妖精と聖剣使い   作:使い手なない

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第25話「見えない友達」

 

第一幕 戦いの終わった街

 

 マグノリアの街に、穏やかな朝が訪れていた。

 

 かつてブルースカルの旗が掲げられていた建物には、もうその姿はない。

 

 石畳には戦いの傷跡が残り、崩れた壁や焼け焦げた家屋も少なくなかった。それでも、街を行き交う人々の表情は、昨日までとは明らかに違っていた。

 

 誰かに怯える必要はない。

 

 理不尽な命令に従う必要もない。

 

 ようやく取り戻した自由を確かめるように、人々は少しずつ日常を取り戻し始めていた。

 

「よーし! こっちの瓦礫は片づいたぜ!」

 

 威勢のいい声とともに、ユーリが大きな木材を地面へ下ろした。

 

「ユーリ、もう少し静かに置け。せっかく積み直した石が崩れる」

 

「おっと、悪い悪い!」

 

 プレヒトの注意に、ユーリは悪びれもせず笑う。

 

 その隣では、ウォーロッドが街の人々と協力して壊れた荷車を修理していた。

 

「ありがとうございます。これで荷物を運べそうです」

 

「いえいえ。まだ使えるものを捨ててしまうのは、もったいないですからね」

 

 感謝する住民に、ウォーロッドは穏やかに微笑んだ。

 

 少し離れた場所では、イリスが崩れた石壁の前に立っていた。

 

「では、少しだけ離れていてくださいね」

 

 周囲の安全を確かめ、手をかざす。

 

 淡い光が石壁を包み込んだ。

 

 砕けた石材がゆっくりと持ち上がり、通路の脇へと運ばれていく。

 

「おお……!」

 

「魔法って、本当に便利なんだなぁ」

 

 感心する住民たちに、イリスは小さく微笑んだ。

 

「できることには限りがありますけれど、こういう作業ならお手伝いできますから」

 

 もちろん、魔法だけですべてを元どおりにできるわけではない。

 

 壊れた家を建て直すには時間がかかる。

 

 失われたものが、すべて戻ってくるわけでもない。

 

 それでも。

 

 人々が前を向いて歩き始めたことが、イリスには何より嬉しかった。

 

「イリスさーん!」

 

 聞き慣れた声に振り向く。

 

 そこには、両手いっぱいに布を抱えたメイビスがいた。

 

「こちらの方々に、包帯を届けてきました!」

 

「ありがとうございます、メイビスさん。お疲れではありませんか?」

 

「全然です!」

 

 メイビスは胸を張った。

 

「昨日はたくさん眠りましたから!」

 

「それならよかったです」

 

 イリスは安堵の笑みを浮かべた。

 

 あの戦いの後。

 

 ユーリの無事を確かめたメイビスは、糸が切れたように倒れてしまった。

 

 幸い、目を覚ましてからは大きな異常もなく、こうして元気に動き回っている。

 

 ただ、一つだけ。

 

 イリスには気になっていることがあった。

 

 メイビスの魔力。

 

 あの魔法を使う前と比べて、ほんのわずかに、その在り方が変わっている。

 

 金色の瞳には、以前よりも複雑な流れが映っていた。

 

 けれど、乱れているわけではない。

 

 むしろ、何かが新しく芽吹いたような、不思議な印象だった。

 

(……魔法の成長、でしょうか)

 

 もともとメイビスは、驚くほどの才能を持っている。

 

 今回の経験が、何かのきっかけになったのかもしれない。

 

 少なくとも、今のところ体調に異常は見られなかった。

 

「イリスさん?」

 

「あ、いえ。何でもありませんよ」

 

「ふふっ。変なイリスさんです!」

 

 メイビスが楽しそうに笑う。

 

 その笑顔につられて、イリスも笑った。

 

 戦いは終わった。

 

 今は、この穏やかな時間を大切にしたかった。

 

---

 

第二幕 これからの旅路

 

 昼過ぎ。

 

 ひととおりの作業を終えた五人は、街の広場に集まっていた。

 

 住民たちから分けてもらったパンと温かいスープが、簡素なテーブルに並んでいる。

 

「いやー、働いた働いた!」

 

 ユーリが椅子に深く腰を下ろした。

 

「戦うのも疲れるけど、瓦礫運びもなかなか大変だな!」

 

「お前は力任せに運びすぎなんだ」

 

「いいじゃねえか。早く片づくんだからよ」

 

「そのせいで二度手間になった場所もあったがな」

 

「細けえこと言うなよ、プレヒト!」

 

「細かくない」

 

 いつものやり取りに、ウォーロッドが苦笑する。

 

「まあまあ。お二人とも、お疲れさまでした」

 

「そうですよ。今日は皆さん、たくさん頑張りましたから」

 

 イリスがそう言うと、ユーリは得意げに笑った。

 

「だろ? イリスは分かってるな!」

 

「ただ、明日はもう少し丁寧に運んでくださいね」

 

「イリスまで!?」

 

 思わず吹き出したメイビスの笑い声が、広場に響いた。

 

 しばらくして、食事が落ち着いた頃。

 

 プレヒトが口を開いた。

 

「……それで、これからどうする?」

 

「これから?」

 

 ユーリが首を傾げる。

 

「天狼玉は取り戻した。ブルースカルも、この街から追い出した」

 

 プレヒトは静かに続けた。

 

「俺たちがマグノリアへ来た目的は、もう果たしたはずだ」

 

「ああ、そういやそうだったな」

 

 ユーリは頭の後ろで手を組んだ。

 

「なんだか、ずいぶん長いことここにいた気がするぜ」

 

「いろいろありましたからね」

 

 ウォーロッドが頷く。

 

 天狼島での出会い。

 

 初めて訪れたマグノリア。

 

 ブルースカルとの衝突。

 

 そして、ゼレフとの出会いと魔法の修行。

 

 振り返れば、短い時間の中に数え切れないほどの出来事があった。

 

「天狼玉を、島へ戻す必要もありますね」

 

 イリスの言葉に、メイビスが顔を上げた。

 

「天狼島……」

 

 懐かしむように、その名前を口にする。

 

 イリスは微笑んだ。

 

「メイビスさんに案内していただいた場所も、また見てみたいです」

 

「本当ですか!?」

 

「はい。とても綺麗な島でしたから」

 

「えへへ……!」

 

 メイビスは嬉しそうに頬を緩めた。

 

「それなら、今度はもっといろんな場所をご案内しますね!」

 

「楽しみにしています」

 

「もちろん、ゼーラも一緒です!」

 

 何気ない一言だった。

 

 いつもと同じ、明るい声。

 

 けれど。

 

 その言葉を聞いた瞬間、ユーリの表情がわずかに変わった。

 

「……ん?」

 

 プレヒトも顔を上げる。

 

 ウォーロッドは、不思議そうにメイビスを見つめていた。

 

 一方、イリスは穏やかに微笑んでいた。

 

 ゼーラ。

 

 メイビスが以前から話している、大切な友達の名前。

 

 イリスにとって、それはすでに聞き慣れたものだった。

 

 だからこそ、最初は三人の反応に気づかなかった。

 

「……なあ、メイビス」

 

 ユーリが口を開いた。

 

「そのゼーラって子、誰のことだ?」

 

---

 

第三幕 そこにいる友達

 

「え?」

 

 メイビスは目を丸くした。

 

「ゼーラはゼーラですよ?」

 

「いや、そうじゃなくてだな……」

 

 ユーリは困ったように頬をかく。

 

「前からたまに名前を聞いてたけど、俺たち、ちゃんと会ったことねえだろ?」

 

「何を言っているんですか?」

 

 メイビスは不思議そうに首を傾げた。

 

「ずっと一緒にいたじゃないですか」

 

「……ずっと?」

 

「はい!」

 

 メイビスは笑顔で、自分の隣を指さした。

 

「ほら。今もここにいますよ!」

 

 ユーリの視線が動く。

 

 プレヒトも、ウォーロッドも。

 

 そして、イリスも。

 

 メイビスが指さした場所を見た。

 

 そこには、誰もいなかった。

 

 少なくとも、ユーリたち三人の目には。

 

 イリスの金色の瞳には、ほんの微かな魔力の輝きが映っていた。

 

 以前から、何度か見かけたものだった。

 

(……やっぱり、同じですね)

 

 イリスは静かに考える。

 

 初めてゼーラの名前を聞いたのは、天狼島の遺跡を探索していたときだった。

 

 誰もいない場所へ楽しそうに話しかけるメイビスを、不思議に思ったことを覚えている。

 

 けれど、故郷の魔法学院にも、空想の友達と会話する生徒がいた。

 

 本人にとっては大切な存在なのだと知ってから、イリスは特に気にしなくなっていた。

 

 メイビスも、そういう方なのだろう。

 

 ずっと、そう思っていた。

 

「……メイビス」

 

 プレヒトが慎重に尋ねた。

 

「その場所に、誰かいるのか?」

 

「はい。ゼーラがいます」

 

「俺には見えないが……」

 

「え?」

 

 メイビスの笑顔が止まった。

 

「……見えない?」

 

「ああ」

 

 ユーリも頷いた。

 

「悪いけど、俺にも見えねえ」

 

「私にも……」

 

 ウォーロッドが申し訳なさそうに続ける。

 

 メイビスは三人を順番に見つめた。

 

 それから、隣へ顔を向けた。

 

「……ゼーラ?」

 

 何かを確かめるように、小さく呼びかける。

 

 そして、すぐに顔を上げた。

 

「でも、ここにいますよ?」

 

 その声には、まだ戸惑いよりも不思議そうな響きの方が強かった。

 

「ほら、ゼーラも皆さんが変なことを言うって……」

 

 言いかけて、メイビスは口を閉じた。

 

 誰も笑っていなかった。

 

 ユーリも。

 

 プレヒトも。

 

 ウォーロッドも。

 

 皆、真剣な顔をしていた。

 

「……どうしたんですか?」

 

 メイビスが尋ねる。

 

「皆さん、どうして……」

 

 そこで、彼女はイリスを見た。

 

「イリスさんは、分かりますよね?」

 

「……メイビスさん」

 

 イリスは言葉に詰まった。

 

 自分が今まで考えていたことを、そのまま口にしていいのだろうか。

 

 空想の友達。

 

 そう思っていた。

 

 けれど。

 

 メイビスは、本当にそこに誰かがいると信じている。

 

 いや。

 

 信じている、という言い方さえ違うのかもしれない。

 

 メイビスにとって、ゼーラが隣にいることは、疑う必要もない事実なのだ。

 

「……私にも、ゼーラさんの姿は見えていません」

 

 イリスは静かに答えた。

 

 メイビスの瞳が揺れる。

 

「……え?」

 

「ですが……」

 

 イリスは、メイビスの隣へ視線を向けた。

 

「そこに、微かな魔力があるのは分かります」

 

「魔力……?」

 

「はい。ただ、それが何なのかまでは……」

 

 イリスはそこで言葉を切った。

 

 これまで、メイビスの無意識の魔力だと思っていた。

 

 けれど、今になって、その考えが正しかったのか分からなくなっていた。

 

 もしも。

 

 自分が、何か大切なことを見落としていたのだとしたら。

 

「……ゼーラは」

 

 メイビスの声が震えた。

 

「ちゃんと、ここにいるんですよ?」

 

 誰も、すぐには答えられなかった。

 

---

 

第四幕 告げられた真実

 

 広場を吹き抜ける風が、テーブルの上の布を揺らした。

 

 遠くからは、復興作業を続ける人々の声が聞こえてくる。

 

 つい先ほどまで、同じ場所で笑っていたはずだった。

 

 それなのに。

 

 今は、誰も笑っていなかった。

 

「……メイビス」

 

 ユーリが静かに呼びかけた。

 

「一つ、聞いてもいいか?」

 

「……はい」

 

「ゼーラって子とは、いつから一緒にいるんだ?」

 

 メイビスは少しだけ表情を和らげた。

 

「ずっと前からです。天狼島で暮らしていた頃から……」

 

 そこまで話して、懐かしそうに微笑む。

 

「私にとって、一番大切な友達なんです」

 

 その言葉に、ユーリは唇を結んだ。

 

 メイビスが嘘をついているとは思えなかった。

 

 むしろ、あまりにも自然だった。

 

 だからこそ、簡単に否定することなどできなかった。

 

「……そうか」

 

 ユーリは短く答える。

 

 そして、少し迷った後で続けた。

 

「なあ、メイビス。俺たちが初めて天狼島に行ったときのこと、覚えてるか?」

 

「もちろんです」

 

「あの島で、俺たちが出会ったのは、お前とイリスだった」

 

「……え?」

 

「少なくとも、俺たちには二人しか見えなかったんだ」

 

 メイビスは首を横に振った。

 

「違います。ゼーラもいました」

 

「……ああ。お前には、そう見えてたんだな」

 

 ユーリの声は、いつものように大きくなかった。

 

 怒っているわけでも、責めているわけでもない。

 

 ただ、慎重に言葉を選んでいた。

 

「でも、俺たちは一度も、その子を見てねえんだ」

 

「……そんな」

 

 メイビスは隣を振り返った。

 

「ゼーラ……?」

 

 誰かの返事を待つように、じっと見つめる。

 

 そして、小さく首を振った。

 

「……違います」

 

 今度は、少し強い声だった。

 

「だって、ゼーラはずっと私と一緒に……!」

 

「メイビス」

 

 ユーリが呼びかける。

 

「俺は、お前が嘘をついてるなんて思ってねえ」

 

「だったら……!」

 

「だけど、俺たちには見えない。それも本当なんだ」

 

 メイビスは何かを言おうとした。

 

 けれど、言葉が出てこなかった。

 

 その隣にいるはずのゼーラへ、何度も視線を向ける。

 

 イリスは、メイビスの手が小さく震えていることに気づいた。

 

「……メイビスさん」

 

 そっと声をかける。

 

 メイビスは振り向かなかった。

 

「……イリスさん」

 

「はい」

 

「私……変なことを言っていますか?」

 

 その問いに、イリスの胸が痛んだ。

 

「いいえ」

 

 迷わず答えた。

 

「メイビスさんが、ゼーラさんを大切に思っていることは、よく分かります」

 

「……でも」

 

「ただ……私にも、分からないことがあります」

 

 イリスは正直に続けた。

 

「私はずっと、メイビスさんには、私たちには見えない大切なお友達がいるのだと思っていました」

 

 メイビスが、ゆっくりと顔を上げる。

 

「……見えない、お友達?」

 

「はい。故郷で、そういう方に会ったことがあったので……」

 

 イリスは少しだけ目を伏せた。

 

「それ以上、深く考えていなかったんです」

 

 金色の瞳には、今も微かな魔力が映っている。

 

 見えていたのに。

 

 それが何なのか、確かめようともしなかった。

 

「……ごめんなさい」

 

「どうして、イリスさんが謝るんですか……?」

 

「私が、勝手に分かったつもりになっていたからです」

 

 メイビスは何も答えなかった。

 

 ただ、再び隣を見た。

 

 長い沈黙が落ちる。

 

 やがて。

 

「……私」

 

 メイビスが、小さく呟いた。

 

「ゼーラと、ずっとお話ししてきたんです」

 

 誰も口を挟まなかった。

 

「楽しいことも、悲しいことも……全部、ゼーラに話してきました」

 

 声が、少しずつ震えていく。

 

「一緒に笑って……一緒に過ごして……」

 

 メイビスは両手を握りしめた。

 

「……それなのに」

 

 その瞳に、涙が浮かぶ。

 

「皆さんには、見えていないんですか……?」

 

 ユーリは、静かに頷いた。

 

「……ああ」

 

 メイビスの表情が崩れた。

 

---

 

第五幕 消えない思い出

 

「……そんなの」

 

 メイビスは、かすれた声で呟いた。

 

「そんなの、おかしいです……」

 

 隣にいるゼーラへ、必死に顔を向ける。

 

「だって……ゼーラは、ここにいるんです」

 

 その声は、誰かに説明しているというより、自分自身に言い聞かせているようだった。

 

「ずっと……ずっと、一緒だったのに……」

 

 メイビスの頬を、涙が伝った。

 

 ユーリが一歩近づく。

 

「メイビス……」

 

「……嫌です」

 

 小さな声だった。

 

「ゼーラがいないなんて……そんなこと……」

 

 メイビスは首を振った。

 

 その様子を見て、イリスは胸の奥が締めつけられるような思いを抱いた。

 

 彼女が失おうとしているものは、ただの幻ではない。

 

 ずっと寄り添ってきた、大切な友達だった。

 

 それがどのような存在であったとしても。

 

 メイビスの中にある思い出まで、消えてしまうわけではない。

 

 イリスは、ゆっくりとメイビスのそばに膝をついた。

 

「……メイビスさん」

 

 そっと手を差し出す。

 

「少しだけ、手を握ってもいいですか?」

 

 メイビスは何も言わなかった。

 

 けれど、差し出された手を拒まなかった。

 

 イリスは、その小さな手を優しく包み込んだ。

 

「……私には、ゼーラさんの姿は見えません」

 

 静かに告げる。

 

「ですが、メイビスさんがゼーラさんと過ごした時間を、大切に思っていることは分かります」

 

「……イリスさん」

 

「その思い出まで、なかったことにする必要はありませんよ」

 

 メイビスの瞳から、また涙がこぼれた。

 

「……でも」

 

「はい」

 

「もし……もし、ゼーラが……」

 

 その先の言葉は、震えて続かなかった。

 

 イリスは、急かさずに待った。

 

 プレヒトも、ウォーロッドも、静かに見守っていた。

 

 ユーリは拳を握りしめていた。

 

 やがて、メイビスが顔を上げた。

 

「……私、思い出したんです」

 

 かすかな声。

 

「天狼島で……昔、あったことを……」

 

 誰も動かなかった。

 

 メイビスの瞳は、遠い過去を見つめていた。

 

 あの島で過ごした日々。

 

 まだ幼かった自分。

 

 ゼーラと出会ったこと。

 

 そして。

 

 忘れていた、あの日の出来事。

 

「……ゼーラは」

 

 メイビスの唇が震えた。

 

「……あのとき、もう……」

 

 言葉が途切れる。

 

 イリスは、メイビスの手を握ったまま、静かに待った。

 

 メイビスはゆっくりと隣を向いた。

 

「……そう、だったんですね」

 

 誰かの声を聞いたように。

 

 あるいは、ずっと目を背けていた答えに、ようやくたどり着いたように。

 

 メイビスは、涙を流しながら微笑んだ。

 

「……ゼーラ」

 

---

 

第六幕 最後の約束

 

 メイビスの目には、ゼーラがいた。

 

 いつもと変わらない姿で。

 

 少し困ったように笑いながら、すぐ隣に立っていた。

 

「……泣き虫ね、メイビス」

 

 聞き慣れた声。

 

 何度も励まされ、何度も笑い合った声だった。

 

「……ゼーラ」

 

「何よ。そんな顔しちゃって」

 

 ゼーラは、いつものように腕を組んだ。

 

「せっかくブルースカルを倒したんでしょ? もっと喜びなさいよ」

 

「……うん」

 

「街の人たちだって、あんたたちのおかげで笑ってるじゃない」

 

「……うん」

 

 メイビスは何度も頷いた。

 

 けれど、涙は止まらなかった。

 

「……ゼーラ」

 

「何?」

 

「私……ずっと、あなたと一緒にいたかった」

 

 ゼーラの表情が、少しだけ柔らかくなった。

 

「……知ってるわよ」

 

「天狼島でも……マグノリアでも……これからも、ずっと……」

 

「……うん」

 

「でも……」

 

 メイビスは唇を噛んだ。

 

「……もう、お別れなんですね」

 

 ゼーラは、すぐには答えなかった。

 

 ただ、メイビスを見つめていた。

 

 やがて、小さく息を吐く。

 

「……そうね」

 

 その言葉を聞いた瞬間、メイビスの涙があふれた。

 

「……嫌だよ」

 

 初めて、子供のような声が漏れた。

 

「ゼーラ……嫌だよ……」

 

 ゼーラは困ったように笑った。

 

「……ほんと、あんたってば」

 

 そして、優しく続けた。

 

「でも、メイビス。あんた、もう一人じゃないでしょ?」

 

「……え?」

 

「ほら。ちゃんと見てみなさいよ」

 

 メイビスは、涙で滲んだ視界の向こうへ目を向けた。

 

 ユーリがいた。

 

 プレヒトがいた。

 

 ウォーロッドがいた。

 

 そして。

 

 自分の手を握ってくれている、イリスがいた。

 

「……みんな」

 

「そうよ」

 

 ゼーラは微笑んだ。

 

「あんたには、もう大切な仲間がいる」

 

「……うん」

 

「一緒に冒険して、笑って、喧嘩して……」

 

 ゼーラの声は、どこまでも優しかった。

 

「これからだって、きっと楽しいことがたくさんあるわ」

 

「……でも、ゼーラは……」

 

「私は、あんたと一緒にいられて楽しかったわよ」

 

 メイビスが顔を上げた。

 

 ゼーラは照れくさそうに笑った。

 

「……まあ、あんたのおかげで退屈しなかったしね」

 

「……ふふっ」

 

 涙の中に、小さな笑みが生まれた。

 

「ゼーラらしいです……」

 

「当たり前でしょ」

 

 ゼーラは、少しだけ胸を張った。

 

 そして、ゆっくりとメイビスに近づいた。

 

「……ねえ、メイビス」

 

「……うん」

 

「私のこと、忘れないでよね」

 

 メイビスは、大きく首を横に振った。

 

「忘れません……!」

 

 声が震える。

 

「絶対に……忘れません……!」

 

「……そっか」

 

 ゼーラは満足そうに微笑んだ。

 

「なら、それでいいわ」

 

 その姿が、少しずつ淡くなっていく。

 

 輪郭が揺らぎ、光に溶けるように薄れていった。

 

「……ゼーラ……!」

 

 メイビスは手を伸ばした。

 

 けれど、その手が触れる前に。

 

 ゼーラは、最後にいつもの笑顔を見せた。

 

「……幸せになりなさいよ、メイビス」

 

 その言葉を残して。

 

 ゼーラの姿は、静かに消えた。

 

 同じ瞬間。

 

 イリスの金色の瞳に映っていた、微かな魔力の輝きも消えていった。

 

「……ゼーラ」

 

 メイビスの声が、静かな広場に響く。

 

 もう、返事はなかった。

 

「……ありがとう」

 

 ぽつりと呟いた。

 

「……私の、最初のお友達……」

 

 メイビスは顔を伏せた。

 

 そして、声を上げて泣いた。

 

---

 

終幕 妖精は一人ではない

 

 誰も、メイビスを急かさなかった。

 

 ユーリは隣にしゃがみ込み、何も言わずにその背中を見守っていた。

 

 プレヒトは静かに目を伏せていた。

 

 ウォーロッドも、悲しげな表情を浮かべていた。

 

 イリスは、メイビスの手を握り続けていた。

 

 どれほど時間が経ったのだろう。

 

 やがて、メイビスの泣き声が少しずつ小さくなっていった。

 

「……ごめんなさい」

 

 涙を拭いながら、メイビスが呟いた。

 

「皆さんの前で……こんなに泣いてしまって……」

 

「何言ってんだよ」

 

 ユーリが、すぐに答えた。

 

「泣きたいときくらい、泣けばいいだろ」

 

「……ユーリさん」

 

「別に、誰も文句なんか言わねえよ」

 

 いつもの調子に戻そうとするように、ユーリは笑った。

 

 プレヒトも静かに頷く。

 

「……無理をする必要はない」

 

「そうですよ、メイビスさん」

 

 ウォーロッドが穏やかに続けた。

 

「私たちは、ここにいますから」

 

 メイビスは、三人を見つめた。

 

 それから、イリスへ顔を向ける。

 

「……イリスさん」

 

「はい」

 

「……私、ずっとゼーラと一緒だったんです」

 

「……はい」

 

「天狼島では……ゼーラがいたから、寂しくなかった」

 

 メイビスは、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「でも……皆さんと出会ってから、もっといろんなことがありました」

 

 天狼島での冒険。

 

 マグノリアへの旅。

 

 初めての敗北。

 

 魔法の修行。

 

 そして、仲間たちと力を合わせて乗り越えた戦い。

 

「……楽しかったです」

 

 メイビスは涙を拭った。

 

「すごく……楽しかったんです」

 

 イリスは優しく微笑んだ。

 

「私もですよ」

 

「……本当ですか?」

 

「もちろんです」

 

 迷わず答えた。

 

「皆さんと出会えて、私は本当によかったと思っています」

 

 異世界から来た自分。

 

 帰る方法も分からず、見知らぬ島で目を覚ましたあの日。

 

 もし、メイビスと出会っていなかったら。

 

 今頃、自分はどこで何をしていただろう。

 

 イリスには、想像もできなかった。

 

「……メイビスさん」

 

「……はい」

 

「ゼーラさんとの思い出は、これからも大切にしてください」

 

 メイビスの瞳が揺れた。

 

「そして……」

 

 イリスは、そっと手を握り直した。

 

「これからの思い出も、一緒に増やしていきましょう」

 

「……っ」

 

 メイビスの目に、再び涙が浮かんだ。

 

 けれど。

 

 今度は、ほんの少しだけ違う涙だった。

 

「……はい」

 

 小さく頷く。

 

「……はい!」

 

 メイビスは、涙を流しながら笑った。

 

 ユーリが立ち上がり、大きく伸びをした。

 

「よーし! そうと決まれば、これからも面白いことを探さねえとな!」

 

「お前は少し落ち着け」

 

「何だよ、プレヒト! こういうときこそ元気出さねえと!」

 

「元気と騒がしさは別だ」

 

「また始まりましたね」

 

 ウォーロッドが苦笑する。

 

 そのやり取りを見て、メイビスが小さく笑った。

 

 イリスも、つられて微笑んだ。

 

 ゼーラは、もういない。

 

 その事実は、これからもメイビスの胸を痛ませるだろう。

 

 今日の悲しみが、すぐに消えるわけではない。

 

 けれど。

 

 ゼーラと過ごした日々は、決して消えない。

 

 そして今、メイビスのそばには新しい仲間たちがいる。

 

 失ったものを忘れるのではなく。

 

 大切な思い出を胸に抱いたまま。

 

 これからも、一緒に歩いていく。

 

 マグノリアの空には、柔らかな夕陽が差し始めていた。

 

 その光の下で、五人の影が長く伸びていく。

 

 かつて、天狼島で一人の少女が見つけた、小さな友情。

 

 それは今、新しい仲間たちとの絆へとつながっていた。

 

 まだ、誰も知らない。

 

 この出会いが、やがて一つの大きな物語の始まりになることを。

 

 そして。

 

 妖精たちの新しい居場所が、この街に生まれることを。

 

 ――第25話 完――

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。
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