X784年。
フィオーレ王国、マグノリア。
魔導士ギルド、妖精の尻尾。
「……できました!」
ギルドの一角に設けられた研究室。
そこに、メイビス・ヴァーミリオンの嬉しそうな声が響いた。
「イリス! ちょっと見てください!」
「はい?」
机の上に広げられた大量の資料。
古代魔法の術式。
空間座標に関する計算式。
そして、複雑な魔法陣。
イリス・アストレアは、メイビスの隣へ歩み寄った。
「……これは?」
「以前、世界の境界について調べたときの資料です!」
「ああ、あの研究ですね」
イリスが頷く。
少し前、二人は世界の境界に関する古代魔法の研究を進めていた。
その過程で、異なる世界同士の接続について、新たな可能性を見出していたのだ。
「それでですね!」
メイビスが、机の上に一枚の紙を広げる。
「ずっと気になっていたことがあるんです」
「気になっていたこと?」
「はい!」
メイビスは、魔法陣の一部分を指差した。
「世界と世界の間には、それぞれ異なる魔力の流れが存在している可能性があります」
「……なるほど」
「もし、その違いを正確に読み取ることができれば……」
メイビスが、にっこり笑う。
「移動先の世界を特定する手掛かりになるかもしれません!」
「……!」
イリスの金色の瞳が、わずかに見開かれた。
「それは……」
「はい!」
メイビスが頷く。
「イリスの故郷を探すための、新しい方法です!」
「…………」
イリスは、しばらく資料を見つめていた。
元の世界。
魔法学院。
懐かしい街並み。
そして、自分を育ててくれた大切な家族。
もう百年近く、会っていない。
「……メイビス」
「はい?」
「ありがとうございます」
イリスは、柔らかく微笑んだ。
「ずっと、私のために考えてくれていたんですね」
「もちろんです!」
メイビスは、当然のように答えた。
「だって、イリスの故郷ですから!」
「……ふふっ」
イリスの表情が、少しだけ緩んだ。
そんな彼女を見て、メイビスが楽しそうに笑う。
「それで、お願いがあるんです!」
「何でしょう?」
「久しぶりに、セレーネに会いに行きませんか?」
「……セレーネさんに?」
「はい!」
月神竜、セレーネ。
かつて二人がギルティナ大陸を旅した際に出会った、異世界を渡る力を持つ神竜。
あれから、約九十年。
長い年月が流れていた。
「セレーネなら、世界を渡るときの感覚について、何か教えてくれるかもしれません!」
「なるほど……」
イリスは、少し考えた。
そして。
「いいですね!」
にっこり笑った。
「私も、久しぶりにお会いしたいです」
「決まりですね!」
メイビスが、嬉しそうに両手を合わせた。
◇
数日後。
妖精の尻尾。
「……また旅に出るのか?」
マカロフ・ドレアーが、二人を見上げていた。
「はい!」
メイビスが元気よく頷く。
「ちょっと、研究の続きをしてこようと思いまして!」
「今回は、少し長くなるかもしれません」
イリスが付け加える。
「長く、か……」
マカロフは、小さく息を吐いた。
「まあ、お前さんたちのことじゃ。心配はいらんじゃろうが……」
「ふふっ。ありがとうございます」
「ギルドのことは、任せてくださいね!」
メイビスが笑う。
「……それは、わしの台詞じゃろう」
「えへへ!」
そのやり取りに、イリスも笑った。
すると。
「おい! イリス!」
背後から、元気な声が響いた。
ナツだった。
「またどっか行くのか!?」
「はい。少し遠くまで」
「だったら、今度帰ってきたら勝負しろよ!」
「ふふっ。いいですよ」
「よっしゃ!!」
ナツが嬉しそうに拳を握る。
その隣では、ルーシィが呆れた顔をしていた。
「ナツって、本当にそればっかりね……」
「なんだよ!」
「少しは普通に見送りなさいよ!」
「……あはは」
イリスが小さく笑う。
メイビスも楽しそうだった。
いつもの妖精の尻尾。
賑やかで、温かくて。
帰ってくるたびに、笑顔になれる場所。
「では、皆さん」
イリスが、にっこり微笑んだ。
「行ってきます!」
「行ってきまーす!」
そして。
二人の足元に、黄金色の魔法陣が浮かび上がった。
――ふわり。
空間が、静かに揺らぐ。
次の瞬間。
二人の姿は、ギルドから消えていた。
◇
ギルティナ大陸。
人里から遠く離れた、山々に囲まれた静かな土地。
夜空には、大きな月が浮かんでいた。
「……懐かしいですね」
イリスが、周囲を見渡した。
「はい!」
メイビスも頷く。
「この辺りも、あまり変わっていません!」
かつて二人が旅した大陸。
約九十年前。
異世界への帰還方法を探して、数え切れないほどの土地を歩いた。
その旅の中で、二人は月神竜と出会ったのだ。
「……さて」
メイビスが、空を見上げる。
「セレーネは、どこにいるでしょう?」
「そうですね……」
イリスも、金色の瞳を細めた。
魔力の流れ。
大気に漂う微かな残滓。
その中に、ひときわ異質なものが混じっていた。
「……あら?」
「どうしました?」
「いえ……」
イリスが、少しだけ笑った。
「どうやら、向こうも気づいているみたいですよ」
「……え?」
その瞬間。
――キィィィン。
夜空に、黄金色の光が走った。
空間が、静かに開いていく。
月明かりに照らされた、その向こう側。
一人の女性が立っていた。
長い金髪。
優雅な着物姿。
そして、人間とは明らかに異なる、圧倒的な存在感。
「……ほう」
女性が、ゆっくりと微笑んだ。
「これは、珍しい客が来たものじゃ」
「セレーネさん!」
イリスが、嬉しそうに声を上げる。
「お久しぶりです!」
「お久しぶりです、セレーネ!」
メイビスも笑顔で手を振った。
月神竜、セレーネ。
五神竜の一角。
世界の境界を渡る力を持つ、規格外の存在。
セレーネは、二人を交互に見つめた。
そして。
「……ふふっ」
楽しそうに笑った。
「九十年近く経ったというのに……」
その瞳が、細められる。
「二人とも、まるで変わっておらぬではないか」
「ふふっ。そうですね」
イリスが微笑む。
「いろいろありまして」
「いろいろ、か」
セレーネが、面白そうに笑った。
「人間というものは、本当に不思議じゃのう」
そして。
その表情が、わずかに変わった。
「……いや」
セレーネの視線が、二人を捉える。
「変わっておらぬのは、見た目だけか」
「……?」
メイビスが首を傾げた。
セレーネは、ゆっくりと口元を吊り上げる。
「以前より、ずいぶんと強くなっておるな?」
「……分かるんですか?」
「妾を誰だと思っておる?」
セレーネが、得意げに笑った。
「月神竜じゃぞ?」
「ふふっ。そうでしたね」
イリスが笑う。
セレーネは、そんな二人を眺めながら、ますます楽しそうな表情になった。
「まったく……」
そして、小さく呟く。
「興味が尽きぬ人間たちじゃ」
◇
月明かりに照らされた、美しい庭園。
セレーネに招かれた二人は、用意された席に腰を下ろしていた。
机の上には、香りのよいお茶と菓子が並んでいる。
「わあ……!」
メイビスが、目を輝かせた。
「とっても美味しそうです!」
「ふふっ。好きなだけ食べるがよい」
「ありがとうございます!」
早速、菓子に手を伸ばすメイビス。
その隣で、イリスが小さく笑った。
「メイビス。研究の話を忘れないでくださいね?」
「わ、忘れてませんよ!」
「ふふっ。そうですか」
セレーネが、二人のやり取りを面白そうに眺めていた。
「相変わらず、仲がよいのう」
「はい!」
メイビスが即答する。
「もちろんです!」
「……ふふっ」
セレーネが笑う。
「九十年も一緒におれば、そうなるものか」
「それだけではないと思いますよ」
イリスが、穏やかに答えた。
「私にとって、メイビスは特別な人ですから」
「……イリス!」
メイビスが、嬉しそうに笑った。
セレーネは、しばらく二人を見つめていた。
そして。
「……さて」
お茶を一口飲む。
「それで、今日は何の用じゃ?」
「はい!」
メイビスが、待っていましたとばかりに資料を取り出した。
「実は、世界の境界について、新しい仮説ができたんです!」
「……ほう?」
セレーネの瞳が、興味深そうに細められた。
メイビスは、机の上に魔法陣を展開する。
「世界を渡るとき、異なる世界同士を区別する何らかの情報が必要なのではないか、と考えたんです」
「…………」
「もし、世界ごとに異なる魔力の特徴があるのなら……」
メイビスが、イリスを見る。
「イリスの魔力から、故郷の世界を特定できる可能性があります!」
「……なるほどのう」
セレーネが、静かに頷いた。
「面白いことを考える」
「本当ですか!?」
「うむ」
セレーネは、魔法陣を眺めた。
「確かに、世界ごとに魔力の在り方が異なることはある」
「……!」
メイビスが身を乗り出す。
「では!」
「じゃが」
セレーネが、指を一本立てた。
「それだけで、目的の世界へ辿り着けるとは限らぬ」
「……やっぱり、そうですよね」
メイビスが頷く。
セレーネは続けた。
「世界を渡ることと、望んだ世界へ辿り着くことは、別の話じゃ」
「……なるほど」
イリスが、静かに呟く。
「道を開くことができても、その先がどこへ繋がるか分からない……ということですね」
「その通りじゃ」
セレーネが微笑む。
「妾とて、知らぬ世界の場所を、何も手掛かりなしに見つけられるわけではない」
「…………」
イリスは、少しだけ考え込んだ。
しかし。
「……それなら」
顔を上げる。
「手掛かりを見つければいいんですね」
「……ほう?」
セレーネが、楽しそうに笑った。
「諦めぬか」
「はい」
イリスは、穏やかに微笑んだ。
「もう、百年近く探していますから」
「……ふふっ」
セレーネが笑う。
「なるほど。そういうことか」
その隣で、メイビスも力強く頷いた。
「私も、まだまだ諦めませんよ!」
「……まったく」
セレーネは、二人を交互に見つめた。
「本当に、面白い人間たちじゃ」
◇
「……では、少し試してみるかのう」
セレーネが、ゆっくりと立ち上がった。
「試す、ですか?」
メイビスが首を傾げる。
「うむ」
セレーネが、片手を掲げた。
その瞬間。
――キィィィン。
庭園の中央に、黄金色の空間の裂け目が現れた。
「……!」
イリスとメイビスが、同時に目を見開く。
「これは……」
「世界の境界じゃ」
セレーネが、当然のように答えた。
「もっとも、向こう側へ行く必要はない」
その指先が、ゆっくりと動く。
裂け目の向こうから、微かな魔力が流れ込んできた。
「……なるほど」
メイビスが、真剣な表情になる。
「イリス!」
「はい!」
イリスの金色の瞳が、その魔力を捉えた。
普段、この世界で見慣れている魔力とは、どこか異なる流れ。
しかし。
「……あら?」
イリスが、首を傾げる。
「どうしました?」
「いえ……」
少し考える。
「確かに違うのですが……」
イリスは、自分の手のひらを見つめた。
そこに、微かな魔力を集める。
「……私の魔力とは、また違いますね」
「……!」
メイビスの瞳が輝いた。
「ということは……!」
「うむ」
セレーネが頷く。
「少なくとも、異なる世界の魔力を比較することはできそうじゃな」
「……なるほど!」
メイビスが、勢いよく資料に書き込み始めた。
「世界ごとの特徴を比較できれば、識別する方法を作れるかもしれません!」
「ただし」
セレーネが、楽しそうに笑う。
「お主らの仮説が正しいと証明されたわけではないぞ?」
「はい!」
メイビスが元気よく頷く。
「だから、もっと調べます!」
「……ふふっ」
セレーネは、思わず笑った。
「よい返事じゃ」
そして、イリスへ視線を向ける。
「それにしても……」
「はい?」
「お主のその金色の瞳」
セレーネが、興味深そうに見つめた。
「やはり、ただの人間の目ではないのう」
「……そうでしょうか?」
「普通の人間には、今の魔力の違いなど見えぬ」
「……ふふっ」
イリスが、少し困ったように笑う。
「昔から、こう見えているものですから」
「そうか」
セレーネは、満足そうに頷いた。
「ますます興味が湧いたわ」
◇
それから、数日。
イリスとメイビスは、セレーネのもとで研究を続けた。
異なる世界の魔力の比較。
空間の接続に必要な座標。
境界を越える際に発生する魔力の変化。
セレーネは、気が向いたときに助言を与えた。
しかし、答えをすべて教えることはなかった。
それもまた、彼女にとっての楽しみだったのだろう。
人間が、自分たちの知恵だけでどこまで辿り着くのか。
その過程を眺めることが、何より面白かった。
そして。
「……できました!」
ある日の午後。
メイビスが、嬉しそうに声を上げた。
「イリス! 見てください!」
「はい?」
机の上には、新たな術式が描かれていた。
「まだ完成には程遠いですけど……」
メイビスが、にっこり笑う。
「異なる世界の魔力を比較するための、基礎術式ができました!」
「……!」
イリスが、目を輝かせた。
「本当ですか!」
「はい!」
メイビスは、嬉しそうに頷く。
「これをもっと発展させれば、いつか……!」
「……ふふっ」
イリスは、そっとメイビスの手を握った。
「ありがとうございます」
「……イリス?」
「また一歩、近づきましたね」
「……はい!」
メイビスが、満面の笑顔で頷いた。
その様子を、少し離れた場所からセレーネが眺めていた。
「……ふふっ」
小さく笑う。
「たかが人間。されど人間、か」
九十年前。
初めて出会ったときも、そうだった。
強大な力を持ちながら、決して傲慢ではない黒髪の少女。
そして、恐るべき才能と知識欲を持つ金髪の少女。
どちらも、常識では測れない存在だった。
しかも。
あれから九十年。
二人は、さらに強くなっていた。
「……まったく」
セレーネは、楽しそうに微笑んだ。
「興味が尽きぬのう」
◇
数日後。
ギルティナ大陸の山道。
「……さて」
メイビスが、空を見上げた。
「次は、どこへ行きましょうか!」
「そうですね……」
イリスが、手元の資料を眺める。
「世界の境界に関する古代遺跡を、もう少し調べてみたいですね」
「いいですね!」
メイビスが嬉しそうに頷く。
「それなら、以前訪れた遺跡にも行ってみましょう!」
「ふふっ。懐かしいですね」
二人は、顔を見合わせて笑った。
セレーネとの再会。
新たな研究成果。
そして、少しだけ近づいた故郷への道。
まだ、帰還方法が見つかったわけではない。
けれど。
以前とは違う。
今は、確かな手掛かりがある。
「……メイビス」
「はい?」
「今回の旅も、長くなりそうですね」
「そうですね!」
メイビスが、楽しそうに笑った。
「でも、イリスと一緒なら、どこまででも行けます!」
「……ふふっ」
イリスも、柔らかく微笑んだ。
「私もですよ」
二人は、並んで歩き始めた。
遥か遠く。
フィオーレ王国では、妖精の尻尾の仲間たちが、いつもどおり賑やかな日々を送っている。
ナツ。
ルーシィ。
グレイ。
エルザ。
そして、数え切れないほどの仲間たち。
今は、少しだけ離れるけれど。
また、帰ればいい。
あの賑やかなギルドへ。
そう思いながら。
二人の少女は、新たな旅へと歩き出した。
――このとき、二人はまだ知らなかった。
自分たちが旅を続けている間に。
妖精の尻尾に、かつてない大きな出来事が訪れることを。
そして。
再び故郷へ帰る道を探す旅が、思いもよらぬ形で中断されることを。
それでも。
二人の歩みは、止まらない。
月明かりの下。
黒髪と金髪の少女が、楽しそうに笑い合う。
百年を越えて続く、二人の旅。
その新たな一歩が、今、始まった。
【こそこそ妖精話】
~噂の二人~
X784年。
ニルヴァーナ討伐のため、四つのギルドから魔導士たちが集結した。
妖精の尻尾。
青い天馬。
蛇姫の鱗。
化猫の宿。
それぞれが自己紹介を終えた頃。
一夜「ところで……妖精の尻尾といえば、最近話題の美しいお二人がいらっしゃいますねぇ。メェ~ン!」
ルーシィ「……美しい二人?」
ヒビキ「初代マスターのメイビスさんと、妖精の聖剣のイリスさんだよ」
リオン「俺も噂は聞いている。百年前の創設者が、今も現役で活動しているそうだな」
グレイ「ああ。しかも、二人ともとんでもなく強えぞ」
シェリー「百年前……!? それなのに、あんなにお若いんですの!?」
ルーシィ「そうなのよ! 私だって最初は信じられなかったんだから!」
ジュラ「……実は、私も一度お会いしてみたいと思っておりました」
ナツ「おっ! だったら今度、イリスと勝負してみろよ!」
ジュラ「……ほう?」
グレイ「やめとけ、ナツ。ジュラさんを巻き込むな」
ナツ「なんでだよ!」
グレイ「お前、前にイリスさんに一瞬で負けただろうが!」
ナツ「今度は勝つ!!」
ルーシィ「……その自信、どこから来るのよ」
一夜「それにしても、お二人とも実に美しい……ぜひ一度、私の香りを――」
エルザ「やめておけ」
一夜「……メェン?」
エルザ「特にメイビスさんの前で、イリスさんを口説くのはおすすめしない」
一夜「…………」
ヒビキ「……ああ、そういう関係?」
エルザ「……さてな」
――その頃、ギルティナ大陸。
メイビス「……くしゅんっ!」
イリス「あら? 風邪ですか?」
メイビス「いえ……誰かが噂している気がします!」
イリス「ふふっ。きっと気のせいですよ」
――こそこそ妖精話・完。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。