深雪の新入生総代挨拶は、当然のことながら見事なものだった。
壇上へ上がる足取りから一礼し、顔を上げて最初の言葉を発するまで、一度も流れが途切れない。
声は澄み渡り講堂の奥まできちんと届き、それでいて騒音になることもなく、言葉と言葉の間の息継ぎもよどみなく正確だった。
完璧だ。兄の欲目を差し引いたとしても、粗を探す方が難しい。
ただ、俺の耳に残ったのは、そういう技術的な上手さだけではなかった。
一科生も二科生も等しく魅了した深雪は、最後に一礼して壇上を降りるまで、会場中の意識を一身に集め続けた。
深雪の周辺は、明日からさぞ賑やかになるだろうな。
そう考えたところで、ふと意識が隣の腕組み首振り人形へ向いた。
どうやらCADのせいではなく、単純に深雪の答辞に感心して頷いているらしい。
――賑やかさではこちらも負けないかもしれない。同じクラスになるとしたら、だが。
式が終わると、それまで席に収まっていた新入生たちは一斉に出口へ動き始め、講堂の中に足音と話し声が戻ってきた。
すぐにでも深雪を労いたいがもう一つやることがある。人の流れに乗り、そのままIDカード交付の受付へ向かう。
といっても、すでに授与された学内用カードにデータを書き込むだけなのだが。
窓口はいくつかに分かれていたが、どこにも既に列ができている。
案内表示を確認しながら進んでいるうちに自然とエリカ、美月、ミーシャの順で前へ入り、俺が最後尾になった。
つまり、図らずもレディーファーストの真似事をしたわけだ。
やがて自分の番が来て、登録情報へ目を落とす。
「私~E組~」
顔を上げると、少し先でエリカがカードを指先に挟み、こちらへ見せるようにひらひらと振っていた。
「私もです」
美月も胸元でカードを持ち上げる。
ミーシャはIDカードを指でつるりと縁を一周、さらに一周させてから、片手を上げた。
「自分もEっス」
俺は手元のカードをもう一度見る。
「俺もだ」
「え、全員?」
エリカがカードと俺たちの顔を順番に見比べる。
入学式で偶然隣り合っただけの四人が、そのまま同じクラスになる。
――同じクラスになるとしたらだが。
願掛成就、いや呪詛返しか。心の片隅で思ったことが、そのまま自分に返ってきた。
たしか、そんな理屈の古式魔法があったかもしれないなと、心の中で苦笑いする。
受付前の人混みを抜け、多少歩きやすくなったところで、ミーシャがふいに口を開いた。
「『今日より私たちは皆等しく一丸となって』……いい言葉っスね」
一言一句、違っていない。
「総代の人にああいう言い方されると、一科と二科のこと言ってるみたいにも聞こえるっス」
俺はわずかに足を緩めた。ミーシャの耳にも、そこが残ったらしい。
『皆等しく』とか『一丸となって』とか『魔法以外にも』とか『総合的に』とか、並べると結構きわどいフレーズになるが、一つずつ拾えば、どれも特別珍しい言葉ではない。
誰かを批判したわけでもなければ、制度に異議を唱えたわけでもない。
それらをうまく建前でくるんだおかげで、その棘が文章の内側へ溶け込んでいた。
それを仕込んだ理由も大体察することができる――全く、深雪も困ったものだ。
「さすがに深読みしすぎじゃない?」
エリカが笑いながらミーシャに指をさす。
「まあ、何か言いたそうなのは分かったけど」
「うーん……そうかもしれないっス」
ミーシャは特に食い下がることもなく、あっさり引いた。
その横で、美月が少し迷ってから口を開く。
「でも……とても素敵な声でした」
美月は、視線を伏せ、ゆっくり考えながら反芻している。
「柔らかいのに、すごくよく通って。ずっと聞いていられるような……」
「それは同感っス」
ミーシャがすぐに頷いた。
「国家未認定ミーシャ流解釈はともかく、いい挨拶だったっス。達也、この入学式ってアーカイブに残るっスよね?」
「ああ。例年通りなら校内資料になる」
「じゃあ閲覧申請しとくっス。やっぱり顔を見ながら聞きたいっス」
そんなミーシャをよそに、前を歩いていたエリカが不意に足を止め、勢いよく振り返った。
表情が妙に明るい。こういう顔をするときは、大抵もう本人の中では話が決まっている。
「ねえ。今日って入学式だけで終わりなんでしょ?」
「そうだな」
「じゃあさ、このままホームルーム見に行かない? せっかく学校まで来たんだし」
「自分は賛成っス」
間を置かずミーシャが乗り、美月も小さく頷いた。
俺は端末に表示されている時間を確認した。
「悪い、俺は妹と約束がある」
今日は、授業も連絡事項もない。手続きが終わったら深雪と帰る約束をしていた。
「妹さん?」
美月が瞬きをしたあと、その表情が途中で変わった。何かに思い当たったらしい。
「もしかして……新入生総代の、司波深雪さんですか?」
「そうだ」
「え?」
今度はエリカがこちらに振り向く。
数秒、俺の顔を見つめたあと、確認するように廊下の向こうへ視線を泳がせた。
「じゃあ、あの子が妹なの? 双子?」
「いや。俺が四月生まれで、深雪が翌年の三月生まれだ」
「ああ」
エリカが納得したように手を打つ。
「おー、ギリギリ同学年になる年子か」
隣で美月は、もう俺たちの会話を聞いていなかった。
廊下の先を見ている。その視線を追うと、深雪がいた。
少し離れた場所で、大勢の人に囲まれている。式が終わってから、まだそれほど時間は経っていない。
それでも総代を務めた生徒というだけで目立つのだろうし、あの容姿ならなおさらだ。
既にちょっとした人だかりになっていた。
「それにしても、よく分かったな。司波なんて珍しい苗字じゃないだろうに」
「流石にそれは苦しいっス。四人パーティーの中で一番数少ないっス」
ホームルーム見学という提案を受け、すでにミーシャはすっかり冒険気分になっているらしい。
楽しさを抑えきれないのか、首を振りながら足踏みしている。
いきなりパーティーの一員にされた美月は、ようやくこちらを向いた。
「あ……はい。お二人、少し似ていますから」
「顔が?」
「いえ、顔立ちというより……」
美月は困ったように指先を組む。
「雰囲気、でしょうか。凛としている感じとか……オーラみたいな」
呼吸は変えずに、美月の目を見る――オーラ、そして美月は眼鏡をかけている。
二十一世紀中葉以降、視力矯正治療の普及によって近視という疾患はほぼ根絶された。
重度の視覚障害でもない限り、視力補正器具を必要とする者はほとんどいない。
仮に補助が必要だとしても、年単位で連続使用できるコンタクトレンズの方が、眼鏡よりはるかに扱いやすい。
ファッションとして眼鏡を掛ける者もいる。
だが、この子の性格を考えると、それもあまり想像できない。
本人は何気ない比喩として口にしただけかもしれない。それならそれでいい。
だが、もし今の言葉が単なる印象の話ではなく、彼女が実際に何かを知覚した結果として出てきたものなら、意味は変わる。
『霊子放射光過敏症』
通常の人間には知覚できないものを、視覚に近い感覚で捉える者がいる。
柴田美月がそうだとすれば、彼女の前では少し注意深い行動を心掛けるべきだろう。
美月の視線が、ふっと俺から外れた――少し凝視しすぎたかもしれない。
その視線は隣に立つミーシャへ向かい、そこで止まる。
美月はミーシャの顔をじっと見つめ、眉間にうっすらと皺を寄せている。
「どうしたの?」
エリカも気づいたらしい。
「いえ……その……」
「自分っスか?」
ミーシャが自分の胸を指差す。
美月は迷った末、小さく頷いた。
「ミーシャさんのオーラが……少し、変なんです……あ! ご、ごめんなさい!」
嫌がるどころか、ミーシャはむしろ少し身を乗り出した。
「おおー、どう変なんスか? 性格より変っスか?」
自覚しているのか。
しばらく迷ったあと、自分の胸元を指先で示した。
「真ん中が……空いてるんです」
「空いてる?」
「穴みたいに」
美月は両手の指で、小さな四角を作る。
「丸じゃなくて、四角い形で。周りにはちゃんと光があるのに……そこだけ、切り取ったみたいに何もなくて」
説明を重ねるほど、自信がなくなっていくらしい。声が徐々に小さくなる。
「こんなの、見たことがありません」
俺は美月への警戒ラインを一段上げる。
その当のミーシャは、その指摘をかみしめているように首を傾けて立っている。そして、口元が大きく持ち上がった。
「すごいっスね。自分の秘密、一発で見つけちゃうなんて」
「秘密?」
エリカが即座に食いついた。
待ってたとばかりに、ミーシャは誇らしげに胸をそらす。
「自分、古式魔法《幻想術》の使い手の中じゃナンバーワンっス」
「あのさ、幻想術って、聞いたことないんだけど」
「そりゃそうっス」
ミーシャは得意そうに人差し指を立てる。
「使ってるの、全世界で自分一人っスから」
エリカの口が露骨に歪む。呆れてますよって気持ちを全く隠す気ない。
「それでナンバーワンって、当たり前じゃない!」
突っ込みが廊下に響いた。深雪が振り向く。
「オンリーワンなら自動的にナンバーワンっス」
「そういう問題じゃないでしょ」
それについては俺も同感だが、別の問題がある。
横を見ると、美月まで口元を押さえていた。
「お兄様!」
先ほどまで人に囲まれていた深雪が、こちらへ向かって歩いてきている。
後ろには七草真由美生徒会長。
そしてもう一人、男子生徒もいたが、俺と目が合った瞬間、その男子生徒の口元が露骨に固くなる。
深雪は俺の前まで来ると、足を止め俺を見る。
その次に、美月、エリカ、ミーシャ三人を一通り見たところで、にこりと笑った。
「お兄様、その方たちは?」
「こちらは柴田美月さん、こちらは千葉エリカさん。そしてこの人は、風間ミーシャ。同じクラスなんだ」
最後の名前に深雪は少し反応するが、どうやら別のことに心が占められているようだ。
「お兄様、もう女性のお友達を三人も作られたのですか?」
笑顔には隙がない。言葉にも隙はない――だが、目が笑っていない。
どうやら深雪は、先ほどまで歯の浮くようなお世辞の十字砲火にさらされていたせいで、少しばかりストレスを溜め込んでいる。
そんな妹の拗ねた態度も、俺には可愛く思える。
とはいえ、紹介された相手を前にして名乗りもしないのは、さすがに礼を欠いている。
俺はわずかに非難の色を込めて、深雪へ視線を向けた。
「深雪」
「はい?」
「三人ともクラスメイトだ。そういう言い方は失礼だろう」
「あ……」
深雪の笑顔が止まった。
気持ちを切り替えるように目を伏せ、そのあとすぐ三人へ向き直ると、背筋を伸ばして頭を下げる。
「申し訳ありません。柴田さん、千葉さん、風間さん、司波深雪です。兄がお世話になっております」
「い、いえ」
美月も慌てて頭を下げた。
「柴田美月です。よろしくお願いします」
「私は千葉エリカ。エリカでいいわ。私も貴方の事、深雪って呼ばせてもらっていい?」
「風間ミーシャっス。よろしくお願いするっス。自分のこともミーシャでいいっスよ」
「あ……で、では私も。美月で構いません」
「えぇどうぞ。美月、エリカ、ミーシャ。司波さんじゃ、お兄様と区別がつきにくいものですものね」
エリカは、同性相手だと距離を詰めるのも早いらしい。
しかも、その気安さがちょうど今の深雪にはうまく刺さったようだった。
さっきまで辟易していた様子が嘘のように和らぎ、四人は早くも打ち解け始めている。
気がつけば、俺だけがすっかり置いてきぼりを食らっていた。
和気あいあいと話す女性四人の輪に、男一人で加わるのはさすがに難しい。
少しくらい居心地が悪くなるのも、当然というものだ。
そのとき深雪の視線が一度だけ上がり、ミーシャの顔に留まった。
白く濁った瞳に眼鏡型CAD、深雪の口元が真っすぐ硬くなるが、すぐにいつもの表情へ戻った。
一方のミーシャは、その変化に構わず深雪の方を向いていた――何を観察しているのだ。と思ったその次の瞬間。
「深雪、いいお兄さんっスね」
「え?」
深雪の目元が一気に緩んだ。
「自分みたいないい加減な発言でも、初対面から軽く流してくれるっス。なかなかできないっスよ」
その評価の仕方はどうなんだ。
当然、深雪の顔から笑みが消え、困惑の色に染まる。
「そ、そうなのですね……」
すぐに笑顔へ戻ったが、今度は少し引きつっている。
助けを求めるような視線が俺へ向けられたので、小さく頷いておいた。
諦めろ、朝から俺もやられている。
意味は通じたらしいのか、深雪の肩がほんの少し下がった。
そこで、ようやく俺も、後ろの二人を待たせたままだったことを思い出した。
「深雪。生徒会との話は終わったのか? まだだったら適当に時間を潰しているぞ?」
「大丈夫ですよ」
意外な方向からの返事が来た。
深雪が振り返ると、七草会長は口元へ手を添え、面白そうに笑っていた。
「今日はご挨拶だけでしたから。もう終わっていますよ」
そう答えてから、彼女は四人のやり取りを眺める。
「……そうですね。せっかくですし、皆さんに便乗させてもらいます。私も、深雪さんと呼ばせてもらってよろしいでしょうか?」
「あ、はい。申し訳ありません、会長」
「気にしないで」
隣の男子生徒は何か言いたそうに唇を動かしたが、それより先に七草会長が続ける。
「詳しいお話は、また今度ゆっくりしましょう……司波君もね」
深雪にならともかく俺までか――昨日読んだ、校内制度についての資料が頭によぎる。
「俺もですか?」
「ええ」
思い出したように、七草会長の視線が俺から横へ滑る。
「それと……風間さん。あなたもかな?」
「ウィ?!!」
奇声とともにミーシャの肩がびくりと跳ねた――いや跳んだ。
「自分、まだ何もやらかしてないっスよ?」
「まだ? ずいぶん正直な言葉が出ましたね」
「違うっス! 今のは言葉の綾っス!」
朝から見てきた中では、一番大きな反応だった。首の動きも心なしか激しい。
七草会長はしばらくそれを楽しそうに眺めてから、ようやくミーシャの眼鏡を指差す。
「これっスか?」
ミーシャの指がフレームに触れた。
「校則では、生徒会執行部や風紀委員みたいな一部の生徒を除いて、校内でのCAD携帯には制限があるでしょう?」
「あ」
ミーシャの指が止まる。
確かに、あれを単なる補助機器ではなくCADとして扱うのであれば、学校側から確認が入るのは当然だ。
「でも大丈夫」
七草会長はすぐに続けた。
「あなたのものについては、受付から連絡が来てるわ。視覚補助機器として事前登録済みなのね」
そこで七草会長は一度言葉を切ると、どこかからかうように笑った。
その笑みに、ミーシャの口元が露骨に引きつる。
「あの時点から今までの間に、もう確認したんスか? 生徒会長の入学式の業務こなしながらっスか?」
「ええ」
「やり手すぎて怖いっス」
「どういたしまして」
いや、褒めてはいないだろう。
「ただ、登録されている起動式データは後で確認させてね」
「起動式までっスか?」
「市販の固定起動式だから、改造されてなければ問題ないと思うんだけど……」
会長の笑みが深くなる。ミーシャの口元の引きつりが深くなる。
「あーちゃん……いえ、うちの生徒会に一人、どうしても自分でしっかり見たいって子がいるのよ」
――彼女か。
やがて七草会長たちは、このあと予定があるらしく、簡単な挨拶を残して歩き出した。
男子生徒もそれに続く。
俺の横を通り過ぎるとき、彼はもう一度こちらを見た。舌打ちが聞こえてきそうな顔だった。
「すみません、お兄様。私のせいで、お兄様の心証を――」
「お前が謝ることじゃないさ」
俺は手を伸ばし、深雪の頬へ触れた。少し冷えている。
「気にするな」
それだけ伝えるつもりだった。
「お、お兄様……」
指先に触れていた頬が、急に熱を持った。
深雪の目が揺れ、長い睫毛が落ち着きなく上下する。
昨夜から、こういう反応が妙に多い。
体調が悪いようには見えないし、魔法的な異常も感じない。
単に感情の問題なのだろうが、俺が頬へ触れた程度でここまで動揺する理由がよく分からない。
手を離したところで、背後が妙に静かなことに気づいた。
振り返ると、美月が固まっていた。
眼鏡の奥の目をいっぱいに開き、頬どころか耳まで赤い。
エリカは額へ手を当てていた。
「いや……」
深いため息を吐く。
「何というか、すごい兄妹ね」
何がすごいのか分からない。
その横で、ミーシャが唐突にぱん、と手を叩いた。
「エリカ、美月」
「何よ」
「ホームルーム見学、行くっスよ」
言うのとほぼ同時に、左右から二人の肩を掴む。
「え、ちょっと、ミーシャ?」
「ほらほら。行くっスよー」
「なんで急に――」
「ホームルームマッピングっス」
「いや、マッピングって何?」
エリカの抗議には構わず、そのまま引っ張っていく。
反対側では、美月まで巻き込まれたまま小刻みに足を動かしていた。
「ミーシャって意外とスキンシップ積極的なのね」
エリカの声が徐々に遠ざかる。
「視野狭いんで、近い方が安心するっス」
「なるほど。でも、そのスキンシップ、美月にはちょっと刺激強すぎるんじゃない?」
「えっ!?」
美月の声がひっくり返る。
「わ、私は別に……っ」
三人はそのまま廊下の角へ向かっていくが、その途中で、美月だけが一度こちらを振り返った。
「行くか、深雪」
「はい、お兄様」
歩き出すと、深雪もごく自然に並んでくる。
横目を向けるとさっき触れた頬には、まだ薄く赤みが残っていた。
「……お兄様?」
こちらの視線に気づいた深雪が、不思議そうに顔を上げる。
「いや」
何でもない、と続ける代わりに前へ向き直った。
廊下の角では、ちょうど美月の制服の裾が消えるところだった。
これで高校生活初日は終了です。
次回から本格的にクロスオーバーに入りたいと思います。