自由人なエースとお目付け役 作:うふふんしずくちゃん
春の爽やかな風が吹き抜ける。
仁科が青心寮のドアを開けると、春の風が桜の花びらを乗せてきた。
頭に乗った花びらを指で摘んで取ると、仁科は軽くジョグをしてグラウンドに向かう。
身体を温めるために、だが寝起きなので負荷は掛けすぎずに。
そうしてグラウンドに向かうと、既に何人かの部員が自主練を始めていた。
「よっ、今日は投げるのか?」
端正な顔立ちにスポーツサングラスを掛けた、捕手の御幸一也が声を掛けてくる。
「ああ、今日はちょっとギア上げていく」
「了解」
御幸はニッと笑うと、防具を身に着けていく。
それを見ながら、仁科はブリッジを始めた。
彼が一般的なストレッチではなく、ブリッジを選んだ理由。
この動作は肩、背中、股関節といった、様々な関節をいっぺんに動かすことになる。故に柔軟性と連動性を高められる。
ただ単に反ればいいのではなく、身体を一つに繋げて動かすことを重視する。
「っ、と……」
仁科はしばらくすると息を吐きながら、体勢を元に戻した。手首と足首をくるくると回してから地面に置いていたグラブを手に取った。
白球の縫い目に人差し指と中指を掛ける。ストレートの握りだ。
「外低め」
「こい」
かれこれ一年間組んでいるこのバッテリー。
仁科が球種を指定しなくとも、初球は決まってストレートというのが暗黙の了解となっていた。
両腕を天高く突き上げ、左足を静かに上げる。流れるような動きで前に踏み込み、振り抜いた。
パァン、と。革の弾けるような音が響いてた。
「ナイボ。コントロールも文句無し」
「当たり前だ」
130キロ程度は、出ていた感覚がある。
仁科の現時点での最速は146キロ。速すぎる訳ではないが、決して遅くもない。
だが仁科が重視しているのは、コントロール。どれだけ質の高いストレートがあったとしても、ストライクに入らなければ塵と化す。
そもそも近年は高速化が進んでいる。一部では球速ではなく、コントロールこそが天性の才能と言われている。
仁科も、それに賛同していた。速い球なんて、ちゃんと鍛えれば誰でも投げられる。
だがそれをストライクに入れられるかどうかは天賦の才である、と。
「次、内高め」
御幸がミットを動かして、制止する。
また右腕を振り抜いて白球を放つ。今度も、130キロは出ていたと思う。
その後も黙々と投げ続け、段階的に肩を温めていく。十球ほど投げ終わってから、仁科は軽く息を吐く。
「ちょっと強めにいく」
「おう」
ワインドアップから連動した動作で振り抜く。
先程よりも指先に力を入れてボールを放つと、スピンの掛かった球がミットに吸い込まれた。
まるで一本の線を引いたかのように、真っ直ぐな軌道を描いていた。
「うん、良い球」
御幸はウンウン頷くと、返球する。胸元に正確に投げられた返球を受け取りながら仁科は、この制球力があるならコイツも投手出来そうだな、となんとなく考えた。
しかし、御幸は打点乞食な守備の人。何より、投手と共に最高の作品を生み出すことを生き甲斐としているような男。
死んでも投手はやらないだろうな、と思った。
「ストレートはラスト」
破裂音にも近い音が、グラウンドに響く。
140キロ程は出ていた感覚がある。
満足そうに何度も頷いた御幸は、相も変わらずストライク返球で白球を返す。
「次、右の外スラ」
ギュンッと、弧を描いてミットに収まった。
真横に曲がるというよりは、斜めに滑る。
本当に『弧を描く』という単語が似合う軌道。
「次、縦カーブ」
高い位置からはたき落とされたかのように落下する縦のカーブを、ストライクからストライクになるように変化させる。
変化球はストライクからボール、もしくはその逆で投げることが多いが、仁科は一味違った。
ストライクからストライクに変化する変化球を投げられた方が、投球の幅が広がる。
そう考えた日から、彼はそのような投球を身に付けていた。
無論、ただゾーンからゾーンに投げるだけではいけない。例えばだが、高めから真ん中に落ちるカーブなどはゲロ甘ボールに過ぎない。
あくまでも、甘いコースから厳しいコースへ。
「次、左の外チェンジ」
グラブの中で、彼特有の握りに変える。
そして繰り出された白球は——手元まで来ると、まるでパラシュートのように急激にスピードを落としながら変化した。
「っ、と。相変わらずエグい変化してるな」
「まあ、決め球だからな」
——パラシュートチェンジ。
かつて、アメリカの地で生まれた変化球だ。
握りはサークルチェンジと似ているが、この球の特異な部分はそこではない。
途中までは速球と同じように来るのに、手元で急激に失速して落下する。その変化にはメジャーリーガーですらも手こずり『分かっていても打てない魔球』としてその名が広まった。
そして、変化球というのは投げる投手によって微妙に変わってくる。
仁科の場合は、縦の変化量が多いパラシュートチェンジ。速球に近いのは同じで、手元ではたき落とされたように落下するのが特徴的だ。
仲間からはよくフォークと称されていた。まあ彼はフォーク系の球種と相性が悪く、フォークの代替品としてこのチェンジアップを覚えたから、フォークと間違われるのは願ったり叶ったりだ。
「ラスト、低めチェンジ」
最後にもう一球、チェンジアップを投じて投球練習は終わった。
「二人とも、お疲れ様」
飲料を両手に持った寺地が声を掛ける。二人はそれを受け取ると、ゴクッと飲み込んだ。
「今日、見学の子が来るらしいわよ」
「へー、留学生?」
「長野だって聞いたわ」
「そりゃ遠くから来たもんだ」
岡山から来ているお前が言う? という二つの視線を浴びる仁科。
ちなみに余談だが、仁科という名字は岡山県に多く存在する、岡山らしい苗字である。
「あと仁科、アンタまた授業中に居眠りしてたんですって?」
「成績良いんだからいいじゃん」
「良くないわよ! 毎回報告されるこっちの身になってみなさい……!」
ワナワナと震えながら握り拳を作る寺地と、意に介さない仁科。
そんな二人を見た御幸は——。
「いやー、今日もお熱いね。お二人さん」
「ばっ……! 誰がこんな奴と!」
必死に否定しているが、寺地は頬をほんのりと赤色に染めていた。
「……嫌なのか?」
「え」
寺地の時が止まる。
だってそんな言い方、まるで——。
「俺はいいけど」
御幸はうわ、と思った。
寺地は相変わらず固まっているが、なんとなく次に出てくる言葉が予想できていたから。
「李音ちゃんとならね」
「っ……! ちゃん付けキモいからやめなさいって何度も言ってるでしょ!?」
「へいへーい、ごめんなさーい」
「ちゃんと謝りなさい!」
コイツら、何回このやり取りやるんだ。
御幸は遠い目をしながらそう思った。
仁科が変なことを言って寺地が固まり、それを冗談でしたと台無しにし、怒られる。
若干いうことは変わるが、一年間このやり取りを見せられた身としては「いいからとっとと付き合えよ」という感想しか浮かばなかった。
「で? その留学生ってポジションどこ」
「急に話戻したわね……投手だって、高島先生は仰ってたわ」
「お、マジ?」
遠い目をしていた御幸が反応する。
この青道高校、投手の層があまりにも貧弱。
暫定エースの仁科、三年生では一番優れた投手である丹波以外にまともな投手が居ない。
しかし丹波もメンタル面で不安を抱えており、実力も仁科より劣る。
そして、リリーフが特に酷い。二年生には川上や川島といった投手が居るが、いわゆる熱烈歓迎をしてくれそうな感じ。
よって、一番安全な勝ちパターンは仁科完投、という形になっているのが現状だ。
「投手か、良い選手ならいいけど」
仁科も他の投手陣には思うところがあるのか、少しだけ声に期待の色が乗っていた。
暑い、暑い夏。それを一人で投げ切らせるようなことを、片岡は許さない。
だからこそ、二番手以降の投手が非常に大事になってくる。
(……とはいえ、一年に頼る状況ってのもな)
本来であれば上級生がもっとちゃんとしていなければいけない。
まあ、昔から「打の青道」と言われていたからこうなることは予想していたが。
まさか本当にそうなるとは思わなかった。
「どんな球を投げる奴か、今から楽しみだぜ」
御幸は明らかに新戦力にウキウキしている。
やっぱり、今の投手陣をリードするのは彼でも厳しいのだ。
初球から甘いコースに来る、外に構えたら逆球を投げられる、揚げ句の果てに勝手に追い詰められて四球を出す。
捕手のリードではどうにもならないところで、自滅されていては困るのだ。
だから、一年生に期待している。というか期待せざるを得ない。
だって、目指しているのは——甲子園優勝なのだから。