X699年。
フィオーレ王国の北東部。
険しい山々に囲まれた森の奥を、二人の少女が歩いていた。
「……この辺りのはずなんですが」
メイビス・ヴァーミリオンが、古びた地図を広げながら呟いた。
「何か目印はありますか?」
「ええと……大きな岩山と、三本の石柱があるそうです」
「石柱、ですか」
イリス・アストレアは周囲を見渡した。
生い茂る木々。
苔に覆われた岩。
人が通った形跡など、ほとんど残されていない。
しかし。
「……あ」
「どうしました?」
「メイビス、あちらを見てください」
イリスが指差した先。
木々の隙間から、古びた石柱が一本だけ覗いていた。
「……ありました!」
メイビスの表情が明るくなる。
二人は足早に近づいた。
そこには、崩れた石壁と、地面に埋もれた建造物の跡が広がっていた。
長い年月を経て、すっかり森に呑み込まれてしまった古代の施設。
かつて、この場所には魔法の研究施設が存在していたという。
「……随分、古そうですね」
「はい。少なくとも数百年前の建造物だと思います」
メイビスは石柱に刻まれた文字を眺めた。
「この文字……古代魔法文字ですね」
「読めそうですか?」
「一部なら!」
メイビスは嬉しそうに頷いた。
「ふふっ。これは調べ甲斐がありそうです!」
その笑顔を見て、イリスも微笑んだ。
「では、始めましょうか」
「はい!」
二人は、忘れられた研究施設へと足を踏み入れた。
◇
【第一幕 忘れられた研究施設】
施設の内部は、予想以上に広かった。
崩れた廊下。
天井から垂れ下がる植物の根。
そして、壁一面に刻まれた複雑な魔法文字。
「……これは」
メイビスが足を止めた。
「随分と高度な術式ですね」
「何か特別なものなんですか?」
「はい。複数の魔法陣を重ね合わせて、一つの術式として機能させています」
メイビスは壁へ近づいた。
「普通なら、それぞれの魔法陣が干渉してしまうんですが……この術式は、その干渉を逆に利用しているみたいです」
「……なるほど」
イリスは金色の瞳を向けた。
古びた壁の奥。
そこには、微弱ながらも魔力の残滓が残されていた。
「……メイビス」
「はい?」
「この壁、まだ魔力が残っています」
「本当ですか!?」
「ええ。かなり薄いですが……術式の一部が、今も機能しているようです」
「……それなら!」
メイビスが目を輝かせる。
「内部の記録が残っているかもしれません!」
二人は慎重に調査を進めた。
イリスが魔力の流れを読み取り、メイビスが術式の構造を解析する。
長い旅の中で培われた、二人ならではの調査方法だった。
「……ここですね」
イリスが壁の一部を指差した。
「この場所だけ、魔力の流れが不自然に途切れています」
「……なるほど」
メイビスは手帳を開き、壁の術式と見比べた。
「ここに、別の魔法陣が隠されているんですね」
「おそらく」
「では……少し試してみます!」
メイビスが指先に魔力を集めた。
淡い光が壁へ流れ込む。
次の瞬間。
壁に刻まれた文字が、一つ、また一つと輝き始めた。
「……おお」
イリスが感嘆する。
やがて。
ゴゴゴ……。
低い音と共に、壁の一部がゆっくりと動いた。
その奥には、小さな部屋が隠されていた。
「……成功です!」
メイビスが嬉しそうに振り返る。
「お見事です、メイビス」
「ふふっ。イリスが魔力の流れを見つけてくれたおかげですよ!」
二人は顔を見合わせて笑った。
そして、隠された部屋へ足を踏み入れた。
◇
部屋の中には、古びた書架が並んでいた。
ほとんどの書物は朽ち果てていたが、一部は保存魔法によって守られているらしい。
「……これは、すごいですね」
イリスが呟く。
「はい……!」
メイビスは興奮を隠しきれない様子で、書架へ近づいた。
「古代魔法の研究記録が、こんなに……!」
「落ち着いてくださいね。床も随分傷んでいますから」
「わかっています!」
そう答えながら、メイビスはすでに一冊の本を手に取っていた。
「……メイビス」
「はい?」
「……足元」
「え?」
ミシッ。
「きゃっ!?」
床板が小さく沈んだ。
しかし、次の瞬間にはイリスがメイビスの腕を掴んでいた。
「……危ないですよ」
「……す、すみません」
メイビスが気まずそうに笑う。
「つい、夢中になってしまって……」
「ふふっ。知っています」
「もう! イリス!」
二人の笑い声が、静かな部屋に響いた。
◇
【第二幕 記録に残された魔導士】
調査を始めてから、数時間が経過した。
部屋の中央には、保存状態の良い研究記録が並べられていた。
古代呪術。
魔法契約。
生命魔法。
そして、魔力を制御するための高度な術式。
「……興味深いですね」
メイビスが一冊の記録を読みながら呟いた。
「何かわかりましたか?」
「はい。この施設では、魔法の発動条件について研究していたようです」
「発動条件……」
「例えば、特定の魔力にだけ反応する術式や、決められた条件を満たした場合にのみ発動する魔法ですね」
イリスは頷いた。
「以前の遺跡で見つけた術式にも、似た仕組みがありましたね」
「そうなんです!」
メイビスが嬉しそうに答える。
「ただ、こちらの研究はさらに複雑で……」
そこで。
メイビスの言葉が止まった。
「…………」
「……メイビス?」
返事がない。
メイビスは、開いた記録の一ページをじっと見つめていた。
「……これは」
小さな呟き。
「……どうして……」
イリスが隣へ近づいた。
「何かありましたか?」
「……イリス」
メイビスが、ゆっくりと顔を上げた。
「この術式……見覚えがあります」
「……見覚え?」
「はい」
メイビスは記録に描かれた魔法陣を指差した。
「複数の魔法陣を重ねて、魔力の流れを一つにまとめる構造……」
その指先が、わずかに震えていた。
「……これ」
メイビスが息を呑む。
「……ロウに使われていた術式と、よく似ています」
「…………!」
イリスの表情が変わった。
ロウ。
かつて、メイビスが使用した禁忌魔法。
ブルースカルとの戦いで、仲間を守るために放った魔法。
そして。
アンクセラムの呪いを受ける原因となった、あの魔法。
「……ロウ、ですか」
「……はい」
メイビスは静かに頷いた。
「もちろん、まったく同じではありません。でも……」
彼女は記録の一部を指差した。
「この魔力の集束方法と、対象を識別するための術式……」
そこで、メイビスは何かを思い出したように目を見開いた。
「……そうです」
「……メイビス?」
「……思い出しました」
メイビスは、ゆっくりと呟いた。
「ゼレフです」
イリスが息を呑む。
「……ゼレフさん?」
「はい」
メイビスは記録へ視線を戻した。
「マグノリア近郊で、私たちに魔法を教えてくれたとき……ゼレフが説明していた理論です」
◇
十五年ほど前。
まだ妖精の尻尾が存在していなかった頃。
マグノリア近郊の森で、黒髪の魔導士が彼女たちへ魔法を教えていた。
魔力の流れ。
術式の構造。
魔法を発動するための条件。
そして、複数の魔法を組み合わせるための考え方。
メイビスは、その教えを誰よりも熱心に吸収していた。
やがて、ロウという高度な魔法へ挑む際にも、その知識を応用した。
だが。
その魔法が、彼女の運命を変えてしまった。
◇
「……この構造」
メイビスが、静かに続けた。
「ゼレフが教えてくれた魔法理論と、同じ考え方で組まれています」
「……では」
イリスは記録を見つめた。
「この施設に、ゼレフさんが関わっていた可能性があるんですね」
「……はい」
メイビスは頷いた。
「ただ、これだけでは断定できません。同じ理論を知っている魔導士が、他にもいたかもしれませんから」
「そうですね」
「でも……」
メイビスの緑色の瞳が、再び記録へ向けられた。
「……調べる価値はあります」
その声には、確かな意志が宿っていた。
イリスは微笑む。
「では、続きを調べましょう」
「……はい!」
二人は、再び記録の解析を始めた。
◇
さらに数時間後。
「……ありました!」
メイビスの声が、静かな部屋に響いた。
「何か見つかりましたか?」
「はい! この施設を訪れた魔導士についての記録です!」
イリスが隣へ近づく。
古びた紙には、研究者による短い記述が残されていた。
『黒髪の若き魔導士、来訪。
年齢に見合わぬ膨大な魔法知識を有する。
当施設の術式について、幾つかの改良案を提示。
その理論は極めて高度であり、現時点では完全な理解に至らず。』
「……黒髪の若い魔導士」
イリスが呟く。
「……ゼレフさんに似ていますね」
「はい」
メイビスは続きを読み進めた。
『彼は生命魔法に関する研究にも深い知識を示した。
しかし、生命を扱う術式については、何かを恐れるような様子が見られた。』
「…………」
メイビスの表情が、少しだけ曇った。
「……生命魔法を、恐れていた」
イリスは静かに頷いた。
「……アンクセラムの呪いを受けていたから、でしょうか」
「……可能性はあります」
メイビスは記録を閉じた。
「でも、まだ確証はありません」
「ええ」
二人は顔を見合わせた。
長い旅の中で、何度も期待しては、手掛かりを失ってきた。
だからこそ。
今度も、慎重に確かめる必要があった。
◇
【第三幕 繋がる足跡】
X700年。
それから一年近くが経過していた。
二人は、北東地方を中心に各地の資料館や古代遺跡を巡り続けていた。
古い研究施設で発見した術式。
黒髪の魔導士に関する記録。
そして、これまでの旅で集めてきた断片的な伝承。
それらを、一つずつ照合していく。
「……イリス!」
ある日の夕方。
山間の森に設営したテントの中で、メイビスが声を上げた。
「どうしました?」
「この記録を見てください!」
メイビスは机の上に、三枚の資料を並べた。
「こちらは、去年の研究施設で見つけた術式です」
「はい」
「そして、こちらは春に訪れた古代遺跡の記録」
「……なるほど」
「最後が、先月の資料館で見つけた研究者の手記です」
イリスは三枚の資料を見比べた。
「……共通点があるんですね?」
「はい!」
メイビスは頷いた。
「この三つの資料には、同じ魔力制御理論が使われています」
「……ゼレフさんが教えてくれた理論ですね」
「そうです!」
メイビスは一つの魔法陣を指差した。
「ただ、それだけではありません」
「……?」
「この術式の一部分だけ、他の研究者が使うものとは構造が違うんです」
イリスが金色の瞳を向けた。
古い魔法陣の写し。
そこに残された、微弱な魔力の痕跡。
「……確かに」
イリスは目を細めた。
「魔力の流れを途中で分岐させて……最後に一つへ戻していますね」
「はい!」
メイビスが嬉しそうに笑った。
「普通なら、その部分で魔力の損失が発生するんです。でも、この術式では、ほとんど損失がありません」
「……かなり高度ですね」
「ええ。しかも……」
メイビスは、少しだけ懐かしそうに微笑んだ。
「……この組み方、覚えています」
「……メイビス?」
「ゼレフが、私たちに教えてくれた方法です」
その言葉に、イリスも記憶を辿った。
マグノリア近郊。
まだ魔法を覚え始めたばかりの仲間たち。
そして、静かに魔法を教えてくれた黒髪の青年。
「……そういえば」
イリスが呟いた。
「ゼレフさん、魔力を無駄にしないことを随分重視していましたね」
「はい!」
メイビスが頷く。
「だからこそ、私はこの理論をよく覚えているんです」
そして。
「……イリス」
「はい?」
「この三つの記録……年代が違うんです」
「……年代?」
「はい」
メイビスは資料を並べ直した。
「最も古いものと新しいものでは、数十年の開きがあります」
「……!」
「でも、記録に残された魔導士の外見は、どれも若い黒髪の男性なんです」
イリスは、ゆっくりと頷いた。
「……普通なら、年齢が合いませんね」
「ええ」
メイビスは静かに答えた。
「でも、ゼレフなら……」
「……あり得ます」
二人の間に、短い沈黙が落ちた。
アンクセラムの呪い。
それによって、ゼレフは長い年月を生き続けている。
そして、メイビス自身もまた、同じ呪いを背負っていた。
「……やっぱり」
メイビスが、小さく呟いた。
「……ゼレフなのかもしれません」
その声には、期待と不安が入り混じっていた。
◇
数日後。
二人は、古い街道沿いにある小さな集落を訪れていた。
もちろん、メイビスは実体幻影である。
本体は、人里から離れた森の奥に留まっていた。
「……黒髪の魔導士?」
年老いた男性が、首を傾げた。
「そうです。昔、この辺りを訪れたという記録があるんですが……」
イリスが尋ねる。
「ううむ……」
老人はしばらく考え込んだ。
「……そういえば、祖父から聞いたことがあるな」
「本当ですか!?」
メイビスが身を乗り出す。
「随分昔の話だが、黒髪の若い魔導士が、この辺りの山へ入っていったそうだ」
「……山へ?」
「ああ。何かを探していたらしい」
イリスとメイビスは顔を見合わせた。
「……何を探していたのか、わかりますか?」
「いや、そこまでは知らん」
老人は首を横に振った。
「ただ……」
「……ただ?」
「その魔導士が通った後、森の一部が枯れたという話も聞いたな」
「…………!」
メイビスの表情が変わった。
「……森が」
「ああ。まあ、昔話だからな。どこまで本当かはわからんよ」
「……そうですか」
メイビスは静かに頷いた。
イリスは老人へ頭を下げる。
「貴重なお話を、ありがとうございました」
二人は礼を告げ、集落を後にした。
◇
森の奥。
メイビスの本体と合流した二人は、次の目的地について話し合っていた。
「……イリス」
「はい」
「……かなり、可能性が高くなりましたね」
「ええ」
イリスは頷いた。
「術式の特徴。長い年月を経ても変わらない外見。そして、生命が枯れる現象……」
「……はい」
「偶然にしては、共通点が多すぎます」
メイビスは、手帳を見つめた。
「……ゼレフ」
十五年近く、会っていない師の名前。
かつて、魔法の楽しさを教えてくれた人物。
そして今。
自分と同じ呪いを背負う存在。
「……会えるでしょうか」
メイビスが、小さく呟いた。
イリスは微笑んだ。
「……まだ、わかりません」
「……はい」
「でも」
イリスは、メイビスの手帳へ視線を向けた。
「今までより、ずっと近づいていると思います」
メイビスは、ゆっくりと顔を上げた。
「……そうですね」
そして。
「……もう少し、頑張ってみましょう!」
「はい!」
二人は、次の目的地へ向かって歩き始めた。
◇
【第四幕 十五年越しの再会へ】
X700年の終わり。
雪の降り始めた山岳地帯。
人里から遠く離れた森の中に、小さなテントが設営されていた。
内部には、野営用魔道具の柔らかな明かりが灯っている。
「……ふぅ」
メイビスが、温かい飲み物を口にした。
「今日は、随分歩きましたね」
「そうですね」
イリスは微笑みながら、手元の資料を整理していた。
「ですが、収穫はありました」
「はい!」
メイビスが頷く。
「ようやく、次に調べるべき地域が絞れました!」
机の上には、一枚の地図が広げられていた。
そこには、これまで二人が巡ってきた場所が記されている。
古代遺跡。
魔法研究施設。
古書店。
資料館。
そして、黒髪の魔導士に関する伝承が残されていた土地。
それぞれの情報を年代順に並べると、一つの傾向が見えていた。
「……北東の山脈を越えた先」
イリスが地図を指差す。
「この地域ですね」
「はい」
メイビスが頷いた。
「複数の記録を照合すると、黒髪の魔導士は、この地域へ向かった可能性が高いんです」
「……なるほど」
「もちろん、そこに今もいるとは限りません」
「ええ」
「でも……」
メイビスは、地図を見つめた。
「……ようやく、追いかけるべき足跡が見えてきました」
イリスは、静かに微笑んだ。
「……長かったですね」
「……はい」
メイビスが頷く。
「……本当に」
二人が旅立ってから、四年以上。
数えきれないほどの遺跡を巡り。
古い書物を読み。
人々から話を聞き。
何度も手掛かりを失った。
それでも。
諦めずに歩き続けてきた。
そして今。
ようやく、一つの道が見え始めていた。
◇
「……イリス」
しばらくして、メイビスが口を開いた。
「はい?」
「……もし、ゼレフに会えたら」
そこで、言葉が止まった。
イリスは静かに続きを待った。
「……何を聞けばいいんでしょうね」
「……メイビス」
「聞きたいことは、たくさんあるんです」
メイビスは、膝の上で手を握った。
「アンクセラムの呪いのこと。どうして、こんな呪いが存在するのか。どうすれば……」
声が、少しだけ震えた。
「……どうすれば、誰も傷つけずに生きられるのか」
イリスは、そっとメイビスの隣へ座った。
「……そうですね」
「……でも」
メイビスは、俯いた。
「……怖いんです」
「…………」
「もし、ゼレフにも……何もわからなかったら」
小さな声だった。
「……もし、この呪いを解く方法なんて、存在しなかったら……」
イリスは、しばらく何も言わなかった。
そして。
「……メイビス」
優しく呼びかける。
「はい……」
「……私は、ゼレフさんに会えたら、まずお礼を言いたいです」
「……え?」
メイビスが顔を上げた。
「……お礼?」
「はい」
イリスは微笑んだ。
「十五年前、私たちに魔法を教えてくださったことへのお礼です」
「…………」
「ゼレフさんがいなければ、ユーリさんたちも、あれほど早く魔法を覚えることはできなかったでしょう」
「……そうですね」
「メイビスも、たくさんの魔法を学びました」
「……はい」
「ですから、まずは……久しぶりに会えたことを喜びたいです」
メイビスは、少しだけ目を丸くした。
そして。
「……ふふっ」
小さく笑った。
「……イリスらしいですね」
「そうでしょうか?」
「はい」
メイビスは、少しだけ表情を和らげた。
「……でも、そうですね」
彼女は、遠い記憶を思い出すように目を閉じた。
マグノリア近郊の森。
まだ何も知らなかった頃。
魔法を教えてくれた黒髪の青年。
あの頃の自分は、ただ魔法が楽しくて仕方なかった。
けれど今は。
魔法の素晴らしさだけでなく、その恐ろしさも知っている。
「……会いたいです」
メイビスが、静かに呟いた。
「……ゼレフに」
イリスは頷いた。
「……ええ」
「……聞きたいことも、伝えたいことも、たくさんあります」
「はい」
「……それに」
メイビスは、少しだけ微笑んだ。
「……あの頃より、私もずっと魔法が上手になったんですよって、自慢したいです!」
その言葉に、イリスが笑った。
「ふふっ。それは驚かれるでしょうね」
「もちろんです!」
メイビスが胸を張る。
「今なら、ゼレフと魔法の研究について、何日でも語り合える自信があります!」
「……何日でも、ですか?」
「はい!」
「……では、私はその間、何をしていればいいのでしょう?」
「もちろん、イリスも一緒ですよ!」
「……私もですか?」
「当たり前です!」
メイビスは楽しそうに笑った。
「イリスの金色の瞳だって、ゼレフなら興味を持つと思います!」
「……そうでしょうか」
「絶対です!」
イリスは苦笑した。
「……それなら、退屈する心配はなさそうですね」
「ふふっ。ありませんよ!」
二人の笑い声が、テントの中に広がった。
◇
夜が更けていく。
外では、静かに雪が降り続いていた。
メイビスは、地図の上に置かれた手帳を見つめた。
その指には、緑色の宝石が輝く指輪。
隣に座るイリスの指には、青色の宝石。
ギルティナ大陸で交換した、大切な指輪だった。
「……イリス」
「はい?」
「……ありがとう、ございます」
イリスは、少しだけ首を傾げた。
「……どうしたんですか、突然」
「……だって」
メイビスは、穏やかに微笑んだ。
「……ここまで、一緒に来てくれましたから」
イリスは、しばらくメイビスを見つめていた。
そして。
「……まだ、途中ですよ」
「……え?」
「ゼレフさんには、まだ会えていませんから」
イリスは、優しく笑った。
「それに、会えたとしても……そこで旅が終わるわけではありません」
「…………」
「呪いのことも、これからのことも……一緒に考えていきましょう」
メイビスの緑色の瞳が、静かに揺れた。
そして。
「……はい!」
明るく頷いた。
◇
翌朝。
雪は止み、山々の向こうから朝日が昇っていた。
二人はテントを片付け、次の目的地へ向かう準備を整えていた。
「……さて!」
メイビスが地図を広げる。
「次は、この山脈を越えた先ですね!」
「ええ」
イリスが頷く。
「少し険しい道になりそうですが……」
「大丈夫です!」
メイビスは笑った。
「イリスがいますから!」
「……ふふっ」
イリスも微笑む。
「それは、私の台詞でもありますね」
「……え?」
「メイビスがいれば、どんなに難しい術式があっても安心ですから」
「……!」
メイビスが目を丸くする。
そして。
「……ふふっ!」
嬉しそうに笑った。
「それなら、二人でいれば最強ですね!」
「ええ。そうですね」
二人は顔を見合わせた。
長い旅だった。
けれど、その旅は決して無駄ではなかった。
積み重ねた知識。
出会った人々。
辿ってきた道。
そのすべてが、今、一つの可能性へと繋がり始めている。
黒髪の魔導士。
かつて、マグノリア近郊で魔法を教えてくれた青年。
ゼレフ。
その足跡は、確かに残されていた。
「……行きましょうか、メイビス」
「はい、イリス!」
二人の少女が、朝日に照らされた山道を歩き始める。
黒髪と金髪が、冷たい風に揺れた。
まだ、答えは見つかっていない。
呪いを解く方法も。
誰も傷つけずに生きるための道も。
それでも。
希望は、確かにそこにあった。
そして、翌年。
X701年。
二人はついに、かつての師と再会することになる。
――第72話 終――
【こそこそ妖精話】
~天才魔導士の弱点~
夕食の準備をしていたイリスは、鍋をかき混ぜながらメイビスに声をかけた。
イリス「メイビス、少し手伝ってもらえますか?」
メイビス「もちろんです! 何をすればいいんですか?」
イリス「このスープに、お塩を少々お願いします」
メイビス「……少々?」
イリス「はい。少々です」
メイビス「……イリス」
イリス「はい?」
メイビス「少々とは、具体的に何グラムでしょうか?」
イリス「……え?」
メイビス「それとも、スープ全体の重量に対する割合ですか? 温度によって味の感じ方も変わりますし……」
イリス「……メイビス?」
メイビス「待ってください! 最適な塩分濃度を計算します!」
イリス「そこまでしなくても……」
メイビス「いえ! せっかくなら完璧なスープを作りたいです!」
メイビスは真剣な表情で手帳を取り出した。
イリス「……あの、メイビス」
メイビス「はい!」
イリス「先ほどまで解析していた古代魔法の術式は、もう終わったんですか?」
メイビス「ええ! あれなら三分で解けましたよ!」
イリス「……そうですか」
イリスは少し考えてから、小さな匙を差し出した。
イリス「では、まずはこれくらい入れて、味見をしてみましょう」
メイビス「……なるほど!」
メイビスは目を輝かせた。
メイビス「実験と検証ですね!」
イリス「……お料理です」
メイビス「ふふっ! どちらも同じですよ!」
こうして、天才魔導士メイビス・ヴァーミリオンによる、壮大なスープ研究が始まった。
なお、完成までに三十分かかったという。
イリス「……古代魔法より時間がかかりましたね」
メイビス「でも、美味しくできました!」
イリス「ふふっ。それなら大成功ですね」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。