第一幕 妖精たちの帰還
X690年。
フィオーレ王国、マグノリア。
穏やかな午後の日差しが、石畳の街路を照らしていた。
行き交う人々の声が響き、商店の軒先には色とりどりの商品が並んでいる。
そんな街の一角に、一際賑やかな建物があった。
魔導士ギルド、妖精の尻尾。
「おい! 誰か手伝ってくれ!」
「ちょっと待って! その荷物、そこに置かないで!」
「ユーリさんたち、そろそろ帰ってくるんじゃない?」
今日もギルドの中は、朝から騒がしかった。
依頼から戻った魔導士たちが報告を交わし、次の仕事を探す者が掲示板の前に集まっている。
そんな中。
入口の扉が勢いよく開いた。
「ただいまーっ!!」
真っ先に飛び込んできたのは、ユーリだった。
「おっ! 帰ってきたぞ!」
「ユーリさん!」
「皆さん、お帰りなさい!」
続いてプレヒト、ウォーロッド、イリス、そしてメイビスが姿を現す。
「ただいま戻りました!」
メイビスが両手を広げ、嬉しそうに笑った。
「皆さん! お留守番、ありがとうございました!」
「お帰りなさい、メイビスさん!」
「無事でよかったです!」
仲間たちが次々と駆け寄ってくる。
その輪の向こうから、一人の男性が歩いてきた。
「……お帰りなさい、皆さん」
「ダンさん!」
イリスが真っ先に反応した。
ダンはまだ身体の一部に包帯を巻いていたものの、その足取りはしっかりしていた。
「もう歩いても大丈夫なんですか?」
「ええ。セヴェルさんのおかげです。まだ無茶はできませんけどね」
「それならよかったです」
イリスはほっとしたように微笑んだ。
その後ろから、落ち着いた声が響く。
「もっとも、安静にしていれば、もう少し早く回復したでしょうが」
「うっ……」
ダンの表情が引きつった。
声の主はセヴェルだった。
いつものように涼しい顔で立っているが、その手には治療に使っていたらしい道具がある。
「何度も言いましたよね。治療中に重い荷物を運ばないように、と」
「いや、その……皆が忙しそうだったので」
「理由にはなりません」
「……はい」
そのやり取りに、周囲から笑い声が上がった。
「ふふっ。セヴェルさん、ありがとうございました」
イリスが頭を下げる。
「ダンさんのことを任せてしまって、すみません」
「構いません。治療を引き受けたのは私ですから」
セヴェルはそう答えると、五人へ視線を向けた。
「それより、そちらは無事に片づいたようですね」
「ああ!」
ユーリが胸を張った。
「ばっちりだぜ!」
「……ユーリ。まだ何も説明していないだろう」
プレヒトが呆れたように言う。
「細けぇことはいいんだよ!」
「よくありません」
メイビスがくすくす笑いながら、二人の間に入った。
「それでは皆さん! ご報告します!」
その一言で、ギルドの中が少し静かになった。
メイビスは仲間たちの顔を見渡す。
「黒獅子の牙との話し合いは、無事に終わりました!」
「おおっ!」
「本当ですか!?」
「よかった……!」
歓声が上がる。
しかし、メイビスはそこで終わらなかった。
「それから、相手のギルドマスターとも戦うことになったのですが……」
「……え?」
誰かが間の抜けた声を漏らした。
「マスター同士で、ですか?」
「はい!」
メイビスはにっこり笑った。
「勝ちました!」
数秒。
ギルドの中が、完全に静まり返った。
「…………は?」
そして。
「ええええええっ!?」
建物が揺れるほどの大声が響いた。
「黒獅子の牙のマスターって、あのヴァレイン・グレイヴスだろ!?」
「名門ギルドのマスターじゃないか!」
「メイビスさんが倒したの!?」
「はい!」
当の本人は、いつもと変わらない笑顔だった。
「皆さんが頑張ってくれたおかげです!」
「いやいやいや! そういう問題じゃ……!」
仲間たちが口々に騒ぎ始める。
その様子を眺めながら、ウォーロッドが穏やかに笑った。
「ほっほっほ。わしらのマスターは、なかなか頼もしいじゃろう?」
「なかなかどころじゃねぇだろ!」
ユーリが大笑いする。
「最後なんか、すげぇ魔法だったんだぜ!」
「ユーリさん!」
メイビスが慌てて振り返った。
「その話は、ちょっと恥ずかしいです!」
「何言ってんだよ! あんなすげぇもん、黙ってられるか!」
「もうっ!」
頬を膨らませるメイビスに、再び笑い声が広がった。
イリスも、その光景を微笑ましく眺めていた。
強大な敵との戦い。
傷ついた仲間。
そして、守り抜いた居場所。
そのすべてが、こうしていつもの賑やかさへと戻っていく。
イリスは静かに息をついた。
「……帰ってきましたね」
隣に立つプレヒトが、小さく頷いた。
「ああ」
それだけで、十分だった。
――――――――――
第二幕 争いの終わり
それから数日後。
妖精の尻尾に、一通の書状が届けられた。
差出人は、黒獅子の牙。
メイビスは執務机の前で封を開き、丁寧に文面へ目を通していた。
傍らにはイリス、ユーリ、プレヒト、ウォーロッドが集まっている。
「……なるほど」
読み終えたメイビスが、静かに頷いた。
「どうだった?」
ユーリが尋ねる。
「ヴァレインさんから、正式な謝罪が届きました」
メイビスは書状を机の上へ置いた。
「今回の件について、黒獅子の牙として責任を認めるそうです。それから、バルガスさんには相応の処分を下す、と」
「約束は守ったか」
プレヒトが言った。
「はい。ダンさんへの謝罪についても、改めて正式な使者を送ると書かれています」
「それなら、ひとまず安心ですね」
イリスが微笑む。
もっとも、今回の一件だけで、長年続いてきた黒獅子の牙の考え方が変わるとは限らない。
それはメイビスも理解していた。
けれど、少なくとも。
力を持つ者が、弱い者を一方的に踏みにじってよいわけではない。
そのことを、相手のギルドマスター自身に認めさせた。
それは決して、小さな成果ではなかった。
「……メイビス」
プレヒトが口を開く。
「これで、本当に終わりにするつもりか?」
「はい」
メイビスは迷わず答えた。
「私たちが望んでいたのは、黒獅子の牙を潰すことではありませんから」
「そうじゃな」
ウォーロッドが頷く。
「仲間を傷つけたことへの責任を取ってもらう。それが目的じゃった」
「だな!」
ユーリが腕を組んだ。
「向こうが約束を守るなら、これ以上喧嘩する理由もねぇ!」
「……お前が言うと、少し不安になるな」
「なんでだよ!?」
そんな二人のやり取りに、メイビスが笑った。
そして、イリスへ顔を向ける。
「イリスさんは、どう思いますか?」
「私も賛成です」
イリスは穏やかに答えた。
「もちろん、同じことが繰り返されないように見守る必要はあると思います。でも……」
一度、言葉を区切る。
「争いを終わらせられるなら、それが一番です」
「……はい!」
メイビスは嬉しそうに頷いた。
その日の夕方。
ダンにも、書状の内容が伝えられた。
「……そうですか」
話を聞き終えたダンは、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと頭を下げる。
「ありがとうございました、皆さん」
「ダンさん……」
「正直、最初は悔しかったです。何もできずにやられて……皆さんにまで迷惑をかけてしまって」
ダンは握り締めた拳を見つめる。
「でも、もう大丈夫です」
顔を上げた彼は、少し照れくさそうに笑った。
「次は、もっと強くなります。皆さんに守ってもらうばかりじゃなくて、俺も仲間を守れるように」
「いいじゃねぇか!」
ユーリが勢いよく肩を叩こうとして――。
「ユーリさん」
セヴェルの静かな声が響いた。
「まだ治療中です」
「……お、おう」
伸ばしかけた手が、ぴたりと止まる。
周囲から笑い声が上がった。
「ふふっ」
メイビスも笑った。
「ダンさん。これからも、よろしくお願いしますね!」
「はい、マスター!」
その返事には、もう迷いがなかった。
後日、黒獅子の牙から正式な使者が訪れ、ダンへの謝罪と処分の報告が行われた。
ダンはそれを受け入れた。
こうして、二つのギルドの間に生まれた争いは、ひとまず幕を閉じたのだった。
そして、この一件からほどなくして、魔法評議院の主導により、魔導士ギルド同士の武力抗争を禁じる「ギルド間抗争禁止条約」が成立した。
――――――――――
第三幕 二年という歳月
――それから、二年の月日が流れた。
X692年。
フィオーレ王国、マグノリア。
街は、以前にも増して活気に満ちていた。
行き交う商人たちの声。
石畳を走る荷馬車。
新しく店を構えた職人たち。
そして、その街の一角にある魔導士ギルドもまた、着実に成長を続けていた。
妖精の尻尾。
所属する魔導士は、三十人。
かつて五人で始まった小さなギルドは、今やマグノリアの人々にとって、なくてはならない存在になっていた。
依頼の内容も、以前とは大きく変わっている。
街の困りごとを解決する小さな仕事から、遠方の魔物討伐、危険地帯の調査、商隊の護衛まで。
時には、フィオーレの各地から名指しで依頼が届くこともあった。
もちろん、すべてが順調だったわけではない。
失敗した依頼もあれば、思わぬ危険に遭遇した者もいる。
新しく加入した魔導士同士が衝突することだってあった。
それでも。
妖精の尻尾は、そのたびに少しずつ成長してきた。
そして今日も――。
「おいっ! 誰だよ、俺の依頼書を持ってった奴!」
「知らないわよ! ちゃんと確認しなさい!」
「うわっ! そっちの荷物、倒れるぞ!」
「ちょっと! 誰か手伝ってー!」
ギルドの中は、相変わらずの大騒ぎだった。
「……朝から元気ですね」
その光景を眺めながら、イリスが小さく笑う。
隣ではエマが、依頼の報告書を整理していた。
「元気すぎるくらいですけどね」
「ふふっ。確かに」
「でも、昔に比べると、本当に賑やかになりましたよね」
エマはギルドの中を見渡した。
「私が入った頃なんて、こんなに人はいませんでしたから」
「そうですね」
イリスも、ゆっくりと視線を巡らせる。
知らない顔が増えた。
新しい仲間が増えた。
けれど、その誰もが、今ではこの場所の一員だった。
奥の席では、ユーリが若い魔導士たちに囲まれていた。
「だからよ! 雷ってのは、こう、思いっきりぶつけるんだ!」
「ユーリさん、それじゃ全然わかりません!」
「なんでだよ!?」
「説明が雑すぎるんです!」
その近くで、プレヒトが深いため息をつく。
「……まず魔力の制御から教えろ」
「細けぇなぁ!」
「細かくない」
さらに、少し離れた場所ではウォーロッドが植物魔法の練習を見守っていた。
「ほっほっほ。焦らんでよい。魔法も植物も、育つには時間が必要じゃ」
「はい!」
若い魔導士が元気よく返事をする。
一方、窓際の机では。
「……ですから、この術式では魔力の循環効率が悪いのです」
セヴェルが、数人の魔導士を相手に説明していた。
机の上には、水の魔法陣を描いた紙が広げられている。
「一度に大量の魔力を流すより、流れを安定させた方が結果的に消費を抑えられます」
「なるほど……!」
「セヴェルさん、こっちはどうですか?」
「見せてください」
その様子を見たイリスが、楽しそうに微笑んだ。
「セヴェルさんも、すっかり先生ですね」
「本当ですね」
エマが笑う。
「最初は、ちょっと怖い人なのかなって思ってましたけど」
「ふふっ。私も、初めて会った時は敵でしたから」
「……そうでしたね」
二人は顔を見合わせて笑った。
かつて命を懸けて戦った相手が、今では仲間に魔法を教えている。
そんな光景が、当たり前になっていた。
時間とは、不思議なものだった。
そして。
「皆さーん!」
ギルドの奥から、元気な声が響いた。
「今日の依頼の確認、始めますよー!」
メイビスだった。
書類を抱えた彼女が、ぱたぱたと駆けてくる。
「ユーリさん! 昨日の報告書は終わりましたか?」
「……あ」
「ユーリさん?」
「いや、その……」
「終わってないんですね!?」
「今からやる!」
「昨日もそう言ってました!」
ギルド中に笑い声が広がった。
名門ギルドのマスターを打ち倒し、妖精の輝きという強大な魔法を生み出した少女。
それでも、メイビスは少しも変わらなかった。
仲間と笑い、仲間を叱り、仲間のために頭を悩ませる。
そんな彼女の姿が、妖精の尻尾の日常の中心にあった。
――――――――――
終幕 変わらない居場所
その日の夕暮れ。
イリスはギルドの窓際に座り、一冊の本を読んでいた。
表紙には、古い文字で魔法理論に関する題名が記されている。
異世界。
世界と世界の境界。
空間の構造。
これまでに訪れた街や図書館で、少しずつ集めてきた資料の一つだった。
この二年間も、イリスは元の世界へ帰る方法を探し続けていた。
遠方の依頼を受けた際には、その土地の古い伝承を調べることもあった。
珍しい魔法の噂を聞けば、実際に確かめに行った。
けれど、今のところ。
確かな手がかりは、まだ見つかっていない。
「……難しいですね」
イリスは小さく呟き、本を閉じた。
窓の外では、夕焼けがマグノリアの街を赤く染めていた。
遠くから聞こえる鐘の音。
帰路につく人々の声。
そして、背後から響く仲間たちの笑い声。
「ユーリ! またお前か!」
「俺じゃねぇって!」
「さっき自分でやったって言ってただろう!」
「そうだったか!?」
「忘れるのが早すぎるわ!」
思わず、イリスの口元が緩んだ。
――変わりませんね。
初めてこの世界に来た時。
イリスは、何も知らなかった。
自分がどこにいるのか。
どうすれば帰れるのか。
この世界で、誰を信じればよいのか。
そんな中で出会った、一人の少女。
メイビス・ヴァーミリオン。
彼女との出会いが、すべての始まりだった。
天狼島で交わした言葉。
ユーリたちとの出会い。
青い髑髏との戦い。
妖精の尻尾の創設。
そして、数え切れないほどの冒険。
気がつけば、六年もの歳月が流れていた。
「……六年、ですか」
イリスはそっと呟いた。
元の世界のことを忘れたわけではない。
帰りたいという気持ちが、消えたわけでもない。
けれど。
この世界にも、守りたいものができた。
大切な友達ができた。
帰ってくる場所ができた。
それは、かつての自分には想像もできなかったことだった。
「イリスさん!」
不意に、明るい声が響いた。
顔を上げると、メイビスがこちらへ駆け寄ってくるところだった。
「こんなところにいたんですね!」
「ふふっ。ずっとここにいましたよ?」
「あれ? そうでしたっけ?」
「はい」
二人は顔を見合わせて笑った。
メイビスはイリスの向かいに腰を下ろすと、机の上の本へ目を向けた。
「また、異世界のことを調べていたんですか?」
「はい。少し気になる記述があったので」
「何かわかりましたか?」
「残念ながら、まだ何とも」
「そうですか……」
メイビスは少しだけ残念そうな顔をした。
けれど、すぐに微笑む。
「でも、きっと何か見つかりますよ!」
「ありがとうございます、メイビスさん」
イリスも微笑み返した。
「私も、そう信じています」
窓から差し込む夕日が、二人の間を柔らかく照らす。
しばらく、穏やかな沈黙が流れた。
やがて。
「あっ、そうでした!」
メイビスがぽんと手を叩いた。
「イリスさん! 実は、少しお話があるんです!」
「はい。どうしましたか?」
メイビスは、どこか楽しそうに身を乗り出した。
「天狼島のことなんです!」
「……天狼島、ですか?」
「はい!」
メイビスの瞳が、きらきらと輝く。
「前から、ずっと考えていたことがあるんです!」
イリスは小さく首を傾げた。
「どんなことでしょう?」
「ふふっ。それはですね……」
メイビスは、少しだけ得意げに笑った。
「天狼島を、もっと安全な場所にできないかなって!」
「安全な場所……?」
「はい! あの島には、私たちにとって大切な思い出がたくさんありますから!」
その言葉に、イリスは目を細めた。
天狼島。
すべてが始まった場所。
メイビスと出会い、初めてこの世界で友達ができた場所。
「……そうですね」
イリスは静かに頷いた。
「私にとっても、とても大切な場所です」
「ですよね!」
メイビスは嬉しそうに笑った。
「それで、皆さんにも相談してみようと思っているんです!」
「ふふっ。何だか、面白いことになりそうですね」
「はい!」
メイビスは勢いよく立ち上がった。
「きっと、すごいことができますよ!」
その声に、少し離れた場所にいたユーリが振り返る。
「おっ? 何だ何だ? また面白そうな話か?」
「ユーリさんにも、あとでお話しします!」
「今でもいいぜ!」
「まずはプレヒトさんたちも呼んできます!」
「おーい! プレヒト! ウォーロッド!」
「……まだ何も聞いていないぞ」
プレヒトの呆れた声が響く。
その向こうで、ウォーロッドが楽しそうに笑っていた。
イリスは、そんな仲間たちを見つめる。
六年前。
天狼島で始まった、小さな出会い。
それは今、三十人もの仲間が集う、大きな居場所になっていた。
そして、その絆は。
これからも、少しずつ形を変えながら、続いていくのだろう。
イリスは静かに立ち上がった。
「それでは、私もお手伝いしますね」
「はい! よろしくお願いします、イリスさん!」
メイビスが満面の笑みを浮かべる。
夕暮れのギルドに、また一つ、新しい話題が生まれた。
妖精たちの歳月は、これからも続いていく。
――大切な仲間たちと、共に。
――第50話 完――
【こそこそ妖精話】
~聖剣使いの悩み~
X692年。
妖精の尻尾、医務室。
その日、セヴェルは珍しい訪問者を迎えていた。
イリス「セヴェルさん。少し、ご相談してもよろしいでしょうか?」
セヴェル「ええ、構いません。どこか具合でも悪いのですか?」
イリス「いえ、体調はとても良いんです。ただ……気になることがありまして」
イリスは少し迷った後、静かに口を開いた。
イリス「私がこの世界に来てから、もう六年になります」
セヴェル「そう聞いています」
イリス「でも……私の身体は、あの頃からほとんど変わっていないんです」
セヴェル「……変わっていない?」
イリス「はい。身長も、体格も、顔立ちも。十七歳だった頃と、何も……」
セヴェルはしばらく考え込んだ。
セヴェル「なるほど。少し調べてみましょう」
差し出されたイリスの手に、淡い魔力の光が灯る。
治癒魔法による検査が始まった。
やがて、セヴェルは静かに手を離した。
セヴェル「……奇妙ですね」
イリス「何かわかりましたか?」
セヴェル「健康状態は極めて良好です。魔力の循環にも異常はありません。ただ……年齢に伴う変化が、ほとんど確認できない」
イリス「……やっぱり」
セヴェル「異世界から来たことが関係している可能性はあります。しかし、比較できる事例がありません」
イリス「そうですよね……」
イリスは小さく視線を落とした。
イリス「もし、このまま私だけが変わらなかったら……皆さんは、どんどん歳を重ねていくんですよね」
その声は、いつもより少しだけ小さかった。
イリス「皆さんと過ごす時間が、とても楽しいんです。だからこそ……少し、怖くなってしまって」
セヴェルは、すぐには答えなかった。
やがて、静かに口を開く。
セヴェル「……イリスさん。現時点では、不老だと決まったわけではありません」
イリス「……はい」
セヴェル「今後、身体が変化する可能性もあります。ですから、今の段階で結論を出すべきではないでしょう」
イリス「……そうですね」
セヴェル「定期的に調べてみましょう。何かわかれば、お伝えします」
イリス「ありがとうございます、セヴェルさん」
イリスは、少しだけ安心したように微笑んだ。
イリス「このことは、まだ皆さんには……」
セヴェル「ええ。あなたが望まない限り、私から話すことはありません」
イリス「……ありがとうございます」
そう言って、イリスは静かに医務室を後にした。
扉が閉まる。
医務室に、静寂が戻った。
セヴェルは机の上に残された検査記録へ視線を落とす。
セヴェル「……六年間、変化がない、か」
健康な肉体。
安定した魔力。
異常は、何一つ見つからなかった。
ただ一つ。
時間の経過を示すはずの変化が、見当たらないことを除けば。
セヴェル「……興味深いですね」
セヴェルは静かに記録を閉じた。
その表情に浮かんでいたのは、研究者としての好奇心だけではなかった。
――聖剣使いの身体に秘められた謎。
その答えは、まだ誰も知らない。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。