妖精と聖剣使い   作:使い手なない

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ブルースカルの両腕イメージ(AIイラスト)

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第20話「泥竜と聖剣使い」

 

 マグノリアの大通りに、重苦しい沈黙が落ちていた。

 

 先ほどまで街を支配していたブルースカルの魔導士たちは、すでに姿を消している。

 

 代わってイリスたちの前に現れたのは、二人の男だった。

 

 一人は、筋骨隆々とした大柄な男。

 

 獰猛な笑みを浮かべ、こちらを値踏みするように眺めている。

 

 もう一人は、落ち着いた雰囲気の細身の男。

 

 整った身なりとは裏腹に、その瞳にはどこか冷たい光が宿っていた。

 

「へぇ……こいつらか」

 

 大柄な男が、イリスたちを見渡す。

 

「たった五人で、うちの連中を叩きのめしたってのは」

 

「報告によれば、そういうことですね」

 

 細身の男が答えた。

 

「特に注意すべきは、あの剣を持った少女でしょう」

 

「ああ、聞いてるぜ。魔法を斬るんだってな?」

 

 男の視線が、イリスの聖剣に向けられる。

 

「面白ぇ。ちょうど退屈してたところだ」

 

 その言葉とともに、大柄な男の魔力が膨れ上がった。

 

 イリスの金色の瞳には、男の周囲に渦巻く魔力が、濁った光となって映っていた。

 

 隣に立つ細身の男も同様だ。

 

 こちらは静かに魔力を抑えているものの、その内側には底知れない力が潜んでいる。

 

 少なくとも、魔法を覚えたばかりの仲間たちが相手にできる存在ではない。

 

「……皆さん」

 

 イリスが静かに口を開いた。

 

「ここは私に任せて、先へ進んでください」

 

「はぁ!?」

 

 真っ先に声を上げたのはユーリだった。

 

「おいおい、何言ってんだ! 相手は二人だぞ!」

 

「分かっています」

 

「だったら――」

 

「だからこそ、です」

 

 イリスは穏やかに、しかしはっきりと言った。

 

「この二人は、私が引き受けます。皆さんには、街の人たちを助けてほしいんです」

 

「……イリスさん」

 

 メイビスが心配そうに見つめる。

 

「大丈夫、なんですよね?」

 

 イリスは振り返り、微笑んだ。

 

「はい。約束します。必ず追いつきますから」

 

 メイビスは少しの間、イリスを見つめていた。

 

 やがて、小さく頷く。

 

「……分かりました」

 

「メイビス!?」

 

「イリスさんを信じましょう。それに、私たちには私たちの役目があります」

 

 メイビスはユーリたちへ向き直った。

 

「先へ進みましょう。ただし、無理は禁物です。ブルースカルの本拠地に近づくほど、危険も増すはずですから」

 

「……ちっ。分かったよ」

 

 ユーリは不満そうに頭を掻いた。

 

「絶対に追いついてこいよ、イリス!」

 

「もちろんです」

 

 プレヒトとウォーロッドも、それぞれイリスに視線を向ける。

 

「無茶はするなよ」

 

「気をつけてね、イリスちゃん」

 

「ありがとうございます」

 

 四人は大通りの先へと駆けていった。

 

 大柄な男は、それを止めようともしなかった。

 

「いいのかよ、セヴェル。逃がしちまったぜ?」

 

「構いませんよ、ガルド。私たちが確認しに来たのは、あの少女です」

 

「だよなぁ!」

 

 ガルドと呼ばれた男が、拳を鳴らす。

 

「おい、剣使い。俺たちが用あんのは、お前だけだ。ほかの雑魚に興味はねぇ」

 

「……そうですか」

 

 イリスは静かに聖剣を抜いた。

 

 白銀の刀身が、陽光を受けて輝く。

 

「では、始めましょうか」

 

「ハッ! いいねぇ!」

 

 ガルドが獰猛に笑った。

 

「俺はガルド・ヴォルグ! ブルースカルの両腕の一人にして、泥の滅竜魔導士だ!」

 

 そして、地面を蹴る。

 

「てめぇの実力、見せてもらうぜ!」

 

 次の瞬間。

 

 巨体が、イリスの眼前に迫っていた。

 

     ◇

 

「泥竜の鉄拳!」

 

 泥をまとった拳が、唸りを上げて振り抜かれる。

 

 イリスは半歩横へ移動し、その一撃をかわした。

 

 拳が石畳を砕く。

 

 飛び散った破片を避けながら、イリスは聖剣を振るった。

 

「おっと!」

 

 ガルドは上体を反らして刃をかわす。

 

 そのまま身体をひねり、蹴りを繰り出した。

 

 イリスは剣を引き戻し、刀身でその軌道を逸らす。

 

 鈍い衝撃が腕に伝わった。

 

(……なるほど)

 

 単なる力任せの相手ではない。

 

 ガルドの動きには、実戦で磨かれた格闘技術があった。

 

 拳をかわされれば蹴りへ。

 

 蹴りを防がれれば、間合いを詰めて肘を振るう。

 

 攻撃のつながりが速い。

 

「どうしたどうした! 逃げてばっかじゃ勝てねぇぞ!」

 

 ガルドが笑う。

 

 イリスは答えず、踏み込んだ。

 

 聖剣が斜めに走る。

 

「っ!」

 

 ガルドが咄嗟に身を引く。

 

 刃が胸元の衣服を裂いた。

 

 続けざまに、イリスは手首を返して横薙ぎの一撃を放つ。

 

「うおっ!?」

 

 ガルドは大きく跳び退いた。

 

 その表情から、わずかに笑みが消える。

 

「……へぇ」

 

 裂けた衣服を見下ろし、再び口角を吊り上げた。

 

「やるじゃねぇか」

 

「あなたも、かなりの使い手ですね」

 

「ハッ! 褒めても何も出ねぇぞ!」

 

 再びガルドが突進する。

 

 今度は左右の拳が、絶え間なく繰り出された。

 

 イリスは一撃ごとに最小限の動きでかわし、聖剣で受け流す。

 

 剣の間合いに入れば斬撃。

 

 拳の間合いに踏み込まれれば、風魔法で身体を滑らせるように移動する。

 

 何度目かの交錯。

 

 ガルドの拳が空を切り、イリスの剣先が男の頬を浅く裂いた。

 

「……っ!」

 

 ガルドが後退する。

 

 頬に触れた指先に、赤い血が付着した。

 

「……なるほどな」

 

 その声から、先ほどまでの軽薄さが薄れていた。

 

「普通にやり合っても、てめぇの方が上ってわけか」

 

「……」

 

「だったら――」

 

 ガルドが地面に両手を叩きつけた。

 

「俺の土俵に引きずり込んでやるよ!」

 

 膨大な魔力が、地面へと流れ込む。

 

「泥竜の沼獄!」

 

 石畳が、波打った。

 

 硬いはずの地面が黒褐色の泥へと変わり、通り一帯が瞬く間に底なしの沼地へと姿を変えていく。

 

 建物の壁際まで泥が広がり、足場が失われていった。

 

「ハハハハッ!」

 

 ガルドが高笑いする。

 

「どうだ! これが俺の領域だ!」

 

 男の足元だけは、泥が盛り上がって身体を支えていた。

 

「この中じゃ、まともに動くこともできねぇだろ!」

 

 イリスは、足元へ視線を落とした。

 

 泥が靴先へ迫っている。

 

「……確かに」

 

 小さく呟く。

 

「地面に立つのは、難しそうですね」

 

「だろうが!」

 

「ですが――」

 

 イリスの周囲に、淡い光が灯った。

 

「地面に立つ必要はありませんから」

 

 光が形を成す。

 

 一本、二本、十本。

 

 白銀に輝く無数の光剣が、イリスの周囲へ現れた。

 

 そのうちの一本が、足元へ水平に移動する。

 

 イリスは軽く跳び上がり、その刀身へ着地した。

 

「……あ?」

 

 ガルドが目を見開く。

 

 さらに光剣が階段のように並び、空中へと続いていく。

 

 イリスは風をまといながら、次々と光剣を踏み、軽やかに高度を上げた。

 

 沼地の上空。

 

 そこには、無数の光剣が足場となって浮かんでいた。

 

「……おいおい、何だそりゃ」

 

 ガルドが呆れたように呟く。

 

「光魔法の応用です」

 

 イリスは一本の光剣の上に立ち、聖剣を構えた。

 

「これなら、問題ありませんね」

 

「……チッ!」

 

 ガルドが舌打ちする。

 

「だったら、引きずり下ろしてやる!」

 

     ◇

 

「泥竜の泥兵!」

 

 沼地が盛り上がった。

 

 一つ、二つ、十。

 

 人の形をした泥の塊が、次々と生まれていく。

 

 泥人形たちは腕を伸ばし、空中のイリスへ襲いかかった。

 

 イリスは光剣を蹴って移動する。

 

 伸びてきた泥の腕を聖剣で斬り払い、別の足場へ着地。

 

 そのまま振り返り、光剣の一本へ意識を向けた。

 

 光剣が、鋭く飛翔する。

 

 泥人形の胸を貫き、その身体を大きく崩した。

 

「へぇ! 足場だけじゃねぇのか!」

 

 ガルドが笑う。

 

「なら、数で押し潰してやる!」

 

 泥人形がさらに増える。

 

 沼地から次々と這い出し、イリスのいる空へと手を伸ばした。

 

 その光景を見下ろしながら、イリスは静かに息をついた。

 

「……数を増やすのですね」

 

「ああ! 俺の泥が尽きねぇ限り、いくらでも作れるぜ!」

 

「そうですか」

 

 イリスが左手を上げる。

 

「でしたら、こちらも増やしましょう」

 

 その背後に、光が灯った。

 

 一つ、二つ、十、二十。

 

 やがて、空を埋め尽くすほどの光剣が現れる。

 

 無数の刃が、同じ方向へ切っ先を向けた。

 

「……は?」

 

 ガルドの笑みが止まった。

 

「おい、待て。何本出してやがる……?」

 

 イリスは答えなかった。

 

 ただ、左手を静かに振り下ろす。

 

 次の瞬間。

 

 光の雨が降った。

 

「なっ――!?」

 

 無数の光剣が、泥人形たちへ一斉に降り注ぐ。

 

 胸を貫かれ、頭を砕かれ、手足を吹き飛ばされる泥人形たち。

 

 沼地から新たな泥人形が現れても、すぐさま次の光剣が襲いかかる。

 

 地上では泥が跳ね上がり、空中では白銀の光が乱舞した。

 

「くそっ! ふざけやがって!」

 

 ガルドが腕を振り上げる。

 

 泥の壁が立ち上がり、光剣を受け止めようとする。

 

 しかし、光剣は次々と角度を変え、壁の隙間から泥人形たちを貫いていった。

 

 イリスは光剣の足場を移動しながら、その様子を冷静に見つめている。

 

 背後には、なお数え切れないほどの光剣。

 

 魔力が尽きる気配など、微塵もなかった。

 

「……なるほど」

 

 少し離れた場所で戦闘を観察していたセヴェルが、興味深そうに呟く。

 

「光を剣の形に固定し、足場と攻撃の両方に利用している……それだけの数を維持して、なお魔力に余裕があるとは」

 

 細い指が、顎に触れた。

 

「実に興味深いですね」

 

「セヴェル! 見てねぇで何とかしろ!」

 

「一対一で戦いたいと言ったのは、君でしょう?」

 

「チッ……!」

 

 ガルドは歯を食いしばった。

 

 そして、両腕を大きく広げる。

 

「だったら、こいつはどうだ!」

 

 沼地全体が、大きく波打った。

 

 泥が渦を巻き、巨大な奔流となって空へ噴き上がる。

 

「泥竜の咆哮!」

 

 濁流のような泥が、イリスへ襲いかかった。

 

 光剣の足場をまとめて飲み込もうとする、広範囲の攻撃。

 

 イリスは即座に防御魔法を展開した。

 

 透明な障壁が、泥の奔流を受け止める。

 

 凄まじい衝撃が響き、泥が四方へ飛び散った。

 

 だが、障壁は破られない。

 

「……何だと!?」

 

 ガルドが目を見開く。

 

 泥の奔流が収まったとき、イリスは変わらず空中に立っていた。

 

 衣服に泥一つ付いていない。

 

「……今の攻撃は、危険でしたね」

 

 イリスが静かに告げる。

 

「防御魔法がなければ、まともに受け止めるのは難しかったと思います」

 

「だったら、もう一発――!」

 

 ガルドが魔力を高めようとした、そのとき。

 

 イリスの姿が消えた。

 

「……あ?」

 

 直後、頭上から声がした。

 

「こちらです」

 

「っ!?」

 

 ガルドが顔を上げる。

 

 イリスは光剣を蹴り、風魔法で一気に距離を詰めていた。

 

 白銀の聖剣が、陽光を反射する。

 

 ガルドは咄嗟に泥の腕を伸ばす。

 

 しかし、イリスの斬撃がそれを切り裂いた。

 

 続く一撃。

 

 ガルドは身をひねってかわしたものの、肩口に赤い線が走った。

 

「ぐっ!」

 

 男が大きく後退する。

 

 イリスは追撃せず、光剣の上へ着地した。

 

「……これ以上、続けますか?」

 

「……ハッ」

 

 ガルドが傷口を押さえながら笑った。

 

「当たり前だろうが」

 

 その瞳に、濁った光が宿る。

 

「てめぇ、随分と甘ぇな」

 

「……?」

 

「俺を殺せる機会なんざ、何度もあっただろ」

 

 イリスは答えなかった。

 

「なのに、急所は外す。追撃も途中で止める」

 

 ガルドは血の付いた指を舐め、獰猛に笑う。

 

「そんなに人殺しが嫌か?」

 

「……必要がなければ、命を奪うつもりはありません」

 

「ハハッ! そりゃ傑作だ!」

 

 ガルドが肩を揺らして笑う。

 

「だったら、俺が教えてやるよ。甘い考えがどういう結果を招くのかをな!」

 

 男の足元から、細長い泥の槍が伸びた。

 

 だが、その切っ先はイリスへ向いていない。

 

 大通りの先。

 

 メイビスたちが向かった方向だった。

 

「……!」

 

 イリスの表情が変わる。

 

「てめぇを殺したら、次はあいつらだ」

 

 ガルドが笑った。

 

「いや、先にあのガキどもを始末してやってもいいな。てめぇの目の前でよ!」

 

 泥の槍が、勢いよく射出される。

 

 イリスは即座に光剣を放った。

 

 白銀の刃が泥の槍を貫き、その軌道を大きく逸らす。

 

 泥の槍は無人の路面へ突き刺さり、砕け散った。

 

 その直後。

 

 イリスの周囲に、静かな魔力が満ちた。

 

「……今、何とおっしゃいましたか?」

 

 声は、穏やかだった。

 

 しかし、その響きは先ほどまでとは違っていた。

 

 ガルドは一瞬、眉をひそめる。

 

 だが、すぐに笑った。

 

「ああ? 聞こえなかったのか?」

 

 男はわざとらしく両手を広げる。

 

「てめぇが俺を殺さねぇなら、俺はあいつらを追いかける。捕まえたら、一人ずつ殺してやるよ」

 

「……そうですか」

 

 イリスが、ゆっくりと聖剣を構え直す。

 

 青と金の瞳が、まっすぐガルドを捉えた。

 

「……分かりました」

 

「……あ?」

 

「あなたがそこまでおっしゃるのでしたら」

 

 イリスは静かに告げる。

 

「私も、覚悟を決めます」

 

 その瞬間。

 

 ガルドの背筋を、冷たいものが走った。

 

 目の前の少女は、何も変わっていない。

 

 怒鳴ることも、憎悪を露わにすることもない。

 

 ただ、剣を構えているだけだ。

 

 それなのに。

 

(……何だ?)

 

 先ほどまでとは、明らかに違う。

 

「……もう、手加減はしません」

 

 イリスが一歩、踏み出した。

 

     ◇

 

 ガルドは反射的に拳を振り上げた。

 

「泥竜の鉄拳!」

 

 泥をまとった拳が、イリスへ迫る。

 

 しかし。

 

 白銀の閃光が走った。

 

「っ!?」

 

 ガルドは咄嗟に腕を引き戻す。

 

 次の瞬間、拳を覆っていた泥が切り裂かれ、地面へ落ちた。

 

 あとわずかでも遅れていれば、腕そのものが斬り落とされていただろう。

 

「……おいおい」

 

 ガルドが、引きつった笑みを浮かべる。

 

「今のは、本気で殺しにきただろ?」

 

「……はい」

 

 イリスは、静かに答えた。

 

 その短い返事に、ガルドの表情が歪む。

 

「……ハッ!」

 

 男は無理やり笑った。

 

「ようやく面白くなってきたじゃねぇか!」

 

 沼地が激しく波打つ。

 

 泥の腕が四方から伸び、イリスを捕らえようとした。

 

 イリスは光剣を足場に跳躍。

 

 空中で身体をひねり、伸びてきた泥の腕を次々と斬り払う。

 

 そして、一直線にガルドへ迫った。

 

「くそっ!」

 

 ガルドは泥の壁を展開する。

 

 だが、聖剣が閃いた瞬間、壁を構成していた魔法が断ち切られ、崩れ落ちた。

 

「なっ!?」

 

 ガルドの眼前に、イリスが現れる。

 

 男は咄嗟に拳を振り抜いた。

 

 イリスは半歩だけ身体をずらす。

 

 拳が、空を切った。

 

 すれ違いざま。

 

 白銀の聖剣が、横一文字に閃いた。

 

 ――一瞬の静寂。

 

 ガルドの右腕が、宙を舞った。

 

「…………は?」

 

 男は、自分の肩を見た。

 

 そこにあるはずの腕が、ない。

 

 遅れて、肩口から血が噴き出した。

 

「ぐ、ああああああああっ!!」

 

 絶叫が、大通りに響き渡る。

 

 ガルドは膝をつき、左手で傷口を押さえた。

 

 泥の領域が、不安定に波打つ。

 

 イリスは数歩先で振り返り、聖剣を構え直した。

 

「……これ以上、誰も傷つけさせません」

 

「ぐっ……て、てめぇ……!」

 

 ガルドが歯を食いしばる。

 

 その目には、もはや余裕など残っていなかった。

 

 そして。

 

「おい! セヴェル!!」

 

 男が叫んだ。

 

「いつまで見てやがる! さっさと手伝え!!」

 

 少し離れた場所で戦闘を眺めていたセヴェルが、深いため息をつく。

 

「……まったく」

 

 細身の男が、ゆっくりと歩き出した。

 

「最初から二人で戦えばよかったものを」

 

「うるせぇ! いいから治せ!」

 

 イリスは、わずかに眉を寄せた。

 

「……一対一の勝負ではなかったのですか?」

 

「ハッ……!」

 

 ガルドが、苦痛に顔を歪めながら笑う。

 

「勝てりゃ……何でもいいんだよ……!」

 

 セヴェルは呆れたように肩をすくめた。

 

「彼に約束を守るような誠実さを期待するのは、やめた方がいいですよ」

 

「……なるほど」

 

 イリスは静かに頷く。

 

「よく分かりました」

 

 セヴェルが片手を上げた。

 

 その周囲に、黒い水が浮かび上がる。

 

「さて。私の名はセヴェル・アクエリス」

 

 男は穏やかに微笑んだ。

 

「水の滅神魔導士です」

 

 次の瞬間。

 

「水神の裂刃」

 

 黒い水が、鋭い刃となって放たれた。

 

 凄まじい速度。

 

 水とは思えないほどの圧力を秘めた一撃が、イリスへ迫る。

 

 イリスは聖剣を振るった。

 

 白銀の刃が黒い水に触れた瞬間、その魔法構造が断ち切られる。

 

 高圧の水刃は形を失い、黒い飛沫となって消滅した。

 

「……ほう」

 

 セヴェルの瞳が、興味深そうに細められる。

 

「報告は本当だったようですね」

 

 イリスが聖剣を構え直す。

 

 だが、セヴェルはすでに次の魔法を発動していた。

 

「水神の再生」

 

 黒い水が、ガルドの失われた右肩を包み込む。

 

「ぐっ……!」

 

 ガルドが呻いた。

 

 黒い水の内側で、傷口が塞がっていく。

 

 骨が形成され、筋肉が生まれ、皮膚が再び形を成す。

 

 そして、ほんのわずかな時間の後。

 

 失われた右腕が、完全に再生していた。

 

「……なるほど」

 

 イリスが静かに目を細める。

 

「欠損した部位まで、再生できるのですね」

 

「ええ」

 

 セヴェルは、何でもないことのように答えた。

 

「私の専門分野の一つですので」

 

「……助かったぜ、セヴェル」

 

 ガルドがゆっくりと立ち上がる。

 

 再生した右腕を握り、開く。

 

 確かに、腕は元通りになっていた。

 

 だが、先ほどの感覚まで消えたわけではない。

 

 白銀の刃が閃いた瞬間。

 

 何が起きたのかさえ分からず、腕を失った。

 

 もし、あの刃が首を狙っていたら。

 

「……チッ」

 

 ガルドは舌打ちした。

 

 その視線は、イリスの持つ聖剣から離れない。

 

「……セヴェル」

 

「何です?」

 

「今度は、てめぇもちゃんと戦えよ」

 

「最初からそのつもりですよ」

 

 セヴェルは淡々と答えた。

 

「君一人では、彼女に勝てないようですからね」

 

「……分かってるよ」

 

 ガルドは不機嫌そうに吐き捨てた。

 

 その声に、先ほどまでの余裕はなかった。

 

 セヴェルは穏やかな笑みを浮かべたまま、黒い水を周囲へ展開する。

 

「それにしても……魔法を斬り、その構造そのものを消滅させる剣とは」

 

 その声には、隠しきれない好奇心が滲んでいた。

 

「ぜひ、詳しく調べてみたいものですね」

 

「……お断りします」

 

 イリスは即答した。

 

「ふふ。そうでしょうね」

 

 セヴェルが小さく笑う。

 

 その隣で、ガルドが再生した右拳に泥をまとわせた。

 

 だが、先ほどのように無謀な突進はしない。

 

 イリスの聖剣を警戒しながら、慎重に間合いを測っている。

 

 二人の魔力が、同時に膨れ上がった。

 

 黒い水と、濁った泥。

 

 異なる二つの滅殺魔法が、イリスへ向けられる。

 

 イリスは静かに息を吐いた。

 

 そして、聖剣を構え直す。

 

 その背後には、無数の光剣が浮かんでいた。

 

「……二人が相手でも」

 

 青と金の瞳が、まっすぐ敵を捉える。

 

「私のすることは、変わりません」

 

 守るべき仲間がいる。

 

 救うべき人々がいる。

 

 だからこそ、ここで退くわけにはいかない。

 

 白銀の聖剣が、静かに輝いた。

 

 ブルースカルの両腕。

 

 水の滅神魔導士、セヴェル・アクエリス。

 

 泥の滅竜魔導士、ガルド・ヴォルグ。

 

 その二人を前に、聖剣使いは一歩も退かなかった。

 

 ――戦いは、まだ終わらない。

 

 

 ――第20話 完――

 

 




【こそこそ妖精話】

メイビス「……イリスさん、大丈夫でしょうか」

ゼーラ「心配?」

メイビス「はい。イリスさんが強いことは分かっています。でも、相手は二人もいましたから……」

ゼーラ「だったら、残ればよかったじゃない」

メイビス「それは……」

ゼーラ「……なんてね。あんたがどうして先に進んだのかくらい、分かってるわよ」

メイビス「……イリスさんが、私たちを信じて任せてくれたからです」

ゼーラ「うん」

メイビス「だから私も、イリスさんを信じたいんです」

ゼーラ「だったら、そんな顔してないで前を向きなさいよ」

メイビス「……はい!」

ゼーラ「それに、あの子なら案外あっさり追いついてくるかもしれないわよ?」

メイビス「ふふっ。そうですね!」

ゼーラ「で、追いついてきたら何て言うの?」

メイビス「もちろん、『おかえりなさい、イリスさん!』です!」

ゼーラ「……それだけ?」

メイビス「え?」

ゼーラ「心配させた分、何か言ってやらないの?」

メイビス「うーん……では、お説教も追加しましょう!」

ゼーラ「いいじゃない」

メイビス「でも、イリスさんが謝ったら、すぐ許しちゃいそうです……」

ゼーラ「……あんた、お説教向いてないわね」

メイビス「そ、そんなことありませんよ!?」



ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。
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