第一幕 海の向こうへ
X692年。
フィオーレ王国、北方の港町。
マグノリアを旅立ってから、数日が経過していた。
港には大小さまざまな船が停泊し、積み荷を運ぶ人々の声や、海鳥の鳴き声が賑やかに響いている。
潮の香りを含んだ風が、二人の髪を揺らした。
「わぁぁ……!」
メイビス・ヴァーミリオンは、目の前に広がる光景に歓声を上げた。
「イリスさん! 見てください! すごく大きな船ですよ!」
「ふふっ。本当ですね」
イリス・アストレアも、港に停泊する大型船を見上げた。
幾本もの帆柱が青空へ伸び、船体には航海用の魔法装置らしきものが取り付けられている。
その船こそ、二人がこれから乗り込むギルティナ大陸行きの船だった。
「これで海を渡るんですね!」
「はい。船員さんのお話では、天候にもよりますが、かなり長い航海になるそうです」
「楽しみです!」
「船酔いは大丈夫ですか?」
「もちろんです!」
メイビスは自信満々に胸を張った。
「私、船には強いんですよ!」
「それなら安心ですね」
イリスは微笑んだ。
そして、二人は乗船手続きを済ませ、船へと乗り込んだ。
甲板には、商人や旅人、魔導士らしき人々の姿もある。
ギルティナ大陸。
フィオーレ王国のあるイシュガル大陸から遠く離れた、未知の土地。
そこには、イリスが六年間探し続けてきた手掛かりがあるかもしれない。
「……」
イリスは、腰に佩いた聖剣へそっと触れた。
元の世界。
魔法学院。
懐かしい人々。
時折、遠い記憶が胸をよぎる。
けれど。
「イリスさーん!」
甲板の先から、メイビスが大きく手を振っていた。
「こっちです! 海がよく見えますよ!」
「はい。今行きます!」
イリスは微笑み、彼女のもとへ歩き出した。
やがて。
大きな汽笛が港に響き渡った。
船がゆっくりと動き始める。
遠ざかっていく港。
小さくなっていく建物。
広がる青い海。
「出発です!」
メイビスが両手を広げた。
「いよいよですね、イリスさん!」
「そうですね」
イリスも、水平線へ視線を向けた。
「素敵な旅にしましょう」
「はいっ!」
二人の新たな冒険が、海の向こうへと続いていく。
◇
航海が始まってから、十日ほどが過ぎた。
船は順調に海を進んでいた。
時には穏やかな海面を滑るように進み、時には荒れた波に揺られながら、北方を目指していく。
そんな船旅の途中。
「イリスさん!」
「はい?」
「見てください!」
メイビスが甲板の手すりから身を乗り出していた。
その視線の先。
青い海面から、巨大な魚のような生き物が飛び上がった。
銀色の鱗が陽光を反射し、虹色の水飛沫が舞い散る。
「わぁっ!」
メイビスが歓声を上げる。
「綺麗ですね!」
「ええ。本当に」
イリスも思わず見入っていた。
海の生き物が再び水中へ潜ると、メイビスは興奮した様子で振り返った。
「今の生き物、魔力を持っていましたよね!?」
「はい。かなり微弱でしたが」
「やっぱり!」
メイビスは嬉しそうに笑った。
「海にも、まだ知らない魔法生物がたくさんいるんですね!」
「ふふっ。調べたいことが増えましたね」
「はい!」
そう言って、メイビスは鞄から手帳を取り出した。
そして、先ほどの生き物の特徴を書き留め始める。
イリスは、その姿を微笑ましく眺めていた。
未知のものに出会えば、目を輝かせる。
新しい魔法を見つければ、時間を忘れて研究する。
六年前、天狼島で出会った頃から、メイビスは少しも変わっていない。
「……ふふっ」
「む?」
メイビスが顔を上げた。
「どうしたんですか?」
「いいえ。メイビスさんは、本当に楽しそうだなと思いまして」
「もちろんです!」
メイビスは満面の笑みを浮かべた。
「だって、こんなに広い世界を旅しているんですよ!」
「そうですね」
「それに!」
メイビスは、イリスをまっすぐ見つめた。
「イリスさんと一緒ですから!」
「……!」
不意の言葉に、イリスは少しだけ目を瞬かせた。
そして、柔らかく微笑む。
「……私も、メイビスさんと一緒で嬉しいですよ」
「えへへ!」
メイビスが嬉しそうに笑った。
海風が、二人の髪を優しく揺らしていく。
長い航海は、まだ続く。
けれど、不思議と退屈することはなかった。
――――――――――
第二幕 未知なる大陸
それから、さらに月日が流れた。
船は途中の港で補給を行い、幾度か荒天を避けながら航海を続けていた。
そして、ある日の朝。
「陸だーっ!!」
見張りの船員の声が響いた。
「ギルティナ大陸が見えたぞーっ!!」
「……!」
甲板にいたイリスが顔を上げる。
水平線の向こう。
朝靄の中に、巨大な陸地の影が浮かび上がっていた。
「メイビスさん!」
「はいっ!」
メイビスも、勢いよく甲板へ駆け出してくる。
「ついに……!」
「ええ」
イリスは、静かに頷いた。
「ギルティナ大陸です」
長い航海の果て。
二人は、ついに目的の大陸へたどり着いた。
◇
ギルティナ大陸、南部の港町。
港へ降り立った二人を迎えたのは、フィオーレ王国とは少し異なる街並みだった。
石造りの建物が立ち並ぶ大通り。
鮮やかな布で飾られた露店。
見慣れない形の魔法道具を売る商人たち。
そして、通りのあちこちには、魔力を利用した装置が設置されていた。
「わぁぁ……!」
メイビスの瞳が輝く。
「イリスさん! 見てください!」
「ふふっ。今度は何ですか?」
「あの街灯です!」
メイビスが指差した先には、青白い光を放つ結晶があった。
まだ昼間だというのに、結晶は淡い光を宿している。
「あれ、魔力を蓄える仕組みになっているみたいです!」
「なるほど……」
イリスは金色の瞳で結晶を見つめた。
内部には、細い光の筋のような魔力の流れが見える。
「確かに、結晶の内部で魔力が循環していますね」
「やっぱり!」
メイビスは嬉しそうに手を叩いた。
「あとで詳しく調べてみたいです!」
「ふふっ。まずは宿を探しましょうか」
「……あっ!」
メイビスが目を丸くした。
「そうでした!」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
◇
宿を確保した後、二人は街を散策することにした。
大通りには、さまざまな店が並んでいる。
珍しい魔法道具。
色鮮やかな衣服。
見たことのない果物。
そして。
「……いい匂いがしますね」
イリスが足を止めた。
通りの一角から、香ばしい匂いが漂ってくる。
そこでは、屋台の店主が大きな鉄板で料理を焼いていた。
「おっ、嬢ちゃんたち! 旅人かい?」
「はい!」
メイビスが元気よく答える。
「今日、ギルティナ大陸に着いたばかりなんです!」
「そりゃあいい! だったら、うちの名物を食べていきな!」
店主が差し出したのは、香辛料をまぶした肉と野菜を薄い生地で包んだ料理だった。
「わぁっ!」
メイビスの瞳が輝く。
「美味しそうです!」
「二ついただけますか?」
「毎度あり!」
イリスが代金を支払い、二人は料理を受け取った。
「いただきます!」
メイビスが勢いよくかぶりつく。
そして。
「んんっ!!」
目を見開いた。
「おいしいです!!」
「ふふっ。そんなにですか?」
「はい! イリスさんも早く!」
「では……」
イリスも一口食べる。
香ばしい肉の旨味。
野菜の甘味。
そして、少し刺激の強い香辛料。
「……あっ。本当に美味しいですね」
「でしょう!?」
メイビスが嬉しそうに笑う。
店主も満足げに頷いた。
「ははは! 気に入ってもらえて何よりだ!」
二人は屋台の前で食事を楽しみながら、店主と話をした。
この大陸の気候。
各地の街。
珍しい魔法。
そして、旅人が訪れる場所について。
そんな会話の中で。
「そういえば、お二人さんは観光かい?」
店主が尋ねた。
「観光も兼ねていますが、少し調べたいことがありまして」
イリスが答える。
「ほう?」
「古い魔法や、竜に関する伝承を探しているんです」
「竜の伝承ねぇ……」
店主は顎に手を当てた。
「だったら、魔導士ギルドに聞いてみるのがいいんじゃないか?」
「魔導士ギルドですか?」
「ああ。この大陸にも、いろんなギルドがあるからな」
メイビスが興味深そうに身を乗り出す。
「古い伝承に詳しいギルドもあるんでしょうか?」
「そうだなぁ……」
店主は少し考えた。
「俺は詳しくないが、北の方には、ずいぶん昔から続いている魔導士ギルドがあるって聞いたことがあるぜ」
「……!」
メイビスとイリスが顔を見合わせた。
「そのギルドの名前は?」
「確か……魔陣の竜、だったかな」
「魔陣の竜……」
イリスが小さく繰り返す。
「どこにあるか、ご存じですか?」
「詳しい場所までは知らねぇな。ただ、魔法に詳しい連中なら、知ってるかもしれねぇ」
「ありがとうございます!」
メイビスが元気よく頭を下げた。
イリスも微笑む。
「貴重なお話をありがとうございました」
「おう! 旅を楽しんでいきな!」
二人は店主に礼を告げ、再び街へ歩き出した。
「イリスさん!」
「はい?」
「さっそく、手掛かりが見つかりましたね!」
「ええ」
イリスは頷いた。
「まずは、その魔陣の竜について調べてみましょう」
「はいっ!」
こうして。
二人のギルティナ大陸での調査が、始まった。
――――――――――
第三幕 最古の魔導士ギルド
それから、数週間が経過した。
イリスとメイビスは、各地の街を巡りながら情報を集めていた。
図書館で古い記録を調べ、魔導士たちから話を聞き、時には旅人の噂にも耳を傾けた。
その過程で、魔陣の竜について少しずつ情報が集まっていった。
ギルティナ大陸でも、非常に古い歴史を持つ魔導士ギルド。
その創設者は、エルフセリアという人物。
長い年月にわたり、魔法に関する研究や依頼に関わってきたとされている。
そして。
「……ここですね」
イリスが足を止めた。
目の前には、古びた石造りの建物があった。
大きな扉。
壁面には、長い年月を感じさせる装飾が刻まれている。
建物の上部には、竜を思わせる紋章が掲げられていた。
「魔陣の竜……!」
メイビスが、嬉しそうに呟く。
「ようやく着きましたね!」
「はい」
イリスは頷いた。
「ここまで、随分と時間がかかりましたね」
「でも、その分いろんなものが見られました!」
「ふふっ。そうですね」
二人は微笑み合った。
そして、扉を開いた。
◇
建物の内部は、静かな空気に包まれていた。
高い天井。
古い木製の机。
壁には、さまざまな魔法に関する書物や資料が並んでいる。
「わぁ……!」
メイビスが思わず声を漏らした。
「すごい数の本です……!」
「メイビスさん」
「はい?」
「先に、ご挨拶をしましょうね?」
「……あっ!」
メイビスが慌てて姿勢を正した。
その時。
「ほう……珍しい客人じゃな」
奥から、落ち着いた声が響いた。
二人が振り返る。
そこには、一人の人物が立っていた。
人間とは異なる、竜を思わせる特徴を持つ姿。
その眼差しには、長い年月を生きてきた者特有の静けさがあった。
「ようこそ、魔陣の竜へ」
その人物は、二人を見つめた。
「わしが、エルフセリアじゃ」
「……!」
メイビスの瞳が輝く。
「あなたが、エルフセリアさんですか!」
「うむ」
エルフセリアは頷いた。
「お主たちは、見慣れぬ顔じゃな」
「はい!」
メイビスは一歩前へ出た。
「私はメイビス・ヴァーミリオンと申します!」
そして、隣のイリスを示す。
「こちらはイリス・アストレアさんです!」
「初めまして、エルフセリアさん」
イリスは丁寧に頭を下げた。
「フィオーレ王国から参りました」
「ほう。イシュガルからか」
エルフセリアは興味深そうに目を細めた。
「随分と遠くから来たものじゃ」
「はい!」
メイビスが頷く。
「私たち、古い魔法や伝承について調べているんです!」
「古い魔法とな?」
「はい!」
メイビスは、鞄から一冊の手帳を取り出した。
これまでの旅で集めた資料をまとめたものだった。
「こちらを見ていただけますか?」
エルフセリアは、差し出された手帳を受け取った。
そして、ゆっくりとページをめくる。
「ふむ……」
しばらく、静かな時間が流れた。
やがて。
「……なるほどのう」
エルフセリアが顔を上げた。
「お主たちは、異なる世界について調べておるのか」
「はい」
イリスが答えた。
「実は、私自身が別の世界から来た人間なんです」
「……ほう?」
エルフセリアの眼差しが変わった。
「別の世界から来た、とな?」
「はい」
イリスは頷いた。
「六年前、突然この世界へやって来ました」
そして、これまでの経緯を簡潔に説明した。
天狼島で目を覚ましたこと。
元の世界へ帰る方法を探していること。
その過程で、異なる世界を渡る竜の伝承を知ったこと。
エルフセリアは、途中で口を挟まずに聞いていた。
「……なるほど」
やがて、静かに呟く。
「それで、わしのもとを訪ねてきたわけじゃな」
「はい」
イリスは、真剣な表情で頷いた。
「もし、何かご存じでしたら、教えていただけないでしょうか」
エルフセリアは、しばらく考え込んだ。
そして。
「……異なる世界を渡る竜、か」
その声が、わずかに低くなった。
「心当たりがないわけではない」
「……!」
イリスが息を呑む。
メイビスも、思わず身を乗り出した。
「本当ですか!?」
「うむ」
エルフセリアは、ゆっくりと頷いた。
「じゃが、先に言っておこう」
その眼差しが、鋭さを帯びる。
「お主たちが探している存在は、決して気軽に会いに行ける相手ではないぞ」
――――――――――
終幕 月神竜
静かな部屋に、緊張が走った。
エルフセリアは、二人を見つめながら口を開いた。
「このギルティナ大陸には、古くから強大な竜たちの存在が伝えられておる」
「竜……」
イリスが小さく呟く。
「それほど強大な存在なのですか?」
「うむ」
エルフセリアは頷いた。
「中でも、五神竜と呼ばれる竜たちは別格じゃ」
「五神竜……!」
メイビスが、その言葉を繰り返す。
「五体の竜がいるということですか?」
「そうじゃ」
エルフセリアは、静かに答えた。
「いずれも、並の魔導士がどうにかできるような存在ではない」
「……」
「その力は、時に国や大地そのものへ影響を及ぼすほどじゃ」
メイビスは、真剣な表情で聞いていた。
イリスも、静かに頷く。
竜。
その存在が、どれほど危険なものなのか。
イリスには、ある程度想像がついた。
元の世界でも、強大な竜種と呼ばれる存在はいた。
だが、この世界の竜が同じ性質を持つとは限らない。
ましてや、異なる世界を渡るほどの力を持つ存在であれば。
慎重に行動する必要がある。
「……エルフセリアさん」
イリスが口を開いた。
「その五神竜の中に、異なる世界を渡る竜がいるのでしょうか?」
「……うむ」
エルフセリアは、ゆっくりと頷いた。
「少なくとも、そのような力を持つと伝えられている竜がおる」
イリスの胸が、高鳴った。
「……その竜の名前を、教えていただけますか?」
エルフセリアは、静かに答えた。
「月神竜――セレーネ」
「……!」
その名前を聞いた瞬間。
イリスは、思わず息を止めた。
月神竜。
セレーネ。
六年間、探し続けてきた異世界への手掛かり。
その一つに、初めて具体的な名前が与えられた。
「……セレーネ」
イリスは、確かめるように呟いた。
「その竜が、異なる世界を渡るのですね?」
「そう伝えられておる」
エルフセリアは頷いた。
「月にまつわる力を持ち、異なる世界へ干渉することができるという」
「……!」
メイビスの瞳が輝いた。
「異なる世界への干渉……!」
そして、すぐに真剣な表情へ変わる。
「それは、空間魔法の延長にある能力なのでしょうか?」
「さてな」
エルフセリアは首を振った。
「通常の空間魔法と同じ理屈で説明できるものかどうか、わしにもわからぬ」
「……そうですか」
メイビスは少し考え込んだ。
その隣で、イリスが尋ねる。
「エルフセリアさん」
「何じゃ?」
「そのセレーネという竜が、今どこにいるのか……ご存じでしょうか?」
エルフセリアは、しばらく沈黙した。
そして、静かに首を振った。
「残念じゃが、正確な居場所までは知らぬ」
「……そうですか」
イリスの表情に、わずかな落胆が浮かぶ。
だが、エルフセリアは言葉を続けた。
「そもそも、あの竜は一つの場所に留まるとは限らぬ」
「……!」
「異なる世界を渡る力を持つというのなら、この大陸に常にいる保証すらないじゃろう」
「なるほど……」
イリスは、静かに頷いた。
確かに、その通りだった。
世界を渡る存在。
それを探し出すこと自体が、途方もなく難しいのかもしれない。
「じゃが……」
エルフセリアが、二人を見つめる。
「それでも探すつもりか?」
「……」
イリスは、少しだけ考えた。
六年間。
元の世界へ帰る方法を探し続けてきた。
何度も資料を調べた。
何度も手掛かりを追った。
それでも、確かな答えは見つからなかった。
けれど。
今、目の前には新しい可能性がある。
「……はい」
イリスは、まっすぐ顔を上げた。
「探したいと思います」
その声には、静かな決意が込められていた。
「危険な存在だということは、理解しています」
「……」
「ですが、私は……」
イリスは、一度だけ言葉を止めた。
そして、微笑んだ。
「まだ、諦めたくありません」
エルフセリアは、しばらく彼女を見つめていた。
やがて。
「……そうか」
小さく頷く。
「ならば、止めはせぬ」
そして、少しだけ表情を和らげた。
「ただし、決して油断するでないぞ」
「はい」
イリスは、深く頭を下げた。
「貴重なお話を、ありがとうございました」
「ありがとうございました!」
メイビスも元気よく頭を下げる。
エルフセリアは、そんな二人を眺めながら小さく息をついた。
「まったく……若いというのは、恐れを知らぬものじゃな」
「むぅ!」
メイビスが頬を膨らませる。
「ちゃんと怖いものは怖いですよ!」
「ほう?」
「でも、何も知らないまま諦める方が、私は嫌なんです!」
エルフセリアは、一瞬だけ目を丸くした。
そして。
「……ふっ」
小さく笑った。
「面白い娘たちじゃ」
◇
魔陣の竜を後にした頃には、空が夕焼けに染まり始めていた。
二人は、街の外れにある小高い丘へと足を運んでいた。
眼下には、ギルティナ大陸の街並みが広がっている。
遠くには、険しい山々。
その向こうには、まだ見ぬ土地が続いていた。
「……月神竜、セレーネ」
イリスが、静かに呟いた。
メイビスは、その隣に立っていた。
「ついに、名前がわかりましたね!」
「はい」
イリスは頷いた。
「……ですが、居場所はわかりませんでした」
「そうですね」
「これから、どれほど時間がかかるのかも……」
イリスは、少しだけ視線を落とした。
その時。
「イリスさん!」
「はい?」
メイビスが、にっこりと笑った。
「だったら、探しましょう!」
「……え?」
「ギルティナ大陸は、こんなに広いんですよ!」
メイビスは、目の前に広がる景色へ両手を広げた。
「まだ行っていない街も、知らない魔法も、たくさんあります!」
「……」
「きっと、どこかに手掛かりがあるはずです!」
その言葉に、イリスは少しだけ目を見開いた。
そして。
「……ふふっ」
自然と笑みがこぼれた。
「そうですね」
「はい!」
「まだ、旅は始まったばかりですから」
「その通りです!」
メイビスが嬉しそうに頷いた。
イリスは、夕陽に染まる大陸を見渡した。
どこまでも続く大地。
未知の街。
まだ出会っていない人々。
そして。
月神竜セレーネ。
その名を知ったことで、曖昧だった伝承が、少しだけ確かなものへ変わった。
故郷へ帰れるかどうかは、まだわからない。
けれど。
進むべき道が、一つ見えた。
「……メイビスさん」
「はい?」
「明日から、また忙しくなりそうですね」
「えへへ!」
メイビスは、満面の笑みを浮かべた。
「望むところです!」
イリスも、楽しそうに笑った。
「ふふっ。頼りにしていますよ」
「任せてください!」
二人の笑い声が、夕暮れの丘に響いていく。
遥かなるギルティナ大陸。
そのどこかに、月神竜は存在する。
異なる世界を渡るという、神秘の竜。
その存在を追い求めて。
聖剣使いと妖精の、長い旅が始まろうとしていた。
――月神竜セレーネ。
その名が、二人の運命に何をもたらすのか。
今はまだ、誰も知らない。
――第54話 完――
【こそこそ妖精話】
~船旅の研究者~
ギルティナ大陸へ向かう船の上。
ある日の午後。
メイビス「イリスさん! 大発見です!」
イリス「おや、どうしました?」
メイビス「この船の航行用魔法装置、すごく面白い構造をしているんです!」
イリス「ふふっ。そうなんですね」
メイビス「風の魔力を推進力に変換しているんですが、術式の組み方が独特で……!」
イリス「なるほど」
メイビス「それで、少しだけ調べてみたんです!」
イリス「……調べた?」
メイビス「はい!」
イリス「メイビスさん。具体的には何を?」
メイビス「装置の魔力循環を観察して、術式を少し調整してみました!」
イリス「……え?」
その瞬間。
ゴゴゴゴゴ……!
船が、不自然に震え始めた。
イリス「……メイビスさん?」
メイビス「……あれ?」
次の瞬間。
ゴォォォォッ!!
船が突然、猛烈な勢いで加速した。
船員「うわあああ!? 船が勝手に加速してるぞ!!」
船長「何が起きたぁぁぁ!?」
イリス「メイビスさん!!」
メイビス「ま、待ってください! 理論上は問題ないはずなんです!」
イリス「現実に問題が起きていますよ!?」
メイビス「お、おかしいですね……!」
メイビスは慌てて魔法装置を操作した。
すると。
ピタッ。
船の加速が収まった。
メイビス「……直りました!」
イリス「……」
メイビス「えへへ!」
イリス「メイビスさん?」
メイビス「は、はい!」
イリス「今後、船の魔法装置を調べる時は、必ず船長さんの許可を取ってくださいね?」
メイビス「……はい」
その日の夕方。
船長「お嬢ちゃんたち! ちょっと話があるんだが!」
メイビス「ひゃっ!?」
イリス「……ふふっ」
メイビス「イリスさん! 笑ってないで助けてください!」
イリス「大丈夫ですよ。私も一緒に謝りますから」
メイビス「うぅ……!」
なお、船長から二人に言い渡されたのは――。
航行用魔法装置への接近禁止。
メイビス「そんなぁぁぁ!!」
イリス「ふふっ。仕方ありませんね」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。