第一幕 果てなき探索
X692年。
ギルティナ大陸。
最古の魔導士ギルド、魔陣の竜を訪れてから、三か月が経過していた。
「……ありませんねぇ」
とある街の図書館。
積み上げられた書物の向こうから、少し残念そうな声が聞こえてきた。
「こちらも、これといった情報はありませんでした」
イリス・アストレアは、読み終えた古書を静かに閉じた。
向かい側では、メイビス・ヴァーミリオンが机いっぱいに資料を広げている。
二人が探しているのは、月神竜セレーネ。
異なる世界を渡る力を持つという、五神竜の一角だった。
エルフセリアからその名を聞いて以来、二人は各地の図書館や魔導士ギルドを訪ね歩いていた。
しかし。
「月神竜という名前は、何度か見つかったんですけど……」
メイビスが一冊の古書を持ち上げる。
「どれも記述が曖昧なんです」
「例えば?」
「ある地方では、月の光を操る竜。別の地方では、夜空に現れる美しい女神。そして、こちらの記録では……」
メイビスはページをめくった。
「月を食べる恐ろしい怪物、だそうです!」
「……随分と印象が違いますね」
「ですよね!」
メイビスは困ったように笑った。
「同じ存在を指しているのかさえ、わからないんです」
イリスは小さく頷いた。
長い年月を経て、伝承が変化することは珍しくない。
ましてや、相手は神竜と呼ばれる存在だ。
実際に目撃した者がどれほどいるのかもわからない。
「ですが、共通点もありますよね」
「はい!」
メイビスは別の資料を取り出した。
「月に関係していること。そして、特定の場所に留まらないことです!」
「なるほど……」
「もしかしたら、月の満ち欠けと行動に何か関係があるのかもしれません!」
そう言って、メイビスは手帳に新しい仮説を書き込んだ。
その姿を見て、イリスは微笑む。
「メイビスさんは、本当に楽しそうですね」
「もちろんです!」
メイビスは顔を上げた。
「こんなに謎だらけの存在なんですよ? 調べがいがあります!」
「ふふっ。そうですね」
イリスも再び書物を開いた。
成果がないわけではない。
少しずつではあるが、情報は集まっている。
ただ、その先へ進むための決定的な手掛かりが見つからないのだ。
――六年間。
イリスは、元の世界へ帰る方法を探し続けてきた。
そして今、ようやく具体的な可能性を見つけた。
焦る気持ちがないと言えば、嘘になる。
けれど。
「イリスさん!」
「はい?」
「次は、この地方の古い神殿を調べてみませんか?」
メイビスが地図を広げた。
「ここに、月を祀っていた遺跡があるらしいんです!」
「……なるほど」
イリスは地図を覗き込む。
「少し遠いですが、行ってみる価値はありそうですね」
「はいっ!」
メイビスが嬉しそうに笑った。
その笑顔を見ていると、不思議と焦りが和らいでいく。
まだ、時間はある。
まだ、探せる場所もある。
「では、明日の朝に出発しましょうか」
「決まりですね!」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
果ての見えない探索。
けれど、その道のりは決して孤独ではなかった。
――――――――――
第二幕 旅の思い出
X693年。
ギルティナ大陸へ渡ってから、季節が一巡しようとしていた。
その間、二人は数え切れないほどの景色を見てきた。
雪に覆われた山岳地帯。
夜になると青白く輝く森。
巨大な魔法結晶が地面から突き出した渓谷。
そして、色とりどりの花が咲き乱れる草原。
行く先々で、新しい発見があった。
◇
「イリスさーん!」
春の風が吹き抜ける草原。
メイビスが、花畑の中から大きく手を振っていた。
「こっちに来てください!」
「はい。どうしました?」
イリスが近づくと、メイビスは足元を指差した。
「見てください! この花!」
そこには、淡い紫色の花が咲いていた。
花弁の周囲には、小さな光の粒が漂っている。
「……綺麗ですね」
「ですよね!」
メイビスはしゃがみ込み、興味深そうに花を観察した。
「この花、周囲の魔力を吸収しているみたいなんです!」
イリスも隣にしゃがんだ。
金色の瞳には、花弁へ流れ込む微かな魔力が、キラキラと輝いて見えていた。
「本当ですね。根からも魔力が流れています」
「やっぱり!」
メイビスは手帳を取り出した。
「もしかしたら、魔力を蓄える魔法道具の参考になるかもしれません!」
「ふふっ。また研究することが増えましたね」
「はい!」
メイビスは嬉しそうに笑った。
その後、二人は花畑を見渡せる丘で昼食を取った。
風に揺れる花々。
遠くに見える山並み。
穏やかな陽射し。
「……こういう時間も、いいですね」
イリスが呟いた。
「はい!」
メイビスは隣でパンを頬張りながら頷く。
「私、この旅に来てよかったです!」
「まだ目的は達成できていませんけどね」
「それはそれ、これはこれです!」
メイビスは胸を張った。
「旅の途中だって、楽しまないともったいないですよ!」
「……ふふっ」
イリスは思わず笑った。
「そうですね」
青空の下。
二人の笑い声が、花畑に溶けていった。
◇
別の日。
二人は山道を進んでいた。
険しい岩場が続く、人気のない道だった。
「……むぅ」
メイビスが地図を睨んでいる。
「おかしいですね……」
「どうしました?」
「この辺りに、古い街道があるはずなんですけど……」
イリスは周囲を見渡した。
崩れた岩。
深い谷。
そして、道らしい道は見当たらない。
「もしかすると、長い年月で地形が変わったのかもしれませんね」
「なるほど……!」
メイビスが納得したように頷く。
その時だった。
――ゴゴゴゴ……!
地面が震えた。
「……!」
イリスが顔を上げる。
前方の岩壁が崩れ、巨大な影が姿を現した。
岩石のような外皮を持つ、四足の魔物。
その体長は十メートルを超えていた。
「グオオオオッ!!」
魔物が咆哮する。
「わぁっ! 大きいですね!」
メイビスが驚いた声を上げた。
「どうやら、縄張りに入ってしまったようですね」
イリスは静かに聖剣へ手を伸ばした。
だが。
「イリスさん!」
「はい?」
「今回は私に任せてください!」
メイビスが一歩前へ出た。
「……わかりました」
イリスは聖剣から手を離した。
「では、お願いします」
「はいっ!」
魔物が突進してくる。
その巨体が地面を揺らし、岩が砕け散った。
しかし。
メイビスは慌てなかった。
「幻影魔法!」
次の瞬間。
魔物の前方に、もう一頭の巨大な魔物が出現した。
「グルルッ!?」
本物の魔物が急停止する。
突然現れた同族に、警戒したように身構えた。
さらに。
その周囲へ、次々と同じ姿の魔物が現れる。
一頭。
二頭。
三頭。
「グオッ!?」
魔物は混乱したように後退した。
「ふふん!」
メイビスが得意げに笑う。
「これで終わりではありませんよ!」
幻影の魔物たちが、一斉に咆哮した。
「グオオオオオッ!!」
「グルルルッ!?」
本物の魔物は完全に怯み、踵を返して岩場の奥へ逃げていった。
やがて、その姿が見えなくなる。
「……ふぅ!」
メイビスは満足そうに頷いた。
「大成功です!」
イリスは、ぱちぱちと拍手した。
「お見事です、メイビスさん」
「えへへ!」
「戦わずに追い払うとは、さすがですね」
「無理に倒す必要はありませんから!」
メイビスは笑顔で答えた。
「それに、あの魔物も自分の住処を守ろうとしていただけでしょうし」
「……そうですね」
イリスは微笑んだ。
強さとは、敵を倒すことだけではない。
改めて、そう感じさせられる出来事だった。
◇
そして、初夏。
二人は大陸中部の、とある商業都市を訪れていた。
街には多くの商人が集まり、通りには魔法道具や装飾品を扱う店が並んでいる。
「わぁ……!」
メイビスが目を輝かせた。
「イリスさん! あのお店、見てみませんか?」
「魔法装飾品のお店ですか?」
「はい!」
二人が入ったのは、小さな宝飾店だった。
店内には、魔力を帯びた首飾りや腕輪、指輪などが並んでいる。
「いらっしゃいませ」
奥から、年配の女性店主が顔を出した。
「何かお探しかい?」
「少し見せていただいてもいいですか?」
「もちろんさ」
メイビスは嬉しそうに店内を見回した。
その時。
「あっ……!」
小さな声を上げた。
「イリスさん、これ!」
メイビスが指差したのは、ガラスケースの中に並ぶ二つの指輪だった。
一つは、澄んだ青色の宝石。
もう一つは、柔らかな緑色の宝石。
どちらも細い銀色の台座に、小さな花と蔦の装飾が施されている。
華美すぎず、上品で可愛らしいデザインだった。
「……綺麗ですね」
イリスも思わず見入った。
「でしょう!?」
メイビスは、青い宝石を指差した。
「これ、イリスさんの青い瞳みたいです!」
「……!」
「それに、こっちの緑色は私の瞳に似ていますね!」
イリスは二つの指輪を見比べた。
「本当ですね」
「ふふっ!」
メイビスが嬉しそうに笑った。
すると、店主が声をかけてきた。
「おや、その指輪が気に入ったのかい?」
「はい!」
「それは、少し珍しい魔法の指輪でね」
「魔法の指輪……?」
メイビスの瞳が、さらに輝いた。
「どんな魔法が込められているんですか!?」
店主は微笑んだ。
「二つで一組になっていてね。互いの居場所を探すことができるんだよ」
「……!」
イリスとメイビスが顔を見合わせた。
「居場所を、ですか?」
「ああ。片方の指輪に魔力を流すと、もう片方の指輪がある方向を教えてくれるのさ」
店主は二つの指輪を取り出した。
「試してみるかい?」
「ぜひ!」
メイビスが勢いよく答えた。
店主は青い指輪をメイビスに、緑の指輪をイリスに渡した。
「片方を持って、少し離れてごらん」
イリスが店の奥へ移動する。
メイビスは青い指輪へ魔力を流した。
すると。
「わぁっ!」
青い宝石の内部に、小さな光が灯った。
その光が、イリスのいる方向へゆっくりと偏る。
「すごいです!」
「今度は、そちらも試してごらん」
イリスが緑の指輪へ魔力を流す。
すると、緑の宝石にも光が灯り、メイビスの方向を示した。
「……なるほど」
イリスは興味深そうに指輪を見つめた。
「双方向で使えるんですね」
「そういうことさ」
店主は頷いた。
「ただし、相手の正確な位置までわかるわけじゃない。距離が離れすぎれば反応も弱くなるし、特殊な魔法で遮られることもある」
「それでも、便利ですね!」
メイビスは感心した様子で指輪を眺めた。
「どういう術式なんでしょう……」
「ふふっ。メイビスさん?」
「はっ!」
メイビスが顔を上げた。
「す、すみません! つい!」
店主が楽しそうに笑った。
「ははは! 随分と魔法が好きなんだねぇ」
「はい!」
メイビスは元気よく答えた。
その隣で、イリスはもう一度、二つの指輪を見つめた。
青と緑。
それぞれの瞳を思わせる宝石。
そして、離れていても互いを探せる魔法。
「……メイビスさん」
「はい?」
「この指輪、買いませんか?」
「……えっ?」
メイビスが目を丸くした。
「いいんですか!?」
「はい」
イリスは微笑んだ。
「せっかくの二人旅ですし、記念になるものがあってもいいかなと思いまして」
「……!」
メイビスの表情が、ぱっと明るくなった。
「買いましょう!」
「ふふっ。では、決まりですね」
こうして、二人は指輪を購入した。
◇
店を出た後。
二人は街の広場にある噴水の前で足を止めた。
「……メイビスさん」
「はい?」
「せっかくですから、指輪を交換しませんか?」
「交換、ですか?」
「はい」
イリスは小さな箱を開いた。
中には、青と緑の宝石が付いた二つの指輪が並んでいる。
「私からは、こちらを」
イリスが手に取ったのは、青い宝石の指輪だった。
「メイビスさんに、受け取っていただきたいんです」
「……!」
メイビスが目を輝かせた。
「私にですか!?」
「はい。私の青い瞳に似ていると、言ってくださったでしょう?」
「はい!」
「ですから、私の代わりに持っていていただけたら嬉しいなと思いまして」
メイビスは、差し出された指輪を見つめた。
澄んだ青色の宝石。
その輝きは、確かにイリスの瞳を思わせた。
「……えへへ!」
メイビスは嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます、イリスさん!」
そして、もう一つの指輪を手に取る。
「それなら、私からはこちらです!」
差し出されたのは、緑色の宝石が付いた指輪だった。
「私の瞳と同じ色です!」
「ふふっ。そうですね」
「だから、イリスさんに持っていてほしいんです!」
イリスは、柔らかく微笑んだ。
「ありがとうございます。大切にしますね」
「私もです!」
二人は互いの指輪を受け取った。
イリスの指には、メイビスの瞳を思わせる緑色の宝石。
メイビスの指には、イリスの瞳を思わせる青色の宝石。
細い銀色の輪が、初夏の陽射しを受けて輝いた。
「……えへへ」
メイビスは嬉しそうに自分の指輪を眺めた。
「お揃いですね!」
「はい」
イリスも微笑んだ。
「お揃いです」
メイビスは、青い宝石をそっと撫でた。
「これなら、もし離れ離れになっても、イリスさんを探せますね!」
「そうですね」
「もちろん、イリスさんも私を探せます!」
「ふふっ。頼もしいですね」
イリスは、緑色の指輪へ視線を落とした。
この世界に来てから、六年。
多くのものを手に入れた。
仲間。
居場所。
そして、大切な友人。
「……メイビスさん」
「はい?」
「これからも、よろしくお願いしますね」
メイビスは一瞬だけ目を丸くした。
そして、満面の笑みを浮かべる。
「はいっ! こちらこそ!」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
初夏の陽射しの下。
青と緑の宝石が、二人の指先で優しく輝いていた。
――――――――――
第三幕 月神竜の伝承
それから、さらに数か月が過ぎた。
季節は秋へと移り変わっていた。
ギルティナ大陸の北東部。
二人は山々に囲まれた小さな街を訪れていた。
「……うーん」
宿の一室。
メイビスは、これまで集めた資料を机いっぱいに広げていた。
「どうしました?」
イリスが尋ねる。
「少し、気になることがあるんです」
「気になること?」
「はい」
メイビスは、一枚の古い地図を取り出した。
「これまで集めた月神竜の伝承を、地域ごとに整理してみたんです」
地図には、いくつもの印が付けられていた。
「すると、少し面白いことがわかりました」
「……?」
「月神竜に関する伝承は、特定の地域に集中しているんです」
メイビスが指差したのは、大陸北東部の山岳地帯だった。
「もちろん、他の地方にも伝承はあります。でも、この辺りだけ、少し内容が違うんです」
「どのように?」
「ほかの地方では、月神竜は恐ろしい存在として語られることが多いんですけど……」
メイビスは、別の資料を取り出した。
「この地方では、月神竜を神様として崇めているんです!」
「……!」
イリスが目を見開いた。
「信仰の対象、ということですか?」
「はい!」
メイビスは頷いた。
「それも、ただの伝承ではないみたいなんです」
そして、一枚の古い記録を差し出した。
「この地方には、満月の夜に月の神様を迎える村があるそうです」
「満月の夜……」
イリスは記録を読み進めた。
そこには、短い文章が記されていた。
――月が満ちる夜、白き神は山の彼方より降り立つ。
――人々は供物を捧げ、その恵みに感謝する。
――神は月とともに去り、再び満月の夜に現れる。
「……これは」
イリスの表情が変わった。
「かなり具体的な記録ですね」
「ですよね!」
メイビスが嬉しそうに頷く。
「もしかすると、この村では実際に月神竜を目撃しているのかもしれません!」
「……」
イリスは、地図へ視線を落とした。
険しい山岳地帯。
街道から大きく外れた場所。
そこに、小さな印が付けられている。
「村の場所は、わかるんですか?」
「大まかには!」
メイビスは頷いた。
「ただ、今も存在しているかどうかはわかりません」
「なるほど……」
イリスは少し考えた。
これまで、何度も期待しては空振りに終わってきた。
今回も、確かな保証はない。
けれど。
「……行ってみましょう」
イリスは顔を上げた。
「その村へ」
「はいっ!」
メイビスが嬉しそうに笑った。
「私も、そう言うと思っていました!」
「ふふっ。お見通しですね」
「もちろんです!」
メイビスは胸を張った。
「だって、イリスさんの友達ですから!」
その言葉に、イリスは柔らかく微笑んだ。
「……そうですね」
二人は、翌朝の出発を決めた。
長い探索の末。
ようやく、一つの道筋が見え始めていた。
――――――――――
終幕 月を祀る村
山岳地帯へ入ってから、さらに二週間が経過した。
険しい山道。
深い森。
霧に覆われた谷。
地図に記された道は古く、途中で途切れている場所も多かった。
「……ふぅ」
メイビスが小さく息をついた。
「なかなか、険しい道ですね」
「大丈夫ですか?」
「はい!」
メイビスは元気よく頷いた。
「まだまだ歩けます!」
「ふふっ。無理はしないでくださいね」
「イリスさんこそ!」
「私は大丈夫ですよ」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
その時。
「……あっ!」
メイビスが前方を指差した。
「見てください!」
木々の向こう。
山の斜面に、小さな集落が見えた。
石造りの家々。
細い煙を上げる煙突。
そして、村の中央には、大きな石造りの祭壇らしきものがあった。
「……村ですね」
イリスが呟いた。
「はい!」
メイビスの瞳が輝く。
「もしかして……!」
二人は足を速めた。
◇
村へ入ると、何人かの住人が不思議そうに二人を見つめた。
外から旅人が訪れることは、あまりないのだろう。
「こんにちは!」
メイビスが元気よく挨拶した。
「少し、お話を伺ってもいいでしょうか?」
近くにいた年配の男性が、驚いたように振り返った。
「おや……旅人さんかね?」
「はい!」
「こんな山奥まで、よく来なさったな」
男性は感心したように頷いた。
「何か用事でも?」
「実は、ある伝承について調べているんです」
イリスが丁寧に答えた。
「この村では、月の神様を祀っていると聞いたのですが……」
その瞬間。
男性の表情が変わった。
「……月の神様?」
「はい」
イリスは頷いた。
「もしご存じでしたら、お話を聞かせていただけませんか?」
男性は、しばらく二人を見つめていた。
そして。
「……ああ」
静かに頷いた。
「もちろん、知っておるよ」
「……!」
メイビスが身を乗り出した。
「本当ですか!?」
「うむ」
男性は村の中央にある祭壇へ視線を向けた。
「この村は、昔から月神竜様をお祀りしておる」
「……月神竜!」
イリスの胸が、高鳴った。
「その月神竜様というのは……」
男性は、ゆっくりと答えた。
「セレーネ様じゃ」
「……!」
二人が息を呑んだ。
月神竜セレーネ。
ついに、その名前を直接知る人々と出会ったのだ。
「……あの」
イリスは、慎重に言葉を選んだ。
「そのセレーネ様について、詳しく教えていただけませんか?」
「もちろんじゃ」
男性は頷いた。
「じゃが、ここでは何じゃ。村長のところへ案内しよう」
「ありがとうございます!」
二人は深く頭を下げた。
◇
村長の家。
暖炉の火が静かに燃える部屋で、二人は村の歴史について話を聞いていた。
村長は、白髪の穏やかな老人だった。
「なるほど……月神竜様について調べておるのか」
「はい」
イリスが頷く。
「私たちは、どうしてもお会いしたい理由があるんです」
「ふむ……」
村長は、しばらく考え込んだ。
そして。
「……月神竜様は、確かにこの村へお越しになる」
「……!」
イリスが顔を上げた。
「本当ですか?」
「うむ」
村長は頷いた。
「古くから、この村では月神竜様をお迎えする儀式を行っておる」
「儀式……?」
メイビスが尋ねた。
「どのようなものなんですか?」
「満月の夜に、村の者たちが供物を捧げるのじゃ」
「供物……」
「上質な酒や、村で採れた作物。それに、特別な料理などを用意する」
村長は、静かに微笑んだ。
「月神竜様は、それをお受け取りになることもある」
「……!」
メイビスが驚いたように目を見開いた。
「それって、実際にお姿を見せるということですか!?」
「そうじゃ」
村長は頷いた。
「満月の夜、月神竜様はこの村へ降り立たれる」
その言葉に。
イリスは、思わず息を止めた。
六年間。
元の世界へ帰る方法を探し続けてきた。
そして、この大陸へ渡ってからも、長い月日を費やした。
何度も、手掛かりを失った。
何度も、振り出しに戻った。
けれど。
今。
ようやく、その存在へ手が届くかもしれない。
「……村長さん」
イリスが、静かに尋ねた。
「次に、その儀式が行われるのは……いつでしょうか?」
村長は、窓の外へ視線を向けた。
山々の向こう。
夕暮れの空には、まだ細い月が浮かんでいた。
「……次の満月じゃ」
「……!」
「それまで、あと十日ほどじゃな」
イリスは、ゆっくりと息を吸った。
十日。
それだけ待てば。
月神竜セレーネに、会えるかもしれない。
「……メイビスさん」
「はい!」
隣のメイビスが、力強く頷いた。
「ここまで来ましたね、イリスさん!」
「……はい」
イリスは、静かに微笑んだ。
「ようやく……ここまで来ました」
村長は、そんな二人を見つめていた。
「お主たち、月神竜様に何を願うつもりじゃ?」
イリスは、少しだけ考えた。
そして、まっすぐに答えた。
「……故郷へ帰るための、手掛かりを探しているんです」
「故郷……?」
「はい」
イリスは頷いた。
「とても遠い場所にある、私の故郷です」
村長は、しばらく黙っていた。
やがて。
「……そうか」
静かに頷く。
「ならば、月神竜様がお力を貸してくださることを祈ろう」
「ありがとうございます」
イリスは深く頭を下げた。
その隣で、メイビスも笑顔を浮かべる。
「私たちも、儀式のお手伝いをしていいですか?」
「ほう?」
「せっかくお世話になるんですから!」
メイビスは元気よく答えた。
「何かお役に立ちたいんです!」
村長は目を細めた。
「……ありがたいことじゃ」
そして、穏やかに笑った。
「では、明日から手伝ってもらおうかの」
「はいっ!」
メイビスが嬉しそうに頷いた。
イリスも微笑む。
「よろしくお願いします」
◇
その夜。
二人は、村で用意してもらった小さな客室にいた。
窓の外には、満天の星空が広がっている。
「……綺麗ですね」
イリスが呟いた。
「はい」
メイビスも隣に立った。
山々に囲まれた村。
街の明かりが少ないためか、星々が驚くほど鮮明に見えていた。
「……イリスさん」
「はい?」
「もうすぐですね」
「……そうですね」
イリスは、夜空に浮かぶ月を見つめた。
あと十日。
月が満ちる、その夜。
月神竜セレーネが、この村へ降り立つという。
その存在が、本当に異なる世界を渡れるのなら。
自分の故郷へ帰る方法も、わかるかもしれない。
「……」
イリスは、無意識に左手の指輪へ触れた。
緑色の宝石が、星明かりを受けて小さく輝いている。
「……イリスさん?」
メイビスが、そっと声をかけた。
「緊張していますか?」
「……少しだけ」
イリスは、正直に答えた。
「ここまで来るのに、随分と時間がかかりましたから」
「そうですね」
メイビスは頷いた。
そして、にっこりと笑う。
「でも、まだ終わっていませんよ!」
「……!」
「月神竜さんに会って、ちゃんとお話を聞くまでが今回の目標です!」
「……ふふっ」
イリスは、思わず笑った。
「そうですね」
「はい!」
メイビスは、自分の指輪を見せた。
青い宝石が、淡く輝いている。
「それに、私もいますから!」
「……」
「何があっても、一緒に考えましょう!」
イリスは、しばらくその指輪を見つめていた。
そして。
「……ありがとうございます、メイビスさん」
柔らかく微笑んだ。
「本当に、心強いです」
「えへへ!」
二人は顔を見合わせ、笑い合った。
窓の向こう。
夜空に浮かぶ月は、まだ満ちていない。
けれど、その光は確かに、二人の行く先を照らしていた。
長い旅の果て。
聖剣使いと妖精は、ついに月神竜のもとへたどり着こうとしていた。
――満月まで、あと十日。
その夜、二人は何を知ることになるのか。
今はまだ、誰にもわからない。
――第55話 完――
【こそこそ妖精話】
~指輪の実験~
ギルティナ大陸、とある街の宿屋。
お揃いの魔法の指輪を購入した、その日の夜。
メイビス「イリスさん!」
イリス「はい? どうしました?」
メイビス「せっかくですから、指輪の性能を試してみませんか!?」
イリス「……性能、ですか?」
メイビス「はい! どのくらい離れても探知できるのか、実験したいんです!」
イリス「ふふっ。メイビスさんらしいですね」
メイビス「というわけで、イリスさんには街のどこかに隠れていただきます!」
イリス「……私が隠れるんですか?」
メイビス「はい! 私が指輪を使って探し出します!」
イリス「なるほど……わかりました」
◇
それから、しばらくして。
メイビス「ふふふ……どこに隠れていても、見つけてみせますよ!」
メイビスは青い指輪に魔力を流した。
宝石の内部に光が灯り、ある方向を示す。
メイビス「こっちですね!」
メイビスは元気よく歩き出した。
◇
十分後。
メイビス「……あれ?」
指輪が示した先には、大きな建物があった。
メイビス「この中でしょうか?」
中へ入ると、そこは街の図書館だった。
メイビス「……まさか」
嫌な予感がした。
そして。
イリス「あっ。メイビスさん」
閲覧席で本を読んでいたイリスが顔を上げた。
メイビス「イリスさん!!」
イリス「ふふっ。見つかってしまいましたね」
メイビス「何をしているんですか!?」
イリス「待っている間、少し読書を」
メイビス「隠れてくださいって言いましたよね!?」
イリス「……図書館の中に隠れていたつもりだったのですが」
メイビス「普通に読書しているじゃないですか!」
イリス「ふふっ。すみません」
メイビスは頬を膨らませた。
メイビス「もう一回です!」
イリス「えっ?」
メイビス「今度こそ、ちゃんと隠れてください!」
イリス「……わかりました」
◇
さらに三十分後。
メイビス「……今度は、こっちですね!」
指輪を頼りに、メイビスがたどり着いたのは。
街の人気菓子店だった。
メイビス「……」
店内では、イリスが紅茶とケーキを楽しんでいた。
イリス「あっ。メイビスさん」
メイビス「イリスさーん!!」
イリス「ふふっ。思ったより早かったですね」
メイビス「どうしてケーキを食べているんですか!?」
イリス「美味しそうだったので、つい……」
メイビス「実験中ですよ!?」
イリス「……メイビスさんの分も注文してありますよ?」
メイビス「……!」
メイビスの視線が、テーブルの上に向いた。
そこには、美味しそうな苺のケーキが置かれていた。
メイビス「…………」
イリス「一緒に食べませんか?」
メイビス「……食べます!」
こうして。
指輪の実験は、二人のお茶会へと変わった。
ちなみに。
指輪の探知性能は、きちんと確認できたらしい。
ただし、メイビスの実験記録には、こう記されていた。
――被験者が自由すぎる。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。