X784年。
フィオーレ王国、マグノリア。
魔導士ギルド、妖精の尻尾。
「ただいま戻りました!」
「ただいまですー!」
ギルドの扉が開き、二人の少女が姿を現した。
黒髪のハーフツインテールを揺らす、青と金のオッドアイの美少女。
イリス・アストレア。
そして、その隣で楽しそうに笑う金髪の少女。
妖精の尻尾の初代マスター、メイビス・ヴァーミリオン。
二人はギルティナ大陸での研究旅行を終え、久しぶりにマグノリアへ帰ってきたところだった。
「ふふっ。やっぱり、帰ってくると落ち着きますね」
「はい! みんな元気にしているでしょうか!」
「ナツさんは、また勝負を挑んでくるかもしれませんね」
「あはは! ありそうです!」
そんな会話を交わしながら、二人はギルドの中へ足を踏み入れた。
しかし。
「…………あれ?」
メイビスが、足を止めた。
いつもなら聞こえてくる、賑やかな笑い声。
ナツとグレイの喧嘩。
それを叱りつけるエルザの声。
カウンターから響く、ミラジェーンの明るい声。
そのどれもが、聞こえなかった。
「……静かですね」
イリスも、不思議そうに周囲を見渡した。
ギルドの中には、何人かの魔導士がいた。
しかし、誰も笑っていない。
皆、暗い表情で俯いていた。
「……イリスさん?」
カウンターの近くから、聞き覚えのある声がした。
振り向くと、そこには一人の男性が立っていた。
「……マカオさん?」
マカオ・コンボルト。
普段は陽気で、仲間たちと酒を飲んでは騒いでいる魔導士。
しかし、今の彼には、いつもの元気がなかった。
「……メイビスさんも、帰ってきたのか」
「はい! つい先ほど……」
そこまで言って、メイビスは言葉を止めた。
「……マカオ?」
彼の表情が、あまりにも暗かったからだ。
「何か、あったんですか?」
「…………」
マカオは、しばらく黙っていた。
そして、絞り出すように口を開いた。
「……マスターたちが……」
「……?」
「マスターたちが、帰ってこねえんだ……」
「…………え?」
メイビスの笑顔が、消えた。
◇
「……天狼島が?」
ギルドの一角。
イリスとメイビスは、マカオから事情を聞いていた。
天狼島で行われていた、S級魔導士昇格試験。
そこへ突如として現れた、黒い竜。
アクノロギア。
その圧倒的な力によって、天狼島は海上から姿を消したという。
「……評議院からの情報だ」
マカオが、沈んだ声で説明する。
「島があった場所には、もう何も残ってねえらしい……」
「…………」
イリスは、静かに目を伏せた。
メイビスも、何も言わなかった。
「マスターも、ナツも、エルザも……」
マカオが、拳を握りしめる。
「みんな、あの島にいたんだ……!」
「…………」
天狼島。
その名前を聞くだけで、二人の胸には数え切れないほどの思い出が蘇る。
X686年。
まだ妖精の尻尾というギルドが存在していなかった頃。
二人が初めて出会った場所。
すべてが始まった場所。
「……マカロフも、ですか?」
メイビスが、ぽつりと尋ねた。
「……ああ」
その返事に、メイビスは唇を噛んだ。
マカロフ。
幼い頃から知っている、大切な家族。
小さな手で自分たちの服を掴んでいた男の子が、立派なギルドマスターになった。
その成長を、ずっと見守ってきた。
「……そう、ですか」
メイビスは、俯いた。
すると。
そっと、その手が握られた。
「……イリス?」
「メイビス」
イリスは、静かに微笑んだ。
「まだ、決まったわけではありませんよ」
「……!」
「天狼島が消えたからといって、皆さんが亡くなったとは限りません」
その言葉に、メイビスが顔を上げた。
「……そうですね」
そして、ゆっくりと頷く。
「はい。まだ、確かめていません!」
メイビスの瞳に、少しだけ光が戻った。
「イリス!」
「はい」
「天狼島へ行きましょう!」
「もちろんです」
二人は、互いに頷いた。
「……おい、待ってくれ!」
マカオが、慌てて声を上げた。
「何か分かるのか!?」
「まだ、分かりません」
イリスが、穏やかに答える。
「ですが、私たちにも調べられることはあります」
「……!」
「何か分かったら、必ずお伝えしますね」
その言葉に、マカオはしばらく黙っていた。
そして。
「……頼む」
深く頭を下げた。
「頼む……! みんなを、見つけてくれ……!」
「……はい」
イリスが、静かに頷いた。
次の瞬間。
二人の足元に、黄金色の魔法陣が浮かび上がった。
◇
フィオーレ王国沖。
かつて、天狼島が存在していた海域。
青い海が、どこまでも広がっていた。
「…………」
イリスは、静かに海を見つめていた。
そこには、何もなかった。
大きな樹木も。
緑豊かな森も。
あの日、メイビスと出会った海岸も。
すべてが、消えていた。
「……本当に、なくなってしまったんですね」
メイビスが、小さく呟いた。
「……はい」
イリスも、静かに頷く。
百年近く前。
異世界から突然、この世界へやってきた少女。
行く当てもなく、天狼島へ辿り着いた彼女は、そこで一人の金髪の少女と出会った。
『私、メイビス・ヴァーミリオンです!』
あの日の笑顔を、今でも覚えている。
何も知らない世界で、初めてできた友達。
そして。
今では、誰よりも大切な存在。
「……懐かしいですね」
イリスが、ぽつりと呟いた。
「……はい」
メイビスも、小さく微笑む。
「ここで、イリスと出会ったんですよね」
「ええ」
「一緒に島を歩いて……たくさんお話しして……」
「ふふっ。メイビスのお気に入りの場所も、案内してもらいましたね」
「はい!」
メイビスが、少しだけ笑った。
けれど。
その笑顔は、すぐに寂しそうなものへ変わった。
「……なくなっちゃったんですね」
「…………」
イリスは、何も言わずにメイビスの手を握った。
そして。
「……メイビス」
「はい?」
「少し、調べてみませんか?」
「……!」
メイビスが、はっと顔を上げる。
「そうでした!」
次の瞬間。
その表情が、研究者のものへ変わった。
「まだ、何も分かっていませんからね!」
「はい」
イリスが微笑む。
「一緒に探しましょう」
◇
それから、しばらく。
二人は、天狼島が存在していた海域を調査していた。
メイビスは複雑な魔法陣を展開し、周囲の魔力を解析する。
イリスは金色の瞳で、海上に残された魔力の流れを追っていた。
「……あら?」
最初に違和感を覚えたのは、イリスだった。
「メイビス」
「はい?」
「ここに、何か残っています」
「……何か?」
「ええ」
イリスが、海の一点を指差した。
「とても微かですが……特殊な魔力の残滓が見えます」
「……!」
メイビスが、すぐに魔法陣を移動させた。
複雑な術式が組み上がっていく。
一つ。
二つ。
三つ。
幾重にも重なる魔法陣。
そして。
「…………あ」
メイビスの手が、止まった。
「……メイビス?」
「……これ」
彼女の瞳が、大きく見開かれる。
「……知っています」
「……!」
イリスが、メイビスを見る。
メイビスは、震える声で続けた。
「この魔力の構造……」
そして。
「……妖精の球です」
「……妖精の球?」
「はい!」
メイビスが、顔を上げた。
「妖精の尻尾に伝わる、絶対防御魔法……!」
妖精の球。
対象を強力な結界で守り、その内部の時間を停止させる高度な魔法。
メイビスは、急いで術式の解析を進めた。
「……間違いありません」
その声に、確かな希望が宿る。
「妖精の球が、発動しています!」
「……!」
イリスの表情が、明るくなった。
「では……!」
「はい!」
メイビスが、力強く頷く。
「みんな、守られている可能性があります!」
その瞬間。
二人は、顔を見合わせた。
天狼島は、ただ破壊されたわけではない。
妖精の球によって、外界から隔離されている。
少なくとも、魔法が正常に機能しているのであれば。
仲間たちは、今もその中にいるはずだった。
「……よかった」
メイビスが、小さく呟いた。
その瞳に、涙が浮かぶ。
「……本当に、よかった……!」
「……メイビス」
イリスは、そっと彼女の肩を抱いた。
「まだ、完全に確認できたわけではありませんけど……」
「……はい」
「希望は、ありますね」
「……はい!」
メイビスは、涙を拭いながら笑った。
◇
「……さて」
しばらくして。
メイビスは、再び魔法陣へ視線を向けた。
「問題は、ここからですね」
「……解除、ですか?」
「はい」
メイビスが頷く。
「妖精の球は、非常に高度な防御魔法です」
その指先が、術式の一部分をなぞる。
「内部の時間を停止させることで、対象を守っています」
「……なるほど」
「ですが……」
メイビスの表情が、少しだけ曇った。
「外から強制的に解除した場合、どうなるのか……」
「……分からないんですね」
「はい」
メイビスは、静かに頷いた。
「私なら、術式に干渉することはできると思います」
「……そうですね」
「イリスの聖剣でも、魔法そのものを切断できます」
「はい」
「でも……」
メイビスは、海を見つめた。
「中にいるみんなの時間が、急に動き出したら……」
「…………」
「どんな影響が出るのか、分かりません」
イリスは、静かに考えた。
自分の聖剣なら、結界を切断することはできるだろう。
メイビスの空間魔法なら、術式の構造に干渉することも可能なはずだ。
しかし。
それが、仲間たちの安全を保証することにはならない。
「……やめておきましょう」
イリスが、穏やかに言った。
「……イリス?」
「皆さんを危険に晒すわけにはいきません」
その声に、迷いはなかった。
「私たちが無理に解除して、もし何かあったら……」
「…………」
「きっと、後悔します」
メイビスは、しばらく黙っていた。
そして。
「……そうですね」
ゆっくりと頷いた。
「みんなを守るための魔法ですから」
「はい」
「私たちが、それを壊してしまってはいけませんね」
イリスが、優しく微笑む。
「ええ」
メイビスも、静かに笑った。
「……待ちましょう」
「はい」
「妖精の球が、自然に解除されるまで」
その言葉に、イリスは頷いた。
いつになるかは、分からない。
一年後かもしれない。
もっと先かもしれない。
それでも。
仲間たちが帰ってくる可能性があるのなら。
二人は、その日を待つことにした。
◇
夕暮れ。
海が、黄金色に染まっていた。
イリスとメイビスは、静かに並んで立っていた。
「……イリス」
「はい?」
「マカロフたち、きっと帰ってきますよね」
「……はい」
イリスが、穏やかに微笑む。
「私は、そう信じています」
「……私もです」
メイビスが、そっと頷いた。
そして。
「……でも」
少しだけ、表情を曇らせる。
「みんなが帰ってくるまで、妖精の尻尾はどうなるんでしょう」
「…………」
「マカロフも、エルザも、ナツも……」
メイビスが、海を見つめる。
「たくさんの仲間が、いなくなってしまいました」
妖精の尻尾。
百年近く前、自分たちが創設したギルド。
たくさんの仲間が集まり。
笑い合い。
時には喧嘩をして。
それでも、家族のように支え合ってきた場所。
「……残されたみんなも、不安だと思います」
メイビスが、小さく呟いた。
「これから、どうすればいいのか……」
そのとき。
イリスが、そっとメイビスの手を握った。
「……メイビス」
「……はい?」
「大丈夫ですよ」
イリスは、いつものように微笑んでいた。
穏やかで。
優しくて。
そして、どこまでも頼もしい笑顔。
「私たちが、いるじゃないですか」
「……!」
メイビスが、目を見開いた。
「妖精の尻尾は、私たちにとっても大切な家族です」
「…………」
「だから、皆さんが帰ってくるまで……」
イリスは、夕日に染まる海を見つめた。
かつて、二人が出会った島。
妖精の尻尾が生まれた場所。
今は、もう見えない。
けれど。
あの日から続いてきた絆は、消えていない。
イリスは、メイビスへ顔を向けた。
そして、にっこりと微笑んだ。
「帰ってくる場所は、私たちが守ればいいんです」
【こそこそ妖精話】
~二代目マスターの葛藤~
X784年。
天狼島。
悪魔の心臓のマスター、ハデス。
その正体は、かつて妖精の尻尾を創設した五人の一人。
プレヒト・ゲイボルグだった。
ナツ「なあ、じいさん!」
ハデス「……何じゃ」
ナツ「イリスとメイビスのこと、知ってんだろ!?」
ハデス「…………」
その二つの名前を聞いた瞬間。
ハデスの表情が、わずかに変わった。
ハデス「……無論じゃ」
ルーシィ「初代マスターたちと、一緒にギルドを作ったんですよね?」
ハデス「……ああ」
エルザ「ならば、なぜ妖精の尻尾を離れ、闇のギルドを率いているのですか?」
ハデス「…………」
老人は、答えなかった。
ただ、遠い昔を思い出していた。
天狼島。
まだ妖精の尻尾が存在しなかった頃。
メイビス。
イリス。
ユーリ。
ウォーロッド。
そして、自分。
五人で笑い合い、未来を語った日々。
ハデス「……あやつらは、今も変わらぬのか?」
グレイ「……ああ。相変わらずだぜ」
ルーシィ「メイビスさんは、いつも楽しそうに魔法の研究をしてるわ」
エルザ「イリスさんも、私たちのことを温かく見守ってくださっている」
ナツ「二人とも、すっげえ強いんだぞ!」
ハデス「……そうか」
ハデスは、小さく目を伏せた。
百年近い歳月。
その間に、あまりにも多くのものが変わった。
ユーリは、もういない。
ウォーロッドとも、長く会っていない。
そして自分は、かつて創設したギルドと敵対している。
それなのに。
あの二人だけは、今も変わらず一緒にいる。
ハデス「……メイビスは、幸せそうか?」
その問いに、ナツたちは少し驚いた。
ルーシィ「……え?」
ハデス「…………」
ルーシィ「……ええ。いつも笑ってるわ」
グレイ「イリスと一緒にいるときなんか、特にな」
ハデス「…………そうか」
その声は、ひどく静かだった。
かつて、自分が救おうとした少女。
そのために、あらゆる魔法を研究した。
しかし、辿り着いたのは、闇の深淵。
自分は、何を求めていたのだろう。
メイビスを救いたかったのか。
それとも。
いつしか、魔法の深淵そのものに魅入られてしまったのか。
答えは、もう分からない。
ナツ「……じいさん?」
ハデス「……ふっ」
ハデスは、ゆっくりと顔を上げた。
ハデス「……ならば、よい」
エルザ「……?」
ハデス「少なくとも、あやつらが笑っておるのならな」
その言葉に、かつての二代目マスターの面影が、一瞬だけ覗いた。
しかし。
ハデス「……さて」
次の瞬間。
老人の瞳に、再び鋭い光が宿る。
ハデス「昔話は、ここまでじゃ」
膨大な魔力が、周囲を震わせた。
ハデス「わしは、わしの道を進む」
ナツ「……ああ!」
ナツが、拳に炎を灯す。
ナツ「だったら、俺たちは俺たちの道を行くだけだ!!」
かつての妖精と、今を生きる妖精。
その想いが、天狼島で交差する。
――そして、遠く離れたギルティナ大陸。
メイビス「……くしゅん!」
イリス「おや? 風邪ですか?」
メイビス「いえ……なんだか、懐かしい人に呼ばれた気がします」
イリス「……懐かしい人、ですか?」
メイビス「はい!」
メイビスは、少しだけ首を傾げた。
メイビス「……でも、誰でしょう?」
イリス「ふふっ。いつか会えるといいですね」
メイビス「……はい!」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。