妖精と聖剣使い   作:使い手なない

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第70話「二人だけの旅路」

 

 X696年。

 

 フィオーレ王国の、とある街道。

 

 マグノリアを旅立ってから、数日が経過していた。

 

 青く澄んだ空の下、緩やかな丘陵地帯を二人の少女が歩いている。

 

 一人は、美しい黒髪を揺らす聖剣使い。

 

 もう一人は、長い金髪を風になびかせる小柄な少女。

 

 イリス・アストレアとメイビス・ヴァーミリオン。

 

 かつて妖精の尻尾を創設した二人は、今、新たな目的を胸に旅を続けていた。

 

 今、イリスの隣を歩いているのは、幻影ではないメイビス本人だった。

 

 アンクセラムの呪いを抱える彼女は、人の集まる場所へ不用意に近づくことができない。

 

 そのため、二人は人通りの少ない道を選び、街や村へ入る際には、安全な場所に本体を残して実体幻影を使用することにしていた。

 

 けれど、人里を離れた場所では、こうして二人で並んで歩くことができる。

 

「……いい天気ですね」

 

 イリスが空を見上げる。

 

「はい! 旅には絶好のお天気です!」

 

 隣を歩くメイビスが、明るい声で答えた。

 

「それにしても……」

 

 メイビスが、少し楽しそうに笑う。

 

「こうして二人で旅をするのも、久しぶりですね」

 

「そうですね。ギルティナ大陸以来でしょうか」

 

「ふふっ。あのときは、いろいろありましたね」

 

「本当に……いろいろありました」

 

 イリスは苦笑する。

 

 月神竜セレーネとの出会い。

 

 異世界への帰還に関する、あまりにも厳しい現実。

 

 そして、涙を流す自分に寄り添ってくれたメイビス。

 

 あの旅は、決して楽しいことばかりではなかった。

 

 けれど。

 

 今では、かけがえのない思い出になっている。

 

「……今度の旅は、私が頑張る番ですね」

 

 イリスが小さく呟く。

 

「え?」

 

「いえ。何でもありません」

 

「むぅ。気になります!」

 

 頬を膨らませるメイビス。

 

 その様子に、イリスは思わず笑ってしまった。

 

「ふふっ。メイビスは相変わらずですね」

 

「イリスこそ!」

 

 二人の笑い声が、穏やかな風に溶けていった。

 

 ◇

 

【第一幕 古代呪術の手掛かり】

 

 昼過ぎ。

 

 二人は、小さな町を見下ろす林の近くへ到着した。

 

 眼下には石造りの建物が並び、町の中央には時計塔が見える。

 

「ここですね」

 

 イリスが一冊の手帳を取り出す。

 

 それは、旅立つ前にセヴェルから渡されたものだった。

 

 古代呪術に関する文献や、過去の研究施設について、彼が調べた情報が記されている。

 

「この町には、古い魔法文献を収集している資料館があるそうです」

 

「はい。特に、古代の呪術体系について記された文献が残っている可能性があります」

 

 メイビスの瞳が、わずかに輝いた。

 

 魔法の研究。

 

 それは、彼女が昔から大好きなことだった。

 

「では、行ってみましょう!」

 

「はい。ただ、その前に……」

 

 イリスが周囲を見渡す。

 

 林の奥には人の気配がなく、町からも十分に距離があった。

 

「ここなら、大丈夫そうですね」

 

「……はい」

 

 メイビスは小さく頷いた。

 

 街へ入ることができない。

 

 それは、今の彼女にとって避けられない制約だった。

 

 けれど、調査を諦める必要はない。

 

「では、少しだけ待っていてください」

 

 メイビスが静かに目を閉じる。

 

 その身体から、淡い魔力の光が広がった。

 

 次の瞬間。

 

 彼女の隣に、もう一人のメイビスが姿を現した。

 

 長い金髪。

 

 緑色の瞳。

 

 小柄な身体。

 

 その姿は、本体と寸分違わない。

 

「……よしっ!」

 

 実体幻影のメイビスが、軽く両手を握った。

 

「準備完了です!」

 

 イリスは思わず微笑む。

 

「ふふっ。何度見ても不思議ですね」

 

「そうですか?」

 

「はい。まるで双子みたいです」

 

「ふふっ。確かにそうですね!」

 

 幻影のメイビスが楽しそうに笑う。

 

 一方、本体のメイビスは林の奥にある大きな木の根元へ腰を下ろした。

 

 幻影を維持している間も、本体が消えるわけではない。

 

 そのため、こうして人目につかない安全な場所に留まる必要がある。

 

「……それでは、行きましょうか」

 

 イリスが声をかける。

 

「はい!」

 

 二人は町へ向かって歩き出した。

 

 ◇

 

【第二幕 古い魔法の記録】

 

 町の資料館は、古びた石造りの建物だった。

 

 内部には、古い書物や巻物が整然と並べられている。

 

 木製の書架。

 

 魔法で保存された羊皮紙。

 

 文字の薄れた石板。

 

 そのどれもが、長い年月を経て残された貴重な資料だった。

 

「これは……!」

 

 メイビスが、一冊の古い書物を手に取る。

 

「イリス、見てください!」

 

「何か見つかりましたか?」

 

「はい! この本、古代の呪術と魔法契約の関係について書かれています!」

 

 メイビスは興奮した様子でページをめくった。

 

「通常の呪術は、術者と対象の間に魔力的な繋がりを形成する場合が多いんです。でも……」

 

 彼女の指が、ある一節で止まる。

 

「……アンクセラムの呪いは、それとは違う可能性があります」

 

 イリスは隣から書物を覗き込んだ。

 

「どういうことですか?」

 

「この文献では、呪術を大きく二つに分類しています」

 

 メイビスは、机の上に紙を広げた。

 

「一つは、魔導士が意図的に発動させる呪術。もう一つは、特定の条件を満たしたときに、本人の意思とは無関係に作用する呪いです」

 

「……なるほど」

 

「アンクセラムの呪いは、後者に近いのかもしれません」

 

 メイビスは考え込む。

 

「でも、それだけでは説明できないことが多すぎます」

 

「例えば?」

 

「私が生命を大切に思うほど、周囲の生命を奪ってしまうことです」

 

 その声が、少しだけ沈んだ。

 

「……普通の呪術なら、術式を解析して解除する方法を探せます。でも、私の場合は……」

 

 メイビスは言葉を止めた。

 

 イリスは、静かに書物へ視線を落とす。

 

「……メイビス」

 

「はい」

 

「少なくとも、今まで知らなかった分類が見つかりました」

 

「……え?」

 

「それなら、調べる方向を一つ絞れますよね」

 

 メイビスが目を瞬かせる。

 

「……はい」

 

 そして、少しだけ微笑んだ。

 

「そうですね。まだ、何もわかっていないのと同じではありません」

 

「ええ」

 

 イリスも微笑み返す。

 

「一つずつ、調べていきましょう」

 

 メイビスは頷くと、再び書物へ向き直った。

 

「それに、この分類が正しいなら……呪いを発動させている条件そのものを調べる必要があります」

 

「条件そのもの、ですか」

 

「はい。何がきっかけで作用するのか。どのような仕組みで魔力が動くのか。そして……」

 

 メイビスは自分の胸元に手を当てた。

 

「……どうして、私自身には止められないのか」

 

 イリスは、その言葉を静かに聞いていた。

 

 答えは、まだ見つからない。

 

 それでも。

 

 メイビスの瞳には、研究者としての強い意志が宿っていた。

 

 ◇

 

【第三幕 残された名前】

 

 それから数時間。

 

 二人は資料館に残された文献を調べ続けた。

 

 メイビスは古代文字の解読を進め、イリスは関連する書物を探していく。

 

 時には二人で内容を照らし合わせ、気になる記述を手帳へ書き写した。

 

「……メイビス、こちらはどうでしょう?」

 

 イリスが差し出したのは、古い魔導士たちの記録だった。

 

「これは……魔法研究者の活動記録ですね」

 

 メイビスがページをめくる。

 

 そこには、古代魔法や禁術を研究した魔導士たちの名前が並んでいた。

 

 しかし、ほとんどは二人の知らない人物だった。

 

「……やはり、ゼレフさんの名前はありませんね」

 

 イリスが呟く。

 

「はい。そもそもゼレフは、普通の研究者として活動しているわけではないでしょうから」

 

「そうですね……」

 

 かつて天狼島で出会った黒髪の魔導士。

 

 優れた魔法の知識を持ちながら、どこか寂しげな雰囲気を纏っていた青年。

 

 今なら、その理由が少しだけわかる気がした。

 

「……あの人も、ずっと一人だったんでしょうか」

 

 イリスの言葉に、メイビスが顔を上げる。

 

「……そうかもしれません」

 

 メイビスは静かに答えた。

 

「私と同じ呪いを背負っているのなら……誰かと一緒にいることが、どれほど怖いか……」

 

 そこで、言葉が途切れた。

 

 イリスは、メイビスの横顔を見つめる。

 

「……でも、私たちは会いに行くんですよね」

 

「……はい」

 

「だったら、きっと見つけましょう」

 

 メイビスは小さく頷いた。

 

「……そうですね」

 

 その後も調査を続けた二人だったが、ゼレフの居場所に直接繋がる情報は見つからなかった。

 

 ただ、古代呪術に関する記録の中に、興味深い記述が一つだけ残されていた。

 

 それは、呪いを個人の魔力だけでは説明できない現象として扱った、古い研究者の考察だった。

 

 神の名を冠する呪い。

 

 通常の魔法体系とは異なる作用。

 

 そして、術者自身の意思を無視して発動する力。

 

「……これも、調べてみる価値がありそうですね」

 

 メイビスが呟く。

 

「はい」

 

 イリスは手帳へ情報を書き加えた。

 

 小さな手掛かり。

 

 それでも、二人にとっては大切な一歩だった。

 

 ◇

 

【第四幕 星空の下で】

 

 夕暮れ。

 

 二人は町を離れ、昼間メイビスの本体を残した林へ戻ってきた。

 

 周囲に人の気配がないことを確認すると、幻影のメイビスが小さく微笑む。

 

「……それでは、戻りますね」

 

「はい。お疲れさまでした」

 

 次の瞬間。

 

 幻影の身体が淡い光となって消えた。

 

 イリスは林の奥へ歩いていく。

 

 そこには、大きな木の根元に腰を下ろしたメイビスの本体がいた。

 

「……お帰りなさい、イリス」

 

 メイビスが穏やかに微笑む。

 

「ただいま戻りました、メイビス」

 

 イリスも笑顔で答えた。

 

 昼間、町を歩いていたメイビスと、目の前にいるメイビス。

 

 姿も声も、ほとんど変わらない。

 

 けれど。

 

 今、目の前にいるのは、幻影ではない本当のメイビスだった。

 

「……今日も、いろいろ調べられましたね」

 

「はい。思っていた以上に興味深い資料がありました」

 

 メイビスは嬉しそうに答える。

 

「ただ、あの文献だけではまだ足りません。別の地域に残されている記録とも比較したいです」

 

「次の目的地が決まりそうですね」

 

「ふふっ。そうですね!」

 

 二人は林を離れ、今夜の野営に適した場所へ移動した。

 

 やがて、森の奥に小さな空き地を見つける。

 

 そこにテントを張り、周囲には簡易的な防御結界を展開した。

 

 野営用の魔道具に明かりを灯すと、柔らかな光が二人を照らす。

 

 夕食の準備も、すっかり慣れたものだった。

 

 魔道具で温めたスープ。

 

 保存食を使った料理。

 

 そして、町で買ってきた焼き菓子。

 

「……あっ!」

 

 メイビスが、焼き菓子を見て目を輝かせた。

 

「これ、さっきのお店のものですよね!」

 

「はい。美味しそうだったので買ってきました」

 

「ありがとうございます、イリス!」

 

 嬉しそうに菓子を受け取るメイビス。

 

 その姿を見て、イリスは小さく笑った。

 

「ふふっ。甘いものが好きなのは、昔から変わりませんね」

 

「美味しいものは、何年経っても美味しいんです!」

 

「それは確かに」

 

 二人は笑い合った。

 

 穏やかな夜だった。

 

 けれど。

 

 ふとした瞬間、メイビスの視線が焚き火の炎へ向けられる。

 

「…………」

 

 揺れる炎。

 

 静かな森。

 

 そして、遠くから聞こえる虫の声。

 

「……イリス」

 

「はい?」

 

「……今日、町で小さな子供を見ましたよね」

 

 イリスは静かに頷いた。

 

「……はい」

 

「……マカロフも、いつかあんなふうに歩くんでしょうね」

 

 メイビスの声が、かすかに震える。

 

「ユーリさんに手を引かれて……笑って……」

 

 言葉が途切れた。

 

 イリスは何も言わず、隣へ腰を下ろす。

 

「……私」

 

 メイビスが俯いた。

 

「……リタさんにも、見てほしかったです」

 

「…………」

 

「マカロフが初めて歩くところも……初めて言葉を話すところも……」

 

 小さな手が、膝の上で握りしめられる。

 

「……全部……」

 

 イリスは、そっとメイビスの手に自分の手を重ねた。

 

「……そうですね」

 

 それ以上、簡単な慰めの言葉は出てこなかった。

 

 リタは、もう戻らない。

 

 その事実だけは、どれほど強い魔法を使えても変えられない。

 

 メイビスは、しばらく俯いていた。

 

 やがて、小さく息を吐く。

 

「……ごめんなさい。せっかく楽しく食事をしていたのに」

 

「謝らなくていいですよ」

 

 イリスは静かに答えた。

 

「……でも」

 

「メイビス」

 

 イリスは、彼女の手を優しく握った。

 

「楽しいときは、一緒に笑いましょう」

 

「…………」

 

「悲しいときは、無理に笑わなくてもいいんです」

 

 メイビスが顔を上げる。

 

 イリスは穏やかに微笑んだ。

 

「どちらも、私たちの大切な時間ですから」

 

「……イリス」

 

 メイビスの瞳に、涙が浮かんだ。

 

 けれど、今度は泣き崩れることはなかった。

 

 ただ、イリスの肩へそっと寄りかかる。

 

「……ありがとうございます」

 

「どういたしまして」

 

 二人は、そのまましばらく夜空を眺めていた。

 

 満天の星が、静かに輝いている。

 

 やがて。

 

「……あの、イリス」

 

「はい?」

 

「明日も、少し早く出発していいですか?」

 

「もちろんです。何か気になることが?」

 

 メイビスは顔を上げた。

 

 その瞳には、昼間の研究者としての輝きが戻っていた。

 

「今日の資料に、古代呪術の研究者が集まっていた地域についての記述があったんです!」

 

「なるほど」

 

「もしかしたら、そこに別の記録が残っているかもしれません!」

 

「それは楽しみですね」

 

「はい!」

 

 メイビスは嬉しそうに笑った。

 

 イリスも、その笑顔につられるように微笑む。

 

 ――まだ、何も解決していない。

 

 アンクセラムの呪いは消えていない。

 

 ゼレフの居場所もわからない。

 

 リタを失った悲しみも、簡単には癒えない。

 

 それでも。

 

 二人は今日、一つの手掛かりを見つけた。

 

 そして、明日もまた歩き続ける。

 

 長い旅になるだろう。

 

 何年かかるのかも、わからない。

 

 けれど。

 

 隣には、大切な友達がいる。

 

 共に笑い、共に悩み、共に未来を探してくれる存在がいる。

 

 それだけで、歩き続ける理由には十分だった。

 

 ◇

 

 夜が更けていく。

 

 魔道具の明かりが消され、森は静寂に包まれた。

 

 テントの中では、二人の少女が眠りについている。

 

 外では、満天の星が輝いていた。

 

 かつて天狼島で出会った二人。

 

 十年の時を経て、今度は誰かの命を救う方法を探す旅へ出た。

 

 その旅が、どれほど長いものになるのか。

 

 今の二人は、まだ知らない。

 

 けれど。

 

 この小さな一歩が、やがて遠い未来へと繋がっていく。

 

 妖精と聖剣使いの、新たな旅が始まった。

 

 ――第70話 終――

 




【こそこそ妖精話】
~野営のおやつ事情~

メイビス「イリス! 一つ、重大な問題が発生しました!」

イリス「えっ!? どうしたんですか?」

メイビス「お菓子がありません!」

イリス「…………」

メイビス「昨日買った焼き菓子が、もうなくなってしまったんです!」

イリス「……昨日、全部食べていましたよね?」

メイビス「はい! とても美味しかったです!」

イリス「それなら、なくなっているのは当然では……?」

メイビス「ですが、今日のお菓子がありません!」

イリス「……なるほど。そういう問題ですか」

メイビス「これは由々しき事態です!」

イリス「ふふっ。では、次の町で買いましょうか」

メイビス「本当ですか!?」

イリス「はい。ただし、今度は少しずつ食べてくださいね?」

メイビス「もちろんです!」

イリス「……本当でしょうか」

メイビス「私を信じてください!」

イリス「では、次の町まで三日ほどありますし、三日分のお菓子を買いましょう」

メイビス「わかりました!」

 ――三日後。

イリス「……メイビス?」

メイビス「はい?」

イリス「昨日買った三日分のお菓子は、どこへ?」

メイビス「…………」

イリス「…………」

メイビス「……とても、美味しかったです」

イリス「……全部食べたんですね?」

メイビス「……はい」

イリス「ふふっ。もう……」

メイビス「で、ですが! 美味しいお菓子を三日間我慢するのは、非常に難しい問題だと思うんです!」

イリス「魔法の研究より難しいんですか?」

メイビス「はい!」

イリス「即答ですか!?」

 ――こうして、妖精の尻尾の初代マスターは、今日も甘い誘惑に敗北するのだった。

 なお、翌日。

 イリスは野営用の調理魔道具を使って、簡単な焼き菓子を作ってあげたという。

メイビス「イリス! 天才です!!」

イリス「……メイビスに言われると、なんだか照れますね」



ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。
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