工房を出る頃には、校内はすでに昼休み手前になっていた。
第一高校の設備は、事前に目を通していた資料から想像していたものより一段上だった。
特に魔工師向けの設備は充実していて、加工機器だけでなくCADの調整環境まで一通り揃っている。
高校の実習設備という前提を抜きにしても、俺自身いくつか足を止めたくなる機材があった。
俺たち五人は、そのまま少し早めに食堂へ向かった。
初日だけあって慣れないものが多いのか、食堂はすでにかなり混んでいたが、運よく六人掛けの席が一つ空いていた。
俺とエリカが向かい合い、その横にレオ、美月、ミーシャがそれぞれ腰を下ろす。
「やっとっス。覚悟はいいっスか? 食堂」という呟きが聞こえるが無視が正解だ。
トレイを置き、何口か食べ始めるころには、話題は自然とさっきの工房へ戻っていた。
「いやー、あの成形装置すごかったな。あれ使えたら、硬化魔法と相性のいい補助武具とか自分で作れそうじゃね?」
レオがパンを持ったまま言う。
「あんたには細かい作業無理に決まってんでしょー」
間髪入れず、エリカが返した。
「ったく。慣れて見せるって、将来的な話だ」
「レオ、ああいうの好きそうっスね」
ミーシャはスプーンの先でスープ皿の縁を探りながら口を挟んだ。会話の輪が自然と回る。
「機器そのものより、『これで何作れるかな』って方に食いつくタイプっス」
「お前も結構見てただろ」
「自分は触媒ケース作れないかなって考えてたっス」
「触媒……またよく分からないもの出してきたわね」
「ウィっス。この食事の場で、言わない方がいいもの入れるケースっス」
ミーシャの不規則発言にも、いい加減慣れだした。
「私も魔工技師希望なので……楽しかったです」
美月も控えめながら輪に自然と入っている。意外にこの騒がしい三人といるのが心地よいのだろう。
俺は四人の声を聞きながら箸を動かしていた。
まだ入学して二日目に過ぎないが、それぞれの癖はだいぶ見えてきたように思う。
レオは思いついたら考えるより先に身体が動き、エリカは反応が速いうえに、思ったことをわざわざ飲み込もうとはしない。
美月は何かを決める前にまず相手を見るし、一見すると適当そうなミーシャは、妙なところまで細かく拾っている。
まとまりがあるとは言い難い組み合わせなのに、不思議と会話は途切れなかった。
思っていたより――
「お兄様」
箸を止め、聞き慣れた声に振り返ると、深雪がトレイを手に立っていた。
おそらく食堂へ入ってきた時点からだろう、周囲のあちこちから視線を集めている。深雪は一科生の間にはかなり名前が広まったらしい。
レオが俺と深雪を交互に見た。
「どちら様で?」
「妹だ」
「妹さん?」
俺と深雪を交互に見ながら、口は半端に開いたまま止まる。
「司波深雪です。兄がお世話になっております」
深雪が小さく頭を下げると、ついさっきまで工房について大声で語っていた男が、見るからに背筋を正した。
「ど、ども」
ぎこちなく頭を下げるレオを見て、エリカが吹き出す。
「何それ。急に借りてきた猫みたいになって」
「うるせえな」
声まで小さくなっていた。
エリカは笑いながら椅子を引き、そのまま横へずれる。
「深雪も一緒に食べなよ。ほら、ここなら達也の正面空くし」
「ありがとうございます、エリカ」
深雪は素直に腰を下ろした。
俺の正面に深雪、その隣にレオ。席が六人で埋まったところで、周囲の視線が一度だけこちらへまとまって寄ってきたが、気にしていても仕方がない。
俺たちがそのまま食事を再開しかけた時だった。
「司波さん」
横から声を掛けられた。
一科生の男子が数人、席のそばに立っている。先頭の男子は短めに整えた髪に、いくらか胸を張った立ち方をしていて、後ろの生徒たちも示し合わせたわけではないのだろうが、自然とそいつの半歩後ろに収まっている。
向けられている視線は、俺ではなく深雪だった。
「ウィードと一緒に食事なんてしない方がいいですよ」
レオのスプーンが、口へ運ばれる途中で止まった。
それまで笑っていたエリカの頬からも、すっと表情が消える。
男子生徒も二人の反応には気づいたはずだった。それでも、ここで引くつもりはないらしい。
「ブルームとウィードのけじめは、ちゃんとつけた方がいいと思います」
俺は箸を置いた。
一科と二科をどう捉えるかは個人の勝手だ。少なくとも、それを胸の内に収めている限り、俺が口を出すことでもない。
だが、この場にはレオとエリカがいる。この二人が笑って聞き流す展開だけは、最初から期待するだけ無駄だろう。
「は?」
案の定、レオの声が固くなり、エリカは椅子の背へ身体を預けたまま、男を見上げる。
「けじめって何?」
それに反応して、後ろにいた一科生が一歩前へ出る。
「なんだよ、その言い方」
「二科のくせに生意気じゃないか?」
一つ言葉が返るたび、互いの声から柔らかさがかき消えていく。
レオの肩が上がり、エリカの指がテーブルの端を軽く叩き始めた。
まだ誰も手を出してはいないが、この調子ならあと一言か二言もあれば十分だろう。
俺は立ち上がる頃合いを測った。
その時だった。
先頭の男子の視線が、ふと横へ滑りミーシャのところ――正確には、その白濁した瞳――で止まる。
「なんだ、ありゃ……見えないのに魔法使えるのか?」
声量自体は大きくなかった。
にもかかわらず、その一言だけが妙にはっきり耳へ届き、それまで気にも留めていなかった周囲の音が一瞬遠のいたように感じた。
発言した男子生徒の口元が強張る。口にしてしまってから、自分でもまずいと気づいたのだろう。
後ろから「おい、森崎」と押し殺した声が飛んだ。
俺はミーシャへ目を向けた。
唇の端が、ごくわずかに震えていた。右手が胸元で止まり、そこにない何かをぎゅっとつかむ形になっていた。
それもほんの一瞬で、すぐにいつもの形へ戻ったが、スプーンを握った指だけは止まったままだった。
――ガタン。
レオが立っている。ほとんど間を置かず、エリカも腰を上げた。
「おい、今言ったやつ誰だ?」
「言っていいことと悪いことくらい分かるでしょ」
レオの拳が脇で固まり、エリカも怒りに目を見開いていた。
森崎と言われた男子の顎が引かれる。
さっきまでとは明らかに違い、こちらの誰を見ればいいのか決めかねるように視線が定まっていない。
だが、目の前にいるのは二科生のレオとエリカだ。
「俺はただ――」
まずい、森崎は言い訳を選んだ。
そして深雪の表情が冷えている――もっとまずい。
俺が強引に声をあげてでも打ち切ろうとした、その直前だった。
ミーシャが制服のポケットへ手を入れ、小さな羊毛の塊を取り出し、指先で摘まみ、一度、軽く振る。
――パンッ!――
破裂音が食堂を打った。
こちらを見ていなかった生徒まで一斉に振り返る。
「何だ、今の?」
誰かの声が聞こえた。ミーシャを見ると、本人は何食わぬ顔で羊毛をポケットへ戻していた。
……こいつか。
疑問を持つより先に納得するようになってきている。
だが、今はそれでいい。周囲の意識が破裂音へ持っていかれた隙に、俺は席を立った。
「深雪。俺はもう済ませた。行こう」
トレイを持つと、深雪は一拍も置かなかった。
「はい、お兄様」
ミーシャもすぐに立ち上がる。
「自分も行くっス」
俺は歩きながら、破裂音がした瞬間に拾った情報を整理する。
やはり、事象改変の痕跡もなければ、魔法式も確認できなかった。
レオたちも遅れてついてくるらしい。さっきまで声を荒らげていた連中も、さすがに席を立った俺たちを追いかけてまで続きをやる気はないようだった。
席を離れ数メートルのところで、すぐ後ろからミーシャの声がした。
振り返ると、いつもより少し表情が硬い。
「苦し紛れにやっただけだったっスけど、上手く離脱に使ってくれて助かったっス」
「俺は何もしていない」
「いやいや。あそこから普通に席立つの、結構難易度高かったっスよ」
「単に食事が終わっただけだ」
「まだ残ってるっス」
ミーシャの顔が俺のトレイへ向く。
見ると、小さなパンが一つ残っていた。包装すら開けていない。
「食欲が失せただけだ」
「なら頂くっス」
「待て」
言い終えるより早く、パンが消えた。
ミーシャが、一瞬にして包装を破り口へ放り込み、そのまま何事もなかったように咀嚼している。流石にこれは呆れる。
「場を収めるためとはいえ、結果として廃棄されるパンがかわいそうっス。今回は行儀を脇に置くっス」
「どういう理屈だ」
飲み込んだミーシャは、満足したように一度頷いた。 そこでようやく、強張っていた口元がへにゃりと緩んだ。
深雪が横で僅かに笑った。先ほどまでの冷やかさは、かなり薄れている。
そんな二人を見ていると、追及する気が急速に失せてくる。
「……もういい。あの音はミーシャだな」
「ウィっス」
「助かった。あのまま普通に立っても、レオたちまでついてくるか微妙だった」
「ふふん」
得意げに鼻を鳴らした。
「《マイナー・イリュージョン》っス。強度零の幻想術っス」
「音を作る魔法か」
「ちょっと違うっス。本物の音を出してるわけじゃないっス」
ミーシャは指先を軽く振る。
「幻覚の音版っス。聞いた側には『音がした』って感じるっス。注意深い人には、本物の音じゃないとばれるっス」
やはり、そういうことらしい。
俺の知る魔法であれば、結果へ至るまでには必ず何らかの過程が存在する。
作用する対象があり、情報が変化し、その結果として事象が書き換わる。どれほど巧妙に隠そうと、どこかに辿った跡が残るものだ。
だが、ミーシャの幻想術にはそれが見当たらない。
始点と結果だけが存在し、その途中だけを綺麗に切り取ったように抜け落ちている。
「ちょっと待ってよ!」
足音と一緒に、エリカの声が食堂へ響いた。
追いついてきたエリカの隣にはレオ、その少し後ろから美月も小走りで来る。
エリカはいつもより歩幅が大きかった。
「何あいつ。最低」
レオもまだ奥歯を噛んでいる。
「謝りもしねえで何なんだよ」
美月だけは、来た方向を気にするように何度か後ろを振り返っていた。
「でも……言った後、少し顔色が変わっていたように見えました」
ミーシャが三人へ向き直る。
「怒ってくれて嬉しいっス」
その一言で、エリカが口を閉じ、レオも握ったままだった拳を開く。
ミーシャはそれを確認すると、顔をこちらへ向けた。
「達也、さっきの一科生、言った直後はどんな感じだったっスか? 自分、そのときはそれどころじゃなかったっス」
「森崎か?」
「名前、森崎っていうんスね」
「口元が強張り、目が泳いでいた」
「やっぱりっスか」
ミーシャは、両手の人差し指を左右のこめかみに当て、精神を集中させる――相変わらず動きが独特だ。
「なら、そこまで悪い人じゃないと思うっス」
「ミーシャ。あんなこと言われたのに?」
「言われたっスね。腹立ったのも事実っス」
レオが納得できないと言いたげに割り込んでくる。
「じゃあ許すのか?」
「そこは別っス」
即答だった。
「悪気が薄かったかもしれないっていうのと、自分が傷ついたのは別の話っス。うっかりでも、口から出たもんは戻らないっスから」
その答えを聞いて、エリカの肩から少しだけ力が抜けた。
「じゃあ何で庇うみたいに言うのよ」
「庇ってないっスよ」
ミーシャは小さく首を振った。
「一回嫌なこと言われたからって、その一回だけで『こいつは全部ダメ』って決めるのも違う……かも知れないっス」
そこで一度、唇を結び、白く濁った瞳が、ほんの少し伏せられた。
「……許すかどうかは、また別っスけどね」
昨日、ミーシャは「慣れている」と言っていた。だが――俺はそこで思考を切った。
この場合、本人が言っていないところまで、掘り下げるべきではないだろう。
「……でも次また言ったら殴るぞ、俺」
レオがぼそりと言った。
「殴るのはダメっス」
「じゃあ怒鳴る」
「それは止めないっス」
「そこはいいんだ」
ミーシャの頬が緩んだ。へにゃりとした表情が、レオの緊張をほぐす。
「嬉しいからもう一度言うっス。友達に本気で怒ってもらえるの、嬉しいっス」
レオは頭を掻きながら、視線が横へ逃げる。
「……そういう言い方すんなって」
「おぉ? どういう言い方っスか?」
「知らねえよ」
エリカはそのレオを見て何か口にしかけたが、結局そのまま閉じた。
美月の困惑が急速に消えていくのが、よくわかる。
入学してまだ二日目だ。
今朝には、そのミーシャ自身が「友達申請書類」などと言っていた。
その本人が今では何でもない顔でレオの袖をつまんでいるのだから、時間だけで人間関係の距離を測るのは難しいらしい。
ミーシャが深雪へ顔を向けた。
「深雪も怒ってくれたんスね」
「当然です」
こちらも即答だった。
「目が見えないというだけで、魔法師としての能力まで決めつけるような発言は、感心できません」
「ありがたいっス」
「ですが……」
深雪は少しだけ迷った後、表情を和らげた。
「ミーシャ本人がそうお考えなら、私からこれ以上申し上げることではありません」
「それにしても」
エリカがその手元を眺めながら言った。
「さっきの音。あれも幻想術?」
「ウィっス」
「便利ね」
「便利っスよ。強度零だから好きなだけ使えるっスし」
そこまで言ったところで、ミーシャの声が急に沈んだ。
「……その後が色々めんどくさいっス。本当に面倒です」
語尾からは、いつもの「っス」まで消えかけている。
エリカが眉を寄せた。
「じゃあ、余計に悪いことした気分になるじゃない」
「エリカたち止めるためじゃないっスよ」
ミーシャは手をひらひら振った。
「さっき達也にも同じこと言ったっスけど、とにかく何かしなきゃって思っただけっス。それをうまく利用した達也を褒めるべきっス」
「そうですね助かりました。司波君の機転のおかげです」
美月もミーシャに同意した。そこまで褒められるほどのことではないが、あえて否定はしなかった。
「それにあのままだと、深雪がもっと怖そうだったんで」
示し合わせたわけでもないのに、全員の顔が同時に深雪へ向いた。
深雪は静かに微笑む。
「何のことでしょう?」
声音も表情も、非の打ち所がない――こういう時の深雪は完璧になる。
やはりというべきか、口を滑らせたミーシャが、さりげなく俺の背後へ半歩退いた。
そのとき、トレイを持った二人の女子生徒がこちらへ近づいてくるのが見えた。
一科生の制服、おそらくクラスメイトだろう。深雪もすぐに二人の姿に気づいたらしい。
「ほのかと雫が来たようですので、私は改めてあちらでいただきます。お兄様、皆様、失礼いたします」
そう告げると、深雪は寸分の乱れもない一礼をして、まだ食事に手を付けていないトレイを持って離れていった。
深雪の姿が見えなくなってもなお、俺以外の全員は、妹の去った方向から視線を動かさずにいた。
【第7話:D&D使用呪文説明】
マイナー・イリュージョン(Minor Illusion)
呪文レベル: 初級呪文(キャントリップ)
発動時間: 1アクション
射程/範囲: 30フィート(約9m)/5フィート(約1.5m)
構成要素: 動作(S)、物質(M)(羊毛のひとかけら)
持続時間: 1分
系統: 幻術
攻撃/セーヴ: なし
射程内に音、または物体の幻影を1つ作り出す。この幻は呪文の持続時間中、存在し続ける。
アクションを使って幻を消した場合、またはこの呪文を再び発動した場合にも、幻は消滅する。
音を作り出す場合:
音の大きさは、ささやき声から叫び声まで自由に設定できる。
自分の声、他人の声、ライオンの咆哮、太鼓を叩く音など、好きな音を作り出すことができる。
音は呪文の持続時間中ずっと途切れることなく鳴り続けさせてもよいし、呪文が終了するまでの間に、異なるタイミングで断続的に鳴らすこともできる。
物体の幻影を作り出す場合:
椅子、泥の足跡、小さな宝箱など、物体の幻影を作り出すことができる。
ただし、幻影の大きさは一辺5フィート(約1.5m)の立方体に収まるものでなければならない。
この幻影は、音、光、匂い、その他の感覚的な効果を生み出すことはできない。
幻影に物理的に触れようとすると、物体が幻影をすり抜けてしまうため、それが幻であることが明らかになる。
幻を見破る場合:
クリーチャーは、アクションを使用して音や幻影を詳しく調べることができる。
その際、知力〈捜査〉判定を行い、あなたの呪文セーヴ難易度(Spell Save DC)以上の結果を出せば、それが幻であると見破ることができる。
クリーチャーが幻を見破った場合、そのクリーチャーにとって幻は薄く、ぼんやりとしたものになる。