない格好だった。
――国防陸軍第101旅団、独立魔装大隊。
分かっているのは俺とミーシャ、それと可能性があるのは十文字先輩くらいだろう。
先頭を歩いてくる男を確認したところで、俺は意識の置き方だけを切り替えた。
――風間玄信少佐。
何度も同じ作戦に参加した上官ではあるが、ここにいる俺は特務兵・大黒竜也ではない。
第一高校一年E組、司波達也、それ以上でも以下でもない。
十文字先輩が一歩前へ出た。
「国立魔法大学付属第一高校部活連会頭、ならびに師族会議において十文字家代表代理を務めております、十文字克人です」
姿勢を正しゆっくりと礼をする。少佐も短く敬礼を返した。
「風間玄信です。所属にあってはご勘弁願いたい」
その視線が一度だけ俺のところまで来た。
知らない高校生を見る目だった。俺も同じ程度に返す。
その横からミーシャが、白杖で足元を確かめながら、ゆっくりと近づいていった。
「お父様」
ミーシャは完璧な所作で深く頭を下げた。
「申し訳ありません。ご迷惑をお掛けしました」
「いや。学校は無事、侵入した側もほぼ制圧済み。それなら迷惑とは言わんよ」
少佐の声だけが、ほんの少し柔らかくなった。
学校で見るミーシャとは、やはり違う。
姿勢も言葉遣いも、声の置き方まで変わっている。
以前にも一度見たことはあるが、父親の前では無理に取り繕っているというより、こちらの方が身についているらしい。
エリカが小さく漏らした。
「ミーシャもそうなんだ……ちょっと、親近感わいたな」
レオが無言でエリカを見る。
普段は軽い調子のエリカも、実家は警察官や陸軍兵士の半数が学ぶ剣術を受け継ぐ千葉家。その娘ともなれば、思うところがあるのだろう。
風間少佐は周囲を見回した。
「生徒側に大きな怪我は無さそうだな。この件はこちらで取り持とう」
十文字先輩が尋ねる。
「取り持つ、とは?」
「その前に、少し説明した方がいいだろう。風間ミーシャは、私の養女だ」
レオと桐原先輩が改めて本人を見る。
名字が同じ以上、親族だろうとは考えていたかもしれない。
しかし、今ここへ軍の部隊を連れてきた人物が父親だとまでは想定していなかったらしい。
少佐は俺たちへ向き直った。
「まず、父親として礼を言わせてほしい。少々、周囲を振り回し気味な娘を、友人として受け入れてくれていることにな」
「少々?」
エリカが反射的に漏らした。ミーシャがそちらを向く。
「何か言ったっス?」
すぐに普段の口調へ戻った。少佐が軽く咳払いする。
「……失礼しました」
ミーシャは即座に姿勢を戻した。どうやらこの状態を崩せる人間は、かなり限られている。
少佐が話を戻す。
「それと、この子の魔法についてだが、説明には困っているだろう?」
誰もすぐには否定しなかった。
十文字先輩が代表するように答える。
「少なくとも、私の知る魔法体系では説明がつきません」
「そうだろうな」
少佐はあっさり認めた。
「彼女の特殊性については、現在、私の管轄下で管理している。
娘ではあるが、非公式には民間協力者に近い扱いだ。
軍属ではないし、軍務を課しているわけでもない。ただ、あの魔法を誰かが勝手に研究対象へしようとした時に、こちらから止められる形を取っている」
昨夜聞いた通りだった。軍が先に管理下へ置く。
そうしておけば、外部の研究機関が本人の意思を無視して手を出そうとした場合にも、ある程度は壁になれる。
少なくとも、ミーシャ自身が自分で進路を決められるようになるまでは。
「この件についても、内密にしてもらえるかな」
十文字先輩が丁寧に頷く。
「承知しました。風間ミーシャは第一高校の学友です。それだけです」
エリカもレオも、今度は余計なことを言わなかった。
風間少佐はそのまま続ける。
「壬生紗耶香君についても、ミーシャから事情は聞いている。記憶へ干渉された痕跡があるそうだな」
桐原先輩の視線がこちらへ向いた。
「はい」
俺は初対面の相手へ報告するのと同じ調子で答えた。
「娘さんの幻想術で得た回答に加え、司一が使用した催眠術と、壬生先輩本人の言動を照合しても、精神干渉を受けていた可能性は高いと考えています。
ただし、現時点で確認できているのは、その可能性を示す痕跡だけです」
「分かった。彼女の処遇についてはこちらでも最大限配慮して、情報を警察に渡そう。
断言はできないが、できることなら処罰は無しにして、精神干渉の影響についてカウンセリングと経過観察を受けてもらう程度に留めたい」
桐原先輩の身体から、わずかに力が抜けた。
少佐はそちらを見たわけでもなく続けた。
「真に責任を問うべきなのは、他人の不満につけ込み、判断を歪めて利用したテロリストだ。
弱きに付け込まれた者たちではない」
十文字先輩が意外そうな顔を見せるが、すぐに表情を戻し答える。
「……同意します」
「拘束者と証拠品は、記録を整えた上で警察へ引き渡す。ただし、この一件には表へ出しにくい情報も混じっている。
娘の魔法に関する情報については、秘匿すべき事項を守りつつ、捜査に支障が出ないようこちらで調整する」
「了解しました。今回の生徒たちによる魔法使用については、こちらで責任を持って対応いたします」
武装組織の拠点へ強行突入し、無免許で魔法まで使用した。こちらの行動も法的に問題とされる可能性は十分ある。
だが、今回こちらには十文字先輩がいる――俺に指揮を渡す前に、責任を取ると言ったのはこのことだろう。
十師族は決して政治の表舞台に立たない、表の権力者にならない。
その代わり兵士として、警官として、行政官として、その魔法の力を使いこの国を最前線で支えている。
結果、政治と社会の裏側で不可侵に等しい権勢を手にしている。
十文字家の次期当主がかかわる事件に、通常の警察だけでは処理を判断できるはずもない。
多分、お咎めなしとなるだろう。
そこから先は部隊側の仕事だった。
覆面姿の隊員たちが散り、拘束された構成員の状態を一人ずつ確認していく。
回収済みの銃器やCADには番号が付けられ、別班は倉庫内と車両の確認へ入った。誰が何を担当するか相談する様子もない。
車を降りた時点で、すでに役割が決まっているのだろう。
そのうちの一人がミーシャへ近づいてきた。
「お嬢」
その呼び方を聞いた途端、ミーシャの肩から力が抜けた。
「何っスか」
「今回使った幻想術、報告用に先に教えてください」
「今っスか?」
「忘れる前に」
口調からして、これまでにも何度かやっているらしい。
ミーシャは少し考えてから、指を折り始めた。
「儀式無し《コンタクト・アザー・プレーン》、《アーケイン・アイ》、《シャター》、《ロケート・クリーチャー》、《ヘイスト》、《スクライング》、《エンラージ》三回、《カラー・スプレー》三回、《センディング》っス」
先ほどの連絡に使った幻想術は《センディング》というらしい。なるほど、伝言か。
聞いていた隊員の手が止まった。
「……お嬢。強度五、全部使ったんですかい?」
「ウィっス」
「強度四以下もほとんど切ってるじゃないですか。今回は随分派手に使いましたね」
隣にいた別の隊員が苦笑いする。
「相手がこれなら仕方ないだろ」
「そうっス。今回は学友がみんな優秀だったんで、自分も好きに補助へ回れたっス」
そう言って、ミーシャが俺たちの方へ手を向ける。
隊員もその手の先へ視線を移した。
「なるほど。一高の皆さんも、お疲れ様でした」
声は少し柔らかく、形式だけの挨拶ではなかった。
「軍人の方に、そう言っていただけると恐縮です」
この中には、俺を知っている隊員もいる。
大黒竜也として何度も同じ現場に立った人物が混じっているし、向こうも当然気づいているはずだ。
それでも誰一人として視線を止めず、余計な反応も見せない。
俺も同じだった。深雪も、初対面の軍人を前にした一高生として、自然に振る舞っている。
現場の引き継ぎが進み、俺たちが残っている理由もそろそろ無くなってきたところで、風間少佐が娘を呼んだ。
「ミーシャ」
「はい、お父様」
「幻想術の使用報告書は今日中だぞ」
そこで止まった。
ほんの少し前まで普通に立っていたのに、返事だけが遅い。
「……はい。承知しました、お父様」
どうにか父親の前での口調だけは維持した。
ところが、先ほどの隊員が楽しそうに口を挟む。
「お嬢、今日の使用回数を分かって言ってます?」
ミーシャが顔を上げた。
おそらく、今になって頭の中で数えている。
数が増えるにつれ、さっきまでの姿勢が少しずつ崩れていった。
最後まで数え切ったらしいところで、そのまま膝を折る。
「うわぁぁ……」
今日、テロリストを相手にしている間には一度も聞かなかった声だった。
エリカが「あ」と声を出した。
「もしかして、前に言ってた『強度零でも後が面倒』って……」
ミーシャは地面へ片手をついたまま答えた。
「これっス……一個ずつ、幻想術名、発動場所、発動時刻、発動の理由、触媒or焦点具、効果時間、対象、結果、所感と反省点……他にもいろいろ書くっス……」
隊員が軽快に笑った。
「今回は多いですよ、お嬢」
「分かってるっス……」
そこでレオが不思議そうに口を挟んだ。
「でもミーシャは、軍属じゃないんだろ? だったら報告する義務はないんじゃないか?」
「ないっス。だからこそ、やるっス」
「……どういう理屈だ?」
「制度に守られてばかりじゃいられないっス。使った幻想術は自分から報告して、保護組織に記録を残すっス。
それが幻想術ナンバーワン使い手としての矜持っス!」
「そのネタまだ使うんだ」
エリカは呆れていたが、ミーシャが本気なのは分かった。
軍属でもない彼女が報告を続けているのは、義務だからではなく、自分でその必要性を認めているからなのだろう。
だが、それで書く量が減るわけではない。ミーシャは再び肩を落とした。
「自分で使った魔法だ。自分で書きなさい」
「はい……お父様……」
エリカが堪えきれずに吹き出し、レオも肩を揺らし始める。桐原先輩の緊張も解けている。
深雪は気の毒そうにしているが、口元に出ているものまでは隠していない。
十文字先輩も何も言わなかったが、司一を押さえた時より明らかに顔が硬くない。
俺もミーシャが今日使った幻想術を頭の中で数えてみた――十三回、つまり報告書十三枚。確かに多い。
「頑張れ」
ミーシャがゆっくり顔を上げた。
「達也、完全に他人事っスね……」
声が完全に死んでいる。
「他人事だからな」
当然だ。こればっかりはミーシャの仕事だ。恨めしそうにしばらくこちらを見ていたが、急に立ち上がる。
「今すぐ帰って書くっス! みんな撤収っス! 達也、悪いけど渡辺先輩の報告は頼むッス! 十文字先輩運転頼むッス!」
「……あ、あぁ」
俺の返事を待つ気はないらしい。あまりの気迫に、あの十文字先輩ですら押され気味だった。
ミーシャは白杖をつきながら歩き出し、空いた手の指を折って使用回数を数え始める。
「《コンタクト・アザー・プレーン》一回、《アーケイン・アイ》一回、《シャター》一回、《ヘイスト》一回……」
数歩進んだところで、白杖をつく手も止まった。
「……まだ半分も行ってないっス」
【第25話:D&D使用呪文説明】
センディング(Sending/伝言)
呪文レベル:3レベル
発動時間:1アクション
射程:無制限
構成要素:音声(V)、動作(S)、物質(M)(細い銅線の短い切れ端)
持続時間:1ラウンド
系統:力術(Evocation)
攻撃/セーヴ:なし
効果:意思疎通
あなたは、自分がよく知っているクリーチャー1体に対して、25語以内の短いメッセージを送る。
対象のクリーチャーは、そのメッセージを自分の頭の中で聞く。また、対象があなたのことを知っている場合、そのメッセージの送り主があなたであると認識する。
対象は、即座に同じ方法で返答することができる。
この呪文によって、【知力】が1以上のクリーチャーは、あなたが送ったメッセージの意味を理解できる。
このメッセージは、距離に関係なく、どれほど離れた場所にも送ることができる。 さらに、異なる存在次元界にいる相手にも送信できる。
ただし、対象があなたとは異なる次元界にいる場合、5%の確率でメッセージが届かない。