X701年。
フィオーレ王国北東部。
長い冬が終わり、山々に春の気配が訪れ始めていた。
雪解け水が細い川となって流れ、木々の枝には小さな若葉が芽吹いている。
そんな山岳地帯の奥深くを、二人の少女が歩いていた。
「……随分、暖かくなりましたね」
イリス・アストレアが、木漏れ日の差し込む森を見渡した。
「はい! 山を越えた頃は、まだ雪が残っていましたからね!」
隣を歩くメイビス・ヴァーミリオンが、楽しそうに答える。
長い金髪が春風に揺れた。
二人がゼレフを探す旅に出てから、およそ五年。
数えきれないほどの遺跡を巡り、古い記録を調べ、人々から話を聞いてきた。
そして昨年。
ようやく、黒髪の魔導士が残したと思われる足跡を見つけた。
複数の研究記録。
共通する魔法理論。
長い年月を経ても変わらない外見。
そして、生命が枯れるという不可解な現象。
それらを辿った先が、この山岳地帯だった。
「……メイビス」
「はい?」
「昨日の記録では、この森の奥に古い遺跡があるという話でしたね」
「はい。ただ、遺跡そのものは随分前に崩れてしまったそうです」
メイビスは手帳を開いた。
「ですが、黒髪の魔導士がこの周辺を訪れたという記録が、複数残っています」
「……なるほど」
「それに……」
メイビスは、少しだけ声を落とした。
「……森の一部が、突然枯れたという話も」
イリスは静かに頷いた。
「……そうですね」
二人は、それ以上言葉を続けなかった。
何を意味しているのか。
今の二人には、十分すぎるほど理解できていたからだ。
◇
【第一幕 森に残された痕跡】
森の奥へ進むにつれて、人の気配は完全に消えていった。
鳥のさえずり。
風に揺れる葉の音。
遠くを流れる川のせせらぎ。
それだけが、静かな森に響いている。
「……綺麗な場所ですね」
イリスが微笑んだ。
「はい!」
メイビスも周囲を見渡す。
「こういう場所、イリスは好きですよね!」
「ふふっ。よくご存じで」
「何年一緒に旅をしていると思っているんですか!」
「……確かに、そうですね」
二人は顔を見合わせて笑った。
そのときだった。
「…………」
イリスの足が止まった。
「……イリス?」
「……少し、待ってください」
金色の瞳が、森の奥へ向けられる。
木々の間。
地面を覆う草。
その向こうに、微かな魔力の痕跡が見えていた。
「……魔力の残滓があります」
「……本当ですか?」
「ええ」
イリスは目を細めた。
「ただ……少し、不自然ですね」
「……不自然?」
「魔力の痕跡が残っている場所と、まったく残っていない場所が、はっきり分かれています」
メイビスの表情が変わった。
「……まさか」
二人は慎重に歩き始めた。
やがて。
「…………!」
メイビスが息を呑んだ。
森の一角。
そこだけが、まるで別の季節に取り残されたようになっていた。
周囲の木々には若葉が芽吹いている。
しかし、その場所だけは違った。
葉を失った木々。
茶色く変色した草。
地面に横たわる、小さな動物の亡骸。
生命の気配が、完全に失われていた。
「……これは」
メイビスの声が震えた。
イリスは、そっと彼女の手を握った。
「……メイビス」
「……はい」
「……大丈夫です」
メイビスは、握られた手を見つめた。
そして、小さく頷く。
「……ありがとうございます」
二人は、枯れ果てた場所を見つめた。
そこに何があったのか。
まだ、わからない。
けれど。
「……近くにいるかもしれませんね」
イリスが呟いた。
「……はい」
メイビスも頷いた。
「……ゼレフが」
◇
【第二幕 黒髪の魔導士】
さらに森の奥へ進んだ頃。
イリスは、再び足を止めた。
「……メイビス」
「はい?」
「……人がいます」
「……!」
メイビスが顔を上げた。
「……どこですか?」
「あちらです」
イリスが指差した先。
木々の向こうに、小さな開けた場所があった。
そして。
そこに、一人の青年が立っていた。
黒い髪。
静かな佇まい。
黒を基調とした衣服。
青年は、古びた石碑の前に立ち、何かを眺めていた。
「…………」
メイビスの足が止まった。
イリスも、言葉を失った。
十五年前。
マグノリア近郊の森で出会った青年。
魔法を教えてくれた、あの人物。
その姿が、そこにあった。
「……ゼレフ、さん……?」
イリスが、小さく呟いた。
青年の肩が、わずかに動いた。
ゆっくりと振り返る。
「…………?」
黒髪の青年は、二人を見つめた。
そして。
「…………え?」
その表情が、驚きに変わった。
「……君たちは……」
イリスは、一歩前へ出た。
「……お久しぶりです」
少しだけ緊張した声。
けれど、その表情には確かな笑みが浮かんでいた。
「……ゼレフさん」
青年の瞳が、大きく見開かれた。
「……イリス……?」
「はい」
イリスは頷いた。
「……覚えていてくださったんですね」
「……もちろんだよ」
ゼレフは、信じられないものを見るように呟いた。
「……忘れるはずがない」
そして。
その視線が、もう一人の少女へ向けられた。
「…………メイビス?」
「…………」
メイビスは、しばらく何も言えなかった。
ずっと、会いたかった。
聞きたいことが、たくさんあった。
伝えたいことも、数えきれないほどあった。
けれど。
実際に目の前にすると、言葉が出てこなかった。
「……ゼレフ」
ようやく、声が出た。
「……お久しぶりです」
その声は、少しだけ震えていた。
ゼレフは、二人を交互に見つめた。
「……本当に、君たちなのかい?」
「はい!」
メイビスが頷く。
「メイビス・ヴァーミリオンです!」
そして、少しだけ胸を張った。
「……十五年前、あなたに魔法を教えていただいた!」
「…………」
ゼレフは、ゆっくりと目を細めた。
「……そうか」
小さな声だった。
「……もう、十五年も経ったんだね」
イリスは微笑んだ。
「……ええ」
「……でも」
ゼレフは、不思議そうに二人を見つめた。
「……君たちは、あまり変わっていないね」
「……ふふっ」
イリスが小さく笑った。
「それは、ゼレフさんも同じですよ」
「……そうだね」
ゼレフは、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
その表情を見て、メイビスの胸が小さく痛んだ。
十五年。
普通の人間にとっては、決して短くない年月。
けれど。
目の前にいる三人は、誰も十五年前と大きく姿を変えていなかった。
その理由が、それぞれ違うことを。
メイビスは、誰よりもよく理解していた。
◇
【第三幕 かつての師弟】
「……それにしても」
ゼレフが、二人を見つめた。
「どうして、こんな場所に?」
「……実は」
イリスが微笑んだ。
「ゼレフさんを探していたんです」
「……僕を?」
「はい」
メイビスが頷いた。
「ずっと、探していました」
「…………」
ゼレフは、少しだけ驚いた表情を浮かべた。
「……どうして?」
「……それは」
メイビスが口を開きかける。
しかし。
「……その前に」
イリスが、穏やかに声をかけた。
「ゼレフさんに、お伝えしたいことがあるんです」
「……僕に?」
「はい」
イリスは、丁寧に頭を下げた。
「……十五年前は、本当にありがとうございました」
「…………」
「ゼレフさんが魔法を教えてくださったおかげで、私たちはたくさんのことを学べました」
イリスは顔を上げた。
「……ユーリさんも、プレヒトさんも、ウォーロッドさんも」
そして、隣の少女へ視線を向ける。
「……もちろん、メイビスも」
「……はい!」
メイビスが笑顔で頷いた。
「私も、お礼を言いたかったんです!」
ゼレフは、しばらく二人を見つめていた。
そして。
「……そうか」
小さく微笑んだ。
「……あのときの魔法が、君たちの役に立ったんだね」
「もちろんです!」
メイビスが勢いよく答えた。
「それどころか、私、あれからたくさん魔法を覚えたんですよ!」
「……そうなのかい?」
「はい!」
メイビスの緑色の瞳が輝いた。
「幻影魔法も、空間魔法も! それに、魔法陣の研究だって!」
「……空間魔法?」
ゼレフが、少しだけ目を見開いた。
「……君が?」
「はい!」
メイビスは嬉しそうに頷いた。
「ちょっと見ていてください!」
そう言うと、彼女は指先に魔力を集めた。
淡い光が、空中に複雑な魔法陣を描く。
次の瞬間。
メイビスの姿が、ふっと消えた。
「…………!」
ゼレフが目を見開く。
そして。
「……こちらです!」
背後から声がした。
振り返ると、少し離れた場所にメイビスが立っていた。
「……空間転移」
ゼレフが呟いた。
「……しかも、ほとんど魔力の乱れがない」
「ふふっ!」
メイビスが得意げに笑った。
「どうですか!」
「……驚いたよ」
ゼレフは、素直に感心した様子だった。
「十五年前の君は、まだ魔力を感じ取る練習をしていたのに」
「はい!」
メイビスは胸を張った。
「今では、こんなこともできるんです!」
その様子を見て、イリスが笑った。
「……メイビス」
「はい?」
「……あまり張り切りすぎると、魔法の研究会が始まってしまいますよ」
「……!」
メイビスの表情が輝いた。
「……それもいいですね!」
「……え?」
「せっかくゼレフに会えたんですから!」
メイビスは楽しそうに続けた。
「私、聞きたいことが山ほどあるんです!」
「……山ほど、ですか」
イリスが苦笑する。
ゼレフも、思わず小さく笑った。
「……相変わらずだね、メイビス」
「……え?」
「魔法の話になると、止まらなくなるところ」
「……!」
メイビスが、少しだけ頬を膨らませた。
「もう! ゼレフまで!」
その姿に、イリスも笑った。
十五年。
長い年月が過ぎた。
それでも。
こうして笑い合っていると、まるであの頃に戻ったようだった。
マグノリア近郊の森。
魔法を教えてくれた青年。
新しい知識に目を輝かせていた少女。
そして、その隣で静かに微笑んでいた聖剣使い。
懐かしい時間が、確かにそこにあった。
◇
しばらくして。
「……ところで」
ゼレフが、二人を見つめた。
「ユーリたちは、元気にしているのかい?」
「……はい」
イリスが頷いた。
「皆さん、元気ですよ」
「……そうか」
「ユーリさんは、今ではお父さんなんです」
「……え?」
ゼレフが目を丸くした。
「……ユーリが?」
「はい!」
メイビスが嬉しそうに答えた。
「男の子が生まれたんです! マカロフっていう名前なんですよ!」
「……マカロフ」
ゼレフは、その名前を静かに繰り返した。
「……そうか」
そして、穏やかに微笑んだ。
「……あのユーリが、父親になったんだね」
「ふふっ。驚きますよね」
イリスが笑った。
「……うん」
ゼレフも小さく笑った。
「……少し、想像できないな」
「私も最初はそうでした!」
メイビスが楽しそうに答える。
けれど。
その笑顔が、ほんの少しだけ曇った。
「…………」
イリスは、その変化に気づいた。
ユーリ。
マカロフ。
そして。
もう、この世にはいないリタ。
メイビスの心に、あの日の記憶が蘇っていた。
「……メイビス」
イリスが、そっと声をかけた。
「…………」
メイビスは、ゆっくりと顔を上げた。
「……大丈夫です」
小さく微笑む。
けれど、その笑顔は少しだけ寂しかった。
ゼレフは、二人の様子を静かに見つめていた。
◇
【第四幕 同じ呪い】
「……メイビス」
ゼレフが、静かに呼びかけた。
「……はい?」
「……君に、一つ聞いてもいいかな」
「……何でしょう?」
ゼレフは、少しだけ言葉を選ぶように沈黙した。
そして。
「……君の魔力」
メイビスの表情が変わった。
「……十五年前とは、随分違うね」
「…………」
「……もちろん、強くなったからというだけじゃない」
ゼレフの声が、少しずつ低くなる。
「……何かが、変わっている」
イリスは、静かに二人を見守った。
メイビスは、しばらく何も答えなかった。
そして。
「……ゼレフ」
小さく、名前を呼んだ。
「……私」
その声が震えた。
「……あなたと、同じになってしまったんです」
「…………?」
ゼレフの表情が変わった。
「……同じ?」
「……はい」
メイビスは、ゆっくりと頷いた。
「……アンクセラムの呪い」
その言葉を聞いた瞬間。
ゼレフの顔から、表情が消えた。
「…………」
風が吹いた。
木々の葉が、小さく揺れる。
「……今」
ゼレフが、掠れた声で呟いた。
「……何て言ったんだい?」
「……私も」
メイビスは、震える声で答えた。
「……アンクセラムの呪いを、受けているんです」
「…………!」
ゼレフが、息を呑んだ。
「……そんな」
その声には、明らかな動揺があった。
「……どうして……」
メイビスは、俯いた。
「……禁忌魔法を、使いました」
「…………」
「……ロウという魔法です」
ゼレフの瞳が揺れた。
「……ロウ……」
「……はい」
メイビスは、静かに続けた。
「……仲間を守るために、使ったんです」
その指先が、わずかに震えていた。
「……でも」
声が詰まる。
「……その結果、私は……」
言葉が続かなかった。
イリスが、そっとメイビスの手を握った。
「……メイビス」
「…………」
メイビスは、握られた手を見つめた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……私の呪いで、大切な仲間を失いました」
「…………!」
ゼレフの表情が歪んだ。
「……そんなことが……」
「……はい」
メイビスは、小さく頷いた。
「……だから、私たちは……」
そこで、声が震えた。
「……この呪いを、どうにかする方法を探しているんです」
ゼレフは、何も言えなかった。
ただ、目の前の少女を見つめていた。
十五年前。
魔法を学ぶことが楽しくて仕方なかった少女。
新しい術式を知るたびに、嬉しそうに笑っていた少女。
その彼女が。
自分と同じ呪いを背負っている。
「……僕は……」
ゼレフが、小さく呟いた。
「……君に、そんな運命を……」
そのときだった。
サァァ……。
風が吹いた。
そして。
周囲の草が、突然色を失い始めた。
「…………!」
イリスが顔を上げた。
足元の若草が茶色く変色する。
木々の葉が萎れ、枝先から次々と枯れていく。
生命の気配が、急速に失われていった。
「……っ!」
ゼレフが、はっとした。
「……離れて!」
鋭い声だった。
「……二人とも、僕から離れるんだ!」
ゼレフは、慌てて後ずさった。
しかし。
イリスは、その場から動かなかった。
「……ゼレフさん」
「……駄目だ!」
ゼレフが叫んだ。
「……近づいちゃいけない!」
彼の周囲で、草木が次々と枯れていく。
まるで、生命そのものが奪われているかのように。
メイビスは、その光景を見つめていた。
「…………」
あの日と、同じだった。
自分の周囲で、生命が失われていった光景。
もう二度と、忘れることのできない記憶。
けれど。
今は、違った。
「……ゼレフ」
メイビスが、静かに呼びかけた。
「……大丈夫です」
「……何を……!」
「……イリスは、大丈夫なんです」
「…………?」
ゼレフの視線が、イリスへ向けられた。
そこには。
何事もなかったかのように立つ、黒髪の少女がいた。
「…………」
ゼレフが、目を見開いた。
「……どうして……?」
足元の草は、すでに枯れていた。
周囲の木々も、生命を失っている。
それなのに。
イリスだけは、何の影響も受けていなかった。
「……君は……」
ゼレフの声が震えた。
「……なぜ、生きているんだ……?」
イリスは、少しだけ困ったように微笑んだ。
「……すみません」
「…………」
「……私にも、理由はわからないんです」
ゼレフは、言葉を失った。
「……わからない……?」
「……はい」
イリスは静かに頷いた。
「……ただ」
その視線が、メイビスへ向けられた。
「……以前から、メイビスの呪いも私には通用しないんです」
「…………!」
ゼレフが、再び息を呑んだ。
「……メイビスの、呪いも……?」
「……はい」
メイビスが頷いた。
「……イリスは、私の呪いでも傷つかないんです」
ゼレフは、二人を交互に見つめた。
信じられない。
そんな表情だった。
「……そんなことが……」
彼は、小さく呟いた。
「……あり得るのか……?」
イリスは、静かに答えた。
「……私にも、わかりません」
そして。
「……でも」
彼女は、優しく微笑んだ。
「……こうして、ここにいます」
ゼレフは、何も答えられなかった。
ただ、目の前の少女を見つめていた。
◇
【第五幕 十五年の先へ】
しばらくして。
森に、再び静けさが戻った。
ゼレフの周囲で起きていた異変も、収まっていた。
しかし。
枯れ果てた草木は、元には戻らない。
ゼレフは、その光景を見つめていた。
「…………」
メイビスも、静かに立っていた。
イリスは、二人の間に流れる沈黙を見守っていた。
やがて。
「……ごめん」
ゼレフが、小さく呟いた。
「……せっかく、久しぶりに会えたのに」
その声には、深い後悔が滲んでいた。
「……こんなことに、なってしまって」
「……ゼレフ」
メイビスが、静かに呼びかけた。
「……謝らないでください」
「…………」
「……私も、同じですから」
ゼレフが顔を上げた。
メイビスは、少しだけ寂しそうに微笑んだ。
「……私も、自分の呪いを制御できません」
「…………」
「……だから、わかるんです」
その声は、静かだった。
「……あなたが、どれほど苦しいのか」
ゼレフは、何も言えなかった。
長い年月。
誰にも理解されないまま、生きてきた。
生命を大切に思うほど、生命を奪ってしまう。
誰かと親しくなることさえ、恐ろしくなる。
そんな呪いを背負い続けてきた。
けれど今。
目の前には、自分と同じ呪いを受けた少女がいる。
そして。
その隣には、呪いを受けても傷つかない少女がいる。
「……君たちは……」
ゼレフが、小さく呟いた。
「……本当に、不思議だね」
イリスが、少しだけ笑った。
「……そうでしょうか?」
「……うん」
ゼレフは、静かに頷いた。
「……とても、不思議だよ」
◇
夕日が、森の向こうへ沈み始めていた。
長い再会の時間も、少しずつ終わりに近づいている。
「……ゼレフ」
メイビスが、口を開いた。
「……はい?」
「……私たち、あなたに聞きたいことがあるんです」
ゼレフは、静かに彼女を見つめた。
「……アンクセラムの呪いについて、ですね」
「……はい」
メイビスは頷いた。
「……どうして、こんな呪いが存在するのか」
その声には、確かな意志があった。
「……どうすれば、誰も傷つけずに生きられるのか」
「…………」
「……そして」
メイビスは、少しだけ言葉を詰まらせた。
「……この呪いを、解くことができるのか」
ゼレフは、しばらく沈黙していた。
そして。
「……わかった」
静かに答えた。
「……僕に答えられることなら、話そう」
「……!」
メイビスの表情が、わずかに明るくなった。
「……本当ですか?」
「……うん」
ゼレフは頷いた。
「……ただ」
その声が、少しだけ重くなる。
「……期待しすぎないでほしい」
「…………」
「……僕も、長い年月をかけて、この呪いを調べてきた」
ゼレフは、静かに続けた。
「……でも、今もこうして呪われたままなんだ」
メイビスは、ゆっくりと頷いた。
「……わかっています」
「…………」
「……それでも」
彼女は、まっすぐにゼレフを見つめた。
「……知りたいんです」
その瞳には、強い意志が宿っていた。
「……何も知らないまま、諦めたくありません」
ゼレフは、しばらくメイビスを見つめていた。
そして。
「……そうか」
小さく微笑んだ。
「……君らしいね」
◇
「……では」
イリスが、穏やかに口を開いた。
「……今日は、ここまでにしませんか?」
「……え?」
メイビスが振り返った。
「……まだ、聞きたいことが……」
「ふふっ。わかっていますよ」
イリスは微笑んだ。
「ですが、もう日が暮れます」
「……あ」
メイビスが空を見上げた。
いつの間にか、森は夕暮れに包まれていた。
「……それに」
イリスは、ゼレフへ視線を向けた。
「ゼレフさんも、突然の再会で驚かれたでしょうから」
「……そうだね」
ゼレフが、小さく笑った。
「……正直、まだ少し信じられないよ」
「ふふっ」
イリスも笑った。
「……では、明日からゆっくりお話ししましょう」
メイビスは、少しだけ考え込んだ。
そして。
「……そうですね!」
明るく頷いた。
「せっかく十五年ぶりに会えたんですから!」
その言葉に、ゼレフが微笑んだ。
「……うん」
◇
森の奥。
人里から遠く離れた場所に、二人はいつものテントを設営した。
野営用魔道具の明かりが、柔らかく周囲を照らしている。
ゼレフは、少し離れた場所に立っていた。
「……本当に、いいのかい?」
彼が尋ねた。
「……僕が、近くにいても」
メイビスは、静かに頷いた。
「……はい」
そして、少しだけ笑った。
「……私も、同じですから」
「…………」
「……それに」
メイビスは、隣の少女へ視線を向けた。
「……イリスがいます」
イリスは、少しだけ困ったように微笑んだ。
「……私を頼りにしていただけるのは嬉しいですが」
「……?」
「……お二人とも、無理はしないでくださいね」
その言葉に、メイビスが笑った。
「ふふっ。わかっています!」
ゼレフも、小さく微笑んだ。
◇
夜。
静かな森に、星々が輝いていた。
テントの中では、メイビスが手帳を開いていた。
「……イリス」
「はい?」
「……会えましたね」
小さな声だった。
イリスは、微笑んだ。
「……ええ」
「……本当に」
メイビスは、手帳を見つめた。
「……会えました」
その声には、喜びと安堵が滲んでいた。
五年間。
ずっと探し続けてきた。
何度も手掛かりを失い。
何度も期待しては、落胆した。
それでも、諦めなかった。
そして今日。
ついに、かつての師と再会できた。
「……イリス」
「はい?」
「……ありがとうございます」
イリスは、少しだけ首を傾げた。
「……どうしてですか?」
「……だって」
メイビスは、穏やかに微笑んだ。
「……一人だったら、ここまで来られなかったと思いますから」
イリスは、しばらくメイビスを見つめていた。
そして。
「……それは、私も同じですよ」
「……え?」
「……メイビスがいたから、ここまで来られたんです」
メイビスの緑色の瞳が、静かに揺れた。
「……イリス」
「……それに」
イリスは、優しく微笑んだ。
「……まだ、これからです」
「…………」
「……ゼレフさんに会えたからといって、すべてが解決したわけではありません」
「……はい」
「……でも」
イリスは、そっとメイビスの手を握った。
「……一歩、前に進めましたね」
メイビスは、握られた手を見つめた。
その指には、緑色の宝石が輝いていた。
隣には、青い宝石の指輪。
遠いギルティナ大陸で交換した、大切な約束の証。
「……はい」
メイビスは、静かに頷いた。
そして。
「……これからも、一緒にお願いしますね」
イリスは、自然に笑った。
「……もちろんです」
◇
同じ頃。
少し離れた森の中。
ゼレフは、一人で夜空を見上げていた。
「…………」
十五年。
自分にとっては、長い人生のほんの一部にすぎない時間。
けれど。
あの少女たちにとっては、決して短くない年月だったはずだ。
「……メイビス」
ゼレフが、小さく呟いた。
魔法を学ぶことが大好きだった少女。
新しい知識を得るたびに、嬉しそうに笑っていた少女。
その彼女が。
自分と同じ呪いを背負ってしまった。
「……どうして……」
その声は、夜の森に消えていった。
そして。
「……イリス」
もう一人の少女の名前を呟く。
自分の呪いを受けても、何事もなかったかのように立っていた少女。
長い年月を生きてきたゼレフにとっても、理解できない存在だった。
「……君は、いったい……」
そこで、言葉が止まった。
ゼレフは、静かに目を閉じた。
わからないことは、あまりにも多い。
けれど。
十五年前。
マグノリア近郊の森で出会った少女たちが、再び自分の前に現れた。
その事実だけは、確かだった。
「……明日、か」
ゼレフは、小さく呟いた。
そして、夜空を見上げた。
明日。
三人は、アンクセラムの呪いについて語り合う。
それが、どのような答えへ繋がるのか。
まだ、誰にもわからない。
けれど。
長い年月を経て、三人の道は再び交わった。
かつての師と、その教え子たち。
そして今。
同じ呪いを背負う二人と、その呪いを受けない一人。
彼女たちの再会は、新たな物語の始まりでもあった。
――第73話 終――
【こそこそ妖精話】
~涙の隠し味~
野営用魔道具の上では、温かなシチューがことことと煮込まれていた。
イリス「さて、そろそろできましたね」
メイビス「わぁ! 今日も美味しそうです!」
ゼレフ「……本当に、僕も一緒でいいのかい?」
イリス「もちろんです。せっかく十五年ぶりに再会できたんですから」
メイビス「そうですよ! 三人で食べたほうが美味しいです!」
ゼレフ「……ありがとう」
ゼレフは、少し戸惑いながらも二人の向かいに腰を下ろした。
やがて、三人の前に温かなシチューが並べられる。
メイビス「いただきます!」
イリス「ふふっ。どうぞ、召し上がってください」
ゼレフ「……いただきます」
ゼレフはスプーンを手に取り、シチューを一口食べた。
ゼレフ「…………」
温かなスープが、ゆっくりと喉を通る。
特別な料理ではない。
ただ、野菜と肉を煮込んだ、ごく普通のシチュー。
けれど。
目の前では、メイビスが美味しそうに頬を緩めている。
隣では、イリスが穏やかに笑っていた。
誰かと同じ食卓を囲む。
たった、それだけのこと。
それが、どれほど久しぶりだっただろう。
ゼレフ「…………っ」
ぽたり。
小さな雫が、ゼレフの頬を伝った。
メイビス「……ゼレフ?」
イリス「……どうされました?」
ゼレフ「……あれ?」
ゼレフは、自分の頬に触れた。
指先が濡れている。
ゼレフ「……おかしいな」
困ったように笑う。
ゼレフ「……美味しいものを食べているだけなのに」
もう一粒、涙が零れた。
ゼレフ「……ごめんね」
ゼレフは、小さく俯いた。
ゼレフ「……誰かと、こうして食事をするのが……本当に、久しぶりで……」
メイビスは、何も言わなかった。
ただ、静かにゼレフを見つめていた。
彼の孤独が、痛いほど理解できたから。
やがて、イリスが優しく微笑んだ。
イリス「……ゼレフさん」
ゼレフ「……うん?」
イリス「……おかわりも、ありますよ」
ゼレフ「…………え?」
イリス「まだたくさん作りましたから。遠慮しないでくださいね」
ゼレフは、少しだけ目を見開いた。
そして。
ゼレフ「……うん」
涙を拭いながら、小さく笑った。
ゼレフ「……ありがとう、イリス」
メイビス「ふふっ! 私もおかわりします!」
イリス「……メイビスは、まだ半分も食べていませんよ?」
メイビス「予約です!」
ゼレフ「……ふふっ」
思わず、笑い声が零れた。
十五年ぶりの再会。
そして、久しぶりの温かな食卓。
その夜、ゼレフは久しぶりに、孤独ではない時間を過ごした。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。
今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。