妖精と聖剣使い   作:使い手なない

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第68話「妖精たちの旅立ち」

 

第一幕 旅立ちの準備

 

 X696年。

 

 フィオーレ王国、マグノリア。

 

 あの日から、数日が過ぎた。

 

 街には、いつもと変わらない朝が訪れていた。

 

 石畳の道を行き交う人々。

 

 店先に並ぶ色とりどりの商品。

 

 焼きたてのパンの香りが漂い、遠くから子供たちの笑い声が聞こえてくる。

 

 十年前と比べれば、マグノリアは随分と賑やかな街になった。

 

 かつてブルースカルの支配に苦しんでいた街。

 

 その面影は、今ではほとんど残っていない。

 

 そして、街の一角。

 

 魔導士ギルド――妖精の尻尾。

 

 その扉の向こうでは、今日も仲間たちが集まっていた。

 

 けれど。

 

 以前のような賑やかさは、まだ戻っていなかった。

 

「……この依頼は、三人で向かってくれ」

 

 依頼掲示板の前で、プレヒトが静かに指示を出していた。

 

「……わかりました、マスター」

 

 若い魔導士が頷く。

 

 その呼び方に、プレヒトは一瞬だけ動きを止めた。

 

 マスター。

 

 数日前まで、その言葉が向けられていたのはメイビスだった。

 

 十年前、天狼島で出会った小さな少女。

 

 誰よりも優れた頭脳を持ち、誰よりも仲間のことを考えていた少女。

 

 その彼女から、ギルドを託された。

 

「……どうかしましたか?」

 

「……いや、何でもない」

 

 プレヒトは首を振った。

 

「……気をつけて行ってこい」

 

「はい!」

 

 若い魔導士たちは頭を下げ、ギルドを出ていった。

 

 その背中を見送りながら、プレヒトは小さく息を吐いた。

 

「……慣れないものだな」

 

「……マスターと呼ばれることかい?」

 

 隣から声をかけたのは、ウォーロッドだった。

 

「ああ」

 

 プレヒトは苦笑した。

 

「……メイビスは、よく十年間もやっていたものだ」

 

 ウォーロッドは穏やかに笑った。

 

「……彼女は、楽しそうだったからね」

 

「……そうだな」

 

 プレヒトは、かつてメイビスが座っていた席へ視線を向けた。

 

 そこには、今は誰もいない。

 

 けれど。

 

 あの少女が築いたものは、確かにここに残っていた。

 

「……僕たちも、頑張らないとね」

 

 ウォーロッドが言う。

 

「……ああ」

 

 プレヒトは頷いた。

 

「……あいつらが帰ってきたとき、胸を張って迎えられるようにな」

 

 その言葉に、ウォーロッドは微笑んだ。

 

「……うん」

 

 ◇

 

 ギルドの奥にある研究室。

 

 机の上には、いくつもの魔法書が積み重ねられていた。

 

 古代魔法に関する資料。

 

 呪術の研究記録。

 

 魔力と生命の関係について記された論文。

 

 その中央で、セヴェル・アクエリスが一冊の古書を読んでいた。

 

「……なるほど」

 

 ページをめくる。

 

「……生命に作用する呪術の記録は存在する。だが……」

 

 彼は眉をひそめた。

 

「……アンクセラムの呪いとは、性質が違いすぎる」

 

 目の前に置かれた紙には、いくつもの仮説が書き込まれていた。

 

 呪いの発動条件。

 

 生命力への干渉。

 

 魔力との関係。

 

 そして、不死性。

 

 どれも、まだ答えには程遠かった。

 

「……神の呪い、か」

 

 セヴェルは小さく呟いた。

 

 数日前。

 

 自分は、一人の女性を救えなかった。

 

 リタ・ドレアー。

 

 仲間であり、ユーリの妻であり、生まれたばかりのマカロフの母親だった。

 

 持てる限りの治癒魔法を使った。

 

 それでも、彼女の命を取り戻すことはできなかった。

 

「…………」

 

 セヴェルは、静かに目を閉じた。

 

 治癒魔導士として、救えなかった命はこれまでもあった。

 

 だが。

 

 だからといって、慣れることなどない。

 

「……次は、同じことを繰り返さない」

 

 小さな声で呟く。

 

 そして、再び古書へ視線を落とした。

 

 そのとき。

 

 研究室の扉が、軽く叩かれた。

 

「……セヴェルさん」

 

「……入れ」

 

 扉が開き、イリスが顔を覗かせた。

 

 その隣には、メイビスの幻影が立っている。

 

「……お邪魔します」

 

「……何か用か?」

 

「……はい。旅立つ前に、少しお話ししておきたくて」

 

 セヴェルは本を閉じた。

 

「……準備は進んでいるのか?」

 

「……はい」

 

 イリスは頷いた。

 

「……必要な物資は、ほとんど揃いました」

 

 メイビスも小さく頷く。

 

「……私も、調べられる範囲でゼレフさんの情報を整理してみました」

 

「……そうか」

 

 セヴェルは二人を見つめた。

 

「……行き先は決まったのか?」

 

 イリスは首を横に振った。

 

「……まだ、はっきりとは」

 

「……ですが」

 

 メイビスが続ける。

 

「……ゼレフさんについて、古い記録が残っていそうな場所を、いくつか調べてみようと思っています」

 

 セヴェルは頷いた。

 

「……悪くない判断だ」

 

 そして、机の上から一冊の薄い手帳を取り出した。

 

「……これを持っていけ」

 

 イリスが瞬きをする。

 

「……これは?」

 

「……俺が調べた、古代呪術に関する資料の所在だ」

 

 手帳には、いくつもの地名と文献名が記されていた。

 

「……すべてが役に立つとは限らん。だが、何もないよりはいいだろう」

 

 イリスは両手で受け取った。

 

「……ありがとうございます、セヴェルさん」

 

「……礼はいい」

 

 セヴェルは静かに続けた。

 

「……何かわかったら、こちらにも知らせてくれ」

 

「……はい」

 

 メイビスが頷く。

 

「……私たちも、できるだけ情報を送ります」

 

「……頼む」

 

 少しの沈黙。

 

 そして、セヴェルはふとイリスへ視線を向けた。

 

「……それと、イリス」

 

「……はい?」

 

「……お前の身体についても、引き続き調査する」

 

 イリスは少し驚いたように目を見開いた。

 

「……まだ、調べてくださるんですか?」

 

「……当然だ」

 

 セヴェルは淡々と答えた。

 

「……研究者として、あれほど興味深い事例を放置する理由がない」

 

 イリスは思わず小さく笑った。

 

「……ふふ。セヴェルさんらしいですね」

 

「……褒め言葉として受け取っておこう」

 

 セヴェルの口元にも、わずかな笑みが浮かんだ。

 

 それは、ほんの短い時間だった。

 

 けれど。

 

 悲しみに沈んでいた数日間の中で、久しぶりに交わされた穏やかな会話だった。

 

---

 

第二幕 二代目ギルドマスター

 

 昼過ぎ。

 

 イリスとメイビスは、ギルドの広間へ戻っていた。

 

 依頼掲示板の前では、プレヒトが数人の魔導士と話している。

 

 ウォーロッドは、新しく加入した若い魔導士に依頼の注意事項を説明していた。

 

 酒場の席では、エマが仲間たちと静かに話している。

 

 いつものような大騒ぎはない。

 

 けれど。

 

 誰もが、自分にできることを少しずつ始めていた。

 

「……プレヒトさん」

 

 イリスが声をかける。

 

 プレヒトが顔を上げた。

 

「……イリスか」

 

「……お忙しいところ、すみません」

 

「……構わん。ちょうど一段落したところだ」

 

 プレヒトは手元の書類を置いた。

 

「……旅の準備はどうだ?」

 

「……順調です」

 

 イリスは微笑んだ。

 

「……明日の朝には、出発できると思います」

 

「……明日か」

 

 プレヒトは小さく呟いた。

 

 そして、メイビスの幻影へ視線を向ける。

 

「……メイビス」

 

「……はい」

 

「……ギルドのことは、心配するな」

 

 メイビスは少しだけ目を伏せた。

 

「……ありがとうございます」

 

「……もっとも」

 

 プレヒトは腕を組んだ。

 

「……お前のように、うまくやれるかはわからんがな」

 

 メイビスは瞬きをした。

 

 そして、少しだけ微笑んだ。

 

「……大丈夫ですよ」

 

「……何?」

 

「……プレヒトさんなら、きっと立派なマスターになれます」

 

 プレヒトは、少し困ったような表情を浮かべた。

 

「……ずいぶん簡単に言ってくれるな」

 

「……ふふ」

 

 メイビスは小さく笑った。

 

「……だって、十年間も一緒にいたんですから」

 

 その言葉に、プレヒトは黙った。

 

「……プレヒトさんが、どれだけ仲間のことを考えているか、私は知っています」

 

「…………」

 

「……だから、安心してお任せできるんです」

 

 プレヒトは、しばらくメイビスを見つめていた。

 

 そして。

 

「……そうか」

 

 小さく頷いた。

 

「……なら、その期待には応えないとな」

 

 メイビスは微笑んだ。

 

「……はい」

 

 ◇

 

 そのとき。

 

「……イリス」

 

 ウォーロッドが近づいてきた。

 

「……ウォーロッドさん」

 

「……明日、出発するんだって?」

 

「……はい」

 

 イリスは頷いた。

 

「……しばらく、戻れないかもしれません」

 

 ウォーロッドは穏やかに微笑んだ。

 

「……そうだね」

 

 そして、少しだけ寂しそうに続けた。

 

「……また、二人がいなくなるんだね」

 

 イリスは小さく笑った。

 

「……ギルティナ大陸へ行ったときも、長い間留守にしてしまいましたからね」

 

「……あのときは、帰ってきた二人の話を聞くのが楽しかったよ」

 

 ウォーロッドは懐かしそうに言った。

 

「……今回も、いろんな話を聞かせてほしいな」

 

「……もちろんです」

 

 イリスは微笑んだ。

 

「……今度は、もっとたくさんのお土産話を持って帰りますね」

 

 ウォーロッドも笑った。

 

「……楽しみにしているよ」

 

 メイビスは、そんな二人を見つめていた。

 

 そして、静かに口を開く。

 

「……ウォーロッドさん」

 

「……何だい?」

 

「……ギルドのこと、よろしくお願いします」

 

 ウォーロッドは頷いた。

 

「……任せて」

 

 その声は、いつもと変わらず穏やかだった。

 

「……僕たちの家だからね」

 

 メイビスの瞳が、少しだけ潤んだ。

 

「……はい」

 

 ◇

 

 夕方。

 

 ギルドの奥の部屋では、ユーリがマカロフを抱いていた。

 

 小さな赤ん坊は、父親の腕の中で静かに眠っている。

 

 ユーリは、その寝顔を見つめていた。

 

「……お前、よく寝るなあ……」

 

 小さく呟く。

 

 返事はない。

 

 ただ、マカロフの小さな胸が、規則正しく上下している。

 

 ユーリは、そっと息を吐いた。

 

 リタがいなくなってから、まだ数日しか経っていない。

 

 朝、目が覚めるたびに思う。

 

 隣に、リタがいない。

 

 いつもなら聞こえてくるはずの声が、聞こえない。

 

 それが、どうしようもなく苦しかった。

 

「……なあ、マカロフ」

 

 ユーリは、息子の顔を見つめた。

 

「……お前の母ちゃんはな……」

 

 声が、少しだけ震えた。

 

「……すげえ、優しい人だったんだぞ」

 

 マカロフは眠ったままだった。

 

「……俺が無茶すると、いつも怒ってさ……」

 

 ユーリは、かすかに笑った。

 

「……でも、最後には笑ってくれるんだ」

 

 その笑みが、少しずつ消えていく。

 

「……会わせてやりたかったな……」

 

 涙が、一粒落ちた。

 

「……もっと、いっぱい……」

 

 ユーリは、そっとマカロフを抱き寄せた。

 

「……ごめんな……」

 

 その声は、誰にも届かなかった。

 

 けれど。

 

 小さな手が、父親の指を握った。

 

「…………」

 

 ユーリは目を見開いた。

 

 そして。

 

「……そっか」

 

 小さく呟いた。

 

「……お前は、ここにいるんだよな」

 

 涙を拭う。

 

「……父ちゃん、頑張らねえとな……」

 

 まだ、笑えるようにはなれない。

 

 悲しみも、消えていない。

 

 それでも。

 

 腕の中の命だけは、守らなければならなかった。

 

---

 

第三幕 十年間の宝物

 

 その夜。

 

 マグノリアから少し離れた森。

 

 木々の間に、小さな灯りが揺れていた。

 

 イリスとメイビスは、焚き火を囲んで座っていた。

 

 メイビスは、幻影ではなく本体の姿だった。

 

 周囲に人の気配はない。

 

 森の中には、静かな夜風が吹いている。

 

 焚き火の炎が、二人の顔を柔らかく照らしていた。

 

「……明日ですね」

 

 メイビスが呟いた。

 

「……はい」

 

 イリスは頷く。

 

「……いよいよ、出発ですね」

 

 メイビスは、焚き火を見つめた。

 

「……なんだか、不思議です」

 

「……何がですか?」

 

「……十年前も、こうして二人でお話ししていたなって」

 

 イリスは少し考えた。

 

 そして、微笑んだ。

 

「……天狼島のことですか?」

 

「……はい」

 

 メイビスは頷いた。

 

「……あの頃は、何も知らなかったですね」

 

 イリスは小さく笑った。

 

「……私なんて、この世界のことを何一つ知りませんでしたから」

 

「……ふふ。そうでしたね」

 

 メイビスも笑った。

 

「……突然、見知らぬ少女が現れたんですから、私もびっくりしました」

 

「……私も、メイビスに出会えて驚きましたよ」

 

 イリスは懐かしそうに言った。

 

「……まさか、あんな小さな島で、友達ができるなんて思っていませんでした」

 

 メイビスは、少しだけ頬を赤らめた。

 

「……私もです」

 

 焚き火が、小さく音を立てた。

 

「……それから、ユーリさんたちが来て……」

 

 メイビスが続ける。

 

「……ブルースカルと戦って……」

 

「……妖精の尻尾を創りましたね」

 

 イリスが微笑んだ。

 

「……はい」

 

 メイビスは、ゆっくりと頷いた。

 

「……あのときは、こんなに大きなギルドになるなんて思っていませんでした」

 

「……そうですね」

 

 イリスは夜空を見上げた。

 

 十年前。

 

 何もないところから始まった、小さなギルド。

 

 五人で笑い合いながら、未来を語った。

 

 それから、多くの仲間が増えた。

 

 エマ。

 

 セヴェル。

 

 リタ。

 

 そして、名前を挙げきれないほどの仲間たち。

 

 楽しいことも、苦しいこともあった。

 

 けれど。

 

 どの思い出にも、誰かの笑顔があった。

 

「……楽しかったですね」

 

 イリスが呟いた。

 

「……はい」

 

 メイビスは微笑んだ。

 

「……本当に、楽しかったです」

 

 少しの沈黙。

 

 そして。

 

「……でも……」

 

 メイビスの声が、小さくなった。

 

「……私、みんなのところに戻れなくなってしまいました」

 

 イリスは、メイビスを見つめた。

 

「……メイビス」

 

「……十年前は、あんなに楽しかったのに……」

 

 メイビスは膝の上で両手を握りしめた。

 

「……今は、みんなに近づくことさえできません」

 

 その声が震える。

 

「……私が、こんな呪いを受けていなければ……」

 

 イリスは何も言わなかった。

 

 ただ、メイビスの言葉を待った。

 

「……リタさんだって……」

 

 メイビスは唇を噛んだ。

 

「……今頃、ユーリさんとマカロフを抱いて……」

 

 涙が、頬を伝った。

 

「……笑っていたはずなのに……」

 

 イリスは、そっとメイビスの手を握った。

 

「……はい」

 

 静かな返事だった。

 

「……きっと、そうだったと思います」

 

 メイビスの瞳が揺れる。

 

 イリスは続けた。

 

「……だから、忘れないようにしましょう」

 

「……忘れない……?」

 

「……はい」

 

 イリスは穏やかに微笑んだ。

 

「……リタさんのことも、みんなと過ごした時間も」

 

 メイビスは、涙を拭った。

 

「……はい……」

 

「……そして、これからも生きていきましょう」

 

 イリスは、握った手に少しだけ力を込めた。

 

「……私たちが生きている限り、できることはきっとありますから」

 

 メイビスは、しばらく黙っていた。

 

 そして。

 

「……イリス」

 

「……はい?」

 

「……私、あなたに出会えてよかったです」

 

 イリスは目を瞬かせた。

 

 メイビスは、涙の残る顔で微笑んだ。

 

「……十年前、天狼島で出会ったときから……」

 

 その声は、少しだけ震えていた。

 

「……あなたがいてくれたから、私はたくさんの幸せを知ることができました」

 

 イリスの胸が、温かくなる。

 

「……メイビス……」

 

「……だから……」

 

 メイビスは、そっとイリスの手を握り返した。

 

「……これからも、一緒にいてください」

 

 イリスは、柔らかく微笑んだ。

 

「……もちろんです」

 

 そして、静かに続けた。

 

「……何度でも言いますよ」

 

 メイビスが顔を上げる。

 

「……私は、メイビスと共に生きていきます」

 

 その言葉に。

 

 メイビスの瞳から、また涙が溢れた。

 

「……はい……!」

 

 けれど、今度は。

 

 ほんの少しだけ、笑っていた。

 

 ◇

 

 夜が更けていく。

 

 焚き火の炎が、小さく揺れていた。

 

 メイビスは、イリスの肩にそっと頭を預けた。

 

「……イリス」

 

「……はい?」

 

「……これから、どんな旅になるんでしょうね」

 

 イリスは少し考えた。

 

「……そうですね」

 

 そして、微笑んだ。

 

「……きっと、大変なこともあると思います」

 

「……はい」

 

「……でも」

 

 イリスは、夜空を見上げた。

 

「……楽しいことも、たくさん見つけましょう」

 

 メイビスは小さく笑った。

 

「……ふふ。そうですね」

 

 そして、そっと目を閉じた。

 

 十年前。

 

 天狼島で出会った二人の少女。

 

 あの頃は、互いの未来など何も知らなかった。

 

 けれど。

 

 十年という月日を経て。

 

 二人は、もう一度。

 

 共に旅立とうとしていた。

 

---

 

第四幕 それぞれの道

 

 翌朝。

 

 マグノリアの街は、柔らかな朝日に包まれていた。

 

 街の外れ。

 

 森へ続く道の手前に、数人の姿があった。

 

 プレヒト。

 

 ウォーロッド。

 

 セヴェル。

 

 そして、ユーリ。

 

 その腕には、マカロフが抱かれていた。

 

 少し離れた場所には、イリスが立っている。

 

 隣には、メイビスの幻影。

 

 二人は、旅装を整えていた。

 

 イリスの左腰には、いつもの聖剣。

 

 濃紺と黄金の鞘が、朝日を受けて淡く輝いている。

 

「……それじゃあ」

 

 イリスが、仲間たちを見つめた。

 

「……行ってきます」

 

 プレヒトが頷いた。

 

「……ああ」

 

 そして、静かに続ける。

 

「……無理はするなよ」

 

 イリスは微笑んだ。

 

「……はい」

 

 ウォーロッドも笑った。

 

「……また、元気な顔を見せてね」

 

「……もちろんです」

 

 メイビスも頷く。

 

「……必ず、また会いに来ます」

 

 セヴェルは腕を組んだまま、静かに口を開いた。

 

「……情報が手に入ったら、すぐに連絡しろ」

 

「……はい」

 

 イリスが頷く。

 

「……よろしくお願いします」

 

 そして。

 

 イリスは、ユーリへ視線を向けた。

 

「……ユーリさん」

 

 ユーリは、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……ああ」

 

 その顔には、まだ深い疲れが残っていた。

 

 目元も赤い。

 

 けれど、彼はここに来ていた。

 

 マカロフを抱いて。

 

 仲間たちの旅立ちを見送るために。

 

「……イリス」

 

「……はい」

 

「……気をつけろよ」

 

 短い言葉だった。

 

 イリスは、静かに頷いた。

 

「……はい」

 

 ユーリは、少しだけ視線を落とした。

 

 そして。

 

「……メイビス」

 

 その名前を呼んだ。

 

 メイビスの幻影が、小さく身を震わせる。

 

「……はい……」

 

 ユーリは、しばらく黙っていた。

 

 何かを言おうとして。

 

 けれど、言葉が見つからなかった。

 

 やがて。

 

「……頼んだぞ」

 

 それだけを告げた。

 

 メイビスの瞳が揺れる。

 

「……はい……!」

 

 声が震えた。

 

「……必ず、手掛かりを探してきます……!」

 

 ユーリは小さく頷いた。

 

 それ以上は、何も言わなかった。

 

 許したわけではない。

 

 悲しみが消えたわけでもない。

 

 けれど。

 

 彼は、二人を見送るためにここへ来た。

 

 それだけで、十分だった。

 

 ◇

 

 イリスは、仲間たちを見渡した。

 

 十年前。

 

 天狼島で出会った仲間たち。

 

 共に戦い、共に笑い、共にギルドを創った仲間たち。

 

 その一人一人の顔を、胸に刻むように見つめた。

 

「……皆さん」

 

 イリスは、深く頭を下げた。

 

「……十年間、本当にありがとうございました」

 

 プレヒトが、少しだけ目を見開いた。

 

 ウォーロッドも、静かにイリスを見つめる。

 

「……私は、この世界に来たとき……」

 

 イリスは、ゆっくりと顔を上げた。

 

「……何もわからなくて、どうすればいいのかもわかりませんでした」

 

 その声は、少しだけ震えていた。

 

「……でも、皆さんと出会えて……」

 

 イリスは微笑んだ。

 

「……この世界が、大好きになりました」

 

 ウォーロッドの瞳が、少しだけ潤んだ。

 

「……イリス……」

 

「……妖精の尻尾は、私にとって大切な家族です」

 

 イリスは続けた。

 

「……だから、これからも……」

 

 少しだけ言葉を詰まらせる。

 

「……よろしくお願いします」

 

 プレヒトは、静かに頷いた。

 

「……こちらこそだ」

 

 ウォーロッドも微笑んだ。

 

「……いつでも帰っておいで」

 

 セヴェルも小さく頷く。

 

「……お前の居場所は、ここにもある」

 

 イリスは、嬉しそうに笑った。

 

「……はい!」

 

 メイビスも、涙を浮かべながら微笑んだ。

 

「……皆さん……」

 

 その声が震える。

 

「……本当に、ありがとうございました……!」

 

 プレヒトは、二人を見つめた。

 

 そして。

 

「……行ってこい」

 

 静かに告げた。

 

「……妖精の尻尾は、俺たちが守る」

 

 その言葉に。

 

 イリスとメイビスは、深く頷いた。

 

「……はい!」

 

 二人の声が、重なった。

 

---

 

第五幕 永劫へ

 

 マグノリアから離れた森の中。

 

 イリスとメイビスの幻影は、静かな道を歩いていた。

 

 木々の間から差し込む朝日。

 

 風に揺れる草花。

 

 遠くから聞こえる鳥の声。

 

 そのすべてが、どこか懐かしく感じられた。

 

「……イリス」

 

 メイビスが呼びかける。

 

「……はい?」

 

「……みんな、優しかったですね」

 

 イリスは微笑んだ。

 

「……そうですね」

 

 メイビスは、少しだけ目を伏せた。

 

「……私、まだ……」

 

 その声が、小さくなる。

 

「……自分のことを、許せません」

 

 イリスは何も言わなかった。

 

「……きっと、これからも……」

 

 メイビスは続けた。

 

「……リタさんのことを思い出すたびに、苦しくなると思います」

 

「……はい」

 

 イリスは静かに頷いた。

 

「……私も、忘れません」

 

 メイビスが顔を上げる。

 

 イリスは、穏やかに微笑んだ。

 

「……でも、だからこそ」

 

 そして、静かに続けた。

 

「……これから先、同じ悲しみを繰り返さないために、できることを探しましょう」

 

 メイビスの瞳が揺れた。

 

「……はい……!」

 

 二人は、再び歩き出した。

 

 やがて。

 

 森の奥に、小さな空き地が見えてきた。

 

 そこには、もう一人のメイビスが座っていた。

 

 本体のメイビス。

 

 彼女は二人の姿に気づくと、ゆっくりと立ち上がった。

 

「……おかえりなさい」

 

 幻影のメイビスが微笑む。

 

「……ただいま」

 

 同じ声が、二つ重なった。

 

 イリスは思わず小さく笑った。

 

「……何度見ても、不思議な光景ですね」

 

「……ふふ」

 

 本体のメイビスも笑った。

 

 そして、そっと手をかざす。

 

 幻影の身体が、淡い金色の光に包まれた。

 

 光の粒子が舞い上がり、ゆっくりと消えていく。

 

 やがて、そこには。

 

 イリスと、本体のメイビスだけが残った。

 

「……さて」

 

 メイビスが小さく息を吐いた。

 

「……これで、準備は整いましたね」

 

 イリスは頷いた。

 

「……はい」

 

 そして、メイビスへ手を差し出した。

 

「……行きましょうか、メイビス」

 

 メイビスは、その手を見つめた。

 

 十年前。

 

 天狼島で出会った、一人の少女。

 

 あのときも。

 

 彼女は、自分へ手を差し伸べてくれた。

 

 そして今。

 

 十年という月日を経て。

 

 もう一度、同じ手が差し出されている。

 

 メイビスは、そっとその手を握った。

 

「……はい、イリス」

 

 二人は、並んで歩き出した。

 

 ◇

 

 森を抜けると、広い草原が広がっていた。

 

 遠くには、青い山々。

 

 空には、白い雲がゆっくりと流れている。

 

 どこまでも続く道。

 

 その先に何が待っているのか、まだ誰にもわからない。

 

 ゼレフを見つけられるのか。

 

 アンクセラムの呪いを解く方法が存在するのか。

 

 イリスの身体の謎が、いつか明らかになるのか。

 

 答えは、何一つ見つかっていなかった。

 

 それでも。

 

 二人は、歩き続けることを選んだ。

 

「……イリス」

 

 メイビスが、ふと口を開いた。

 

「……はい?」

 

「……私たち、また帰ってこられますよね」

 

 イリスは、少しだけ微笑んだ。

 

「……もちろんです」

 

 そして、遠くの空を見つめた。

 

「……だって、私たちの家ですから」

 

 メイビスの瞳が、柔らかく細められる。

 

「……はい」

 

 その声には、確かな温もりがあった。

 

 イリスは、メイビスの手を握り直した。

 

「……それに」

 

「……はい?」

 

「……帰ってきたときには、きっと驚かされますよ」

 

 メイビスが首を傾げる。

 

「……どうしてですか?」

 

 イリスは楽しそうに笑った。

 

「……プレヒトさんが、どんなマスターになっているのか、楽しみじゃありませんか?」

 

 メイビスは一瞬きょとんとした。

 

 そして。

 

「……ふふっ」

 

 小さく笑った。

 

「……そうですね!」

 

 久しぶりの、自然な笑顔だった。

 

「……きっと、今よりもっと立派なギルドになっていますね」

 

「……はい」

 

 イリスも微笑んだ。

 

「……楽しみですね」

 

 風が吹いた。

 

 黒髪と金髪が、柔らかく揺れる。

 

 二人の指には、お揃いの指輪。

 

 青と緑の宝石が、朝日を受けて輝いていた。

 

 十年前。

 

 天狼島で出会った二人の少女。

 

 一人は、異世界から迷い込んだ聖剣使い。

 

 一人は、妖精を信じた小さな魔導士。

 

 あの出会いから、すべてが始まった。

 

 仲間ができた。

 

 家族ができた。

 

 帰る場所ができた。

 

 そして。

 

 大切なものを失う悲しみも知った。

 

 それでも。

 

 二人は、立ち止まらなかった。

 

 悲しみを忘れたわけではない。

 

 過去を捨てたわけでもない。

 

 ただ。

 

 大切な人たちとの思い出を胸に、未来へ歩き出した。

 

 妖精の尻尾。

 

 その名は、これから先も受け継がれていく。

 

 時代が変わっても。

 

 仲間が増えても。

 

 やがて、今を生きる者たちが年老いても。

 

 あの日、五人で創った小さなギルドは、きっと誰かの居場所であり続ける。

 

 そして。

 

 その始まりを知る二人の少女は。

 

 これから、長い旅へと向かう。

 

 何十年。

 

 何百年。

 

 あるいは、それ以上の時間が流れるのかもしれない。

 

 けれど。

 

 どれほど長い道のりであっても。

 

 二人で歩くのなら、きっと。

 

 その旅は、孤独ではない。

 

「……メイビス」

 

「……はい、イリス」

 

「……これからも、よろしくお願いしますね」

 

 メイビスは、嬉しそうに微笑んだ。

 

「……こちらこそ!」

 

 そして。

 

 二人は、顔を見合わせて笑った。

 

 青と金の瞳を持つ少女。

 

 緑の瞳を持つ少女。

 

 その手は、しっかりと繋がれていた。

 

 どこまでも続く青空の下。

 

 二人の新しい物語が、静かに始まろうとしていた。

 

 それは。

 

 永遠に近い時を、共に歩むための物語。

 

 妖精と聖剣使いの、果てしない旅の始まりだった。

 

 ――第68話 終――

 

 ――第二章「黎明編」完――

 




ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。
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