妖精と聖剣使い   作:使い手なない

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第58話「二人の帰り道」

 

第一幕 満月の翌朝

 

 X693年・秋。

 

 ギルティナ大陸北東部。

 

 月神竜を信仰する小さな山村に、穏やかな朝が訪れていた。

 

 昨夜まで満月に照らされていた山々は、今では柔らかな朝日に包まれている。

 

 窓の外から聞こえてくるのは、小鳥のさえずりと、村人たちが一日を始める物音。

 

「……ん」

 

 小さく身じろぎして、イリス・アストレアは目を覚ました。

 

 見慣れない木造の天井。

 

 旅の途中で何度も経験した、宿屋の朝。

 

 けれど、今朝は少しだけ違っていた。

 

「……目が、重いですね」

 

 ぼんやりと呟き、指先で目元に触れる。

 

 少し腫れている。

 

 昨夜、あれだけ泣いたのだから当然だった。

 

 月神竜セレーネとの出会い。

 

 故郷へ帰る方法を尋ねたこと。

 

 そして、帰還がどれほど困難なのかを知ったこと。

 

 思い返すだけで、胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 

「…………」

 

 イリスは膝の上で両手を握った。

 

 昨日までなら、きっと一人で抱え込んでいただろう。

 

 けれど――。

 

「イリスさん!」

 

 突然、部屋の扉が開いた。

 

「おはようございます!」

 

 顔を覗かせたのは、メイビス・ヴァーミリオンだった。

 

 いつもと変わらない、明るい笑顔。

 

「おはようございます、メイビスさん」

 

「よかった! 起きていたんですね!」

 

「ふふっ。今、起きたところです」

 

「それなら、ちょうどいいです!」

 

 メイビスは嬉しそうに両手を合わせた。

 

「朝ご飯ができたそうですよ!」

 

「……朝ご飯、ですか?」

 

「はい! 焼きたてのパンと、温かいスープです!」

 

 その言葉を聞いた途端。

 

 ぐぅ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 二人の間に沈黙が落ちた。

 

 イリスはゆっくりと自分のお腹を見下ろす。

 

 メイビスも同じ場所を見ていた。

 

「……聞こえました?」

 

「はい!」

 

「……そうですか」

 

 イリスは頬を赤くした。

 

 すると、メイビスがくすくすと笑い始める。

 

「ふふっ。イリスさんのお腹も、朝ご飯が楽しみみたいですね!」

 

「もう……メイビスさん」

 

 少しだけ恥ずかしくて。

 

 けれど、不思議と嫌ではなくて。

 

 イリスもつられるように笑った。

 

 昨日の悲しみが消えたわけではない。

 

 それでも。

 

 こうして笑える朝が、ちゃんと訪れたのだった。

 

――――――――――

 

第二幕 小さな約束

 

 朝食を終えた二人は、村の中を散歩していた。

 

 昨夜の儀式で賑わっていた広場も、今ではすっかり静かになっている。

 

 村人たちは供物を片づけたり、家畜の世話をしたりと、それぞれの日常へ戻っていた。

 

「昨日は、あんなに賑やかだったのに」

 

 イリスが呟く。

 

「お祭りの翌朝って、少し不思議な感じがしますね」

 

「そうですね!」

 

 メイビスは楽しそうに辺りを見回した。

 

「でも、私はこういう静かな村も好きですよ!」

 

「私もです」

 

 二人は並んで歩く。

 

 村の外れには、小さな花畑が広がっていた。

 

 秋の風に揺れる、白や薄紫の花々。

 

「わあ……!」

 

 メイビスが嬉しそうに駆け寄った。

 

「イリスさん! 見てください!」

 

「ふふっ。綺麗ですね」

 

 イリスもその隣にしゃがみ込む。

 

 しばらく、二人は花を眺めていた。

 

 やがて。

 

「……メイビスさん」

 

「はい?」

 

「昨日は、ありがとうございました」

 

 メイビスが振り返る。

 

 イリスは花畑を見つめたまま、静かに続けた。

 

「私……昨日、随分と泣いてしまいましたね」

 

「そうですね」

 

「……呆れませんでしたか?」

 

「どうしてですか?」

 

 メイビスは不思議そうに首を傾げた。

 

「だって、イリスさんが悲しかったんですよね?」

 

「……はい」

 

「だったら、泣いたっていいじゃないですか!」

 

 あまりにも当たり前のように言われて、イリスは目を瞬かせた。

 

「イリスさんは、いつもみんなを助けてくれます」

 

 メイビスは花を一輪、そっと指先で揺らす。

 

「でも、イリスさんだって、悲しくなることも、寂しくなることもありますよね?」

 

「…………」

 

「だから、そういう時くらい、私を頼ってください!」

 

 にっこりと笑う。

 

「私たち、友達なんですから!」

 

 その言葉に、イリスの胸が温かくなった。

 

「……そうですね」

 

 小さく頷く。

 

「ありがとうございます、メイビスさん」

 

「えへへ!」

 

 メイビスは少し得意げに胸を張った。

 

「それに!」

 

「それに?」

 

「今度はイリスさんが、私を助けてくださいね!」

 

 冗談めかした口調だった。

 

 けれど、イリスはその言葉を聞いて、優しく微笑んだ。

 

「もちろんです」

 

 迷うことなく答える。

 

「メイビスさんが困っていたら、今度は私が助けます」

 

「本当ですか?」

 

「はい。約束です」

 

 イリスは小指を差し出した。

 

 メイビスは目を丸くする。

 

「それは何ですか?」

 

「私の故郷で、約束をする時に使う仕草なんです」

 

「へえ!」

 

 興味津々で身を乗り出すメイビス。

 

「どうするんですか?」

 

「こうして、小指を絡めるんですよ」

 

 二人の小指が、そっと結ばれる。

 

「指切り、です」

 

「ゆびきり……!」

 

 メイビスは嬉しそうに繰り返した。

 

「素敵ですね!」

 

「ふふっ。ありがとうございます」

 

「それじゃあ、約束です!」

 

「はい」

 

 二人は小指を絡めたまま、顔を見合わせた。

 

「困った時は、お互いに助け合う!」

 

「ええ。必ず」

 

 秋風が、花畑を優しく揺らした。

 

 それは、何気ない小さな約束。

 

 けれど、二人にとっては、とても大切な約束になった。

 

――――――――――

 

第三幕 旅で得たもの

 

 昼過ぎ。

 

 二人は宿の部屋で、これまでの旅の記録を広げていた。

 

 机の上には、各地で集めた伝承の写しや、古い地図、魔法に関する書物が並んでいる。

 

「さて!」

 

 メイビスが腕まくりをした。

 

「せっかくですから、今回の旅で分かったことを整理しましょう!」

 

「はい!」

 

 イリスも椅子に腰を下ろす。

 

 メイビスは一枚の紙を取り出した。

 

「まず、異世界は本当に存在していて、世界を渡る魔法も存在する!」

 

「そうですね」

 

「それから、異界へ渡るには、目的の世界の座標を知る必要がある!」

 

「……はい」

 

 イリスの表情が、ほんの少し曇る。

 

 メイビスはそれに気づいたが、あえて話を止めなかった。

 

「そして、世界の境界にも条件がある……」

 

 さらさらと文字を書き込んでいく。

 

「うーん……」

 

 メイビスは紙を見つめた。

 

「分からないことだらけですね!」

 

「……そうですね」

 

 イリスは苦笑した。

 

「結局、帰る方法は見つかりませんでした」

 

「でも!」

 

 メイビスは顔を上げる。

 

「何も分からなかった頃とは違いますよ!」

 

「……え?」

 

「だって、今までは何を調べればいいのかも分からなかったじゃないですか!」

 

 メイビスは紙を指差した。

 

「でも今は、調べるべきことが分かっています!」

 

 世界の座標。

 

 境界の性質。

 

 異界への道を開く術式。

 

 そして、帰還後に再び世界を渡る方法。

 

「もちろん、簡単ではありません」

 

 メイビスは真剣な表情になった。

 

「私にも、できるかどうか分かりません」

 

「…………」

 

「でも、考えることはできます」

 

 その瞳には、いつもの好奇心と、確かな決意が宿っていた。

 

「私、もっと空間魔法を研究してみたいです!」

 

 イリスは思わず微笑んだ。

 

「……メイビスさんらしいですね」

 

「えへへ!」

 

「ですが、無理はしないでくださいね?」

 

「もちろんです!」

 

 即答だった。

 

 少しだけ、信用できない。

 

「……本当ですか?」

 

「ほ、本当ですよ!」

 

「ふふっ」

 

 イリスは笑った。

 

 その笑顔を見て、メイビスも嬉しそうに笑う。

 

 ふと、イリスは自分の指に目を落とした。

 

 銀色の指輪。

 

 繊細な花と蔓の意匠。

 

 中央には、メイビスの瞳を思わせる緑色の宝石が輝いている。

 

「……この指輪も、旅で手に入れたものですね」

 

「はい!」

 

 メイビスも自分の指輪を掲げた。

 

 こちらには、イリスの青い瞳を思わせる宝石が嵌め込まれている。

 

「お揃いです!」

 

「ふふっ。そうですね」

 

 イリスは指輪をそっと撫でた。

 

 昨日、この指輪がメイビスを自分のもとへ導いてくれた。

 

 離れていても、互いのいる方向が分かる魔法。

 

 小さな魔法だけれど。

 

 今のイリスには、とても心強いものだった。

 

「……メイビスさん」

 

「はい?」

 

「私、この旅に来てよかったです」

 

 メイビスは少し驚いたように目を見開いた。

 

「……帰る方法は、見つかりませんでしたけど」

 

 イリスは指輪を見つめる。

 

「それでも、いろいろな景色を見られました」

 

 知らない街。

 

 美しい山々。

 

 広大な湖。

 

 古い伝承。

 

 そして、数え切れないほどの思い出。

 

「メイビスさんと一緒に旅ができて、本当によかったです」

 

 その言葉に、メイビスの頬がぱっと明るくなった。

 

「私もです!」

 

 嬉しそうに笑う。

 

「イリスさんと一緒だったから、毎日楽しかったです!」

 

「ふふっ。私もですよ」

 

 机の上には、まだ解けない謎が山積みだった。

 

 けれど。

 

 その隣には、旅の思い出もたくさん積み重なっていた。

 

――――――――――

 

終幕 帰る場所

 

 翌朝。

 

 二人は村を出発することにした。

 

 村人たちは、旅立つ二人を温かく見送ってくれた。

 

「またおいで!」

 

「道中、気をつけてな!」

 

「はい! ありがとうございました!」

 

 メイビスが元気よく手を振る。

 

 イリスも丁寧に頭を下げた。

 

「お世話になりました」

 

 村を離れ、山道を歩き始める。

 

 秋の空は高く、澄み渡っていた。

 

 遠くには、黄金色に染まり始めた森が広がっている。

 

「さて!」

 

 メイビスが地図を広げた。

 

「次はどこへ行きましょうか!」

 

「ふふっ。もう次の目的地ですか?」

 

「もちろんです!」

 

 メイビスは目を輝かせる。

 

「せっかくギルティナ大陸まで来たんですから、まだまだ見たい場所がたくさんあります!」

 

「そうですね」

 

 イリスは頷いた。

 

 そして、少し考える。

 

「……でも、そろそろ帰り道も考えないといけませんね」

 

「マグノリアですか?」

 

「はい」

 

 イリスは遠くの空を見つめた。

 

「皆さん、元気にしているでしょうか」

 

「きっと元気ですよ!」

 

 メイビスは笑う。

 

「ユーリさんなんて、今頃また何か騒ぎを起こしていそうです!」

 

「ふふっ。ありそうですね」

 

「プレヒトさんは、きっと大変です!」

 

「……帰ったら、ちゃんとお礼を言わないといけませんね」

 

「はい!」

 

 二人は顔を見合わせて笑った。

 

 妖精の尻尾。

 

 たくさんの仲間たちが待つ場所。

 

 あの賑やかなギルドの光景が、自然と脳裏に浮かぶ。

 

 イリスは胸元に手を当てた。

 

 故郷への想いは、今も消えていない。

 

 帰りたい。

 

 もう一度、あの世界を見たい。

 

 その願いは、これからもきっと変わらない。

 

 けれど。

 

 今、自分の隣にはメイビスがいる。

 

 そして、遠く離れたマグノリアには、大切な仲間たちがいる。

 

 それもまた、確かな事実だった。

 

「……メイビスさん」

 

「はい?」

 

「帰り道も、いろいろな景色を見て回りませんか?」

 

 メイビスの顔が輝いた。

 

「もちろんです!」

 

「ふふっ。では、急がずに帰りましょう」

 

「はい!」

 

 メイビスは嬉しそうに頷いた。

 

「それじゃあ、まずは次の街ですね!」

 

「ええ」

 

 二人は並んで歩き出す。

 

 ふと、メイビスが手を差し出した。

 

「イリスさん!」

 

「……はい?」

 

「手、繋ぎませんか?」

 

 イリスは少しだけ目を丸くした。

 

 そして、柔らかく微笑む。

 

「……はい。喜んで」

 

 差し出された小さな手を、そっと握る。

 

 温かかった。

 

 昨日も、今日も。

 

 その温もりは、変わらない。

 

「さあ、行きましょう!」

 

「はい!」

 

 二人の少女は、秋の山道を歩いていく。

 

 まだ、答えは見つからない。

 

 これから先、どんな未来が待っているのかも分からない。

 

 それでも。

 

 今日の空は、とても綺麗だった。

 

 隣を歩く友人の笑顔も、とても眩しかった。

 

 だから、今は。

 

 この穏やかな時間を、大切にしたかった。

 

 イリスはメイビスの手を握り返す。

 

「……メイビスさん」

 

「はい?」

 

「次の街では、美味しいものを食べましょうね」

 

「……!」

 

 メイビスの瞳が、きらきらと輝いた。

 

「はいっ!!」

 

 その元気な返事に、イリスは声を上げて笑った。

 

 秋風が、二人の髪を優しく揺らしていく。

 

 長い旅は、まだ終わらない。

 

 けれど、その帰り道には。

 

 きっと、たくさんの笑顔が待っている。

 

 ――第58話 完――

 

 

 




【こそこそ妖精話】
~幻の初代マスターと妖精の聖剣~

 X693年・秋。

 マグノリア、妖精の尻尾。

 今日もギルドは賑やかだった。

新人魔導士「……あの、プレヒトさん」

プレヒト「どうした?」

新人魔導士「一つ、聞いてもいいですか?」

プレヒト「ああ。構わない」

新人魔導士「このギルドって、マスターはプレヒトさんですよね?」

プレヒト「……違う」

新人魔導士「えっ?」

プレヒト「私は代理マスターだ。正式なマスターはメイビスだ」

新人魔導士「……メイビスさん?」

プレヒト「ああ」

新人魔導士「…………」

プレヒト「…………」

新人魔導士「……どこにいるんですか?」

プレヒト「旅に出ている」

新人魔導士「ええっ!?」

 その声に、近くで依頼書を眺めていたユーリが振り返った。

ユーリ「なんだなんだ、騒がしいな!」

新人魔導士「ユーリさん! このギルドのマスターって、別にいるんですか!?」

ユーリ「おう! メイビスっていう、すげえ頭のいい奴だぞ!」

新人魔導士「へえ……!」

ユーリ「まあ、ちょっと変わってるけどな!」

プレヒト「お前に言われたくはないだろうな」

ユーリ「なんだと!?」

新人魔導士「じゃあ、そのメイビスさんは、いつ帰ってくるんですか?」

ユーリ「さあ?」

新人魔導士「さあ!?」

ユーリ「旅が終わったら帰ってくるだろ!」

プレヒト「……一応、連絡は取っている。心配するな」

新人魔導士「そ、そうなんですね……」

 新人は少し考え込んだ。

新人魔導士「そういえば、もう一人……」

プレヒト「ん?」

新人魔導士「『妖精の聖剣』って呼ばれているイリスさん、本当にいるんですか?」

ユーリ「ぶっ!」

プレヒト「……どういう意味だ?」

新人魔導士「いや、だって! ものすごく強いって聞くのに、一度も見たことがなくて!」

ユーリ「いるいる! ちゃんといるぞ!」

新人魔導士「でも、誰に聞いても『すごい』『強い』『綺麗』って話ばっかりで……」

ユーリ「全部本当だぞ!」

新人魔導士「……なんだか伝説の人物みたいですね」

プレヒト「…………」

ユーリ「…………」

 そこへ、リタが通りかかった。

リタ「あら、何の話?」

ユーリ「新人がイリスの存在を疑ってるんだよ!」

リタ「まあ!」

新人魔導士「い、いえ! 疑っているというか……!」

リタ「ふふっ。大丈夫よ。イリスちゃんはちゃんといるわ」

新人魔導士「本当ですか?」

リタ「ええ。とっても可愛くて、礼儀正しい子なの」

新人魔導士「へえ……!」

リタ「それに、すごく強いのよ」

新人魔導士「……やっぱり伝説じゃないですか!」

ユーリ「がっはっは!」

 プレヒトは深いため息をついた。

プレヒト「……まったく。二人とも、早く帰ってきてくれ」

ユーリ「おっ、寂しいのか?」

プレヒト「仕事が多いんだ!」

リタ「ふふっ。そういうことにしておきましょう」

プレヒト「リタまで……!」

 その日。

 新人魔導士の中で、妖精の尻尾には『滅多に姿を見せない伝説の初代マスターと妖精の聖剣』がいるという噂が、ますます広まったという。

 なお、本人たちは遠いギルティナ大陸で、次の街の美味しい食べ物について真剣に相談していた。



ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。
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