妖精と聖剣使い   作:使い手なない

2 / 2
第2話「妖精と聖剣使いの小さな友情」

 

第一幕 天狼島での目覚め

 

X686年 ― 天狼島

 

 朝の光が、静かな部屋に差し込んでいた。

 

 窓の外から聞こえてくるのは、小鳥たちのさえずり。

 

 柔らかな風が木々を揺らし、葉の擦れ合う音が心地よく響いている。

 

「……ん」

 

 寝台の上で、一人の少女が身じろぎした。

 

 黒く美しい髪が枕の上に広がり、やがて青と金の瞳がゆっくりと開かれる。

 

「……朝、ですか」

 

 イリス・アストレアは、小さく呟いた。

 

 見慣れない天井。

 

 知らない部屋。

 

 そして、窓の向こうに広がる深い森。

 

「…………」

 

 数秒ほど、その光景を眺める。

 

 やがて、昨日の出来事が脳裏によみがえった。

 

 魔法学院からの突然の転移。

 

 見知らぬ森。

 

 天狼島という名前。

 

 そして――。

 

「……メイビスさん」

 

 昨日出会った金髪の少女の顔を思い浮かべる。

 

 初対面にもかかわらず、自分を快く迎え入れてくれた少女。

 

 魔法の話になると目を輝かせ、次から次へと質問を投げかけてきた姿が印象的だった。

 

「ふふっ……」

 

 思わず笑みがこぼれる。

 

 昨日は、本当に不思議な一日だった。

 

 知らない世界へ来てしまったという不安は、今も胸の奥に残っている。

 

 それでも、あの少女と出会えたことは幸運だったのだろう。

 

「……さて」

 

 イリスは寝台から身体を起こした。

 

「今日も一日、頑張りましょうか」

 

 誰に聞かせるでもなく呟き、窓の外へ視線を向ける。

 

 朝日に照らされた森は、昨日とはまた違った美しさを見せていた。

 

 その光景に、イリスの瞳がわずかに輝く。

 

「……綺麗ですね」

 

 知らない世界。

 

 知らない土地。

 

 けれど、そこには確かに、自分の知らない美しい景色が広がっていた。

 

 イリスはしばらく窓辺に立ち、朝の森を眺めていた。

 

――――――――――

 

第二幕 妖精の朝

 

「おはようございます、メイビスさん」

 

「あっ! イリスさん!」

 

 部屋を出たイリスを迎えたのは、元気な声だった。

 

 古い建物の一室。

 

 そこでは、メイビス・ヴァーミリオンが机の上に何冊もの本を広げていた。

 

「おはようございます!」

 

「ふふっ。朝から読書ですか?」

 

「はい!」

 

 メイビスは嬉しそうに頷いた。

 

「昨日、イリスさんとお話ししていたら、気になることがたくさん増えてしまいまして!」

 

「……もしかして、ずっと調べていたんですか?」

 

「えへへ……少しだけです」

 

 その返事に、イリスは机の上を見た。

 

 積み重ねられた本。

 

 開かれた魔導書。

 

 書き留められた細かな文字。

 

 どう見ても、少しだけという量ではなかった。

 

「……メイビスさん」

 

「はい?」

 

「ちゃんと眠りましたか?」

 

「…………」

 

 メイビスの視線が、そっと横へ逸れた。

 

「……メイビスさん?」

 

「ね、眠りましたよ?」

 

「本当ですか?」

 

「……ちょっとだけ」

 

 イリスは思わず苦笑した。

 

「もう……無理をなさらないでくださいね」

 

「でも、イリスさんが帰る方法を探したくて……」

 

 その言葉に、イリスは一瞬だけ目を見開いた。

 

 自分のために。

 

 昨日出会ったばかりの自分のために、この少女は夜遅くまで本を調べてくれていたのだ。

 

「……ありがとうございます」

 

 イリスは静かに頭を下げた。

 

「ですが、メイビスさんが体調を崩してしまっては困ります」

 

「うっ……」

 

「これからは、一緒に調べましょう?」

 

 そう言って、柔らかく笑う。

 

「その方が、きっと楽しいですから」

 

 メイビスはぱちぱちと瞬きをした。

 

 そして、嬉しそうに頷いた。

 

「はい!」

 

 その笑顔につられるように、イリスも笑った。

 

「それでは、まずは朝食にしましょうか」

 

「朝食!」

 

「はい。お腹が空いていては、勉強にも集中できませんから」

 

「それは確かに!」

 

 メイビスは勢いよく立ち上がった。

 

 しかし、その直後。

 

「……あ」

 

「どうしました?」

 

「……本を片づけないと」

 

 机の上には、所狭しと広げられた本の山。

 

 イリスはそれを見つめ、それからメイビスへ視線を戻した。

 

「……ふふっ」

 

「わ、笑わないでください!」

 

「すみません。なんだか、学院の図書館を思い出してしまって」

 

「図書館?」

 

「ええ。夢中になって本を読んでいるうちに、机が本でいっぱいになってしまう方がいたんです」

 

「へぇ……!」

 

 メイビスの目が輝く。

 

「その人とは、気が合いそうですね!」

 

「……私も、そう思います」

 

 二人の笑い声が、朝の部屋に響いた。

 

 昨日までは、互いの存在すら知らなかった二人。

 

 けれど、こうして言葉を交わしていると、不思議とぎこちなさは感じられなかった。

 

 イリスは机の本を片づけながら、ふと考える。

 

 この世界での生活も、案外悪いことばかりではないのかもしれない。

 

 少なくとも。

 

 退屈することだけは、なさそうだった。

 

――――――――――

 

第三幕 知らない景色を求めて

 

 朝食を終えたあと。

 

 二人は窓辺に並んで座っていた。

 

 メイビスは本を膝の上に置き、イリスは窓の外へ視線を向けている。

 

「……イリスさん?」

 

「はい?」

 

「さっきから、外を見ていますね」

 

「あ……すみません」

 

 イリスは少し恥ずかしそうに笑った。

 

「つい、景色に見とれてしまって」

 

「景色、ですか?」

 

「はい」

 

 イリスは窓の外を指さした。

 

「昨日も思いましたが、この島は本当に自然が豊かですね。あんなに大きな樹も、私の故郷ではなかなか見られません」

 

「天狼樹ですね!」

 

「天狼樹……」

 

「はい! この島で一番大きな樹です!」

 

 メイビスは誇らしげに胸を張った。

 

「とっても立派でしょう?」

 

「ええ。本当に」

 

 イリスは穏やかに頷いた。

 

 そして、少し懐かしそうに続ける。

 

「実は私、いろいろな場所へ行って、景色を見るのが好きなんです」

 

「そうなんですか?」

 

「はい」

 

 イリスの表情が、少し明るくなる。

 

「山の上から見下ろす街並みや、夕日に染まる海。それから、雪に覆われた森や、星空の綺麗な草原……」

 

 言葉とともに、故郷で見てきた景色が思い浮かぶ。

 

「同じ場所でも、季節や時間によって全然違う表情を見せてくれるんですよ」

 

「わぁ……!」

 

 メイビスは興味深そうに身を乗り出した。

 

「イリスさん、いろいろなところへ行ったことがあるんですね!」

 

「ええ。学院がお休みのときなどに、少し遠くまで足を延ばすこともありました」

 

「いいですねぇ……!」

 

 メイビスは目を輝かせた。

 

「私も、いろいろな景色を見てみたいです!」

 

「ふふっ。メイビスさんなら、きっと楽しめると思いますよ」

 

「はい!」

 

 そこで、メイビスは何かを思いついたように顔を上げた。

 

「あっ!」

 

「どうしました?」

 

「それなら、イリスさん!」

 

 メイビスは勢いよく立ち上がった。

 

「私のお気に入りの場所へ行ってみませんか!?」

 

「……お気に入りの場所?」

 

「はい!」

 

 金色の髪を揺らしながら、メイビスは嬉しそうに続ける。

 

「この島には、綺麗な場所がたくさんあるんです!」

 

「そうなんですか?」

 

「もちろんです! 森も、海も、丘も! それに、とっておきの場所もあるんですよ!」

 

「とっておきの場所……」

 

 イリスの瞳が輝いた。

 

「それは、ぜひ見てみたいですね」

 

「でしょう!?」

 

 メイビスは満面の笑みを浮かべた。

 

「では、決まりですね!」

 

「ふふっ。よろしくお願いします」

 

 こうして、二人の小さな島巡りが始まった。

 

――――――――――

 

第四幕 森を歩く二人

 

 天狼島の森は、朝の光に満ちていた。

 

 木々の間から差し込む陽光が、地面に柔らかな模様を描いている。

 

 鳥たちの歌声。

 

 葉の揺れる音。

 

 どこからか聞こえてくる、水の流れる音。

 

「こっちです、イリスさん!」

 

「はい。今行きます」

 

 メイビスは慣れた足取りで森を進んでいく。

 

 その後ろを、イリスがゆっくりと歩いていた。

 

 もっとも、歩みが遅いのは疲れているからではない。

 

「……あら」

 

 イリスは足元に咲く小さな花を見つけ、しゃがみ込んだ。

 

「可愛らしい花ですね」

 

「それ、島のあちこちに咲いているんですよ!」

 

「そうなんですか?」

 

「はい! 日当たりのいい場所に多いんです!」

 

 メイビスも隣にしゃがみ込む。

 

 二人はしばらく、小さな花を眺めていた。

 

「私の故郷にも、似た花がありました」

 

「へぇ! どんな花ですか?」

 

「花びらの形はよく似ていますが、もう少し淡い色でしたね」

 

「見てみたいです!」

 

「ふふっ。いつか、お見せできたらいいですね」

 

 そう言ってから、イリスは少しだけ口を閉じた。

 

 いつか。

 

 その言葉が、胸の奥に小さく引っかかった。

 

 自分は本当に、故郷へ帰れるのだろうか。

 

 帰れたとして、メイビスを連れていくことなどできるのだろうか。

 

「……イリスさん?」

 

「あ……」

 

 顔を上げると、メイビスがこちらを見ていた。

 

「どうかしましたか?」

 

「いえ。少し、考え事をしてしまいました」

 

「そうですか?」

 

「はい」

 

 イリスは立ち上がる。

 

 そして、いつものように笑った。

 

「それより、次はどちらへ?」

 

「あっ! そうでした!」

 

 メイビスはぱっと顔を輝かせた。

 

「こっちです!」

 

 再び歩き始める二人。

 

 途中、小さな小川を渡った。

 

 木々の間を抜け、陽の当たる草原を通り過ぎる。

 

 メイビスは道中、次から次へと島のことを教えてくれた。

 

 どこに行けば綺麗な花が見られるのか。

 

 どの木に鳥が巣を作っているのか。

 

 雨が降ったあと、どの場所に水たまりができるのか。

 

 どれも、地図や本には載っていないような小さな話だった。

 

 けれど、イリスにはそれが面白かった。

 

「メイビスさんは、本当にこの島のことをよくご存じなんですね」

 

「えへへ……長く住んでいますから!」

 

「それでも、これだけ詳しいのはすごいと思いますよ」

 

「そうでしょうか?」

 

「はい」

 

 イリスは周囲の木々を見渡した。

 

「同じ場所に長くいても、気づかないことはたくさんありますから」

 

「…………」

 

「メイビスさんは、きっと普段からいろいろなものを見ているんですね」

 

 メイビスは少し驚いたように目を瞬かせた。

 

 それから、照れくさそうに笑った。

 

「……ありがとうございます!」

 

 イリスも笑う。

 

 そのとき。

 

「あっ、そうだ!」

 

 メイビスが突然、後ろを振り返った。

 

「ゼーラも、この先の景色が好きなんですよ!」

 

「……ゼーラさんも?」

 

「はい!」

 

 メイビスは嬉しそうに頷いた。

 

「よく一緒に行くんです!」

 

「そうなんですね」

 

 イリスは穏やかに答えた。

 

 ゼーラ。

 

 昨日、メイビスが紹介してくれた大切な友達。

 

 けれど、イリスはまだその姿を見ていない。

 

 今も、周囲にほかの人の気配は感じられなかった。

 

「…………」

 

 ほんの少しだけ、不思議に思う。

 

 しかし、すぐに考えるのをやめた。

 

 この世界には、自分の知らない魔法がある。

 

 それに、メイビスが楽しそうに話しているのなら、今はそれで十分だった。

 

「では、ゼーラさんもお気に入りの場所なんですね」

 

「はい!」

 

 メイビスは嬉しそうに笑った。

 

「きっと、イリスさんも気に入ると思います!」

 

「それは楽しみです」

 

 二人は再び歩き始めた。

 

 木漏れ日の中。

 

 小さな足音が、静かな森に響いていた。

 

――――――――――

 

第五幕 お気に入りの場所

 

「もう少しです!」

 

 メイビスがそう言ったのは、森を歩き始めてしばらく経ったころだった。

 

 周囲の木々が、少しずつまばらになっていく。

 

 風の匂いが変わった。

 

 森の湿った土の香りに混じって、どこか懐かしい潮の香りが漂ってくる。

 

「……海?」

 

 イリスが呟くと、メイビスは嬉しそうに振り返った。

 

「ふふっ。もうわかっちゃいましたか?」

 

「ええ。潮風が感じられますから」

 

「それなら、あと少しです!」

 

 メイビスは足を速めた。

 

 イリスもその後を追う。

 

 そして――。

 

「着きました!」

 

 木々の向こう。

 

 視界が、一気に開けた。

 

「…………!」

 

 イリスは思わず足を止めた。

 

 そこは、海を見渡せる小高い丘だった。

 

 柔らかな草が一面に広がり、色とりどりの小さな花が風に揺れている。

 

 丘の向こうには、どこまでも続く青い海。

 

 太陽の光を受けた水面が、無数の宝石を散りばめたように輝いていた。

 

 遠くには、水平線。

 

 空と海の境界が、淡い青の中に溶け込んでいる。

 

 そして、背後を振り返れば。

 

 天を覆うほど巨大な天狼樹が、島全体を見守るようにそびえ立っていた。

 

「……わぁ」

 

 イリスの口から、小さな声が漏れた。

 

 しばらく、言葉が出てこなかった。

 

 ただ、目の前の景色を見つめる。

 

 風が吹いた。

 

 黒い髪がふわりと揺れ、頬を優しく撫でていく。

 

「……綺麗」

 

 今度は、はっきりと声に出した。

 

「本当に……綺麗な場所ですね」

 

 その言葉に、メイビスは満足そうに笑った。

 

「でしょう!?」

 

「はい!」

 

 イリスは振り返った。

 

 青と金の瞳が、朝日を受けて輝いている。

 

「こんなに素敵な場所を教えていただけるなんて……ありがとうございます、メイビスさん!」

 

「えへへ……!」

 

 メイビスは嬉しそうに頬を緩めた。

 

「気に入ってもらえて、よかったです!」

 

「もちろんです!」

 

 イリスはもう一度、海へ視線を向ける。

 

「……私、いろいろな景色を見てきましたけれど」

 

 そして、静かに続けた。

 

「この景色も、きっと忘れられないものになると思います」

 

「……!」

 

 メイビスは少し驚いたように目を見開いた。

 

 それから、柔らかく笑った。

 

「……嬉しいです」

 

 二人は丘の上に並んで座った。

 

 眼下には、どこまでも続く海。

 

 頭上には、澄み渡る青空。

 

 風が草花を揺らし、心地よい音を奏でている。

 

 しばらく、二人は何も言わずに景色を眺めていた。

 

 沈黙は、不思議と気まずくなかった。

 

 むしろ、言葉にしなくても同じ景色を楽しめることが、心地よかった。

 

――――――――――

 

第六幕 二人の身の上話

 

「……イリスさん」

 

「はい?」

 

 海を眺めていたメイビスが、ふと口を開いた。

 

「イリスさんの故郷にも、こんな場所はあるんですか?」

 

「そうですね……」

 

 イリスは少し考えた。

 

「似た景色なら、ありますよ」

 

「本当ですか!?」

 

「はい」

 

 懐かしい光景が、脳裏に浮かぶ。

 

「私の故郷には、海に面した大きな街があるんです」

 

「海の街……!」

 

「ええ。白い建物が並んでいて、港にはたくさんの船が停まっているんですよ」

 

「わぁ……!」

 

 メイビスは目を輝かせた。

 

「素敵ですね!」

 

「ふふっ。とても賑やかな街でした」

 

 イリスは遠くの水平線を見つめた。

 

「夕方になると、建物が夕日に染まって……海まで金色に見えるんです」

 

「金色の海……」

 

「はい。初めて見たときは、私も驚きました」

 

「いいですねぇ……!」

 

 メイビスはうっとりとした表情を浮かべた。

 

「私も、いつか見てみたいです!」

 

「きっと気に入ると思いますよ」

 

 イリスは楽しそうに続ける。

 

「ほかにも、雪に覆われた山々や、夜になると星が降ってきそうなほど綺麗な草原もありました」

 

「星が降ってきそうな草原!?」

 

「ええ。周囲に明かりがほとんどないので、空いっぱいに星が見えるんです」

 

「すごい……!」

 

 メイビスは空を見上げた。

 

「本の中でしか知らない景色が、たくさんあるんですね」

 

「……そうですね」

 

 イリスは静かに頷いた。

 

「私も、初めて見たときは感動しました」

 

 そして、少しだけ笑う。

 

「だから、もっといろいろな場所へ行ってみたいと思うようになったんです」

 

「なるほど……!」

 

 メイビスは納得したように頷いた。

 

「イリスさんは、冒険が好きなんですね!」

 

「ふふっ。そうかもしれません」

 

 イリスは海を眺めた。

 

「知らない場所へ行くのは、少し怖いこともありますけれど……」

 

 そこで、一度言葉を切る。

 

「それ以上に、どんな景色が待っているのか楽しみなんです」

 

「…………」

 

 メイビスは、その横顔をじっと見つめていた。

 

 やがて、ぽつりと呟く。

 

「……なんだか、わかる気がします」

 

「メイビスさん?」

 

「私も、本を読んでいるとき、似たような気持ちになるんです」

 

 メイビスは膝を抱えた。

 

「知らない国のことや、昔の出来事。まだ見たことのない魔法や、不思議な生き物……」

 

 その声には、楽しそうな響きがあった。

 

「本を開くと、知らない世界がたくさん広がっているんです」

 

「……なるほど」

 

「だから、ついつい夢中になっちゃうんですよね」

 

 メイビスは照れくさそうに笑った。

 

「気づいたら、夜になっていることもありますし」

 

「……それは、昨日のことですか?」

 

「うっ」

 

 イリスの言葉に、メイビスが固まった。

 

 数秒の沈黙。

 

 そして。

 

「ふふっ……!」

 

「あっ! イリスさん、また笑いましたね!」

 

「す、すみません……!」

 

 イリスは口元を押さえた。

 

「でも、メイビスさんらしいなと思いまして」

 

「もう……!」

 

 メイビスは頬を膨らませた。

 

 しかし、すぐに自分も笑い始める。

 

「あははっ!」

 

「ふふふっ……!」

 

 二人の笑い声が、丘の上に響いた。

 

 風が吹き抜ける。

 

 草花が揺れ、海がきらきらと輝いていた。

 

 やがて、笑いが収まると。

 

 メイビスが、ふと尋ねた。

 

「……イリスさんは、魔法学院が好きだったんですか?」

 

「……え?」

 

「昨日、学院のお話をしていたとき、とても楽しそうだったので」

 

 イリスは少し驚いた。

 

 そんなところまで、見ていたのだろうか。

 

「……はい」

 

 そして、ゆっくりと頷いた。

 

「大好きでした」

 

 魔法学院。

 

 そこには、たくさんの思い出があった。

 

 授業で難しい魔法理論に頭を悩ませたこと。

 

 剣術の訓練で、何度も汗を流したこと。

 

 友人たちと一緒に食事をしたこと。

 

 何気ないことで笑い合ったこと。

 

「……毎日、いろいろなことがありました」

 

 イリスは懐かしそうに目を細めた。

 

「大変なこともありましたけれど、それも含めて楽しかったです」

 

「……そうなんですね」

 

「はい」

 

 少しだけ、声が静かになる。

 

「……今頃、みんな心配しているかもしれません」

 

 昨日まで、当たり前のようにそばにいた人たち。

 

 今は、遠く離れた世界にいる。

 

 その事実を思うと、胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

「…………」

 

 メイビスは、しばらく黙っていた。

 

 そして、そっと口を開く。

 

「……イリスさん」

 

「はい?」

 

「きっと、帰れますよ」

 

 イリスは目を瞬かせた。

 

 メイビスは、まっすぐに彼女を見つめていた。

 

「まだ方法はわかりませんけど……」

 

 そこで、にっこりと笑う。

 

「一緒に探せば、きっと何か見つかります!」

 

「…………」

 

 イリスは、しばらく言葉を返せなかった。

 

 何の根拠もない言葉。

 

 そう言ってしまえば、それまでかもしれない。

 

 けれど。

 

 目の前の少女が、本気でそう思ってくれていることは伝わってきた。

 

「……そうですね」

 

 イリスは、ゆっくりと笑った。

 

「ありがとうございます、メイビスさん」

 

「いえいえ!」

 

 メイビスは元気よく答えた。

 

「私も、もっとイリスさんの世界のことを知りたいですから!」

 

「ふふっ。そうでしたね」

 

「はい!」

 

 その笑顔を見ていると、不思議と胸の奥が温かくなる。

 

 帰る方法は、まだ見つかっていない。

 

 これからどうなるのかも、わからない。

 

 それでも。

 

 この世界で、こんなふうに誰かと笑い合えることが、少し嬉しかった。

 

――――――――――

 

第七幕 友達という言葉

 

 太陽が、少しずつ西へ傾き始めていた。

 

 青かった海は、淡い金色を帯び始めている。

 

 二人は相変わらず、丘の上に座っていた。

 

 話題は、次から次へと変わっていった。

 

 好きな本のこと。

 

 苦手な食べ物のこと。

 

 魔法学院での出来事。

 

 天狼島で見つけた不思議な植物。

 

 ときには笑い、ときには驚きながら、二人は言葉を交わした。

 

 やがて、イリスはふと気づいた。

 

 昨日出会ったばかりの相手と、こんなにも自然に話している。

 

 それが、少し不思議だった。

 

「……メイビスさん」

 

「はい?」

 

「今日は、本当に楽しかったです」

 

「私もです!」

 

 メイビスは嬉しそうに笑った。

 

「イリスさんのお話、もっと聞きたいです!」

 

「ふふっ。私も、メイビスさんのお話をもっと聞きたいです」

 

「それなら、また来ましょう!」

 

「……いいんですか?」

 

「もちろんです!」

 

 メイビスは当たり前のように答えた。

 

「今度は、別の場所も案内しますよ!」

 

「それは楽しみですね」

 

 イリスは笑った。

 

 そして、少しだけ考える。

 

 昨日まで、メイビスは見知らぬ少女だった。

 

 突然現れた自分を助けてくれた、親切な人。

 

 けれど、今は。

 

 ただ親切にしてくれた人、というだけではない気がした。

 

 一緒に景色を眺めたい。

 

 もっと話をしてみたい。

 

 明日も、明後日も。

 

 そんなふうに思える相手だった。

 

「……あの、メイビスさん」

 

「はい?」

 

 イリスは、少しだけ迷った。

 

 こんなことを、わざわざ尋ねるのはおかしいだろうか。

 

 けれど、どうしても聞いてみたくなった。

 

「……私たち、もう友達と呼んでもいいのでしょうか?」

 

「……え?」

 

 メイビスが目を瞬かせた。

 

 イリスは少し恥ずかしそうに笑う。

 

「あ、いえ……突然すみません」

 

「…………」

 

「昨日出会ったばかりですし、まだお互いのことも知らないことばかりですけれど……」

 

 そこで、一度言葉を切った。

 

 そして、まっすぐにメイビスを見る。

 

「私は、メイビスさんと友達になれたら嬉しいなと思いまして」

 

 風が吹いた。

 

 黒い髪が揺れ、金色の髪がふわりと舞う。

 

 メイビスは、しばらくイリスを見つめていた。

 

 そして――。

 

「……ふふっ」

 

 小さく笑った。

 

「……メイビスさん?」

 

「イリスさん」

 

「はい?」

 

 メイビスは、満面の笑みを浮かべた。

 

「私はもう、友達だと思っていましたよ?」

 

「…………え?」

 

 今度は、イリスが目を瞬かせる番だった。

 

「……もう、ですか?」

 

「はい!」

 

 メイビスは大きく頷いた。

 

「だって、一緒に本を読んで、いろいろお話しして、こうして景色を見に来て……」

 

 そして、少しだけ首を傾げる。

 

「それって、もう友達じゃありませんか?」

 

「…………」

 

 イリスは、しばらく言葉を失った。

 

 友達。

 

 たった、それだけの言葉。

 

 けれど。

 

 今の彼女にとっては、思っていた以上に嬉しいものだった。

 

「……ふふっ」

 

 やがて、小さく笑う。

 

「……そうですね」

 

 そして、少し照れくさそうに続けた。

 

「私が、考えすぎていたみたいです」

 

「そうですよ!」

 

 メイビスは楽しそうに笑った。

 

「もっと気楽に考えていいんです!」

 

「ふふっ。はい」

 

 二人は顔を見合わせた。

 

 そして、自然と笑い合った。

 

 特別な約束を交わしたわけではない。

 

 何か大きな出来事があったわけでもない。

 

 ただ、一緒に過ごして。

 

 話して。

 

 笑って。

 

 気がつけば、友達になっていた。

 

 それだけのことだった。

 

 けれど。

 

 イリスにとって、その小さな出来事は、確かに大切なものだった。

 

「……メイビスさん」

 

「はい?」

 

「これからも、よろしくお願いしますね」

 

 イリスは、穏やかに笑った。

 

 メイビスも、嬉しそうに笑う。

 

「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」

 

 夕暮れの丘に、二人の声が響いた。

 

――――――――――

 

終幕 夕焼けの帰り道

 

 帰り道。

 

 森は、夕日に染まり始めていた。

 

 木々の間から差し込む橙色の光が、地面に長い影を落としている。

 

「今日は、ありがとうございました」

 

 イリスがそう言うと、メイビスは不思議そうに振り返った。

 

「どうしてお礼を言うんですか?」

 

「え?」

 

「私も楽しかったですから!」

 

 メイビスは嬉しそうに笑った。

 

「それに、友達なんですから!」

 

「…………」

 

 イリスは、一瞬だけ足を止めた。

 

 友達。

 

 その言葉が、胸の奥に静かに染み込んでいく。

 

「……ふふっ」

 

「イリスさん?」

 

「いえ」

 

 イリスは首を横に振った。

 

「なんでもありません」

 

 そして、柔らかく笑う。

 

「……そうですね。友達ですものね」

 

「はい!」

 

 二人は並んで歩き始めた。

 

 森の向こうでは、鳥たちが巣へ帰っていく。

 

 風が葉を揺らし、夕暮れの静けさが少しずつ島を包み込んでいた。

 

「そういえば、イリスさん!」

 

「はい?」

 

「明日は、どこへ行きましょうか?」

 

「……もう明日の予定ですか?」

 

「もちろんです!」

 

 メイビスは楽しそうに答えた。

 

「まだまだ、見せたい場所がたくさんあるんですよ!」

 

「ふふっ。それは困りましたね」

 

「えっ?」

 

「そんなに素敵な場所があるのなら、全部見たくなってしまいます」

 

「……!」

 

 メイビスは一瞬驚いたあと、ぱっと笑顔になった。

 

「それなら、全部案内します!」

 

「本当ですか?」

 

「はい!」

 

 そして、得意げに胸を張る。

 

「天狼島のことなら、私に任せてください!」

 

「ふふっ。頼もしいですね」

 

 二人の笑い声が、夕暮れの森に響いた。

 

 やがて、木々の向こうに古い建物が見えてくる。

 

 昨日、イリスが初めて訪れた場所。

 

 そして、今はしばらくの間、自分が暮らすことになった場所。

 

 イリスは、その建物を見つめた。

 

 まだ、故郷へ帰る方法はわからない。

 

 これから何が起こるのかも、想像できない。

 

 けれど。

 

 昨日よりも、少しだけ。

 

 この世界が、近く感じられた。

 

「イリスさん!」

 

 先を歩いていたメイビスが振り返る。

 

「早く行きましょう!」

 

「はい!」

 

 イリスは笑顔で答えた。

 

 そして、小さく駆け出す。

 

 金色の髪を揺らす少女と。

 

 黒い髪をなびかせる少女。

 

 二人の足音が、夕暮れの道に重なっていく。

 

 それは、何でもない一日だった。

 

 大きな事件も、特別な魔法もない。

 

 ただ、二人の少女が一緒に景色を眺め、語り合い、友達になった。

 

 それだけの、小さな物語。

 

 けれど、その日見た海の輝きも。

 

 丘を吹き抜けた風も。

 

 交わした言葉も。

 

 いつか、かけがえのない思い出になっていくのだろう。

 

 まだ、誰も知らない未来。

 

 まだ、始まっていない冒険。

 

 そして、これから出会う多くの人々。

 

 そのすべてを知るには、まだ少し早い。

 

 今はただ。

 

 この穏やかな時間が、もう少しだけ続けばいい。

 

 そう思えるほどに、二人の少女は楽しそうだった。

 

 ――妖精と聖剣使い。

 

 二人の小さな友情は、天狼島の夕焼けの下で、静かに始まった。

 

――第2話 完――

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。