妖精と聖剣使い   作:使い手なない

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第74話「生と死の矛盾」

 

 X701年。

 

 フィオーレ王国北東部。

 

 山岳地帯の森に、穏やかな朝が訪れていた。

 

 木々の間から差し込む陽光が、朝露に濡れた草を照らしている。

 

 遠くでは小鳥がさえずり、雪解け水を集めた小川が静かに流れていた。

 

「……いい天気ですね」

 

 イリス・アストレアは、空を見上げて微笑んだ。

 

「はい! 昨日より暖かい気がします!」

 

 隣では、メイビス・ヴァーミリオンが楽しそうに頷いている。

 

 二人の前には、簡単な朝食が並んでいた。

 

 焼きたてのパン。

 

 野菜のスープ。

 

 そして、温かい紅茶。

 

 昨夜、十五年ぶりに再会したゼレフも、少し離れた場所に腰を下ろしていた。

 

「……それにしても」

 

 ゼレフが、湯気の立つカップを見つめながら呟いた。

 

「君たちは、随分と旅に慣れているんだね」

 

「ふふっ。もう何年も旅をしていますから」

 

 イリスが答える。

 

「それに、イリスは料理が上手なんですよ!」

 

 メイビスが嬉しそうに付け加えた。

 

「昨日のシチューも、とっても美味しかったでしょう?」

 

「……うん」

 

 ゼレフは、穏やかに微笑んだ。

 

「……本当に、美味しかったよ」

 

 その言葉に、イリスも自然に笑った。

 

「ありがとうございます」

 

 昨夜。

 

 三人で囲んだ温かな夕食。

 

 ゼレフにとって、それは長い年月の中で忘れかけていた時間だった。

 

 誰かと食卓を囲むこと。

 

 何気ない会話を交わすこと。

 

 そして、食事を美味しいと感じながら笑い合うこと。

 

 どれも、特別な魔法など必要としない。

 

 けれど、今のゼレフにとっては、あまりにも遠いものだった。

 

「……さて!」

 

 メイビスが、空になったカップを置いた。

 

「そろそろ、始めましょうか!」

 

「……始める?」

 

 ゼレフが首を傾げる。

 

「もちろんです!」

 

 メイビスは、どこからともなく一冊の手帳を取り出した。

 

「アンクセラムの呪いについてのお話です!」

 

「……ああ」

 

 ゼレフは、静かに頷いた。

 

「昨日、約束したね」

 

「はい!」

 

 メイビスの緑色の瞳が、真剣な光を宿す。

 

「私、聞きたいことがたくさんあるんです」

 

「……そうだろうね」

 

 ゼレフは、小さく微笑んだ。

 

 そして、ゆっくりとカップを置いた。

 

「……僕にわかることなら、何でも聞いてほしい」

 

 その言葉を聞いて、イリスも二人の近くに腰を下ろした。

 

 十五年ぶりに再会した三人。

 

 かつては魔法について語り合った彼らが、今度は一つの呪いを前に向き合おうとしていた。

 

 ◇

 

【第一幕 命を愛するほど】

 

「……まず」

 

 メイビスが、手帳を開いた。

 

「アンクセラムの呪いについて、ゼレフが知っていることを教えてください」

 

「……わかった」

 

 ゼレフは、少しだけ考え込んだ。

 

「アンクセラムの呪いは、生と死の理を侵した者に与えられるとされている」

 

「……生と死の理」

 

 メイビスが、その言葉を繰り返した。

 

「……僕の場合は、死んだ人間を生き返らせようとしたことが始まりだった」

 

「…………」

 

「命を取り戻すために、禁じられた領域へ踏み込んだ。その結果、僕は不死の身体になった」

 

 ゼレフは、自分の手のひらを見つめた。

 

「どれほど傷ついても、僕は死ねない」

 

「……それは」

 

 イリスが、静かに尋ねた。

 

「肉体が再生するということでしょうか?」

 

「……そうだね。少なくとも、僕が経験した限りでは」

 

 ゼレフは頷いた。

 

「致命的な傷を負っても、命が終わることはなかった」

 

「…………」

 

「けれど、本当に恐ろしいのは、それだけじゃない」

 

 ゼレフの表情が曇った。

 

「……生命を大切に思うほど、周囲の生命を奪ってしまうんだ」

 

 森に、静かな風が吹いた。

 

「人を愛おしいと思う。生きていてほしいと願う。誰かの幸せを心から喜ぶ」

 

 ゼレフは、ゆっくりと言葉を続けた。

 

「そんな当たり前の感情が、僕の場合は命を奪う引き金になる」

 

「……昨日のように、ですね」

 

 イリスが呟いた。

 

「……うん」

 

 ゼレフは頷いた。

 

「君たちに再会できて、嬉しかった。そして、メイビスが同じ呪いを受けたと知って……」

 

 そこで、言葉が途切れた。

 

「……彼女を案じる気持ちが強くなった途端、呪いが発動した」

 

 メイビスは、静かに俯いた。

 

「……私も、同じです」

 

「…………」

 

「大切な人の幸せを願っただけなのに……」

 

 その声が、わずかに震える。

 

「……その人の命を、奪ってしまいました」

 

 ゼレフは、何も言わなかった。

 

 ただ、彼女の言葉を静かに受け止めていた。

 

 やがて、メイビスが顔を上げた。

 

「……ゼレフ」

 

「……何だい?」

 

「呪いの発動を、自分の意思で止めることはできないんですか?」

 

「…………」

 

 ゼレフは、少しだけ目を伏せた。

 

「……完全には、できない」

 

「……そう、ですか」

 

「生命に対する感情を押し殺すことで、発動を抑えられる場合はある」

 

 ゼレフは続けた。

 

「でも、それは呪いを制御しているわけじゃない。自分の心を押さえつけているだけなんだ」

 

「…………」

 

「それに、感情はいつも思いどおりになるものじゃない」

 

 昨日の光景が、三人の脳裏をよぎった。

 

 突然枯れ始めた草木。

 

 生命を失った森。

 

 そして、必死に二人を遠ざけようとしたゼレフの姿。

 

「……つまり」

 

 メイビスが、手帳に書き込みながら呟いた。

 

「呪いの発動を抑える方法はあっても、根本的な解決にはならない……」

 

「……そのとおりだよ」

 

 ゼレフは頷いた。

 

「僕も長い年月をかけて調べてきたけれど、解除する方法は見つかっていない」

 

 その声には、深い疲労が滲んでいた。

 

 長い年月。

 

 幾度となく調べ、考え、試みてきた。

 

 それでも、答えは見つからなかった。

 

「……ただ」

 

 ゼレフが、静かに続けた。

 

「僕の経験が、メイビスにもすべて当てはまるとは限らない」

 

「……え?」

 

「同じ呪いでも、発現の仕方や影響には、まだわからないことがある」

 

 メイビスの瞳が、わずかに輝いた。

 

「……つまり、調べる余地はあるんですね?」

 

「……うん」

 

 ゼレフは頷いた。

 

「少なくとも、すべてを理解したとは言えないよ」

 

 その言葉を、メイビスは手帳に書き留めた。

 

 ◇

 

【第二幕 消えない記憶】

 

「……メイビス」

 

 ゼレフが、静かに呼びかけた。

 

「……はい?」

 

「君が呪いを受けたときのことを、詳しく聞いてもいいかな」

 

「…………」

 

 メイビスの手が止まった。

 

「……つらいことを思い出させるのは、わかっている」

 

 ゼレフは、申し訳なさそうに続けた。

 

「でも、何が起きたのかを知っておきたいんだ」

 

「……はい」

 

 メイビスは、ゆっくりと頷いた。

 

「……大丈夫です」

 

 隣に座るイリスが、そっと彼女の手に触れた。

 

 メイビスは、その温もりを確かめるように指を重ねた。

 

 そして、語り始めた。

 

「……十五年前」

 

 その声は、静かだった。

 

「ブルースカルという闇ギルドとの戦いで、私は禁忌魔法を使いました」

 

「……ロウ、だね」

 

「はい」

 

 メイビスは頷いた。

 

「仲間を守りたかったんです。あのときは、それしか方法がないと思って……」

 

「…………」

 

「魔法は発動しました。でも、その代償として、私はアンクセラムの呪いを受けた」

 

 メイビスは、手帳を閉じた。

 

「……けれど、当時の私は、その意味を理解していませんでした」

 

「……そうだったんだね」

 

「はい」

 

 彼女は、遠くの木々へ視線を向けた。

 

「それから十年ほど、私は仲間たちと過ごしました」

 

 妖精の尻尾。

 

 笑い声の絶えないギルド。

 

 次々と増えていく仲間たち。

 

 ユーリとリタの結婚。

 

 そして、小さな命の誕生。

 

「……ユーリとリタの間に、男の子が生まれたんです」

 

「……マカロフ、だったね」

 

「はい」

 

 メイビスは、かすかに微笑んだ。

 

「とても小さくて……可愛らしい赤ちゃんでした」

 

 その笑顔が、ゆっくりと消えていく。

 

「……みんな、喜んでいました」

 

「…………」

 

「私も、嬉しかったんです」

 

 メイビスの声が震えた。

 

「ユーリとリタが幸せそうで……これから、もっと幸せになってほしいと思って……」

 

 そこで、言葉が止まった。

 

 イリスは、何も言わずに手を握っていた。

 

「……そのときでした」

 

 メイビスが、小さく息を吸う。

 

「……私の周りで、命が失われ始めたんです」

 

 森を吹き抜ける風が、金色の髪を揺らした。

 

「……リタが、倒れました」

 

「…………」

 

「最初は、何が起きたのかわからなくて……」

 

 メイビスは、俯いた。

 

「でも、すぐに気づいたんです」

 

 その瞳から、一粒の涙が落ちた。

 

「……私が、殺してしまったんだって」

 

 ゼレフは、目を閉じた。

 

 その言葉の重さを、彼は誰よりも理解していた。

 

 自分の意思とは関係なく、命が失われていく。

 

 助けたいと思うほど、奪ってしまう。

 

 そして、残された者は自分自身を責め続ける。

 

「……リタは」

 

 メイビスが、震える声で続けた。

 

「……私の、大切な友達だったんです」

 

「…………」

 

「いつも優しくて……ユーリと一緒にいるときは、本当に幸せそうで……」

 

 涙が、頬を伝った。

 

「……マカロフだって、生まれたばかりだったのに……」

 

 メイビスは、唇を噛み締めた。

 

「……私は、あの子からお母さんを奪ってしまいました」

 

 その瞬間。

 

 イリスは、そっとメイビスの肩を抱いた。

 

「……メイビス」

 

「……っ」

 

「……大丈夫です。ここにいますよ」

 

 メイビスは、イリスの肩に額を寄せた。

 

 小さな嗚咽が漏れる。

 

 五年。

 

 あの日から、五年が過ぎた。

 

 それでも、失われた命は戻らない。

 

 悲しみも、後悔も、簡単に消えるものではなかった。

 

 ゼレフは、しばらく何も言わなかった。

 

 やがて。

 

「……メイビス」

 

 静かに名前を呼んだ。

 

「……はい……」

 

「……君がどれほど苦しかったのか、僕にはすべてはわからない」

 

「…………」

 

「でも……自分の力で大切な命を奪ってしまう、その恐ろしさは知っている」

 

 ゼレフは、ゆっくりと目を伏せた。

 

「……僕も、何度も経験してきたから」

 

 メイビスが、顔を上げた。

 

「……ゼレフ……」

 

「……君に、簡単に大丈夫だなんて言えない」

 

 ゼレフの声は、穏やかだった。

 

「失われた命は、戻らない。残された人たちの悲しみも、なかったことにはできない」

 

「…………」

 

「……それでも、君が今ここにいることを、僕は嬉しく思うよ」

 

 メイビスの瞳が揺れた。

 

「……どうして、ですか?」

 

「……君が、一人で苦しみ続けていなかったから」

 

 ゼレフの視線が、イリスへ向けられた。

 

「……傍にいてくれる人が、いたんだね」

 

 メイビスは、イリスを見つめた。

 

 そして、涙を拭いながら頷いた。

 

「……はい」

 

 小さな声だった。

 

「……ずっと、一緒にいてくれました」

 

 イリスは、静かに微笑んだ。

 

 ◇

 

【第三幕 生きたいという願い】

 

 しばらくして。

 

 メイビスが落ち着きを取り戻した頃。

 

「……一つ、聞いてもいいかな」

 

 ゼレフが、静かに口を開いた。

 

「……はい?」

 

「……メイビスは、呪いを受けてから……生きることが怖くなったことはあるかい?」

 

「…………」

 

 メイビスは、すぐには答えなかった。

 

 森の奥から、鳥のさえずりが聞こえる。

 

 遠くで、川の水が流れている。

 

 そんな穏やかな音の中で、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

「……あります」

 

 ゼレフは、静かに頷いた。

 

「……そうだよね」

 

「……あの日」

 

 メイビスは、膝の上で両手を重ねた。

 

「リタが亡くなったあと……私は、誰にも会いたくありませんでした」

 

「…………」

 

「また誰かを傷つけてしまうかもしれない。大切な仲間を、また失ってしまうかもしれない」

 

 その声が、少しだけ震えた。

 

「……それが、怖かったんです」

 

 ゼレフは、何も言わずに聞いていた。

 

「……でも」

 

 メイビスは、隣にいるイリスを見つめた。

 

「……今は、少し違います」

 

「……違う?」

 

「はい」

 

 メイビスは、ゆっくりと頷いた。

 

「……怖くなくなったわけではありません」

 

 そして、静かに微笑んだ。

 

「……それでも、私はまだ生きていたいんです」

 

「…………」

 

 ゼレフが、わずかに目を見開いた。

 

「……生きていたい?」

 

「……はい」

 

 メイビスは、イリスの手を握った。

 

「……この先も、イリスと一緒に、いろんな景色を見たいです」

 

 イリスが、少しだけ驚いたように瞬きをする。

 

「……メイビス」

 

「それに、まだ読みたい本もありますし、研究したい魔法もたくさんあります!」

 

 メイビスは、少しだけ笑った。

 

「……妖精の尻尾のみんなが、これからどうなっていくのかも知りたいです」

 

 その声には、確かな温かさがあった。

 

「……だから」

 

 メイビスは、まっすぐにゼレフを見つめた。

 

「……私は、諦めたくありません」

 

「…………」

 

 ゼレフは、何も答えられなかった。

 

 生きたい。

 

 その言葉が、胸の奥に静かに響いていた。

 

 かつて、自分も命を取り戻したいと願った。

 

 大切な弟を、もう一度生かしたかった。

 

 その願いが、禁忌へと踏み込むきっかけになった。

 

 そして今。

 

 終わりのない命を与えられた自分は、死ぬことさえできずにいる。

 

 長い年月の中で、生きることは苦しみへと変わってしまった。

 

 それなのに。

 

 同じ呪いを背負った少女は、まだ未来を望んでいる。

 

「……そうか」

 

 ゼレフは、小さく呟いた。

 

「……君は、強いね」

 

「……そんなことありません」

 

 メイビスは、首を横に振った。

 

「……私は、一人では何もできませんでした」

 

 そして、隣の少女を見つめる。

 

「……イリスが、いてくれたからです」

 

 イリスは、少しだけ困ったように笑った。

 

「……メイビス」

 

「ふふっ。本当のことですよ?」

 

「……それなら」

 

 イリスは、優しく微笑んだ。

 

「……私も、メイビスがいてくれたから、ここまで来られたんです」

 

「……!」

 

「……お互いさま、ですね」

 

 メイビスは、嬉しそうに笑った。

 

「……はい!」

 

 ゼレフは、そんな二人を静かに見つめていた。

 

 長い孤独の中で、自分が失ってきたもの。

 

 誰かと未来を語ること。

 

 誰かの幸せを願うこと。

 

 そして、その願いを分かち合うこと。

 

 目の前の二人は、それを今も大切にしていた。

 

 ゼレフは、ほんの少しだけ微笑んだ。

 

 ◇

 

【第四幕 呪いを受けない少女】

 

「……ところで」

 

 ゼレフが、イリスへ視線を向けた。

 

「……イリス」

 

「はい?」

 

「君についても、少し聞いていいかな」

 

「……私、ですか?」

 

「……うん」

 

 ゼレフは、真剣な表情になった。

 

「昨日、僕の呪いが発動したとき……君だけは何の影響も受けなかった」

 

「……そうですね」

 

「……メイビスの呪いも、君には通用しないんだね?」

 

「はい」

 

 イリスは頷いた。

 

「少なくとも、これまで影響を受けたことはありません」

 

 ゼレフは、しばらく考え込んだ。

 

「……君は、自分の身体に何か特別な変化を感じたことはあるかい?」

 

「……変化、ですか」

 

 イリスは、少しだけ首を傾げた。

 

「……そうですね」

 

 そして、ゆっくりと答えた。

 

「……実は、私自身にもよくわからないことがあるんです」

 

「……というと?」

 

「……十五年前から、外見がほとんど変わっていないんです」

 

「…………」

 

 ゼレフの表情が変わった。

 

「……老化していない?」

 

「……はい」

 

 イリスは頷いた。

 

「以前、知り合いの魔導士に調べてもらったことがあります」

 

「……結果は?」

 

「……長い年月が経っているにもかかわらず、老化の兆候が見られないそうです」

 

「…………」

 

「ただ、原因まではわかりませんでした」

 

 ゼレフは、静かに考え込んだ。

 

「……不思議だね」

 

「……ええ」

 

 イリスは、少しだけ苦笑した。

 

「私自身も、驚いています」

 

 その隣で、メイビスが口を開いた。

 

「……でも、イリスは不死というわけではないんですよね?」

 

「……そうですね」

 

 イリスは頷いた。

 

「少なくとも、そうだと確かめられたわけではありません」

 

「……なるほど」

 

 ゼレフは、ゆっくりと頷いた。

 

「老化の兆候がないことと、不死であることは別の問題だ」

 

「……はい」

 

「それに、呪いを受けないこととも、直接結びつくとは限らない」

 

 ゼレフは、イリスを見つめた。

 

「……君の魔法は、僕たちのものとは少し異なるんだったね」

 

「はい。私は、別の世界から来ましたから」

 

「……そうだったね」

 

 ゼレフは、十五年前の出会いを思い出した。

 

 異世界から現れた少女。

 

 すでに高度な魔法を使いこなし、聖剣を自在に操っていた。

 

 あの頃から、彼女には不思議なところがあった。

 

「……君の魔力そのものに、何か特徴があるのかもしれない」

 

「……可能性はありますね」

 

 イリスが答える。

 

「……でも」

 

 ゼレフは、静かに続けた。

 

「今の段階では、何も断定できない」

 

「……そうですね」

 

 メイビスも頷いた。

 

「それに、イリスが呪いを受けないからといって、私たちの呪いが解けるわけではありません」

 

「……うん」

 

 ゼレフは、真剣な表情で頷いた。

 

「そこは、区別して考える必要があるね」

 

 イリスは、二人を見つめた。

 

「……私にできることがあれば、協力します」

 

「……ありがとう」

 

 ゼレフが微笑んだ。

 

「でも、無理はしないでほしい」

 

「……はい?」

 

「……君自身にも、わからないことが多いんだ。危険なことを試すべきではないよ」

 

 その言葉に、メイビスも頷いた。

 

「私も同じ意見です!」

 

「……ふふっ」

 

 イリスは、小さく笑った。

 

「……わかりました」

 

 そして、二人へ微笑みかけた。

 

「……焦らず、一つずつ考えていきましょう」

 

 ◇

 

【第五幕 新しい友達】

 

 気がつけば、太陽は森の高い位置まで昇っていた。

 

 三人の前には、メイビスが書き留めた数多くの記録が広がっている。

 

 呪いの発動条件。

 

 不死性。

 

 生命への影響。

 

 そして、イリスという例外。

 

 わかったこともあれば、新しく生まれた疑問もあった。

 

「……やっぱり、難しいですね」

 

 メイビスが、手帳を閉じながら呟いた。

 

「……そうだね」

 

 ゼレフが頷く。

 

「長い年月をかけても、僕には答えが見つからなかった」

 

「…………」

 

「……君たちが期待していたような話は、できなかったかもしれない」

 

 その声には、申し訳なさが滲んでいた。

 

 しかし。

 

「……そんなことありませんよ」

 

 イリスが、穏やかに答えた。

 

「……え?」

 

「ゼレフさんのお話を聞けて、よかったと思っています」

 

「…………」

 

「知らなかったことも、たくさんありましたから」

 

 メイビスも、大きく頷いた。

 

「はい! それに、まだ調べられることがあるとわかりました!」

 

「……そうか」

 

 ゼレフは、小さく微笑んだ。

 

「……それなら、よかった」

 

 そのとき。

 

「……あの、ゼレフさん」

 

 イリスが、少しだけ改まった様子で声をかけた。

 

「……何だい?」

 

「……一つ、お願いしてもいいでしょうか?」

 

「……お願い?」

 

 ゼレフが、不思議そうに首を傾げた。

 

 イリスは、少しだけ微笑んだ。

 

「……私と、友達になっていただけませんか?」

 

「…………え?」

 

 ゼレフの動きが止まった。

 

「……友達?」

 

「……はい」

 

 イリスは頷いた。

 

「十五年前、マグノリアの近くでお会いしてから、こうしてまたお話しできたことが嬉しかったんです」

 

「…………」

 

「……もしよろしければ、これからは友達としてもお付き合いできたらと思いまして」

 

 ゼレフは、しばらく何も言えなかった。

 

 やがて。

 

「……イリス」

 

「はい?」

 

「……君は、僕がどんな存在なのか、わかっているんだよね?」

 

「……はい」

 

 イリスは、静かに頷いた。

 

「……アンクセラムの呪いを受けていることも、昨日この目で見ました」

 

「……それなら」

 

 ゼレフは、少しだけ俯いた。

 

「……僕と親しくなることが、どれほど危険なのかも……」

 

「……わかっています」

 

 イリスは、穏やかに答えた。

 

「でも、私が友達になりたいのは、呪いを受けた黒魔導士ではなく……ゼレフさん、あなた自身です」

 

「…………」

 

 ゼレフの瞳が、わずかに揺れた。

 

「……それに」

 

 イリスは、少しだけ笑った。

 

「友達だからといって、いつも一緒にいなければいけないわけではありません」

 

「……え?」

 

「離れていても、会えない時間が長くても……友達は友達です」

 

 その言葉に、ゼレフは目を見開いた。

 

「……でも、僕は……」

 

「……ゼレフさん」

 

 イリスは、まっすぐに彼を見つめた。

 

「……駄目でしょうか?」

 

「…………」

 

 ゼレフは、答えられなかった。

 

 長い年月。

 

 誰かと親しくなることを避けてきた。

 

 誰かを大切に思えば、その命を奪ってしまう。

 

 だから、一人でいることを選んだ。

 

 けれど。

 

 目の前の少女は、その呪いを知ったうえで、自分と友達になりたいと言っている。

 

「……イリス」

 

 ゼレフが、静かに口を開いた。

 

「……僕は、君たちを傷つけるかもしれない」

 

「……そのときは、一緒に考えましょう」

 

 イリスは、自然に微笑んだ。

 

「……友達ですから」

 

「…………」

 

 ゼレフが、瞬きをした。

 

 そして。

 

「……まだ、返事をしていないよ」

 

「……あ」

 

 イリスが、少しだけ目を丸くした。

 

「……す、すみません」

 

 その隣で。

 

「……ふふっ!」

 

 メイビスが、思わず吹き出した。

 

「イリスったら、気が早いですよ!」

 

「……メイビスまで……」

 

 イリスが、少しだけ頬を赤らめる。

 

 その姿を見て。

 

「……ふふっ」

 

 ゼレフも、思わず笑ってしまった。

 

 静かな森に、三人の笑い声が響いた。

 

 やがて。

 

「……ありがとう、イリス」

 

 ゼレフが、穏やかに微笑んだ。

 

「……僕でよければ、喜んで」

 

「……!」

 

 イリスの表情が明るくなった。

 

「……ありがとうございます!」

 

 すると。

 

「あっ!」

 

 メイビスが、勢いよく手を挙げた。

 

「それなら、私もです!」

 

「……メイビス?」

 

 ゼレフが、驚いたように振り返る。

 

「私も、ゼレフと友達になりたいです!」

 

「…………」

 

「十五年前は、魔法を教えていただく先生でしたけど……」

 

 メイビスは、嬉しそうに笑った。

 

「今は、同じ悩みを抱えている仲間でもありますから!」

 

 そして、少しだけ首を傾げた。

 

「……駄目ですか?」

 

 ゼレフは、二人を交互に見つめた。

 

 黒髪の少女。

 

 金髪の少女。

 

 十五年前、マグノリア近郊の森で出会った二人。

 

 あの頃は、こんな未来が訪れるとは思ってもいなかった。

 

「……本当に」

 

 ゼレフは、小さく呟いた。

 

「……君たちは、不思議な子たちだね」

 

「……そうでしょうか?」

 

 イリスが首を傾げる。

 

「……うん」

 

 ゼレフは、微笑んだ。

 

「……とても、不思議だよ」

 

 そして。

 

「……もちろんだよ、メイビス」

 

「……!」

 

「……僕も、君たちと友達になれたら嬉しい」

 

 その言葉に、メイビスの顔が輝いた。

 

「……はい!」

 

 イリスも、自然に笑った。

 

 ゼレフは、そんな二人を見つめながら、静かに息を吐いた。

 

 友達。

 

 その言葉を、自分に向けられたのはいつ以来だろう。

 

 あまりにも長い年月が過ぎて、もう思い出せなかった。

 

 けれど。

 

 今、確かに二人の友達ができた。

 

「……ありがとう」

 

 ゼレフは、小さく呟いた。

 

 その声には、長い孤独の中で忘れかけていた温かさがあった。

 

 ◇

 

 午後。

 

 三人は、再び手帳を広げていた。

 

「……それでは!」

 

 メイビスが、張り切った様子で口を開いた。

 

「明日は、今日のお話をもとに、今後の研究について考えましょう!」

 

「……明日も?」

 

 ゼレフが、少しだけ驚いた。

 

「もちろんです!」

 

 メイビスは、胸を張った。

 

「まだまだ、聞きたいことがたくさんありますから!」

 

「……ふふっ」

 

 イリスが、小さく笑った。

 

「……ゼレフさん」

 

「……何だい?」

 

「……覚悟しておいた方がいいですよ」

 

「……覚悟?」

 

「メイビスは、魔法の研究となると、なかなか止まりませんから」

 

「……イリス!」

 

 メイビスが、頬を膨らませた。

 

 ゼレフは、思わず笑った。

 

「……それは、十五年前から知っているよ」

 

「……もう!」

 

 三人は、顔を見合わせて笑った。

 

 呪いは、まだ解けていない。

 

 失われた命も、戻らない。

 

 長い年月をかけて調べても、答えが見つかる保証はない。

 

 それでも。

 

 昨日まで、別々の場所で苦しみを抱えていた者たちが、今は同じ場所にいる。

 

 かつての師と、その教え子。

 

 異世界から来た聖剣使い。

 

 そして、新しく結ばれた友情。

 

 彼らはまだ知らない。

 

 この日交わした何気ない言葉が、遠い未来にどのような意味を持つのかを。

 

 ただ、今は。

 

 目の前にいる友達と、明日について語り合う。

 

 それだけで、十分だった。

 

 ――第74話 終――

 




【こそこそ妖精話】
~友達とおやつの時間~

 アンクセラムの呪いについて話し合った日の午後。

 野営地には、甘く香ばしい匂いが漂っていた。

メイビス「……いい匂いですね!」

イリス「ふふっ。もうすぐ焼き上がりますよ」

ゼレフ「……何を作っているんだい?」

イリス「バタークッキーです。せっかくですから、三人でお茶にしようと思いまして」

メイビス「やったー!」

 調理用魔道具から取り出されたクッキーは、綺麗な黄金色に焼き上がっていた。

 イリスが皿に盛りつけ、温かい紅茶と一緒に並べる。

イリス「はい、どうぞ。焼きたてなので、少し熱いですよ」

ゼレフ「……ありがとう」

メイビス「いただきます!」

 サクッ。

メイビス「……んんっ! 美味しいです!」

ゼレフ「……うん。甘くて、香ばしいね」

イリス「お口に合ったようで、よかったです」

 しばらくして。

メイビス「イリス! もう一枚いただいてもいいですか!」

イリス「ふふっ。もちろんですよ」

ゼレフ「……メイビス、さっきから随分食べているね」

メイビス「研究には糖分が必要なんです!」

ゼレフ「……なるほど」

 ゼレフは、真剣な表情で頷いた。

ゼレフ「……それは興味深い理論だね」

イリス「……ゼレフさん?」

ゼレフ「糖分の摂取と魔法研究の効率には、何か関係があるのかもしれない」

メイビス「そうなんです!」

イリス「……あの、お二人とも?」

メイビス「これは研究する価値がありますね!」

ゼレフ「……うん。詳しく調べてみるのも面白そうだ」

イリス「……ふふっ」

 イリスは、思わず笑ってしまった。

イリス「まさか、おやつの時間まで研究会になるとは思いませんでした」

メイビス「魔法の研究に休憩はありません!」

イリス「……休憩するためのおやつなんですけどね?」

ゼレフ「……確かに」

 ゼレフが、小さく笑った。

 やがて、三人は温かい紅茶を飲みながら、のんびりと過ごした。

ゼレフ「……不思議だね」

イリス「……何がですか?」

ゼレフ「……こうして誰かとおやつを食べるのが、こんなに楽しいなんて」

 イリスは、穏やかに微笑んだ。

イリス「……友達と食べるおやつは、格別ですから」

メイビス「はい! それに、イリスのお菓子は世界一です!」

イリス「ふふっ。褒めすぎですよ」

ゼレフ「……僕も、そう思うよ」

イリス「……ゼレフさんまで」

 三人は、顔を見合わせて笑った。

 そのとき。

メイビス「……あっ!」

イリス「どうしました?」

メイビス「クッキーが、もうありません!」

ゼレフ「……さっき、最後の一枚を食べていたよね?」

メイビス「…………」

イリス「……ふふっ。追加で焼きましょうか?」

メイビス「お願いします!」

ゼレフ「……やっぱり、研究には糖分が必要なんだね」

イリス「ゼレフさんまで覚えなくていいんですよ!?」

 森の中に、三人の楽しそうな笑い声が響いた。

 ――おしまい♪


ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
少しでも楽しんでいただけたなら幸いです。

今後とも『妖精と聖剣使い』をよろしくお願いいたします。


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